菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、神奈川県相模原市南区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
読売ジャイアンツ #18 | |
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2018年 東京ドーム | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県相模原市南区 |
生年月日 | 1989年10月11日(34歳) |
身長 体重 | 186 cm 95 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト1位 |
初出場 | 2013年3月30日 |
年俸 | 4億円(2024年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2017年 |
プレミア12 | 2015年 |
この表について |
獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
日本 | ||
WBSCプレミア12 | ||
銅 | 2015 |
平成最後の沢村栄治賞受賞と投手三冠王を達成。セ・リーグ最多記録となる最優秀防御率を4回獲得、NPB最長タイ記録となる3年連続で最優秀防御率を獲得、セ・リーグ投手最多タイ記録となる最優秀選手を2回受賞、セ・リーグ投手最多タイ記録となる月間MVPを8回受賞、NPB史上5人目となる2年連続沢村賞受賞。NPBポストシーズン史上初(平成最後)のノーヒットノーラン、開幕投手13連勝のNPB最多記録、開幕からの連勝(13)のセ・リーグ最多タイ記録、クライマックスシリーズ連続無失点投球回数記録(17)のセ・リーグ記録などを達成している。2021年の年俸8億円(推定)はNPB史上歴代3位の年俸である。
小学校に上がる直前の1995年10月8日に伯父の原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで、本格的に野球を始める。
小学校時代は軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。
新町中学校時代は最速124km/hを投げ、エースとしてチームを県大会優勝に導いた。
東海大相模高校への進学するも、1年の時に右肩を故障し投げられない状態が続き野球を辞めようとしたが、東海大相模高校野球部のOBである父からの叱咤激励を受け、その後右肩も回復し、2年秋から主戦として活躍。3年夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、3年間で甲子園出場は一度も果たせなかった。高校時代の野球部の同期に田中広輔、1学年後輩に大田泰示がいる。田中とは大学でも同期であった。
大学は東海大学へ進学。3年夏の第5回世界大学野球選手権大会では、予選リーグのキューバ戦で自己最速となる157km/hを記録。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩に伊志嶺翔大、同期に前述の田中広輔、1学年後輩に坂口真規、伏見寅威がおり、捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。
2011年のドラフト会議では伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツと北海道日本ハムファイターズが1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得した。しかし、11月21日に日本ハム入団を拒否する意向を表明し、浪人することを選択した。入団拒否の理由としては「日本ハムさんからいろいろなお話を聞いて光栄に思いました。しかし、それ以上に自分が小さいころからの夢、そういうものがそれ以上に強かったということです」とコメントした。日本ハムも3月31日に菅野の獲得断念を発表した。
その後、東海大の卒業延期制度を利用し大学に残り、大学の練習施設を使用して自主練習をしながら翌年以降のドラフト指名を待つことになった。浪人中は大学野球の規定により対外試合に出場できなかったため、東海大野球部を練習拠点とし、投げ込みやチームメイト相手の紅白戦やシート打撃に登板して実戦感覚から遠ざかることを防いだ。ただし、紅白戦やシート打撃での登板は、緊張感や重圧という点では実戦とは異なるため、ブランクが懸念された。菅野自身は、大学野球だけでなく、高校野球や日本プロ野球、メジャーリーグなどを積極的に観戦をし、野球選手としてプラスになったと語っている。2012年の1月末から1か月半の間アリゾナ州で過ごし、MLBプレイヤーをはじめ様々な競技のアスリートが集まる施設で陳偉殷に王建民を紹介してもらったりアドバイスを受けたりした。
2012年のドラフト会議では、巨人から単独1位指名を受けた。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、背番号「19」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した。11月21日に契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円で仮契約を締結(金額は推定)。23日に開催されたファン感謝デーで入団発表された。
2013年、3月30日の対広島東洋カープ戦(東京ドーム)で阿部慎之助とバッテリーを組み、自身プロ入り初登板・初先発し、1回表に菊池涼介から空振り三振を奪いプロ初奪三振を記録、7回1失点9奪三振と好投するがチームは引き分けに終わった。4月6日の対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で8回4失点7奪三振でプロ入り初勝利を挙げた。4月13日の対東京ヤクルトスワローズ戦(東京ドーム)で自身初の2桁奪三振を記録し、8回1失点10奪三振で勝利投手になった。4月27日の対ヤクルト戦(神宮)で6回4失点3奪三振で敗戦投手となりプロ初黒星を喫した。5月4日の対広島戦(東京ドーム)で、2回裏に中﨑翔太から自身のプロ初安打(右前適時打)、初打点を記録し、試合も6回2/3を投げ2失点7奪三振で勝利投手になった。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦(ヤフオクドーム)で、9回1失点11奪三振で自身プロ初完投勝利した。自身初のセ・パ交流戦の成績は5試合に先発し2勝1敗、39回1/3を投げ10失点(自責点9)、防御率2.06、37奪三振、1完投だった。オールスターゲームには監督推薦で初出場し、第2戦目に先発して2回1失点1奪三振だった。8月4日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)では同じドラフト1位ルーキーの藤浪晋太郎との投げ合いが実現。藤浪は6回無失点5奪三振に抑えたが、菅野は6回1/3を投げ6失点(自責点3)5奪三振で敗戦投手となり、藤浪に江夏豊以来46年ぶりとなる高卒巨人戦勝利を献上した。8月11日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で7回1失点5奪三振で自身初の2桁勝利となる10勝目を挙げた。巨人の新人で2桁勝利は2011年の澤村拓一以来2年ぶりとなる球団史上11人目となった。9月1日の対中日戦(東京ドーム)で9回2失点(自責点1)5奪三振で勝利投手になれなかったが(チームも引き分け)、自身初の規定投球回に到達した。リーグ優勝がかかった9月22日の対広島戦(東京ドーム)では、8回1失点7奪三振の好投で、勝利投手になり、自身初となるチームのリーグ優勝を決めた。10月8日のシーズン最終戦の対ヤクルト戦(東京ドーム)で5回裏からプロ入り初のリリーフ登板し4回無失点6奪三振の好投した。ヤクルトの小川泰弘、阪神の藤浪らと新人王を争い、新人王は逃すが(16勝した小川が受賞)、シーズンを通して176回を投げ、13勝6敗、勝率.684、防御率3.12、155奪三振、1完投の成績を挙げ、チームのリーグ優勝に大きく貢献し、藤浪と共に自身初のセ・リーグ連盟特別表彰で新人特別賞を受賞した。勝ち星、勝率はチームトップタイ、防御率、奪三振、投球回数はチームトップの成績だった。自身初のポストシーズンとなった広島とのクライマックスシリーズファイナルステージ(東京ドーム)では10月17日の第2戦に先発登板し、9回無失点11奪三振でセ・リーグクライマックスシリーズ史上初の完投・完封勝利を挙げ、自身初のクライマックスシリーズMVPを受賞した。またこれがレギュラーシーズン及びポストシーズンも含めた自身初の完封勝利だった。チームもアドバンテージを含めた4勝0敗で日本シリーズに進出する。東北楽天ゴールデンイーグルスとの自身初の日本シリーズでは、第2戦と第6戦に先発登板した。いずれも同年レギュラーシーズンからクライマックスシリーズまで無敗の田中将大(レギュラーシーズン24勝無敗1セーブ)と投げ合った。チームが1勝無敗で迎えた10月27日の第2戦(Kスタ宮城)では6回裏に銀次に適時打を打たれ失点し、5回1/3を投げ1失点6奪三振の内容で、チームも1対2で敗れ、敗戦投手となり楽天に球団シリーズ史上初勝利を献上した。チームが2勝3敗で楽天に王手をかけられた中で迎えた11月2日の第6戦(Kスタ宮城)では、2回裏に嶋基宏の内野ゴロで先制され、ホセ・ロペスの失策もあり2失点するも味方からの援護もあり、7回2失点(自責点1)3奪三振の内容で、チームは4対2で勝利。自身も勝利投手となり、田中にこの年レギュラーシーズン及びポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけた(チームは第7戦で敗れ、3勝4敗で日本一を逃す)。契約更改で5500万円増の推定年俸7000万円でサインした。
2014年、3月28日の阪神との開幕戦(東京ドーム)で、自身初の開幕投手を務め、7回4失点(自責点0)3奪三振ながらも打線の援護に助けられ、シーズン初勝利を挙げた。入団2年目までの投手が開幕戦で勝利を挙げたのは巨人では1960年の伊藤芳明以来54年ぶりである。4月22日の対横浜DeNAベイスターズ戦(宮崎サンマリン)で9回1失点9奪三振でシーズン初完投勝利を挙げた。4月29日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で9回4失点6奪三振で完投勝利を挙げ、1956年の安原達佳以来58年ぶりとなる球団史上4人目の「4月中でのリーグ全球団勝利」を達成した。ドラフト制度以降では球団史上初で、またこの完投が自身初の無四球試合だった。3・4月の成績は6試合に先発し47回2/3を投げ5勝無敗、防御率1.89、34奪三振、2完投で自身初の月間MVP(3・4月)を受賞した。オールスターには、自身初の選手間投票1位で選ばれ、2年連続2度目の出場し第2戦目の2番手にリリーフ登板し2回1失点だった。8月4日に右手中指の腱の炎症でプロ入り初めて出場選手登録を抹消し、8月23日にも腰の違和感によりブルペンを回避した。9月10日の対阪神戦(甲子園)で復帰し7回1失点4奪三振で2年連続2度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。10月2日の対ヤクルト戦(神宮)で右肘靭帯損傷のため2回無失点1奪三振で降板し、これが最終登板となった。シーズンを通して158回2/3を投げ、12勝5敗、勝率.706、防御率2.33、122奪三振、3完投で自身初、平成生まれ初の最優秀防御率のタイトルを獲得した。自身2度目となるチームのリーグ優勝に大きく貢献したが、怪我の影響でクライマックスシリーズファイナルステージ(対阪神戦、東京ドーム)の登板は叶わず、チームもCS史上初の4連敗を喫し、アドバンテージを含めた1勝4敗で敗退した。しかし、リーグ優勝に貢献したことが評価され、自身初、平成生まれ初の最優秀選手および投手部門での平成生まれ初のベストナインを受賞し、阿部と共に自身初の最優秀バッテリー賞も受賞した。契約更改で4000万円増の推定年俸1億1000万円でサインした。
2015年、3月27日のDeNAとの開幕戦(東京ドーム)で2年連続2度目の開幕投手を務め、7回1失点5奪三振でシーズン初勝利を挙げた。また前年までバッテリーを組んでいた阿部が怪我の影響で一塁手にコンバートされたため、小林誠司とバッテリーを組んだ。5月19日の対阪神戦(甲子園)で9回無失点3奪三振の内容で、入団3年目にしてレギュラーシーズンでの自身プロ初完封勝利を記録した。5月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(郡山総合運動場開成山野球場)で9回1失点(自責点0)9奪三振で完投勝利を挙げるが、5月31日に首痛のため登録抹消した。6月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で復帰し、7回3失点4奪三振の好投するも敗戦投手になった。オールスターには監督推薦に選ばれ3年連続3度目の出場をしたが、第1戦目の先発で3回4失点2奪三振だった。9月22日の対阪神戦(東京ドーム)で7回無失点10奪三振で3年連続3度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。シーズンは最終的に179回を投げ、10勝11敗、勝率.476、防御率1.91、126奪三振、6完投、2完封の成績で、防御率は自身初の1点台を記録。しかし好投しても打線の援護に恵まれなかったことや、勝ち投手の権利を持って降板後にリリーフ陣が追いつかれることが多く、プロ入り後初めて負け越しとなった。チームはリーグ2位だった。クライマックスシリーズファーストステージの対阪神戦(東京ドーム)では10月11日の第2戦に先発したが、4回4失点(自責点3)5奪三振で敗戦投手になった。チームは2勝1敗でファーストステージを勝ち上がり、ファイナルステージの対ヤクルト戦(神宮)では10月16日の第3戦に先発し、6回2失点3奪三振と好投するも打線の援護が無く、またしても敗戦投手になった。チームはヤクルトのアドバンテージを含んだ1勝4敗でファイナルステージを敗退した。
10月9日、11月8日から始まる第1回WBSCプレミア12の日本代表メンバーの28名に選出され、自身プロ入り後初の日本代表に選ばれた。自身の日本代表初登板・初先発となった11月14日、1次ラウンドの対アメリカ戦(桃園国際野球場)で先発し、4回2失点4奪三振と試合を作りチームの勝利に貢献した。11月21日の対メキシコ戦(東京ドーム)の3位決定戦では2番手でリリーフ登板し、3回1失点2奪三振の内容で勝利投手になった。個人では2登板(1先発)、1勝無敗、7回3失点、防御率3.86、6奪三振の成績で終えた。この勝利で日本代表はプレミア12を3位で終えた。契約更改で2000万円増の推定年俸1億3000万円でサインした。
2016年、「圧倒」をテーマに掲げ、自主トレでワンシームを習得しシーズンに臨む。2月15日、3月に行われる「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表メンバーの26名に選出され、初戦(ナゴヤドーム)に先発登板し3回無失点4奪三振の好投で勝利投手になった。
3月25日のヤクルトとの開幕戦(東京ドーム)で3年連続3度目の開幕投手を務め、7回無失点4奪三振の好投で、巨人では1993年から1996年にかけての斎藤雅樹以来20年ぶりとなる3年連続開幕先発勝利投手となり球団歴代最長タイ記録となった。4月6日の対阪神戦(東京ドーム)で9回無失点8奪三振の内容でシーズン初完封勝利を挙げた。これが自身初の無四球完封勝利およびレギュラーシーズンでの東京ドームにおける初完封だった。3・4月は6試合に先発し48回を投げ3勝無敗、防御率0.56、42奪三振、2完封の成績で月間MVPに選出された。中でも4月は4試合に先発し33回を投げ1失点(自責点0)で月間防御率0.00を記録(2勝無敗、33奪三振)。月間防御率0.00は2001年の石井一久以来15年ぶり、2リーグ制以降では史上4人目の記録となった。4月28日の対阪神戦(甲子園)で8回1失点(自責点0)の内容でチームは引き分けに終わったが、12奪三振で2桁奪三振をすると、5月5日の対広島戦(東京ドーム)で9回2失点10奪三振で完投勝利し、5月13日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で33イニングぶりに四球を出すものの9回1失点(自責点0)10奪三振の内容で、巨人では2003年の木佐貫洋以来13年ぶり、球団史上4人目及び球団歴代最多タイ記録となる3試合連続2桁奪三振を達成した。7月9日の対DeNA戦(東京ドーム)で9回2失点(自責点1)、自己最多となる13奪三振で完投勝利した。オールスターも初めてファン投票1位に選ばれ、4年連続4度目の出場し、第1戦目の先発で2回無失点1奪三振だった。8月5日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で左足親指の爪と皮膚の間にできた血豆がつぶれ4回2失点3奪三振で降板し、翌日登録を抹消した。8月16日の対中日戦(ナゴヤドーム)で復帰し6回無失点7奪三振で勝利投手になり4年連続4度目の規定投球回に到達した。その後もシーズンを通して防御率1点台後半をキープしていたが、自身の10勝目をかけた9月28日の対中日戦(東京ドーム)で5回2失点5奪三振で勝利投手になれず、防御率も2点台になった。成績は183回1/3を投げ、9勝6敗、勝率.600、防御率2.01、189奪三振、5完投、1完封、で自身2度目の最優秀防御率と自身初の最多奪三振のタイトルを獲得し、自身初、投手部門での平成生まれ初のゴールデングラブ賞も受賞。前年に引き続き味方の援護が少なく入団後初めて2桁勝利に届かなかった。クリス・ジョンソンと沢村栄治賞を争ったが、勝利数が1桁だったことが評価されず(ジョンソンは15勝)、自身初の沢村賞は叶わなかった。チームはリーグ2位だった。DeNAとのクライマックスシリーズファーストステージに進出するが、体調不良で登板回避し、チームも1勝2敗で敗退した。10月18日、11月に行われる「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」(東京ドーム)の日本代表メンバーの28名に選出されたが、コンディション不良により出場登録を抹消された(チームには帯同)。契約更改で1億円増の推定年俸2億3000万円でサインした。
2017年、新たにチェンジアップを習得しシーズンに挑む。2月3日、3月6日から始まる第4回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表メンバーの28名に選出され、野球日本代表監督の小久保裕紀からエースと指名された。自身WBC初登板・初先発となった3月8日、1次ラウンドの対オーストラリア戦(東京ドーム)に先発し4回1/3を投げ1失点4奪三振と試合を作り、チームは勝利。3月14日、2次ラウンドの対キューバ戦(東京ドーム)にも先発し、ジュリスベル・グラシアルに2点本塁打を打たれるなど4回4失点6奪三振だったが、チームが逆転勝利した。3月22日の準決勝の対アメリカ戦(ドジャー・スタジアム)でも先発し、小雨が降りコンディションが悪い中、4番ノーラン・アレナドを3三振に打ち取るなど6回1失点(自責点0)6奪三振と好投。しかし後続の投手が失点し、1対2でチームは敗退。ベスト4で終えるも、アメリカ代表監督のジム・リーランドは、「彼はメジャーリーグのピッチャーに相当する」と賛辞を送った。また、アメリカ代表のアンドリュー・マカッチェンは「菅野はとても制球力に優れていた。彼は落ち着いて投げていて、多くのヒットを打つことは難しかったよ」と称賛のコメントをし、同じくアメリカ代表のクリスチャン・イエリッチもこの日登板した菅野と千賀滉大に対して、「チーム内で話題になるくらいすごかった。今すぐでもメジャーでいける」と称賛した。WBCでの個人成績は3先発、0勝無敗、14回1/3を投げ、6失点(自責点5)、防御率3.14、16奪三振で、奪三振数は千賀と共に大会最多タイだった。
シーズンではこれまで3年連続で開幕投手を務めていたが、WBC出場での疲労が考慮され、3月31日の対中日戦(東京ドーム)の開幕投手はマイルズ・マイコラスが務めた。4月4日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で7回1失点7奪三振でシーズン初勝利を挙げた。4月18日の対ヤクルト戦(藤崎台県営野球場)でシーズン初完封勝利(5奪三振)を挙げると、4月25日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でも完封勝利(7奪三振)し、さらに5月2日の対DeNA戦(東京ドーム)でも完封勝利(9奪三振)し、自身初の3試合連続完封勝利を達成。セ・リーグでは1989年に斎藤雅樹が達成して以来、28年ぶりの記録であった。5月23日の対阪神戦(甲子園)では7回無失点6奪三振で勝利投手になり自身通算50勝目に到達した。5月の成績は5試合に先発し37回を投げ3勝2敗、防御率2.68、31奪三振、1完封で月間MVPを受賞した。オールスターも2年連続でファン投票1位に選ばれ、5年連続5度目の出場を果たし、第2戦目の先発で2回無失点3奪三振だった。7月22日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で8回無失点10奪三振で2年ぶり4度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。7月は4試合に先発し29回を投げ4勝無敗、防御率0.31、30奪三振で月間MVPを受賞した。9月8日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で9回1失点(自責点0)8奪三振の完投勝利を挙げ、自身初のシーズン15勝に到達した。9・10月も5試合に先発し38回を投げ4勝無敗、防御率0.47、26奪三振、2完投、1完封の成績で月間MVPを受賞した。チームはリーグ4位でポストシーズン進出を逃すが、個人成績では187回1/3を投げ、17勝5敗、勝率.773、防御率1.59、171奪三振、6完投、4完封。防御率は自身2度目の1点台だった。17勝以上で防御率1.60未満は、セ・リーグでは1966年の村山実以来51年ぶりとなった。また、自身初の最多勝利と自身3度目の最優秀防御率を獲得し(3回の最優秀防御率獲得は2013年の前田健太以来4年ぶりのセ・リーグ最多タイ記録)、自身2度目となるベストナインとゴールデングラブ賞も受賞。小林と共に自身2度目の最優秀バッテリー賞も受賞した。同年はパ・リーグで最多勝利と最優秀防御率を獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した菊池雄星と沢村栄治賞を争ったが、防御率と勝利数がセ・パ共通の最高記録を満たしていたと評価され(防御率1.59、17勝)、自身初、平成生まれ初の「沢村栄治賞」に選出された(史上52人目)。巨人の投手の沢村賞受賞は球団史上14人目、2002年の上原浩治以来15年ぶりのことだった。契約更改で2億2000万円増の推定年俸4億5000万円でサインした。
2018年から選手会長となり、春季キャンプでは新たにシンキング・ファストボールを習得しシーズンに挑む。3月30日の阪神との開幕戦(東京ドーム)で、2年ぶり4度目の開幕投手を務めたが、制球に苦しみ7回5失点6奪三振で敗戦投手となった。2度目の登板だった4月6日の対ヤクルト戦(神宮)でも6回5失点(自責点4)5奪三振で自身初の開幕2連敗を喫する。この結果を受け、新球シンキング・ファストボールを封印して臨んだ4月13日の対広島戦(東京ドーム)では8回1失点10奪三振の好投でシーズン初勝利を挙げ、自身の連敗とチームの6連敗をストップさせた。4月20日の対阪神戦(甲子園)で9回2失点6奪三振で勝利投手になり、シーズン初完投となった。5月11日の対中日戦(東京ドーム)では自身2度目となる自己最多タイの13奪三振でシーズン初完封勝利を挙げた。5月18日の対DeNA戦(東京ドーム)では、筒香嘉智に本塁打を打たれ、連続イニング無失点が29回2/3でストップしたが6回3失点7奪三振と好投し勝利投手になった。打撃面では5回裏に石田健大からプロ入り320打席目にして自身初の本塁打を打った。6月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)で完封勝利(9奪三振)を挙げ、所属している巨人以外の全11球団勝利を達成した。オールスターには選手間投票1位に選ばれ、6年連続6度目の出場し、第2戦目の先発で2回無失点2奪三振だった。7月28日の対中日戦(東京ドーム)で、1回表二死目にダヤン・ビシエドを二飛でアウトにし、自身プロ通算1000投球回に到達するも8回4失点9奪三振で敗戦投手になった。8月18日の対中日戦(東京ドーム)で完封勝利(9奪三振)し2年連続5度目の2桁勝利となる10勝目を挙げ、6年連続6度目の規定投球回にも到達した。シーズン終盤の9月22日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で完封勝利(9奪三振)すると、9月28日の対DeNA戦(東京ドーム)でも完封勝利(2奪三振)し、10月4日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でも完封勝利(11奪三振)するなど自身2度目となる3試合連続完封勝利を達成と共に自身2年連続2度目となるシーズン15勝に到達した。CS進出がかかったシーズン最終戦の10月9日の対阪神戦(甲子園)で、リードした展開で、9回裏にプロ入り初のクローザーとして登板し、1回を無安打無失点で抑え、試合に勝利し、チームはリーグ3位でCSに進出した。9・10月は7試合(6先発)で49回を投げ4勝1敗、防御率1.10、44奪三振、3完封の成績で月間MVPを受賞した。同年は202回を投げ、15勝8敗、勝率.652、防御率2.14、200奪三振、10完投、8完封だった。自身2度目の最多勝利、自身4度目の最優秀防御率、自身2度目の最多奪三振を獲得。2年連続での最多勝利は2012年の内海哲也以来6年ぶりとなるセ・リーグ最長タイ記録となり、さらに自身初、平成生まれ初、平成最後となる「投手三冠王」(史上19人目)を達成した。投手三冠王は2010年の前田健太以来8年ぶりとなった。また、同シーズンでの200投球回と200奪三振の到達は巨人では1981年の江川卓以来37年ぶり、3年連続最優秀防御率は1958年の稲尾和久以来60年ぶり史上2人目の日本プロ野球最長タイ記録(4回目の最優秀防御率は1999年の工藤公康以来19年ぶり史上3人目及びセ・リーグ最多記録)、シーズン8度の完封勝利は1978年の鈴木啓示以来40年ぶり(巨人では1963年の伊藤芳明以来55年ぶり)の快挙で平成最多記録。10月14日のクライマックスシリーズファーストステージ第2戦の対東京ヤクルト戦(神宮)に先発登板し、自身初、クライマックスシリーズ及び日本シリーズも含めたポストシーズン史上初の「ノーヒットノーラン」(7奪三振)を達成。チームのファイナルステージ進出を決めた。この試合で出塁を許したのは山田哲人への四球1つのみだった。チームは2勝0敗でファーストステージを勝ち上がるが、続くファイナルステージでは広島のアドバンテージを含めた0勝4敗で敗退し、自身の登板は無かった。前年に引き続き自身3度目となるベストナインとゴールデングラブ賞も受賞。さらに2008年の藤川球児以来10年ぶりとなる自身初の最優秀バッテリー賞特別賞も受賞した。また、この年ともに最多勝利を獲得し、最高勝率も獲得した大瀬良大地と沢村栄治賞を争ったが、選考基準7項目全てをクリアしたことが評価され、1996年の斎藤雅樹以来22年ぶり史上5人目となる2年連続の「沢村栄治賞」及び平成最後の沢村賞を受賞した(沢村賞の複数回受賞は2015年の前田健太以来3年ぶり史上14人目)。また、選考基準を全て満たしたのは2013年の金子千尋以来5年ぶり、選考基準を全て満たしてでの受賞は2011年の田中将大以来7年ぶり、セ・リーグでの全選考基準達成者は1993年の今中慎二以来25年ぶりとなった。10月10日、11月に行われる日米野球の日本代表メンバーの29名に選ばれたが、扁桃腺の手術のため、辞退した。契約更改で2億円増の推定年俸6億5000万円となり、2004年の佐々木主浩以来15年ぶりに日本プロ野球の日本人選手歴代トップタイの年俸になり、日本プロ野球歴代年俸も3位タイとなった。翌年から背番号をルーキー時代からつけていた19から、エースナンバーである18に変更することが発表された。
2019年、球威を上げるために「脱力投法」を取り入れシーズンに挑む。3月29日、広島との開幕戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で2年連続5度目の開幕投手を務め、7回1失点3奪三振だったが援護が無く、敗戦投手となった。4月5日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では9回2失点8奪三振でシーズン初完投及びシーズン初勝利を挙げた。自身の平成最後の登板となった4月25日の対ヤクルト戦(神宮)に先発したが、青木宣親、山田哲人、ウラディミール・バレンティンに平成最後かつ自身初の3者連続本塁打を打たれるなど、3回1/3を投げ7失点2奪三振で敗戦投手になった。令和初の試合となった5月1日の対中日戦(東京ドーム)では1回表に渡辺勝から見逃し三振を奪い、令和初奪三振を記録すると、7回表に平田良介から空振り三振を奪い、自身プロ通算1000奪三振を記録。坂本勇人が令和初の本塁打を打つなど打線の援護もあり、9回1失点10奪三振で完投勝利を挙げ、新元号・令和第1号の勝利投手になった。5月8日の対DeNA戦(HARD OFF ECOスタジアム新潟)で、6回5失点(自責点4)4奪三振の内容ながら打線の援護があり勝利投手になった。また、自身が5失点以上してでの勝ち星はプロ入り後初めてのことだった。5月15日の対阪神戦(東京ドーム)、初回に糸井嘉男に2点本塁打、5回表に福留孝介にソロ本塁打、6回表には木浪聖也にソロ本塁打と大山悠輔に2点本塁打を打たれ、自己ワーストの1試合で4被弾し、5回2/3を投げ、失点も自己ワーストとなる10失点(自責点7)、4奪三振で敗戦投手になり、5月21日に腰の違和感で登録を抹消された。セ・パ交流戦の6月9日の対ロッテ戦(東京ドーム)で復帰し、6回2失点7奪三振の好投で勝利投手になった。6月23日の対福岡ソフトバンク戦(東京ドーム)では初回に福田秀平に先頭打者本塁打を打たれるなどし、1回0/3を投げ、4失点(自責点2)1奪三振の内容で敗戦投手になった。また、1回0/3での降板は先発投手として当時の自身プロ最短降板となった。7月2日の対中日戦(東京ドーム)で、9回無失点6奪三振の内容でシーズン初完封勝利をした。オールスターには監督推薦で選ばれて7年連続7度目の出場し、第2戦目に先発、2回を無失点で抑え、打線の援護もあり、オールスターでの自身初の勝利投手になった。8月21日の対中日戦(ナゴヤドーム)で7回1失点5奪三振で3年連続6度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。しかし、9月は腰痛により2度の登録抹消があり、以降はレギュラーシーズンの登板を見送られた。シーズンを通して11勝を挙げて自身3度目となるリーグ優勝に貢献したが、入団から6年連続で達成していた規定投球回には届かなかった。最終的に136回1/3を投げ、11勝6敗、勝率.647、防御率3.89、120奪三振、3完投、1完封の成績だった。クライマックスシリーズファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム)では腰痛の影響で登板を回避した。チームはアドバンテージを含んだ4勝1敗で福岡ソフトバンクとの日本シリーズに進出した。チームが0勝3敗で王手をかけられた中で迎えた10月23日の第4戦(東京ドーム)に先発したが、4回表にジュリスベル・グラシアルに3点本塁打を打たれ、7回表に味方の2失策も絡んで失点するなど6回1/3を投げ4失点(自責点3)8奪三振で降板。チームも3対4で試合に敗れ、自身も敗戦投手になり、チームは0勝4敗で日本一を逃した。国内FA権を取得したが巨人に残留を表明した。10月2日、11月2日から始まる第2回WBSCプレミア12は腰痛の影響を考慮され日本代表メンバーの28名から外れた。契約更改は前年と同じく推定年俸6億5000万円で現状維持となった。
2020年から投球フォームを変更しシーズンに臨んだ。オープン戦では4登板、17回を投げ3失点、防御率1.59、10奪三振と安定したピッチングを続けていたが、新型コロナウイルスの影響でシーズンの開幕が6月に延期された。6月19日の阪神との開幕戦(東京ドーム)で3年連続自身6度目の開幕投手を務め、7回2失点8奪三振の内容でシーズン初勝利を挙げた。これが自身の開幕戦通算4勝目となり、1996年の斎藤雅樹以来24年ぶりとなる球団歴代最多タイ記録となった。またこの勝利が球団通算6000勝の記録になった。開幕戦では小林とバッテリーを組んでいたが、小林が怪我で抹消されたため、自身の2登板目からは大城卓三とバッテリーを組んだ。7月3日の対中日戦(東京ドーム)で9回無失点11奪三振の内容でシーズン初完封勝利した。7月14日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で5回無失点5奪三振の内容で勝利投手になり、6回を投げずに勝ち星を手にしたのは自身プロ入り後初となった。6・7月は6試合に先発し42回2/3を投げ5勝無敗、防御率1.69、46奪三振、2完封の成績で月間MVPを受賞。特に、7月の成績は4戦4勝、30回を投げて2失点(自責点1)、防御率0.30、34奪三振で、2リーグ制後に月間防御率0.30以下を2度記録したのは金田正一、村山実、田中将大に次いで史上4人目の記録となった。また自身7度目となった受賞は松井秀喜に並ぶ球団史上最多タイ記録となった。大城と共に自身初の月間最優秀バッテリー賞(6・7月)も受賞した。8月は4試合に先発し30回を投げ4勝無敗、防御率1.50、21奪三振、1完封の成績で2か月連続での月間MVPを受賞。セ・リーグ投手での2か月連続受賞は2013年の能見篤史以来7年ぶり8人目、また8度目の受賞は2008年の山本昌以来12年ぶりとなるセ・リーグ投手最多タイ記録となった。9月8日の対中日戦(ナゴヤドーム)で7回無失点6奪三振で4年連続7度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。また自身初のシーズン10連勝(無敗)での到達となった。9月15日の対阪神戦(東京ドーム)で6回3失点5奪三振で勝利投手となり、セ・リーグでは1982年の北別府学以来38年ぶり、巨人では1938年の1リーグ時代のヴィクトル・スタルヒン以来82年ぶりとなる開幕投手11連勝を達成し、セ・リーグ最多タイ記録となった。開幕からのシーズン連勝記録もセ・リーグ史上2位タイ記録となった。また、この勝利でチームの優勝マジックが点灯した。9月29日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で6回1失点9奪三振の内容で勝利投手になり、2004年の岩隈久志以来16年ぶりとなる開幕投手12連勝を達成。これが岩隈と並ぶ日本プロ野球最多タイ記録となった。10月6日の対DeNA戦(東京ドーム)で7回3失点4奪三振で勝利投手になり日本プロ野球新記録の「開幕投手13連勝」を達成。開幕からの連勝記録も1966年の堀内恒夫以来54年ぶりとなるセ・リーグ最多タイ記録となった。また、この勝利が自身通算100勝目となり平成生まれ初の到達者となった(192試合目での100勝は歴代史上7番目のスピード、ドラフト制以降では松坂大輔、上原浩治に次いで、史上3番目のスピード)。10月13日の対広島戦(東京ドーム)で6回4失点(自責点3)5奪三振でシーズン初の敗戦投手になり連勝記録が止まったが、2年ぶり7度目の規定投球回に到達した。10月31日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で5回1失点5奪三振で勝利投手となりチームの連敗を止め、翌日にコンディション調整のため、登録抹消された。自身の15勝目をかけたシーズン最終戦の11月14日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で復帰。5回無失点(5奪三振)の好投で勝ち投手の権利を得て降板したが、9回に田口麗斗が満塁から神里和毅に適時打を打たれ逆転サヨナラ負けを喫し、自身3度目の15勝とはならなかった。成績は137回1/3を投げ、14勝2敗、勝率.875、防御率1.97、131奪三振、3完投、3完封で、自身3度目の防御率1点台を記録。規定到達での3度の防御率1点台は2013年の田中将大以来7年ぶり史上20人目となった。また、自身3度目の最多勝利と自身初の最高勝率のタイトルも獲得し、自身4度目のチームのリーグ優勝に大きく貢献した。最高勝率を獲得したことにより通算で先発投手の主要タイトルを全て獲得した。通算での獲得タイトル数も10個となり、10個以上の先発投手の主要タイトル獲得は2000年の工藤公康以来20年ぶり史上8人目の記録となった。最優秀防御率と最多奪三振を獲得した大野雄大と沢村栄治賞争いをしたが、防御率、完投数、投球回で12球団トップの成績を残した大野が沢村賞を受賞し、自身3度目の沢村賞は叶わなかった。特例により全試合に指名打者制度が導入された福岡ソフトバンクとの日本シリーズでは、11月21日の第1戦(京セラドーム大阪)に先発したが、2回表と6回表に栗原陵矢から2点本塁打と2点適時二塁打を打たれるなど、6回4失点4奪三振で敗戦投手となった。3連敗して迎えた第4戦目は自らの志願でブルペン入りしたがリリーフ登板の機会は訪れず、チームも4連敗し、0勝4敗で日本一を逃した。開幕投手13連勝のプロ野球新記録が評価され、自身2度目のセ・リーグ連盟特別表彰でリーグ特別賞を受賞、また自身4度目のベストナインとゴールデングラブ賞も受賞し、自身2度目、セ・リーグ投手最多タイ記録となる最優秀選手も受賞した。セ・リーグ投手で最優秀選手を複数回受賞するのは1959年の藤田元司以来61年ぶりとなった。
12月4日、MLBに挑戦するためにポスティングシステムを申請し、球団から容認された。交渉期限は日本時間の2021年1月8日までで、球団副代表の大塚淳弘は「申請しても残留の選択肢もあります」とコメントし、申請後も残留を認める考えを明かした。巨人では2019年にトロント・ブルージェイズに移籍した山口俊以来となる球団史上2人目のポスティング申請となり、巨人の生え抜きの選手は初となった。12月28日、ブルージェイズ、サンディエゴ・パドレス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・メッツ、ボストン・レッドソックス、レンジャーズの6球団と交渉を開始していることが報じられ、2021年1月1日、MLB球団との交渉のために渡米した。しかし、同月8日にポスティング成立に至らず、巨人に残留することが発表された。NPBからMLBへのポスティング不成立は先月に同じくポスティング不成立となり日本ハムに残留した西川遥輝以来9人目10度目となった。6球団からオファーがあったものの、コロナウイルスの影響でMLB球団の財政が圧迫され、MLBのFA市場が全体的に停滞し、菅野の希望額に届かなかったことが代理人を務めたジョエル・ウルフから明かされた。決断前にはダルビッシュ有や前田健太から電話で助言を貰い、ウルフの紹介でノーラン・アレナドと直接会ってアドバイスを受けた。アメリカの感染状況や政権交代の混乱などの環境も踏まえて熟考し、巨人残留を決断した。巨人との契約更改で1億5000万円増の推定年俸8億円の単年契約でサインし、2003年のロベルト・ペタジーニの推定年俸7億2000万円を18年ぶりに更新し日本プロ野球歴代史上最高年俸となった。その後、田中将大がニューヨーク・ヤンキースから古巣の楽天へ推定年俸9億円で移籍し、日本プロ野球歴代史上最高年俸を更新したため、菅野は歴代史上2位の年俸となった(2024年にロベルト・オスナが日本プロ野球歴代史上最高年俸を10億円で更新したため、菅野は歴代3位になっている)。
2021年、新型コロナウイルスの感染リスクを減らすために巨人の春季キャンプは東京ドーム、ひなたサンマリンスタジアム宮崎、ひなたひむかスタジアム、読売ジャイアンツ球場の4箇所に分かれて行うことになり、菅野は東京ドームのキャンプ組に入った。シーズンのテーマは「縦の変化球」を揚げ、春季キャンプではカーブを強化しシーズンに臨んだ。3月26日のDeNAとの開幕戦(東京ドーム)で4年連続自身7度目の開幕投手を務め、6回3失点4奪三振の内容だったが、勝利投手になれなかった。また、開幕投手7回は巨人では2006年の上原浩治以来15年ぶりの球団歴代最多タイ記録となった。3月30日、足の違和感で登録抹消された。4月9日、対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で復帰し、7回2失点7奪三振だったが打線の援護が無く敗戦投手になった。4月16日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で9回無失点4奪三振の内容でシーズン初勝利およびシーズン初完封を挙げた。これでセ・リーグ本拠地6球場すべてで完封勝利を記録した。しかし、5月に右肘違和感で登録抹消、復帰後も2戦2敗で本調子からほど遠く、6月16日にコンディション調整のため登録抹消された。同日、7月28日から始まる2021年東京オリンピックの野球日本代表メンバーの24名に選出された。また、野球日本代表監督の稲葉篤紀から田中将大と共に投手リーダーに指名された。7月1日の対広島戦(東京ドーム)で復帰するも2回1/3を投げ4失点1奪三振で降板、翌日にコンディション調整のため、登録抹消された。7月3日、コンディション不良を理由に2021年東京オリンピック野球日本代表を辞退した。8月26日の対広島戦(東京ドーム)で復帰するも6回5失点6奪三振で敗戦投手になった。10月11日、海外FA権を取得した。10月23日、CS進出がかかった対ヤクルト戦(東京ドーム)に先発し、5回1失点6奪三振の好投で勝利投手になり、チームはリーグ3位でCSに進出した。シーズン終盤は主に中5日や中4日のローテーションで先発し、6試合連続でQSを達成するなど復調したが、シーズン中に4度の離脱もあり規定投球回に届かず、2桁勝利も逃し、シーズン負け越しとなった。最終成績は115回2/3を投げ、6勝7敗、勝率.462、防御率3.19、102奪三振、2完投、1完封だった。11月6日のクライマックスシリーズファーストステージ第1戦の対阪神戦(甲子園)に先発し、7回無失点4奪三振で勝利投手になり、チームも2勝0敗でファイナルステージに進出した。11月11日のファイナルステージ第2戦の対ヤクルト戦(神宮)に先発するも打線の援護がなく、味方の失策も絡み、5回2/3を投げ5失点(自責点1)6奪三振で降板し敗戦投手になった。また、自身のCS連続無失点投球回数記録も17で止まったが、これが2010年の涌井秀章以来11年ぶりとなる日本プロ野球最多タイ記録となった(2023年に山本由伸が17回1/3で更新したため、菅野の記録はプロ野球歴代2位タイおよびセ・リーグ記録となっている)。その後チームはファイナルステージを敗退。シーズン終了後、海外FA権を行使せずに残留することが発表された。契約更改で2億円減の推定年俸6億円でサインし、これが自身初の減俸となった。
2022年、3月25日の中日との開幕戦(東京ドーム)で5年連続8度目の開幕投手を務め、6回2失点でシーズン初勝利。開幕投手8回と開幕戦通算5勝目は共に球団歴代最多記録となった。4月22日の対中日戦(バンテリンドーム)の1回裏三死目に木下拓也を一邪飛でアウトにし、自身プロ通算1500投球回を達成。試合も7回1失点3奪三振で勝利投手になった。4月29日の対阪神戦(東京ドーム)で3回2失点2奪三振で降板し敗戦投手になり、翌日、右肘違和感で登録抹消された。5月12日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で復帰し、6回1失点8奪三振で勝利投手になり、チームの連敗を5で止めた。菅野が巨人の5連敗以上を止めたのは通算6度目で、桑田真澄と並ぶ球団歴代最多タイ記録となった。6月9日の対西武戦(ベルーナドーム)に先発予定だったが、発熱のため、感染拡大防止特例2022で登録抹消された(PCR検査は陰性)。6月17日の対中日戦(バンテリンドーム)で復帰し、7回無失点4奪三振だったが味方からの援護点は無く、自身に勝敗はつかなかった。7月14日、オールスターに監督推薦で選ばれた。7月21日、巨人で菅野を含む選手、スタッフ合わせて57人が新型コロナウイルスに感染したため、登録抹消となり、オールスターも辞退した。8月16日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で復帰し、6回3失点1奪三振の内容だったが敗戦投手になった。8月23日の対中日戦(東京ドーム)で8回無失点4奪三振で勝利投手になり、チームの連敗を6で止めた。菅野が巨人の5連敗以上を止めたのは通算7度目となり、球団歴代最多記録となった。10月2日、チームのシーズン最終戦の対DeNA戦(横浜スタジアム)に先発し、5回無失点2奪三振の内容で、2年ぶり8度目の規定投球回に到達した。その後も味方がリードを守りきって勝利投手になり、2年ぶり8度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。チームはリーグ4位でポストシーズン進出とはならなかった。最終成績は147回を投げ、10勝7敗、勝率.588、防御率3.12、104奪三振だった。11月9日、海外FAを行使せず残留を表明した。契約更改では1億円減の推定5億円でサインした。2023年3月に開催される第5回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表メンバーの30名から落選した。
2023年、投球フォームを腕主導のフォームにし、シーズンに挑む。3月18日、オープン戦の対日ハム戦(東京ドーム)で右肘に張りが出たため、自身プロ入り後初の開幕二軍スタートとなった。その後、二軍の試合に登板するなどファームで調整し、6月11日の対福岡ソフトバンク戦(福岡PayPayドーム)で一軍に復帰。5回2失点4奪三振でシーズン初勝利を挙げた。7月17日、対ヤクルト戦(神宮)で1/3回6失点で降板し、自身プロ最短降板となった。8月17日、対中日戦(バンテリンドーム)で6回1/3を投げ無失点2奪三振で、勝利投手になった。この勝ち星により菅野自身、セ・リーグ5球団全てからの20勝以上となり、これが球団史上8人目の記録となった。8月23日、対ヤクルト戦(東京ドーム)に先発予定だったフォスター・グリフィンが当日の試合前練習で、頭部に打球を受け負傷したため、急遽、菅野が1日前倒しして自身プロ入り後初のスクランブル先発登板をすることになった。結果は7回3失点9奪三振の内容で自身に勝ち星は付かなかったが、チームは延長戦で勝利した。9月16日、対中日戦(バンテリンドーム)で、6回1失点6奪三振の内容だったが、味方からの援護点が無く、敗戦投手になった。この試合の1回裏、先頭打者の岡林勇希に本塁打を打たれ、その1失点によりチームは敗戦した。初回先頭打者本塁打による0対1の試合は日本プロ野球13度目(セ・リーグ7度目)であり、巨人が敗戦するのは初の記録となった。チームはリーグ4位で2年連続でポストシーズン進出できなかった。最終成績は77回2/3を投げ、4勝8敗、勝率.333、防御率3.36、54奪三振の成績だった。投球回数、勝ち星、奪三振数はプロ入り後、自己最小で、勝率もプロ入り後、自己ワーストを更新。規定投球回と2桁勝利も逃し、自身3度目のシーズン負け越しとなった。10月19日、自身が6期務めた選手会長を2024年から大城卓三に引き継ぐと発表された。11月14日、FA権を行使せず残留を表明した。12月1日、契約更改では1億円減の推定年俸4億円でサインした。
2024年、「プレートを踏む位置を、従来の一塁側から三塁側に変更」、「登板前のルーティンの遠投を廃止し、ライナーで投げる練習法に切り替え」、「ブルペンの球数を減らす」など新たな調整法でシーズンに挑む。4月4日、対中日戦(バンテリンドーム)で、7回無失点3奪三振の内容でシーズン初勝利を挙げた。
球種 | 配分 % | 平均球速 km/h |
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フォーシーム | 34.3 | 148.9 |
スライダー | 26.8 | 134.9 |
フォーク | 14.5 | 141.1 |
ツーシーム | 9.3 | 148.2 |
カットボール | 9.1 | 139.2 |
カーブ | 6.0 | 126.9 |
スリークォーターから繰り出す、平均148.9km/h(2020年シーズン)・最速157km/h(プロ入り後の最速は156km/h)のストレート、平均148.2km/hのシュート、ツーシーム、ワンシーム、平均134.9km/hの空振りが取れる数種類のスライダー、平均126.9km/hのカーブ、平均139.2km/hのカットボール、平均141.1km/hのフォークや真っスラなど、多彩な球種を持ち球とする。2016年11月の日本代表の強化試合で武田翔太からチェンジアップを習得、2017年オフの自主トレでシンキング・ファストボールも習得しているが、試合ではほとんど使用していない。球種に関しては「覚えようと思って覚えられなかった球種はない」と述べ、シュートは雑誌で涌井秀章の握りを見てすぐに使えるようになったという。
主にストレート、シュート、スライダーの3球種で全投球の約8割を占め、中でもスライダーが高く評価されている。2015年のオールスターで前田健太からスライダーを教わり、本塁から7メートル前後で突然曲がり出すスライダーを投げられるようになった。菅野のスライダーは投げてから途中までストレートと同じ軌道で進み、ストレートの軌道とスライダーの軌道の差がボールが曲がりだす位置の差を直径とした「ピッチトンネル」と呼ばれる穴が狭いため、打者は球種の見分けが難しくなり、バットに当てられる確率は低くなっている。また、バッテリーコーチの相川亮二は菅野のスライダーを岩瀬仁紀のスライダーとイメージが重なると評している。
2015年オフにワンシームを習得している。また指力を鍛えたことでスピンが増し、ストレートの質が上がった。2017年WBCの準決勝・アメリカ戦、この試合のストレートの平均回転数は2,513rpm、またカーブも平均2,859rpmを計測し、メジャーの平均値より上だった。
2018年オフから球威を上げるために上体の力を抜き、体をムチのようにしならせ、パワーをよりボールに伝える「脱力投法」を取り入れている。
2019年オフから千賀滉大や上野由岐子と共に「鴻江スポーツアカデミー」が主催する合宿に参加し、自身の「うで体(猫背タイプ)」の骨格に合わせた新投球フォームを取り入れた。投球フォームを変えたことにより腰の負担の軽減と共にストレート、スライダー、フォークの平均球速が上がった。また、前年に腰痛で苦しんだため、スポーツトレーナーの鴻江寿治から投球フォームを変えることを提案され悩んでいる時に上野から「今年は本当に変えるときだと思うよ。変えていかなきゃダメ。やってみないと。ダメなら元に戻せばいいんだから」とアドバイスを貰っている。
2020年オフからプレートの一塁側から投げるようにし、ツーシームの角度がよりつくようになった。また、桑田真澄からカーブのコツを教わり、鋭さが増すようになった。
野球を始めた頃は内野手をしていたが祖父である原貢に膝の関節と股関節が固いから内野手には向かないことと、手足が長くて体型は投手向きと言われ投手に転向した。
巨人に入団した当初から制球力を高く評価されており、自らも「試合でボールがコントロールできずに困ったことはほとんどない」と豪語する。一例として2016年シーズンを挙げると、制球力を示す与四死球率(1.47)やK/BB(7.27)が、いずれもセ・リーグ1位(規定投球回以上)を記録している。浪人中の2012年にはMLBのテレビ中継に没頭し、グレッグ・マダックスの「27球で27個のアウトを取る」という考えが理想になったという。また、ロイ・ハラデイの投球を見て「ピッチングはやっぱりコントロール」と再認識したといい、浪人中はボール1個分の出し入れができる制球力を目指して練習してきたという。巨人の公式インスタライブでコントロールを良くする方法を聞かれると「僕は昔から壁当てをしてた。壁が小さくて、そこに当てないと奥の森に取りにいかないといけなかった。自然と当てようとしたらそういうフォームになった」と語っている。腕の使い方は球の出どころを見えにくくするためにテイクバックを小さくして、前を大きくするのを基本とし、肘から先の使い方を特に大切にしている。
プロ入り1年目の2013年のストレートの平均球速は144km/hでデビュー当初はグラウンドボールピッチャーだったが、2016年以降はパワーピッチャーに移行している。2013年には原辰徳から、小技に頼らず「もう少し、力投派、速球派という部分でマウンドに上がるべき」と課題を指摘され、投球スタイルを変える前に能見篤史から「何であんなにストレートが良いのに、変化球ばっかり投げてるの?」と言われストレート主体にした方が良いとアドバイスを貰っている。
思い通りに球速を操る感覚も優れており、自身が投じるボールの球筋を見て、まず球速を「138キロ」と予想し実際に「138キロ」でピタリと球速を言い当て、続いて投じたボールの予想は「137.5キロ」で小数点以下までピタリと言い当てた。さらに投げる前に球速「140.3キロ」を宣言してボールを投げると球速「140.3キロ」を計測するなど驚異的な感覚を発揮している。また球速について、アマ時代は「160キロ」投げたいと思っていたがプロ入り後は「良いボールを投げる寸評会じゃないので。抑えたピッチャーが偉いと思うし、どんなに良いボールを投げても打たれたら元も子もない。野球ってそういう競技。野球でお金をもらうということは自己満足だけじゃどうにもならない」という考えになった。
俊敏な牽制やフィールディングの技術も備えておりゴールデングラブ賞も4回受賞している。
打撃にもこだわっており、持論は「投手は投げるだけじゃない」で、2016年は投手でありながら打率.222(54-12)を記録している。2017年12月には「本塁打を打って、1-0で完封したいですね。それはもう、僕の夢ですね」と述べている。
グラブとスパイクはミズノ社製を使っており、グラブの革は薄めで柔らかく、投球のときに握りやすいものをチョイスし、フィールディングのときに、ボールが出ないように、あとは型崩れもしにくいという理由で絶対に縦とじである。スパイクは負担や疲労の軽減、衝撃緩和のために「ミッドソール」と呼ばれるクッション性の高い素材が、かかとからつま先まで入っており、硬いマウンドが多いため、それに耐えられるだけのものを選んでいる。またスパイクの刃も多く、一般的に、投手は足の前方部分に3本、後方部分に3本の刃を配置する人が多いが、菅野のは土をつかみやすく、硬いマウンドに刺さって安定性が出る「IQソール」と呼ばれるものが使用されており、つま先部分に1本、その下に3本、足の中心部分に2本、かかと部分に2本と、計8本の刃が付いている。さらに刃の長さは体重移動のときに引っかからないように左足の中心部分にある3本の刃のうち、内側にある2本を半分ほど削っている。これにより緩やかな傾斜になっているマウンド上で投球において重要な体重移動の際に、引っかからず、しっかりとパワーを伝えられるようになっている。
配球に対しては、「よく配球と言いますが、配球って正解があるようでないというか。僕としては捕手のリードで抑えることはあっても、リードで打たれることってあまりないのかなと。投手がしっかり投げれば抑えられる。打たれたら投手の責任です。捕手の球種のサインに首を振る権利もある訳ですから」という考えである。
漫画家の寺嶋裕二と対談し「理想のエース」について質問された際は、周りが求めていることに、そのつど応えていく。その日その日で、今日はいけるところまでいってみる。それでチームメイトが、「お前がマウンドを降りる時は、チームが負ける時だ」と言ってもらえるような投手と答えている。
野村克也からは、「自分をわかっていて、頭を使える投手」と評されている。特に2018年のクライマックスシリーズでのノーヒットノーラン達成時の投球を見た際は「ピッチングと会話ができる投手。これ以上に楽しい投手いないよ。俺も引退したけど、受けてみたくなる投手。」と賛辞を送った。このノーヒットノーランに関して菅野自身は巨人の公式インスタライブに炭谷銀仁朗と出演した際に「インパクトは強いかもしれないけど達成感はあまりなくて。そのくらい調子が悪かった。丁寧に投げようとは思っていたけど最後まで球は切れていなかった」と告白。このシーズンは登板間隔が短いことが多く、疲労困憊の状態だったという。次の登板も見越して一軍投手総合コーチの斎藤雅樹に「しんどい」と打ち明けたが「ヒット1本も打たれてねーぞ」という返しだったため、捕手の小林誠司に「ヒット打たれないと代えてもらえないから早めに打たれようぜ」と告げたエピソードを披露し、炭谷も「珍しいパターンのノーヒットノーランやね」と驚いていた。
東海大監督の横井人輝は「指先の感覚が今まで見てきたどの投手よりも優れている」と評している。
伊勢孝夫は菅野のピッチングの特長に関して、失投が極めて少ない、集中力の持続がほかの投手と大きく違っている、外角低めへのコントロールがずば抜けているなどを挙げている。
元巨人のチームメイトのマイルズ・マイコラスからは「マウンド上での存在感もあるし、何より投球術に優れている。三振を取りたいところで取れるし、併殺に仕留めたいところでは凡打を打たせる。僕も彼のスタイルに学んだところはたくさんあるんだ。日本では押しも押されもしないエースだよ」と、投球術を評価されている。
伯父の原辰徳は菅野が2年連続で沢村栄治賞を受賞した際「トモはね、投手として、プレーヤーとしては僕の現役時代をもうとっくに乗り越えた選手になっていますよ」と語っている。
「原貢の孫、原辰徳の甥」という立場については「いやなことのほうが多かった」と言い、「そこは自分の中のモチベーションでもある。『菅野智之』として認められることを、ずっと目標にしています」と語っている。高校3年時には周囲からプロ入りも勧められていたが「原監督の甥だからプロに行けたと思われるのがイヤだったんです。大学で文句なしの実力をつけてプロに行きたい」として進学を選んだという。伯父のもとでプレーすることについては、2011年のドラフト会議後に「小さい頃には一緒にできたらいいなというくらいしか思ってなかったのが、大学にいってある程度実績を残せるようになって、それが夢ではなく現実となるように自分の中で思い描いていたのはある」と語った。
祖父の原貢は人生初のキャッチボールの相手だった。6歳の時に祖父が投げたボールが顔面に当たって泣いたが、祖父が自宅にピッチャー板を埋めこんでくれ、毎日投げていた。悪ければ叱られ、良ければ褒められていた。「自分のじいちゃんが怖いとか、厳しいという感覚を持っている人は少ないと思う。でも、自分はそれが当たり前と思って、生きてきた。相当な覚悟があって、育ててくれた」と感謝しかなかったと語っている。
子供の頃の憧れの選手には上原浩治を挙げ、「テレビで見ていてほんとにすごいと思ったし、僕もあんな投手になりたいと思っていましたよ」と答えている。
巨人のチームメイトでキャプテンの坂本勇人のことを「投手、野手で違うし比較はできないですけど、何とかこの人に認めてもらえるように頑張ろう、と思ってやってきました。年が近いこともありますし、どうすればチームが強くなるのか何度も一緒に話をして。僕にとって唯一、思いを共感してもらえる存在です」と尊敬している。坂本から「お前3年やって本物だからな。3年やるまで俺は認めねえぞ」、「俺の年俸を抜いたら認めてやるわ」と言われ、菅野が実績を残し、坂本の年俸を抜いた時に半分冗談、半分本気で「勇人さん僕、勇人さんの年俸抜いたんだけど認めてくれた?」と聞くと坂本から「もうとっくの昔に認めてるわ」と言われ「あの言葉は鮮明に覚えていますし、うれしかったですね」と語っている。
プロ入り後は毎年ハワイや沖縄で自主トレを行っており、西勇輝や中川皓太、藤浪晋太郎などと共にトレーニングをしている。
同い年の小林誠司とバッテリーを組むことが多く、小林と組む時はメディアで「スガコバ」の愛称で呼ばれている。
趣味はゴルフで、大学4年時にはベストスコア100を記録した。
ゲームもよくやっており、城とドラゴンの公式動画にゲストで出演している。他にもプロ野球スピリッツや実況パワフルプロ野球の公式動画にも小林誠司と共に出演している。
『クレイジージャーニー』のファンで、キャリーバッグにはクレイジージャーニーのステッカーを貼っている。
千日回峰行を達成した塩沼亮潤も尊敬している。千日回峰行について「いやもう想像を絶するというか、自分たちも高校野球の練習とか、死ぬほどきつかったりとかありましたけど、これはできないなと思いました」とコメントしている。自身がプロ通算100勝を達成し巨人の後輩たちからお祝いされた際、塩沼から動画でお祝いメッセージと共に、塩沼がしたためた書をプレゼントされている。
社会福祉活動として、2014年から毎年クリスマスの時期に他の巨人の選手たちと共に神奈川県伊勢原市にある東海大学医学部付属病院に行き、病室を回って入院中の子供たちにサインや写真、ジャイアンツグッズの入ったクリスマスプレゼントを渡すなどの活動をしている。
2015年から介助犬への支援も毎年続けている。
2020年4月24日に新型コロナウイルスの対応にあたっている医療従事者支援のために原辰徳、阿部慎之助、坂本勇人、丸佳浩らと共に各1000万円ずつ計5000万円を東京都に寄付した。5月6日に緊急事態宣言で小・中学生の練習自粛や大会中止を受け、中学生以下の子ども対象に巨人の公式Twitter上でものまねコンテストを開催し巨人選手(OB含む)のものまね動画を募集。菅野自ら審査委員長となり、選定100人に選手直筆サイン入りグッズをプレゼントする企画を立ち上げている。8月18日には新型コロナ対策担当大臣の西村康稔の公式Twitterで感染拡大防止のメッセージ動画に丸佳浩、岡本和真、田口麗斗と共に出演した。9月1日から2021年3月31日までの任期でサッカー選手のアンドレス・イニエスタ、お笑いタレントの西川きよしと共に日本政府の「コロナ対策サポーター」に就任した。2021年6月8日、医療現場支援のために寄付したことから、東京都の推薦を受け、紺綬褒章を受章した。
2022年から全日本軟式野球連盟を通して学童野球や中学の部活動で軟式野球に取り組む少年・少女への寄付金の支援を行っている。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 巨人 | 27 | 26 | 1 | 0 | 0 | 13 | 6 | 0 | 0 | .684 | 729 | 176.0 | 166 | 10 | 37 | 0 | 5 | 155 | 2 | 0 | 70 | 61 | 3.12 | 1.15 |
2014 | 23 | 23 | 3 | 0 | 1 | 12 | 5 | 0 | 0 | .706 | 640 | 158.2 | 138 | 12 | 36 | 3 | 2 | 122 | 6 | 0 | 50 | 41 | 2.33 | 1.10 | |
2015 | 25 | 25 | 6 | 2 | 0 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 710 | 179.0 | 148 | 10 | 41 | 4 | 7 | 126 | 3 | 0 | 46 | 38 | 1.91 | 1.06 | |
2016 | 26 | 26 | 5 | 2 | 3 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 726 | 183.1 | 156 | 12 | 26 | 0 | 4 | 189 | 1 | 0 | 46 | 41 | 2.01 | 0.99 | |
2017 | 25 | 25 | 6 | 4 | 3 | 17 | 5 | 0 | 0 | .773 | 713 | 187.1 | 129 | 10 | 31 | 0 | 1 | 171 | 1 | 0 | 36 | 33 | 1.59 | 0.85 | |
2018 | 28 | 27 | 10 | 8 | 4 | 15 | 8 | 0 | 0 | .652 | 801 | 202.0 | 166 | 14 | 37 | 1 | 3 | 200 | 3 | 0 | 52 | 48 | 2.14 | 1.00 | |
2019 | 22 | 22 | 3 | 1 | 1 | 11 | 6 | 0 | 0 | .647 | 577 | 136.1 | 138 | 20 | 32 | 2 | 3 | 120 | 0 | 0 | 65 | 59 | 3.89 | 1.25 | |
2020 | 20 | 20 | 3 | 3 | 0 | 14 | 2 | 0 | 0 | .875 | 532 | 137.1 | 97 | 8 | 25 | 0 | 7 | 131 | 2 | 0 | 33 | 30 | 1.97 | 0.89 | |
2021 | 19 | 19 | 2 | 1 | 0 | 6 | 7 | 0 | 0 | .462 | 465 | 115.2 | 90 | 15 | 25 | 1 | 7 | 102 | 1 | 0 | 41 | 41 | 3.19 | 0.99 | |
2022 | 23 | 23 | 0 | 0 | 0 | 10 | 7 | 0 | 0 | .588 | 596 | 147.0 | 138 | 15 | 26 | 1 | 6 | 104 | 2 | 0 | 52 | 51 | 3.12 | 1.12 | |
2023 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 4 | 8 | 0 | 0 | .333 | 315 | 77.2 | 70 | 10 | 15 | 0 | 3 | 54 | 0 | 0 | 30 | 29 | 3.36 | 1.09 | |
通算:11年 | 252 | 250 | 39 | 21 | 12 | 121 | 71 | 0 | 0 | .630 | 6804 | 1700.1 | 1436 | 136 | 331 | 12 | 48 | 1474 | 21 | 0 | 521 | 472 | 2.50 | 1.04 |
年 度 | 年 齢 | リ | グ | 完 投 | 完 封 | 勝 利 | 勝 率 | 投 球 回 | 奪 三 振 | 防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 24 | セ・リーグ | - | - | 3位 | 2位 | 4位 | 3位 | 6位 |
2014 | 25 | 1位 | - | 3位 | 2位 | - | 6位 | 1位 | |
2015 | 26 | 2位 | 3位 | 10位 | 10位 | 6位 | 8位 | 2位 | |
2016 | 27 | 1位 | 2位 | 8位 | 4位 | 2位 | 1位 | 1位 | |
2017 | 28 | 1位 | 1位 | 1位 | 2位 | 2位 | 2位 | 1位 | |
2018 | 29 | 1位 | 1位 | 1位 | 2位 | 1位 | 1位 | 1位 | |
2019 | 30 | 2位 | 5位 | 3位 | - | - | 9位 | - | |
2020 | 31 | 3位 | 2位 | 1位 | 1位 | 3位 | 2位 | 3位 | |
2021 | 32 | 1位 | 3位 | - | - | - | 10位 | - | |
2022 | 33 | - | - | 5位 | 4位 | 8位 | - | 8位 | |
2023 | 34 | - | - | - | - | - | - | - |
年 度 | 代 表 | 登 板 | 先 発 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015 | 日本 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 28 | 7.0 | 6 | 2 | 2 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.86 |
年 度 | 代 表 | 登 板 | 先 発 | 勝 利 | 敗 戦 | セ | ブ | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ | ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | 日本 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 58 | 14.1 | 14 | 2 | 1 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 6 | 5 | 3.14 |
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2013 | 巨人 | 27 | 9 | 36 | 2 | 2 | .957 |
2014 | 23 | 9 | 35 | 1 | 2 | .978 | |
2015 | 25 | 11 | 39 | 1 | 1 | .978 | |
2016 | 26 | 11 | 37 | 0 | 3 | 1.000 | |
2017 | 25 | 11 | 36 | 2 | 2 | .959 | |
2018 | 28 | 5 | 23 | 1 | 0 | .966 | |
2019 | 22 | 3 | 14 | 1 | 0 | .944 | |
2020 | 20 | 9 | 17 | 0 | 1 | 1.000 | |
2021 | 19 | 8 | 15 | 1 | 2 | .958 | |
2022 | 23 | 6 | 27 | 1 | 3 | .971 | |
2023 | 14 | 2 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 252 | 84 | 288 | 10 | 16 | .974 |
日本代表
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