概要
郡山市 の南東約20kmにある、須賀川市 ・石川郡 玉川村 にまたがる阿武隈山系の丘陵地帯を開削し、1993年(平成5年)に県管理の第三種空港として開港した。その後、平行誘導路の設置、滑走路の延長を経て、2000年(平成12年)に全面供用となっている。
現在は、県都の福島市 から直接アクセスできる公共交通機関はないが、浜通りのいわき市 、県西の会津若松市 、郡山市から空港リムジンバス が、離発着便に合わせて運行されている。
『ウルトラマン 』の生みの親、円谷英二 の故郷が須賀川市にあることから、ウルトラシリーズ の立像や関連物が、空港施設内外に展示されているほか、人と自然と科学をテーマにした福島空港公園 が近隣に整備されており、人々の憩いの場になっている。
沿革
12月 - 福島県が「福島県長期総合計画」を策定。この中で「航空運輸の需要増大に対処し関係施設の設置を検討する」こととされた 4月25日 - 県が空港対策本部を設置。同時に、専門家による「県空港整備計画専門委員会」を設置し、候補地の詳細比較調査に着手 9月7日 - 候補地として3箇所を選定 候補地は、安達南、田村西及び須賀川東 2月1日 - 福島空港の候補地区を「須賀川東地区」に決定 4月1日 - 県企画調整部に空港建設対策室を設置 11月29日 - 「福島空港の滑走路2,500mへの延長」を盛り込んだ第6次空港整備五箇年計画が閣議決定 2月1日 - 福島空港管理事務所を福島空港ターミナルビル内に移転 2月4日 - 供用開始公示 3月20日 - 福島空港開港2,000mの滑走路 1本にて供用開始。建設費は562億円 5月1日 - 福岡 路線開設(平成18年3月路線休止) 8月15日 - 日中航空当局間協議において福島空港を中国の新規乗り入れ地点とする事を合意 4月1日 - 「福島県福島空港管理事務所」と「福島県空港建設事務所」を統合し「福島県福島空港事務所」となる 7月13日 - 2,500m滑走路の平行誘導路が完成し、全面供用開始 2月17日 - 名古屋路線再開(平成19年11月路線休止) 4月1日 - 福島空港で実施していた管制技術業務が、仙台空港 (大子TACANのみ東京国際空港)へ移管 施設概要
位置:福島県石川郡玉川村大字北須釜字懸金沢16番地(北緯:37度13分39秒、東経:140度25分41秒) 標高:372.0m 飛行場の種類:陸上飛行場 着陸帯の等級:B級 就航可能な航空機の種類:ボーイング747、777、767型、エアバス・インダストリーA320ceo/neo ダグラスDC-10・マクドネル・ダグラスMD-11 ILSアプローチのカテゴリー:CAT-I 運用時間:2016年3月27日より13時間(8時00分-21時00分) 航空交通管制:飛行場対空援助業務 敷地面積:1,807,306m2 着陸帯の長さ:2,620m 着陸帯の幅:300m 進入区域の長さ:3,000m 進入表面の勾配:50分の1 水平表面の半径:3,500m 転移表面の勾配:7分の1 滑走路の長さ:2,500m 滑走路の幅:60m 滑走路舗装:アスファルト舗装 滑走路の方位:北緯 2度11分57秒東(真方位) 誘導路の長さ:3,637m(防災ヘリ用89m、訓練用49mを含む) 平行誘導路の幅:30m 中間取付誘導路の幅:34m 末端取付誘導路の幅:32m 誘導路舗装:アスファルト舗装 エプロン面積:47,250m2 エプロン舗装:コンクリート舗装 バース数:6バース(大型ジェット機2、中型ジェット機2、小型ジェット機2) 小型機スポット数:8スポット(うち夜間駐機用4スポット) 関連施設 1階 - 航空会社カウンター、到着ロビー、売店、宅配便受付、ATM、コインロッカー、交番、総合案内所(観光案内やレンタカーの案内等) 2階 - 出発ロビー、ラウンジ、待合室、レストラン、ウルトラマン ショップ、免税店、土産物店 3階 - 送迎デッキ、特別室、会議室 アルファーアビエィション福島訓練所 かつてはパイロット 不足を補うために2008年度から2009年度まで、法政大学 が首都圏から近い当空港を活用したパイロット育成教育を行っていた。 関連機関 就航路線
国内線カウンター(2007年4月) 国際線カウンター跡(2020年8月) 国内線 かつての定期就航路線
災害に伴う臨時路線
国際線 ※ ()内の記号は航空会社コード ※ ★印は格安航空会社 (LCC)
かつての定期就航路線
統計
利用者数 年度別乗降客数 年度 乗降客数(人) 国内線 国際線 合計 1992年度 7,245 3,035 10,280 1993年度 285,338 13,014 298,352 1994年度 445,470 11,161 456,631 1995年度 579,619 12,039 591,658 1996年度 643,725 8,390 652,115 1997年度 677,299 8,736 686,035 1998年度 689,168 8,521 697,689 1999年度 706,718 50,907 757,625 2000年度 611,754 88,361 700,115 2001年度 573,120 87,632 660,752 2002年度 516,576 70,319 586,895 2003年度 519,293 42,119 561,412 2004年度 502,032 63,087 565,119 2005年度 473,000 72,865 545,865 2006年度 439,683 89,947 529,630 2007年度 417,287 99,016 516,303 2008年度 353,439 74,330 427,769 2009年度 226,842 56,172 283,014 2010年度 224,125 62,250 286,375 2011年度 207,971 1,724 209,695 2012年度 227,882 5,810 233,692 2013年度 239,722 4,046 243,768 2014年度 248,101 6,098 254,199 2015年度 244,038 3,668 247,706 2016年度 241,106 4,894 246,000 2017年度 250,385 9,233 259,618 2018年度 246,939 20,417 267,356 2019年度 239,054 20,667 259,721
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開港当初の1993年度、30万人弱であった利用者は順調に伸び、過去最高となる1999年度には75万人を超えた。しかし、これ以降減少に転じ、2009年の日本航空 撤退、2011年の国際線運休に伴って乗降客は大幅に減り、現在に至る。
国内線 国内線においては、日本航空グループが2009年1月限りで撤退 するなど、厳しい状況が続く。
日本航空グループ 福島空港に初めて飛来したジャンボ機 (2000年7月) 最大で7路線を運航していた日本航空グループは、他社競合やローカル空港間輸送の低迷による利用率減少により廃止が相次ぎ、2009年1月31日 をもって全面撤退した。
帯広空港便 - 日本航空が1995年7月より夏期季節運航で開設。2000年9月をもって運休。 新千歳空港便 - 日本航空が1998年5月より夏期季節運航で開設。2001年4月よりジェイエア に移管、通年運航に変更されたが、機材導入初期で機材数に余裕が無かったため、運航乗員訓練のため冬期運休となるなど機材不足の際は運休対象となることが多かった。2002年 9月をもって運休。 広島西飛行場便 - ジェイエアが2001年4月より開設。2002年3月をもって運休。 福岡空港便 - ジェイエアが2001年4月より開設。2002年3月をもって運休。 大阪国際空港便 - 開港と同時に3往復就航。後に2往復に減便されるも、2002年4月よりジェイエア便が開設されグループとして再度3往復となった。2005年 4月より日本航空便の1往復が関西国際空港便に変更され2往復となる。ジェイエア便は2007年 3月をもって運休となったが、同年5月より日本エアコミューター 便が開設され再々度2往復となった、2008年3月をもって日本エアコミューター便の運休により1往復となった。2007年度の利用率は57.4%。2008年8月7日 に廃止届が提出され、2009年1月限りで廃止された。 関西国際空港便 - 2005年に大阪国際空港発着枠関連により1往復を振り替える形にて開設。2007年度の利用率は46.2%。2008年8月7日に廃止届が提出され、2009年1月限りで廃止された。 那覇空港便 - 2008年度の搭乗率は71.7%で、修学旅行 期には臨時便 も運航された。搭乗率60%以上であれば採算が取れると言われる航空路線では悪くない数字であるが、燃料 費高騰に加え、観光ツアー客の単価が低く、採算を取るには厳しい状況だったと同社は説明している。2008年7月31日 に廃止届が提出され、2009年1月限りで廃止された。 全日本空輸グループ 福島空港に初めて飛来したボーイング787 (2011年11月) ANAジャンボ機、福島空港への最終フライト(2014年3月) 駐機中のAIRDO機(2015年2月、現在は撤退。) 全日本空輸グループは、グループに入る前の中日本エアラインサービス(現エアーセントラル )、コードシェア運航をするアイベックスエアラインズを含めて最大で5路線運航していた。現在は2路線を運航する。
函館空港便 - 中日本エアラインサービスが1995年より夏期季節運航で開設。2001年をもって運休。 中部国際空港便 - 全日本空輸が2005年2月より開設。2007年11月をもって運休。愛・地球博 終了を境に利用率が低下。2006年度で休止予定であったが、自治体等の要望を受け、2006年11月から2007年10月までの搭乗率が60%に達しない場合、2008年度以降は休止するという条件付き継続となった。2006年度の搭乗率は32.7%。2006年11月から半年間の搭乗率はさらに30.4%となり、条件達成が不可能となった2007年5月に、同年11月限りでの廃止を届け出た。 福岡空港便 - エアーニッポンが1994年10月より開設。2004年4月に全日本空輸便化。2006年3月をもって運休。 大阪国際空港便 - 2004年10月1日にフェアリンク(現アイベックスエアラインズ)が2往復で開設。2006年10月より全日本空輸とコードシェアを開始し3往復に増便された。2009年1月に2往復の増便が発表され、同年4月より5往復、2012年6月1日より4往復、2014年3月30日 より2往復の運航となった。2013年度の搭乗率は70.5%。2012年6月1日 から、全日本空輸も1往復で開設、2014年3月30日より2往復に増便された。同便は到着した機材がそのまま折り返す単純往復となっていたが、2015年 3月29日 から1往復がナイトステイとなった。 新千歳空港便 - 全日本空輸が開港時に開設、2009年11月1日 以降は北海道国際航空(現 AIRDO)との共同運航で1日2往復を運航していたが、2015年3月29日から、全日本空輸の単独運航に変更、1日1往復に減便された。これ以降、同便はナイトステイを行っている。2013年度の利用率は54.1%。 福島県内を出発地として航空機を利用した移動において、福島空港が出発空港として選択された割合は3割程度に過ぎず、潜在的な需要はあると言われている。また、撤退した路線の搭乗率低下については、使い勝手の悪いダイヤ を指摘する声もある。
国際線 アシアナ航空便(2007年4月) 2011年3月11日の東日本大震災発生以降、定期便は全て運休している。2011年11月現在、国際線の利用者は、昨年同期と比較して99%減と、大幅に落ち込んでいる。
仁川国際空港便 - 1999年6月開設。 仁川国際空港便は、週3便で開設されて以来好調に推移し、2005年9月には週5便に増便された。利用率70%程度と好調なものの、1旅客あたりの単価が低く収益が悪いことから、2006年 9月に再び週3便に減便した。 減便されたものの、特にウォン 高の影響による韓国 側からの需要が旺盛で、搭乗率は更に上がり約80%となった。アシアナ航空は2008年5月22日 より再び週5便に増便したが、韓国からのゴルフ客の利用が好調なため、同年7月1日 より8月29日 の最需要期の2ヶ月間、1999年の就航以来初めて毎日運航された。その間で83.5%と高い搭乗率を確保していた。 しかしながら、世界金融危機 に端を発した韓国通貨危機 の影響で大幅なウォン安になり、韓国からの観光客が激減した影響で2008年12月から急激に搭乗率が悪化、2009年11月の搭乗率は62.4%と低調になり、利用率次第では運休も示唆された。しかし、2010年の搭乗率は前年を上回っていることから、2011年4、5月の2ヶ月間は週5便に増便されることとなっていたが、東日本大震災の影響により、2011年3月19日 から運休となっている。2010年12月末の搭乗率は66.0%。 上海浦東国際空港便 - 1999年6月、福島空港初の国際定期便として開設。 2011年3月17日 からの運休を経て、2012年10月27日 をもって廃止。 2003年5〜6月にSARS 、2008年5〜6月には四川大地震 の影響で数便が運休、2003年には搭乗率が40%台にまで落ち込んだりもしたが、その後は60%台を維持していた。ソウル便の利用者は8割が韓国人であるのに対し、上海便は9割が日本人であり、利用者層は大きく異なっていた。ソウル便同様、2011年3月17日から運休となった。その後も、中国東方航空内で再開に向けて再三にわたり検討が繰り返されていたが断念。2012年10月27日をもって福島支店が閉鎖、路線が廃止された。「福島第一原子力発電所事故の影響に加え、日本政府 による尖閣諸島国有化 により、日本 と中国 の関係が悪化、集客が期待できない」と、同社は説明している。2010年11月末の搭乗率は60.5%。 周囲の空港 福島市、郡山市、白河市の各都市からは東京・仙台へ東北新幹線 を利用すれば1時間〜1時間半程度であり、近隣空港との競争が激しくなっている。福島県の南側では、茨城県 小美玉市 の航空自衛隊百里飛行場 が2010年に「茨城空港」として軍民共用化されたことで競争が激化している。 福島県北部(福島市周辺・浜通り北部)では仙台空港 を利用する人が比較的多い。 利用増への取り組み 福島県内主要都市、栃木県 北の那須 塩原 地区、日光・鬼怒川地区、茨城県北地区からは1名から利用可能な事前予約制の低価格の乗り合いタクシーが準備され、立地の悪さをカバーする努力がなされている。 栃木県には空港が無く、福島空港は福島県南部に位置するので栃木県民に利用促進を働きかけている。なお、宇都宮市 などは福島空港よりも便数が多い東京国際空港 や成田国際空港 を利用する市民が多い。栃木県のFM放送レディオベリー 等でも広告が流れる。 空港に隣接する形で福島空港公園 があり、公園 ・緑地 スペース・日本庭園 ・展望台 ・運動場 ・イベントスペース等が整備されている。積雪 時以外は通年で様々な祭事や体験学習 ・展示・サッカー 大会等を行っており、空港の認知度を上げる働きかけを行っている。 2008年2月7日 、関西国際空港と航空貨物に関する共同ビジョンを発表。福島空港を「東北・北関東圏での国際貨物ハブ空港 」と位置付け、東北や北関東からの荷物を福島空港へ集約し、関西国際空港と連携して利用促進を促す(しかし、2009年1月における日本航空の撤退に伴い関西国際空港の定期便が廃止となる)。 福島県は、定期便の増加やチャーター便の誘致を推進するため、2009年4月より、航空機の着陸料を国内線が1/4、国際線が1/15と減額した。 日本航空グループの撤退を受け、全日本空輸に那覇空港便の開設を働きかけるなど、路線再構築に向けて動き出している。 小型ジェット機 用のボーディング・ブリッジ が新たに整備され、2010年4月6日 から利用されている。小型機用のボーディング・ブリッジが整備されたのは、国内の空港で初めて。 アクセス
福島交通バス(2007年4月) 福島空港タクシー(2007年4月) アクセス「リムジンバス 」(福島空港サイト)
予約制バス 予約制乗合タクシー 下記場所より乗車人数1名以上で運行。(福島空港構内タクシー協議会配車センター) 鉄道利用 その他 テレビドラマ 版『世界の中心で、愛をさけぶ 』最終回の収録が行われた。 2004年12月14日、ペ・ヨンジュン が極秘来日した。 日本では松本空港 に次いで、2番目に標高 が高い空港である。 県は、愛称を「ウルトラマン 空港」とすることで検討を行っている。 1996年12月13日に、須賀川市議会により滑走路3,000m級化を組み入れた第7次空港整備五箇年計画が閣議決定した ものの、凍結中である。 毎年5月には「春の福島空港まつり」が行われ、ウルトラマンなどのショーやトーイングトラクター が牽くトロッコによるツアーなどが実施される。 毎年9月には空の日 フェスティバルが行われ、施設見学のツアー、航空機の展示など、様々なイベントが催される。 脚注 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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