おすぎ(本名:杉浦 孝昭〈すぎうら たかあき〉、1945年1月18日 - )は、日本のタレント、映画評論家である。横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。プラムクリークス所属。ファッション評論家のピーコは一卵性双生児の兄である。きょうだいは他に姉2人。
おすぎ | |
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本名 | |
生年月日 | 1945年1月18日(79歳) |
出生地 | 日本・神奈川県横浜市保土ケ谷区 |
血液型 | A型 |
職業 | タレント、映画評論家 |
活動期間 | 1975年 - 2021年頃 |
著名な家族 | ピーコ(兄) |
「おすぎ」の芸名は本名の杉浦から。あまり裕福な家庭ではなく、小さい頃は家が狭かった為、ピーコと「ネズミみたいにくっついて」寝ていたと言う。36歳の時に両親を亡くしている。
中学生の頃から、程ヶ谷カントリー倶楽部でキャディーのアルバイトをし、中村寅吉のキャディーを務めた事もある。
オネエキャラを全面に出して、1975年のテレビ・ラジオデビュー以来、芸能界で活動している(実際の芸能界入りはデビュー前の銀座の歌舞伎座系列のテレビ番組制作プロダクション『歌舞伎座テレビ室』の制作進行補が最初)。本業の映画評論では本名の杉浦孝昭の名義で活動し、映画専門誌の「キネマ旬報」等に寄稿していた。美術専門学校卒の技能を生かし映画雑誌のレイアウト等の仕事に編集者として携わる一方で、テレビでのタレント活動が、「おすぎとピーコ」として話題を呼んだ。1978年、大島渚監督作品『愛の亡霊』には俳優として出演している。
人の好き嫌いがはっきりしており、嫌いな芸能人が多数存在し、普段からラジオ番組等で多数の実名を上げてきた。石原慎太郎に「君らは歌手か?」と聞かれ、「私はオカマです」と答えた所、「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」と暴言を吐かれたことに激怒し、猛烈な口論を繰り広げる遺恨があった(この件は佐高信が当時連載を持っていた「噂の眞相」で石原批判のエピソードとして掲載している)。しかしその一方で美輪明宏は、おすぎが口にする「どうせ私たちはオカマだから」という物言いに対し、「自分は同性愛に対する偏見に対して闘ってきたのに、あの二人(おすぎとピーコ)はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”という言葉を自分たちから連呼して、あえて笑われ者になることで、同性愛者への偏見を助長している。せっかく同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りすることになる。その根性が実に卑しい。消えてしまえばいい。この、馬鹿者どもが!」と厳しく批判、「昔はコンサートや舞台公演などに招待していたが、今は絶縁している。」と語り、ある時期から会っていないことを公表している。
ピーコが1989年に眼球摘出手術を受けて仕事ができなくなった時期には、穴を埋めねばと全国を飛び回った。この頃には「おすぎとピーコ」の旬は過ぎており、なかなか仕事は無かったが、福岡のKBCラジオの3P (ラジオ番組)で新作映画紹介コーナーを担当。また、KBCテレビから「月一回でもいいから『天神マンボウ』に出演を」との依頼を引き受けて以来KBCでの仕事が続き、基本的に毎週日〜月曜日は福岡に通う事になった。『天神マンボウ』と後身の『うるとらマンボウ』(テレビ)や『おすぎとコージのあぶない関係』『PAO〜N』(ラジオ)など、同局アナウンサーの沢田幸二とはさまざまな番組で共演する関係が現在まで続いており、沢田を「コーちゃん」という愛称で呼んでいる。その他、福岡に通う以前から25年以上つながりのある札幌のSTVにも、隔週ながら木〜金曜日に通っている。
一時期は映画評論家としての仕事をメインとし(切っ掛けは淡谷のり子の激怒)、全国を飛び回る日々を送っていたが、福岡放送制作の全国ネット番組『所的蛇足講座』に出演した事で全国ネットに久々に出演。同時期、ピーコは主にファッション評論家として活動していたが、『SMAP×SMAP』での中居正広の物真似であるヒーコ(関根勤がおすき)の影響から再ブレイクし、「おすぎとピーコ」は再びお茶の間のお馴染みの存在になり、また単独の仕事も多くなっていった。
『森田一義アワー 笑っていいとも!』では初登場(2002年春)以来オープニングでのステージの立ち位置がレギュラー陣の中で最も下手(しもて)で、出演歴が長くなって後輩のレギュラー出演者が増えても、一向に中央に寄ろうとしなかった。しかし2006年秋から自身より古株の木曜日レギュラーが笑福亭鶴瓶しかいなくなると、ステージ中央の鶴瓶の隣に立つ様になった。2008年10月1日からピーコと兄弟で水曜日レギュラーとなり共演する形になった。2011年3月30日二人そろって卒業。
仕事で福岡へ通い続ける間に福岡ソフトバンクホークスとアビスパ福岡のファンになり、特に川﨑宗則を「ソウくん」、新垣渚を「なぎさ」と呼んで可愛がった。その熱意は、新垣が勝利を挙げた日や川崎が活躍した日には誰よりも早く一番に祝福の電話を入れる程で、2005年、ホークスがプレーオフで敗れ日本シリーズ出場を逃した際には、KBCテレビ『アサデス。』の放送中に号泣した程である。2006年8月28日放送の『みのもんたの“さしのみ”』でも、川崎と新垣からのメッセージをみのもんたからプレゼントされて感激の涙を流した。
2010年10月、福岡県へ転居。福岡でのレギュラー番組をこなしながら、東京での仕事は新幹線で移動するスタイルを取る。おすぎのネット上の連載記事(該当記事)によると、本宅はあくまでも実家に近い横浜で、福岡の住家は別宅扱いであるが、生活の中心を福岡の別宅に置くことにしたと言う。長らく仕事で通い続けている札幌と博多のどちらに転居しようかと考え、温暖な福岡を選んだ。
転居直後の2010年11月、福岡県嘉麻市(かまし)のイベント「嘉麻ふれあいまつり」に嘉麻市オリジナル釜飯を選ぶ審査員として参加し、話題をさらった。2006年に1市3町の合併で誕生した同市について、おすぎはKBCラジオで「嘉麻市は何であたしを呼ばないのよ」と発言していたが、2011年11月の「嘉麻ふれあいまつり」において市の観光大使に任命された。
料理の腕前も評判であり、『アサデス。』などでその腕前を披露している。分量などのメモをとらなくても手順を覚えれば簡単で美味しく作れる料理を披露する事も多く、料理本も執筆している。
2021年夏頃から認知症の兆しが見られ、集中力の継続や記憶力の低下に、おすぎ自身も不安を覚えたと言う。出演番組に迷惑を掛けることは不本意であるとして、レギュラー番組を降板。2010年から住んでいた福岡から生まれ育った横浜へ生活の拠点を再び移し、ピーコと同居を始めた。しかし、この同居生活を機に兄弟仲が再び悪化。ピーコにも認知症の症状の一つである思い込みと妄想癖の症状が現れたため、2022年2月に同居生活を解消した。おすぎは要介護認定を受け、横浜市の高齢者施設に入居している。
2022年頃に個人事務所も閉鎖し、清算手続きを完了していた。その後は芸能活動も自身のYouTubeチャンネルの更新もなかったが、2022年12月8日にYouTubeチャンネルのTwitterアカウントにて12月12日にチャンネル動画を更新する旨のアナウンスがツイートされる。 このアナウンス通りの2022年12月12日、「最後の投稿です」「いままでありがとうございました。」という文言が含まれるタイトルでおすぎがスタッフと談笑をする動画(撮影日は未詳)がアップロードされた。
キネマ旬報(1981-1993)に長く寄稿した後、広告批評等の雑誌に移る。キネマ旬報に寄稿しなくなった理由は不明だが、キネマ旬報のGW特集(1993年5月)以後、1996年6月までの3年間、おすぎは映画評論活動をしていなかった。
映画を批評するのではなく、「好き・嫌い」を基準におしゃべりするスタイルは、様々な批判を招来している。映画評論家の田山力哉に映画評論家としての姿勢を批判され、対立していた時にはクシシュトフ・キェシロフスキ監督の三部作『トリコロール/白の愛』を「田山力哉が誉めているから、この映画は嫌い!」と発言した事もある。その件に関して田山が当時、「キネマ旬報」で連載していたコラムでおすぎの事を「どうしようもないアホ」「クシシュトフ・キェシロフスキ監督に失礼だとは思わないのか!」と文面で罵倒した。映画のCMにナレーションで出演することがあり、この際の出演料は500万円前後であると自ら明かしている。このことに関してジャーナリストの大谷昭宏は、「たとえ自分が好きな映画であっても映画評論家と名乗る以上、映画のCMには出演すべきではない」と批判的な意見を寄せている。
淀川長治との共著が多数ある。長年「淀川を殺してでも淀川になるっ!」と言い対抗意識を燃やしていたが、実際は淀川が病気になった時には弁当を作ってお見舞いに行くほど親交が深かった。試写会で隣同士になった時には淀川がおすぎの口の中に持参のチョコレートを入れてあげていたとのこと(ピーコ・阿川佐和子の項目にある参考文献や著書に明記されている)。
ここまで本名の杉浦孝昭名義で出版(「いまの日本の大問題」を除く)、以降はおすぎ名義で出版したもの。
おすぎとピーコ名義でLPレコード『ザ・パーティー』(1979年/CBSソニー)を発表。金子マリ & バックスバニーの演奏をバックに二人がひたすらお喋りするショー形式で構成されている。司会を久米宏が務め、大島渚、石井好子、西田敏行、近田春夫、星セント・ルイス、大屋政子、小森和子、稲川淳二、野沢那智、白石冬美、藤竜也、吉行和子、松島トモ子等、当時としても破格の豪華メンバーがゲスト出演した。ジャケットイラストは和田誠が担当。未だCD化はされていない。
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