ホイットニー・ヒューストン: アメリカの女性歌手、女優 (1963-2012)

ホイットニー・エリザベス・ヒューストン(英: Whitney Elizabeth Houston、1963年8月9日 - 2012年2月11日)は、アメリカ合衆国の歌手、女優、元ファッションモデル。

ホイットニー・ヒューストン
ホイットニー・ヒューストン: 概要, 来歴, アルバム
基本情報
出生名 Whitney Elizabeth Houston
生誕 (1963-08-09) 1963年8月9日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州 ニューアーク
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州 イーストオレンジ
死没 (2012-02-11) 2012年2月11日(48歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ビバリーヒルズ
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1977年 - 2012年
レーベル
公式サイト www.whitneyhouston.com

概要

著名なソウルシンガーを親戚に持つ。11歳の時にジュニア・ゴスペル・クワイアに入り、ニュージャージー教会で歌い始めた。ニューヨーク市地域のナイトクラブで、母親とパフォーマンスをしていたところをアリスタ・レコードの社長のクライヴ・デイヴィスにスカウトされた。

1985年、デビューアルバム『そよ風の贈りもの』は、大ヒットとなった。1987年にリリースされた2枚目のスタジオ・アルバム『ホイットニーII〜すてきなSomebody』は、Billboard 200で初登場1位を記録する(女性歌手では初)。1992年には、初主演映画ボディガード』が公開される。映画のサウンドトラックは、1994年の第36回グラミー賞で「最優秀アルバム賞」を受賞するなど、高い評価を受け、アルバムからのリカットシングルオールウェイズ・ラヴ・ユー」は、自身最大のヒットとなった。

ホイットニーは、世界で最も売れている歌手の1人である。累計セールスは、アルバムが1億4,000万枚以上、シングルは5,000万枚以上で、アメリカ合衆国RIAAより「アメリカ合衆国で(女性アーティスト史上)4番目に売れている歌手」と評価されている。また、音楽雑誌ローリング・ストーン」により、その声を「強力で鋭いポップ・ゴスペル」といわれ、オール・タイムの素晴らしい歌手100人の内の1人であると評価された。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において、第34位。「Q」誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」において、第98位。

来歴

出生、幼少期

1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアークで、父のジョン・ヒューストン(1920 - 2003)と、歌手である母のシシー・ヒューストン(1933 - )の3番目の子供として生まれた。母・シシーは、60年代に活躍したスイート・インスピレーションズリードボーカルで、後には、エルヴィス・プレスリーアレサ・フランクリンのツアーにバックコーラスとしても参加している。シシーがツアーに出ている間、父親のジョンが育児を担当した。従姉には、ディオンヌ・ワーウィックディー・ディー・ワーウィックジュディ・クレイなど、ゴスペルR&Bポップソウルなど、多くのジャンルでヒットを持つ歌手がいる。ダーレン・ラヴが、ホイットニーの名付け親・代母であり、アレサ・フランクリンは、名誉伯母(honorary aunt)である。

1967年、ニューアーク暴動が起こると、イーストオレンジに引っ越した。幼い頃にニュージャージーのニュー・ホープ・バプティスト教会の聖歌隊に加わり、ゴスペルを学ぶ。11歳の時には、聖歌隊のソリストとして活躍。教会での最初の単独パフォーマンスは「ガイド・ミー、オー・ゾウ・グレイト・ジェホヴァ」という曲であった。これより少し前に、ピアノも習い始めた。

ホイットニーが10代の時に両親が離婚、母・シシーが養育権を得た。ホイットニーは、カトリック系の女子校に通った。そこで、親友となるロビン・クロフォードと出会う。クロフォードはその後、個人秘書となり、バイセクシャルであったホイットニーは、クロフォードとレズビアン同性愛)関係になったとされる。高校に通う間も、母・シシーがホイットニーに歌を教えた。

デビュー、絶頂期

10代の頃にモデルとして活動したり、チャカ・カーンらのバックボーカルを務めるなど、頭角を現した。1983年、敏腕プロデューサークライヴ・デイヴィスの目にとまり、アリスタ・レコードと契約した。翌年には、テディ・ペンダーグラスとのデュエット曲がヒットした。

1985年、デビューアルバム『そよ風の贈りもの』をリリースし、いきなり爆発的人気を獲得した。2作目のシングルすべてをあなたに」から7曲連続で、全米シングルチャート1位の記録を打ち立てた。この記録は、ビートルズの6曲連続を超える新記録であり、未だに破られていない。

1987年、2枚目のアルバム『ホイットニーII〜すてきなSomebody』は、オリコン洋楽アルバムチャートでも通算11週1位を獲得した。

ホイットニー・ヒューストン: 概要, 来歴, アルバム 
ホイットニー・ヒューストン

1991年、第25回スーパーボウルで試合前に国歌を斉唱。この斉唱は、史上最高の国歌斉唱と絶賛された。後にシングルとしても発売され、また、その10年後にアメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされ、ヒットしている。

1992年、ケビン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』が公開され、成功を収めた。彼女の新曲6曲を収録したサウンドトラックは、全世界で4,200万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚を売り上げる驚異的なヒットとなった。カントリー歌手のドリー・パートンのヒット曲をカバーした主題歌オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、全米シングルチャートで14週連続No.1を記録する自身最大のヒット曲になった。

ホイットニー・ヒューストン: 概要, 来歴, アルバム 
一人娘のボビー・クリスティーナ・ブラウンと(2009年)

同年、R&B歌手のボビー・ブラウンと結婚。翌年には、一人娘のボビー・クリスティーナ・ブラウン(1993年3月4日 - 2015年7月26日)を出産した。その後も、主演映画『ため息つかせて』(1995年)、『天使の贈りもの』(1996年)が公開される。『ボディガード』には遠く及ばないものの、成功を収め、サウンドトラックもヒットした。

1998年、スタジオ・アルバムとしては実に7年ぶりとなる『マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ』をリリース。翌年には、「VH1 Divas Live 99」に出演して高評価を得るなど、再び歌手活動を本格化させた。

低迷・復活、晩年

2000年、ベスト・アルバムザ・グレイテスト・ヒッツ』をリリースしたが、時期を同じくして、ハワイの空港で大麻所持で拘束された。激しく体重の落ちた姿が度々見られるなど、健康を害し、その後、テレビ番組で大麻やコカイン等の常用を告白している。夫・ボビーが、暴行などで度々逮捕され、離婚説が幾度も報じられるなどのトラブルもあり、週刊誌やテレビ等で私生活を取り上げられる事が多かった。

2001年、映画『プリティ・プリンセス』の音楽制作に携わる。2004年から翌年にかけて、リハビリ生活を続けた。2006年9月13日、ボビーとの結婚生活に終止符を打つべく、離婚申請書を裁判所に提出し、同年10月に離婚が成立した。

2008年6月、年末にクライヴ・デイヴィスのプロデュースの元、ニューアルバムをリリースすると発表した。しかし、発売は延期され、翌2009年6月に、同年9月1日にリリースすることが報じられた。実際には、8月31日(米国)にアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』をリリース。1週目で30万枚以上を売り上げ、Billboard 200では初登場1位を獲得、復活を果たした。2010年2月の東京公演を皮切りに、11年ぶりのワールドツアーも実施した。

しかし、イギリスでのコンサートでは息が切れたり、パリ公演では呼吸器感染症で入院するなど、トラブルが相次ぎ、2011年7月には、アルコール薬物依存からの復帰プログラムを再開 し、2012年1月には、破産寸前であると報じられる など、さまざまな問題が続いていた。

2011年、マイケル・ジャクソンの人生を振り返ったドキュメンタリー映画マイケル・ジャクソン ライフ・オブ・アイコン 想い出をあつめて』に出演。

48歳での急死

2012年2月11日、カリフォルニア州ビバリーヒルズにあるビバリーヒルトン・ホテルの4階客室の浴槽の中に倒れていたところを発見され、救急隊が20分間にわたって蘇生処置を施したが、同日午後3時55分(現地時間)に死亡が確認された。48歳没。ホイットニーは、グラミー賞の授賞式を翌日に控え、クライヴ・デイヴィスが主催する恒例の前夜パーティに参加するために、同ホテルに滞在していた。

2012年3月22日、ロサンゼルス郡検視局は会見を開き、死因は不慮の溺死であり、遺体からコカインが検出されていることから、入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こったため、浴槽に沈んだ可能性が高いという検視結果を発表した。検死報告書によると、歯が11本失われ、眉毛の大部分が抜け落ちていた。2012年8月に公開された映画『スパークル』が、映像作品としての遺作となった。

その後

2019年には、カイゴとのコラボレーションシングル「ハイヤー・ラブ」がリリース、元は『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』の日本盤ボーナストラックとして発表されていたもので、カイゴによって再構築された新たなヴァージョンとなる。イギリスでは、2位を記録するヒットとなった。

2022年、彼女の生涯を描いた映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が制作され、ナオミ・アッキーがヒューストンを演じた。

アルバム

アルバムの下に代表的なヒットシングルを記述。

ビデオ

  • VHM28012 Whitney Houston The #1 Video Hits VHD

出演映画・関連映画

プロデュース

公演

日本公演

開催日 タイトル 会場
1986年11月4日 - 12日 The Greatest Love Tour
1988年9月21日 - 10月17日 The Moment of Truth Tour
1990年1月1日 - 24日 Feel So Right Tour
1991年3月14日・15日 AMA in Yokohama Arena 横浜アリーナ
1993年9月1日 - 22日 Whitney Live In Japan
1997年5月5日 - 14日 WHITNEY HOUSTON Japan Tour
2010年2月11日 - 18日 Nothing But Love Japan Tour

日本以外の公演

脚注

注釈

出典

外部リンク

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