ブローニングM1919機関銃(M1919 Browning machine gun)は、第一次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された重機関銃(中機関銃)である。
三脚架を装着したM1919A4 | |
概要 | |
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種類 | 重機関銃 中機関銃 |
製造国 | アメリカ合衆国 |
設計・製造 | ブローニング・アームズ |
性能 | |
口径 | 7.62mm |
銃身長 | 609mm |
使用弾薬 | .30-06スプリングフィールド弾(7.62x63mm) |
装弾数 | 250発ベルトリンク |
作動方式 | ショートリコイル方式 |
全長 | 1,219mm(A4) 1,346mm(A6) |
重量 | 14kg(A4) |
発射速度 | 400-600発/分 |
銃口初速 | 853.6m/s |
有効射程 | 1,370m |
水冷式機関銃であるブローニングM1917重機関銃を戦車搭載用の空冷式機関銃として再設計したものである。
第二次世界大戦では、中機関銃としてはもちろん、戦車や各種車両の車載機銃として、または銃自体の重量を軽くして航空機銃としても使用され、各戦線で広範囲に使用された。
最初のモデルであるM1919の他、数多くの派生型があり、歩兵用機関銃として設計されたM1919A4を中心にアメリカ軍で広く配備が行われ、第二次世界大戦における主力機関銃の1つとなった。1957年にM60機関銃が採用されると徐々に更新されていったものの、ベトナム戦争の頃まで使用された。
1917年4月6日、アメリカ合衆国がドイツ帝国に宣戦布告を行い、第一次世界大戦に参戦した。しかし、同日秘密裏に行われた報告によれば、この時点で陸軍が有する機関銃は大小新旧の各種あわせて1,110丁のみであった。一方、ドイツでは開戦以来大量の機関銃の配備が進められており、アメリカ陸軍には控えめに見積もっても100,000丁の機関銃を配備する必要があるとされた。こうした状況において、ジョン・ブローニングが設計したM1917重機関銃の採用が決定したのである。
M1917のような「給弾にベルトを用い、三脚に取り付けて使用する水冷式重機関銃」は、大戦の際に各国で広く採用・投入された火器の1つである。いずれも持続的な火力を発揮することができる強力な火器ではあったものの、持ち運びが難しく、重量もあったため、もっぱら防御陣地に設置して運用されていた。M1917は優れた機関銃ではあったが、他の機関銃と同様の欠点も兼ね備えていた。例えば、三脚と水冷ジャケットを含めると、重量はほぼ100ポンドになった。大戦中には既に水冷ジャケットおよび水タンク、3脚を取り除いたM1917が航空機や戦車などへの搭載、あるいは歩兵による攻撃的任務などにも柔軟に投入しうる機関銃になると考えられており、大戦後には空冷式への設計変更が本格的に進められることになる。
大戦末期、M1917を空冷化して銃身を18インチまで短縮したM1919戦車機関銃(Model of 1919 Tank Machine Gun)の開発が行われた。M1919という名称は、M1918自動小銃(BAR)との混同を避ける目的で選ばれたものである。元々、照準器のないモデルと照準器を備えるモデルは共にM1919と呼ばれていたが、後に後者のみ区別のためM1919A1と改称された。
戦間期、第一次世界大戦のような機械化された戦争にも耐えうる火力の確保を試みていた陸軍騎兵科は、実験的にM1918自動小銃を改良したM1922機関小銃を採用した。M1922は射撃精度こそ優れていたものの、過熱と弾倉容量の都合から持続射撃能力が限られていた。1929年4月、兵器委員会は騎兵総監の要望に基づき、騎兵科に対してM1919に銃床と着脱可能な軽量三脚を取り付けたものが2丁、改造銃身(銃口のリコイルブースターを廃止したものと思われる)を備えたものを1丁引き渡した。しかし、改造銃身を取り付けた銃は非常に不評で、またたく間に過熱して射撃精度が悪化するばかりか、あまりの熱さに銃を持ち上げることさえできなくなったという。その後はルイス銃を用いた試験を行っていたものの、世界恐慌の最中において、大戦時の余剰装備が未だ十分残されていると信じられていたため、新規に兵器を調達できる可能性は極めて低く、既存の兵器を改良することで対応しなければならなかった。
1930年、騎兵科はM1919を調達してアイアンサイトや軽量な三脚、銃床などを取り付ける改造を施した。当初は単に騎兵型(Cavalry Model)とも称されていたが、後にM1919A2と改称された。一方、歩兵科でも1931年にM1919を試験のために調達し、改良を加えたものにM1919A3という名称を与えた。M1919A2の改良を試みる過程で、18インチ銃身では.30-06弾の性能を十分引き出せない可能性が示唆されたため、M1917と同等の24インチ銃身を取り付けたM1919E2およびM1919A2E3が試験用に設計された。
1935年9月5日、あらゆる組合せの評価を踏まえ、陸軍兵器委員会はM1919に放熱ジャケット付き24インチ銃身を取り付けたM1919A4を標準軽機関銃に推薦した。これに合わせ、新たな戦車機関銃としてM1919A5が開発された。-A5は基本設計はM1919A4と同一だったが、ピストルグリップが無く、車両への取付基部が追加されていたほか、三脚には取り付けられなくなっていた。M1919A5のような航空機・車両搭載用機関銃が「固定」(fixed)の機関銃と分類された一方、M1919A4は「汎用」(flexible)の機関銃と分類された。M1919A4はM1919シリーズの中で最も大量に生産/配備された。
歩兵科はM1919A4とM2三脚の組合せを好ましいとしつつ、要望として「ある程度の持続射撃能力を持ち、ベルト給弾を採用し、小銃弾を用い、1人の兵士が運搬/射撃できる軽量な火器」という事項を示した。1943年初頭までに、武器省は歩兵科の要望に基づいたM1919A4用の後付改修キットの設計に合意したが、その後の試験を経て、歩兵向けモデルはM1919A6なる名称のもと、準制式装備(substitute standard)として採用されることとなった。M1919A6はM1919A4とM1918A2自動小銃のギャップを埋める火器と位置づけられ、軽機関銃としての携行性を高めるべく、二脚と銃床が追加されていた。
航空機関銃としての派生型は、第一次世界大戦直後に開発が始まった。M1919の原型でもあるM1917の航空機搭載型、M1918機関銃の派生型としてスプリングフィールド造兵廠で製造されたM1921およびM1922が最初の航空機関銃モデルである。戦間期には予算削減のため官営造兵廠での製造が中止され、コルト・ファイヤーアームズ社がM1922の設計を全面的に改修し、AN/M2として知られるモデルの製造を始めた。AN/M2は一見するとスケールダウンされたM1919のような外見だが、ほとんどの部品が再設計されている。給弾方向を左右任意に切り替えられたほか、翼内に設置することも想定し、ソレノイド式リモコンでの操作が可能だった。真珠湾攻撃前から.50 AN/M2への置き換えが始まっていたが、第二次世界大戦中にも一定数が調達された。また、イギリス向けに.303口径仕様のモデルも作られた。
M1919の基本的な設計はM1917と共通しているが、空冷化によって大幅に軽量化されている。発射機構は、機関部の反動を利用したショートリコイル式を採用し、弾薬の給弾方式には一般に布製の給弾ベルトが用いられている。
水冷式機関銃を空冷化する際に問題となるのは、冷却効率の低下に伴う過熱である。これは暴発や銃身の劣化にも繋がるが、しかし冷却効率を高めるために銃身の質量を増せば、部品を動作させるための反動が不足してしまう。これを解決するべく、発射ガスを取り入れ動作に利用するマズルブースターの設計が行われた。また、ボルトラッチを設けることで、弾薬が熱された銃身に送られることを防ぐと共に、銃内部のエアフローの改善を試みた。いずれにせよM1917に比べれば過熱しやすく、銃身交換の頻度も増すことは避けられなかった。
元々、銃身交換の際にはフィールドストリッピングが必要だった。M1919A6では銃身交換を容易にするためにブースターの廃止が検討され、銃身自体のさらなる軽量化が試みられた。これによって放熱ジャケットの前方から銃身を抜き出せるようになったものの、銃身重量はM1919A4(7.5ポンド)の時点で限界に達しており、それ以上の軽量化の効果はわずかだった。銃身の軽量化は持続射撃能力を損ねたほか、理論上は問題なく動作するとされていたが、反動エネルギーの余剰がほぼなかったため、実戦では汚れや銃の傾きなどの影響で動作不良が多発した。後に着脱が容易なキャップ式のブースター/フラッシュハイダーが採用され、こうした問題は改善されていった。
シンプルな構造や部品数の少なさは、同時に大量生産を可能とした。生産にはゼネラルモーターズ社ほか、多くのアメリカ企業が参加した。
専用の軽量三脚としてM2三脚が設計された。
射撃する際には通常2名が射手と助手に分かれて使用する。
共に配備されていた水冷式のM1917A1機関銃(M1917の改良型)に比べれば持続射撃能力で劣ったものの、それを補って余りあるほどに軽量で、部隊の機動力を損なうことがないため、非常に好評だった。また、水タンクの廃止と軽量化によって空挺兵の装備として投下することも可能となった。銃としての信頼性も高く、「M1919A4がある限り、水冷式機関銃(M1917A1)は一切不要である」と語る兵士も少なくなかった。完全に置き換えることこそなかったが、配備の規模は早い段階でM1917A1を上回っていた。
アメリカ陸軍において、M1917は重機関銃(Heavy machine gun)と位置づけられていた一方、M1919A4はライフル中隊(Rifle company)に配備される軽機関銃(Light machine gun)と位置づけられていた。例えば、1945年から1948年までの歩兵大隊におけるライフル中隊では、中隊付武器小隊(Weapons Platoon)に所属する軽機関銃分隊(Light Machine Gun Section)の2個軽機関銃班(Light Machine Gun Squad)によってM1919A4/A6の運用が行われた。
M1919は1957年までアメリカ陸軍の制式軽機関銃と位置づけられていたが、より軽量な汎用機関銃たるM60機関銃の採用によって一線を退くこととなった。しかし、その後も予備装備としては残されており、ベトナム戦争頃まで使用された。
スウェーデンでM1919A4に独自の改修を加えて国産化したモデル。M1919A4とはバレルジャケットの孔の数と配置、照準器の位置と形状が異なっていること、グリップがスペード型であることやレシーバーの上端部にキャリングハンドルがあることが異なる。
当初はスウェーデンが導入した他のM1917/1919の仕様変更型と同様に6.5x55mm弾と8x63mm弾モデルが作られたが、反動の強い8x63mm弾仕様は反動緩衝装置のない軽量型の三脚に搭載するには無理があり、6.5x55mm弾仕様のみに統一された。1950年代に入りM1919A6に倣った汎用機関銃とするべく発展型が開発され、三脚に搭載する重機関銃、車両に固定銃架もしくは回転銃架を用いて搭載する車載機銃、二脚と着脱式の銃床を装着して用いる軽機関銃の3タイプとして運用できるようになった。この汎用機関銃型は"Ksp m/42B"として制式化され、既存のm/42はすべてこの仕様に改修されたが、参考としたM1919A6同様「軽機関銃としては重すぎる」として不評であった。1970年代には実働状態で保有されているものは全て7.62x51mm NATO弾仕様に改修されている。また、約1,000梃がm/42からKsp m/39に改装され、"7.62mm Ksp m/39C"の制式名でセンチュリオン戦車のスウェーデン軍仕様型等に搭載された。それらのうち、Stridsfordon 90(CV90)歩兵戦闘車に搭載されたものは21世紀に入っても現役で用いられている。
M1919の航空機搭載型。もっとも、開発経緯としてはM1919の原型であるM1917を航空機関銃用に改良した型であるM1918の発展改良型で、M1919とは同系列ながら開発されたルートが異なる。
"AN"とは"Army / Navy"、“陸海軍(共通)”を示す。なお、.30口径の航空機銃でM1およびAN/M1という制式番号のものは存在しておらず、“アメリカにおいて当初から.30口径の航空機用機関銃として開発・制式化された機関銃”としてはAN/M2が最初のものだが、"M1"とすると原型のM1918 M1との混同を招く、として"M2"の制式番号が与えられている。
M1919とは機関部前端の形状が異なることと、バレルジャケットを含めた銃身部が細いことが識別点である。バレルジャケットとレシーバーの板厚を薄くするなどして全体を軽量化し(M1919A4=14kg、AN/M2=11kg)、発射速度は毎分1,200-1,500発に向上している。また、給弾口を部品の交換で左右任意に切り替えられるように設計変更されている。
スウェーデンではM1917重機関銃を大規模に導入して主力機関銃とし(M1917に続いてM1919も導入されて国産化した発展形も開発されている(「#Ksp m/42」の節参照)、M1917の航空機搭載発展形であるM1922も導入してCal.30 AN/M2に相当する仕様のものを発注し、後にライセンスを所得して国産している。
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