この項目では、日本の都道府県としての福井県について説明しています。福井県の行政機関 については「福井県庁 」をご覧ください。
北陸地方 で最も人口が少ない県である。
概要
地理・地域
気候 ケッペンの気候区分 では県内全域が温暖湿潤気候 であるが、日本海側気候 であり県内全域が豪雪地帯 (一部特別豪雪地帯 )に指定されている。特別豪雪地帯の大野市 ・勝山市 ・池田町 ・南越前町 の旧今庄町 は全国屈指の積雪量であり、大野市では年間降雪量500cm、最深積雪100cmを超える。
福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する富山市 や金沢市 などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2018年2月7日に積雪147cmを記録しているなど1m以上の積雪となることもある。
一方、日本海沿岸部では対馬暖流 の影響により冬でも比較的暖かく、雪 よりも雨 の日が多い。
年間の降水日数は170日あり、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。
福井県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報 ) 平年値 (月単位) 嶺北 嶺南 坂井市 三国 坂井市 春江 福井 福井市 越廼 勝山 大野 南越前町 今庄 敦賀 美浜 小浜 平均 気温 (°C ) 最暖月 25.6 (8月) 26.8 (8月) 26.6 (8月) 26.0 (8月) 25.1 (8月) 27.1 (8月) 26.4 (8月) 26.5 (8月) 最寒月 3.1 (2月) 3.1 (1,2月) 4.9 (2月) 1.1 (2月) 1.5 (2月) 4.3 (2月) 4.1 (2月) 3.5 (2月) 降水量 (mm ) 最多月 224.0 (12月) 279.8 (1月) 223.0 (9月) 278.7 (7月) 336.1 (1月) 282.3 (12月) 250.8 (1月) 221.1 (9月) 最少月 121.4 (4月) 137.4 (4月) 140.6 (4月) 140.4 (4月) 134.8 (4月) 133.1 (4月) 121.3 (4月) 110.0 (4月)
地形 西側に若狭湾、東側に越前海岸 福井県は地図で見ると、鍵 あるいはゾウ のような形をしている。特に、嶺南に所属する若狭湾 の海岸線はリアス式海岸 として有名である。
自然公園 隣接する府県 自治体 以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。
市町村合併による動向 平成の大合併による2004年3月から2006年3月の合併状況 いわゆる平成の大合併 が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡 だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。
勝山市 と今立郡池田町 が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市 も態度を保留していたが、結局、頓挫することになった。
平均寿命 平均寿命 (2000年 (平成12年)、実際は多少のずれがある) 男 - 78.55歳(全国2位) 女 - 85.39歳(全国2位) 男女平均 - 81.97歳 歴史
※令制国 ごとの歴史は、越前国 ・若狭国 も参照。
先史時代 県内には遺跡 が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいたことが窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の石器 が出土している。 鳥浜貝塚 (若狭町)からは草創期の縄文土器 (隆起線文・斜格子文土器)をはじめ竪穴建物 跡や丸木舟 、弓矢、土器に模様を付けるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から畿内 や飛騨国 などの地域との交流があったことが窺える。 前期ごろには稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。 金属器 、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は銅鐸 が出土した日本海側の北限である。 中期ごろには首長 の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。 4世紀 初めごろには嶺北 で前方後円墳 が造られ始め、4世紀中ごろからは九頭竜川中流域で大規模な古墳 が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群 (4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。 5世紀 になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。 5世紀後半から6世紀 にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四国造 が分立した。三国国造があった地域は、継体天皇 がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である継体天皇 がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と越国 の勢力とが合一した。 570年 ~574年 、高句麗 使が越国 近辺に来着する。 継体天皇 以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。 6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳 や群集墳 が造られ始めるが、7世紀になると古墳自体造られなくなる。 古代 7世紀 後半ごろには律令制 の導入に伴い「若狭国 」が成立したと見られ、7世紀末には「越前国 」が成立したと考えられる。 若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も製塩遺跡 が残る。 また調とは別に贄 (にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集に出てくる「御食国 」の一つと推定されている。 749年 、東大寺 が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田 を買収して、福井平野 に多くの荘園 を獲得する。このころには条里制 が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。 8世紀 になると渤海 との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使 の来航や遣渤海使 の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。 764年 、クーデターに失敗した恵美押勝(藤原仲麻呂 )が越前国に逃れようとするも愛発関 が閉じられたため失敗する(藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱) )。 中世 島津氏 ・後藤氏 等が守護職に任ぜられる。 このころになると廻船業が発達し、敦賀津 や小浜津 、三国湊 などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。 1243年 には、道元 が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の永平寺 )を創建する。 13世紀 末以降には高田系浄土真宗 が越前国北部を中心に広まる。 1471年 、蓮如 が越前国吉崎に入り吉崎御坊 を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗 の布教拠点となる。その後、一向一揆 が相次ぐこととなる。 1506年 、加賀国 から本願寺 門徒 らが侵入する。しかし、朝倉教景 (宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する(九頭竜川の戦い )。 この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺門徒 や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。 16世紀 以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。 足利義秋 (義昭)が上洛を果たすため、1566年 に武田氏を頼って若狭国に、1567年 には朝倉義景 を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、1568年 、織田信長 を頼って美濃国 に出国してしまう。 1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。 1569年 、将軍義昭が本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、本願寺と外交関係のあった甲斐武田氏 ら遠方勢力らとも連携を取る。 1570年 4月、信長が朝倉攻めを開始し、金ヶ崎城 などを開城させる。しかし、浅井長政 の離反により京に撤退する(金ヶ崎の退き口 )。 1570年9月、信長が大坂、野田・福島で三好三人衆 や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、比叡山 に築城する。六角氏 の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する(志賀の陣 )。 近世 越前国 1600年 の関ヶ原の戦い の後、戦功第一の恩賞として結城秀康 に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩 )。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。 1623年 、秀康の長男松平忠直 は狼藉を理由に豊後国 荻原に配流された。かわりに秀康次男の越後高田藩 主松平忠昌 が幕命により相続し、忠直の長男松平光長 には越後国 高田(上越市 )に新たに領地が与えられた。このとき北ノ庄藩は規模を縮小し、余地をもって越前勝山藩 、大野藩 、丸岡藩 などの複数の小藩が成立。また、敦賀郡はいったん幕府領 (天領)となった後、小浜藩 領となり、後に小浜藩支藩の敦賀藩 などが成立した。このように、越前は複数の藩に分割統治されることとなった。江戸幕府八代将軍徳川吉宗 が若かりしころ、領地を持っていたこともあった。交代寄合 旗本の陣屋としては白崎陣屋の金森氏 がある。忠昌の越前入部の際、北ノ庄は福居(後に福井 )に改称された。これが福井市および県名の由来とされている。 その後、鯖江藩 などが成立する。その他越前には福井藩の支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。忠昌の子孫である越前松平家は紆余曲折を経ながらも福井藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。 若狭国 江戸時代前期は上方 と北国 を結ぶ年貢 米などの中継地として、小浜や敦賀 の湊が多用された。 江戸時代中ごろ以降は北前船 が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地 や大坂 を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船 主が活躍した。 1774年 、小浜藩医である杉田玄白 と中川淳庵 が前野良沢 らとともに「ターヘル・アナトミア 」を翻訳し、「解体新書 」を刊行する。 幕末 期には福井藩主である松平春嶽 や福井藩士橋本左内 、元小浜藩士の梅田雲浜 らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが台場 を建設する。
近代 現代 2020年 (令和0 2年)4月14日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、杉本達治知事が県独自の緊急事態宣言を出した。5月6日まで、不要不急の外出や会合・会食の自粛を要請、県外からの来県の自粛を求めた。 2024年 (令和0 6年)ワシントン・ポストの「人混みを避け、2024年に旅すべき場所」に選ばれた。 2024年 (令和0 6年)3月16日、北陸新幹線 金沢 - 敦賀間延伸開業。東京 - 福井間を直通の最短2時間51分で結ぶ。北陸本線の敦賀 - 金沢間は廃止となり、県内では敦賀市を除き在来線定期特急列車の運行がなくなる。敦賀 - 大聖寺 間はハピラインふくい が経営を引き継ぐ。 人口
人口は2000年の約83万人をピークに減少している。合計特殊出生率 は全国的にも高い県であり、21世紀以降は一貫して全国平均以上かつ新潟県を含む北陸4県中で最高を維持している。2005年ごろ以降、日本の合計特殊出生率は相対的に西日本 で高く東日本 で低い傾向にあるが、2021年には中部地方以東の都道県で唯一1.5を超える県となった。
福井県市町村人口増減率分布図(2015年度と2020年度国勢調査から算出) 増加 0.0 - 2.49 %
減少 0.0 - 2.5 %
2.5 - 5.0 %
5.0 - 7.5 %
7.5 - 10.0 %
福井県と全国の年齢別人口分布(2005年) 福井県の年齢・男女別人口分布(2005年) ■ 紫色 ― 福井県■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
福井県の人口の推移
総務省 統計局 国勢調査 より
都市 県内順位 都市 地域区分 人口 県内順位 都市 地域区分 人口 1 福井市 嶺北 263,109人 6 大野市 嶺北 33,249人 2 坂井市 嶺北 91,638人 7 小浜市 嶺南 29,262人 3 越前市 嶺北 82,754人 8 あわら市 嶺北 28,190人 4 鯖江市 嶺北 69,734人 9 勝山市 嶺北 23,186人 5 敦賀市 嶺南 65,565人 10 越前町 嶺北 21,519人 2019年 4月 現在
福井県内市別人口密度ランキング(2016年 (平成28年)現在) 鯖江市 (809人/km2 ) 福井市 (495人/km2 ) 坂井市 (429人/km2 ) 越前市 (351人/km2 ) 敦賀市 (262人/km2 ) 政治
県政 福井城 址にある福井県庁舎 財政 財政力指数 0.40 IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中10位 財政力指数 0.37 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中4位 財政力指数 0.34 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中11位 財政力指数 0.33 IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中9位 国政 衆議院 の小選挙区 が2。参議院 では、全県で1区を構成。
経済・産業・企業
工業地域としては北陸工業地域 の南端を担っている。第二次産業 と第三次産業 を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。
主な産業 繊維産業 楽器 眼鏡 産業 鯖江市 を中心にメガネフレームなど、全国生産の90%以上を生産 漆器 産業 越前漆器 業務用漆器(国内シェア約8割) 若狭塗り箸 刃物 産業 紙 産業 原子力発電 県内に、原子炉 は15基設置されている(敦賀市:4基(内1基廃止措置中)、美浜町:3基、おおい町:4基、高浜町:4基)。 主な上場企業 (五十音順、カッコがないものは東証 プライム上場)
福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、アトム 、飛島建設 、前田建設工業 、山善 などがある。 また、村田製作所 やアイシン 、森永乳業 といった大企業 のグループ会社も多数位置している。
生活・交通 警察・防犯 福井県警察 原子力関連施設が多いため、福井県警察には全国的に数少ない原子力施設警備隊 が設置されている。 4箇所設置している運転免許試験場 (施設名は「運転者教育センター」)が住所地管轄もしくは隣接管轄の警察署管内に所在し、自動車運転免許の更新手続は各試験場のみで行っている。警察署及び同分庁舎では住所本籍氏名変更(ICチップ記録内容の書換非対応)、全免種の自主取消といった手数料不要の一部手続のみ取扱。 福井県防犯隊連合会 福井県安全で安心なまちづくりの推進に関する条例(平成16年福井県条例第18号)による知事の指定を受けた「市町安全安心センター」として、全17市町の条例に基づき市町防犯隊を市役所及び町役場の危機管理部署に、支隊を一または複数の公立小学校区もしくは公設公民館区ごとに設置し、地元住民隊員による地域防犯活動を行う。防犯隊員には消防組織法 に基づく消防団 員や水防法 に基づく水防団 員と同様に非常勤の特別職公務員としての身分を与えられている点が一般的な防犯協会員と明確に異なり、都道府県レベルで組織化しているものとしては初の事例である。 消防 ライフライン 交通 空港 定期便が飛ぶ最寄りの空港は小松空港 (石川県 小松市 )である。
鉄道 越美北線を除いて、電化されている。北陸新幹線・北陸本線の特急列車 並びに新快速 を除く、県内を運行する普通列車の大半がワンマン運転 を実施している。普通列車の日中の運転本数は、JRで県下全域に亘り毎時1本以下、私鉄(嶺北地域のみ)は毎時2本程度。
自己保有路線として北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線、2019年廃止)があったが、2024年現在は北陸本線、ハピラインふくい線のみを利用(第二種鉄道事業 )。 琵琶湖若狭湾快速鉄道 - 小浜線と湖西線 を結ぶ短絡線の建設計画。北陸新幹線が小浜・京都経由で建設されることとなったため、計画段階で中止となった。 道路 港湾 医療・福祉 教育
マスメディア 新聞 テレビ局 NHK福井放送局 福井放送 (FBCテレビ、NNN /NNS (主体)・ANN 系列(クロスネット局 )) 福井テレビジョン放送 (FNN /FNS 系列) 1990年代 に3局目の民放 テレビ局として福井文化テレビジョン が開局予定であったが、断念した。 福井県にJNN およびTXN 系列局は存在しない。上述にある通り、FBCはNNN/NNS・ANNクロスネットではあるが、NNN/NNS単独局とほぼ変わらない番組編成であるため、ANN系列局も存在しないに等しい。 ケーブルテレビにより北陸放送 (MROテレビ)や北陸朝日放送 (HAB)、毎日放送 (MBSテレビ)や朝日放送テレビ (ABCテレビ)などが再放送されている地域もある。 福井県のJNN系列局による報道取材は南越前町を除く嶺北はMRO、嶺南と南越前町はMBSが担当している。(FBCがANNの報道取材に対応できない場合のANNの報道取材は南越前町を除く嶺北はHAB、嶺南と南越前町がABCが担当している。) 福井県内の民放は2つしかないため、チャンネルを変える際は「裏」だけで通じる世帯も多くある。 ラジオ局 ケーブルテレビ その他 文化・スポーツ 方言 同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は北陸方言 に、嶺南地方の方言は近畿方言 に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。
食文化 伝統工芸 越前竹人形 武生桐箪笥 三国箪笥 若狭パール 越前傘 スポーツ 観光 有形文化財建造物 県立文化施設 主な観光地 IZUMIクロスカントリー 今庄365 九頭竜 新保ファミリー
対外関係 福井県を舞台とした作品 福井県出身の人物 脚注 関連項目 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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