『ゴジラvsキングギドラ』(ゴジラたいキングギドラ)は1991年(平成3年)12月14日公開の日本の特撮映画。ゴジラシリーズの第18作、平成VSシリーズ第2作。カラー、ビスタビジョン(パナビジョン)、ドルビーステレオ。略称は『キングギドラ』『VSギドラ』『VSキングギドラ』『vsK』。
ゴジラvsキングギドラ | |
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Godzilla vs. King Ghidora | |
監督 | |
脚本 | 大森一樹 |
製作 | 富山省吾 |
製作総指揮 | 田中友幸 |
出演者 | |
音楽 | 伊福部昭 |
撮影 | |
編集 | |
製作会社 | 東宝映画 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1991年12月14日 |
上映時間 | 103分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 15億円 |
配給収入 | 14億5,000万円 |
前作 | ゴジラvsビオランテ |
次作 | ゴジラvsモスラ |
観客動員数は約270万人、配給収入は14億5,000万円(1992年邦画配収第8位)を記録した。
キャッチコピーは「世紀末・最大の戦いが始まった。」「お前だけには絶対負けない!」「12・14決戦!」。
東宝創立60周年記念作品。物語は、タイムトラベルを経てゴジラ誕生の歴史を変えようとするなど、ゴジラシリーズの中でも意外性に満ちている。また、ゴジラが放射能を浴びて怪獣化する前の「ゴジラザウルス」という恐竜も登場するなど、ゴジラ誕生の秘密が明らかになっている。監督・脚本の大森一樹は、怪獣もの・空想科学もの・戦記ものなど東宝特撮映画の集大成と自負している。
ゴジラとキングギドラの対決は、1972年公開のシリーズ第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』以来19年ぶりとなり、1対1の対決はシリーズで本作品のみである。改題再上映版ではないオリジナル作品のタイトルとして、初めて「キングギドラ」が冠されている。本作品で、ゴジラは前作の身長80メートルから100メートルに巨大化した。また、キングギドラも昭和シリーズでの悪の宇宙怪獣から未来人によって生み出された現代人を救う怪獣に改められている。過去の人気怪獣を起用したことにより、幼少期に昭和シリーズを鑑賞した世代が親となり、子とともに作品を楽しむという親子2世代でのファン層を生み出すことになったとされる。
本作品は東宝特撮で初めてタイムトラベルが物語の鍵となっていることが最大の特色であるが、タイムパラドックスが目立っており、その点において批判もある。大森は、演出を優先して歴史改変については意図的に無視したとしており、映画の力で見ている間は違和感を感じさせないという意気込みであったと語っている。
このほかにも、「人間そっくりのアンドロイド」(『ターミネーター』)や「クライマックスにロボットで戦うヒロイン」(『エイリアン2』)、「「スピルバーグ少佐」なる人物の登場」など、ハリウッドのSF映画から影響を受けた場面も散見される。本作品は、怪獣映画初の戦うヒロイン作品でもあり、同年の日本特撮では『ゼイラム』『女バトルコップ』『バトルガール』など「戦うヒロインもの」が相次いでいた。
本作品以降、怪獣による日本縦断が恒例となり、襲撃される各地の地元メディアと連携してエキストラ撮影を行い、ミニチュアセットでも怪獣に壊される看板などでタイアップを取るなどしている。地元メディアが撮影を報じるほか、エキストラ自身が劇場へ足を運ぶようになるため宣伝効果は大きく、特技監督の川北紘一は前作でシリーズの方向性が定まり、本作品ではビジネスモデルが確立したと述べている。また、クライマックスでは1991年4月に移転した東京都庁舎周辺を舞台としており、本作品以降、新しいランドマークの破壊も恒例となる。
2204年、オホーツク海沖を潜航する深海調査艇が海底に眠る怪獣を発見する。乗員の1人が、それは20世紀末にゴジラと激闘を繰り広げたキングギドラであることを語る。
ゴジラとビオランテの死闘から1000日が経過していた1992年、東京上空に巨大なUFOが突如飛来。やがてUFOは富士山上空のヘリを消滅させると富士山麓に着陸し、23世紀の地球連邦機関の使者を名乗るウィルソン、グレンチコ、そして日本人であるエミーの3人が姿を現した。彼らはノンフィクションライターである寺沢健一郎が著書『ゴジラ誕生』の中で記した、「ラゴス島に生息していた恐竜が、1954年にビキニ環礁で行われた核実験によりゴジラへと変異した」との仮説に基づき、「恐竜が核実験に遭遇する前に別の場所に移動させ、ゴジラの存在自体を抹殺する」という計画を提案する。日本国政府はこれを受諾し、寺沢、国立超科学研究センター・ゴジラチームメンバーの三枝未希、古生物学者の真崎洋典は、未来人のエミー、アンドロイドのM11と共に、タイムマシンKIDSで1944年のマーシャル諸島・ラゴス島にタイムスリップする。現地で彼らが目撃したのは、恐竜ゴジラザウルスであった。ゴジラザウルスは自身の縄張りを荒らした米軍に襲いかかり、結果的に新堂靖明率いる日本軍ラゴス島守備隊を窮地から救ったが、艦砲射撃に傷つき倒れ伏した。新堂らが撤退したあと、寺沢らは物質転送装置で瀕死のゴジラザウルスをベーリング海に転送した。これにより、ANEBの影響で日本海に眠っていたゴジラは消失するが、1992年の日本に帰還した寺沢たちが目にしたのは、エミーが過去のラゴス島で密かに放った愛玩動物・ドラッドが核実験で被爆させることで誕生した三つ首の巨大怪獣キングギドラが福岡市を襲撃する姿だった。
23世紀の日本はアメリカ、ソ連、中国をしのぐ世界最大国へと発展し、圧倒的な軍事力と経済力で世界の国々を隷属させていた。そこで国力の格差是正を訴える組織に属するウィルソンらは、ゴジラに代わって自らがコントロール可能な怪獣キングギドラを使って20世紀の日本を従属させ、23世紀の日本を弱体化させようと企んでいたのである。キングギドラは福岡周辺一帯を壊滅させた。一方、祖国の惨状に衝撃を受けたエミーはウィルソンたちの計画に疑念を抱き始め、以後寺沢たちに内通するようになる。
この危機に対し、巨大コンツェルン帝洋グループの総帥で、かつてゴジラザウルスに命を救われた新堂は、ゴジラを復活させるべく、東南アジア某国に隠し持つ核搭載型原子力潜水艦ムサシ2号をベーリング海に派遣しようと企てる。そんな中で未希は、テレパシー能力によってベーリング海にゴジラザウルスとは異なる巨大な影を感知していた。ゴジラザウルスはベーリング海に偶然にも沈没したソ連原子力潜水艦の核燃料の影響を受け、すでにゴジラへ変異していたのだ。復活したゴジラは民間の原子力潜水艦であるムサシ2号を撃沈してその核エネルギーを吸収し、さらに強大な存在と化して日本に上陸、北海道網走の原野でキングギドラと会敵する。「奴はもう一度、我々のために戦ってくれる……」と呟く新堂。ウィルソンの操るキングギドラにゴジラは苦戦を強いられるが、造反したエミーがキングギドラのコントロール装置を破壊すると形成が逆転、ゴジラはキングギドラをオホーツク海に沈め、ウィルソンのUFOも破壊する。しかしゴジラは日本に牙を向くかの如く、今度は首都東京への侵攻を開始した。
寺沢たちはゴジラの脅威から日本を救うために、キングギドラを23世紀の技術で再生し、再度ゴジラと戦わせるという計画を思いつく。計画を実行するためにエミーは帰還を約束して2204年へと帰っていった。ゴジラに破壊し尽くされた23世紀の日本は最貧国となっていたが、オホーツク海ではキングギドラも瀕死の状態ながら生命力を残していた。
首都を破壊するゴジラは新宿の帝洋グループ本社ビルに接近。独り残る新堂を目の当たりにしたゴジラは一瞬沈黙するが、大きくほえるととともにビルを新堂もろとも破壊する。なおも侵攻を続けるゴジラの前に、時空を超えて再生を遂げたメカキングギドラがその姿を現した。エミーが操縦するメカキングギドラは、激闘のすえ捕獲装置でゴジラを捉えるも、小笠原海域でゴジラの熱線を受け、ともに深海へ沈む。脱出したエミーは20世紀の故郷に別れを告げると、23世紀へ帰っていった。
MOTHER | |
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直径 | 100 m |
KIDS | |
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全長 | 10 m |
乗員 | 5名 |
前作に引き続き脚本と監督には大森一樹が起用され、特技監督は川北紘一が務めた。田中友幸も引き続き製作としてクレジットされているが、体調面の問題から実務はプロデューサーの富山省吾に重きが置かれていった。
前作で実質的にゴジラの造型作業を担当した小林知己は、本作品で初めて正式にクレジットされた。
大森は、前作は大張り切りであったが、本作品は苦し紛れの開き直りであったと述懐している。
未来人の衣装デザインは出川淳子が担当し、シリーズ初の衣装デザイナーとなった。出川は短期間での作業を要望され、クランクイン10日前に3時間ほどでデザインを仕上げたという。出川は以後VSシリーズの衣装デザインを担当するが、本作品の時点ではキャラクターデザインの一部という扱いで衣装の役割は軽かったと述懐している。
ヒロインの中川安奈を筆頭に、主要メンバーには前作でサブキャストだった豊原功補と佐々木勝彦に原田貴和子と前作に引き続き三枝未希の小高恵美が固める。悪役の未来人およびアンドロイドをチャック・ウィルソン、リチャード・バーガー、ロバート・スコット・フィールドら外国人が担当。それらにシリーズ初参加の西岡徳馬と、『ウルトラマン』のムラマツ・キャップ役や「仮面ライダーシリーズ」の立花藤兵衛役などテレビ特撮で著名な小林昭二が、ゴジラシリーズに初出演した。そして東宝特撮映画の顔である土屋嘉男が『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』以来21年ぶり(ゴジラシリーズでは『怪獣総進撃』以来23年ぶり)に、佐原健二が『メカゴジラの逆襲』以来16年ぶりに出演している。
富山は、中川を起用した理由についてスタイルが良くガタイもいいため戦うヒロインをやらせたかったと述べている。豊原は、キャスティング担当の田中忠雄から「これから売れてくる俳優」として推薦された。原田は、大森が監督を務めた『恋する女たち』(1986年)に出演しており、大森の推薦で起用された。ロバート・スコット・フィールドは俳優ではなかったが、大森がパーソナリティを務めていたラジオ番組『ぱんげあクラブ』で共演した縁から起用された。モールズ役の東銀之介は、ハーフで外国人風の要望であったことから起用された。
土屋は、ゴジラからは離れたつもりであったが、大森から集大成として出演してほしいと口説かれたという。大森は、土屋が特撮映画を愛しているため現場が非常に楽しく、本人も周囲もやりやすかったと語っている。
大森によればゴジラに縁のある俳優の起用は当初から意図していたものであったといい、東宝特撮のファンであった富山や大森は土屋の出演に喜んだが、旧来の東宝特撮のイメージを一新しようと意識から田中や東宝上層部は難色を示していたという。
『ノストラダムスの大予言』以来17年ぶりに山村聰が首相役を演じている。常連の上田耕一は軍人時代に恐竜を目撃した居酒屋の親父役を、その他、東宝特撮映画への出演は『続・人間革命』以来15年ぶりとなる黒部進をはじめ、時任三郎、ケント・ギルバート、ダニエル・カール、ゴジラファンの森末慎二や風見しんごが主要部分でゲスト出演している。
新宿戦で自衛隊とともにビルの屋上から撮影を行っているテレビスタッフの一部は、本作品のメイキング番組を撮影していたスタッフである。特撮班カメラマンの江口憲一も参加していたが、技術的な問題によりカットされた。
前作『ゴジラvsビオランテ』の成績が伸び悩んだことから、当初はモスラをメインに据えた『モスラVSバガン』が企画された。しかし、東宝上層部はゴジラのほうが好成績を期待できると判断し、『vsビオランテ』の上映劇場で観客に実施した昭和ゴジラシリーズの人気敵怪獣のアンケートで男子たちに人気があり、最もリクエストが多かったキングギドラが登場することとなった。
本作品では、ファミリー映画としての制作強化が図られ、「過去の人気キャラクターの登場」「家族で楽しめる複数のキャラクター」「ゴジラの秘密の開示」「タイムトラベル」「ランドマーク破壊」など、多くの要素が盛り込まれた。
大森は、前作の時点でゴジラへの思いは出し切ったと考えていたため、当初は続編のオファーに困惑し、新たにできることを考えた結果、ゴジラ誕生の秘密を描くことを思い立ったという。また、DVDの大森のコメントによれば、23世紀の日本の増長や一企業の原子力潜水艦の所有などは、当時バブル経済真っ只中の日本がどこまで肥大化するかわからないことに対する不安と警鐘の意味合いがあったという。
大森によれば、タイムトラベルの要素は、前作公開時に田中友幸が隣の劇場で上映されていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の方が客入りが良いことを指摘していたことから発想したものであるという。過去には東宝プロデューサーの田中文雄がタイムトラベルものの企画を出していたが、田中友幸はタイムトラベルものはSFではないという信念からこれを突っぱねており、田中文雄は本作品の企画が通ったのは田中友幸が弱っていたからではないかと述べていたことを大森が証言している。
敵を未来人ではなく宇宙人とする案も存在したが、プロデューサーの富山省吾はリアリティに欠けるとの判断から未来人になったと証言している。大森は、未来人の演出は『地球防衛軍』のミステリアンをイメージしたと述べている。
田中から大森には、「全国をキングギドラが縦断し、破壊の限りを尽くす」という展開を加えるという注文があり、作劇においても「2回怪獣の対決を入れ、クライマックスは長めのバトルに」ということと「10分に1回の小さな見せ場と30分に1回の大きな見せ場を用意する」という2つが要求された。川北は、『vsビオランテ』のビオランテとの最終決戦があっさりとしていたため、反省点として強く認識しており、撮影スケジュールの前半に最終決戦の新宿都庁戦を設定している。
新しいランドマークの破壊は、前作でもTWIN21で行われているが、全国的な知名度は高くなかったため、より強力なキャラクター性を持った建物として都庁が選ばれた。
なお、シノプシスでの仮タイトルは『キングギドラVSゴジラ(仮題)』とされており、脚本内のタイトルコール箇所では『ゴジラ3』と表記されていた。
本作品は、9月に開催される東京国際映画祭での上映を目指し制作が進められた。これは、撮影を夏に終えることで、公開までの宣伝・セールス期間を長くとるという意図もあった。
本作品では特撮パートが重視されており、従来の作品よりも怪獣の登場時間が長い。ゴジラと対峙する新堂など、本編と特撮が相互に意識した演出も特徴である。大森は、前作では普通の映画と同様にワンカットでの長回しを用いていたが、それでは特撮と合わない場面もあったため、本作品ではその反省からズームレンズを用いたりカメラを意識的に動かすなどして特撮のカットに近づけることを意図したと述べている。
撮影では、70mmフィルムによる移動マスク合成とハイビジョン合成を使用している。合成シーンは、本編が70カット、特撮は200カット以上におよんだ。新宿戦のシーンでは、フロントプロジェクションにより都庁前で戦うゴジラとメカキングギドラの手前に報道陣を合成している。
タイムトラベル時の衣装は、工務店向けのユニフォームのカタログから選んだものを用いている。前作にも出演した佐々木勝彦は、本作品では前作よりも予算がかかっていることを感じていたが、この衣装に関しては金がかかっていないことがわかったと述懐している。未来人が着用するヘルメットも、工事用のヘルメットを加工したものである。
本編班は1991年5月11日にクランクインした。
寺沢邸の撮影は、元箱根の貸し一軒家で行われた。帝洋グループ本社ビルの室内は、フジタの旧本社ビルで撮影された。未希と真崎が美幌駐屯地でゴジラとキングギドラの戦闘を目撃するシーンは、東宝スタジオ本館の屋上が用いられた。
首相官邸のシーンは茗渓会館で撮影されたが、撮影に時間がかかりデイシーンを夜になっても撮らざるをえず、装飾の遠藤雄一郎は照明が苦労していたことを述懐している。
MOTHERを包囲する自衛隊の戦車部隊は、陸上自衛隊富士学校で撮影を行ったが、霧を伴う雨天であった。未来人と藤尾、土橋との初対面シーンも同学校のグラウンドで撮影された。
寺沢らがMOTHER内部で浮上するシーンは、ブルーバックで撮影された。俳優を乗せた板をスタッフが手で持ち上げているが、土橋役の小林昭二は高所恐怖症のため多量の冷や汗をかいていた。
避難する住民のシーンに、一部過去の作品の映像が流用され組み込まれている。
特撮は、第9スタジオで新宿副都心、福岡市街、札幌、綱走原野のセット、第7ステージで海底、本編のMOTHER内部の撮影をそれぞれ行った。
前作では、操演のワイヤーを隠したいという川北の意図により戦闘シーンは夜が中心となったが、本作品では大森の要望により昼間の戦闘が中心となった。ゴジラの札幌襲撃シーンが唯一のナイトシーンとなった。
美術助手の高橋勲は、前作で撮影日数や予算をオーバーした影響により、本作品ではミニチュアの流用が多かったと証言している。また、照明助手の佐熊慎一は、本作品ではデイシーンが多かったため電気代がかかっていたといい、同時期に撮影を行っていたが黒澤明の班と電源の取り合いとなったが、最終的に外部の黒澤側が電源車を用意することとなった。
特撮班は1991年5月10日にクランクイン。前作では、特撮班は途中から2班体制となったが、本作品では班分けは行われず、細かい撮影は助監督が行うに留まった。同日から12日にかけて札幌・福岡・瀬戸大橋での特撮用実景ロケーション撮影が行われた。北海道ロケでは、牧場のウシの映像が特に欲しかったと川北は語っている。しかし、撮影ではウシがまったく動かず、餌で釣っても動きが遅いなど苦労があった。福岡では、東宝九州支社の社員総出による、避難する群衆の撮影も行われた。当初は11日に撮影する予定であったが、雨天により12日に変更された。福岡の空撮映像は川北による絵コンテが用意されており、荒津大橋から一旦福岡タワーを旋回して正面から飛び込む順序が矢印で書かれているほか、天神コアやイムズも明記されていた。
5月16日から20日には、第9ステージでの新宿セットの設営期間を利用して、東宝スタジオのオープンセットおよび大プールでゴジラザウルスが登場するラゴス島のシーンが撮影された。東宝スタジオの造園スペースをジャングルに見立てた撮影は、過去にも広島博覧会のイベント映像撮影で行われており、本作品での撮影はその時のノウハウを用いて当初から予定されていた。川北は、ゴジラではなく恐竜映画を撮るという意識から、ゴジラザウルスのシーンはすべて自然光で撮影している。5月19日の撮影は、スタジオが停電であったため発電機やバッテリーなどで電源を確保して行われた。プールでの米軍の艦船は、『連合艦隊』(1981年)での戦艦大和などのミニチュアを改造したものが用いられた。
5月24日から6月4日にかけては、第9ステージの新宿新都心セットで撮影が行われた。前作では、クライマックスの撮影をスケジュールのラストに持ってきたため日程の圧迫やスタッフの疲弊などにより思った撮影が出来なかったという反省から、本作品ではクライマックスを序盤に撮影することとなった。撮影用カメラが3台使用され、撮影当時に完成したばかりの東京都庁を舞台とする戦闘を展開して破壊し、造られた都庁ミニチュアは完成に1か月を要したうえにその高さは5メートルを超えたため、東宝特撮史上最高の石膏ビルとして大きな話題となった。このミニチュアは、自重で倒壊するのを防ぐため、90センチメートルごとのパーツを組み上げており、内部には鉄骨を仕込んでいる。大きすぎるため一度に壊すことはできず、4回ほどに分けて壊すシーンが撮影されることとなった。
新宿のセットはミニチュアのフルセットではなく、各シーンや各セットでの切り替えに合わせたミニチュア・セットとなった。川北は、このセットは新宿を再現するためのものではなく、映画の効果として壊すためのものであるため、前々作のようにディテールにはこだわらなかったと述べている。新宿三井ビルディングの隣には、実在しないバンダイのビルが置かれている。メインセットの前に別のセットを置くことで、奥行きを出している。
しかし、撮影半ばの6月3日、メカキングギドラがゴジラに飛びかかり都庁舎へ突っ込むというシーンの撮影で、準備中にゴジラとメカキングギドラを吊っていたワイヤーが切れてしまい、スーツ2体が都庁舎のミニチュアに衝突し損壊するというアクシデントが発生した。美術の大澤哲三は、復旧には数日かかると考えたが、川北は翌日までに修復することを指示し、都庁舎の破損箇所には型紙とスプレーを用いて窓状の柄を描いた石膏ボードを貼り付けるという手法で、一晩での修復を実現した。通常、石膏が完全に乾くまで1週間を要するが、川北はなんとかできるだろうと修復後すぐに撮影に入った。
6月18日から21日には第9ステージでゴジラの札幌大通り出現シーンの撮影、6月14日・15日には第7ステージでキングギドラの福岡出現シーンの撮影が行われた。札幌のミニチュアセットでは、公開時の季節を鑑みテレビ塔のデジタル時計の時刻を午後7時に設定したが、本編班がロケを行った際はまだ同時刻では日没には早い時期であったため、編集段階で画像を調整している。さらに雨も降ってきたため、先行する特撮との整合性を考慮して本編パートは地下街のシーンが中心となった。
キングギドラの天神襲撃シーンは、映画『空の大怪獣 ラドン』(1956年)に登場する天神襲撃シーンのオマージュである。福岡駅前は当時とは様変わりしていたためまったく同じ構図とはならなかったが、通常より大きめの1/15スケールのミニチュアを用いて同作品に近い雰囲気を表現している。タイアップの看板は更に大きめに作られている。予算の都合でキングギドラの引力光線でビルが爆散するシーンの一部は石膏板に引き伸ばしたビルの写真を貼ったものを爆破している。
7月2日から17日には、第9ステージで網走でのゴジラとキングギドラの対決シーンが撮影された。川北は、同シーンでは破壊する対象がないことから、ゴジラとキングギドラとの戦いをダイナミックに描写することを心がけていた。また、空や陸との立体的な構図も意識している。原野のセットは、様々なカメラポジションをとれるようレールで分割移動できる構造となっており、富士山麓でのMOTHERのシーンにも流用された。7月16日には、簡易小ステージでMOTHERの合成カットが撮影された。
7月12日から17日には、オープンセットや大プールでメカキングギドラの飛行シーンが撮影された。大プールで行われたクライマックスの海上シーンは、水量不足により上から見下ろす構図が中心となった。
7月18日から20日には第7ステージでMOTHER格納庫の撮影、7月24日・25日には第9ステージで深海のシーンが撮影された。深海の描写では、距離感を出すため、現実的なゴジラとの比率では見えないマリンスノーをあえて描いている。疑似海底での潜水艦の表現は、映画『レッド・オクトーバーを追え!』を参考にしている。
クランクアップは8月2日。
キングギドラが中京の石油コンビナートを破壊するシーンは『東京湾炎上』(1975年)の流用。該当シーンはもともと絵コンテに存在しなかったが、絵コンテにはゴジラが東京湾に上陸して、コンビナートを破壊するシーンが存在する(こちらは撮影されていない)。
キングギドラと空中戦を行うF-15の映像の一部は、映画『BEST GUY』(1990年)の映像を流用している。
前々作、前作ではシリーズ刷新の意味合いも込めて当時の人気作曲家が音楽を担当したが、「やはり最も有名なテーマを超えるものを造るのは難しいので、やってもらおう」という意向から、本作品では『メカゴジラの逆襲』以来16年ぶりに音楽を伊福部昭が担当した。伊福部は、その間に2度ゴジラ映画での音楽の依頼を体調不良を理由に断っていたが、本作品で3度目であったことから道元の言葉である「三請不止」に従い引き受けた。
ゴジラのテーマ曲が前面に押し出されたほか、キングギドラのテーマ曲や『宇宙大戦争』『キングコング対ゴジラ』『怪獣総進撃』で用いられた旋律が伊福部自らによる編曲を経て再び用いられている。伊福部は、ゴジラとキングギドラのどちらも手掛けてから数十年経っていたことから全面的に変えることを考えていたが、友人から「(伊福部に頼むということは)似たような音を求められているのではないか」と言われ、過去のモチーフを中心とした構成とした。いわゆる「ゴジラのテーマ」は、本来ゴジラを主題にした楽曲ではなかったが、ゴジラの音楽としての認知度が高かったため本作品より明確なテーマ曲として用いられた。例外的に、戦闘機がキングギドラを追撃するシーンで、前作同様にアルバム『OSTINATO』から「ラドン追撃せよ」が流用された が、これは監督の意図が自衛隊主体のシーンだったのに対して伊福部がギドラの主題を用意していたため、新たに作曲し直す時間がなかったことによる。伊福部は、湾岸戦争参加論でゴタゴタするなど当時の自衛隊が勇ましさに欠けていたと感じたため、マーチにすべきかどうか迷っていたことを語っている。
また、伊福部は引き受ける条件として当時すでに廃れていた「撮影所でフィルムを上映しながら録音する」という方法を要望し、大型ステージを貸しきってオーケストラの録音を再度実行するという、非常に手間のかかるレコーディング作業が行われた。当時、東宝スタジオ内での音楽録音を行っていた録音センターはダビング専用のスタジオとなっており、録音機材や譜面台などは処分されていたため、機材や設備を1から揃えることとなった。オーケストラは、コンサートとは異なり汚い音を出さねばならないなどの作業に当初は戸惑っていたが、次第に画にあわせて力強い演奏をするようになり、ラストでのエミーの別れの音楽ではフルートとハープが表情をつけすぎるなど、伊福部は薬が効きすぎたと評している。
伊福部は、ダビング作業にも5日間立ち会っており、大森は音楽家とダビングを行ったのは初めてであったと述べている。
冒頭の東宝ロゴでは、ピアノとティンパニの減七の和音による激しい楽曲が挿入された。伊福部は、続く海底のシーンが静かな場面であったものの、静かな導入では前半がだらつくと考え、また東宝60周年でもあることから威勢のよい出だしとした。
当初、伊福部は未来人のモチーフにはシンセサイザーを用いることを検討していたが、本作品の直前に手掛けた映画『土俗の乱声』でオーケストラにシンセサイザーをあわせたがうまくいかなかったため、本作品ではシンセサイザーを用いずピアノ、チェレスタ、ビブラホーンのアコースティック楽器3種類でのアトナルとした。エミーのテーマではハープなど古典的な楽器を用いてアコースティックなものとしている。
ゴジラザウルスのテーマは、ゴジラのテーマとは似て非なる楽曲となっており、後半部は哀愁を感じさせるメロディとなっている。
ラゴス島での日本軍の突撃ラッパについて、伊福部はドラマにあわせた音楽としてはテンポが遅いと感じたが、太平洋戦争での出兵経験者からは「これでいい」との評価を受けたという。
ゴジラと新堂が対峙する場面では、伊福部は新堂が歩き出す場面から音楽を始めるという想定であったため、その直前のゴジラが接近する場面から音楽を始めたいという大森に対し「人間の音楽だから、怪獣に当ててもだめです」と言って反対しており、最終的にはゴジラは新堂の想像の姿だという想定で音を小さくすることで納得したという。
後半の特撮シーンでは、伊福部の体力的な問題もあり、あらかじめ用意したゴジラのテーマやキングギドラのテーマのテンポ違いを選曲段階であてはめている。
『ゴジラ』(1984年)では漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)とタイアップを行っていたが、本作品からは小学館の学年誌、『コロコロコミック』、『週刊少年サンデー』などとタイアップを行い、小学館との関係性が強化された。
写真ポスターのゴジラとキングギドラの瞳は色が暗かったので白目が描き加えられている。もともとはゴジラの生物感を出すために前作から引き続いて、白目が分かりにくくなっていたが、それがきっかけとなり次作以降のゴジラは虹彩が明るく、瞳が分かりやすいように造形されるようになった。
ワイドショー番組『森田健作の熱血テレビ』(テレビ朝日、1991年8月16日放送回)の取材で、特撮ファンとしても知られる俳優の京本政樹が新宿セットの撮影現場を訪れた。
前売り券の売上が好調であり、公開直後には梅田で日曜日の動員が7,000人を記録するなど好評を博し、後半は伸び悩んだものの、正月興行の合格ラインとされる10億円を上回る14億5,000万円の配収を記録した。一時は期待されていた20億円には届かなかったものの、これによりシリーズの続行が決定的になったとされ、公開直後には次作の特報が後付された。本作品のヒットは、制作側の狙い通りファミリー層の呼び込みが成功したものとされ、親子2世代をターゲットとした作品づくりが確立された。
予想以上のヒットを受けて、公開後にも新たな宣伝が行われ、キングギドラの都市破壊シーンをメインにしたCMの他に、寺沢とエミーが銃を構える、怪獣映画には珍しい人間がメインのアクション映画風の広告(モノクロ)も新聞に掲載された。北海道向けの新聞広告では、札幌のシーンを用いたものが掲載された。
翌年、読売ジャイアンツに入団する松井秀喜に「ゴジラ」のニックネームがつけられるなど、ゴジラの社会的認知度は増していった。
本作品のラゴス島での米軍描写について米国の退役軍人団体などからクレームがついたほか、ゴジラ誕生の理由をアメリカの水爆実験と明言している点、さらに当時貿易摩擦で悪化していた対日感情からアメリカの配給会社も難色を示し、劇場公開されないどころか英語版すら製作されなかった。本作品が米国で公開・ソフト化されたのは1998年になってからである。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
ストーリーは映画とほぼ同じだが、三枝美希や新堂を始めとしたラゴス島守備隊関係者は登場せず、前作の主要登場人物である黒木特佐が登場する。
コミカライズ版と同様にストーリーは映画に準じるが、冒頭には未来人が金星で「宇宙怪獣のキングギドラ」の死骸から体組織を回収するシーンが追加されていたり、帝洋グループ所有の原子力潜水艦の名前が異なるなど、細かな差異がある。
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