宇都宮市(うつのみやし)は、栃木県の中部に位置する市。栃木県の県庁所在地及び人口が最多の市で、中核市に指定されている。北関東で最も人口が多い市で、首都圏の市としても10位の人口を擁する(「日本の市の人口順位」参照)。周辺市町を含め宇都宮都市圏を構成する。1896年(明治29年)市制施行。
うつのみやし 宇都宮市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 栃木県 | ||||
市町村コード | 09201-1 | ||||
法人番号 | 7000020092011 | ||||
面積 | 416.85km2 | ||||
総人口 | 511,519人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 1,227人/km2 | ||||
隣接自治体 | 日光市、鹿沼市、下野市、真岡市、さくら市、下都賀郡壬生町、河内郡上三川町、芳賀郡芳賀町、塩谷郡高根沢町、塩谷町 | ||||
市の木 | イチョウ | ||||
市の花 | サツキ | ||||
市民の日 | 4月1日 | ||||
宇都宮市役所 | |||||
市長 | 佐藤栄一 | ||||
所在地 | 〒320-8540 栃木県宇都宮市旭一丁目1番5号 北緯36度33分18秒 東経139度52分57秒 / 北緯36.55511度 東経139.88256度 東経139度52分57秒 / 北緯36.55511度 東経139.88256度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
宇都宮市は栃木県の県庁所在地であり、栃木県の中南部、関東平野の中北部に位置する。中心市街地は日光連山から連なる山地が収束して平野部となる境界域、東西ではJR宇都宮駅と東武宇都宮駅の間、南北では二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)と宇都宮城址公園の間に広がる付近を中心に形成されている。
市域には鬼怒川(きぬがわ)、田川、釜川、新川(しんかわ)、姿川などの河川が流れ、河岸はその河岸段丘と沖積平野となっている。
太平洋戦争後、宇都宮市域(旧宇都宮町や宇都宮市の区域)の拡大などもあって住民人口は激増し、2007年(平成19年)3月31日の河内郡上河内町および河内町の合併直前の2007年(平成19年)3月1日時点での宇都宮市人口は既に460,574人に達していた。 現在、市域人口は50万人を超え、これは栃木県のみならず北関東最多である。
宇都宮市の東部に大規模な内陸型工業団地が開発され、1984年(昭和59年)には関東地方では唯一「テクノポリス」に地域指定され各種メーカーの研究開発拠点が設置されるなど工業都市としての顔を有し、北関東で最大、また国内でも有数の地域商工業都市となっている。また、首都圏に立地することに加え東北新幹線や宇都宮線(東北本線や湘南新宿ライン・上野東京ライン)などの鉄道路線により都心とのアクセスが至便であることから、東京の衛星都市としての性格も有しており、都心通勤者を対象としたマンションが多数建設・供給されている。
宇都宮市西部で採掘される「大谷石」は帝国ホテル建設などにも使われ、関東大震災での安全実績が評価され、その後は関東各地の建造物の建材として汎用された。
餃子(宇都宮餃子)が食文化として定着しており、人口当たりの購入額の多さで静岡県浜松市や宮崎市と日本一を競うほどである。餃子通りを中心に専門店も多く、地元住民が利用するだけでなく、観光客誘致にも一役買っている。他にも、カクテルやジャズなどを活用した地域おこしも進められている。
市章は、「亀の甲」と漢字の「宮」を模したデザインを用いている。「亀の甲」は宇都宮城の別称「亀ヶ丘城」に由来する。市内にはこのほか「亀の甲坂」や「亀ヶ甲」「亀の井」といった亀の付く地名などが見られる。歴史的には鎌倉亀ヶ谷に居したと云われる下野守源義朝にもちなむ。
歴史的には、当地は古代毛野国、令制国時代には下野国に属し、市域姿川流域には縄文時代の大集落跡である根古谷台遺跡があるなど、紀元前より人の生活の場であったことが知られている。また宇都宮市中心市街地は平安時代の下野国河内郡池辺郷で、その東端を流れる田川沿岸には旧古多橋駅が、また市東部郊外を流れる鬼怒川の沿岸には旧衣川駅があったと推定されており、さらに市域平野部には紀元4-7世紀に建造されたと推定される古墳や住居跡が多数存在し、戸祭山麓には下野薬師寺や河内郡衙で使用された屋根瓦を焼いた窯跡もあるなど、東山道沿道にあり地域人口の一集積地であったと考えられている。
上代には池辺郷の鏡ヶ池畔には地の神を祀る社が建てられ、平安時代後期にはこれを「宇豆宮」「宇都宮明神」として祭祀し、鎌倉時代から戦国時代にかけてはこの神領を預かった神職家で北面武士でもあった一族が宇都宮氏を名乗り鎌倉御家人として宇都宮城を拠点とした。城下に多数の仏教寺院を建立して宇都宮は東国の都であったと比喩されることもあった。
この宇都宮社は、中央政権が関東・奥州を掌握するために東国に派遣した諸武門の奉幣を受け、藤原秀郷の平将門の乱、源頼義の奥州十二年合戦、源頼朝の義家塚、徳川家康の征夷大将軍就任など、その機会は日本史上の節目に前後して行われた。宇都宮城下は鎌倉街道中道(奥大道)や日光古道などが通る交通の要衝で、沿道は富で潤い、その痕跡は日光古道沿線の西根や門前などに今も見られる。
鎌倉府の弱体化と後北条氏の台頭に拠って宇都宮氏も勢力を弱め、近接勢力の那須氏や日光山僧兵の侵略を受けて宇都宮は一時灰燼化する。宇都宮氏は拠点を大谷の多気山に移し、程なく豊臣秀吉の小田原征伐に続く宇都宮仕置よって宇都宮に復帰するが、秀吉の死に前後して改易となった。その後に宇都宮城主となった浅野長政や蒲生秀行は城下町に紺屋町、日野町といった商人街を作り、また江戸幕府の初代征夷大将軍となった徳川家康は宇都宮社に寄進してこれを復興するとともに、宇都宮を古道奥州道・日光道の宿駅とするよう命じた。宇都宮城主奥平家昌や本多正純が宿場機能を併せ持つ近世宇都宮城下町を整備し、宇都宮宿は五街道のうち日光街道・奥州街道の二道の追分となり、街道一の繁盛地として大いに賑わった。
当時の宇都宮宿は地方宿としては日本国内有数の宿場町だった。五街道では東海道大津宿、府中宿(家数3,500軒、人口14,000人級)や熱田宿、日光街道千住宿(家数2,000 - 3,000軒、人口10,000人級)には及ばないものの、東海道品川宿や四日市宿、桑名宿、岡崎宿、浜松宿、島田宿、奥州街道白河宿、甲州街道八王子宿(家数1,200 - 1,800軒、人口6,000 - 7,000人級)と同等の規模を擁していた。
市域を通る二つの街道には、ほか雀宮宿、徳次郎宿、白沢宿が置かれた。幕末には戸田氏が宇都宮藩主となり、『山陵志』を著わした蒲生君平を輩出するなど王政復古に寄与した。戊辰戦争時では宇都宮城の戦いによって城下は再び灰燼と帰すが、明治期には明治天皇によりその業績が称えられた。近代には奥州街道に代わって明治国道6号(現国道4号)が設けられ、第14師団の本営が置かれると本営のあった国本村戸祭まで明治国道60号(大正国道29号、現:国道119号)も開通した。宇都宮は軍関係の需要が増え軍都として繁栄したが、太平洋戦争末期の宇都宮大空襲で三度目の灰燼となった戦後は、内陸型近代工業を中心とする近代産業都市として発展した。
現在は宇都宮城、清巌寺鉄塔婆、一向寺汗かき阿弥陀、宝蔵寺およりの鐘、興禅寺木造釈迦如来坐像、旧篠原家住宅、その他大谷石建築や八幡山公園の大楠、旭町の大いちょう、祥雲寺のしだれ桜などの歴史遺産・自然遺産の保全活動にも手が尽くされている。2007年(平成19年)には宇都宮城址公園が日本の歴史公園100選に選定され、2009年(平成21年)4月10日には1960年(昭和35年)3月15日の地域指定より一度も公園計画が策定されて来なかった宇都宮県立自然公園にも公園計画書が制定された。
2020年代現在では、全国初の全線新設型ライトレール路線である宇都宮芳賀ライトレール線の建設、コンパクトシティやスマートシティの実現による都市機能の向上、都市活動により排出される二酸化炭素を実質ゼロとするカーボンニュートラルの推進など、「未来都市うつのみや」の具現化へ向けた先進的なプロジェクトが進行している(後述)。
栃木県のほぼ中部、関東平野の中北部に位置し、首都東京から約105km北、標高は市中心部で約100m。北西部に低山地がある以外、土地は概ね平坦である。地層は主に海底土砂の堆積による砂礫層上に軽石層と関東ローム層が形成されている。市域東部には鬼怒川、中央部には田川および釜川、西部には姿川が流れ、それぞれ流域に沖積平野を形成している。市西部は一段高い宝木台地の台上であり、その中央には用水路として掘削された新川が流れる。また市北東部には鬼怒川の治水と流域の田畑開墾、舟運のために整備された西鬼怒川や御用川が流れる。
土地は鬼怒川が流れる市南東部が最も低く、北西部に向けて徐々に高くなっており、その先には南西方向より北東方向に向け多気山、古賀志山、雲雀鳥屋、鞍掛山、羽黒山、半蔵山、本山、高館山(篠井富屋連峰)など、標高300-600メートル級の小高い山が連なっている。
宇都宮市街地は、この北西部山系から連なる戸祭山、八幡山、二荒山(明神山)のちょうど終端に位置する。背に北部山系を配し、平地開口部には田川などの水系を配す、典型的な「天然の要害」であり、この「地の利」を巧みに取り込んだ宇都宮城の城下町から発展を続けている。
宇都宮を1字で表す際は一般的に「宮」や「みや」が用いられている。例として以下のようなものが挙げられる。これらの言葉はいずれも固有名詞となっている。
また、地元紙『下野新聞』は、昭和30年代ごろまで、「宇都宮市」を「宮市」とよく略していた。
一方、正式な固有名詞の略称として定型的・事務的に頭の「宇」のみで表すことがある(以下、例示)。
江戸時代に宇都宮を「宇陽」(うよう)と呼んだことにちなみ、宇都宮市街に隣接する郊外部を「陽東」「陽西」「陽南」「陽北」と呼ぶ。
宇都宮市は雷が多いことから雷都(らいと)とも呼ばれる。宇都宮地方気象台によると、4 - 9月の雷発生日数は1991年からの30年間平均で24.2日と全国最多であり、これは暖気が関東平野から栃木県北西部の高山地帯に沿って上昇すると雷雲が発生しやすくなるという地形・気候が影響している。雷都の使用例を以下に挙げる。
月 | 風速(m/s) | 風向 | 雷日数※ |
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1月 | 2.9 | 北北東 | 0.0 |
2月 | 3.0 | 北北東 | 0.1 |
3月 | 3.3 | 北北東 | 0.6 |
4月 | 3.3 | 北北東 | 2.0 |
5月 | 3.1 | 北北東 | 3.5 |
6月 | 2.8 | 北北東 | 3.2 |
7月 | 2.7 | 北北東 | 5.7 |
8月 | 2.8 | 北北東 | 7.1 |
9月 | 3.0 | 北北東 | 2.7 |
10月 | 2.8 | 北北東 | 0.9 |
11月 | 2.6 | 北北東 | 0.3 |
12月 | 2.7 | 北北東 | 0.2 |
年 | 2.9 | 北北東 | 26.5 |
※雷日数は参考値
気候区分は太平洋側気候に属し、夏蒸し暑く曇天の日が比較的多く冬乾燥して日照時間が長い。内陸部に位置するため日較差、年較差が比較的大きい。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に分類される。気温は年間を通し概ね東京と仙台のちょうど中間値程度である。
宇都宮市明保野町(宇都宮地方気象台、標高119m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.0 (69.8) | 24.6 (76.3) | 27.2 (81) | 30.4 (86.7) | 34.4 (93.9) | 37.6 (99.7) | 38.7 (101.7) | 37.5 (99.5) | 36.5 (97.7) | 33.5 (92.3) | 25.1 (77.2) | 24.7 (76.5) | 38.7 (101.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 8.6 (47.5) | 9.7 (49.5) | 13.4 (56.1) | 18.8 (65.8) | 23.3 (73.9) | 25.9 (78.6) | 29.5 (85.1) | 30.9 (87.6) | 27.0 (80.6) | 21.4 (70.5) | 15.9 (60.6) | 10.8 (51.4) | 19.6 (67.3) |
日平均気温 °C (°F) | 2.8 (37) | 3.8 (38.8) | 7.4 (45.3) | 12.8 (55) | 17.8 (64) | 21.2 (70.2) | 24.8 (76.6) | 26.0 (78.8) | 22.4 (72.3) | 16.7 (62.1) | 10.6 (51.1) | 5.1 (41.2) | 14.3 (57.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.2 (28) | −1.3 (29.7) | 2.1 (35.8) | 7.4 (45.3) | 13.0 (55.4) | 17.4 (63.3) | 21.4 (70.5) | 22.5 (72.5) | 18.8 (65.8) | 12.6 (54.7) | 5.7 (42.3) | 0.2 (32.4) | 9.8 (49.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −14.8 (5.4) | −13.3 (8.1) | −12.4 (9.7) | −6.4 (20.5) | −0.8 (30.6) | 4.7 (40.5) | 10.3 (50.5) | 11.4 (52.5) | 5.5 (41.9) | −2.7 (27.1) | −6.7 (19.9) | −10.9 (12.4) | −14.8 (5.4) |
降水量 mm (inch) | 37.5 (1.476) | 38.5 (1.516) | 87.7 (3.453) | 121.5 (4.783) | 149.2 (5.874) | 175.2 (6.898) | 215.4 (8.48) | 198.5 (7.815) | 217.2 (8.551) | 174.4 (6.866) | 71.1 (2.799) | 38.5 (1.516) | 1,524.7 (60.028) |
降雪量 cm (inch) | 7 (2.8) | 8 (3.1) | 2 (0.8) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 1 (0.4) | 18 (7.1) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 4.3 | 5.5 | 9.6 | 11.2 | 12.4 | 14.9 | 16.0 | 13.8 | 13.6 | 11.4 | 7.1 | 4.7 | 124.4 |
平均降雪日数 | 6.7 | 7.1 | 5.9 | 0.6 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 3.1 | 23.6 |
% 湿度 | 61 | 59 | 60 | 64 | 69 | 76 | 79 | 78 | 77 | 74 | 71 | 66 | 70 |
平均月間日照時間 | 211.7 | 193.3 | 194.2 | 184.9 | 175.4 | 118.5 | 118.9 | 140.9 | 119.8 | 140.3 | 165.9 | 197.4 | 1,961.1 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1890年-現在) |
宇都宮(1961 - 1990年平均)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 7.9 (46.2) | 8.4 (47.1) | 11.7 (53.1) | 17.6 (63.7) | 22.2 (72) | 24.5 (76.1) | 27.8 (82) | 29.9 (85.8) | 25.4 (77.7) | 20.2 (68.4) | 15.2 (59.4) | 10.5 (50.9) | 18.4 (65.1) |
日平均気温 °C (°F) | 1.5 (34.7) | 2.4 (36.3) | 5.7 (42.3) | 11.8 (53.2) | 16.7 (62.1) | 20.1 (68.2) | 23.5 (74.3) | 25.2 (77.4) | 21.1 (70) | 15.1 (59.2) | 9.4 (48.9) | 4.8 (40.6) | 13.1 (55.6) |
平均最低気温 °C (°F) | −4.5 (23.9) | −3.4 (25.9) | −0.1 (31.8) | 6.1 (43) | 11.5 (52.7) | 16.3 (61.3) | 20.2 (68.4) | 21.7 (71.1) | 17.5 (63.5) | 10.4 (50.7) | 3.8 (38.8) | −1.9 (28.6) | 8.2 (46.8) |
出典:理科年表 |
宇都宮市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宇都宮市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 宇都宮市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
宇都宮市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
栃木県・北関東の市としては最多の人口である。
これらの姉妹・友好都市とは交換留学生など国際交流事業が行われている。これらの事業には主に宇都宮市国際交流協会が関わっている。
宇都宮は、蝦夷平定のためこの地に足を踏み入れた豊城入彦命が開祖といわれており、当時「池辺郷」といったこの地に命を神として祀った宇都宮二荒山神社(社伝によると西暦353年創祀)の門前町として、また二荒山神社の神官としてこの地に赴任した摂関家藤原北家道兼流・宇都宮氏の直轄地として栄えた。
「宇都宮」という都市名と、嫡流「宇都宮氏」の名称は、『延喜式神名帳』にある下野国唯一の一宮名神大社である「二荒山神社」の別号「宇津宮大明神(宇都宮大明神)」に由来するというのが一般的だが、他にも「現の宮」「遷しの宮」「討つの宮」など諸説がある。江戸期の森幸安の「下野州河内郡宇都宮地図」によると、「宇」とは「宇宙」つまり「太陽」の意で、また「卯」と同じ「東」の意、「都」は「京(みやこ)」と同訓、「宮」は「宮殿」の意味であり、即ち(当時は関東の中心は江戸であったが)宇都宮とは古くから関東の都である、とある。宇都宮二荒山神社はその武徳が尊ばれ、かつてこの地を訪れた田原藤太藤原秀郷(藤原北家魚名流)や武家源氏の祖である源頼義・八幡太郎源義家父子(河内源氏)、源頼朝(河内源氏)、徳川家康(河内源氏義家流新田氏)等の名将らも戦勝祈願し、土地・金品などが寄進されたと言われる。
律令制度が整備されてからは、道路としての東山道、鎌倉時代には鎌倉街道の中道が通っていた田原街道の田川橋梁は古来鎌倉橋と呼ばれてきた。
その後、慶長3年(1598年)に宇都宮に入封された蒲生秀行(12万石)が日野町や紺屋町を造成し、宇都宮氏の居館(中世宇都宮城)は近世宇都宮城へと継承された。さらに小山藩3万石から加増を受け15万5千石で宇都宮藩に入封された徳川家康の腹心である本多正純が城下町を含めた宇都宮城改築の大普請を行い、城下町としての宇都宮の礎を築いた。また、江戸時代には日光街道・奥州街道が通る宿場町(宇都宮宿)としても繁栄した。
江戸時代後期には戸田氏が6-7万石で入り、幕末まで続いた。宇都宮新石町出身の蒲生君平は天皇家陵墓に関する調査研究結果を『山陵志』にまとめて幕府・朝廷より評価され、その功績で宇都宮藩は天皇陵墓修復工事を任され、当時の難局を回避した。
明治維新では宇都宮城周辺が戊辰戦争の戦場となり、また日露戦争後は軍備拡大により第14師団司令部が置かれ、太平洋戦争が終わるまで軍都と呼ばれ軍需産業も進出したが、1945年(昭和20年)7月12日の宇都宮空襲では600名を超える市民が死亡し、主要な都市構造物が焼失。残った遺構の多くも戦後の戦災復興事業の過程で消失した。
有形の歴史的遺産は時代が生まれ変わるごとに破壊され、現在まで残されているものはごく僅かであるが、宇都宮二荒山神社を礎として、様々な文化を受け入れる温故知新の社会構造は、脈々と現代に受け継がれている。
宇都宮二荒山神社の門前町であり、二荒山神社の神職者として赴任した藤原道兼流で嫡流宇都宮氏(関東の豪族下毛野氏や八田氏、貴族中原氏の流れを汲むとも言われる)の居館(宇都宮城)が置かれた。日本三代実録の貞観11年2月28日(869年3月18日)の記述には「二荒神加正二位」とあり、宇都宮二荒山神社は地方社としては最高位の格式が与されていた。
また、『吾妻鏡』の文治5年7月25日(1189年9月14日)の記述には奥州征伐に向かった源頼朝が(畠山重忠以下、小山朝政や宇都宮朝綱・業綱父子といった中路軍を率いて)宇都宮(古多橋駅)に宿し宇都宮社(宇都宮二荒山神社)に戦勝の願を立て奉幣したとあり、宇都宮二荒山神社が当時の武門から厚い崇敬を受けていたことが推察される。
宇都宮二荒山神社の神職者の地位にあったとされる宇都宮氏は、この地に在る間も京都との交流を続け、この地に中央文化の息吹を吹き込み続け、鎌倉時代には宇都宮頼綱が宇都宮歌壇を築いて小倉百人一首の成り立ちに関わるなど、文化教養の養生において名跡を残した。また、源頼朝をして「東国一の弓取り」と言わしめた宇都宮朝綱、元寇の際に討伐軍十万の総大将として九州へ赴いた宇都宮貞綱、元弘の乱で楠木正成と互角に渡り合った宇都宮公綱など、宇都宮氏は武門としても歴史にその名を残している。
宇都宮氏の名声の影には、始祖藤原宗円以来の宇都宮氏の郎党「紀清両党」(益子氏と芳賀氏)の力があった。宇都宮貞綱が正和元年(1312年)母の十三回忌の供養の折に鋳造し、菩提寺である東勝寺に奉納した鉄製塔婆は、東勝寺廃寺に伴い芳賀高継創建の清巌寺で保存され、現存する日本最古かつ最大の鉄製塔婆として国の重要文化財に指定されている。
宇都宮氏は京との結びつきを保ちつつ鎌倉時代には鎌倉幕府の評定衆や引付衆として、また室町時代には室町幕府の足利尊氏の意向によって下野国守護職など(上野国・越後国などの守護職も)を兼務し中央政府を支えるとともに、鎌倉府(足利氏)から関東八屋形に列せられ、鎌倉府、関東管領(上杉氏)とともに関東の支配体制の一翼を担い、主に毛野川流域一体の治安維持に務めた。毛野川下流にあたる下総国 - 常陸国(現在の茨城県南部)を治めた常陸国司の小田氏も宇都宮氏の庶流である。
室町時代中期には上総国守護職、京都扶持衆に任じられるなど幕府に重用されたが、幕府と鎌倉府の対立に巻き込まれ、鎌倉府から討伐されるなど弱体化しつつあった。
室町時代後期には関東の戦国時代のきっかけとなった享徳の乱が勃発。宇都宮等綱は上杉氏側につくが古河府(かつての鎌倉府)支持の小山持政との戦いに敗れ劣勢となり、次代の宇都宮明綱は幕府側から鎌倉府側へと方針を変えて難を逃れた。
戦国時代、国司・宇都宮氏は擡頭する武士団を牽制して関東一帯の治安維持に寄与し、結果的に戦国大名と評される勢力を持っていた。
戦国時代初期には「宇都宮氏中興の祖」・「奇蹟の武人」などと呼ばれた名将宇都宮成綱が現れ、宇都宮氏を戦国大名へと脱皮させ、独立しつつあった宇都宮一族や周辺勢力を巧みに取り込み、内乱を制し、家臣団の立て直しを行うなど勢力を回復させた。16世紀初頭には永正の乱が勃発すると、成綱は娘婿で次期古河公方候補である足利高基の古河公方擁立を企て勢力の拡大を狙った。その過程で対立した宿老中筆頭の芳賀高勝を永正9年(1512年)に討ち宇都宮錯乱という大きな内乱が発生し、2年かけて鎮圧した。その後、下野進出を狙う足利政氏支持の佐竹義舜と北関東の覇権を巡って争い、永正11年(1514年)に永正の乱の事実上の決戦である竹林の戦いで勝利した。その2年後には縄釣の戦いで再び佐竹義舜を破り、さらには敗走する佐竹軍を追い常陸侵攻も行っている。成綱は北関東の覇権争いの勝利と古河公方の擁立を同時に成就させることに成功した。短い間だが、宇都宮氏は成綱の代に北関東最大の勢力となり、北関東の覇者たる存在として君臨した。
しかし、栄光の時代も長くは続かなかった。成綱没後、次代の宇都宮忠綱は結城政朝と戦い敗れてしまう。さらには同時期に大きな内訌(大永の内訌)が発生し、忠綱に反抗的な家臣らが結城政朝に通じて、成綱の末子である宇都宮興綱を擁立し、忠綱を追放した。その後は家臣団による専横が長く続き、宇都宮氏は大きく弱体化してしまった。
宇都宮尚綱は那須高資と戦って敗れ、壬生綱房が幼少の宇都宮広綱から宇都宮城を奪取したが、忠臣芳賀高定の働きにより広綱は宇都宮城を奪還した。この時、鬼怒川東岸の飛山城が前線基地として使われた。宇都宮周辺の城郭の様相が当時の度重なる攻防の歴史を窺わせる。
戦国時代後期になると、古河府足利氏の勢力が弱まり後北条氏が小田原から南関東に台頭し、その勢力は小山にまで迫り、宇都宮氏は常陸国の佐竹氏とともに後北条氏を牽制する一大勢力となった。中央政府から派遣された豊臣秀吉が小田原を攻めた際にはこれに応じ北条氏を破った。後北条氏の侵攻が過激になってくると宇都宮国綱は本拠を宇都宮城から軍事に適した山城の多気山城に移し、攻撃に備えた。多気山城は関東の山城では最大規模の山城であり、歴史的価値は八王子城に匹敵するという。その後秀吉を小田原城から宇都宮城に迎え、秀吉は宇都宮の地で東北・関東の支配構造を決定した(宇都宮仕置)。国綱は秀吉から羽柴姓を授かるなど宇都宮家と秀吉の関係は良好で、朝鮮攻めの際にも国綱は秀吉に追従した。しかし慶長2年(1597年)の太閤検地の際に秀吉の姉婿であった浅野長政により石高詐称の嫌疑をかけられ改易された。背景には、旧来の勢力を一掃し、新たに功績を成した者に褒美として与える領地を確保する方針があったとされる。
宇都宮氏の後に入封されたのは改易に関わった浅野長政であったが、その後は蒲生氏や奥平氏などが入れ替わり支配した。
江戸時代になると徳川家康の廟所となった日光へ向かう日光街道と奥州白河へ向かう奥州街道が整備され、二つの街道の分岐点(追分)となる宇都宮宿の宿場町ともなった。
江戸時代初期の元和8年(1622年)には、徳川家康の腹心であった本多正純が宇都宮藩15万5千石で入城して城下町を含め中世宇都宮城を大改築し、周囲14km、高い土塁(一部石垣)と濠、土塁上には8つの櫓を備える近世平城(輪郭梯郭複合式平城)の縄張りとし、関東七大名城と呼ばれるほどの大城郭へと生まれ変わり、現在の市街地の基本構造を築いた。しかし正純はその後宇都宮城無断改修を咎められて(宇都宮城釣天井事件)改易され、その後は藩主が奥平氏、松平氏や戸田氏、本多氏、阿部氏など目まぐるしく交代した。
この間も、大名の参勤交代や日光東照宮の造営などによる往来も多く、重要拠点として「小江戸」と呼ばれるほどに栄えた。
江戸時代後期は戸田氏が入封し幕末まで宇都宮を治めた。新石町(現・小幡一丁目)に生まれた蒲生君平は山陵修復を志して天皇陵を調査研究し、山陵志を執筆した。安政3年(1856年)には宇都宮藩藩主・戸田忠恕が山陵奉行に任ぜられ、歴代天皇の陵墓修復の任に当たった。君平はその後明治天皇より功績を讃えられ、その命により花房三丁目に勅旌碑が建てられ、また塙田の地に蒲生神社として祀られることとなった。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の折には、前藩主・忠恕は新政府方に付くが、4月19日(旧暦)に秋月登之助・土方歳三らが率いる旧幕府軍(桑名藩隊、新選組、伝習隊など)の侵攻に退散を余儀なくされた。この日の旧幕府軍による放火で、城下町を含む宇都宮城下の主たる建造物(二荒山神社・桂林寺など)が焼失してしまった。宇都宮城に入った旧幕府軍と巻き返した新政府軍(長州藩、薩摩藩、大垣藩、鳥取藩、土佐藩などの各隊)は、4月23日(旧暦)に宇都宮六道辻 - 宇都宮城・二荒山神社付近で激戦を繰り広げ、物量に長じた新政府軍は新田町の延命院と桂林寺に砲台を並べ、旧幕府軍が陣取る宇都宮城や明神山(二荒山)、八幡山に砲弾を浴びせ、優勢となった新政府軍が宇都宮の地を旧幕府軍より奪還、旧幕府軍は明神山から日光方面に向け退却した(宇都宮城の戦い) 。この宇都宮戦争における戦没者を弔うために、市内のいたる寺院に慰霊碑が建立された。
宇都宮市は栃木県の県庁所在地であり、市行政機関はもちろん、県庁施設や国の出先機関も存在する。市行政機関はエリア拡大・人口増加に伴い地域分化が進んでおり、市役所の一部窓口手続き業務は地域の市民センターで行うことが出来る。また各機能施設は中央集中のみならず、各地分散が適度に図られている。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 矢島中 | 1896年(明治29年)7月2日 | 1901年(明治34年)10月5日 | |
2-5 | 本多鐐吉 | 1901年(明治34年)10月26日 | 1917年(大正6年)9月13日 | |
6 | 谷誠之 | 1917年(大正6年)10月9日 | 1919年(大正8年)4月16日 | |
7-8 | 川崎参一郎 | 1919年(大正8年)6月21日 | 1926年(大正15年)11月27日 | 在任中死去 |
9 | 松永和一郎 | 1927年(昭和2年)1月13日 | 1929年(昭和4年)2月18日 | |
10 | 石田仁太郎 | 1929年(昭和4年)6月22日 | 1932年(昭和7年)11月13日 | |
11-12 | 河合長蔵 | 1932年(昭和7年)10月20日 | 1936年(昭和11年)10月10日 | |
13 | 富沢世一 | 1936年(昭和11年)10月10日 | 1936年(昭和11年)12月27日 | 職務管掌 |
14 | 落合慶四郎 | 1936年(昭和11年)12月28日 | 1940年(昭和15年)12月27日 | |
15 | 入江操 | 1940年(昭和15年)12月31日 | 1944年(昭和19年)12月30日 | |
16 | 江原三郎 | 1944年(昭和19年)12月31日 | 1946年(昭和21年)10月15日 | |
17 | 横倉正吉 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1947年(昭和22年)7月25日 | 公職追放により退職、この代以降公選 |
18-22 | 佐藤和三郎 | 1947年(昭和22年)8月15日 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |
23-25 | 小池嘉子 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 1979年(昭和54年)4月29日 | |
26-30 | 増山道保 | 1979年(昭和54年)4月30日 | 1999年(平成11年)4月29日 | |
31-32 | 福田富一 | 1999年(平成11年)4月30日 | 2004年(平成16年)10月15日 | 栃木県知事選挙に立候補するため任期途中で辞職、現栃木県知事 |
33-35 | 佐藤栄一 | 2004年(平成16年)11月29日 | 現職 |
宇都宮市にある国関連行政施設は以下のとおり。
総務省関係
法務省関係
厚生労働省関係
国土交通省関係
所
財務省関係
農林水産省関係
防衛省関係
宇都宮市にある栃木県庁関連施設は以下のとおり。
栃木県庁本庁周辺には合同庁舎など複数の県庁施設が所在する。
宇都宮市役所および市行政施設は以下のとおり。
市民の市行政窓口として、経済・行政の中枢であり大半の人口が集中する市中心地区には、市役所本庁の他に出張所が設けられている。また、その辺縁地区には地区市民センターが設けられ市民の利便性が図られている。
地域の市役所窓口機関は以下のとおり。
宇都宮市消防局および所轄分署は以下のとおり。
会派名 | 議席数 |
---|---|
自由民主党議員会 | 19 |
市民連合 | 8 |
公明党議員会 | 6 |
日本共産党宇都宮市議員団 | 3 |
うつのみや維新 | 3 |
清風クラブ | 2 |
宇都宮 立憲 | 1 |
未来への架け橋 | 1 |
緑の地球 | 1 |
参政党 政治参加を促す会 | 1 |
欠員 | 0 |
計 | 45 |
常設される常任委員会と構成人数は以下のとおり。
議員名 | 会派名 | 備考 |
---|---|---|
渡邉典喜 | 民主市民クラブ | 党籍は立憲民主党 |
大久保ゆみ | 日本維新の会 | |
小池篤史 | 民主市民クラブ | 党籍は立憲民主党 |
金子武蔵 | とちぎ自民党議員会 | |
野村せつ子 | 日本共産党栃木県議団 | |
横松盛人 | 栃木の会 | |
野沢和一 | 公明党栃木県議会議員会 | |
中島宏 | とちぎ自民党議員会 | |
渡辺幸子 | とちぎ自民党議員会 | |
山田みやこ | 民主市民クラブ | |
山口恒夫 | 公明党栃木県議会議員会 | |
五月女裕久彦 | とちぎ自民党議員会 | |
螺良昭人 | とちぎ自民党議員会 |
選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
栃木県第1区(旧上河内町・河内町を除く宇都宮市、下野市(旧南河内町)、上三川町) | 船田元 | 自由民主党 | 13 | 選挙区 |
栃木県第2区(宇都宮市の旧上河内町・河内町の区域、鹿沼市、日光市、さくら市、栃木市西方町、塩谷郡) | 福田昭夫 | 立憲民主党 | 6 | 選挙区 |
五十嵐清 | 自由民主党 | 1 | 比例復活 |
年間商品販売額(百万円)(2008年)
小売業売場面積(m2)(2008年)
製造品出荷額(百万円)(2008年)
農業産出額(千万円)(2004年)
耕地面積(ha)(2010年)
宇都宮市は、商・工・農のバランスが高いレベルで取れた、高機能な産業都市である。
2018年の全国市町村別農業産出額において、宇都宮市の産出額県内順位は那須塩原市・大田原市に次いで第3位、全国順位は第60位の産出額である。経営耕地面積は9,899haと大田原市(10,233ha)に次いで広く、県内第2位であった(2015年農林業センサス)。
宇都宮市の農業特産品は和なしや花卉で、いずれも2018年の産出額において県内第1位、和なしは全国第9位であった。宇都宮は国内有数の米の産地でもあり、市町村別産出額(2018年)は大田原市に次いで県内第2位、全国でも第21位であった。野菜類ではトマトの産出額が多く、2018年の市町村別産出額で県内第1位、全国でも第28位であった。宇都宮市は「農業王国うつのみや」を標榜し、うつのみやアグリネットワーク運営委員会では、代表的な産物として米、いちご、トマト、梨を挙げている地域性・ストーリー性などのある産物として、プレミアム7(糖度7度以上のトマト)、プレミアム13(糖度13度以上の梨)、アスパラリン(独自基準を満たしたアスパラガス)、宮どんこ(独自基準を満たしたしいたけ)、みやおとめ(食味値75以上のコシヒカリ)、にら、宇都宮牛、新里ねぎ、宮ゆず、宇都宮ブリッツェン米(市内城山地区の農家と宇都宮ブリッツェンが連携して生産するゆうだい21)、大谷夏いちごを挙げてている。
第1次産業に代わって第2次産業や第3次産業の人口が増大している中、市は農業政策事業の一環として道の駅うつのみや ろまんちっく村(宇都宮市農林公園)にクラインガルテン(市民農園)を設け、市民に有料ながら耕作環境を提供しているほか、同所で種々の農業体験・講習会などを定期的に開催し、市民が農業に触れる機会を提供している。
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宇都宮における製造業は、主に以下の工業団地・企業によって営まれている。
上記の近代工業以外に、小規模ではあるが以下の伝統工業が見られる。
宇都宮市の2008年(平成20年)の年間商品販売額(卸売業を含む)は2兆8千億円を越え、栃木県全体(5兆6千億円)の年間商品販売額の約50%を宇都宮市だけで売り上げている。この数字は、関東地方では東京23区、横浜市、さいたま市、千葉市、川崎市の販売額に次ぐものである(関東地方第6位、北関東3県で第1位)。また小売業の売り場面積は約75万平米で、栃木県全体の約1/4にあたる。このうちの約半数は本庁管内で占め、宇都宮市は栃木県下における重要な商業の中核地となっている。
中心市街地は市内を流れる田川の西岸の旧市内(宇都宮城・二荒山神社周辺地域)に形成されており、多種多様の商業施設が林立している。特に二荒山神社と東武宇都宮駅の間にあるアーケード街「オリオン通り」は繁華街の中心となっている。田川東岸(川向町)にあって市外からの玄関地として発展しているJR宇都宮駅周辺の商業施設は商種が限定的で比較的小規模である。詳細は以下各項目を参照のこと。
2009年(平成21年)の調査結果によると、宇都宮市の商圏は宇都宮市およびその近隣自治体の他、大型商業施設がない県北西部・県東部地区の比較的離れた自治体も商圏に入っている。宇都宮市商圏の概容は以下のとおり。
2009年(平成21年)3月31日時点の市内金融機関(本店および支店)数は85で、うち半数は銀行であった。その全預金残高は約4兆円弱で、うち1/3が銀行以外の金融機関の預金であった。一方貸出金額は約2.16兆円であり、うち約1.74兆円が証書貸付による貸出であり、割引手形による貸出は1%未満であった。
宇都宮市に本店・支店・出張所などの窓口を置く金融機関一覧は以下のとおり(2010年3月現在)。
金融機関種別 | 金融機関名称 |
---|---|
地方銀行 | 足利銀行(28)、群馬銀行(2)、常陽銀行、筑波銀行、山形銀行、東邦銀行 |
第二地方銀行 | 栃木銀行(31)、東日本銀行、大東銀行 |
都市銀行 | みずほ銀行、りそな銀行 |
信託銀行 | 三菱UFJ信託銀行、三井住友信託銀行<旧中央三井店> |
信用金庫 | 栃木信用金庫(7)、鹿沼相互信用金庫(3)、烏山信用金庫(7) |
労働金庫 | 中央労働金庫(2) |
商工中金 | 商工中金 |
公庫 | 日本政策金融公庫(中小・農林・国民の3部門とも1箇所に集約) |
信用組合 | 横浜幸銀信用組合、ハナ信用組合 |
生命保険 | 住友生命、日本生命、富国生命、大同生命、明治安田生命、太陽生命、朝日生命、第一生命など |
農林中金 | 農林中金 |
農協 | JAバンク(26) |
かつては秋田銀行や福島銀行など東北地方の地銀の支店も数多く存在したが、その多くが撤退した。
またさくら銀行(旧太陽神戸店)も存在したが、栃木県小山市の小山支店に統合、店舗自体はあさひ銀行(現・りそな銀行)に譲渡された。
第二次世界大戦後、市内の百貨店は地場資本の老舗「上野百貨店」と「山崎百貨店」で、2店を中心に繁華街が形成されていった。1960年代に入り地場の福田屋が百貨店を出店したほか電鉄系を中心とした東京の大手資本が次々に参入、馬場町から池上町付近には最大で6つの百貨店(上野、山崎、東武、福田屋、十字屋、西武)や丸井、緑屋など大型店が林立し、全国有数のオーバーストア地区となった。激戦に巻き込まれた山崎は1971年に東急百貨店と業務提携、生き残りを図ったが実を結ばず、3年後に閉店している(旧山崎跡に緑屋が曲師町から移転し入居)。バブル景気最盛期の1987年には十字屋が売り上げ不振を理由に百貨店から専門店に業態変更、2館体制だった丸井も売場拡大は困難として撤退した。
1991年には繁華街から1km程東方に位置するJR宇都宮駅前の再開発ビルにイトーヨーカドー系のロビンソンが開店している。
バブル景気が破綻した後、1994年5月1日の大規模小売店舗法改正では大型店舗の規制要件が緩和され、福田屋は中心市街地(馬場通り二丁目)から市街地北部の準郊外(今泉町)に移転し、無料駐車場を備えた大規模ショッピングセンター「福田屋ショッピングプラザ宇都宮店」を開店し成功を収めた。
一方、中心市街地では1997年に宇都宮二荒山神社前のバンバ相生地区が再開発され、ファッションビルの宇都宮パルコが開店した。パルコは初年度こそ低迷したが若年層を中心に客層を確保し一定の成功を収めた。しかし、バブル崩壊後の景気低迷がピークに達し、同時に地域の多くの商業施設のメインバンクとして地域経済の屋台骨となっていた足利銀行が経営危機に陥ってから市の商業活動は都心・郊外ともに数年間の衰退期を迎えた。2000年には上野が倒産し、2002年に西武、2003年にロビンソンが撤退。2001年、ams宇都宮(旧山崎、旧緑屋=江野町)跡に出店した109UTSUNOMIYAもわずか4年後の2005年に閉店した。郊外ではジャスコの撤退などを筆頭に様々な郊外店舗が淘汰され、新規出店業者がつかず放置され廃墟同然となった空店舗が目立つようになった。
市ではこれら大型店の撤退を契機に、当時の福田富一市政下で大規模店舗跡への出店要件を簡素化する構造改革特区「宇都宮にぎわい特区」を国に申請、2003年11月20日には特区適用第一号のラパーク長崎屋(2010年夏 MEGAドン・キホーテにリニューアル)を西武百貨店跡地に、また2005年4月8日には適用第二号のララスクエア宇都宮を旧ロビンソン跡地に誘致することに成功している。その後、2019年5月31日にパルコが撤退し、2020年2月1日にはララスクエアが運営者交代によりトナリエ宇都宮に改称した。
2023年現在、本庁管内(旧市内地域)にある大規模商業施設は、東武、MEGAドン・キホーテ(長崎屋)、トナリエ宇都宮、福田屋(今泉町)、トライアル、カルナショッピングセンター、ウツノミヤテラスなどに限られているが、開発が進んでいる駅東地区や、郊外を走る宇都宮環状道路(宮環)沿線、JR・東武線の郊外駅付近にも大規模商業施設が拡大しており、FKDショッピングモール宇都宮インターパーク店(雀宮駅東口)、ベルモール(陽東六丁目、宇都宮駅東口方面)、ジョイフル本田(住所は河内郡上三川町)、アピタ(江曽島本町、江曽島駅前)などが開店し、市中心部と郊外部の商業競争はむしろ激化している。2007年7月31日には市街地再開発の一環として、旧上野本館跡を含む馬場通り中央地区に「うつのみや表参道スクエア」がオープンしたが、商業施設としては不調となり、現在は生命保険会社などのオフィスも多く入るテナントビルとしての形相となっている。
近年では2022年8月26日に宇都宮駅東口整備事業の一環として、複合商業施設「ウツノミヤテラス(Utsunomiya Terrace)」がオープンし、オープンに合わせ対抗策として駅西側のトナリエもフロアをリニューアルするなど、ライトレールの始発駅ともなった宇都宮駅周辺地区においては競争が活発化している。
宇都宮市内の大規模商業施設は以下のとおり(2022年時点)。
所在地 | 商業施設名称 |
---|---|
本庁管内(馬場町・池上町) | 東武宇都宮百貨店、MEGAドン・キホーテ ラパーク宇都宮店、 うつのみや表参道スクエア |
本庁管内(川向町・駅前通り・宮みらい) | パセオ、トナリエ宇都宮、ウツノミヤテラス |
本庁管内(今泉町) | 福田屋ショッピングプラザ宇都宮店 |
本庁管内(睦町) | スーパーセンタートライアル宇都宮店 |
本庁管内(宿郷) | パシオス宇都宮東店、カルナショッピングセンター |
陽南(江曽島本町) | アピタ宇都宮店 |
平石(陽東) | イトーヨーカ堂宇都宮店、ベルモール、ベイシア宇都宮陽東店 |
姿川(鶴田町) | パシオス鶴田店 |
雀宮(インターパーク宇都宮南) | FKDショッピングモール宇都宮インターパーク店、 インターパークショッピングビレッジ、ジョイフル本田宇都宮店※ |
市内には餃子を扱う飲食店が専門店を含めて約二百軒あり、「餃子の街」として全国的に有名である。
なお、2005年(平成17年)7月には、ジャスコ宇都宮店跡地(簗瀬町)に昭和30年代風の内装を施したフードテーマパーク「宇都宮餃子共和国」がオープンし、宇都宮餃子会加盟店が入居していたが、2006年(平成18年)6月30日に1年足らずで撤退、これを受け宇都宮餃子会は2007年(平成19年)4月21日に宇都宮中心市街地の長崎屋(現MEGAドン・キホーテ)ラ・パーク宇都宮店に自ら運営する「来らっせ」を開店させ、従来の加盟28店による日替わりメニューに加え、加盟店の支店も新設している。後に「来らっせ」は、土産専門店として宇都宮駅構内に、2013年4月には2店舗目となる東武百貨店内のレストラン街「SPICE」に開業している。
市内の主な餃子店は以下のとおり。
事業者名称 | 所在地 |
---|---|
宇都宮みんみん | 馬場通り、宮みらい(2022年8月再オープン)、川向町、江曽島本町、東宿郷 |
まさし(正嗣) | 馬場通り、岩曽町、駒生町、南高砂町、滝の原、簗瀬 |
シンフー | 宮町 |
さつき | 馬場通り、徳次郎町 |
青源みそしる亭 | 川向町 |
和の中 | 宝木町 |
宇都宮幸楽 | 宝木町 |
宇都宮餃子館 | 宿郷、徳次郎町、東宿郷、駅前通り、川向町 |
宇味家 | 山本、駅前通り、川向町、江野町 |
来らっせ | 馬場通り、川向町 |
らーめん専門店華山 | 馬場通り |
めんめん | 二荒町 |
桃泉楼 | 陽東、下岡本町 |
宇都宮の夢餃子 | 元今泉 |
宇都宮は、大型家電量販店コジマが本社を置く家電量販店の激戦地区となっている。当初はヌマニウ(本社:市内西川田)も家電量販店を展開していたが、バブル崩壊の後のコジマの全国展開および株式上場、またケーズデンキ(本社:茨城県水戸市)、ヤマダデンキ(本社:群馬県高崎市)の宇都宮出店などに押され撤退し、ハードオフなどのフランチャイズに転換した。現在はJR宇都宮駅前にヨドバシカメラが、また市東部・南部地区にはベスト電器が出店し、競争は激化している。
市内の主な家電量販店舗は以下のとおり。なお、家電量販店ではないが、AV機器などを取り扱う写真用品店も併記する。
事業者名称 | 所在地(家電量販店、カメラ用品店) |
---|---|
コジマ | 駒生町、今泉 |
ケーズデンキ | 陽東、インターパーク、鶴田町 |
ヤマダデンキ | 元今泉、江曽島本町、駒生町、ゆいの杜 |
ヨドバシカメラ | 駅前通り |
ベスト電器 | 今泉町、泉が丘、インターパーク |
カメラのキタムラ | 今泉町、インターパーク |
中心市街地のオリオン通り西側には、レコード店や古着屋などが立ち並ぶ「ユニオン通り」があり、若年層を惹き付けている。
また、カクテル作りの腕を競う国内大会で優勝したバーテンダーが多く所在する事から、「カクテルの街」としても売り出している。ジャズサックス奏者・渡辺貞夫の出身地であることから、「ジャズの街」での宣伝も始まっている。
宇都宮市に本社を置く主な企業は以下の通り(五十音順)。
地区分けは宇都宮市の本庁、宝木・陽南出張所及び11の地区市民センター、2地域自治センター(16地区)に基づく。
NCCは、宇都宮市が目指す「都市構造」の形である。
現在、市街地を「都市拠点」、市内郊外部に点在する14か所の地域(清原、平石、城山、姿川・陽光、雀宮・五代若松原、陽南・緑が丘、瑞穂野、篠井、国本、横川、河内、上河内)の中心地を拠点化した「地域拠点」、主に工業団地(清原工業団地、宇都宮工業団地、河内工業団地、瑞穂野工業団地、河内中小工業団地、テクノポリスセンター地区〈ゆいの杜〉、インターパーク地区、宇都宮インターチェンジ周辺地区)を中心とする産業拠点、古賀志山のある古賀志町や道の駅うつのみやろまんちっく村、大谷石の採掘場跡がある大谷町など、市外からのレジャーや観光での来訪者が特に多い市北西部地域を「観光拠点」として位置付け、拠点間を「基幹公共交通」として位置付けた鉄道路線網(南北軸としてJR宇都宮線〈東北本線〉、東武宇都宮線、東西軸としてLRT〈宇都宮芳賀ライトレール線〉を新規整備)と、「幹線公共交通」として位置付けたバス路線、基幹公共交通や幹線公共交通を支え、地域全体をカバーする地域内交通や支線バスにより結節、拠点形成と拠点間の連携・補完により持続的な発展を目指したコンパクトシティの形態である、集約・連携型都市「ネットワーク型コンパクトシティ(Network type Compact City、NCC)」の構築を進めている。
SSCは、宇都宮市が目指す「社会構造」の形である。
前述したコンパクトシティ化された宇都宮市の都市構造の上に、ICT(情報通信技術)や、IoT(モノのインターネット)といった最先端デジタル技術を活用し、次世代産業の集積・育成や起業を支援するとともに、宇都宮市の観光資源である大谷やプロスポーツなどを最大限活用し、市内で人・物・情報が活発に交流する「地域経済循環社会」、地域で生活する人々の問題を、地域の住民や団体が我が事として捉え支え合い、医療・介護・福祉など多様な機関が分野を超えて連携し問題に取り組む「地域共生社会」、再生可能エネルギーの最大限の活用や市民一人一人の環境に配慮した行動(モーダルシフトなど)の充実による「脱炭素社会」を構築し、誰もが豊かで安心して生活できる、「夢や希望が叶うまち」の実現を目指したスマートシティの形態である「スーパースマートシティ(Super Smart City、SSC)」を、2030年を目標に構築する。政策名の「スーパースマートシティ」は、佐藤栄一市長による造語である。
先述した「脱炭素社会」を実現するため、2030年までに、市内の全公共交通機関及び宇都宮駅東側のLRT沿線地域において脱炭素化を先行的に行い、それ以外の全ての地域においても2050年までに脱炭素化を図り、二酸化炭素の排出量を実質ゼロとする方針である。
特に、2030年までに行う、市内公共交通機関の脱炭素化は、ノルウェーのオスロ市と並び世界初の取り組みと謳っている。LRT沿線地域の脱炭素化事業においては、2022年(令和4年)11月1日に環境省より芳賀町や地域新電力会社の宇都宮ライトパワーなどと共同で「脱炭素先行地域」の選定を受け、国からの支援などを受けながら脱炭素化を進めていく予定である。
宇都宮市では、2017年の約52万人をピークに人口減少が始まり、このまま手を打たず少子高齢化が進めば2050年には人口が45万人まで激減すると試算している。佐藤栄一市長は「50万人を維持するのは県庁所在地の責務」とし、2050年においても人口50万人の維持を目指し、移住定住の促進や子育て環境の充実へ向けた政策を取り組んでいる。
その一環で、市及び市役所と地元企業により構成される外郭団体の「宇都宮ブランド推進協議会」は2023年(令和5年)1月より、主に東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の在住者をターゲットに、関東広域圏(日本テレビ放送網、TBSテレビ、フジテレビジョン)でのテレビCMの放映、東日本旅客鉄道(JR東日本)の主要駅構内や山手線、横須賀線、総武快速線で使用されるE235系電車車内のデジタルサイネージでの広告放映、インターネット広告など、地方自治体としては異例の規模となる、総額約1億円を投じ、「宇都宮という選択」というテーマで大規模なプロモーションを行なった。テレビCMは1月31日まで、インターネット広告は3月上旬まで行われた。イメージキャラクターは人気子役の加藤柚凪を起用、「ミヤちゃん」として登場する。また、特設Webサイトがオープンした。
郵便番号は以下が該当する。4の集配局が集配を担当する。
茂原町の一部を除く市内全域が宇都宮MAで市外局番は「028」。収容局は以下の15ビルが該当し、市内局番は以下の通り。
茂原町の一部は小山MAで市外局番は「0285」。収容局は石橋局、市内局番は51 - 53。
設置者 | 名称 | 所在地 | 備考 |
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大学・大学院 | |||
国立大学法人 | 宇都宮大学 峰キャンパス | 宇都宮市峰町350番地 | 教育学部 農学部 国際学部 教育研究科(修・専) 農学研究科(修・博) 国際学研究科(修・博) |
宇都宮大学 陽東キャンパス | 宇都宮市陽東七丁目1番2号 | 工学部 地域デザイン科学部 工学研究科(修・博) | |
学校法人船田教育会 | 作新学院大学 | 宇都宮市竹下町908番4号 | 経営学部 人間文化学部 経営学研究科(修・博) 心理学研究科(修) |
学校法人宇都宮学園 | 文星芸術大学 | 宇都宮市上戸祭四丁目8番15号 | 美術学部 芸術研究科(修・博) |
学校法人須賀学園 | 宇都宮共和大学 宇都宮シティキャンパス | 宇都宮市大通り一丁目3番18号 | シティライフ学部 |
宇都宮共和大学 長坂キャンパス | 宇都宮市下荒針町長坂3829番地 | 子ども生活学部 | |
学校法人帝京大学 | 帝京大学 宇都宮キャンパス | 宇都宮市豊郷台1番1号 | 理工学部 経済学部地域経済学科 医療技術学部柔道整復学科 理工学研究科(修・博) 経済学研究科地域経済政策学専攻(修) 医療技術学研究科柔道整復学専攻(修) |
修:博士前期(修士)課程 博:博士後期(博士)課程 専:専門職学位課程
設置者 | 名称 | 所在地 | 備考 |
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短期大学 | |||
学校法人船田教育会 | 作新学院大学女子短期大学部 | 宇都宮市竹下町908番4号 | 幼児教育科 |
学校法人須賀学園 | 宇都宮短期大学 | 宇都宮市下荒針町長坂3829番地 | 音楽科 人間福祉学科 |
専修学校 | |||
栃木県 | 栃木県立衛生福祉大学校 | 宇都宮市陽南四丁目2番1号 | 保健看護学部 歯科技術学部 臨床検査学部 |
栃木県 | 栃木県農業大学校 | 宇都宮市上籠谷町1145番1号 | 農学部本科 農学部研究科 |
栃木県立
私立高校
公立中学校(25校)※「宇都宮市立」を省略
国立中学校
県立中学校
私立中学校
公立小学校(69校)※「宇都宮市立」を省略
国立小学校
私立小学校
設置者 | 名称 | 所在地 | 備考 |
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職業能力開発促進法に基づく公共職業能力開発施設 | |||
栃木県 | 栃木県立県央産業技術専門校 | 宇都宮市平出工業団地48番4号 | 機械技術科 制御システム科 自動車工学科 建築設計科 設備システム科 |
職業能力開発促進法に基づく認定職業能力開発施設 | |||
運営会 | 宇都宮共同高等産業技術学校 | 宇都宮市中戸祭町848 | 木造建築科 畳科 建築設計科 広告美術科 フラワー装飾科 |
栃木県造園高等技術学校 | (2012年閉校) | 普通職業訓練:短期課程 |
宇都宮市に所在する主な文化施設は以下のとおり。
地方紙としては『下野新聞』があり、かつては『栃木新聞』も存在した。
全国紙の販売エリアであり、朝日新聞社、読売新聞社、毎日新聞社、産業経済新聞社、日本経済新聞社、東京新聞、日刊工業新聞社の総局・支局が市内にある。また通信社も、共同通信社、時事通信社が支局を設けている。
宇都宮市内を通る鉄道路線・軌道路線として、東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北新幹線、東北本線(宇都宮線)、日光線と、東武宇都宮線および宇都宮ライトレールがある。このうち東北新幹線以外の各線は市域内に複数の駅を有し、市内交通網の一翼を担う。また、市西部と市東部を広域幹線道路の東北自動車道、国道4号が南北に縦貫し、その間の市央部には国道119号、国道121号、国道123号を中心とする道路網が整備されている。
他の関東地方各主要都市と同様、近隣地に空港は無く、広域輸送はこれら鉄道網と道路網に依存している。
市内公共交通機関は路線バスを中心に成り立っているが、近年では市が推進する「自転車のまち」構想に基づき、末端部バスターミナルへの自転車駐輪場設置や、市中心部の道路路側帯への自転車通行専用レーン設置など、公共交通機関と自転車の併用を促進する方策が実装されつつある。また、ライトレール(後述)の整備により主に市内東部の公共交通網が再編された。
これらのうち羽田空港には関東自動車、東京空港交通のリムジンバスが、また成田空港には関東自動車と千葉交通のリムジンバスが、それぞれ直接乗り入れている。
福島空港に直接乗り入れる宇都宮市内発着の公共交通機関は無く、JR東北新幹線・東北本線の郡山駅から福島交通のリムジンバス利用となる。また、事前に予約すれば乗合タクシーを市内の指定された箇所(JR宇都宮駅、東武宇都宮駅、栃木県庁舎前)から定額運賃で利用することができる。
市中心部に「宇都宮」を冠する都心型ターミナル駅は2駅ある。一つは明治期に東北本線の開業とともに日本鉄道によって開設され、その後は鉄道省、日本国有鉄道そしてJR東日本へと運営者が遷移してきた宇都宮駅で、もう一つは東武宇都宮駅で、こちらは宇都宮駅開設から遅れること約45年後の昭和初期に、東武宇都宮線の開業とともに宇都宮中心市街地の西端に開設された。
なお、JR宇都宮駅の利用者数は北関東最多、東京圏以北有数であり、南関東一都三県を除くJR東日本管内の駅としては仙台駅、新潟駅に次いで、またJR北海道域を含めても札幌駅を加え4番目に多い利用者を数える。一方、東武宇都宮駅はJR宇都宮駅と比較すれば大差で劣るが、北関東3県の県庁級都市 に所在する私鉄ターミナル駅としては最多の利用者を数える。
また、東京以北の県庁所在地において、大手私鉄の路線が存在するのは宇都宮市の他にさいたま市のみであり、県庁所在地の中心部まで大手私鉄の路線が直接乗り入れるのは当市が唯一である。
市内を通るJR各線は全線が東京近郊区間に指定されているほか、東武宇都宮線も東京資本の大手私鉄路線であるため、市内の鉄道駅全駅においてSuica・PASMOといった非接触型IC乗車券が使用可能である。
かつて、市内伝馬町から現在の大通り-大谷街道経由で大谷までの道路区間には、軽便路面鉄道が敷設され、主目的である大谷石の運搬のほか、一部旅客運輸も行っていた。ほかにも材木町から新川-新里街道経由で新里、徳次郎まで結ぶ路線や、市内南部に向かう路線も敷設されたが、運行の合理化策から1964年(昭和39年)までに全廃された。本路線の詳細は東武大谷線の項目に記載する。
日本初の既存路線の延伸・改良を伴わない全線新線による、次世代型路面電車システム(LRT)を活用したライトレール路線「宇都宮芳賀ライトレール線」の計画が進められ、そのうち宇都宮駅東側については「優先整備区間」として2018年5月に着工し、工事に着手したが、2021年1月に開業時期が2023年へ延期することを発表した。
宇都宮駅東側の区間については、2023年(令和5年)8月26日に開業した。
LRT⇔路線バスと宇都宮市地域内交通の乗継割引をtotra利用者限定で宇都宮市・芳賀町による施策により実施している。totraを使ってLRTと路線バス (関東自動車・ジェイアールバス関東) を乗り継ぐと、2乗車目の公共交通の運賃から大人100円・小児50円が割引される。LRTまたは路線バス⇔宇都宮市地域内交通と乗り継いだ場合は大人200円・小児100円が割引される。
宇都宮市内では「totra(トトラ)」などの交通系ICカードを使って日中(午前9時~午後4時)に路線バスを利用すると、1乗車の運賃の上限が400円になるバスの上限運賃制度もある。
宇都宮市西部と東部には広域幹線道路の東北自動車道、国道4号・新4号国道が南北に縦貫し、その間に位置する宇都宮市街地および周縁部には国道119号、国道121号、国道123号を中心とする道路網が整備されている。
市内を通るバイパス道路のほとんどが市内を通過する物流車両や日光・那須へ向かう観光目的の車両による市街地での無用な渋滞を解消する目的で整備され、特に宇都宮環状道路や宇都宮北道路はその性格が強い。そういった目的で整備された道路の沿線は鉄道駅や団地の付近(鶴田駅付近や宝木団地付近など)に小規模の商業施設が立地する以外は未開発であることが多く、特に宇都宮環状道路の東側には田園や森林が広がっている。
宇都宮(池上町)から近隣の主な都市の中心地までの概算距離、および、主な連絡ルートは以下の通りである。
宇都宮市は2003年(平成15年)にうつのみや百景を選定した。
宇都宮市立図書館の公式ホームページ「宇都宮市」が登場する文芸作品も参照。
その他、宇都宮フィルム・コミッション、栃木県フィルムコミッションを参照のこと。
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