井川 意高(いかわ もとたか、1964年〈昭和39年〉7月28日 - )は、日本の実業家。大王製紙前会長。大王製紙創業家3代目(同社創業者・井川伊勢吉の孫)で「ティッシュ御曹司」と称される。カジノで106億8000万円をつぎ込んだ背任事件(大王製紙事件)で有罪判決を受けた後収監された。このことから「106億円を熔かした男」「生涯収支マイナス106億円君」と言われる。
いかわ もとたか 井川 意高 | |
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生誕 | 1964年7月28日(59歳) 日本・京都府 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
職業 | 無職(元・実業家) |
配偶者 | 独身(離婚歴あり) |
子供 | あり(長女、次女、長男) |
家族 | 井川高雄(父) 井川高博(弟) |
愛媛県伊予三島市(現:四国中央市)を拠点とする製紙会社大王製紙の創業家に、2代目である井川高雄の長男として生まれた。2歳下の弟、井川高博はのちに大王製紙取締役となる。
京都市内で生まれた後、小学校直前まで米国で育ち、その後、小学校入学までを大王製紙四国本社がある愛媛県で過ごす。その後、家族と共に東京に引っ越した。渋谷区立大向小学校(現:渋谷区立神南小学校)に転入。筑波大学附属駒場中学校・高等学校を経て、東京大学法学部を卒業する。
大学を卒業してから1年間大原簿記学校で学ぶ。1988年(昭和63年)4月、大王製紙に入社する。三島工場次長、常務取締役、専務取締役などを経て、1998年(平成10年)6月に代表取締役副社長となった。2006年(平成18年)4月からは、子会社であった名古屋パルプの社長を約1年間務める。オーナー企業の創業家出身に加え、取引先との関係改善やブランド戦略などによって、大王製紙の家庭紙事業を黒字転換させた経営手腕が評価され、2007年(平成19年)4月、42歳で大王製紙の第5代社長に就任した。2011年(平成23年)6月に、会長に就任する。
カジノ(マリーナベイ・サンズ、ギャラクシーマカオ、ウィン・マカオ)での賭け(主にバカラ)で巨額の借金を被り、借金返済と更なる賭け金のために、大王製紙の子会社7社から2010年(平成22年)度に約23億5000万円、翌2011年4月からの半年間に約60億円を個人的に借り入れた。これら融資の多くは、子会社各社での取締役会の決議や貸借契約書の作成などは行われていたが、融資先である井川による使途も不明なまま、約50億円が未返済となっていた。関連資料によっては借入総額が106億円に上るとされることもある。
これらの事実は2011年(平成23年)9月に発覚、井川は会長職を辞任。事件が公になった後、大王製紙は井川を刑事告発する準備を進め、翌10月には東京地方検察庁が特別背任容疑での捜査に着手することが報じられた。
同年11月21日、大王製紙は井川が子会社7社から合計85億8000万円を不正に借り入れたとして告発、井川は翌22日、会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。同日、東京都渋谷区広尾にある井川の自宅や、愛媛県四国中央市の実家などが家宅捜索を受けた。起訴後の12月22日に保釈保証金3億円で保釈された。
井川が日本製紙連合会副会長を務めていた際の会長だった篠田和久王子製紙社長と親しかったため、2012年初頭、王子製紙と大王製紙の統合を考え、篠田社長に大王製紙株の売却を持ちかけたが、大王製紙役員の同意が必要との条件を出され、佐光正義大王製紙社長や叔父らの反対で断念する。
2012年(平成24年)10月10日、東京地方裁判所は井川に対して懲役4年の実刑判決を言い渡し、弁護側は判決不服として即日控訴した。2013年(平成25年)2月28日、東京高等裁判所は1審を支持して控訴棄却、弁護側は3月4日に上告した。同年6月26日、最高裁判所は井川の上告を棄却し、執行猶予なしの懲役4年とした1・2審の実刑判決が確定判決となり、喜連川社会復帰促進センターに収監された。
2016年(平成28年)12月14日、仮釈放される。2017年6月、刑期満了。
以上の不祥事が大きく報道されている時期に、小学校時代の夏休みや冬休みに東京の学習塾で中学受験の集中講座を受けていたことを「飛行機で東京の学習塾に通っていた」、大学生のとき父親の帝王学の一環で銀座のクラブで財界の大物経営者たちとの交流していたことを「父親のカネで銀座のクラブで豪遊」などとマスコミが報じた。
2022年(令和4年)6月27日、日刊ゲンダイDIGITALは出所後の井川が近況を語る記事を掲載した。
その後「ギャンブル依存症は治ったので一切ギャンブルは行っていない」と公言(後述)していたが、2023年に韓国のバカラ賭博場で賭けに興じている姿を報じられている。その際の電話取材に対し「自分が主催している月額9万9000円のオンラインサロンのメンバーとお付き合いで行った」、「三日三晩賭けていたが数百万円程度の負けなのでパチンコで遊んでいる程度」と答えている。
交友関係は派手であり、国会議員では、大学で同級であった浅尾慶一郎や、高校の後輩に当たる後藤田正純らと交流がある。2007年(平成19年)に行われた社長就任パーティーには、元首相の中曽根康弘、サントリー社長の佐治信忠、タレントの神田うのら、各界の著名人が出席した。
六本木などで夜毎に酒宴を開き、藤原紀香などの女性タレント、田丸麻紀などの女性モデル、熊田曜子などグラビアアイドル、らと派手に広く交流していた。日本国外のカジノを好んでマカオやラスベガスを度々訪れ、ラスベガスのホテルのショーでVIP席が用意される上客であった。ただギャンブル癖については、大王製紙事件の刑期満了後に1か月ほどシンガポールのカジノでバカラをぶっ続けでプレイしたのを最後に、本人曰く「痺れるような金額をもう張れない」ため熱が冷め足を洗ったという。
フェラーリ・365GTB/4をはじめとした高級車を複数台所有しており、収監中も通信販売で限定車を購入するなどしていたが、ギャンブルの費用を捻出するために売却された。
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