小林 清志(こばやし きよし、1933年〈昭和8年〉1月11日 - 2022年〈令和4年〉7月30日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合の創立メンバーの一人であり、同組合に所属した。
こばやし きよし 小林 清志 | |
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プロフィール | |
本名 | 小林 清志 |
愛称 | コバキヨ |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・東京府東京市本郷区根津(現:東京都文京区根津) |
死没地 | 日本・東京都 |
生年月日 | 1933年1月11日 |
没年月日 | 2022年7月30日(89歳没) |
血液型 | A型 |
職業 | 声優、俳優、ナレーター |
事務所 | 東京俳優生活協同組合(最終所属) |
配偶者 | あり |
公式サイト | 小林 清志|東京俳優生活協同組合 |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 168 cm / 60 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1958年 - 2022年 |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
俳優活動 | |
活動期間 | 1950年代 - 2022年 |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
独特の渋い声を生かして、声優界の創生期から活躍した。アニメでの主な出演作は『ルパン三世』シリーズの次元大介や『妖怪人間ベム』(1968年)のベムなど。また、CMやテレビ番組などのナレーションも多く担当し、洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンらの吹き替えを務めていた。
東京府(現:東京都)の根津生まれ。実家は株屋であり、父親は亡くなるまで兜町の証券会社にいた。父の下では池波正太郎が働いていたという。第二次世界大戦中の文京区立根津小学校在学中の小学5年生のころ、学友たちと栃木県那須塩原市の塩原温泉郷に疎開していた。その後、父親の出身であった埼玉県の加須へ縁故疎開し、疎開先の旧制不動岡中学では卓球の県代表を務めた。中学時代には英語の成績が優秀で(後述)、将来は作家になることを漠然と志望していた。別に「役者になりたい」と思ったわけではなく、高校時代は、わりと受験勉強ばかりだった。スポーツもしていたが、ご多分にもれず青春時代だったことから、小説を書いたり読んだりなど、そういうのに興味があったという。文学系統に興味はあったが、演劇はなかったという。
小石川高校を卒業。東京大学を受験するも、当時の世相や流行から英文科でなく仏文科を受験したため失敗。滑り止めがなかったことから浪人生活を送ることとなる。その頃、学費を稼ぐために製薬会社の工場の薬品瓶を洗う洗ビン工、地下鉄の工事現場のトロッコ押しといった色々なアルバイトを半年以上続いていた。この時、サンデースクール(現在の塾)で奥井潔からウィリアム・ブレイクやライナー・マリア・リルケ、小林秀雄を学び、大きな影響を受けたという。一方、受験に関係ない授業が多く、試験前日の飲み会で泥酔した影響もあり、翌年の再受験も失敗。合否発表後も願書を受け付けており「作家になるなら人の様を学んだ方がいいか」と、軽い気持ちで日本大学芸術学部の演劇科へ進学した。
小林が演劇を始めたのは、大学に在学していた時のことである。入学時は作家を目指していた小林だが、芝居の実習で立て続けに主演を任されたことを機に、演劇研究会に所属するなど芝居の虜になったことで、自然と役者になった。また、大学在学中には家城巳代治、今井正、山本薩夫といった監督の独立プロダクション系の映画に端役で出演していた。
大学卒業後は国民文化研究所を経て、知人の紹介で劇団泉座へ入団。入団当時の泉座は進歩主義の劇団だったことから、強い政治思想を持たない小林もしばらくは安保闘争に明け暮れたという。この頃は、老舎の『駱駝祥子』などの中国戯曲→創作劇を中心に舞台役者として活動した。そんな中、劇団の維持や生活のために多くのアルバイトも経験し、声優としての活動もそこから始まることとなる。
1958年、舞台劇『ケイン号の反乱』の翻訳の腕を買われ、大学の同窓会で再会した吹き替え演出家の小林守夫の縁から吹き替え翻訳のアルバイトの話が持ち上がる。マネージャーの紹介で東北新社の社長だった植村伴次郎に会い翻訳の仕事を始めるが、しばらくして植村から「お前、役者なんだろう?」と誘われことで吹き替えの仕事も始め、声優として活動するようになった。
1960年、当時の役者仲間らとともに所属事務所である東京俳優生活協同組合(俳協)の創立に参加。劇団泉座も俳協所属の劇団となった。
当初は声優業と共に月に2本のペースで翻訳も手がけ、1962年放送の海外ドラマ『ジスマン・ドーソン』では初主演と同時に翻訳も担当する多忙ぶりであった。その後、だんだんアテレコの仕事が忙しくなり、その頃は6畳ぐらいしかない家だった。まだ結婚したばかりで、子供も小さかった。その時は昼間アテレコの仕事をして帰ってきて、今度はハチマキして翻訳をしなくてはならなかった。当時は東京都新宿区東大久保にいた。しかし夜酔っぱらっていた仲間が、毎晩うちにほとんど夫婦だけでいることはないというぐらいきており、一間しかないことからスタンド引き込んで、押し入れ入った。その人物たちはワーワー騒いでおり、小林は押し入れ入り、翻訳しなくてはならず、締め切りに間に合わないことから、「こりゃ大変だ」ということになった。その時に翻訳の仕事は次第になくなり、1971年頃に泉座が自然解消してからは声優業に専念した。
1963年の『鉄腕アトム』以降はアニメの仕事もこなし、『ルパン三世』シリーズでは次元大介役を1971年の放送開始時から2021年10月まで担当していた。
2017年、多くのジャンルへの貢献が評価され第11回声優アワードで功労賞を受賞。同年1月9日には、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第18位に選ばれる。2018年、東京アニメアワードフェスティバルにてアニメ功労部門を受賞。
2021年10月、長年務めてきた次元大介役を高齢などを理由に勇退。一方で、その他の出演作など声優業自体は以降も継続していた。
2022年7月30日午前7時6分、肺炎のため東京都内の自宅で死去。持病などはなく健康だったが突然体調を崩し、家族に見守られながら息を引き取ったという。89歳没。訃報は、同年8月8日に俳協から公表された。最後の仕事は、7月4日に収録を行った『AKB48 ネ申テレビ』のナレーションとなった。
声種はローバリトン。小林自身は「非常に濁声だが、強い声だ」と語っていた。大学時代、芝居をしていた時分に鍛えられたこともあり、風邪をひいてもあまり声に響かなかったという。
吹き替え作品の草創期から活動。持ち役には、ジェームズ・コバーンやリー・マーヴィン、トミー・リー・ジョーンズ、ジャック・パランス、フランコ・ネロがある。悪役・仇役の吹き替えも多かった。アニメ声優としても草創期から活動している。低くて重い、渋い声を生かしてナレーターの仕事も多数こなしている。
役柄としては、アテレコを始めた時から悪役が多く、低いバリトンボイスで個性的なキャラクター、ヒールから正統派まで幅広い役どころを数多く演じていた。声優として思い出深い作品は『アンタッチャブル』を挙げており、担当のディレクターが面倒を見てくれて、始めは子分のA、Bを演じていた。シリーズの最終回には2週にわってネヴィル・ブランドが演じていた大ボス・アル・カポネ役を演じた。端役からしまいには悪の親玉をアテたことから、「これで悪は卒業したか」と思っていたが、その後、相変わらず続いていたという。この作品で、そのディレクターにより、一人前の声優なり、そのディレクターに感謝の気持ちを込めて言っていた。
一方、正義の味方も演じており、『スーパーマン』TBS再放送版では大平透に代わってスーパーマンを吹き替えていた。
英語を得意としている。中学時代からジャパンタイムズを定期購読し、推理小説を筆頭に原書を自身で訳しながら読むことが趣味だったほか、高校在学時には同じ高校生相手に英語の通信教育で添削指導のアルバイトを行なっていた。また、声優になる前から舞台役者の副業として翻訳家のアルバイトを続けたほどの腕前である他、中には翻訳・出演・演出を共に行った作品も存在する。演劇の心得があった小林が、収録時に役者があまりに下手であったため「自分がやった方がマシになる」と思ったことから声優業を始めたという逸話がある。
趣味のひとつにピアノを挙げており、中学生の頃に体育館に置いてあったピアノを使って独学でツェルニーを練習したところ、弾けるようになったという。好きなミュージシャンにハービー・ハンコックの名を挙げている。
コンピュータを扱った趣味も多彩であり、マイクロソフトのフライトシミュレータや、パソコン通信でアメリカの大手商用サービスCompuServeも利用していたという。晩年にはスマートフォンを使いこなし、2018年に共演した水瀬いのりは小林とその使い方で交流したことを明かしている。
写真も趣味であり、小林が収録スタジオで出番のない時にカメラを持ってきてブースの様子を撮影をしていたことを関係者が明かしている
愛煙家であり、2013年に「やめたほうがいいんだけど……なかなかやめられない(笑)」と発言していたが、2019年には禁煙したことを公表している。2010年代のインタビューではケントを愛用しており、インタビューなどの場は栗田貫一の教えでネオシーダーを使用することを明かしていた。
所属する東京俳優生活協同組合には創立から亡くなるまで在籍し、2022年時点では最古参の所属者であった。
映画のジャンルではマカロニウエスタンが好きで、特に自身も吹き替えで出演している『夕陽のギャングたち』はお気に入りの一つである。好きな俳優ではジャン・マリア・ヴォロンテを挙げており、『夕陽のガンマン』で担当することが決まった際には嬉しかったという。
自分が吹き替えをしている作品では自分の声の確認もしており、若いころの声の勢いに自分で驚くこともあるという。
アイドルグループの嵐の冠番組に関しては、深夜帯で放送された『Cの嵐!』から『嵐の宿題くん』までナレーションを担当。ゴールデンタイムに『嵐にしやがれ』として進出した際にスタッフが一新されたことで降板となったが、これについて「自然に受け止めなければ」としつつも残念な思いをみせていた。また、遺作となったAKB48の冠番組『AKB48 ネ申テレビ』のナレーションも2008年の初回から担当。2013年には、推しメンに秋元才加を挙げていた。
近年の若手声優に対しては「俺が古いだけかもしれない」とした上で、舞台などさまざまな経験を積むことが後の糧になるので大切だとしている。2019年には「一生懸命やっている」としつつも、ファンや視聴者にこびすぎて「大人じゃなく子供や王子さまみたいな感じ」になっていることには疑問を呈し、「もっと背伸びした声を出して欲しいんだな」と発言している。
収録では声だけでなくマイクの位置も意識しており、かなりの注文を行っているという。「俺の低音はマイク位置でガラリと変わる」「技術的に同じような声を出しても、マイクの位置によって声の違いが分かる」「最初にマイク位置がピシッと決まらないと、声がボケてしまって気持ちが悪い。このままOAされるのは嫌だから自分で確認する」とのこと。また、マイクのポップガードは使用しない姿勢で、付いていた場合は退けるように注文していたという。
アニメのアフレコの際に画がほとんど入らないことに対しては「どの番組でもオンエアには間に合っているんだから、我々が声を入れる時に画を間に合わせられないっていうことはないはずなんですがね」と難色を示しており「世界に誇る日本のアニメは、『輸出すれば、海外の俳優が声を入れるんだから、(国内のアフレコは)この仕組みでいい』という感じかも知れませんが、それじゃあ『声なんてどうでもいい』と言われてるみたいでね。この状況を少し考えたほうがいいんじゃないかと思いますね」と苦言を呈している。
役作りに関しては、「どんな役でもリアリティーがないとおもしろくない」と述べ、「下手に作ってやると、嘘になり、自分が納得できない声になっちゃう。自分の感性で(役柄を)捉え、リアリティーを大事にしている」と発言している。また、演じる際は「声のチューニング」を大切にしており、「台詞をどんな声の調子、コードで演じればいいか一番気になります。音楽に例えれば、ハ長調でいくのかイ短調がいいのかが初めに決まれば、後は自然と軽快な演奏になっていくといった具合かな」と述べている。
「声優」という肩書で呼ばれることには抵抗があり、文書などの職業欄には「俳優」と書くと公言している。その理由について「舞台の芝居ばかりやっていたから、『生でやっている俳優』という意識が強いんだと思います」と語っている。
テレビへの顔出し出演について、ナレーション業が多くなってからは「実物が出てきて見ている人に印象づけるより、顔を隠したほうがいい」との考えから断る傾向がある。バラエティ番組『大胆MAP』の声優特集では、上記の理由から電話で声のみ出演、宣材写真にもNGを出したため、代わりにほっしゃん。が描いた似顔絵が公開された。50年来の付き合いで銭形警部役だった納谷悟朗が死去した際には「戦友だから出ないわけにもいかない」との理由で、2013年3月12日放送分の『ZIP!』にて顔出しのインタビューに答えた。
ジェームズ・コバーンの吹き替えは、「(コバーンと)口が似ている」という理由で起用されてから、約40年にわたりほとんどの作品で担当した。最初にコバーンを吹き替えた作品は『荒野の七人』であった。小林は、コバーンの吹き替えを「初めての持ち役」としているほか「自然にできる役」として次元大介(後述)と共に挙げており、コバーンが亡くなった際には「これからと思っていたのに…。まるで肉親が亡くなったような、落ち着かない妙な気持ちです」とコメントしている。自身が吹き替えた印象深いコバーン出演作には、『荒野の七人』と『電撃フリント』を挙げている。
リー・マーヴィンの吹き替えは『捜査ファイルX』以降多くの作品で担当した。本人によれば声を出すのが一番難しいらしく、「彼は低い声だけでなく、張る声が多い。だから、(声を当てるときは)こちらも低いだけじゃなく、張りが必要になる」ため、非常に苦労したと語っている。
トミー・リー・ジョーンズの吹き替えは、菅生隆之に次いで多く担当。寺田貴信によるとジョーンズ来日のニュースが載ったスポーツ紙を持ち、逸話を語ると同時に「とても良い俳優さんだ」と話しており、大変気に入っていたという。2013年には「印象に残る俳優」を訊かれるとすぐに顔が浮かぶとしており、初担当した『JFK』を印象深い作品と述べたこともある。前述の菅生には冗談を交えつつ「気取った声を出してちゃダメだよ」等のアドバイスも送っていたといい、その後も小林自身はジョーンズの再演を希望していたが、2013年の『マラヴィータ』が最後の担当となった。
アニメ『ルパン三世』シリーズにおいては、メインキャラクター5人のうち小林のみが1969年のパイロット版から2021年までの50年以上、一貫して次元大介役として出演。数多くの作品に出演する中でも、特に「小林清志といえば次元大介」と言われ、自他共に認める代表的キャラクターであった。
2019年に原作者のモンキー・パンチが死去して以降は、アニメ『ルパン三世』の製作に最も長く携わる人物となっていた。
モンキー・パンチによると、元々次元のイメージは映画『荒野の七人』に出演したジェームズ・コバーンであり、そのイメージからコバーンの吹き替えを持ち役としていた小林が次元役に決定したということである。そのため、他のメインキャラクターと異なり次元役の候補者は、小林のほかにいなかったという。
小林は原作について「以前からチラチラ読んだことがあった」と述べており、「まさか、自分が関わるとは……。それでも二枚目というより、
小林は『ルパン三世』について「こんな人気作になるとは思わなかったね。昔は色々な仕事のうちの一つぐらいに思っていた」と振り返っており、2014年時点では今後について「制作の人の判断」としつつも、「できる限りやらせてもらいたい」「ダメになったら俺からやめるよ」と発言していた。また、「ルパンの伝統を託されたと思って、歌舞伎の十八番のようにいつまでも演じ続けたい。昔のルパンが持っていた魅力を残していきたいね」とも発言していた。なお、2011年にメインキャストの交代があった際は、次元も交代となる予定が「どうしても適任者が見つからない」という理由で続投となっている。
小林のコメントによると、次元の声は完全に地声であり、今まで演じてきた役の中で、最も無理をせずに自分にとって楽なトーンでしゃべれる役だという。意識していなくても他人から「次元ですね」と言われることもあるといい、これに関しては「役者冥利に尽きる、ありがたい話だ」と喜びを表している。また、「次元は自分の集大成であり代名詞的な存在」とも語り、インタビューではよく「自分の分身」だと語っていた。
次元を演じ始めた当初については「次元の持つ『鋭さ』を出すのが難しかった」といい、「葛藤を通り過ぎると自分のものになったというか、自分が次元に近づいていった」と述べている。また、次元を演じる際は「おこがましい話」としつつも「俺がしゃべれば次元だ」「俺が演じる次元が次元大介なんだ」という自負やプライドを持ちながら取り組んでいたという。
1990年代からは、別作品でも次元を意識した役を務めることが多く、1999年には「そういう(次元大介調で、という)注文が多いんだよね」と語っていた。また、バラエティ番組のナレーションでは次元がナレーションをしているように捉えられる演出がされることもあった。
『TV第2シリーズ』以降、長らく共演したレギュラー声優陣については2008年に「チームワークが良くジャズバンドのようだ」と話し、「気心の知れた共演者の声に対して、自然な声で応える。たまにはハプニングを起こしてみたり。台詞のいいやりとりになれば、作品を見ている人も退屈させない、楽しい声のセッションになる」と語っていた。
『ルパン三世』の中で一番好きな作品は、テレビスペシャル第4作の『ルパン三世 ロシアより愛をこめて』だといい、理由は「次元が活躍する作品で、ロマンスもある」からとのこと。
初代ルパン役の山田康雄を「ヤスベエ」と呼び、プライベートでも親しい交友があった。小林は山田について「役者としては対照的な存在で、出会った頃は(ルパンと次元として)コンビを組むと思わなかった」と述べていたほか、同業者で特に認めていた人物に挙げ「本当にいいやつ」と語っている。また、山田の没後に彼が専属で担当していたクリント・イーストウッドの吹き替えをいくつかの作品で引き継いでおり、「ヤスベエと自分の演技は違う訳だが、創り上げたものを無駄にはしたくない」と、不自然にならない程度で山田独特の発声を意識しながら演じたという。
2019年にモンキー・パンチが死去した際は「あなたは 俳優小林清志 私を育ててくれた親であり、そして戦友でした」「どうぞ 栗田貫一はじめ いま在る戦友たち そしてルパン三世に関わる仲間と共にもう少しこのめくるめくルパン三世の世界で遊ばせておいてください」と追悼のコメントを発表している。
2021年9月7日、アニメが放送50周年の節目であることや88歳の高齢であることなどを理由に、次元役の勇退を発表。後任は大塚明夫となり、テレビシリーズ『ルパン三世 PART6』の初回放送で、同年10月9日に放送された第0話「EPISODE 0 ―時代―」が小林演じる最後の次元となった。
小林は、視聴者と後任の大塚に対し、以下のメッセージを遺した。
ルパンは俺にとって一生ものの仕事であった。命をかけてきた。我儘 ()を言えば90歳までやっていたかったが残念。
何とかかじりついていたかったが 無理だった。
歳をとればそれなりの深みが出てくるはずだ。ただ映像とのギャップがあるか。話は違うが以前、明夫ちゃんに聞かれたことがある。
「なぜ親父は五ェ門を辞めたんでしょう?」と。
親父とは大塚周夫先輩である。答えに窮したことがある。
さぞ先輩も 無念だったにちがいない。
一部の方々から言われる事があるのは、次元は歳をとった 聞きづらい。
当たり前だ わたしゃ 齢88歳であるぞ。俺なりに努力した結果だ。
これからはそう言われることを気にしないですむ。ほっとしている。あとは明夫ちゃんに委ねます。
頑張ってちょうだい。
ただ、次元はそんじょそこらの悪党とは違うぞ。
江戸のイキというもんだ。変な話だが、次元は江戸っ子だ。
明夫ちゃん、これは難しいぞ。
雰囲気はJAZZにも似ているんだ。最後に
これまで応援してくれた人たちにお礼を申し上げる。ありがとうございました。ルパン。俺はそろそろずらかるぜ。
あばよ。 — 小林清志、
2000年代以降、小林の代役を務めたり、持ち役・ナレーションを引き継いだりした人物は以下の通り。
後任 | 役名 | 概要作品 | 代役・後任の初担当作品 |
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東地宏樹 | クリスタル・ボーイ | 『コブラ』 | 『COBRA THE ANIMATION』 |
山岸治雄 | オーエンス | 『ファイナル・カウントダウン』フジテレビ版 | WOWOW追加収録部分 |
伊藤和晃 | バート・ガンマー | 「トレマーズシリーズ」 | 『トレマーズ ブラッドライン』 |
沢木郁也 | 『トレマーズ コールドヘル』 | ||
菅生隆之 | リック・ディッカー | 『Mr.インクレディブル』 | 『インクレディブル・ファミリー』 |
大塚明夫 | 次元大介 | 「ルパン三世シリーズ」 | 『ルパン三世 PART6』第1話 |
ナレーション | 『AKB48 ネ申テレビ』 | シーズン39 vol3以降 | |
「ひとり農業」ナレーション | 『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』 | 2022年11月4日放送分 | |
高川裕也 | ナレーション | 『SASUKE』 | 第28回大会(2012年12月27日放送分) |
落合福嗣 | 『ラストアイドル』 | 2018年10月14日放送分 | |
小山力也 | 『ウルトラマンDASH』 | 2022年1月1日放送分 | |
槇大輔 | 『列島警察捜査網 THE追跡』 | 第48回(2022年8月15日放送分) |
太字はメインキャラクター。
※注記が無いCMはすべてナレーション(※映画は制作または配給会社ごとに分類したが、角川文庫として宣伝した作品(書籍を含む)は角川書店グループに分類する)。
※角川書店グループ(角川文庫など)は映画(テレビ)を参照。
※テレビCMと重複するものはすべて省略。
※注記が無い場合はナレーションのみ。
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