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同局をキー局にJRN 系各局でも放送されていた。 『コサキンDEワァオ!』は1994年 10月から使用された番組タイトルだが(後述 )、当記事ではそれ以前にTBSラジオにて小堺と関根(コサキン )がパーソナリティを務めた同じ趣旨の番組についても記述する。
番組変遷
放送時間はTBSラジオでのもの。元々は生放送 であったが、1990年代 以降は録音 放送が増えだし、2000年代 には撮って出し方式による録音が基本となった。末期は公式サイト上で、火曜 がハガキ・電子メールの締切である旨を告知していた。
夜はともだち コサラビ絶好調! 1981年10月 - 1982年9月30日、木曜21時40 - 23時55分→1982年4月から21時10分 - 23時50分、全51回 後に関連書籍で取り上げられる際、『夜はともだち 絶好調!』と表記される。 るんるんナイト コサラビワオ! 1982年10月7日 - 1983年10月6日、木曜21時 - 23時40分、全53回 後に関連書籍で取り上げられる際、『るんるんナイト ワオ!』と表記される。 この時期まではコサラビ名義での出演だった。 NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルス電リク60分 1983年10月7日 - 1984年4月6日、土曜(金曜深夜)0時 - 1時、全27回 NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー 1984年4月14日 - 1985年10月3日、火 - 日曜(月 - 土曜深夜)0時 - 1時、全78回 1985年4月6日放送分まで土曜日、4月11日放送分から最終回まで木曜日を担当。 コサキンワールド なんでもねぇんだよゲベロッチョ 1985年10月7日 - 1986年4月4日、月 - 金曜23時10分 - 23時25分、『所ジョージの進め!おもしろバホバホ隊 』内、全125回 コサキンシリーズでは唯一の箱番組。スケジュールの都合上、週5日分を貯め録りした録音放送だったが、第1回のみ生放送で行われ、所との掛け合いを見せた。実際のタイトルコールは上記のとおりで、その後、関連書籍(コサキン本)等で活字にされる際は『コサキンワールド』の表記が多く用いられている。鶴間は『バホバホ隊』の構成を担当していた。 スーパーギャング -コサキン無理矢理100%- 1986年4月9日 - 1991年10月2日、木曜(水曜深夜)1時 - 3時、1991年7月3日から木曜(水曜深夜)1時 - 2時、全285回 初の全国ネットに昇格。番組タイトルの由来は、『大橋照子 のラジオはアメリカン 』が斉藤洋美 へ交代が決まり、番組名変更が検討された際に没案のひとつであった『ラジアメ100%』からフレーズを流用した、と斉藤がゲスト出演した際に鶴間自身が述べており、この頃から番組タイトルに鶴間の意向が強く絡むようになる。『コサキンのスーパーギャング』と表記される場合がある。 コサキン増刊号 1989年4月15日 - 1991年10月5日、日曜(土曜深夜)0時 - 1時、全130回 「1週2番組」の構成となる。『増刊号』だけに、"本編"の『無理矢理100%』とは異なった構成で「意味ねぇワールド」を展開。コサキンソングのベスト5投票やセミレギュラー佐野量子 のトークコーナー等があった。また、番組終了まで続けられた「意味ねぇコント」は『増刊号』からのものである。『無理矢理100%』は基本生放送で、『増刊号』は録音だった。初期の番組スポンサーは、青年漫画雑誌『ヤングチャンピオン 』(秋田書店 )だった。 コサキンシリーズの通算放送回数には、『増刊号』での放送回数もカウントされた。同番組も開始半年後の10月15日 放送分より全国ネット。本編と比べて、多くのネット局が存在していた一方、本編ネット局の一部では放送されなかった。 コサキン快傑アドレナリン 1991年10月12日 - 1994年10月8日、日曜(土曜深夜)0時 - 1時30分 1992年4月11日から0時 - 2時、全157回 『スーパーギャング』の降板を受けて、「1週1番組」制に戻る。 コサキンDEワァオ! 1994年10月15日 - 1995年4月1日、土曜18時 - 19時、全23回 大相撲開催時、15分間の実況ダイジェスト番組『まった無し!大相撲 』が放送されるため、18時45分までの短縮放送。 従来、深夜放送 であったが、当時のプロデューサーがコサキンを編成に組み込むのを忘れ、夕方 の時間帯に移動。関東ローカル の放送となり、聴取率は低迷。シリーズ終了を危惧された「暗黒時代」とされるが、「ワァオ!」のタイトルは現在まで約30年使われている。 恋する電リクBINGO BONGO フライデースペシャル コサキンDEワァオ! 1995年4月14日 - 1995年10月6日、金曜21時 - 22時55分、全25回 大相撲開催時、『まった無し!大相撲』放送により、21時15分からの放送。 帯番組 『恋する電リク~』はリクエスト主体の番組だったが、おおよそ従来通りの番組内容だった。しかし、プロ野球 シーズンのため開始時間が遅れることも多く、9月1日 は放送休止となった。 木曜UP'S コサキンDEワァオ! 1995年10月12日 - 1997年4月3日、金曜(木曜深夜)1時 - 3時、全78回 『コサキンのUP'S』とも表記。深夜枠、全国ネットへ1年振りに復帰。 水曜UP'S コサキンDEワァオ! 1997年4月9日 - 2000年3月29日、木曜(水曜深夜)1時30分 - 3時、1997年10月8日から木曜(水曜深夜)1時 - 3時、全156回 先述同様、『コサキンのUP'S』とも表記。この頃までは生放送 を行っていた。 コサキンDEワァオ! 2000年4月5日 - 2002年3月27日、木曜(水曜深夜)1時 - 3時、全104回 『UP'S』と同じ時間帯ではあるが、この時期は各曜日が単独番組の扱いで上記タイトルで放送していた。 水曜Junk コサキンDEワァオ! 2002年4月3日 - 2004年9月22日、木曜(水曜深夜)1時 - 3時、全130回 放送枠『Junk』スタートに伴い、上記タイトルに。 コサキンDEワァオ! 2004年10月2日 - 2009年3月28日、日曜(土曜深夜)0時 - 1時、全233回 土曜24時台に移動。 令和に復活! コサキンDEワァオ! 特別番組時代。詳細は後述 。 コサキン ポッドキャストDEワァオ! 2023年4月7日 - 金曜日18時配信開始、原則30分間 ラジオからポッドキャスト に媒体を移行した上でレギュラー復活。 2023年10月より、一部放送局で30分枠に収まるように再編集した地上波版が放送されている。 概要
他のラジオバラエティの例に漏れず、リスナー からのはがき (ないしは電子メール )とパーソナリティのフリートーク中心で構成されるが、「意味ねぇ〜 」のキャッチフレーズに代表される独特の世界観を作り上げてきた(後述 )。
1981年 10月8日 に放送開始の長寿番組 だが、当初は当時月〜金の帯番組 『夜はともだち 』を担当予定だった松宮一彦 (TBSアナウンサー (当時))が、木曜日に生放送のテレビ番組のレギュラー(『ザ・ベストテン 』の中継リポーター「追っかけマン」)が入ったことによるピンチヒッターとしてのスタートだった。そのため、初期の番組表には松宮の名前だけがそのまま入っていた。翌1982年 1月に、正式にレギュラー昇格した(以後、放送年月日の記述はすべてTBSラジオでの放送日)。
開始当時のタイトルは、小堺の苗字と関根の当時の芸名「ラビット関根」からつけたコンビ名「コサラビ (Kosarabi )」を冠し、『夜はともだち コサラビ絶好調! 』となった。
放送時間と番組名はたびたび変わっている(前述 )。タイトルに「コサキン」を冠するようになったのは、1985年 10月7日 開始の『コサキンワールドなんでもねぇんだよゲベロッチョ 』。シリーズ終了まで使われた『コサキンDEワァオ! 』の名前を冠するようになったのは1994年 10月15日 放送分から。『ワァオ!』の由来は、西郷輝彦 の楽曲「真夏のあらし 」の歌詞にある「この恋は「ワァオ!」 」からきている。(なお、間の「DE」は、「パンチDEデート 」というテレビ番組名が由来。)
元々は生放送だったが、二人のスケジュールが多忙になったことから、シリーズ後半は事前に収録したもの(原則として撮って出し 形式)を放送していた。
2002年7月から2003年3月まではスカイパーフェクTV!2(現在のスカパー!e2 )のC-TBSウェルカムチャンネル でも、スタジオ風景の映像を含めて放送されており、番組のダイジェスト版が毎週インターネット配信されていた。
1996年 8月22日 放送分で放送1000回、2006年 4月1日 放送分で放送1500回、2006年10月6日 放送分で放送開始から25周年を迎えた。
2009年 2月7日放送分で、同年3月いっぱいで終了することを発表。
3月22日 に赤坂サカス で記念の公開イベントが開催された。最終回で放送するイベントの録音も兼ねており、番組とゆかりのある「ずん 」や水木一郎 、冠二郎 、イワイガワ などゲストが出演した他、終了後は来場者がコサキンの2人といつも番組製作に携わっていた鶴間政行 、有川周一 らとハイタッチ をする「ふれあいイベント」で幕を閉じた。抽選による事前申し込みのリスナー100名を含め、1500人以上が詰め掛ける盛況で二人によるアンコール後もファンは一向に帰らず、鶴間が「コサキン以外に人生の楽しみを見つけて下さい」と挨拶、ようやく幕を閉じた。最終回(通算1655回)は翌週3月28日 土曜日(TBSラジオ)放送分となった。
レギュラー番組終了後は、当番組と同じテイストのテレビ番組が放送され(後述 )、2020年1月3日に特別番組『令和に復活♡ぼくたち『コサキンDEワァオ!』です、ワァオ!』として約11年ぶりにラジオでのコサキンが復活した。2023年4月7日からは、ポッドキャスト での配信としてレギュラー番組が再開した。
出演者
パーソナリティ 詳細は個人の記事を参照のこと。ここでは当番組特有のキャラクター付けについて補足する。
小堺一機 番組での愛称は「ムックン 」。番組当初、曲をかける際に小堺がダジャレを交えた無理矢理な曲名紹介をしていたことから、「無理矢理くん」を経て「ムックン」になった。この愛称は、構成作家の有川周一がリスナー時代に投稿して採用されたものである。小堺の名前に因んだニックネームでもなく、当番組以外で使われる事もないため、新参リスナーから「なぜムックンなのですか?」という質問の葉書が年に数回のペースで送られ、その度に小堺が由来を説明していた。 番組内では主に、「服やDVDをすぐ買ってしまう」「同じDVDを必ず二度買ってしまう」「女性にモテる」「ベテランなのにかわいい」「金持ちの一流芸能人」というキャラクター(すべて実話に基づいている)である。 番組の進行役であり、リスナーからの投稿を読むのは主に彼が担当している(ライルの遠吠えは関根)。だが、漢字、特にプロ野球選手の名前に関しては、自身が興味がないこともあり、読み間違いが多い。過去に「たかぎとようちやしゅ (高木豊 内野手)」、「のしげ (野茂英雄 )」などと誤読、関根に笑われたり、リスナーにネタにされたりした。リスナーからの投稿がツボに入ると、笑いすぎて読めなくなることもあった。 勝手な妄想・毒舌トークに走る関根へのツッコミ役でもあるが、時折関根と一緒になって暴走する場合もあった。 関根勤 番組での愛称は「ラビー 」。由来は旧芸名のラビット関根(1983年 10月6日 放送分までこの名義で出演)。芸名をラビット関根から関根勤に改称した際、本人が、「沢田研二 がジュリーと呼ばれているように、僕もニックネームとしてラビーを残したい」と発言した事に由来する。番組内では主に、「愛犬家」「ゴルフクラブをすぐに買ってしまう」「女人評論家(または女人鑑定世界第2位)」「女性にモテない」「妻や娘に話を聞いてもらえない」「恋愛はすべて受身」「人の名前を思い出せない」など、実話に基づいたキャラクターかつ「裏関根」を全開にした妄想・おバカトークを繰り広げており、リスナーの投稿や出演者(主に小堺や有川)に対して茶々を入れる役も担っていた。 最終回では「他でウケなくても、この番組が糧になっていた。この番組がなかったら、芸能界を引退して似顔絵描きをしていたかもしれない」という趣旨のコメントを残している。 構成作家 鶴間政行 、有川周一 、舘川範雄 、楠野一郎
鶴間は番組開始当初からの構成作家で、番組構成のほか、コサキンのトークの相槌を打ったり、コサキンおよびリスナーがトークやネタで暴走した場合に流れを元に戻したりする「影の進行役」も担っていた。
有川・舘川・楠野は番組常連リスナー(ハガキ職人 )を経て、スタッフ入りしている。ヘビーリスナーと呼ばれる古くからのリスナーは、構成作家陣(特に有川・舘川・楠野)を彼らの頭文字から「アタック隊」と称していた。
本来、芸能人がメインとなるラジオ番組では構成作家がスタジオに同席することはあっても、あくまで裏方であり、放送中に喋ることすら珍しいが、コサキンのラジオ番組では構成作家たちも本業とは別に、ほとんど番組のレギュラー『出演者』と化していた。オープニングでは小堺、関根に続いて自己紹介するほか、放送中にリアクションをとったり、コサキンの2人に振られてしゃべったりしていた。有川個人やアタック隊をメインにしたコーナー、企画も存在していた。
ネット局
「コサキン ポッドキャストDEワァオ!」配信・放送局 配信・放送局 放送時間 放送期間など TBSラジオ 金曜 18:00更新 制作局 各種ポッドキャストサービスで配信 北日本放送 水曜 21:30-22:00 2023年10月11日放送開始 青森放送 金曜 21:00-21:30 2023年10月13日放送開始
「コサキンDEワァオ!」番組終了時のネット局 放送局 放送時間 放送期間など TBSラジオ 土曜 24:00-25:00 制作局 北海道放送 日曜 25:00-26:00 1995年10月から終了まで(『UP's』から『JUNK』時代より引き続き) 『スーパーギャング』1986年4月から1991年9月 『増刊号』1989年秋から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 山形放送 日曜 21:00-22:00 2004年秋から2005年秋、2007年秋から2008年春 2008年秋から終了まで 信越放送 土曜 21:00-22:00 2007年秋から最終月(ナイター オフシーズン(概ね10月-3月)限定) (最終回は放送されなかった) 山梨放送 月曜 20:00-21:00 2007年春から終了まで 『増刊号』1990年春から1991年秋 『快傑アドレナリン』1991年秋から1993年春、1993年秋から1994年秋 静岡放送 水曜 21:00-22:00 2005年春から終了まで(放送時間は度々変えられていた) 北陸放送 日曜 23:00-24:00 2005年秋から2006年春、2006年秋から終了まで 北日本放送 日曜 22:00-23:00 2004年春から終了まで 『増刊号』1989年秋から1991年秋 『快傑アドレナリン』全期間) 福井放送 月曜 20:00-21:00 2007年春から終了まで 和歌山放送 日曜 22:30-23:30 2007年秋から最終月(最終回は放送されなかった) 山陽放送 火曜 23:00-24:00 1995年10月から1997年9月(『UP's』時代)、2007年春から終了まで 『増刊号』1989年秋から1990年春 『スーパーギャング』1986年春から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 南海放送 月曜 21:00-22:00 2008年秋から2009年春 『増刊号』1989年秋から1990年春 高知放送 日曜 23:00-24:00 2007年秋から終了まで 『増刊号』1990年春から1991年秋 『快傑アドレナリン』1993年春から1994年秋 長崎放送 土曜 20:00-21:00 2006年秋から終了まで(ナイターオフシーズン限定) 『増刊号』1989年秋から1991年秋 琉球放送 土曜 25:00-26:00 1995年10月から2004年9月(『UP's』から『JUNK』時代)、2005年春から終了まで 『スーパーギャング』1986年4月から1987年4月、1989年10月から1991年9月
過去のネット局 放送局 放送期間など C-TBS ウェルカムチャンネル 『JUNK』時代の2002年7月(開局時)から2003年3月(土曜 21:00-23:00 他、週5回の再放送あり) 青森放送 『増刊号』1989年秋から1990年春頃 秋田放送 『増刊号』1989年秋から1991年秋頃、『快傑アドレナリン』全期間 ラジオ福島 『増刊号』1989年秋から1990年頃、『快傑アドレナリン』1994年春から秋 中部日本放送 2004年秋から2005年秋、『増刊号』1989年10月から1990年3月、同年10月から1991年3月 朝日放送 『スーパーギャング』1989年10月11日から1991年9月25日 中国放送 2005年春から2006年春 山口放送 『快傑アドレナリン』1993年秋から1994年秋 四国放送 『増刊号』の一時期のみ RKB毎日放送 1995年10月から2004年9月(『UP's』から『JUNK』時代) 『スーパーギャング』1986年4月から1991年秋 『増刊号』1989年秋から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 熊本放送 『増刊号』の一時期のみ 宮崎放送 『増刊号』の一時期のみ
ネタの傾向〜意味ねぇ、くだらねぇ〜
『コサキンDEワァオ!』の番組テーマとも言えるキーワードは「意味ねぇ、くだらねぇ 」。文字通り、ネタそのものの常識から逸脱した意味のなさ、くだらなさ をもって笑いの基本としている。
代表的な「意味ねぇ」ネタとして、コサキンを含む有名人に対して「意味ねぇキャラクター付け」をしたものが挙げられるが、ネタの対象となる人物が起こした出来事を勝手な解釈で誇張したもの、もしくは当人のイメージとは正反対のキャラクターをでっちあげたものばかりで、ほとんどが"言いがかり"である。しかし、カツラ疑惑の人物を指す「小熊ちゃん」といった、一部には深い意味を想像させるネタもあった。
特に大物時代劇俳優(里見浩太朗 、加藤剛 、高橋英樹 、平幹二朗 、北大路欣也 、伊吹吾郎 、あおい輝彦 、西郷輝彦 、滝田栄 など)や水野晴郎 らを女性アイドルのように扱うネタや、宇津井健 を題材にしたネタは、番組初期から最末期まで定番の投稿ネタとして扱われ続けた。
コサキンによるフリートークや投稿に対するコメントも、「中学二年生男子の放課後の雑談 」と例えられるようなくだらなさや、テレビでは見せない「裏小堺・裏関根 」と言うべき毒舌、そして欽ちゃんファミリー としては稀な下ネタが混ざった内容となっていた。下ネタは直接的な名称・表現は避け、「意味ねぇ」比喩表現や番組独自の言い回しに置き換えることが多かった。
このような「意味ねぇ、くだらねぇ」ネタを扱う番組になったきっかけは、小堺と関根が『夜はともだち』の木曜日担当として番組を始めて間もない頃、ラジオ番組に不慣れな二人が迷走し、投稿ハガキも数枚程度しか届かなかったことにある。所属事務所の専務取締役(当時)である川岸咨鴻に強く叱責され、二人は番組を続けることがつらくなってしまった。そこで関根が小堺に「僕らは新人なので、自分から番組を辞めたいとは言えない。だから番組をクビになるようなことをしよう。一生懸命やったけどクビになりました、と言おう」と提案すると、小堺も同意した。そして後述のコサキンソングやくだらないネタ・トークを積極的に取り入れたところ、評判や投稿数が上向きになり、有数の長寿番組へと育つことになった。小堺と関根は番組の開始当初について、初代ディレクターの杉浦利重が「とりあえず好きにやらせよう」と二人を叱ることなく見守ってくれたことや、番組2年目からディレクターを務めた門脇覚が、初めは一般リスナーも取り入れる内容にするよう進言したものの、次第に「もっと『意味ねぇ』を攻めましょう」とコサキンを牽引する存在になってくれたことに感謝を示している。
番組の最後は、出演者・スタッフ全員で「パッホーン! 」と叫ぶのが恒例となっていた。これは『欽ちゃんのどこまでやるの!? 』でコサキンが「クロ子とグレ子」として演じていた時のギャグを流用したものである。このほかにも、当番組以外では通じない「意味ねぇ」用語・絶叫が多数存在していた。
主なコーナー
『コサキン ポッドキャストDEワァオ!』では以下のコーナーのうち、「コサキン情報局」「おはがき列島」の2コーナーで構成されており、さらに「情報局」はコサキンの2人のフリートーク(「おしゃべり情報局」に相当)とリスナーからのハガキ・メールの紹介(「おはがき情報局」に相当)で構成されるが、フリートークの盛り上がり具合に応じてそれのみに終始する場合もある。また、2023年9月配信分までは過去の放送音源を公開するコーナー「コサキンアーカイブ」もあった。
「コサキンDEワァオ!」終了時の主なコーナー 『欽グルス』以降は、「コサキンのフリートーク→情報局→リスナー参加型企画→CD大作戦、コント劇場等→おハガキ列島」の構成から大きく変更することなく進行していた。
投稿コーナーでは、面白かった作品にはコサキンや鶴間が「あげましょう」とコメントし、投稿者にTBSラジオの記念品や番組グッズなどが贈られた。2002年8月7日放送分からは、番組で採用された全ての作品の中から最も面白かったものに「MVA (Most Valuable あげましょう)」が授与され、受賞者にはコサキンのお宝グッズが贈られた。
ライルの遠吠え オープニングコーナー。関根が絶叫しながらリスナーのネタを読む。定番は「会話」や「人違い」など。「ライル」は関根が当時飼っていた愛犬の名前で、由来は以前の飼い主だった「飯尾 」の直訳「ライステイル」を縮めたもの。 コサキンおしゃべり情報局 コサキンの二人が主にその週に起こった出来事を報告する。時には舞台やイベント関係の告知も行う。回によっては、コーナータイトルを行った後に「情けに報いる局(つぼね)」と説明する。 コサキンおはがき情報局 リスナーから寄せられたハガキやメールを紹介する。小堺・関根が出演したイベントや番組の感想(という体での妄想による文章がほとんどで、イベント開催前に送られてくることすらあった)、写真ネタ(「意味ねぇ写真」、そっくりさんの写真)を取り扱うことが多い。 『欽グルス』時代から2005年10月までは、"おはがき"の部分が無い「コサキン情報局 」のタイトルだった。ゲストを招いた回では、このコーナーがゲストトークに充てられ、リスナーがゲストに関する細かな情報を投稿し、真偽を確かめることが恒例となっていた。 コサキンコント劇場(2004年10月以降は毎月第1週) 有川・舘川(かつては楠野も含む)の台本によるコントをコサキンらが演じる。過去に傑作コントの台本をまとめた本が4冊、同じくCDが7作発行された。 UP'S後期からJUNK以前までは、有川・舘川による寸劇、有川の週刊誌グラビア批評を行ってからコントが始まっていた。 意味ねぇCD大作戦 『欽ちゃんのドンといってみよう! 』のコーナーだった「レコード大作戦」と同内容。レコードやCDの音声を本来とは違うシチュエーションで、会話やフレーズに組み込む。 歌い方から歌手の人物像まで考慮されたネタが多く、このコーナーでコサキンを含む数多くの有名人にキャラクター付けが施された。 元々は『無理矢理100%』時代、おハガキ列島のお題として扱われていたが、好評だったことからレギュラーコーナーに昇格した。木曜UP'Sから水曜JUNKまでの間は、「初心者向けの前半戦」「上級者向けのマニアックな後半戦」の二部制に分けられていた。 小堺が投稿者名を読んだ後、関根が名前を短縮して読む「洗礼」を行う。この洗礼はCD大作戦のみで行われるが、他のコーナーでも「洗礼希望」と書かれている場合は、同じように名前を短縮して読む。 2000年3月15日放送分から水曜JUNKまでの間、有川が自身の近況を報告し、タイトルコールを行うのが一連の流れだった。 2017年4月18日放送『星野源のオールナイトニッポン 』にコサキンがゲストで登場。特別企画として「意味ねぇCD大作戦」が行われ、ジングルも『恋する電リク~』からJUNK時代までのものが使用された。 著作権の都合上ネットでの配信では扱えないコーナーであり、「コサキン40周年DEワァオ!」では会場限定のコーナーとなりオンライン配信では番組アーカイブ映像の配信に差し替え、『ポッドキャストDEワァオ!』でも媒体の関係からコーナーを行う事ができないと明言されている。 月刊浅井ニュース(2008年4月から、不定期) 浅井企画期待の若手を紹介するコーナー。紹介役はヘビーリスナーには「ニセ社長」として知られる、浅井企画専務の川岸咨鴻が務めた。 おハガキ列島 番組の最後に放送される、週ごとに定めたテーマに沿ったネタを紹介するコーナー。定番は「ベスト3」、「キャスティング(配役)」、「キャッチフレーズ 」、「絶対ある、絶対ない」など。いわゆる三段オチの場合が多い。リスナーからも「意味ねぇ結婚式」「意味ねぇ新番組」といったテーマを募り採用していた。テーマにもよるが、コーナーの終盤になると長文のネタが読まれる傾向があった。 これを頼んだらこれが出てきました 一人がこれを買ってきてと言ったら一人がこれが出てきました。というコーナー。例えばインド料理店で「朝丘雪路」くださいと言ったら、ナンが出てきた等。かつての「人まちがい」コーナーの「店員と客の会話」ネタを踏襲している。 コサキンWho's Who?(不定期) 意外な人物(例えばスポーツ選手や女優など)が歌った曲をその人名を伏せて放送し、誰が歌っていたのかの解答をリスナーから募集する。 コサキンSS大賞(不定期) SSとは「サウンドステッカー」の略で、コマーシャルの前後に流れる番組タイトルをかぶせた短い音楽のこと。放送局によってはジングル 、アタックなどとも称される。このSSに乗せる意味ねぇ会話や絶叫をリスナーから募集し、優秀作品は番組内で使用される。 コサキンバカ発言(上半期、下半期) その年のリスナーが印象に残った、普通いい年した大人がしゃべらないようなコサキンのバカ発言(関根の発言の方が多い)を番組に送ってもらうというコーナー。もともとはあるヘビーリスナーが、自発的に自らがばっかでぇ〜 と思うようなコサキンの発言(いわゆるバカ発言)の数々をセレクトし、それを封書にまとめて年に数回番組に送っていたのが始まりでコーナー化された。 このうち、情報局、おハガキ列島は『欽グルス 』時代から、CD大作戦、コント劇場は『無理矢理100%』『増刊号』時代から続いたコーナー。また、Who's Who?は『快傑アドレナリン』時代にも存在していた。SS大賞も10年以上続いた企画である。
終了時以前の長期にわたったコーナー コサキンNEWS WEEKLY→コサキン's EYE!→コサキン's レポート 番組冒頭のフリートークのコーナー。二人の近況や興味あることなど約20分語り合う。「コサキンおしゃべり情報局」とほぼ同内容。 意味ねぇベスト3→意味ねぇしりとり→コサキン用語辞典→コサキン人名辞典→コサキン新語辞典→コサキンことわざ辞典 リスナーからのネタ投稿コーナー。各企画ごとに形式はあるが、基本的に内容は何でもあり。しりとり以降は、毎週決められた頭文字から始まるネタを募集した。途中から辞典となっているが結局ベスト3ネタなどが寄せられていた。過去のコサキン本のほとんどは、これらのコーナーで採用されたネタで構成されている。 ラビーの絶叫コーナー 『欽グルス』時代から放送された、関根が進行役として投稿ハガキを読む唯一のコーナー。おハガキ列島の一部として、テーマ投稿の前にネタが紹介された。最初は「絶叫ベスト5」として「アメリカザリガニ よ、英語をしゃべれー!」といった意味ねぇ一言ネタを関根が絶叫していた。『無理矢理100%』以降は意味ねぇ会話ネタが主流となり、「人まちがい」「タクシーの運転手と客の会話」「店員と客の会話」などのシリーズが生まれた。『無理矢理100%』時代に終了するが、その後もおハガキ列島のテーマとして意味ねぇ会話が登場したり、「ライルの遠吠え」として企画が復活したりするなど、定番ネタのひとつとなっていた。 リスナーの電話参加企画 番組開始当初から電話によるリスナー参加型企画があり、様々なコーナーが放送された。リスナーが物まねを披露する企画とクイズ企画がほとんどで、初期には関根の演じる物まねを当てる「物まねクイズ・似てね〜!」という企画もあった。特に「意味ねーイントロ&曲当て(替え歌)クイズ」は、後述する関根が歌う意味ねぇ替え歌が多数登場し、人気を博した。後期は、最近の放送内容から出題する「クイズコサキン知ってれホン」 が長年放送されたが、2004年9月の同コーナー終了をもって電話参加企画も終了した。 浅井企画所属の若手芸人が出演したコーナー 『快傑アドレナリン』時代に、当時ピン芸人だったウド鈴木 がレギュラーコーナーを担当し、その後キャイ〜ン 、La.おかきがメインを務めるコーナーがそれぞれあった。それ以降は週替わりで若手芸人(あさりど 、エネルギー 、イワイガワ 、しゅく造め )がネタを披露する「コサキンヤング部」「コサキンヤング部24(ツー・フォー)劇場」が番組末期まで放送された。最末期には、前述の「月刊浅井ニュース」が不定期で放送された。『無理矢理100%』時代には「ルー大柴 のパックインミュージック 」「ラッキィ池田 の2時2時ダンス」といったコーナーもあったほか、当時浅井企画社員の五社勇や川岸咨鴻らがレギュラー出演したコーナーまであった。 コサキン本タイトルコーナー コサキン本発売のたびにタイトル案を募集するのだが、実際に発売された以降も「次回発行時のために」とタイトル案を募集し続けるコーナーに変化。当時すでにコサキンを離れていた構成作家の楠野一郎 をネタにした作品が多く、代表的なものには「LF 一郎 」「お台場一郎 」「反町クスノ 」「クスノ・ボンバイエ 」「レオナルド・ディカ・クスノ 」などがある。しかし、結局当初の目的であった本のタイトルについては「ポヨヨーン」「モレッ」等シンプルなタイトルに決定し、リスナーからのネタが採用されることは一度も無かった。とはいえ秀作も多かったことから、後にこの時のネタ作品だけを収録した「コサキン本タイトル集 クスノ」が発売されることになった。 鮪川鯛一(まぐろがわたいいち)のGoGo遊園地ツアー 鮪川鯛一とは、番組の構成を担当する有川周一 がサザエさん に出演したらこういう役名になるだろう、というリスナーのネタから生まれたキャラクター(魚偏をつけると有は鮪、周は鯛になる。命名は1990年 4月11日 放送分にて)。有川を遊園地 に連れて行き、ジェットコースター 等の絶叫マシン に乗せ、その怖がる様を鑑賞する企画が生まれ、以後、恒例となった。レイティング 週間によく行われ、有川への罰ゲーム として行われたこともあった。「ちっとも楽しくない〜!」「ジャ〜ジャ〜ジャ〜ジャ〜!」 「ウチ帰るよぉ〜!」「男! 結構、男!」 等、数多くの名言が生まれた。この企画での音声を下町兄弟 がリミックスしたものがCD『有川君の絶叫』として1995年 9月21日 に発売された(オリコン 最高位83位)。さらには映像を収録したDVDの発売や、有川の絶叫が携帯の着信音にもなるなどの拡がりを見せていた。 遊園地ツアーが行われる経緯として、小堺が『いただきます 』の放送を鹿児島で行うため、コサキンの収録も鹿児島から行うことになった。しかし、放送当日の天候が悪く、当日に移動した関根と有川が乗った飛行機が羽田空港へ引き返した。その際、飛行機が揺れ、有川の異様な怖がりが発覚。その日は鹿児島と東京からの二元放送を行う旨を告知する関根と、怖がっている有川の様子(その際、関根は有川に向かって「うるさいよ」と言っている)を録音したテープを放送したところ、リスナーに大受けした。その影響もあり、CD大作戦では有川の絶叫する模様がネタとして多用された。 最後のGoGo遊園地ツアーは、2006年 9月30日 の放送で漫画家の秋本治 から「富士急ハイランド の『ええじゃないか 』に乗って欲しい」と提案されたもので、有川が「富士急ハイランド行くぞ! 必ず行くぞ! 楽しみにしててね! 絶対裏切らないよ!」と番組内で約束した。2007年 4月7日 ・4月14日 の2週に渡って「GoGo遊園地ツアーin富士急ハイランド」が行われたが、秋本との約束であった肝心の「ええじゃないか」搭乗は、天候急変(みぞれ )のため延期となり、(結果的に)再挑戦を果たせぬまま番組そのものが終了する格好となってしまった。 テーマ曲 オープニング スーパーギャング -コサキン無理矢理100%- コサキン増刊号 コサキン快傑アドレナリン OPは「Gridlock」の中間部分と「Samurai」の冒頭を繋ぎ合わせた音源を使用していた。
コサキンDEワァオ!(土曜18時台) UP'S コサキンDEワァオ! 水曜JUNK コサキンDEワァオ! コサキンDEワァオ!(土曜24時台) PE'Z 「BIG EAR 〜手痛い洗礼そしてVへ〜」 エンディング 小堺一機「With」 1986年8月21日にフォーライフ・レコード から発売された。1986年の『コサキン無理矢理100%』開始以降、23年間にわたって使用された。番組の「意味ねぇ」精神と対照的な歌ではあるものの、後述のおハガキ列島のテーマ曲とともに、コサキンを象徴する曲といえる。コサキン終了後は『小堺一機と渡辺美里のスーパーオフショット 』(ニッポン放送 )のエンディングテーマに使用されていた。 各コーナー使用曲 KOINONIA「More Than A Feelin'」(「おハガキ列島」前半BGM) 益田幹夫「Skippin' High」(「おハガキ列島」後半BGM) 1984年に『ザ・欽グルスショー』でおハガキ列島のスタート以来、同コーナーのテーマ曲として一度も変更されることなく、25年に渡って使用され続けた。番組内では、「More Than A Feelin'」と「Skippin' High」の2曲を1曲に繋いだ音源が使用されていた。 Ola & The Janglers「Let's Dance」(「ラッキィ池田の2時2時ダンス」BGM) 水谷豊 「故郷(ふるさと)フィーリング 」(コサキンコント劇場「俺の愛妻物語」のテーマ曲。元ネタは水谷主演のドラマ『オレの愛妻物語 』主題歌) 森田公一とトップギャラン 「人間はひとりの方がいい」(コサキンコント劇場「新・俺の愛妻物語」のテーマ曲) ジェリー藤尾 「夫婦」(コサキンコント劇場「2001年・俺の愛妻物語」のテーマ曲) 渡辺貞夫 「カリフォルニア・シャワー」(コサキンコント劇場「ユニーク関根のユニークモーニング」のテーマ曲) Tom Jones 「It's Not Unusual(邦題:よくあることさ) 」(「クイズコサキン知ってれホン」のテーマ曲) J・ガールズ「イエロー・ワールド」(「門脇覚のヒゲ占い」のテーマ曲) 番組で使用された音源 テレビ番組 1993年10月から半年間、TBS 系列 全国ネット『ザッツ! 』枠で、コサキンの企画をそのままテレビ番組にアレンジした『コサキンルーの怒んないで聞いて!! 』が放送された。司会は小堺・関根、ルー大柴が務めた。構成作家にはコサキン担当の4人のほか、君塚良一 も迎えている。
TBSラジオでのコサキン番組終了後、1年の空白を経て、2010年 4月からテレビ朝日 が製作して同局系列の衛星放送 であるBS朝日 で放送されるテレビ番組『コサキンDEラ゛ジオ゛! 』が開始された(2013年4月まで)。小堺と関根のみが出演(ゲストを迎える場合有り)、横に控える舘川(構成)・鶴間・有川(共にブレーン)が資料提供や笑い声で参加、ラジオスタジオ風のセットに2人が対座してフリートークやナンセンスギャグ系の企画コーナーを進める構成など、同番組はテレビながらもラジオ時代の「コサキン」番組を色濃く継承した方法で製作されていた。
2014年 10月から2015年 9月までは、BSフジ にて『コサキン道中 ぶらっぶらっぶらっ! 』が放送された。旅番組の体裁を採ったバラエティ番組であるが、番組の流れとは関係なく、ラジオでのコサキン同様の即興コントのようなやり取りがしばしば繰り広げられていた。タイトルの「ぶらっぶらっぶらっ!」は、コサキンのコントに登場する意味のない擬音「ブラッブラッブラッ」に、「ぶらぶら歩く」という意味をかけていた。
2016年 10月から2018年 1月までは、MONDO TV にて『コサキンのラジオごっこ 』が放送された。『コサキンDEラ゛ジオ゛!』と同様のラジオ収録風の番組スタイルで、投稿を含めた写真ネタを中心にしてトークを繰り広げた。
番組内容の詳細はそれぞれの当該記事を参照のこと。
番組関連の公開イベント コサラビファンの集い(1982年12月5日収録、9日放送) - TBSホール。ゲスト・斉藤清六 、中森明菜 。 番組初の公開イベント。番組開始から1年が経過しリスナーも増えてきたことで「リスナーの集いをやろう」という機運が高まり、初代プロデューサーである北山幹雄の「リスナーから500通の投書を集めろ」という指令を達成したため開催が決定した。北山の「コサキンだけだとイベントが寂しいだろう」という気遣いから、中森がゲストに招かれた。 この後、1983年11月13日と1985年2月24日には「欽グルスファンの集い」、1985年7月7日には「コサキン七夕の集い」が開催された。 高尾山 ハイキング大会(1984年4月1日収録) - 高尾山。 前日の放送の最後でいきなり告知され、しかも当日がエイプリルフール であるため、リスナーが集まるのか、それ以前に本当に開催されるのかが懸念されたが、実際には約100人のリスナーが集まった。 ウニ 展(1984年4月28日収録) - TBSホール。 番組内で「ウニブーム」が起こっていたころに開催。ウニをテーマにした工作の展示が行われた。 ハニワ だヨ!全員集合(1984年8月3日収録) - 富士急ハイランド 。 番組内で「ハニワブーム」が起こっていたころに開催されたバスツアー。ハニワをテーマにした工作の展示会や、リスナーによるハニワの仮装で盛り上がる企画であったが、一般の来園客に怪訝な目で見られる結果となってしまった。 1984年11月18日には、TBSホールで「ハニワ展」が開催された。 コサキンスポーツフェア 第1回は1985年8月29日開催の野球 大会。小堺チームと関根チームの対戦で、スポーツには無知なはずの小堺チームが勝利した。 第2回は1987年8月8日開催のバスケットボール 大会。女性リスナー限定のイベントであった。会場は関根の母校である東京都立八潮高等学校 の体育館。 第3回は1988年8月30日開催の卓球 大会。芸能界の卓球の実力者として知られる林家こん平 をゲストに迎えて行われた。 コサキン無理矢理inPIT(1988年4月7日収録、13日放送) - 汐留PIT。ゲスト・森川由加里 、佐野量子 。 PIT(Pia Information Theater)は、ぴあ が国鉄汐留貨物駅 跡地へ期間限定で開設したライブホール。番組初の大規模イベントとなったが、"歩留まり"(招待入場券発券数に対する実来場者数の割合)を大幅に低く予想して入場券を出したため、入場券を所持しているにもかかわらず入場できないリスナーが多く発生。その救済のため急遽、次の公開生放送を実施することとなった。 コサキン無理矢理生放送(1988年5月4日放送) - TBSホール。番組初の公開生放送。 コサキン無理矢理inPITでの不手際に対するお詫びとして実施された。このイベントでは浅井企画の浅井良二 社長が出演し、「次は武道館で、もっとしっかりとしたイベントをやろう」と発言した。浅井は番組内でせっかちな人物として知られており、この発言も同様の気の早いコメントと思われたが、2ヵ月後には本当に武道館イベントが開催されることが決定した。 コサキン無理矢理IN武道館(1988年12月21日収録、28日放送) - 日本武道館 。ゲスト・沢口靖子 、海老一染之助 ・染太郎 、佐野量子 。 コサキン史上最大規模のイベント。1万3千人ものリスナーが武道館に集まり、意味ねー空間を共有した。内容はコサキンのコントや関根の意味ねー替え歌ライブなど、普段の放送と違ったお祭りの様相を呈していた。構成作家陣「アタック隊」も前説で一芸を披露しており、特に楠野の披露したフリーダンスはヘビーリスナーの語り草になっていた。開会宣言を務めた浅井社長曰く「私のタレントの育て方は間違っていなかったんだと自覚しました」。 この当時、TBSラジオは年末に2日連続で武道館イベントを開催することが恒例となっており、この年は2日目の内容が決まっていなかった。当時のディレクターである門脇覚は、前述のPITイベントで5千人ほどのリスナーを動員した実績から、勝負をかけるつもりでコサキンの武道館イベントを行うことを引き受けた。 武道館イベント実現のために、大塚製薬 が当時の番組スポンサーにつき、当イベントにも後援スポンサーとして協賛した。 コサキン年忘れカーニバル(1991年12月28日放送) - TBSホール。 コサキンを捜せ!inとしまえん (1992年3月8日収録、14日放送) - としまえん。ゲスト・ルー大柴 、ラッキィ池田 、ウド鈴木 。 コサキン10周年と番組本『ひとみと悦子』発売記念を兼ねたイベント。宝探しゲームのように、園内に設置された謎を順番に解いていくと最終的にコサキンに会える仕組みだったが、ほぼ全員がゴール出来てしまいパニックに。ウドの初登場回でもあったが、迷子になってしまい園内放送で呼び出された上、この放送に対して「これはジャンピングチャンス か」と反応するなど、天然ぶりを余すところなく見せつけるデビューとなった。「GoGo遊園地ツアー」も同時開催。 第1回ミスコサキンコンテスト(1992年5月31日収録、6月6日放送) - TBSホール。ゲスト・マルシア 、水木一郎 、志茂田景樹 。 第2回ミスコサキンコンテスト(1994年7月11日収録、16日放送) - TBSホール。ゲスト・冠二郎 、宮沢千絵。 ミスコサキンおよび準ミスの受賞者は、その後、番組のアシスタントとして出演した。第1回の受賞者には「コスモス」、第2回の受賞者には「アンドーナツ」というユニット名がリスナーより命名された。第1回の準ミスであったかわのえりこは、番組卒業後にローバー美々 として深夜番組『ロバの耳そうじ 』などに出演していた。 コサキン1000回記念スペシャル(1996年9月23日収録、26日放送) - TBSホール。ゲスト・水木一郎 、冠二郎 、西村知美 、ルー大柴、福島弓子 。 コサキンビデオ『マントヒヒ』発売決定記念公開イベント(1998年9月23日放送) - TBS第1スタジオ。ゲスト・木村郁美 (Aコース)、近藤千裕、金子君 (電話での登場)(Bコース)。 翌年のイベント(下述)が販売1万本達成記念であるのに対してこれは発売決定 を記念したもの。午前1時台(Aコース)と2時台(Bコース)の二本立てで観客を入れ替えて収録、放送された。このイベントの前説をつとめたのはヘーシンク(ずん のやす が前に組んでいたお笑いコンビ)である。 コサキンビデオ一万本突破大感謝祭「マントヒヒDEワァオ!」(1999年4月3日収録、7日放送) - 九段会館 。ゲスト・島津ゆたか 、青木静香 、高乃麗 、NITRO (優香 、吉井怜 、堀越のり 、唐沢美帆 )、木村郁美 。 コサキン大感謝イベント20周年DEワァオ!(2001年11月18日収録、21日放送) - 渋谷公会堂 。ゲスト・水木一郎、冠二郎、佐々木功 、川村ひかる 、坂下千里子 、コージー冨田 、西田たか子 、飯尾和樹 。 LIVE954 ラジオチルドレン、深夜の逆襲! (2002年3月3日収録) - 横浜アリーナ 。TBSラジオ夜間番組の共同イベント。 さよならTBSホールスペシャルJunk真夜中のカレーパンDEワァオ!(2003年3月18日収録、19日放送) - TBSホール。ゴスペラーズ の同じJunkの番組「ゴスペラーズ 真夜中のコーラス 」と連動。ゲスト・井上和香 。 放送25周年コサキンEXPO・六本木ヒルズDEワァオ!(2006年10月6日 - 15日) - 六本木ヒルズ森タワー 52階展望台「東京シティビュー」内特設スペース。 放送終了記念イベント「さよならコサキン・ふれあい会」(2009年3月22日収録) - 赤坂サカス 。 ナイツ×コサキン ちゃきちゃきDEワァオ!(2020年2月10日) - パシフィコ横浜 。進行役・出水麻衣 。 コサキン40周年DEワァオ!(2022年12月4日) - 有楽町よみうりホール 。 昼夜2公演で開催。会場観覧のほか音声のみのオンライン配信も実施した。 コサキンDEワァオ!~ピーチ・スペシャル~(2024年3月3日予定) - 有楽町朝日ホール 。 昼夜2公演で開催。会場観覧のほか音声のみのオンライン配信を実施した。 ※上記以外にも、小規模なイベント(主に番組本の発売時の記念イベント)が多数実施された。
レギュラー放送終了後の特別番組 これまで、6度にわたって復活特番が放送されている。レギュラー時代からメンバーに変更はないものの、有川は参加していない。
令和に復活♡ぼくたち『コサキンDEワァオ!』です、ワァオ! 2020年1月3日 23:00-24:00 事前にリスナーから投稿を募集、「コサキン情報局」「意味ねぇCD大作戦」「おハガキ列島(意味ねぇキャッチフレーズ)」のコーナーを実施。 また、放送当日は小堺が誕生日を迎えたことから、長嶋茂雄、八村塁、大坂なおみ、ウド鈴木(キャイ〜ン)、関根の2番目の孫らからお祝いの電話をもらった。 令和に復活♡ コサキンDEワァオ!です、ワァオ!! 2020年5月24日 20:00-20:55 TBSラジオ『ラジオワールド 』枠にて放送。前回と同様の3コーナーを行った。この回の番組スポンサーにライオン が入っており、終盤には小堺による生CMが放送された。 令和に復活!コサキンDEワァオ!です、40周年です!ワァオ 2021年1月3日 15:00-17:00 「水曜JUNK」以来、16年4ヶ月ぶりとなる2時間枠での放送となった。コーナーは「コサキン情報局」「意味ねぇ写真ネタ」「コサキンコント劇場」「意味ねぇCD大作戦」「意味ねぇ2021年の野望」「おハガキ列島(意味ねぇキャッチフレーズ)」を行った。「コント劇場」と「意味ねぇCD大作戦」には飯尾和樹 、「グラビア&女子アナブレイク予想」には女人評論家・フォーチュンがそれぞれゲスト出演した。そのほか、かつて番組に出演していたイワイガワ 、キャイ〜ン 、しゅくはじめ (元・Rまにあ )、関根麻里 から40周年のお祝いメッセージが寄せられた。 お正月特番 令和に復活!コサキンDEワァオ!です、ワァオ! 2022年1月3日 22:00-23:00 コーナーは「コサキン情報局」「意味ねぇ2022年はこうなる」「意味ねぇCD大作戦」「おハガキ列島(意味ねぇキャッチフレーズ)」を行った。また、コサキンが2021年11月24日放送分にて出演した『あちこちオードリー 』(テレビ東京 )のMCで、コサキンリスナーでもあった若林正恭 (オードリー )からメッセージが寄せられた。 2022年9月4日 20:00-20:55 TBSラジオ『ラジオワールド』枠で生放送。コーナーは「コサキン情報局」「意味ねぇCD大作戦」「おハガキ列島(意味ねぇキャッチフレーズ)」を行った。 放送開始30分前からは、TBSラジオの公式YouTube チャンネルでコサキンによる生配信(音声のみ)を行った。 2024年1月8日 1:00-2:30 ラジオでのレギュラー番組終了以来、約15年ぶりとなる深夜帯での放送。コーナーは「コサキン情報局」「初笑い写真ネタ」「年の初めに聴きたいコサキンソング」「意味ねぇCD大作戦」「コサキンコント劇場」「リスナーのお仕事紹介」「おハガキ列島(意味ねぇ2024年の目標)」を行った。 関連商品 番組発行の書籍 番組から発行している書籍は、「コサキン本 ( - ぼん)」とも呼ばれる。
番組本第1号。タイトルは、当時の番組内で使われていた挨拶の絶叫で、発音は「ら」と「ろ」を同時発声したものに近い。『スーパーギャング』前期の投稿作品を中心に構成され、写真ネタも豊富にある。「内容はともかく、売り上げでは(当時話題だった)『ノルウェイの森 』に並んだ」と評判になった。ブックカバーをめくると、浅井企画社長・浅井良二の塗り絵があり、塗り絵の優秀作を展示したイベントも行われた。 タイトルは当時の読売ジャイアンツ に所属していた呂明賜 に由来。「絶叫」コーナーのうち、「タクシーの運転手と客の会話」に特化し、見開きの右ページに会話ネタ、左ページには意味ねぇ投稿イラストが掲載された。また、ブックカバーが水色・黄色・緑の3パターン用意され、後にリスナーへのプレゼント用のプレミアとして黄金版も作成された。 タイトルは番組内で多用された擬音のひとつで、特に意味は無い。呂゛と同じく右ページにネタ、左ページにイラストという構成。ネタ内容は「意味ねーベスト3」に特化しており、(1)と(2)は内容が異なる。(2)の別名は「おぴょぴょ」。(2)には、関根がテリー・ジョーンズ 監督の映画『エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海 』に出演した際の、マルタ島 の滞在・撮影日記も掲載。 タイトルは、リスナー発言から番組でヤギブームが起こったことに由来。リスナーから募集した「意味ねー4コマ漫画 」で構成。長編漫画も2作掲載されている。ページ脇には、リスナーからの意味ねー俳句を紹介。リスナーによりこの本のカバーのヤギは「おひょい Jr.」、ハトは「ヘビ肌ヌラ夫」と命名された。 「ヤギ」の成功により製作された続編。タイトル通り、カバーは金色になっている。巻末には「ルー大柴のパックインミュージック」で披露されたポエムや、「ラッキィ池田の誌上2時2時ダンス」も掲載。 「ひとみと悦子」は小堺、関根の両夫人の名前から、「BURN〜」は映画プロデューサーのマックス桐島が番組に寄せた言葉(アメリカの諺で「背水の陣」に相当する)に由来。『コサキン快傑アドレナリン』時代の投稿作品を中心に構成。放送10周年記念本の意味合いもあり、「ら゛」の年表を大幅に加筆し番組の歴史をまとめたコサキン年表を掲載。ブックカバーを外した隠しネタは、当時話題になった宮沢りえ のヌード写真集 を意識した関根の全裸写真「ヨンタフェ」。 従来のネタ中心の構成とは違い、小堺・関根の秘蔵写真、インタビュー、対談で構成。コサキン本唯一のハードカバー 仕様。 タイトルはコサキンソングの代表的なフレーズをまとめたもので、鶴間の「リスナーが予約する際、店員に言いづらいタイトルにしたかった」という意図から。「コサキン用語辞典」の作品を中心に構成。巻末には、関根が高校時代に書いた作文「クレオパトラ と彼女をとりまく英雄たち」を掲載。 当時、有川の父が経営していたスナック「酔夢」が、あまりにダサいネーミングということで、リスナーからダサい名前のスナックの看板写真「ダサスナ写真」を募集し、まとめたもの。スナックに限らず様々な業種の珍店名の写真が寄せられ、雑誌「宝島 」の名物コーナー「VOW 」のコサキン版という趣の企画であった。「コサキン人名辞典」も掲載。 「コサキンコント劇場」で放送されたコントの台本を掲載。「右」と「左」は収録作品が異なる。通常は「上・下」と分冊されるところを、わざと「左・右」にしてある。 タイトルは、コサキンの初代ディレクター・杉浦利重が、コサキンに寄せたメッセージで「ポヨヨ〜ン」と連発していたことから。「コサキン新語辞典」の作品を中心に構成。写真の違う3パターンのカバーが用意された。この本から、番組リスナー100%編集協力による、コサキン年表が掲載されるようになった。 タイトルは、コサキンのコント内で多用された何かが漏れるときの擬音。「コサキンことわざ辞典」の作品を中心に構成。 本のタイトル案(という名目の何でもありのネタ)を集めただけの本として発行。副題は、コサキンの放送作家の楠野一郎が、当時既に番組を離れていたにもかかわらず、かなりネタに使われていたことに由来。楠野ネタだけで1コーナー設けられている。そして、最後の1ページだけ有川、剛州、村上ショージの集合写真のタイトルをつけるというネタだけが掲載された。 タイトルは、カッコ内に好きなタイトルをつけてくれ、ということから。「コサキンコント劇場」で放送されたコントの台本を掲載。 タイトルは小堺と関根の当時の年齢をつなげたもの(次の4649も同様)。番組20周年記念の意味もあり、表紙は金色、300ページ以上のボリュームを誇る。「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。 タイトルのシュポ本は、番組で多用していた瓶のフタが抜ける時の「シュポン」という効果音と「本」を掛けたもの。「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。 タイトルは、コサキン特有の「中学生トーク」から。「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。 番組外で発行された書籍 小堺、関根の名前は出ているが、山中伊知郎 との共著で、コサキンの番組本ではない。コサキンのコントやショートギャグ、小堺と関根のそれぞれの長編作品を収録。 TBSラジオ編、鶴間政行著。コサキンの放送開始からの40年を振り返り、当時の裏話や、有川、舘川、楠野へのインタビュー、鶴間と秋本治 、神田伯山 の対談、1988年のイベント「コサキン無理矢理IN武道館」の台本などを収録。 その他の商品 タイトルは、番組で発覚した小堺の笑いのツボから。少年時代の小堺が見たTV番組でのマントヒヒ の映像、およびそのときのナレーションが小堺の笑いのツボに入ったという。一時期は関根やリスナーに声色を変えて「マントヒヒ!」と絶叫されると、小堺が笑い転げて番組の進行が止まってしまう、ということがあった。 コサキンVIDEO シュポッ!(興陽館、2002年) タイトルは瓶の栓を抜く音から。初出は1995年放送の、リスナーが様々な効果音のものまねを披露する企画「コサキンSEナンバー1」のお題としてであるが、その後もSEに様々な含みを持たせてCD大作戦などに多用された。 コサキンVIDEO 枝付き干しブドウ(興陽館、2002年) タイトルは、ゲスト出演した千葉真一 が、枝付き干しブドウについてパワーの源である旨を熱く語っていたことから。 発売当時、既に絶版になっていた「ら゛」から「一機と勤」までの番組本をまとめたもの。 1986年に撮影・上映会が行われた、リスナー参加映像作品の復刻版。ヒーロー物を意識しているが、内容はコサキンらしく支離滅裂なギャグに終始している。「浅井企画ニセ社長」こと川岸咨鴻や、リスナー時代の楠野一郎も参加している。 コサキンコント劇場のCDのサブタイトルは、すべて前半が小堺、後半が関根を連想させる言葉となっている。 関連項目 脚注 外部リンク TBSラジオ 土曜24時台(1989年4月15日 - 1994年10月8日) 前番組 番組名 次番組 コサキン増刊号 ↓ コサキン快傑アドレナリン
TBSラジオ 土曜25時台前半(1991年10月12日 - 1994年10月8日) コサキン快傑アドレナリン
TBSラジオ 土曜25時台後半(1992年4月11日 - 1994年10月8日) コサキン快傑アドレナリン
TBSラジオ 土曜18時台ナイターオフの番組(1994年10月15日 - 1995年4月1日) (1993年度) ウィークエンド・ルー (18:00-19:30)
(1994年度) コサキンDEワァオ!
(1995年度)
栗山英樹 のスポーツ・ビートオン
(17:15-19:00)
TBSラジオ 金曜21時 - 22時55分(1995年4月14日 - 10月6日) 恋する電リクBINGO BONGO フライデースペシャル コサキンDEワァオ!
TBSラジオ 木曜25時 - 27時(1995年10月12日 - 1997年4月3日) 木曜UP'S コサキンDEワァオ!
笹野みちる のUP'S Speak OUT!
(火曜から移動)
TBSラジオ 水曜25時 - 27時(1997年4月9日 - 2004年9月22日) 水曜UP'S コサキンDEワァオ! ↓ コサキンDEワァオ! ↓ 水曜Junk コサキンDEワァオ!
TBSラジオ 土曜24時台(2004年10月2日 - 2009年3月28日) コサキンDEワァオ!
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