『ザ・ベストテン』(英称:The Best Ten)は、1978年(昭和53年)1月19日から1989年(平成元年)9月28日までTBS系列で、毎週木曜日の21:00 - 21:54 (JST) に生放送されていた音楽番組。全603回放送。
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ザ・ベストテン | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 |
企画 | 鬼沢慶一(企画協力) |
監督 | 山田修爾 |
演出 | 山田修爾 |
出演者 | 黒柳徹子 久米宏 生島ヒロシ 小西博之 松下賢次 渡辺正行 |
オープニング | 作曲:服部克久 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
プロデューサー | 弟子丸千一郎 山田修爾 スタッフを参照 |
制作 | TBS |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送(1981年3月26日以降) |
放送国・地域 | 日本 |
放送開始から1982年9月まで | |
放送期間 | 1978年1月19日 - 1982年9月30日 |
放送時間 | 木曜日 21:00 - 21:55 |
放送分 | 55分 |
1982年10月から放送終了まで | |
放送期間 | 1982年10月7日 - 1989年9月28日 |
放送時間 | 木曜日 21:00 - 21:54 |
放送分 | 54分 |
特記事項: 1982年10月から放送時間短縮。 |
1976年から1977年にかけて放送された『トップスターショー・歌ある限り』の後番組としてスタート。最高視聴率41.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム) を記録した。愛称は『ベストテン』『ベッテン』『ザベテン』。第11回テレビ大賞優秀番組賞受賞。
毎週生放送で独自の邦楽ランキング上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する音楽番組である。番組名はその趣旨からそのまま付けられた。
総合週刊誌の『サンデー毎日』に本番組のランキングが掲載されていた時期がある(1978年4月〜1983年1月)。
レコード売り上げ(オリコン、ミュージック・ラボ、ミュージック・リサーチの3社のランキングを使用)・有線放送リクエスト(全国有線音楽放送協会のデータを使用)、ラジオ放送のリクエストチャート(当番組のネット局25局のうち、ラジオ兼営20局でのラジオ歌謡曲ベストテン番組の独自のチャートの総合ランキング)・番組に寄せられたはがきのリクエストを合わせたポイント制で決定。これらの要素別ランキングは番組冒頭の司会者のトーク中かVTRをバックにテロップ表示で発表していた。また、初期には「ラジオベストテン情報」として追っかけ中継とは別にラテ兼営の各系列局のスタジオから追っかけマン・追っかけウーマンが登場してその局のランキング番組に寄せられたリクエストチャートを発表するコーナーもあった。
番組開始時の配点比率は「レコード30:有線10:ラジオリクエスト20:はがきリクエスト40」とはがきのポイントが高く、レコードや有線で20位以内に入らない曲がベストテンに入ることもあった。だが、1979年2月に配点比率を「レコード30:有線10:ラジオ30:はがき30」に改めることがTBSから番組の中でなく週刊誌などを通じて周知された。これは「ハガキの筆跡が明らかに同じなのに名前が異なるハガキが多数見つかり、中には他人の名義を無断で借用するなど、一部ファンの組織票が目に余る状態になった」ことが理由とされている。
配点比率はその後も見直され、1981年から「レコード45:有線10:ラジオ21.9:リクエスト23.1」になり、1986年からは「レコード60:有線10:ラジオ10:リクエスト20」となったが、配点見直しの公式通知は無かった。
得点の計算方法は、各要素のランキング上位30曲に対し1位30点、2位29点…30位1点という形で得点を振った上で、前記の配点比率に従い合計が300点満点になるように倍率をかけ、最終的にその得点を加算してランキングを決定。番組では演出上の理由で33.33倍し9999点を満点として表示。
なお、レコードやCDが発売されてなくても、ハガキのリクエストがあればランキングに反映された。少年隊がレコードデビュー前にスポットライトで出演し披露した曲「あなたに今Good-by」が、翌週のハガキのランキングで10位になったことがある。
ランキングは、当時世界各国の国際空港で出発・到着案内として用いられていた反転フラップ式案内表示機(正式英名ソラリーボード)をヒントに考案された「ランキングボード」を使って発表された。左側に前週の総合ベストテンの順位(オレンジ色で表示)、右側に今週の総合ベストテンの順位を表示(白色)し、10位から順番に発表する。「今週の第○位」という司会者の掛け声にあわせ、ティンパニーロールと同時に曲名と歌手名部分が回転、数秒遅れて得点部分が回転する。そして、先週からの変動と、曲名と、歌手と得点を読み上げた。次の順位が欠席の場合あるいは二組一緒にミラーゲートから出てくる場合は欠席時と同じ「ジャン!」という短いジングルに続いてティンパニロールが再開。同じようにランキングを発表していた。このランキングボードは、プロデューサー・演出の山田修爾が実際に羽田空港で見た案内表示板をヒントにして作製された。
歌手が登場する際は、オーケストラの演奏(10 - 2位と1位では登場音色が多少異なる)をバックに「ミラーゲート」を通って登場。1位の歌手がスタジオに出演した際、くす玉割りや様々なプレゼントをスタッフが用意することもあった。くす玉割りの紐は当初は司会者が引っ張っていたが、後期は1位を獲得した歌手が直接引っ張り、大量の紙吹雪、風船、紙テープの舞う中祝福した。番組初登場となる歌手は必ず白紙の本にサインを書いていた(中継となった場合はもちろんその場で書いた他、同一歌手が別名義で初登場となった場合も改めてサインを書いていた。生放送を欠席となっても仕事先からコメントVTRを送った歌手がその場で書いたケースもある。石原裕次郎・美空ひばりは本人の没後にランクインしたため、生前署名用に書いたサインを所属事務所から提供された。司会者の場合は、黒柳と久米が最初の1ページ目に相合傘を、その後は久米が降板時に、黒柳が終了時にそれぞれサインを書いたのみ)。
スタジオでの歌の演奏は、基本的にオーケストラによる生演奏であったが、末期はカラオケになることが多かった。スタジオの構成は、『大きなスタジオの真ん中に司会者・歌手が待機するソファーがあるスペース(以下、ゲスト席)とミラーゲート・ランキングボード』、『オーケストラセット』、『大掛かりなセット』というものであった。セットの配置は『オーケストラセット』を正面に見て右側に『ミラーゲート』と『ゲスト席とランキングボード』、左側に『大掛かりなセット』という配置が終了まで続いたが、1978年4月6日の第13回放送までは異なっており『オーケストラセット』の両側が逆の配置となっていた。『ゲスト席』の配置も異なり『ランキングボード』は左側、『ミラーゲート』は『オーケストラセット』に近い右側に設置されており、『ミラーゲート』から出てきた歌手が司会者とトーク無しでランキング発表からそのままオーケストラセットに移動して歌う演出があったが、その翌週からの配置変更でこの演出もなくなり、「発表・ミラーゲートから登場→司会者とのトーク→曲披露」という流れに定着した。
第4位までの発表が終わると週によりランキング外の1・2曲をピックアップして「今週のスポットライト」というコーナーで紹介した。11 - 20位の曲もVTRで紹介され、出演者が少ない時には30位や50位からの発表もあった。
ベストテン圏外の曲は、20位から11位の順に曲を数秒間流しながら紹介する。それと共に、過去4週の順位も折れ線グラフ(初期はなかった)で表示される。但し、時間がない場合はボードのみでの紹介となる(末期は、この形が非常に多かった)。それに対して黒柳が、初登場の曲に対しては「確実に上向きです」もしくは「一直線です」少しずつ上昇気味の曲に対しては「○○さん、お待ちしています」先週、10位以内だった曲に対しては「先週●位でしたのに…」息が長い曲のランクダウンに対しては「まぁ、随分長くいて下さったんですけど…」順位が先週と同じ曲に対しては「●位の所で足踏みです」10位以内に入って、なおかつ少しずつ下降気味の曲に対しては「○○さん、お元気でしょうか」最高位が11位程度の下降気味の曲に対しては「お待ちしていましたのに…」変動が激しい曲に対しては「ジグザグです」等とコメントするのがお決まりとなっていた。因みに10~4位の出場者の曲がランクしている場合は、変動に関係なくその歌手にカメラが切り替わる事があった。
ただし、50位~31位を紹介する時は、オープニングの演奏と共に曲と顔写真のパネルを表示するだけで、折れ線グラフも、得点の表示もなかった。
1980年代後半にはグループのメンバーの一部が別行動している際には、そのメンバーを他のメンバーがいる中継先の映像にビデオ合成するということも行われた。この時期になると歌手がミュージック・ビデオを作成しプロモーションに使うことが一般的になってきたが本番組では「木曜9時の放送時間に歌ってもらう」ということが番組のコンセプト(そのための追っかけ中継)であったため出演できない歌手のミュージック・ビデオを放送するという代替措置は原則としてなかったが、複数回ランキング入りした曲では欠席した際に過去の週の出演映像を流すことがあり、VTRには放送日のテロップを入れていた。
番組の最後には、出演者全員(中継先の1つが参加する場合もある)で集合写真を撮影し、その写真(番組中期以降は写真をジグソーパズルにしたもの)を番組宛てにリクエストはがきを送った視聴者に毎週抽選でプレゼントしたり、番組内でリクエストはがきが採用された視聴者には無条件でプレゼントするのが恒例だった。「ハイポーズ」の掛け声は主に第1位を獲得した歌手に振る事が多かった(男性司会者の降板など例外もある)。上記のサインと記念写真は黒柳が番組内で時折「老後の楽しみ」と発言していた。なお、200回と番組終了時にこれらの集合写真・初登場時のサインを本にまとめ、国立国会図書館および各都道府県立の図書館に寄贈した。ネットした各放送局も所蔵しているが、開局記念イベント等以外は非公開となっている。初回から第6回は集合写真を撮る演出がなく、この2冊で当該回は出演者全員を映した引きのカメラ映像を代わりに掲載している。
番組スポンサーに関しては全社名読み上げの形式で、開始当初は3社(日立製作所が180秒、キリンビールとヱスビー食品が90秒ずつ)だったが、1981年10月に4社に増え(日立が90秒に縮小し、残りの90秒に花王が参入)、1985年10月にはヱスビーが降板して日産自動車に交代、1987年10月から終了までは花王が120秒に拡大し、日立・キリン・日産が60秒に縮小して空いた60秒にはロッテが加わった。終了時点のスポンサー5社は後述の通り『音楽派トゥギャザー』へ移動している。
番組が終了した1989年を除く毎年末に「年間ベストテン」、1981年からは6月に「上半期年間ベストテン」を発表し、1988年には「月間ベストテン」も発表。1978年から1980年までは、年間ランキングでは得点は発表されなかった。年間ランキングの回が3時間の「豪華版」となってその週のベストテンや1年間の放送で起こったハプニングをまとめた「名迷場面集」も織り込んでいた。また、「豪華版」の初期と1983年4月7日の『ザ・ベストテンフェスティバル』では途中で『JNNフラッシュニュース』の代替となる『JNNニュース』が挿入されており、回によってDスタジオにいるキャスターに画面を切り替えるかGスタジオに直接キャスターが来てニュースを読むかに分けられていた。「年間ベストテン」を発表したのは1982年からでそれ以前は通常放送と同じく1時間枠内でその週のベストテンの後で放送しており、1978年は1位のみ、1979年は3位と1位、1980年は3位・2位・1位、1981年は2位と1位がスタジオで歌われた。
1986年1月には、1985年の歌手別年間ランキングが発表された。テロップと字幕での発表でランキングボードは使われなかった。なお、歌手別ランキングが発表されたのはこの年だけだった。
1983年11月10日は放送300回を記念して長崎からの生放送を行った。その後も節目の50回ごとにJNN系列のある全国各地を回る公開生放送を行った。放送地では地元をあげた盛り上がりで市長が登場するなどお祭り騒ぎとなる。また、放送地のみならず応援に来たその周辺各県の系列局の追っかけマン・追っかけウーマンが各中継場所や客席リポートに分散する。
当時のTBSでは、前番組である『トップスターショー・歌ある限り』の視聴率が振るわなかったことから、新しい音楽番組の制作を企画することとなった。当時TBSプロデューサーだった田中敦が当時の制作局長に「いい歌番組のアイデアがないのか」と聞かれ、その時「毎週、一番売れている人気曲を10曲並べてベストテン番組を作れば面白いかも。出来っこないですが…」と提案をし、制作局長も「そのアイデアいただき、やってよ!」と一発で快諾した。なお、TBSテレビの音楽ランキング番組は1967年まで放送されていた『TBS歌謡曲ベストテン』以来11年ぶりである。
当時のスタッフ内部では、「(当時流行し始めた)ニューミュージックの歌手はテレビ出演を拒否する者が多いため、客観性を持ったデータによるランキング方式では番組が成り立たない恐れがある」との理由から、番組スタッフの主観で出演者を選ぶ「キャスティング方式」を継続すべきとの意見が主にベテランスタッフを中心に根強く、「キャスティング方式ではニューミュージックの歌手などが取り上げられない」との理由でランキング方式を支持する若手スタッフとの間で意見が真っ二つに分かれた。結局当時の制作局長の裁定でランキング方式による番組の制作が決定したが、この対立のために当初1977年10月に放送を開始する予定であった新番組は3か月スタートが遅れ、1978年1月にスタートがずれ込んだ。当時マネージャーであったプロモーターの大里洋吉は『ザ・ベストテン』のスタートは、キャンディーズの解散が密接に関係していると話している。
初代司会者の決定の経緯については、資料によって内容が異なっている。山田修爾の著書『ザ・ベストテン』によれば、最初にTBSの局アナウンサーだった久米が前番組から続投することが決まり、次に相方を女性とすることとなって黒柳がキャスティングされた。制作サイドでは西田敏行を加えた3人体制での司会を予定していたが、西田がスケジュールの都合がつかず、結局2人体制で番組がスタートすることとなった。久米は当初『トップスターショー』を最後に音楽番組の司会から足を洗うつもりだったが、黒柳とのコンビが決まったことで音楽番組を担当し続ける気になったという。しかし2013年9月27日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で紹介されたものでは、先に黒柳の起用が決まり、久米が中継リポーターを務めるTBSラジオの『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』にゲスト出演していた黒柳が、もう1人の司会が決まっていない状況を知り、気に入っていた久米の起用をスタッフに打診したとのものだった。2017年に発売された久米の著書にも後者と同様の記述がなされている。なお、黒柳と久米は番組開始前の1977年暮れに同じTBSの番組「第19回日本レコード大賞」で司会を担当し共演している。
なお本番組スタートに際しての第1報には、タイトルは『速報! 歌謡ベストテン』で、番組は大きく二部構成、前半はレコード売り上げ、有線放送・ラジオ放送リクエストチャート、視聴者からのはがきリクエストを集計したベスト20発表、後半は『トゥデーズ・スペシャル』と題して、前番組『トップスターショー・歌ある限り』を継承したようなトップスターのワンマンショー形式のステージを送る、とあった。
初回放送の前週(1978年1月12日)に『ザ・ベストテン前夜祭』を放送。前半は、昭和43年 - 昭和51年の年間オリコン1位の楽曲を出演した歌手が持ち回りで歌唱。
年度 | 曲名 | オリジナル歌手 | 歌唱歌手 |
---|---|---|---|
1968年(昭和43年) | 恋の季節 | ピンキーとキラーズ | 小柳ルミ子/コーラスで西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎 |
1969年(昭和44年) | 港町ブルース | 森進一 | 松崎しげる |
1970年(昭和45年) | 黒ネコのタンゴ | 皆川おさむ | 郷ひろみ |
1971年(昭和46年) | 知床旅情 | 加藤登紀子 | 山口百恵 |
1972年(昭和47年) | 瀬戸の花嫁 | 小柳ルミ子 | 小林旭 |
1973年(昭和48年) | 女のみち | 宮史郎とぴんからトリオ | 野口五郎/バックに西城秀樹・郷ひろみ |
1974年(昭和49年) | なみだの操 | 殿さまキングス | 殿さまキングス |
1975年(昭和50年) | シクラメンのかほり | 布施明 | 西城秀樹 |
1976年(昭和51年) | およげ!たいやきくん | 子門真人 | 桜田淳子 |
後半は、レコード売り上げと有線放送のデータのみに基づいた1977年の年間ランキングを発表。テーマ曲はレギュラー放送と異なるアレンジで生演奏。
# | 曲名 | 歌手 | 出欠 |
---|---|---|---|
1位 | 青春時代 | 森田公一とトップギャラン | 出 |
2位 | 勝手にしやがれ | 沢田研二 | 出 |
3位 | 昔の名前で出ています | 小林旭 | 出 |
4位 | 渚のシンドバッド | ピンク・レディー | 出 |
5位 | ウォンテッド (指名手配) | ピンク・レディー | 出 |
6位 | 津軽海峡・冬景色 | 石川さゆり | 欠 |
7位 | 雨やどり | さだまさし | 欠 |
8位 | 失恋レストラン | 清水健太郎 | 出 |
9位 | 星の砂 | 小柳ルミ子 | 出 |
10位 | 愛のメモリー | 松崎しげる | 出 |
石川さゆりとさだまさしは欠席。8曲がスタジオで歌われた。
また、ゲストとして山口百恵・桜田淳子・殿さまキングス・八代亜紀・郷ひろみなど合計15組が出演した。「スポットライト」のコーナーもあり、日野てる子が「夏の日の思い出」を歌った。前夜祭ということもあり、番組は会場のTBSテレビ局舎・Gスタジオにいくつかのテーブル席が設けられたお披露目パーティーのようなものであった。歌のセットは作られず、バンド前に全歌手が椅子に座っていた。ランキングボードは、本放送でのパタパタパネルではなく、手書きにより左側にオレンジ色の文字で過去の年間1位曲、右側に白文字で1977年の年間ベストテンが表示され、その前に置かれたソファーには黒柳・久米の司会者コンビが時々座っていた。歌手以外にも福田一郎などの音楽評論家・プロダクション関係者も出席していた。オープニングのテーマもおなじみの音楽ではなく全く違うものが使用された。視聴率は21.4%。
1978年1月19日に放送開始。放送時間は21:00 - 21:55。ここから週間ランキングを発表。
# | 曲名 | 歌手 | 出欠 |
---|---|---|---|
1位 | UFO | ピンク・レディー | 出 |
2位 | わな | キャンディーズ | 出 |
3位 | しあわせ芝居 | 桜田淳子 | 出 |
4位 | わかれうた | 中島みゆき | 欠 |
5位 | 禁猟区 | 郷ひろみ | 出 |
6位 | 憎みきれないろくでなし | 沢田研二 | 出 |
7位 | ブーツをぬいで朝食を | 西城秀樹 | 欠 |
8位 | 若き旅人 | 狩人 | 欠 |
9位 | 泣き虫 | 清水健太郎 | 欠 |
10位 | 風の駅 | 野口五郎 | 出 |
当時人気絶頂だった山口百恵の「赤い絆 (レッド・センセーション)」が第11位・「秋桜」も第12位でのランキングにより登場出来ず、また4位にランク入りした「わかれうた」の中島みゆきはレコーディングを理由に生出演を拒否するなど、初回から順風満帆とはいかなかった。それでも視聴者からは正直なランキングの発表に評価があった。これは、黒柳が司会を引き受けるに当たり「番組の演出で順位を動かすことはしないで、正直な形で順位を発表してほしい」という条件を付けたことを守るためだったと言われている。実際黒柳は、後に対談で「ランキングが不正操作されていないかどうかを確認するため、総合ランキングの集計結果を毎週100位までチェックしていた」と語っている。
初回の「今週のスポットライト」はランキングとは無関係に懐メロとしてフランク永井・松尾和子の「東京ナイトクラブ」。初回は1 - 10位は曲名と点数、11 - 20位は曲名のみの発表だったが、2003年12月31日放送の『ザ・ベストテン2003』でこの週の11 - 20位の点数、21位 - 30位の曲名と点数が初めて明らかにされた。
これまでにない「ランキング形式での歌番組」という位置づけ、オリジナリティあふれる演出、中継での歌唱、黒柳と久米の掛け合いなどが人気を集め、1年足らずで常時30%近い視聴率を取る人気番組となった。山口百恵やサザンオールスターズ、ゴダイゴ、沢田研二らが積極的に番組に出演し、80年代になると、アイドル系歌手が出演することが多くなり、田原俊彦、近藤真彦、松田聖子、柏原芳恵、中森明菜、小泉今日子、河合奈保子、シブがき隊、堀ちえみらが継続的にランクインするようになった。さらに1982年から「豪華版」がスタートし、こちらも30%近い視聴率を記録した。
番組を振り返るVTRより(松田聖子と山口百恵の共演シーンのみ)。
放送8年目に突入してもなお高視聴率を誇った「ザ・ベストテン」だが、後述の久米の降板をはじめ、テレビ出演を主としないアーティスト系もランクインするようになり、欠席などが目立つようになった。さらにフジテレビ側がおニャン子クラブを出演させないという方針を取ったため、1986年の7月31日から翌年の春までグループおよびメンバーの出演が一切なかった。番組側は当初、欠席理由に対して「レコーディング中」「ライブをしている」としていたが、松下賢次司会後は「各方面と折り合いがつかず」という理由が使われるようになった。依然として「ベストテン」は久米降板後も20%近い視聴率をキープしていたが、徐々に勢いを失っていった。なお、番組の提供クレジットは1985年まではブルーバックだったが、1986年からは前提供はオープニング後のスタジオや中継先の映像に司会者の喋りが入り、後提供は歌手とのやり取りが続く中番組が終わる形式に変更された。
番組は10年目を迎え、「月間ベストテン」をスタートさせ、ランキングボードやオープニングが新しいものになった。この頃は、中森明菜や田原俊彦、光GENJIや南野陽子、工藤静香らが番組に華を添えており、9月までは視聴率が20%を超える回もあるなど、歌番組の中では安定した人気を誇っていた。しかし10月から裏番組としてフジテレビで「とんねるずのみなさんのおかげです」がスタート。「みなさん」は毎週20%以上の高視聴率を記録し、ベストテンの視聴者層が「みなさん」に移行してしまったため、一気に視聴率が低下。一桁台に落ち込む週まで見受けられるようになり、視聴率が15%を超える回も「みなさん」が放送休止となる回に限られるようになっていた。
89年1月12日から司会を松下賢治から渡辺正行に交代、それまで初登場の曲にのみに出していた歌詞テロップを常時出すなどのテコ入れをしたが、効果は見られず、1989年7月6日に番組内で打ち切りを発表。2ヶ月後の9月28日に最終回を迎えた。
毎年最初の放送の前にスタッフが「今年こそ迷場面集で笑いものにならないように誓います」と宣言するものの、生放送が故、うっかり裏方のスタッフが横切ったり、あるいは画面に堂々登場するといったトラブルやハプニングは多かった。下記に主なハプニングや放送事故を列記するが、「放送事故」に関してはその旨該当項目冒頭に記述する。
雑誌『REBOOT』(ソニー・マガジンズ)Vol.4(2007年12月号)「ザ・ベストテンの時代。」放送30周年目前特別対談 時に黒柳徹子が着用した衣装は第1回と最終回(正確にはその後の『さようならザ・ベストテン』)と同じだったことを明かされ、それを見た山田修爾は「不覚にも全く気付きませんでした。」と述べている。
1978年1月の放送開始から1989年9月までの11年8ヶ月を通して、高視聴率をキープしており、放送開始当時目標にしていたフジテレビの「夜のヒットスタジオ」の視聴率を数ヶ月で超え、全盛期には30%以上の視聴率を記録していた。また「ベストテンにランクインして曲を披露すること」が歌手達のステータスとなり、より番組の存在価値は大きなものとなった。604回の平均視聴率は23.9% (ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。事実上の最終回とされる1989年10月5日の「さようならザ・ベストテン」の視聴率は20.5%を記録し、20.7%を記録した1988年9月15日以来1年ぶりの20%超えとなった。
年 | 平均視聴率 | 最高視聴率 | 同放送日 | 最低視聴率 | 同放送日 |
---|---|---|---|---|---|
1978年(昭和53年) | 23.3% | 30.6% | 11月16日 | 16.8% | 1月19日 |
1979年(昭和54年) | 28.0% | 35.8% | 3月15日 | 23.3% | 6月28日 |
1980年(昭和55年) | 29.1% | 36.3% | 3月27日 | 19.6% | 10月16日 |
1981年(昭和56年) | 33.6% | 41.9% | 9月17日 | 27.9% | 8月13日 |
1982年(昭和57年) | 28.0% | 36.5% | 1月21日 | 15.6% | 9月30日 |
1983年(昭和58年) | 28.2% | 39.7% | 12月29日 | 19.6% | 9月15日 |
1984年(昭和59年) | 25.0% | 34.4% | 12月27日 | 16.7% | 4月12日 |
1985年(昭和60年) | 21.7% | 31.9% | 3月14日 | 13.9% | 8月15日 |
1986年(昭和61年) | 20.7% | 28.4% | 12月25日 | 15.3% | 9月25日 |
1987年(昭和62年) | 20.7% | 26.7% | 12月24日 | 14.5% | 1月8日 |
1988年(昭和63年) | 17.4% | 26.0% | 3月17日 | 8.6% | 11月17日 |
1989年(昭和64年/平成元年) | 11.1% | 18.6% | 1月5日 | 6.9% | 4月13日 |
視聴率が1985年を境に急落しているのは、初回から司会を担当していた久米宏が降板したことや、中村あゆみや渡辺美里、BOØWYなどといったテレビ出演に消極的なアーティストがランクインする回数が増えたこと、またランクインしても出演辞退が相次いだことで、出演者席に空席が目立つようになったからである。
又、オーケストラの生演奏(伴奏)を必要としない上記の様なロック系の歌手が増えた事に加えて、松田聖子や中森明菜など『アイドル系』だった歌手も曲のイメージや雰囲気を維持(統一の狙いもある)するためにレコード・CD・カセットテープと同一のカラオケや専属バンドで歌唱することが増え、いつものCDとは違うオーケストラに依る生演奏やアレンジを楽しむ『面白さ』が減少したことも無視出来ない。
ちなみに1989年9月28日の最終回では、当然オーケストラ(宮間利之とニューハード+GTサウンド)は出演しているが、ランクインした全ての歌手がオーケストラ不要の楽曲ばかりであった為に生演奏したのは、歌手が登場時のファンファーレだけという状況であった。
89年にも下落が見られるがこれは前述の通り、フジテレビで同時刻に「とんねるずのみなさんのおかげです」がスタートしたからである。
担当期間 (放送回数) | 男性 | 女性 |
---|---|---|
1978年(昭和53年)1月19日 - 1985年(昭和60年)4月25日 (第1回 - 第375回) | 久米宏 | 黒柳徹子 |
1985年(昭和60年)5月2日 - 1985年(昭和60年)9月26日 (第376回 - 第397回) | (司会者輪番制) | |
1985年(昭和60年)10月3日 - 1986年(昭和61年)9月25日 (第398回 - 第448回) | 小西博之 | |
1986年(昭和61年)10月2日 - 1989年(昭和64年)1月5日 (第449回 - 第565回) | 松下賢次 | |
1989年(平成元年)1月12日 - 1989年(平成元年)9月28日 (第566回 - 第603回) | 渡辺正行、柄沢晃弘 |
初回放送の前週に放送された『ザ・ベストテン前夜祭』(1978年1月12日)が黒柳・久米コンビの司会スタート。正式の最終回(1989年10月5日)は4代目の黒柳・渡辺・柄沢トリオが主に司会を担当した。
なお、上記の放送回数はランキング紹介を行ったレギュラー放送回についての通算回数を表記しており、この前夜祭と正規最終回の回数は含まれていない(これらを含むと通算放送回数は605回)。また、初代男性司会者の久米については前番組に当たる『トップスターショー・歌ある限り』のサブ司会を担当しており、それを含めたTBS木曜21時枠での通算司会期間は計9年7か月となる。
代役司会として多くのタレント・文化人が様々な形で登板した。代役司会の最初とも言うべきはタモリで、1981年2月5日に久米宏の代打として登場。久米明とのコンビ登場(1983年8月25日)などその後もさまざまな形でベストテンに登場した。
久米宏担当時においては、1981年の女性問題に伴う謹慎時、また1982年6月17日と6月24日放送で久米が盲腸炎(虫垂炎)で入院し欠席した際には、追っかけマンだった松宮一彦と生島ヒロシが代役を担当した。
特に1985年4月の久米降板から2代目司会者に小西博之に決定するまでの1985年5月から9月の間は、黒柳のパートナー不在のため代打司会を多く起用している。これは、久米が2代目の司会に松宮の起用を望んでいたものの、久米の後釜というプレッシャーから辞退したなどのため、なかなか正式な司会が決まらなかったことによる。
松下担当時は、TBSの労働組合のストライキのため番組を欠席したが、このときは代理司会を置かず、スタジオには頭に鉢巻、肩に襷をかけ、右手にマイクを持ったタキシード姿の松下の等身大の人形が置かれた(1987年4月23日放送)。また、追っかけマンもTBS担当分については、通常は出演していなかった藤田和弘など管理職および役員待遇のアナウンサーらが担当していた。
一貫して司会を務めた黒柳も、1984年にユニセフ国際親善大使に任命されてから海外への会議や視察のため年に1 - 2回ほど番組を欠席しており、その際は男性司会者が単独で司会をすることが多かったが、特別に代理司会を立てることもあった。
ゲスト司会者登場時の進行補助、もしくはゲスト司会者が登場しない回における進行を、1985年5月2日から6月27日放送までは松下賢次、7月4日から9月26日放送までは生島が担当した。
1989年からは、柄沢晃弘が欠席の時には、ベストテン特派員の吉本多江が代理出席する程度。ただし、大リーグ観戦で欠席した9月7日の600回は追っかけマンの松宮が担当した。1月5日放送のみ歴代の司会者の一部が登場した以外は通常の司会者が務めた。最終回直前になると、黒柳・渡辺・柄沢・吉本の4人で司会進行する回がしばしばあった。
歌手が仕事の都合等でスタジオに来られない場合でも、“追いかけます、お出かけならばどこまでも”を売りに、当時TBSアナウンサーだった松宮一彦や生島ヒロシ、JNN各局のアナウンサーが「追っかけマン」「追っかけウーマン」として登場し、現地からの歌唱を中継披露するのも恒例行事であった。なお、海外中継や延長戦など「追っかけマン」「追っかけウーマン」が登場せずに歌手だけのケースも存在する。
初登場の松田聖子は羽田空港に到着後すぐランプエリアで歌い、その後甲子園から梅田へ向けて走る阪神電車の車内で歌ったり、当時現役の国鉄職員だった「車掌さん歌手」こと伊藤敏博は勤務先の富山県や石川県の北陸本線の駅や車両基地で歌い、『スチュワーデス物語』撮影中の堀ちえみが、日本航空のスチュワーデスの服装で(すなわち、撮影用の衣装のまま)成田空港のハンガー内に駐機しているボーイング747の機内で歌ったり、郷ひろみが熊本駅に停車中で出発間際の特急おおよどに乗車し乗降デッキで歌っている途中でドアが閉まり発車した事、近藤真彦と田原俊彦が原宿・表参道のど真ん中を走るキャデラックのオープンカーの上から中継したり、斉藤由貴がNHK連続テレビ小説『はね駒』出演中、収録の合間を縫ってNHKの駐車場に簡易セットを組み立てて歌ってもらうなど、変わったシチュエーションでの中継も多かった。
新幹線での移動途中の中継は番組でよく行われ、静岡駅や名古屋駅、新大阪駅での停車時間帯を狙った中継も多かった。特に静岡駅や名古屋駅では停車時間が短いこともあり、歌の途中でドアが閉まり、そのまま発車してしまうことも幾度かあった。移動途中での中継は「新幹線から下車してホームで歌う」「停車時間に合わせてデッキから歌う」というパターンが多かったが、「駅周辺のビルから新幹線の車中で歌う歌手を撮影」といったものもあった。田原俊彦(「ピエロ」1983年3月31日放送、名古屋駅停車中)や小泉今日子(「迷宮のアンドローラ」1984年8月16日放送、静岡駅停車中)、中森明菜(「十戒-1984-」1984年8月23日放送、姫路駅停車中)などがこのパターンだったが、田原のケースでは唄っている途中に列車が出発してしまい、小泉のケースでは本人はどこから撮影しているか最後まで分からないようであった。
コンサートで地方に行っている歌手が、終了後に近くの名所から中継することも多く、沢田研二はグラバー園から、松田聖子は松本城などからの中継もあった。名所だけでなく、渥美二郎は営業先である山形のキャバレーのステージから、また欧陽菲菲や中山美穂は郵便局の中といった、変わった場所からの中継もあった。
国内中継での珍しいパターンとしては、東名高速道路を車で移動中だった田原俊彦(東京から西へ)と中森明菜(愛知県瀬戸市から東京へ。「少女A」1982年11月18日放送)が、いったん高速を降り、静岡インターチェンジ至近にあったSBS本社から中継で歌うというものもあった。しかし田原の方は番組放送時間中にSBS本社へ到着できず、放送終了後何とか到着したところで、SBS本社に見物に来たファンへのサービスおよび翌週放送分の素材として収録を始めたが、マイクロ回線の使用予約時間を過ぎてしまい、曲の1番を歌い終えたところで回線が途絶えてしまうというハプニングもあった。また、田原の中継では温泉の男湯から行ったものもあった。これは直前にジャニーズ系タレントのイベントで将棋倒し事故が起こったことから、「女の子のいないところから中継しよう」という判断に基づいたものであった。
海外からの中継も多く、杏里のホノルルのレコーディングスタジオからの中継、近藤真彦のハワイ沖の豪華客船からの中継、徳永英明のニューヨークからの中継、一風堂のロンドンやリヴァプールからの中継(イギリスのロックバンド・JAPANとの共演)、カリフォルニア州のデスバレーでパラシュートを背負った沢田研二が「TOKIO」を熱唱した一件などがある。当時政情が不安定だったカンボジアでロケ中だった南野陽子を追いかけてソ連の支援で建てられたプノンペンの放送局から中継したこともある。
少年隊はオーストラリアのアデレードから生中継を行ったが「ABC」(1988年1月28日放送・同年1月月間ベストテン4位、週間10位)を歌唱中に、現地のテレビ局の電波と中継用の衛星回線が混線したのが原因で、突然現地のドラマの映像が流れ出す、といったハプニングがあった。この時の司会の松下は、少年隊が歌っていた時にソファーで横になっていたが、すぐさまオーストラリアのドラマの映像(中年の男性が映っていた)に対して「この方はオーストラリアの大変有名な俳優さんでございまして、日本の森繁久彌さんのような非常に重厚な演技で知られております」とアドリブで解説を入れた。
追っかけの対象は歌手だけでなく、司会である黒柳も同様だった。これは番組開始時に、黒柳が司会に就任する条件の一つとして「毎年海外旅行に行くので2 - 3週間の夏季休暇が取れること」を挙げ、番組側がこれを受諾したことが遠因。しかし、番組制作側としてはメイン出演者の一人である黒柳を3週間も欠くことは大きな痛手であると考えたため、結局黒柳の旅行先である海外までスタッフを派遣し、衛星生中継で黒柳を出演させた。出演歌手がスタジオに来られない場合はスタジオ、黒柳、歌手と3次元中継も行われた。黒柳を追いかけての衛星生中継は、1978年のニューヨークに始まりオスロ、パリなど毎年夏の恒例となり、1984年には久米も黒柳と共に休暇でドイツに行っていた為、ミュンヘンからの衛星生中継を行った。
当番組が始まる以前には、『TBS歌のグランプリ』でも不定期に全国各地からの中継を行っていた。
久米時代にはスタジオからの呼びかけがあってから、追っかけマン・追っかけウーマンが自己紹介をしていたが、久米降板後はランキング発表後すぐ中継に入り、自己紹介は廃止された。
JNN系列各局
ベストテン特派員(1989年のみ)
系列外
特別番組(ザ・ベストテン2001 - 2004)
ドリーム・プレス社コーナー「復活!ザ・ベストテン」
TBSの音楽番組は古くから『音の質にこだわった』番組作りを行っており、ランキング方式を採用した当番組においてもこの方向性は踏襲されて、その要求に応えられる優秀なジャズオーケストラ(ビッグバンド)が起用されている。
オーケストラのセットは番組開始初期は中心が「10」を模した形となっており、その「0」の中にベースとピアノ演奏者の2名を配置していたが、1981年3月26日の放送からステレオ放送対応と共に円形になり、ドラムとラテンパーカションを加えた4名に増員された。この時にランクイン曲の多様な伴奏に対応するためシンセサイザーが導入された。
この「0」と同じデザインが歌手の足元にも配置されており、ソロ歌手はその中心で歌っていたが、オケ前でもセットや多彩な照明演出が行われるようになったため、使用は番組開始すぐの司会者のトーク時のみで1987年ごろから歌唱シーンには使用しないようになった。
夜のヒットスタジオ(1985年4月のリニューアルから管楽器7名削減)など他の音楽番組が、1980年代後半になるとオーケストラの生演奏を必要としない歌手が増えたことを理由にオーケストラの人数を縮小または廃止したにもかかわらず、本番組では設置されない週が増えこそすれ処置としての縮小や廃止は一切とられなかった。これは、音楽監督の判断だった。
基本は38名編成(管楽器13名、弦楽器14名、ピアノ1名、ドラム1名、シンセサイザー1名、ベース1名、ギター2名(リードギター1、サイドギター1)パーカッション2名(ラテン1、クラシック1)コーラス女性3名)
オーケストラメンバーは基本的に白のジャケット、黒のスラックスで女性は白のドレス姿だった。曲のイメージによって中森明菜が「SAND BEIGE -砂漠へ-」でランクインした際は全員がアラビア風のクーフィーヤをつけたり、南野陽子が「話しかけたかった」でランクインした際は詰襟学生服を着て演奏したりと、番組に華を添えていた。
年度 | 曲名 | 歌手名 |
---|---|---|
1978年(昭和53年) | 銃爪(ひきがね) | 世良公則&ツイスト |
1979年(昭和54年) | おもいで酒 | 小林幸子 |
1980年(昭和55年) | 倖せさがして | 五木ひろし |
1981年(昭和56年) | ルビーの指環 | 寺尾聰 |
1982年(昭和57年) | 北酒場 | 細川たかし |
1983年(昭和58年) | 矢切の渡し | 細川たかし |
1984年(昭和59年) | 長良川艶歌 | 五木ひろし |
1985年(昭和60年) | 悲しみにさよなら | 安全地帯 |
1986年(昭和61年) | BAN BAN BAN | KUWATA BAND |
1987年(昭和62年) | 追憶 | 五木ひろし |
1988年(昭和63年) | 抱きしめてTONIGHT | 田原俊彦 |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 銃爪 | 世良公則&ツイスト |
2位 | 微笑がえし | キャンディーズ |
3位 | 宿無し | 世良公則&ツイスト |
4位 | サムライ | 沢田研二 |
5位 | プレイバックPart2 | 山口百恵 |
6位 | ダーリング | 沢田研二 |
7位 | ジョニーの子守唄 | アリス |
8位 | サウスポー | ピンク・レディー |
9位 | ブルースカイ ブルー | 西城秀樹 |
10位 | 林檎殺人事件 | 郷ひろみ・樹木希林 |
11位 | LOVE (抱きしめたい) | 沢田研二 |
12位 | 時間よとまれ | 矢沢永吉 |
13位 | 絶体絶命 | 山口百恵 |
14位 | 季節の中で | 松山千春 |
15位 | UFO | ピンク・レディー |
16位 | かもめが翔んだ日 | 渡辺真知子 |
17位 | モンスター | ピンク・レディー |
18位 | 炎 | 西城秀樹 |
19位 | Mr.サマータイム | サーカス |
20位 | 君のひとみは10000ボルト | 堀内孝雄 |
21位 | 涙の誓い | アリス |
22位 | バイブレーション (胸から胸へ) | 郷ひろみ |
23位 | 勝手にシンドバッド | サザンオールスターズ |
24位 | 乙女座 宮 | 山口百恵 |
25位 | カナダからの手紙 | 平尾昌晃・畑中葉子 |
26位 | 迷い道 | 渡辺真知子 |
27位 | タイムトラベル | 原田真二 |
28位 | 透明人間 | ピンク・レディー |
29位 | 冬の稲妻 | アリス |
30位 | あなたと愛のために | 西城秀樹 |
31位 | グッド・ラック | 野口五郎 |
32位 | ブーツをぬいで朝食を | 西城秀樹 |
33位 | 泣き上手 | 野口五郎 |
34位 | ブルー | 渡辺真知子 |
35位 | 飛んでイスタンブール | 庄野真代 |
36位 | 青葉城恋唄 | さとう宗幸 |
37位 | あんたのバラード | 世良公則&ツイスト |
38位 | 愛よ甦れ | 野口五郎 |
39位 | ハリウッド・スキャンダル | 郷ひろみ |
40位 | シャドー・ボクサー | 原田真二 |
41位 | 時には娼婦のように | 黒沢年男 |
42位 | みずいろの雨 | 八神純子 |
43位 | リップスティック | 桜田淳子 |
44位 | たそがれマイ・ラブ | 大橋純子 |
45位 | ヤマトより愛をこめて | 沢田研二 |
46位 | 夏のお嬢さん | 榊原郁恵 |
47位 | 花しぐれ | 高田みづえ |
48位 | キャンディ | 原田真二 |
49位 | 潮どき | 五木ひろし |
50位 | わな | キャンディーズ |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | おもいで酒 | 小林幸子 |
2位 | いとしのエリー | サザンオールスターズ |
3位 | 夢追い酒 | 渥美二郎 |
4位 | カリフォルニア・コネクション | 水谷豊 |
5位 | 燃えろいい女 | 世良公則&ツイスト |
6位 | 関白宣言 | さだまさし |
7位 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 西城秀樹 |
8位 | 銀河鉄道999 | ゴダイゴ |
9位 | きみの朝 | 岸田智史 |
10位 | チャンピオン | アリス |
11位 | 魅せられて | ジュディ・オング |
12位 | みちづれ | 牧村三枝子 |
13位 | カサブランカ・ダンディ | 沢田研二 |
14位 | ホップ・ステップ・ジャンプ | 西城秀樹 |
15位 | ガンダーラ | ゴダイゴ |
16位 | 勇気があれば | 西城秀樹 |
17位 | 愛の嵐 | 山口百恵 |
18位 | 虹とスニーカーの頃 | チューリップ |
19位 | 新宿・みなと町 | 森進一 |
20位 | ビューティフル・ネーム | ゴダイゴ |
21位 | HERO(ヒーローになる時、それは今) | 甲斐バンド |
22位 | マイレディー | 郷ひろみ |
23位 | セクシャルバイオレットNo.1 | 桑名正博 |
24位 | モンキー・マジック | ゴダイゴ |
25位 | しなやかに歌って | 山口百恵 |
26位 | 美・サイレント | 山口百恵 |
27位 | 性(さが) | 世良公則&ツイスト |
28位 | OH! ギャル | 沢田研二 |
29位 | アメリカン・フィーリング | サーカス |
30位 | 窓 | 松山千春 |
31位 | よせばいいのに | 敏いとうとハッピー&ブルー |
32位 | 北国の春 | 千昌夫 |
33位 | 愛の水中花 | 松坂慶子 |
34位 | いい日旅立ち | 山口百恵 |
35位 | 想い出のスクリーン | 八神純子 |
36位 | 君は薔薇より美しい | 布施明 |
37位 | ポーラー・スター | 八神純子 |
38位 | 天までとどけ | さだまさし |
39位 | 夜明け | 松山千春 |
40位 | いつも心に太陽を | 郷ひろみ |
41位 | 夢去りし街角 | アリス |
42位 | 思い過ごしも恋のうち | サザンオールスターズ |
43位 | 万華鏡 | 岩崎宏美 |
44位 | おまえとふたり | 五木ひろし |
45位 | ピンク・タイフーン | ピンク・レディー |
46位 | 送春曲 | 野口五郎 |
47位 | 夢想花 | 円広志 |
48位 | おやじの海 | 村木賢吉 |
49位 | 波乗りパイレーツ | ピンク・レディー |
50位 | 真夏の夜の夢 | 野口五郎 |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 倖せさがして | 五木ひろし |
2位 | ダンシング・オールナイト | もんた&ブラザーズ |
3位 | 別れても好きな人 | ロス・インディオス&シルヴィア |
4位 | 大都会 | クリスタルキング |
5位 | 順子 | 長渕剛 |
6位 | 哀愁でいと | 田原俊彦 |
7位 | 贈る言葉 | 海援隊 |
8位 | パープルタウン | 八神純子 |
9位 | ランナウェイ | シャネルズ |
10位 | 私はピアノ | 高田みづえ |
11位 | ふたりの夜明け | 五木ひろし |
12位 | おまえとふたり | 五木ひろし |
13位 | How many いい顔 | 郷ひろみ |
14位 | さよなら | オフコース |
15位 | 昴 | 谷村新司 |
16位 | 青い珊瑚礁 | 松田聖子 |
17位 | 蜃気楼 | クリスタルキング |
18位 | ハッとして!Good | 田原俊彦 |
19位 | とまり木 | 小林幸子 |
20位 | TOKIO | 沢田研二 |
21位 | 唇よ、熱く君を語れ | 渡辺真知子 |
22位 | ロックンロール・ウィドウ | 山口百恵 |
23位 | 謝肉祭 | 山口百恵 |
24位 | 雨の慕情 | 八代亜紀 |
25位 | さよならの向う側 | 山口百恵 |
26位 | 風は秋色 | 松田聖子 |
27位 | 秋止符 | アリス |
28位 | セクシー・ユー | 郷ひろみ |
29位 | 異邦人 | 久保田早紀 |
30位 | 愛の園 | 西城秀樹 |
31位 | 悲しき友情 | 西城秀樹 |
32位 | 恋人よ | 五輪真弓 |
33位 | 恋 | 松山千春 |
34位 | セクシー・ナイト | 三原順子 |
35位 | 恋のバッド・チューニング | 沢田研二 |
36位 | Yes-No | オフコース |
37位 | 防人の詩 | さだまさし |
38位 | 酒場でDABADA | 沢田研二 |
39位 | 人生の空から | 松山千春 |
40位 | タブー(禁じられた愛) | 郷ひろみ |
41位 | 狂った果実 | アリス |
42位 | 不思議なピーチパイ | 竹内まりや |
43位 | ヤング・ボーイ | 河合奈保子 |
44位 | 愛染橋 | 山口百恵 |
45位 | 南回帰線 | 滝ともはる・堀内孝雄 |
46位 | 俺たちの時代 | 西城秀樹 |
47位 | LOVE SONG | ツイスト |
48位 | SACHIKO | ばんばひろふみ |
49位 | サンタマリアの祈り | 西城秀樹 |
50位 | ジェニーはご機嫌ななめ | ジューシィ・フルーツ |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | ルビーの指環 | 寺尾聰 |
2位 | みちのくひとり旅 | 山本譲二 |
3位 | 長い夜 | 松山千春 |
4位 | 奥飛騨慕情 | 竜鉄也 |
5位 | ハイスクールララバイ | イモ欽トリオ |
6位 | 街角トワイライト | シャネルズ |
7位 | ブルージーンズ メモリー | 近藤真彦 |
8位 | 守ってあげたい | 松任谷由実 |
9位 | スニーカーぶる〜す | 近藤真彦 |
10位 | ヨコハマ・チーク | 近藤真彦 |
11位 | 夏の扉 | 松田聖子 |
12位 | ギンギラギンにさりげなく | 近藤真彦 |
13位 | メモリーグラス | 堀江淳 |
14位 | 恋=Do! | 田原俊彦 |
15位 | シャドー・シティ | 寺尾聰 |
16位 | ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編) | 横浜銀蝿 |
17位 | チェリーブラッサム | 松田聖子 |
18位 | シンデレラ サマー | 石川優子 |
19位 | ブギ浮ぎI LOVE YOU | 田原俊彦 |
20位 | 人生かくれんぼ | 五木ひろし |
21位 | まちぶせ | 石川ひとみ |
22位 | 白いパラソル | 松田聖子 |
23位 | ハリケーン | シャネルズ |
24位 | 港・ひとり唄 | 五木ひろし |
25位 | お嫁サンバ | 郷ひろみ |
26位 | もしもピアノが弾けたなら | 西田敏行 |
27位 | キッスは目にして! | ザ・ヴィーナス |
28位 | すみれ色の涙 | 岩崎宏美 |
29位 | サヨナラ模様 | 伊藤敏博 |
30位 | サンセット・メモリー | 杉村尚美 |
31位 | ス・ト・リ・ッ・パ・ー | 沢田研二 |
32位 | 風立ちぬ | 松田聖子 |
33位 | キミに決定! | 田原俊彦 |
34位 | ペガサスの朝 | 五十嵐浩晃 |
35位 | 悲しみ2(TOO)ヤング | 田原俊彦 |
36位 | 少女人形 | 伊藤つかさ |
37位 | 渚のラブレター | 沢田研二 |
38位 | 万里の河 | チャゲ&飛鳥 |
39位 | 眠れぬ夜 | 西城秀樹 |
40位 | ロンリー・ハート | クリエーション |
41位 | スマイル・フォー・ミー | 河合奈保子 |
42位 | リトルガール | 西城秀樹 |
43位 | 春咲小紅 | 矢野顕子 |
44位 | 恋のぼんちシート | ザ・ぼんち |
45位 | 出航 SASURAI | 寺尾聰 |
46位 | グッドラックLOVE | 田原俊彦 |
47位 | 羯徒毘ロ薫'狼琉 | 横浜銀蝿 |
48位 | ブランデーグラス | 石原裕次郎 |
49位 | E気持 | 沖田浩之 |
50位 | 未完成 | 郷ひろみ |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 北酒場 | 細川たかし |
2位 | 聖母たちのララバイ | 岩崎宏美 |
3位 | 待つわ | あみん |
4位 | 心の色 | 中村雅俊 |
5位 | チャコの海岸物語 | サザンオールスターズ |
6位 | ハイティーン・ブギ | 近藤真彦 |
7位 | 赤いスイートピー | 松田聖子 |
8位 | 哀愁のカサブランカ | 郷ひろみ |
9位 | ふられてBANZAI | 近藤真彦 |
10位 | 情熱☆熱風☽せれなーで | 近藤真彦 |
11位 | 渚のバルコニー | 松田聖子 |
12位 | 少女A | 中森明菜 |
13位 | 君に薔薇薔薇…という感じ | 田原俊彦 |
14位 | シルエット・ロマンス | 大橋純子 |
15位 | 約束 | 渡辺徹 |
16位 | ホレたぜ!乾杯 | 近藤真彦 |
17位 | 原宿キッス | 田原俊彦 |
18位 | おまえにチェックイン | 沢田研二 |
19位 | 色つきの女でいてくれよ | ザ・タイガース |
20位 | 赤道小町ドキッ | 山下久美子 |
21位 | すみれ September Love | 一風堂 |
22位 | NINJIN娘 | 田原俊彦 |
23位 | 小麦色のマーメイド | 松田聖子 |
24位 | セーラー服と機関銃 | 薬師丸ひろ子 |
25位 | ウエディング・ベル | シュガー |
26位 | 契り | 五木ひろし |
27位 | 誘惑スレスレ | 田原俊彦 |
28位 | ラ・セゾン | アン・ルイス |
29位 | 6番目のユ・ウ・ウ・ツ | 沢田研二 |
30位 | 夢の途中 | 来生たかお |
31位 | 夏をあきらめて | 研ナオコ |
32位 | 男の勲章 | 嶋大輔 |
33位 | 匂艶THE NIGHT CLUB | サザンオールスターズ |
34位 | 誘惑 | 中島みゆき |
35位 | 野ばらのエチュード | 松田聖子 |
36位 | YES MY LOVE | 矢沢永吉 |
37位 | 100%…SOかもね! | シブがき隊 |
38位 | 南十字星 | 西城秀樹 |
39位 | ダンスはうまく踊れない | 高樹澪 |
40位 | い・け・な・いルージュマジック | 忌野清志郎+坂本龍一 |
41位 | 麗人 | 沢田研二 |
42位 | 夏のヒロイン | 河合奈保子 |
43位 | すずめ | 増田けい子 |
44位 | けんかをやめて | 河合奈保子 |
45位 | 3年目の浮気 | ヒロシ&キーボー |
46位 | NAI・NAI 16 | シブがき隊 |
47位 | Ya Ya (あの時代を忘れない) | サザンオールスターズ |
48位 | DESIRE | もんた&ブラザーズ |
49位 | 聖・少女 | 西城秀樹 |
50位 | $百萬BABY | Johnny |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 矢切の渡し | 細川たかし |
2位 | めだかの兄妹 | わらべ |
3位 | さざんかの宿 | 大川栄策 |
4位 | 氷雨 | 佳山明生 |
5位 | め組のひと | ラッツ&スター |
6位 | 初恋 | 村下孝蔵 |
7位 | 探偵物語 | 薬師丸ひろ子 |
8位 | 1/2の神話 | 中森明菜 |
9位 | メリーアン | アルフィー |
10位 | 禁区 | 中森明菜 |
11位 | CAT'S EYE | 杏里 |
12位 | 浪花恋しぐれ | 都はるみ・岡千秋 |
13位 | ガラスの林檎 | 松田聖子 |
14位 | 時をかける少女 | 原田知世 |
15位 | 天国のキッス | 松田聖子 |
16位 | 細雪 | 五木ひろし |
17位 | 僕笑っちゃいます | 風見慎吾 |
18位 | ミッドナイト・ステーション | 近藤真彦 |
19位 | ピエロ | 田原俊彦 |
20位 | 秘密の花園 | 松田聖子 |
21位 | 氷雨 | 日野美歌 |
22位 | ボヘミアン | 葛城ユキ |
23位 | エスカレーション | 河合奈保子 |
24位 | 春なのに | 柏原芳恵 |
25位 | 真夏の一秒 | 近藤真彦 |
26位 | ためいきロ・カ・ビ・リー | 近藤真彦 |
27位 | トワイライト -夕暮れ便り- | 中森明菜 |
28位 | 悲しい色やね | 上田正樹 |
29位 | さらば‥夏 | 田原俊彦 |
30位 | セカンド・ラブ | 中森明菜 |
31位 | 想い出がいっぱい | H2O |
32位 | そんなヒロシに騙されて | 高田みづえ |
33位 | 19:00の街 | 野口五郎 |
34位 | GOOD-BYE青春 | 長渕剛 |
35位 | シャワーな気分 | 田原俊彦 |
36位 | 冬のリヴィエラ | 森進一 |
37位 | ボディ・スペシャルII | サザンオールスターズ |
38位 | 夏色のナンシー | 早見優 |
39位 | 君に、胸キュン。 | Y.M.O |
40位 | ZOKKON 命 | シブがき隊 |
41位 | 瞳はダイアモンド | 松田聖子 |
42位 | 恋人も濡れる街角 | 中村雅俊 |
43位 | まっ赤な女の子 | 小泉今日子 |
44位 | 家路 | 岩崎宏美 |
45位 | 半分少女 | 小泉今日子 |
46位 | 挑発∞ | シブがき隊 |
47位 | Hey! Bep-pin | シブがき隊 |
48位 | 処女的衝撃! | シブがき隊 |
49位 | UNバランス | 河合奈保子 |
50位 | ドラマティック・レイン | 稲垣潤一 |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 長良川艶歌 | 五木ひろし |
2位 | 涙のリクエスト | チェッカーズ |
3位 | 哀しくてジェラシー | チェッカーズ |
4位 | 星空のディスタンス | アルフィー |
5位 | ワインレッドの心 | 安全地帯 |
6位 | もしも明日が…。 | わらべ |
7位 | 星屑のステージ | チェッカーズ |
8位 | 十戒 (1984) | 中森明菜 |
9位 | 娘よ | 芦屋雁之助 |
10位 | ふたりの愛ランド | 石川優子&チャゲ |
11位 | 北ウイング | 中森明菜 |
12位 | Rock'n Rouge | 松田聖子 |
13位 | モニカ | 吉川晃司 |
14位 | サザン・ウインド | 中森明菜 |
15位 | 雨音はショパンの調べ | 小林麻美 |
16位 | ケジメなさい | 近藤真彦 |
17位 | ミス・ブランニュー・デイ | サザンオールスターズ |
18位 | STARSHIP -光を求めて- | アルフィー |
19位 | ヤマトナデシコ七変化 | 小泉今日子 |
20位 | メイン・テーマ | 薬師丸ひろ子 |
21位 | 迷宮のアンドローラ | 小泉今日子 |
22位 | NEVER | MIE |
23位 | ギザギザハートの子守唄 | チェッカーズ |
24位 | つぐない | テレサ・テン |
25位 | お久しぶりね | 小柳ルミ子 |
26位 | 時間の国のアリス | 松田聖子 |
27位 | チャールストンにはまだ早い | 田原俊彦 |
28位 | 桃色吐息 | 髙橋真梨子 |
29位 | ピンクのモーツァルト | 松田聖子 |
30位 | 悲しみがとまらない | 杏里 |
31位 | 一番野郎 | 近藤真彦 |
32位 | 恋人達のペイヴメント | アルフィー |
33位 | 泣かないで | 舘ひろし |
34位 | 最愛 | 柏原芳恵 |
35位 | 騎士道 | 田原俊彦 |
36位 | 前略、道の上より | 一世風靡セピア |
37位 | 22歳 | 谷村新司 |
38位 | サヨナラは八月のララバイ | 吉川晃司 |
39位 | 君のハートはマリンブルー | 杉山清貴&オメガトライブ |
40位 | 顔に書いた恋愛小説 | 田原俊彦 |
41位 | バージン・ブルー | SALLY |
42位 | 浪花節だよ人生は | 木村友衛 |
43位 | 渚のはいから人魚 | 小泉今日子 |
44位 | もしかしてPARTII | 小林幸子・美樹克彦 |
45位 | ラ・ヴィアンローズ | 吉川晃司 |
46位 | サムライ・ニッポン | シブがき隊 |
47位 | 浪花節だよ人生は | 細川たかし |
48位 | ラヴ・イズ・オーヴァー | 欧陽菲菲 |
49位 | 喝! | シブがき隊 |
50位 | 永遠に秘密さ | 近藤真彦 |
# | 曲名 | 歌手 |
---|---|---|
1位 | 追憶 | 五木ひろし |
2位 | 命くれない | 瀬川瑛子 |
3位 | 君だけに | 少年隊 |
4位 | STAR LIGHT | 光GENJI |
5位 | ろくなもんじゃねえ | 長渕剛 |
6位 | 輝きながら… | 徳永英明 |
7位 | 難破船 | 中森明菜 |
8位 | サマー・ドリーム | チューブ |
9位 | 雪國 | 吉幾三 |
10位 | 愚か者 | 近藤真彦 |
11位 | 木枯しに抱かれて | 小泉今日子 |
12位 | 50/50 | 中山美穂 |
13位 | I Love you, SAYONARA | チェッカーズ |
14位 | Get Wild | TM NETWORK |
15位 | BLONDE | 中森明菜 |
16位 | WANDERER | チェッカーズ |
17位 | Marionette | BOØWY |
18位 | TANGO NOIR | 中森明菜 |
19位 | Stripe blue | 少年隊 |
20位 | Strawberry Time | 松田聖子 |
21位 | 北の旅人 | 石原裕次郎 |
22位 | 楽園のDoor | 南野陽子 |
23位 | 愛しき日々 | 堀内孝雄 |
24位 | 迷惑でしょうが… | とんねるず |
25位 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | 桑田佳祐 |
26位 | サファイアの瞳 | ALFEE |
27位 | 水のルージュ | 小泉今日子 |
28位 | Oneway Generation | 本田美奈子 |
29位 | CATCH ME | 中山美穂 |
30位 | 話しかけたかった | 南野陽子 |
31位 | バラードのように眠れ | 少年隊 |
32位 | 泣いてみりゃいいじゃん | 近藤真彦 |
33位 | SHOW ME | 森川由加里 |
34位 | 派手!!! | 中山美穂 |
35位 | ないものねだりのI Want You | C-C-B |
36位 | 水の中のAnswer | 杉山清貴 |
37位 | じれったい | 安全地帯 |
38位 | I Don't Know! | BaBe |
39位 | さすらい | 近藤真彦 |
40位 | 男と女のラブゲーム | 日野美歌・葵司朗 |
41位 | Smile Again | 小泉今日子 |
42位 | 無錫旅情 | 尾形大作 |
43位 | 大きなお世話サマー | とんねるず |
44位 | ハートは戻らない | 早見優 |
45位 | WAKU WAKUさせて | 中山美穂 |
46位 | 君が通り過ぎたあとに | ALFEE |
47位 | 白夜 -byaku-ya- | ALFEE |
48位 | MONOTONE BOY | レベッカ |
49位 | Dance With You | チューブ |
50位 | わかれ道 | いしだあゆみ・渡哲也 |
同週2曲以上のランクインの場合1曲=1週とカウント(公式本:別冊ザ・テレビジョン ザ・ベストテンの「ランクイン総週数ランキング」データに準拠)
番組初期によく出演したが、後半になると出演拒否に近かった歌手。1980年代後半になると出演拒否が目立つようになる。この番組だけに限らず、同じランキング形式の番組である『ザ・トップテン』『歌のトップテン』や、その他歌番組などでも似た現象が見られた。
※系列は放送当時のもの。
※ステレオ放送の開始時期において特記のないものは、1981年3月26日に東京放送(TBSテレビ)において『ザ・ベストテン』のステレオ放送を開始した日と同日(テレビユー山形・テレビユー福島は開局と同時)。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 現:TBSテレビ 1981年3月26日からはステレオ音声での制作を開始(前述) |
北海道 | 北海道放送 | ステレオ放送は札幌放送局エリアのみの実施 | |
青森県 | 青森テレビ | 全期間モノラル放送(音声多重放送開始は1990年10月1日から) | |
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 秋田放送が中継参加ができない際の秋田県内の中継を担当した | |
宮城県 | 東北放送 | 放送当時TBS系列局の無かった山形県の中継も担当(テレビユー福島と分担) | |
山形県 | テレビユー山形 | サービス放送期間中にレギュラー最終回、本放送開始後に「さようならザ・ベストテン」を放送 | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | 1983年9月29日打ち切り 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局 1981年10月1日放送分からステレオ放送を実施 |
テレビユー福島 | TBS系列 | 1983年12月8日から 放送当時TBS系列局の無かった山形県の中継も担当(東北放送と分担) | |
山梨県 | テレビ山梨 | ||
長野県 | 信越放送 | ||
新潟県 | 新潟放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | 1982年4月1日放送分からステレオ放送を実施 | |
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現:CBCテレビ | |
石川県 | 北陸放送 | 放送当時TBS系列局の無かった富山県と現在も系列局の無い福井県の一部の中継も担当 | |
近畿広域圏 | 毎日放送 | 現在もTBS系列局の無い福井県の一部と徳島県の中継も担当 | |
岡山県 →岡山県 香川県 | 山陽放送 | 現:RSK山陽放送 1979年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1979年4月より相互乗り入れに伴い香川県でも放送 南海放送が何らかの事情で中継出来ないときは代わりに愛媛県内の中継を担当した | |
鳥取県 島根県 | 山陰放送 | 全期間モノラル放送(ステレオ放送開始は1992年4月1日) | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | 1979年4月5日からネット開始 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 全期間モノラル放送(ステレオ放送開始は1989年12月21日) | |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 「さよなら1983 ザ・ベストテン豪華版」を放送 愛媛県からの中継は系列外ながら裏送りで担当 番組ネット時はモノラル放送(ステレオ放送開始は1990年7月19日) |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 全期間モノラル放送(ステレオ放送開始は1992年4月1日) |
福岡県 | RKB毎日放送 | 佐賀県の中継も担当 | |
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | 1989年7月20日放送分から最終回までステレオ放送を実施 | |
宮崎県 | 宮崎放送 | 全期間モノラル放送(ステレオ放送開始は1990年8月29日) | |
鹿児島県 | 南日本放送 | 1982年4月1日放送分からステレオ放送を実施 | |
沖縄県 | 琉球放送 | 1985年6月6日放送分からステレオ放送を実施 |
当時の人気やゴシップなどの影響から、松田聖子と田原俊彦の関係には非常に注意が払われ、番組セットの待機席でも二人が隣り合わないように席を決めたほか、新聞でも二人の名前を並べて掲載しないよう配慮が行われていた。
番組制作費は年間で約1億円の赤字だった。番組自体は非常に高視聴率であり、スタッフの間では社長賞を期待する意見も度々上がってはいたが、当時の社長から「年間いくら赤字を出しているのか考えてから言え」と一喝されてしまったという。結局社長賞は番組10周年の際に「10年間お疲れ様」の名目で出されたのみであったとのこと。
『とんねるずのみなさんのおかげです』が開始して以降、楽屋では本番組よりも『おかげです』を視聴していた歌手がほとんどだったという。
黒柳が1980年 - 1983年までNHK『NHK紅白歌合戦』の紅組司会に起用されたのは、本番組の影響も大きかったとされる。
2013年、スタッフとして番組を支えてきた山田修爾が8月28日に、弟子丸千一郎が10月27日に相次いで他界した。
2020年6月、番組テーマ曲を作曲した服部克久が他界。2020年7月18日放送の『音楽の日』では、服部メドレーの一つとして、番組テーマ曲が演奏された。また、2020年12月30日放送の『第62回輝く!日本レコード大賞』でも番組テーマ曲が演奏された。
1989年秋の放送終了後しばらくは、末期に提供していたスポンサーが夜10時枠に移行し、音楽番組『音楽派トゥギャザー』を開始したが、同年12月に打ち切りとなった。ただ、「ザ・ベストテン」は特番として度々復活している。
2005年9月30日の『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「ザ・ベストテンの真相」でのランキング。
放送回 | 本放送日 | 再放送日(初回) |
---|---|---|
#60 | 1979年3月15日 | 2018年7月24日 |
#63 | 1979年4月5日 | 2019年5月19日 |
#152 | 1980年12月25日 | 2020年6月20日 |
#221 | 1982年5月6日 | 2020年9月24日 |
#133 | 1980年8月14日 | 2020年11月3日 |
#259 | 1983年1月27日 | 2021年1月24日 |
#88 | 1979年9月27日 | 2021年3月21日 |
#328 | 1984年5月24日 | 2021年5月23日 |
#101 | 1979年12月27日 | 2021年7月18日 |
#24 | 1978年6月29日 | 2021年9月18日 |
#80 | 1979年8月2日 | 2021年11月7日 |
#354 | 1984年11月22日 | 2022年1月23日 |
#109 | 1980年2月28日 | 2022年3月20日 |
#34 | 1978年9月7日 | 2022年5月29日 |
#485 | 1987年6月18日 | 2022年8月14日 |
#456 | 1986年11月20日 | 2022年11月27日 |
2018年(平成30年)7月24日、CS放送・TBSチャンネル2において、同年5月16日に逝去した西城秀樹(63歳没)の追善企画「追悼 西城秀樹」の一環として、西城の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が初の第1位を獲得した1979年3月15日放送回(第60回)が特別放送された(21:00 - 22:00)。ザ・ベストテンがCSで再放送されたのはこれが初。また、番組本編終了後に黒柳出演の特別映像が放送され、西城の思い出を語った。また、この回は8月5日の15:00 - 16:00にも放送された。
2019年5月19日には2度目となる再放送として、西城秀樹の一周忌追善「西城秀樹特集」 の一環として、西城の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が第1位、番組最高得点となる9999点を獲得した1979年4月5日放送回(第63回)が特別放送された(21:00 - 21:43)。続けて番組終了後にTBSチャンネルオリジナルのインタビュー番組『テレビがくれた夢』からプロデューサーの山田修爾が出演した回(2013年制作) が放送された。
2020年(令和2年)6月より、概ね2ヶ月に1回のペースで再放送を行っている。再放送は順不同で、肖像権や映像の権利関係等の都合でオープニングの四要素のランキングの背景や20位から11位の映像などはオーケストラセットや回転するレコードの画像に差し替えられ、一部の出演アーティストも同じ理由で出演部分や歌唱前のトークがカットされている(権利問題をクリアし出演部分が放送されているアーティストもいる)。
また、カットされた当該歌手はソファに座る姿にもモザイク処理がされている。CSでの放送にあたり、黒柳と出演アーティストによる対談企画も合わせて放送している。
神奈川県横浜市にある放送ライブラリーでは、以下の番組が視聴可能である。
TBS系列 木曜21:00 - 21:54 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
トップスターショー・歌ある限り (21:00 - 21:55) | ザ・ベストテン (1978年1月 - 1989年9月) | |
TBS 木曜21:54 - 21:55 | ||
トップスターショー・歌ある限り (21:00 - 21:55) | ザ・ベストテン (1978年1月 - 1982年9月) 【1分縮小して継続】 |
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