ボーイング747(英: Boeing 747)は、アメリカ合衆国のボーイング社が開発・製造していた大型ジェット旅客機シリーズ。1969年2月の初飛行から多くの改良を重ね、半世紀以上に渡って生産が続けられたボーイング社のロングセラーであり、エアバスA380が初飛行するまでは世界最大の民間航空機であった。一般的には「ジャンボジェット(Jumbo Jet)」や、「マリンジャンボ(Marine Jumbo)」の愛称で呼ばれる。
世界初のワイドボディ機で、それまでのボーイング707やダグラス DC-8といった従来のジェット旅客機の2倍以上の乗客数を誇る。航空業界に大量輸送時代を到来させたことによってそれまで一般庶民にとって高嶺の花であった航空旅行、特に国外旅行の大衆化を可能にした航空史に残る画期的な機体であった。アメリカや日本、アラブ首長国連邦など世界各国の政府首脳専用機に採用され、NASAのスペースシャトル輸送機等にも転用されている。この他にも積載性の高さから大型貨物機としても大きな成功を収め、旅客型・貨物型問わず世界の航空会社で活躍した。
なお、2021年3月現在までの航空会社1社による合計発注機数は、日本航空の113機が最多である。
愛称の「ジャンボジェット」は、19世紀後半にロンドン動物園やバーナム・アンド・ベイリー・サーカスで活躍した有名なアフリカ象・ジャンボの名前に由来している。当初ボーイング社は、「鈍重なイメージがあるこの愛称は最新鋭機にふさわしくない」としてこの愛称を認めず、「スーパーエアバス」としていたが、愛称が一般に受け入れられたこと、1970年代にエアバス・インダストリー(現:エアバス)がヨーロッパにおいて航空機製造を開始したこともあり、今日では公式の場で呼称を用いることが多い。
2014年6月28日に製造機数通算1,500機目の747がルフトハンザドイツ航空へ引き渡された(ボーイング747-8IC、機体番号:D-ABYP)。また747シリーズの引き渡し数通算1,500機目が日本貨物航空に引き渡された(ボーイング747-8F、機体番号:JA17KZ)。
1960年代の国際航空路線は、1950年代に開発されたボーイング707やダグラス DC-8など、通路を1本持った乗客数150 - 200人の機体(ナローボディ機)が主力であった。特にパンアメリカン航空・日本航空・エールフランス・英国海外航空などの主要航空会社は、これらの機体を使用して旅客の獲得競争をしていた。
当時、ボーイング2707やアエロスパシアル・コンコルドなどに代表される超音速旅客機の開発が進んでいた一方、世界各国では空港の拡張が進捗していなかったことに加えて航空機騒音が深刻化していた。増加する航空需要に対応するためには航空機の大型化が求められた中、ダグラス・エアクラフトはDC-8の胴体を延長した-60シリーズをリリースして好評を収めたが、ボーイング707はランディングギアの短さから胴体のストレッチが不可能となっていた。このような状況で、パンアメリカン航空は1970年代以降に主力となると思われていた超音速旅客機と並ぶ次世代機として、従来機の2倍以上(350 - 450人)の乗客を乗せる大型機の開発をボーイングに要求した。
この頃のボーイングはアメリカ空軍の次期戦略輸送機計画の受注争いでロッキードに敗れた直後だったが、この計画に充てていた技術・人員を転用して設計案を民間輸送機に見直すことを、パンアメリカン航空の経営者であるファン・トリップに提案した。トリップはこの案を大いに気に入り、1965年12月2日に「ボーイングが本気で747を開発するなら、最初の25機を5億5,000万ドルで購入する」と確約した。その後、ボーイングは1969年末までに最初の747機をパンアメリカン航空に納入することに合意。平均的な開発期間の2/3となる28ヶ月で設計を終結させたが、このスピード開発を達成した関係者らには後に「The Incredibles」の渾名が付けられている。
747は旅客機として設計されながら、当時の輸送の主流でもある横2列でのコンテナ積載を可能とした胴体直径を持ち、機首部分は前方からの積み下ろしも考慮されたことであえて2層構造を採用。操縦席および乗員収用部はアッパーデッキに置かれる特異な形状の機体となった。これは超音速旅客機の就役後に貨物機へ改修されることを見越し、前述の戦略輸送機計画の原設計をそのまま残したものである。この形状から、民間航空会社からは旅客機以外にも貨物機(主に貨物専門航空会社から)としての受注も得られることとなり、超大型機かつ旅客機・貨物機(ノーズカーゴドアを有する純貨物型のみ。旅客型からの改修を除く)の双方が100機以上受注されたのは当系列のみである。この他にも、計画当初はエアバスA380のような総2階建て旅客機というコンセプトが挙がっていたが、連邦航空局 (FAA) の定める「事故の際90秒以内に乗客全員が緊急脱出できること」という条件に合致しないことからこれは断念された。
ただ、当時の航空需要から考えると707の2倍以上となる大きさはあまりにも巨大であったことから、ボーイングの社内にも747に対して懐疑的な雰囲気があった。しかし、トリップの強い意志と、上述の通り将来的に需要が増えると予想される貨物機に転用する見込みにより計画が進められることとなった。
パンアメリカン航空が25機(旅客型23機・貨物型2機)を発注したことが発表されると、同社と競争上の脅威に晒されることになる同国のノースウエスト航空やトランス・ワールド航空に加え、日本航空、英国海外航空など各国の航空会社からの発注が相次いだ。しかし、当初はエンジンの実スペックがカタログ上のデータに到達せず、最高速度や航続距離に不足が生じた。このため、機体の重量を軽減してエンジン出力の不足をカバーする措置がとられ、設計の再検討を余儀なくされた。その後は吸気温度を下げる水噴射装置を追加装備するなど、燃焼効率を向上させてエンジンを強化し、離陸重量の引き上げが行われたものの、軽量化で生じた脆弱性はノーズギア付近の補強をはじめ、様々な改修という形で影響しつづけた。
なお、747の開発当時においては今後の旅客機の主力は超音速旅客機が期待されており、航空ショーでコンコルドと747が並ぶと、人だかりが出来るコンコルドに比べ747の周りには人がまばらという光景も見られた。
1970年1月、パンアメリカン航空のニューヨーク-ロンドン線に747が就航し、日本航空やルフトハンザ航空、エールフランスなど、初期に注文を行っていた主要航空会社にも次々に納入された。しかし当時多くの航空会社にとって747は市場規模に対して大きすぎて、座席全てを埋めるほどの乗客は無かった。
そこで各航空会社は「空席多数で飛ばすぐらいなら、少しぐらい運賃を下げても席を埋めたほうが良い」と考え、各種の割引制度を設け集客に励んだ。その結果エコノミークラスの運賃が団体割引により大きく低下し、一般庶民が気軽に国外旅行に行けるようになった。各国の貨幣価値や各航空事業者における経営状態にもよるが、導入当時は4分の1以上のシートが埋まれば、航空事業者では採算が取れるといわれていた。
747は上述の通り超音速旅客機が就航した暁には旅客輸送から退くことが想定されていたものであるが、開発されたコンコルドやTu-144は商業飛行の実情にそぐわない面が露呈するようになり、各航空会社は発注を相次いで取り消し、2707も開発が中止された。こうして本格的な超音速機の時代は遂に訪れることはなく、また長い間747に匹敵するキャパシティや航続距離を持つ旅客機も他に無いため、21世紀初頭に至るまで747は国際路線の花形、航空会社の顔(フラグシップ)として世界の空に君臨してきた。
なお、生産機種は1991年以後は改良型の747-400に統合され、それ以前のタイプは、全タイプ合わせて724機で生産終了となった。
1990年代後半に入ってからは、技術革新による高性能な新型機体が登場したことにより、キャパシティの面ではボーイング777-300やエアバスA340-600にほぼ並ばれて、航続距離ではボーイング777-200LRやエアバスA340-500などに抜かれている。さらに、2005年1月、エアバスA380がロールアウトしたことにより、開発以来世界一を保ってきていたキャパシティでも追い抜かれた。また、形状やエンジンの問題により、747-100/200/300、そして-400も、エアバスA330やA380、ボーイング777、787と比べると燃費の面ではかなり劣る。
航空会社では機体の更新時期が迫っているのに加え、原油価格の高騰で燃費の良い双発機に切り替えたり、さらにボーイング777や767、エアバスA330などの双発機でもETOPSを取得することで長距離洋上飛行が可能になったことや、各国で空港設備が充実したことなどにより、大型機のフライト数を減らして中小型機で多頻度運航する動きが広がっている。
2000年代には、ボーイング747-400を超える大型機としてエアバスA380が開発されることが発表されたが、ボーイング社は747-400の航続距離を延長した747-400ERの製造を開始し、さらに機体を延長してキャパシティを増大させ、新型の低燃費エンジンなどの最新テクノロジーを利用し経済性をさらに高めた新機種ボーイング747-8の製造を正式に決定した。これにより、収益率の高い大型機市場をみすみす他社に譲り続けることはないと考えられている。
2010年代に入るとボーイング747シリーズの旅客型の受注はかつてに比べて少なくなっており、エアバスA380に押され気味であったが、貨物型の受注はA380が受注を全て失ったのに対しボーイング747-8は好調であった。経済性はA380と同等である上に、もともと貨物機構想から生まれたこともあり、民間旅客機ベースの貨物機でノーズカーゴドアが設置可能なのは747型機のみという利点もある。
しかし貨物型も自社のボーイング777Fに押される形で受注に陰りが見え始めた上、2019年12月からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の影響で航空需要が一気に低迷したことも相まって、2020年7月にボーイング社は2022年を以て747-8の生産を終了することを表明した。ボーイング747シリーズはこの型式を以て生産終了となり、約半世紀の生産に終止符が打たれることとなった 。また競合機であるA380も受注減により生産終了が決定、また早くも引退する航空会社が出ており、新規開発が無ければ将来的に民間路線から四発機が姿を消すこととなる。
最終製造となる747(-8F型・登録番号: N863GT)は2022年12月6日にボーイング・エバレット工場にて公開され、2023年1月31日にアトラス航空に納入された。全タイプ通算して1574機製造され、半世紀の歴史に幕を閉じた。
ボーイング747は一度に多くの旅客を運ぶ超大型機であるため、安全確保のために当時の最新鋭の技術や新機軸が投入された。また超大型機にもかかわらず従来と同じ飛行場で運用できるように設計された。
経済性を考慮して、フェイルセーフ(fail safe)を全面的に採用している。これは少々の故障では墜落せず、最寄の飛行場まで安全に飛行を維持できるように配慮した設計を施し、一方で完全な飛行機(セーフライフ)を維持整備するための過大な点検と交換のコストを抑えるための方針であり、747の「信頼性整備方式」による経済性を支えた大きな力である。
それまでの旅客機は、機体が大型化するたびに離着陸に要する滑走距離が伸び、滑走路の延長が必要であった。747は当時のボーイング707やダグラス DC-8、コンベア880と同じ距離の滑走路で離着陸できるよう設計された。それでも747が離着陸するには最低でも2500m必要で、安全に余裕を持たせるためには3000m以上あるのが望ましい。また現在では地方空港でも離着陸することができる。しかしながら騒音などの面で問題もある。
B747には -100型、SR型、SP型、-200B型、-300型、-400型、-400D、-400ER、-8型など、多数の派生型が存在する。また、軍用機としてアメリカ軍用のE-4やVC-25などが存在する。空中給油機型もあり、アメリカ軍での採用は得られなかったがイラン空軍で使用された。
乗組員は-300以前の型では機長、副操縦士、航空機関士の3名だが、747-400型、-400D型、-400ER型、-8旅客型は機長、副操縦士の2名である。
また貨物機として-200F型、-400F型、-400ERF型、-400LCF型、-8F型があり、これらの他に旅客型から貨物型に改造された型も存在する。さらに、貨客混合型として-200C型、-200M型、-300M型、-400M型も存在する。
-300以前までの機体は、「747クラシック」と呼ばれ、-400シリーズは「ハイテクジャンボ」や「テクノジャンボ」と大別される。システムが異なるため、乗組員の操縦免許も別扱いとなる。LR(Long Range)型という表現もあるが、SR(Short Range)型に対比するうえでの表現であり、特にLR型という派生型があるわけではない。
1970年に就航した747の初期モデル。パンアメリカン航空によって同年1月にニューヨーク―ロンドン線に路線就航し、その後同年中にトランス・ワールド航空やノースウエスト航空、日本航空や英国海外航空、ルフトハンザ航空やエールフランスなどの各国で路線就航した。
登場時には主にエンジンの出力不足の問題から航続距離等が予定性能に達せず、水噴射システムを装備することにより離陸重量の引き上げを行うなど苦労したが、1970年に入りエンジンを順次パワーアップして充分な航続性能を持つようになった。当時-100A型と区別していたが、当初水噴射システムエンジンを装備していた機材の大半はパワーアップしたエンジンに改修されたため、-100A型も-100型と呼ぶようになり型番が統合された。
日本航空は1970年4月に同型機を就航させ、2006年10月までは-100の発展型747-100B/SUD(アッパーデッキ延長型、機体記号JA8170とJA8176)を運用していた。また、原型ともいえる747-100B(JA8164ほか全3機)も運航していたが、これは2006年初頭までに退役した。-100Bは短距離機として-200Bと並行生産されたもので、世界でも日本航空以外はイラン航空(初号機のみ)およびサウジアラビア航空の2社しか発注していない。日本航空の-100Bは後述のSRの増備機であった。またこのうちの数機が貨物型に改修された。
アメリカでは、パンアメリカン航空、ノースウエスト航空、トランス・ワールド航空が国際線で、アメリカン航空、コンチネンタル航空、デルタ航空、ユナイテッド航空は当初はアメリカ国内路線での活躍にとどまった。
ユナイテッド航空においては-100は当初同社が国内路線のみを主に就航していたものの、その後は自社購入機材と併せて、1985年にパンアメリカン航空の太平洋アジア路線を購入した際に譲り受けた機材を、成田経由の太平洋線やアジア路線で飛ばしていた。しかし、1970年代初頭にボーイング747を購入したアメリカン航空やウエスタン航空、イースタン航空、デルタ航空などの航空会社は、輸送力過剰であることや使い勝手の悪さなどの理由から3年から10年以内に3発機へ置き換えた。
デルタ航空の場合は当初-100を短中距離国内線のアトランタ-ダラス-ロサンゼルス線に運用を限定していたため本領発揮にはほど遠く、そのため、新機材の選択をより慎重を要してロッキード L-1011 トライスターが選ばれた。またイースタン航空は、-100を一時パンアメリカン航空からリースして国内線に使用していたものの、輸送力過剰だったため自社がローンチカスタマーとなったロッキード L-1011 トライスターを受領すると返却している。アメリカン航空の場合は、大西洋路線へ進出を図り-100をマクドネル・ダグラスDC-10-30とともに活躍をしたものの、結局は輸送力過剰であった事から1980年代初頭には全機が売却された。
2018年にゼネラル・エレクトリック社のエンジン試験用に使用されていた元パンアメリカン航空の機体(N747GE)が退役しアリゾナ州のピマ航空博物館で静態保存されることになったので、飛行可能な747-100はイラン空軍所属の数機のみとなった。(イランでは経済制裁のためボーイング社製の新しい機体を購入することが難しく、パフラヴィー朝時代の1970年代に購入した機体を2020年現在でも多く使用している。)
パンアメリカン航空のファン・トリップ元会長らによる、東京-ニューヨーク無着陸直行便の就航を目的とした機材の開発依頼に応えて、-100型を大幅に短胴化(約70メートル(230フィート以上)の全長を誇る普通の747シリーズに比べ、本型式では56メートル(185フィート)程度と、およそ20%もカット)して重量を低減することにより、航続距離の増大をはかったモデル。
"SP"とは"Special Performance"の略。先述した通り胴体を通常の747と比べて大幅に短縮したため、他のモデルとシルエットが大きく異なる。短胴化によるモーメントアーム減少への対策から、垂直・水平尾翼とも翼端を各1.5メートルずつ延長している。また他の747と違いフラップはシングルスロッテッドで下翼面のフラップトラックが無い。747-SP 型は重量軽減のために胴体を短縮したが、副次的効果として機体がエリアルールに則した形状となり、巡航速度が向上した。ボーイング社自身もこの予想外の効果に驚き、747のSUD(Stretched Upper Deck : 2階部分延長型)開発へとつながっていった。
1976年にパンアメリカン航空の東京-ニューヨーク無着陸直行便に初就航した。パンアメリカン航空の他にトランス・ワールド航空やブラニフ航空、大韓航空や中華航空、アルゼンチン航空や南アフリカ航空など、超長距離便が多い、または周辺国との関係から周辺国を迂回せざるを得ない航空会社が購入したが、羽田空港にデモフライトとして飛来実績があり、日本国政府専用機の候補としてあがったが、東京-ニューヨーク無着陸直行便を飛ばしたいはずの日本航空からの発注は無かった。生産機数では747シリーズでもっとも少ない45機。1989年まで生産した。
また、機体の小型化のために航続距離が長くなったことを生かし、アラブ首長国連邦やバーレーンなどの政府専用機として使われていた。アメリカン航空は-100を早期に退役させていたものの、1987年にダラス-東京直行便を開設する際にパンアメリカン航空の中古機を購入し、1990年代にマクドネル・ダグラスMD-11と交代するまでの短期間運行した。イラン航空は2011年まで747-SP型を日本への定期便で運航していた。しかし、そのイラン航空も2018年5月22日のフェリーフライトをもって747-SP型を退役させた。
2023年現在、ラスベガス・サンズやオマーン政府などがVIP仕様に改装された機体を、プラット&ホイットニーがエンジン飛行テスト用の機体を、NASAが成層圏赤外線天文台(SOFIA)を所有するなど6~7機程度が稼働状態にあると考えられる。
70年代の日本の航空事情は、人口が多く、さらに利用者が増加したにもかかわらず空港インフラストラクチャーが貧弱なために、主要空港の発着数を増やせないことから、1便当たりの乗客数が多いという特徴があった。しかも短距離で離着陸回数が多い日本市場専用に、-100型をベースとして開発された短距離路線専用モデルがSR-100である。
ボーイング747型機の最大のカスタマーとなりつつあった日本航空がローンチカスタマーとなり導入された。SRとは「Short Range(短距離)」の略であり、当初はボーイング社により「スーパーエアバス」と称されていた。ローンチカスタマーの日本航空(1973年-1975年に7機導入)と全日本空輸(1978年-1983年に17機導入)のみが発注している(全日空では「スーパージャンボ」と呼称された)。なお、広義のSRには前述の-100Bのうち日本航空が導入した機体を含めることがある。
長くとも3時間程度の日本国内路線専用機材のため、ギャレーやトイレ設備の簡略化と数の削減が行われた上に、座席間隔を詰めて座席をぎりぎりまで詰め込むことにより、国内専門であった全日本空輸によって、導入当時は民間航空史上最多そして世界初の500席仕様が提供された。また、離着陸回数が増大するのに耐えるため機体構造の一部を強化し、疲労破壊に備えて-200型と同様の降着装置への変更や、ブレーキの改良などを行った。最大離陸重量(主に燃料搭載量)を引き下げ、着陸料を低額に抑えている。後に全日本空輸が導入の際、-200B型では搭載エンジンが選択可能となっており、CF6-50の推力を落とした-45を選択している。
SR-100が近距離路線を中心に国際線に投入されたケースもあり、日本航空では大阪国際空港(伊丹空港)と大阪-グアム線に間合い運用として使われていた。本来国内線用の機材のためギャレーが少なく、フライトタイムも2時間半程度と短くしかも深夜帯のためにアルコール類の提供サービスが行われなかった。日本航空所属の機体番号JA8119(1974年製造)は、1978年に発生した日本航空115便しりもち事故の後、ボーイング社により施された後部圧力隔壁の修理ミスが原因で、1985年(昭和60年)8月12日、単独機としては航空機事故で史上最多の死者を出した「日本航空123便墜落事故」を起こしている。この影響から、日本航空はSR-100型の運航を早期に終了することとなった。
また全日本空輸では2000年代まで、飛行時間が6時間を超える中・長距離路線である東京(成田)-ホノルル線や東京(成田)-シドニー線、名古屋(小牧)-ホノルル線でもSR-100型を運航していた。これらの路線へ投入すべく一部の機材(機体番号JA8156とJA8157)を国際線仕様機へ改造している。エンジンを-200B型と同じハイパワー型のCF6-50E2にスワップして最大離陸重量を引き上げ(-100型と同じ340トン前後へ変更することが可能で、航続距離が7000 - 8000km程度まで伸びる)、機内設備も国際線仕様へと変更するなど大掛かりな改造を行っている。またこれらの改修以前にも、香港やパースなどへの国際線チャーター便に使用していた。なお、SR引退と前後して、両社とも元々国際線用だった-200B型や-100B型を国内線に投入している。
日本航空では1988年から引退が始まり、-400D型の受領が8機完了した1994年、残っていたJA8124の売却をもってSR-100全機材の登録が抹消となった。また全日本空輸も2006年3月10日の鹿児島発羽田行NH624便をもって(機体番号JA8157)が引退。日本の定期便からSR-100型は消えた。なお、元日本航空機の1機(機体記号JA8117→N911NA)は、NASAのスペースシャトル輸送機として2012年まで運用されていた。これは、元アメリカン航空の747-100改造機に次ぐNASA2機目の機材であった。
その後、これらの2社で使用されていたSR-100の多くは貨物機へと改造され、エバーグリーン・インターナショナルエアーラインズINCやユナイテッド・パーセル・サービス (UPS) がSR-100貨物機 (SR-100-F) ユーザーとなっている。また、日本貨物航空も全日本空輸から購入したSR-100(機体番号JA8158)をSR-100-Fへ改造し(同時に全日本空輸が機体番号JA8157へ施したのと同じパフォーマンスアップを行っている)、中・短距離路線への投入目的でアジア諸国路線に就航させていたが、2006年1月28日のニューヨーク発アンカレッジ経由成田国際空港行KZ115便をもって退役した。また、UPSについても-400Fの導入により退役した。
-300型のボディに-100B型のエンジンを搭載したモデルで、日本航空が発注したのみでわずか2機しか生産されていない。この稀有な機体は、外見は-300型と同じだが-100型が搭載していたエンジン(JT9D-7A)やその他システムを-300のボディに流用している。そのため、「-100B/SUD」と言う形式が与えられている。
後にJT9D-7Aエンジンが生産終了になると、-300をベースとした日本国内線専用機「-300SR」が増備されることとなった。この機材も日本航空が発注したのみである。
後述の-300SRとあわせて「SR-SUD」と呼ばれることがある。
-100型の機体構造を強化して性能を上げたモデル。747クラシックの標準的な旅客機型の機体である。開発当初は747B型と呼ばれていたが、初期型が-100型に名称が整理された時点で-200B型となった。日本では日本航空と全日空が、アメリカではノースウエスト航空、ユナイテッド航空(ただし自社発注機は2機)、パンアメリカン航空、アメリカウエスト航空が(ともに中古機を)使用した。
ヨーロッパなどの-200Bユーザは個性豊かで、航空会社によってエンジンメーカーも異なっていた。エールフランス、ルフトハンザ航空、KLMオランダ航空、アリタリア航空はGE(ゼネラル・エレクトリック)製CF6-50E2を、英国海外航空(後のブリティッシュ・エアウェイズ)はRR(ロールス・ロイス)製RB211-524D4、エア・インディア、イベリア航空、アルゼンチン航空、南アフリカ航空はP&W(プラット・アンド・ホイットニー)製JT9D-7Qを装備した。サウジアラビア航空もRB211-524D4を選択したが、-400以降はCF6-80C2B1Fを選択した。
また、イギリス連邦諸国のキャセイパシフィック航空(香港)、カンタス航空(オーストラリア)、ニュージーランド航空はともにイギリス製のRB211-524D4を選択した。キャセイパシフィック航空、サウジアラビア航空、ブリティッシュ・エアウェイズは同じRB-211エンジンを搭載したロッキードトライスターL-1011型を保有していた関係で整備の都合上とされた。またカンタス航空とニュージーランド航空の場合には路線によりブリティッシュ・エアウェイズの乗務員が運航していたこととロンドン・ヒースロー空港での整備の関係であった。
サウジアラビア航空とニュージーランド航空はその後に-400以降のエンジンをCF6-80C2B1Fへ切り替えた。例外はマレーシア航空の747-236Bの2機で、RB211-524を装備している。もともとはブリティッシュ・エアウェイズ向けとして製造されたものの、キャンセルで一年以上もボーイング社で保管していた。マレーシア航空はこれを格安で購入。初の747としてクアラルンプールから欧州へのフライトに備えていた。日本に寄航したのはそれから10年以上後で、ロサンゼルス線寄港便に使用していたが、現在[いつ?]は貨物専用機へ改造された。
そして日本航空が1983年に導入した3機の-200B型は、より自重の重い-300型に搭載されているJT9D-7R4G2を搭載している。また追加の燃料タンクを搭載し最大離陸重量を引き上げることによって航続距離を11,000km以上に延長。軽量な-200Bのボディにパワーの大きい-300のエンジンを組み合わせることにより、-SP型並みの性能を得ている。これにより日本航空は、当時最大のライバルだったパンアメリカン航空の東京 - ニューヨーク直行路線(パンナムは-100SPを使用していた)へよりキャパシティの大きい-200B型を投入し、巻き返しを図ることに成功した。なおその後、同型の仕様機をノースウエスト航空やユナイテッド航空も導入している。
747-300登場後の1984年 - 1986年には就航中の747-200Bのアッパーデッキを-300同様に延長する改造工事がKLMの10機とUTAフランス航空の2機に施工され、-200B/SUDという型式を得ている。
これらの-200Bは、-400の出現などで-200BSF(貨物改造機)への転用改造やチャーター会社への売却が増えており、たとえばアトラス航空ではこれらの中古旅客機を購入して貨物機へ改造することも積極的に進めている。このような中古機は老朽化が進み、耐空時間の面でも余裕が少ないという見方も強いことから、残された寿命もそれほど長くはないとも言われているが、タイのオリエント・タイ航空やプーケット航空などの新興航空会社が、このような中古の747-200Bを積極的に導入しているほか、ヨーロッパ、米国などへのチャーター便を運航する航空会社も導入しているため、今後しばらくは運用が続くとする見方もある。
2005年現在、保管中の747-200Bは、ピナルカウンティ、マラーナ飛行場(アリゾナ州)とラスベガス・マッカラン国際空港(ネバダ州)などで合わせるとおよそ30機ほどある。
1969年にルフトハンザ航空の発注により開発された貨物型の機体で、機首部のコクピット前方にヒンジを持つバイザー式貨物扉を装備し、床面に動力式のローディングシステムを装備し、貨物の搭降載作業を簡略化出来るよう改造されている。バイザー式貨物扉および動力式のローディングシステムは以降の各貨物型へと引き継がれる。なお、日本貨物航空が受領したJA8194号機は747クラシックの最終号機でもある。
一方アメリカではパンアメリカン航空、ノースウエスト航空、フライング・タイガー・ライン(1989年、フェデックスに買収された)がこれを採用してきた。現在ではノースウエスト航空、アトラス航空、ポーラーエアカーゴ、UPS、カリッタ・エアが純貨物機または貨物改造機を飛ばしている。日本では、かつてフライング・タイガーが成田、伊丹の他アメリカ軍横田基地などといったアメリカ軍関連輸送にも従事していたことも有名であった。
アジアでは大韓航空(コリアン・エアカーゴ部門)、中国国際航空、チャイナエアライン、キャセイ・パシフィック航空(ブリティッシュ・エアウェイズからの購入機から始まった)、シンガポール航空(9V-SKQのみであとは全て-400貨物型)、サウジアラビア航空が導入している。
日本では日本航空・日本貨物航空が採用した。当時の日本航空の機材にはパンアメリカン航空からの購入機が2機あり、JA8160とJA8165が該当していた。ただし、両者とも747-400F型への置き換えにより、国外に売却された。
日本航空が運航していたJA8132など、ごくわずかながらサイドカーゴドアを備えていない機体が存在する。
ワールド・エアウェイズが最初に導入した機体で、貨物・旅客または客貨混合輸送も可能としたいわゆるコンバーチブル機である。機首部にはバイザー式貨物扉やサイドカーゴドアも装備している。生産した機体はそれほど多くはなく、他にはヴァリグブラジル航空や南アフリカ航空などである。
747SPにおける設計変更から副次的にエリアルールの効果を得た経験を受け、-200型の2階部分を後方に延長したモデル。空気抵抗の増加が少ない割りに座席数を大幅に増やせるため、航空会社に広く受け入れられた。一部の航空会社では、-100型や-200型を改造して-300型のような胴体にしたところもある。このような機体は -100/SUD、-200/SUD(Stretched Upper Deck)と呼ばれ、-300とは区別される。
1982年に初号機がロールアウトした後に、スイス航空へ納入された。後にシンガポール航空、UTA(UTA、現エールフランス)、日本航空、南アフリカ航空、キャセイパシフィック航空、ヴァリグ・ブラジル航空、マレーシア航空、サベナ・ベルギー航空等へ納入された。アメリカの航空会社からのオーダーはなかった。
エア・インディアが保有している(かつてタイ国際航空とヴァリグ・ブラジル航空も保有していた)747-300型は、B747クラシックとしては最後期に生産された機体ということもあって-400と同様のフェアリングに変更されている。また747クラシックの特徴であった主翼端のHF帯アンテナも無く(-400と同様に垂直尾翼に移設されている)、エンジンも-400と同じGE社のCF6-80C2を搭載しているため、窓等一部違いはあれど外見上は747-400D型と区別が付かない。このエア・インディアの747-300は、かつて成田空港に定期便として就航していた。また、エア・インディアの同型機は貨客混載機(コンビ型)でもある。このコンビ型はシンガポール航空やKLMオランダ航空でも使用されていた。
1988年にSR-100型の後継機として日本航空に納入された機体。2階席部分の客室が延ばされたために当時としては世界最大の座席数が設定された。この-300SRは世界でも4機しか生産されておらず、導入した航空会社も世界中で日本航空のみである(その後系列会社のJALウェイズも使用している)。
前述の-100B/SUDと併せて「SR-SUD」と呼ばれることもあった。 機体そのものは-300型だが、日本国内での特殊な運航事情に合わせ-SR100型や後継機の-400D型と同じくボディ補強が施されている。そのため、ベースとなった-300型に比べて機体の自重が重い。
エンジンは、ベースとなった-300と同じJT9D-7R4G2エンジンを搭載する。 そのため、国際線仕様機への改造(最大離陸重量の引き上げ、内装の一部改修等)を施せば中・長距離路線へ投入が可能である。
納入直後からSR-100型のより直接的な後継機となる-400Dの納入が開始されたため、-300SR型は全て中長距離路線就航に合わせた改修を受け、日本 - ホノルル線などで活躍し、2009年7月24日の那覇発東京行JL3946便(機体番号JA8183)をもって有償飛行を終え、日本航空から引退した。
-300型までの、いわゆる「747クラシック」の後継機として新世代の技術を投入し開発されたモデルで「ハイテクジャンボ」と呼ばれる。航空機関士を要しない2人乗務が可能となった等で在来型から劇的な進化を遂げた型式である。
外観は-300と比べウィングレットくらいしか大きな相違点がないため(-400Dを除く)、-300も導入していた各航空会社では新型機と印象付けるためもあり、日本航空では「スカイクルーザー」、全日空では「テクノジャンボ」、シンガポール航空では「Megatop」などの愛称が付けられた。なお貨物型の2階部分は―100や―200と同様の形となっている。
1989年にノースウェスト航空が運航を開始し、その後日本航空やシンガポール航空、キャセイパシフィック航空やヴァリグ・ブラジル航空、全日本空輸やノースウエスト航空など世界各国の航空会社に導入された。
さらにその後貨物型の-400Fや貨客混載型の-400コンビ、航続距離延長型の-400ER、日本国内線専用の-400Dなどが開発され、ボーイング747ファミリーの中では最多の生産数となる633機を記録した。2009年9月をもって生産終了をした。現在は貨物型に改修された-400が多く飛んでいる。
747シリーズの最終モデルである。-400の後継機として787に似た主翼そして同じエンジンを装備し、わずかに胴体を延長した747の最新モデル。旅客型の-8ICと貨物型の-8Fがある。
747としては初めて旅客型より貨物型の受注が先行した型式である。777-300とエアバスA380との中間程度のキャパシティを持つ機体となった。その容量を生かした内装を施されているが、787に装備された旅客型の客室内加湿システムは導入されていない。
2017年7月30日、B747-8Iの最後の引き渡しが大韓航空へ行われた。機体記号は HL7644。 このHL7644が最後に製造されたB747シリーズの旅客機となった。
2023年1月31日、先述の通りB747-8Fの最後の引き渡しがアトラス航空へ行われ、すべての747の製造・引き渡しが完了した。
項目\機種 | 747-100 (初期型) | 747-400ER | 747-8 (最新型) |
---|---|---|---|
全長 | 70.6 m | 70.6 m | 76.4 m |
全幅(翼端) | 59.6 m | 64.4 m | 68.5 m |
全高 | 19.3 m | 19.4 m | 19.5 m |
胴体幅 | 縦 7.85 m ,横 6.49 m | ||
内部キャビン幅 | 6.1 m | ||
翼面積 | 511 m2 | 541 m2 | |
空虚重量 | 162.4 t | 180.8 t | |
最大離陸重量 | 333.4 t | 412.8 t | 440t |
巡航速度 | M0.84 | M0.855 (913 km/h) | 旅客 M0.855 貨物 M0.845 |
航続距離 | 9,800 km | 14,205 km (ニューヨーク - 香港) | 旅客 14,815 km 貨物 8,275 km |
貨物容量 | 170.6 m3 (5 パレット + 14 LD1コンテナ) | 158.6 m3 または 137 m3 | 旅客 161.5 m3 貨物 854.3 m3 |
エンジン | P&W社 JT9D型 | GE社 CF6-80C2B1F型 P&W社 PW4056型 | GE社 GEnx-2B67型 |
推力 | 209 kN × 4基 | 281.57 kN = 63,300 lb(PW4062型) 276.23 kN = 62,100 lb(CF6-80C2B5F型) | 66,500 lb |
乗員 | 3名 | 2名 | 2名 |
乗客(基本) | 3クラス 366名 2クラス 452名 | 3クラス 416名 2クラス 524名 | 3クラス 467名 |
座席数導入例 | JAL国内線-100B退役 563(25+538) | - | - |
service life(限界機齢)は、20年程度として設計されている。747LR(国際線用)の場合、総飛行時間が6万時間、離着陸回数は20,000回(SRはより強化)となる。
747-100シリーズ 総生産機数:205機
747SP 総生産機数:45機
747-200シリーズ 総生産機数:393機
747-300シリーズ 総生産機数:81機
747-400シリーズ 総生産機数:694機
詳しい最新の情報は次のページを参照。
List of Boeing 747 operators(英語)
国旗 | 航空会社名 | B747-400 | B747-8I | 合計 |
---|---|---|---|---|
ルフトハンザドイツ航空 | 8 | 19 | 32 | |
大韓航空 | 10 | 10 | ||
ロシア航空 | 9 | 9 | ||
中国国際航空 | 2 | 6 | 8 | |
アトラス航空 | 5 | 4 | ||
マックス・エア | 3 | 3 | ||
イラク航空 | 2 | 2 | ||
マーハーン航空 | 2 | |||
合計 | 46 | 35 | 69 |
B747-200F
ヨーロッパ
オセアニア
政府等
イラン
・EP-SIH
元イラン空軍5-8113でサハエアEP-SHBで一度退役したがまた再度サハエアに登録された
モルドバ
・4L-GEO
GEO skyが持っている747-200F。元ザ・カーゴ・エアラインの機体で登録記号が今の所有会社と同じ。
機種 | シリアルナンバー | 機体番号 | 保存場所 | |
---|---|---|---|---|
747-121 | 20235/1 | N7470 | ワシントン州シアトル、Museum of flight | 1969年に作られたプロトタイプ機。カスタマーコードはパンアメリカン航空のものになっているが実際に引き渡されたことはなく、90年代までボーイング社所有の試験機として使用された。 |
747-121 | 19641/7 | N691UP | 中華人民共和国、上海近郊 | 1970年に作られ、パンアメリカン航空でN743PA (Clipper Flying Cloud)として運用。2010年にUPS航空から引退後、分割され上海に移動。さらに2020年に別の場所に移動。 |
747-132 | 19896/19 | N481EV | オレゴン州、エバーグリーン航空宇宙博物館 | 1970年に作られ、デルタ航空で運用。 |
747-121 | 19650/24 | S2-AFA | マレーシア、ジョホールバル近郊ケンパス | 1970年に作られ、パンアメリカン航空でN743PA (Clipper Black Sea)として運用。2018年に分割の上現在地に移動。 |
747-121 | 19651/25 | N747GE | アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館 | 1970年に作られ、パンアメリカン航空でN744PA(Clipper Ocean Spray)として運用。1991年のパンアメリカン航空の破産後ゼネラル・エレクトリック社に購入されエンジン試験機として2018年まで稼働した。 |
747-123 | 20107/86 | N905NA | テキサス州ヒューストン、ジョンソン宇宙センター | 1970年に作られ、アメリカン航空で運用。1974年にNASAに売却され、シャトル輸送機として2011年のスペースシャトル退役まで稼働。 |
747-244B | 20239/160 | ZS-SAN | 南アフリカ、ヨハネスブルク、ランド空港 | |
747-246B | 20529/192 | HS-UTB | タイ、ナコン | 元日本航空のJA8113。大学施設として使用。 |
747-128 | 20541/200 | F-BPVJ | フランス、パリ、ル・ブルジェ航空宇宙博物館 | |
747-212B | 20712/218 | N485EV | ロードアイランド州 | エアフォースワン・エクスペリエンスとしてエアフォースワン風に改装され主権者教育に使用されている。JT9D搭載なので実物との判別は容易。ニューヨーク州への移動予定がある。 |
747SR-46 | 20781/221 | N911NA | カリフォルニア州パームデール ジョーデイヴィスヘリテージパーク | 747SRの初号機、JA8117であった。JAL123便事故の影響で早期にJALを離れ、シャトル輸送機として2011年まで運用。 |
747-2B5B | 20770/213 | HL7463 | 韓国、済州、靜石航空博物館 | 大韓航空の747初号機。 |
747-212B | 21162/283 | 3D-NEE | スウェーデン、ストックホルム | シンガポール航空に1976年引き渡し。以降パンアメリカン航空、キャセイパシフィック航空などを経て、ノースイースト航空で運用。その破産後、ホテル「ジャンボステイ」として利用。 |
747SP-44 | 21134/288 | ZS-SPC | 南アフリカ、ヨハネスブルク、ランド空港 | |
747-236B | 21239/302 | G-BDXB | 中華人民共和国、厦門、厦門大学 | ブリティッシュエアウェイズの747-200の中で唯一現行塗装になった機体である。2001年より現在地で教育用に保存。 |
747-206B(SUD) | 21549/336 | PH-BUK | オランダ、レリスタット空港 | KLMで運用されていた747-206Bであるが、稀有な一度ショートアッパーデッキとして製造されたのちアッパーデッキを延長した機体である。Louis Blériotという愛称がある。 |
747-230M | 21588/342 | D-ABYM | ドイツ・ラインラント=プファルツ州シュパイアー、シュパイアー技術博物館 | ルフトハンザ航空で1978年から2001年まで運用。Schleswig-Holsteinという愛称がある。 |
747-2J9F | 21514/343 | EP-ICC | イラン、テヘラン航空展示場 | イラン革命前に購入されたイラン航空発注の747-200F。 |
747-238B | 22145/410 | VH-EBQ | オーストラリア、ロングリーチ、Qantas Founders Outback Museum | |
747-146B | 22067/427 | 5U-ACG | マレーシア、ジョホールバル近郊ケンパス | 元日本航空のJA8143。 |
747-236B | 21831/440 | G-BDXJ | イギリス、ダンスフォールド空港 | 元ブリティッシュエアウェイズ。映画『007 カジノ・ロワイヤル』の撮影に用いられた機体で、撮影のためエンジンが独特の形状のものになっているが、2020年現在4基のRB211が運び込まれていて、近い将来元の形に復元される可能性がある。 |
747-212B | 21942/471 | N642NW | 千葉県山武郡芝山町 航空科学博物館 | 機首部分(セクション41)を展示。 |
747-246B | 22479/496 | HS-UTR | タイ、カセチャイ農場 | JALグループ最後の747-200Bだった。 |
747-338 | 23223/606 | VH-EBU | オーストラリア、ヴィクトリア州アヴァロン空港 | |
747-451 | 23719/696 | N661US | ジョージア州アトランタ デルタ航空博物館 | 747-400の初号機。ノースウエスト航空に引き渡されたのち、ノースウエスト航空を吸収合併したデルタ航空で運用された。 |
747-438 | 24354/731 | VH-OJA | オーストラリア、ニューサウスウェールズ州、シェルハーバー空港 | 商業飛行世界最長記録を樹立。シティ・オブ・キャンベラの項を参照。 |
747-436 | 27090/959 | G-BNLY | イギリス、ダンスフォールド空港 | 元ブリティッシュエアウェイズ。2019年に落成時のLandor塗装に復刻されたが、COVID-19の影響で早期に退役。 |
747-436 | 25823/1195 | G-BYGC | イギリス、セントアサン空港 | 元ブリティッシュエアウェイズ。2019年にBOAC塗装になったが、COVID-19の影響で早期に退役。 |
747-436 | 25811/1018 | G-CIVB | イギリス、コッツウォルズ空港 | 元ブリティッシュエアウェイズ。2019年にNegus塗装になったが、COVID-19の影響で早期に退役。 |
747-436 | 25822/1157 | G-CIVW | イギリス、ダンスフォールド空港 | 元ブリティッシュエアウェイズ。COVID-19の影響で早期に退役。 |
B747は製造数が多いこともあり、多くの航空事故に遭遇している。設計上の欠陥による事故は少なく、操縦ミスや不適切な修理や整備による事故やテロリストによる事件が多い。機体の経年化による事故も起き始めている。
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