東野交通株式会社(とうやこうつう)は、かつて、栃木県宇都宮市・真岡市・大田原市など栃木県東部・北部を中心に乗合バス・貸切バス・索道(那須ロープウェイ)事業等を行っていた日本の会社。2018年(平成30年)10月1日にみちのりホールディングス傘下で事業地域の多くが重なる関東自動車株式会社と経営統合を実施、関東自動車が存続会社となったため、東野交通は解散した。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 東野交通、東野バス |
本社所在地 | 日本 〒321-0905 栃木県宇都宮市平出工業団地19番地8 |
設立 | 1916年(大正5年)2月9日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 9060001003153 |
事業内容 | 一般乗合旅客自動車運送事業 一般貸切旅客自動車運送事業 特定旅客自動車運送事業 索道事業 |
代表者 | 代表取締役 手塚 基文 |
資本金 | 1億8200万円 |
従業員数 | 294名 |
主要株主 | みちのりホールディングス(100%) |
主要子会社 | 東野整備、那須交通、やしお観光バス |
特記事項:2018年9月30日時点の情報 |
晩年は、栃木県宇都宮市の平出工業団地内に本社を置いていた。東野交通グループの中核企業であった。
1968年(昭和43年)までは鉄道事業を行っており、会社名も東野鉄道(とうやてつどう)と称した。
他社の路線バス運行により、東野鉄道の収支に影響が出始めたため、鉄道線を守るために1928年(昭和3年)バス事業に参入した。1934年までに競合会社の営業権を買収し、鉄道区間と同じ西那須野 - 大田原 - 黒羽間のバス営業権を独占した。1968年(昭和43年)の鉄道廃止直前は、西那須野 - 大田原間40往復、西那須野 - 黒羽間21往復のバスを運行しており、鉄道線を廃止しても沿線住民に不便は生じないという会社判断もあった。
かつては東武グループであったが、東武系列のバス事業統括グループである東武バスグループ・朝日自動車グループのどちらにも属しておらず、東野交通グループ全体で独自のCIロゴ(後述)を使用するなど独立色が強かった。
2016年(平成28年)12月1日付で東武鉄道保有分の株式がみちのりホールディングスに譲渡され、東武グループから離脱した。
東武宇都宮駅、東武宇都宮百貨店が入る宇都宮東武ビルは、前2者とともに、東野鉄道自動車駅を一体化する建物として建設された経緯 があるため、東武グループ離脱後も引き続き同ビル内の宇都宮東武バスターミナルを専有し宇都宮地区での起点としている。
CIロゴは、えんじ色で「New 108」となっている。これは、1980年(昭和55年)完成の東野第5ビル(NEW 108)用に用意され、貸切バスは1990年(平成2年)頃からとそれ以前に導入した車両も含めて貼付け、路線バスは2000年(平成12年)以降に導入した車両やバス停留所のポールに貼付けられていたが、2016年(平成28年)2月の創立100周年を機に新ロゴが誕生し、車両前部や側部およびバス停ポールは順次新ロゴ化された。但し、車両屋根上についてはNew 108のままとなっている。
関連会社に自動車整備事業を行う東野整備などを有する。貸切バス事業・観光事業(旅行代理店)を営んでいた東野観光は2014年(平成26年)1月、東野交通本体に吸収合併された。 また、芳賀地区で鉄道を運営する第三セクター「真岡鐵道」に地元自治体と共に出資していた。
2018年(平成30年)10月1日付で、同じみちのりホールディングス傘下で東野交通と同じく栃木県を中心に展開している関東自動車と経営統合を実施。東野交通は関東自動車に吸収合併され、東野交通は解散した。経営統合後の東野交通の営業所及び車庫は基本的に「東野」を冠している。
鉄道事業に関するものは東野鉄道を、索道事業に関するものは那須ロープウェイを参照のこと。
一般乗合バスの運行エリアは宇都宮市街を中心に宇都宮市内の東部地区、県東部の真岡および益子方面、宇都宮市東北部の岡本、氏家方面。また、氏家から喜連川や馬頭方面、さらに西那須野駅から大田原市東部方面、那須塩原駅および黒磯駅から那須ロープウェイ方面、黒田原駅から伊王野方面に路線を持つ。かつては県境を越えて福島県や茨城県にも路線があったが、現在はすべて栃木県内で完結している。関東自動車同様前乗り前降りで、中扉や後扉は締切状態になっている。
高速バスや一般乗合バスの路線詳細は各営業所記事を参照。
東武グループ系では珍しく、貸切車を含めて三菱ふそうトラック・バスの車輌保有比率が高かったが、いすゞ自動車や日野自動車の車両も導入されていた。1980年代中盤頃から、京阪バスや神奈川中央交通など各地の事業者から多くのバスが移籍。1990年代後半には東武鉄道の貸切バス削減で多数の貸切車両が移籍した。2010年代になると東武グループからの小型車両の移籍が目立ってきたが、2016年の東武グループ離脱後に、神奈川中央交通などの移籍車両が再登場している。 黒磯営業所管轄の那須高原方面は観光路線であるため、着席定員の多い定期観光タイプや自家用タイプの移籍車も目立ったが、2000年代後半より宇都宮地区からワンステップバスの異動が相次いだ。東野グループ内での車両移籍の事例もある。
カラーリングは長年白色に赤帯だったが、貸切バスは東武グループの貸切標準色登場後は同カラーで、路線バスも2001年導入車より東武グループ貸切標準色を、2003年からは東武グループ貸切標準色をベースにグラデーション部分がオレンジ一色となった東野グループ独自色が登場、既存車両も一部が東野独自カラーに塗り替えられた。ご当地ナンバーで那須ナンバーが設定されてからは黒磯営業所と本社営業所の高速バス用車両は社名の語呂合わせである希望ナンバー108で登録されている。一部の高速バス用車両には那須ロープウェイのラッピング装飾が施されている。2016年(平成28年)12月の東武グループ離脱後に登場した路線車両は、以前の赤白カラーを元にロゴなど一部変更したものになった。2017年(平成29年)2月には新車としては15年ぶりとなる大型路線バスを復刻デザインで導入した。2017年4月に、新デザインの貸切バス新車2台を導入。グループのやしお観光バスと那須交通も同デザインの貸切バスを6月に導入した。
2015年(平成27年)5月1日現在では、路線バス92台、貸切バス21台、特定バス5台を保有していた。
2017年(平成29年)7月31日現在では、路線バス89台(うち高速用8台)、貸切バス26台、特定バス6台の合計121台を保有していた。
1918年(大正7年)に資本金5万円で大田原町の星野洋六が社長となり設立し、外国製の車両で大田原 - 黒羽間を運行。1920年(大正9年)大田原町の阿久津正が買収。さらに1925年(大正14年)に阿見自動車商会に買収される。1933年(昭和8年)5月に関東自動車と金一万一千円で買収仮契約したが、直後に東野鉄道と金一万五千円で買収契約、関東自動車が一万七千円で本契約とともに他社と契約したら違約金請求する旨の契約取り交わした。
バス営業所は、新富町一丁目に設置していた。後に東野鉄道のバス営業所として再利用された。
烏山町小木須の矢野政男が1928年(昭和3年)に設立した。大正13 - 14年頃、政男の弟の進がトラックの運転を覚えて、大木須や小木須の木炭や紙を宝積寺へ輸送したのが始まりである。1927年(昭和2年)から勤務していた従業員によると当時ハイヤー2台、トラック2台、バス5台を保有していた。1929年(昭和4年)に宇都宮に営業所を作り、小規模事業者を順次買収して拡大して行った。1933年(昭和8年)に宇都宮 - 真岡間で定期バスを運行していた2社(真岡自動車、中根自動車)を買収し真岡市台町に営業所開設。矢野政男は、後に東野鉄道の社長に就任した。
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