来歴
東京都目黒区出身。父親は、毎日新聞の記者。父のアメリカ合衆国留学と異動に伴い、小学1年時はボストン、4年時はウィーン、5年時はジュネーヴに赴任のため海外で過ごす帰国子女であった。帰国後、中学生以後は新宿区高田馬場に転居。1970年3月、目黒区立鷹番小学校、1973年3月 新宿区立落合中学校、1976年3月、東京都立戸山高等学校卒業。
1976年4月、東京大学教養学部理科二類入学、1980年3月、東京大学経済学部経済学科卒業後の同年4月 日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社(JT))に入社。半年の研修終了後、管理調整本部主計課資金係 に配属。
1982年、日本経済研究センター総合計画局へ出向し、予測研究員として従事。1983年、同公社に復帰し、渋谷営業所に配属。
1984年、経済企画庁に出向し、労働力及び人的能力担当計画官付委嘱調査員。森永はバブル時代の収入が少なかったと自身で回顧しており、この頃から雑誌への寄稿を開始。
1986年、JTに帰任し、製造本部製造企画課に配属。同年に三井情報開発総合研究所へ出向。1988年1月末付でJTを退職し、同年2月、三井情報開発株式会社総合研究所に移籍し、副主任研究員。1991年、株式会社三和総合研究所に移籍、研究開発部副主任研究員、1992年、研究開発部主任研究員、1993年、研究開発第3部(経済・産業・社会政策)主任研究員に昇進。1997年から2000年まで、経済・社会政策室 室長兼主任研究員、同年、経済・社会政策部 部長兼主席研究員に異動。2002年、三和総研が東海総研と合併してUFJ総合研究所となり、同社経済・社会政策部 部長兼主席研究員。
1990年代後半頃から、『アクセスNOW』(テレビ神奈川)等の放送メディアにも出演し始めた際、「三和総研」の肩書きで放送メディアに出演する事に対して、同社が難色を示したため、当時の番組のディレクターが「経済アナリスト」という肩書きを提案し、2020年4月時点でも使用している。その後、『ニュースステーション』の番組制作を担当していた芸能プロダクションであるオフィス・トゥー・ワンに所属。なお、放送メディアに出演し初めた40歳当時の髪型はリーゼントであった。
再び所属会社が合併し、2005年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングとなってから、同社からメディア取材時の稟議書提出を求められ、取材が1日10本ペースだったため、稟議をあげる手間に嫌気が差し、2004年から、父の京一が毎日新聞社退職後にかつて教鞭を取っていた獨協大学の特任教授に就任し、その後、特任で契約していた同大学との教員契約を優先し、2006年4月に経済学部教授に就任。ただし、この時期も並行して2005年4月から同社客員研究員を2007年3月まで担当した。以後、大学教授の肩書きでタレント活動を行っている。
がん闘病
2023年12月27日、ステージ4の膵臓がんであると公表した。ガン公表を進言したのは息子の康平である。週刊女性PRIMEのインタビューによると「当初、すい臓がんステージ4と医師に診断されたものの、「原発不明がん」の結論に至り、ゆえに大もとのがんをやっつける抗がん剤は見送りに。がん免疫療法薬のオプジーボを投与しつつ、自身の免疫機能を強化してがん細胞と戦っているということ」と語っており、ステージ4の膵臓がんではなく、原発不明がんであると明かした。
2024年4月9日に公開されたインタビューでは以下の通り説明している。
- 体調は戻ったが、体力は戻らず階段は10段ずつしか上がれず、要介護3である。結婚後41年だが、妻とこれほど一緒にいたのは初めてで新婚気分である。働きづめで1日22時間労働の時もあり、働き方改革の真逆であった。7-8年前に糖尿病を患い、その後検査を続けていたが、体重の減少が顕著であったため、人間ドックを受けた2023年11月にがんが見つかり、最初の診断で「来年のサクラは見られない」と宣告された。その際、動揺はなかったが「どうやって後始末をつけるか」(書きかけの著書のことなど)を考えた。決断したのは「とにかく権力と戦う」ということであった。ペット検査での診断結果では胃と膵臓のがんの原発が疑われたが、生体検査や内視鏡ではどちらもがん細胞が見つかなかったものの、主治医の診断は「すい臓がんステージ4」であり、見えない原発巣が膵臓にあるだろうというものだった。セカンドオピニオン、サードオピニオンの結果も同じであった。12月末ごろにこの結果をもとに「アブラキサン(パクリタキセル)」ほか2種類の抗がん剤を投与したが、直後急速に体調が悪化し、「三途の川が見えた」。点滴で「栄養剤らしきもの」を投与され、それが劇的に効いた。その後、アメリカの血液でのがん遺伝子パネル検査(遺伝子検査)の結果、95%はすい臓がんではないと判明。腫瘍マーカーでもすい臓がんの反応がなくなっていた。では、どこにがんがあるのかを医者に聞いたが「全くわからない」レアケースである「原発不明がん終末期」と診断され、抗がん剤を打てない状況となったが、このケースではオプジーボが保険で打てる状況となり、同時に「免疫細胞療法」を受けた。妻とは終日一緒にいるが、ほぼ菜食主義の妻と肉食の森永では全く好みが異なり、食事は別に作っている。長男康平は機械音痴でペイペイすら使えないほどで、また「オタク心」は全くわからず、次男に口述筆記を依頼していること、自身が運営する博物館は、次男に任せていること、初めて家族で花見をする予定になっていること、煙草は1日1本にしていることなどを語った。
人物
- プライベートでは2歳年下の妻と結婚。婚姻理由は森永が感情的に“怒らない”事が決め手となったとしている。前述のJTの退職については、事後承諾であったとしている。シンクタンク研究員時代から、卓郎が仕事で自宅への帰宅が遅く、休日でも家族と過ごす日数が少ないため、後に誕生した長男である康平、次男との家庭内では「母子家庭である」コンセンサスを取っており、森永を赤の他人扱いをしていた時期がある。そのため、外食をするため外出しても、卓郎には変装をさせ、時間差で動くように指示していた。また、後述の森永の趣味により、赤字を垂れ流している状態について、家族には「コレクションはともかく、博物館はやりすぎ!!」と呆れられ、妻からこの状態を含めたそれ以外の件で「もう私は出て行く!」と愛想を尽かされていた。
- 1日5食、朝起きてすぐにカツ丼をぜんぶ食べ切るなど1日の摂取カロリーは、推定5000キロカロリー以上、平均睡眠時間4時間、運動もほぼせず、ヘビースモーカーで体重はかつては89.8㎏、体脂肪率は30%超え、ウエスト114㎝の肥満体だった。2009年には、医師から糖尿病の診断を受け、さらには尿路結石を患い、医療費が毎月1万円以上かかっていた時期もあった。しかし、低糖質ダイエットを行い、4カ月で体重は69.9㎏へと19.9㎏減、ウエストは91cmへ23cm減、体脂肪率は半減。糖尿病も改善し、インスリン注射も投薬も不要になったという。低糖質ダイエット中、主食は豆腐であった。
- 1985年の経済企画庁出向時、経済モデルの分析結果でバブルが来ると確信して情報発信をしたが、誰も信じて貰えず頭に来て、地価上昇を証明しようと、年収300万円でありながら現在の居住地である、埼玉県所沢市小手指に中古の一戸建てを購入した。東京23区出身である森永が小手指に中古戸建てを購入した理由は、妻の実家が狭山ヶ丘に所在し、距離的に近かった事である。また、その後のタレント活動で得た収入で「B宝館」をオープンするため同市内に賃貸ビルを購入した。
- 前述の森永と妻の間で溝が出来ているもう1つの理由が、父である京一が2006年、実家が所在する高田馬場から目白に買い物に出掛けた際、脳出血で倒れ左半身麻痺が残った際、1人暮らしだった父親をいきなり介護施設に入居させる事をためらい、小手指の自宅に引き取り自宅介護を妻に押し付けてしまった経験がある。その際、妻から介護の限界から離婚を突き付けられたが、結局は父親の病状悪化に伴い、介護施設に入居させた。
- タレント活動開始以後、平日は中央区八丁堀に所在する自身の個人事務所で寝泊りし、メディア出演を行っている。また、元来後述のコレクションに自分のリソースを割く事は厭わないが、その他の支出についてはケチであるため、近所のスーパーマーケットに夜半通い、見切り品で割引シールが貼られている商品のみまとめ買いを行ない、帰宅後テーブルに並べ、その際に1週間分の献立を考え、献立に従って小分けし冷蔵庫保存を行い、週1000円の食費で生活を送っていたり、テレビ出演で番組から提供される楽屋弁当に対しても、所属事務所のマネージャーとスタイリストの分と3つ用意されているのに関わらず、2人の分を持ち帰るのが当たり前になっていたり、鉄道乗車券の払い戻し手数料が勿体無いから乗車区間変更で手数料を回避したり、原稿を執筆するノートパソコンは中古品 と多数エピソードがある。そのため、番組で共演した有吉弘行から「ケチだぬき」とあだ名を名付けられた。
- プロ野球が大好きで、横浜DeNAベイスターズのファンである。ただし、ファンになった理由は父親が商売敵である讀賣新聞がオーナーを務める、「読売ジャイアンツの試合を見てはいけない」事が家訓で、ジャイアンツ戦しか放送されていない時代に森永の目黒区、新宿区の自宅でも視聴可能であったホエールズ戦のナイター中継(テレビ神奈川)を視聴していた事がキッカケであった。そのため、テレビ神奈川の年越し特番である『ベイスターズナイト』の常連出演者である。
- 森永自身は性格は「オタク」であると評しており、収集癖が強く2008年時点では54ジャンル、食玩、アニメ美少女キャラのフィギュア、有名人のサイン入り名刺、消費者金融のポケットティッシュ、携帯電話ストラップ、テレビ局のノベルティの時計、グリコのおまけ、空き缶、ボトルキャップ、おもちゃのカンヅメ、ライター、貯金箱、指人形、ハンバーガーチェーン店の景品、映画版『ドラえもん』の入場者プレゼント、ランチパック、チロルチョコの包み紙、崎陽軒のシウマイの「ひょうちゃん」醤油入れ、弁当や折詰の醤油入れ(しょうゆ鯛)、ホテルなどで貰えるロゴ入りの袋に入ったつまようじ、航空機模型、鉄道模型等公称10万点を収集している。そして、それらを所蔵するため、タレント活動での稼ぎを注ぎ込み、庶民文化研究所代表である町田忍と共同で2010年10月10日に中央区入船に「ノベルティミュージアム」を開館し、館長に就任した。
しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災で博物館施設も被災し休館状態となり、そのまま閉館。その後、前述の森永が居住する所沢市けやき台に購入した賃貸ビルへ新たに移転し、2014年10月4日に「B宝館」をオープンした。来訪客の対応スタッフに森永の妻が対応をする事がある。しかし、この森永の趣味であるB宝館の運営で年間900万円の赤字を垂れ流している状態で、2015年から20年分の赤字や土地建物の資産価値の低下などすべて合わせると、損失は3億3500万円にのぼると算出された。この損失により相続税が掛からないため、ゆくゆくは運営費だけ余分に貯蓄し、次男に継いでもらう事を想定している。 - 前述の様々な物品の収集癖のキッカケは、ミニカーであり、小学1年時は祖父母からの小遣いを貯めて購入した、グリコのオマケや買い与えられた数台しか所持していなかった。しかし、来歴の項に記載の父親の仕事都合で欧米で過ごした時期にウィーン在住時にドイツ語を習得出来ない状態で日本人学校ではなく、ローカルの小学校に転校させられ、現地人とコミュニケーションが取れずいじめられ、引き篭もり状態になり、父親が森永の状態を悲観し、ミニカーを買い与えた事であった。帰国時にはミニカーだけで1000台を超えていた。小学6年時の帰国以後はミニカーからは遠ざかっていたが、大学在学中に興味が再燃した。現在でも買うか買わないか迷った時には買うなど、ミニカー購入には拘りを持っている。また、森永にとって海外生活は人生最大の挫折だったと述べている。
- 番組出演時、自身が気に入っている女性タレントや番組共演者女性に対して、森永は願望を叶えたいがために、番組放送中ないしはCM裏や楽屋トークで依頼するケースがあり、その願望が相手の心証が良くない事が多く、例えば、ニッポン放送の番組放送中に交通情報センターや警視庁の女性職員との掛け合いで、個人情報を徐々に聞き出す行為をした結果、交通情報センターからのクレームが入った事もあり、依頼後に共演NGや番組スタッフへ「距離を置く」ように依頼されるケースがあり、森永が出演する番組内でイジリのネタにされている。元来、大ファンである松田聖子が自身のラジオ番組であった『朝はモリタク!もりだくSUN』2005年2月3日放送分にて初めて共演した際に、生放送中「言ってもいいですか? キレイですね~」と発言し、続け様に「好きです」と告白し、聖子の所属事務所マネージャーに叱責され、以降共演NGにされた経験がある。
- JTに所属していた事とは関係無く元来の愛煙家であり、過去、たばこ税法の税率改定に伴いたばこの一斉値上げした際には、数万円単位で大量に買い占めをしたことがある。
- 2015年10月3日分の『オールスター感謝祭2015秋』(TBSテレビ)の番組企画で、「ダイエットに挑戦して年末迄に痩せるという企画は誰がふさわしいか」視聴者投票で選出され、2016年3月2日、ライザップの結果報告会に登場し、約4カ月のトレーニングとダイエットによって体重89.4 kg(キログラム)から69.5 kgへと19.9 kgの減量に成功した姿を披露。これにより、持病であった糖尿病の治療や投薬等から改善されたとしている。しかし、2020年6月時点では森永の番組での様子からリバウンドしている事が窺える。
主張
森永は社会民主主義の政策を推し進める事を主張している。父である京一が第二次世界大戦中、海軍予備学生として招集され特攻隊員となり、特殊潜航艇・蛟龍の訓練中、広島沖で原爆投下を目撃 した経験を聞いたことが、後述の安全保障施策に対しての主張に繋がっている。いま唯一と言ってよいほど自由に物が言えるのが、書籍の世界であるとしている。
経済
- 著書などで早くから「年収300万円時代」を予測し、ほどなくして「ワーキングプア」が社会問題として注目された。2000年代後半以降では国民の9割が年収100万円以下になる「年収100万円時代」を予測している。お金のない人間を「負け組」と呼び、低賃金で大人しく勤勉に働いてさえいればいいと言って人間性を否定する社会は間違っているとしている。この著書で、森永卓郎氏は200万部以上部数をあげて、5億円以上の印税収入を手に入れている。
- 実質GDPでの成長は必ずしも必要なく、実質でマイナス、名目でプラスの経済成長が正常な日本の姿であり、この場合摩擦は起きないとしている。
- 日本銀行の量的緩和政策と政府による減税および社会投資の前倒しによる景気回復を主張している。日銀の公定歩合引き上げには景気を弱めるという理由で反対をしている。また、不況下の歳出削減や特殊法人改革には「どんな理由でも景気に悪影響しか与えない」と様々な改革を批判している。
- 金融政策についてデフレ脱却のために日銀が100兆円単位の国債を大量購入することで市場にベースマネーを大量供給することを主張している。
- 森喜朗政権の頃から、日銀および大蔵省・財務省の政策を一貫して批判。週刊誌のインタビューで「私を日銀総裁か財務大臣にしてくれたら、半年で景気回復させます。もしできなかったら死刑になってもいい」と豪語し、周囲の者を心配させた。
- 小泉純一郎が首相だった、第2次小泉内閣以降の小泉・竹中路線のメイン政策の1つであった聖域なき構造改革に反対の立場で、新自由主義や市場原理主義は構造改革の名を借りた弱者切り捨てだとして強く批判していた。
- 2008年自由民主党総裁選挙では、麻生太郎の公共投資による経済政策を「経済復調に最良の総裁は100%麻生さん。財政出動はバラマキだと批判されがちだが、お金がない庶民に配るのが常道だ。きちんとした景気対策を打ち出しているのは麻生さんだけ」と評価していた。しかし、後年麻生が内閣総理大臣に就任し、オタク文化に理解があると報道されると「(麻生総理は)メイド喫茶やコスプレショップに立ち寄ったことが無く、オタクの味方ではなく、選挙のためのイメージ戦略」と批判した。
- 著書『萌え経済学』ではオタク文化が日本が世界に誇る独自産業であると主張している。
- 日本の原発再稼働ついて「今まで原発を必要悪として認めざるをえないものと考えてきた。日本経済の失速を防ぐためには他の選択肢はない。原発の是非を考えるのは、当面の電力不足を乗り切ってからでよい」と述べ、東日本大震災直後いち早く原発のスイッチを入れろと唱え、節電の強要は日本経済の崩壊を招き震災復興のマイナスになると、原発再稼働の必要性を訴えた。原発のコストについては「原発のコストはせいぜい火力と同程度である。それなら火力で置き換えればいいというかもしれないが、それは減価償却の問題をまるっきり無視した意見である」「再稼働しない場合、原発は燃料冷却のため電力を消費するだけの存在になるので、早急に廃炉にする必要がある。仮に廃炉費用を1基5000億円とすると、(早急に廃炉にした場合)54基で27兆円という天文学的な額が一度にかかってくる」と述べている。中長期的には「ストレステストも日本の電源構成をどのようにすべきかという議論も、原発を稼働させながらすればよい。そうすれば確実に廃炉の財源が出てくる。その中で、どの原発から廃炉にすべきかという優先順位をつけて、確実に廃炉を進めていくことが一番望ましい」、「安価で安定した電源に代替しながら、徐々に原子力発電所を廃止していったほうがよい」、「日本の新エネルギー技術はどんどん進化していて、効率も高まっている。そうした技術を活用する中で、原発をゆるやかに安楽死させていけばよい」、と述べている。
- 2014年の消費税増税について「失敗するのは目に見えている。消費増税が強行されれば早ければ2014年中に恐慌になる」と述べている。
- 安倍晋三の経済政策「アベノミクス」について「アベノミクスによって恩恵を受けるのは、(輸出製造業の)大企業と株価の上昇で潤う資産家だけとなる公算が高い。デフレ脱却が図られたとしても、直ちに労働者の賃金が上がる環境にはないので、庶民の生活はすぐにはよくならない」と述べている。
少子化問題
少子化問題に対して、見た目のよい男性にイケメン税を課し、不平等を是正すれば、不細工な男性も恋愛しやすくなり、結婚する人が増えると主張している。森永の案は、イケメンの所得税は倍にする一方、容姿がすぐれていない男性の所得税は1、2割減額。所得税の最高税率は40%のため、イケメンで収入の高い人は80%になる。イケメンかどうかの判定は、無作為に選ばれた女性の評議員が多数決でする、という構想である。
移民受け入れ政策について
日本経済団体連合会による移民受け入れ政策には、「亡国の政策」であるとして反対を表明している。「もしこの施策が実行に移された場合、もっとも不幸なのは日本にやってきて働く外国人である。受け入れ態勢が十分に整わないまま、単なる低賃金労働者として移民させられれば、ありとあらゆる差別が起こるのは目に見えている」と危険視している。
外交政策
戦争の意義を否定しており、軍事力を重要視する価値観に対しても否定的である。日本国憲法第9条の改正やいかなる戦争にも反対している。2005年3月には、「マガジン9条」発起人となった。また、「私は丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄し非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないかと」 と発言している。
安全保障
前述の絶対反戦平和主義を貫いているため、仮に外国勢力から攻められても座して死するべしと主張しており、武器ないし装備品を持つ事に対しても否定的で、自身は第二次世界大戦時の日本国内の民間人向けの自活兵器やベトナム戦争のベトコンと同じく竹槍で立ち向かえばいいと主張している。
自民党政権批判
前述の小泉政権時代の小泉純一郎並びに竹中平蔵に対して反政権批判を貫き通している。特に小泉政権時代は発言内容が過激であったため、森永の発信を公安調査庁が定点観測しており、後刻、本人が公安調査庁に呼び出され、発言内容のスクラップファイルを見せられた経験を2016年元日に放送された、『しくじり先生 俺みたいになるな!! 2016しくじり初め元日SP』(テレビ朝日)にて明かしている。
また、第2次安倍内閣以後、森永は変わらずに反自民党政権の発信をしていたが、「森永卓郎はビビッてニュース番組やワイドショーに出演しない」と称されたり、2015年時点の普天間基地移設問題のVTRコメントにて「海兵隊は占領にいく部隊だから海兵隊が日本を守ることはありえない。日本がアメリカに逆らった時に、日本を占領するために常駐していると思っている」と発言した事に対し制作側からお蔵入りになった経験がある。最初はリベラル派を自称するコメンテーターがワイドショー、討論番組のオファーが減り干されており、その原因が安倍政権のプレッシャーと主張していた。
禁煙ファシズム批判
- 2017年にドワンゴが主催した座談会『禁煙ファシズムに断固反対!愛煙家大集合スペシャル』に出演した際、厚生労働省が受動喫煙防止を目的に推し進めていた原則屋内禁煙の健康増進法改正案について、「今の法案の中身というのは、喫煙者を殲滅しようという方向になっている」と持論を展開した。また、同年に喫煙文化研究会が主催したシンポジウム『たばこはそんなに悪いのですか?2017』に出席した際にも同様に「頭の中は喫煙者殲滅、魔女狩り」と日本の受動喫煙対策を批判している。
- 2019年に銀座ルノアールが全直営店で紙巻きたばこの喫煙を禁止すると発表した際には「禁煙ファシズムがここまで来たか」とコメントしている。
著書
番組出演
現在
テレビ
ラジオ
過去
テレビ
テレビドラマ
ラジオ
映画
- 逆転裁判(2012年2月11日公開、監督:三池崇史)- 号外を配る新聞販売店員 役
ウェブテレビ
- 袋とじ職業図鑑~思わず覗きたくなる世界~(2016年9月1日 - 2017年8月1日、ピクションシネマ)- MC
- 袋とじ職業図鑑~思わず覗きたくなる世界~セカンドシーズン(2017年10月1日 - 2018年8月1日、ピクションシネマ)- MC
- GYAO!✕進撃の巨人「巨人化診断」(2017年)
その他
CM
ゲーム
- 『森永卓郎のお金の新常識DSトレーニング』(ニンテンドーDS用ソフト、2008年10月、KKベストセラーズ) 監修
脚注
関連項目
- 垣花正 - ニッポン放送の番組でパートナーみたいに森永と一緒に出演したアナウンサー。
- マガジン9 - 発起人の一人。
外部リンク
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