人物
父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)。 山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1967年に大学を卒業後、郷里・山形県で高校教員となるが同僚女性との出会いがあり、前妻と離婚して1972年に再度上京した。佐高の全面協力により書かれた評伝によると、次のような事情があったという。
「昭和四十二年の春、卒業と共に帰郷して庄内農高の社会科教師となる。ここで三年、教科書はいっさい使わず、ガリ版の手製テキストで通したため“赤い教師”の非難を浴びた、酒田工高に転じて結婚もしたが、同じく“赤軍派教師”のレッテルを貼られる。教育の現場に怒って県教組の反主流派でがんばるうちに、同僚教師と同志的恋愛に陥った。「佐高なんかのツラも見たくない」と反発する教師仲間は、陰湿に白眼視。母・千代は孫娘を抱いて死ぬと言い出し、佐高も自殺を思いつめる。四十七年八月、ついに辞表を出して上京」
2005年に3度目の結婚をした。
上京後は総会屋系経済誌「現代ビジョン」編集部員を経て編集長となる。その後、評論家活動に入った(「現代ビジョン」誌については下の項目も参照)。
日本企業に関する批判的な評論で知られ、月刊誌「噂の眞相」(休刊に伴い、月刊「創(つくる)」に移行)に連載した「タレント文化人筆刀両断」は連載100回を超える。「佐高信の政経外科」を「サンデー毎日」に連載していた。また「週刊金曜日」のコラム「風速計」を持ち回りで担当した。
池波正太郎、藤沢周平の熱心なファン。『金融腐蝕列島』(1997年、角川書店)など高杉良の著書の解説を多く手がける。
第44回衆議院議員総選挙直前の『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)に「社民党応援団」として出演するなど、公然とした社民党支持者である。また2007年3月まで新社会党の機関紙「週刊新社会」にコラム「毒言毒語」を連載した。土井たか子らと“憲法行脚の会”を結成、加藤紘一との対談集会を開くなど護憲運動を行なっている。日本共産党には批判的で、九条の会への参加を呼びかけられた際には日本共産党の関係者が加わっていることを理由に拒否した。 2005年3月、「マガジン9条」発起人となった。近年は第25回参議院議員通常選挙で日本共産党の吉良よし子の応援演説を行ったり、日本共産党のインターネット番組にゲスト出演するなど、以前よりは柔軟な態度を示している。
小泉内閣・安倍内閣への批判から「クリーンなタカ派よりはダーティでもハト派の方が良い」と、加藤紘一や野中広務、鈴木宗男ら自民党内の左派や旧竹下派人脈との関係を深める。ロッキード事件で失脚した田中角栄に関してもかつてはこき下ろしていたものの、今では「ダーティなハト」として相対的に評価している。なお田中秀征については「クリーンなハト」としており、昔から親しい。
批評活動と自身の評価
批判の対象である保守系や共産党系の人びとでも佐高の企業批判を高く評価する人は少なくない。
人物評論の特徴、事例、変遷
問題発言など
- 池田大作名誉会長の意向のままに動くとされる創価学会・公明党批判を、自自公連立以降活発に行い、一部の対立する言論人に対しては創価学会系の「潮」(潮出版社)に執筆すること自体を批判材料にしている。佐高自身も以前は創価系雑誌「潮」「パンプキン」「第三文明」などに寄稿していたが、自自公連立を機に絶縁を宣言している(政教分離を尊重する建前から、当初は公明党の媒体のみ寄稿を中止していたが、まもなく創価学会系全般への寄稿を取りやめた)。
- 田原総一朗を権力者の「マイク」(インタビュー対象者の主張を拡声するだけ)として、田原の姿勢に対し執拗といえるほどの批判を展開。1997年から1998年にかけて起こった山一證券の破綻、旧大蔵省の汚職事件、金融危機により旧大蔵省に対する批判が巻き起こった際、責任者である旧大蔵省幹部・長野庬士に対する田原の取材が「説得力があった」と結ばれていたことから、取材姿勢が大蔵側に迎合的だと佐高が批判し、田原は「自身のジャーナリストとしてのキャリアに対する全否定」と激しく応酬した。また田原には仕事上の姿勢以外にも「田原総一朗は自身の妻に「君が死んだら後を追うよ」と言っていた。妻の友人達は「いつ後を追うのか」と噂しているという」などと批判し、田原は「佐高は私に死ねと言うのか!」と激怒したという。佐高は「言論人として言葉に責任をもてといいたいだけである」と反論した。ただし対面は拒んでおらず、討論番組『田原総一朗の異議あり!』(テレビ朝日)や『朝まで生テレビ!』(同)などにて共演した。2012年の『激突! 朝まで生対談』(毎日新聞社)や2019年の『黒幕の戦後史』(河出書房新社)など共著も刊行している。
- 佐高が「小心者」として断罪した石原慎太郎との「週刊金曜日」誌上での対談は、梶村太一郎から「佐高氏とは面識もなく、なんの偏見もないが、この対談だけは、いくらなんでもひどすぎる」「まるで青大将に睨まれた雨蛙が、捕って喰われるのではないかと脅えながら、相手にすり寄るだけのような体たらく」と対談内容を批判された。また、日垣隆も「卑屈な迎合ぶり」を指摘し、「やっていることは常に時代の引き戻し以外のものではなく、相手がいないときだけダジャレと自慢話を垂れ流し、相手が目の前にいるときは太鼓持ちになる」と書いている。石原との対談が実現したのは、東京都が当時推進していた銀行税を佐高が評価していたためである。佐高と石原は政治的信念を180度異にするが、大蔵省・銀行に対する認識では一致している。
「皇室コント事件」
- 2006年11月19日、「週刊金曜日」主催による「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」が日比谷公会堂にて行われ、佐高が司会を務めた。この集会で演じられたコントが皇室に対する侮辱であるとして「週刊新潮」で取り上げられた。内容は悠仁親王を「猿のぬいぐるみ」に見立て「こんな子い〜らない」と放り投げる、以前前立腺癌を患った天皇をネタにしたというものだった。
- 佐高は「週刊新潮」の取材に対して「劇中で「皇室」なんて一言も言っていない」「それは受け取る側の見方だからこちらがコメントする理由はない」と返答。しかし、最初に登場する上皇后美智子に扮していると思われる女性を演じた役者を「この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地(=皇居のこと)にお住まいの高貴な方の奥様」と佐高自身が紹介しており、その役者も皇室典範の話題について触れている。
- このコントを演じた劇団「他言無用」が多くの批判を受け、ホームページ上に「皇室をパロディーとした寸劇を上演」したことに対する謝罪文を掲載している[1]。また結果的に「週刊金曜日」は謝罪した。
「現代ビジョン」について
- 佐高は文筆・評論活動のスタート地点となった「現代ビジョン」誌の性質を後に回想し、「はじめにびっくりしたのは、そうした雑誌は、雑誌を売って金をもうけるのでないということです。公称三万部といっても実売は三千もいっていない。九割九分が広告収入なのです。それも一流大企業のです。長い間、不思議でならなかった。あるとき気づいたのは、企業は(雑誌に)広告を出すメリットはないが、スネに傷持つ以上、出さないとデメリットがあるということです」と告白している。
- 同誌は自社に広告を出すか、出さないかによって批判記事・賞賛記事のどちらを掲載するかを決める(また同じスペースでも、企業の規模に応じ広告料金はまるで違っていたという)という性質の雑誌で、佐高は10年近く勤務し、編集長に上り詰めた。 最終的には職場内で後輩からの突き上げ団交に会い、人間関係のもつれによって退職。
- またオバタカズユキのインタビューに「…広告とタイアップした記事はたくさんあるわけで、どこぞの社長の提灯記事書けとかは日常茶飯事だからね。一方で批判記事というのも書いてはいたわな」 「総会屋云々のほうは、そういう雑誌にいたってことを隠してはいない」と答えている。
- その後、佐高は2007年の「週刊金曜日」コラムなどで「総会屋雑誌とは謙遜して言っただけ」と弁明した。日垣も「これこそ総会屋雑誌の本流記事」と評する。
その他
- 社会思想社を援助しており、倒産の際は印税・貸し付けなどで損をしたという。
- 七つ森書館から22冊の著書を刊行したが、印税が未払いで「被害額は2000万円」に上ると苦言を呈した。
著書
単著
1980年代
- 佐高信の斬人斬書(上)(下)=1987年2月に島津書房より刊行。1994年5月15日に、徳間文庫より一冊に合本して再刊(本体505円税込520円)
1990年代 - 2000年代
2010年代
2020年代
政経外科シリーズ
以下はサンデー毎日連載の『政経外科』シリーズ
共著
2000年代
2010年代
2020年代
編著
論文
脚注
外部リンク
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