フランス軍(フランスぐん、フランス語: Forces armées françaises)は、フランス陸軍(Armée de Terre française)・フランス海軍(Marine nationale)・フランス空軍(Armée de l'air française)およびフランス国家憲兵隊(Gendarmerie nationale française)を保有するフランスの軍隊。仏軍とも。
フランス軍 Armées françaises | |
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指揮官 | |
大統領 | エマニュエル・マクロン(第五共和政第8代) |
国防大臣 | セバスティアン・ルコルニュ(第25代) |
統合参謀総長 | 陸軍大将・ティエリー・ビュルカール(第26代) |
総人員 | |
徴兵制度 | リスト
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財政 | |
予算 | GDP2.6% (2005) |
産業 | |
国内供給者 | |
関連項目 | |
歴史 | |
フランス軍の階級 |
フランスは普仏戦争や第一次世界大戦で戦火を交えたドイツ対策として、仏独国境線にマジノ線と呼ばれる大要塞群を構築することとした。この要塞線の建築でフランス軍の予算がほとんど使用されたため、装備の更新ができなかったという説があるが、これは正しくない。マジノ線の構築のためにフランスの軍事予算は毎年増額されたものの、1933年には58%、1934年には33%の予算を余らせていた。また、1940年には戦車2380両、軍用機2441機を保持しており、イギリス遠征軍を加えればドイツ軍に匹敵した。また個別の兵器でもソミュア S35やルノーB1などドイツ軍のII号戦車やIII号戦車を上回る能力を持つ兵器を装備していた。
しかしフィリップ・ペタンやマキシム・ウェイガン、モーリス・ガムランといった軍の首脳部は第一次世界大戦型の陣地戦による防衛を重視しており、戦車は各師団に分配され、機甲師団による集中運用ができなかった。シャルル・ド・ゴールを始めとする一部の軍人は機甲師団の創設などを訴えたが全く無視された。
また空軍も創設されず、陸軍の補助的存在に過ぎなかった。ペタンは配備された飛行機も、乱立する航空機メーカーが多種多様な航空機をそれぞれ生産していたため機種の統一が図れなかった。
海軍は新型戦艦(ダンケルク級戦艦・リシュリュー級戦艦)や多数の有力な艦艇、航空母艦も保有していたが、作戦海域を地中海に主眼を置いていた上、ナチス・ドイツの侵攻では陸戦が主体であったためさしたる行動も取れぬまま降伏を迎えた。
兵員面でもナポレオン戦争以来の兵員不足を補うため、植民地から徴用された兵士が多かった。また通信分野での理解も遅れており、すでに無線通信やテレタイプなどを採用していたドイツに対し、フランス軍は自動車やオートバイによる伝令、伝書鳩を主軸にしており、迅速な命令を下すことはできなかった。
このような状況で1940年フランスはナチス・ドイツの侵攻に直面した。フランス軍は敗退を重ね、一ヶ月足らずでフランスは降伏する。
降伏後、フランス軍はナチス傀儡のヴィシー政権軍と、ダイナモ作戦などによって亡命した自由フランス軍に分かれた。一部の海軍の艦艇はイギリス軍と戦火を交えたほか(メルセルケビール海戦)、1942年にドイツの接収を防ぐため、1942年に自沈している。その後、ヴィシー政権は中立を標榜したために表向きには戦闘を行わなかった。しかし植民地軍の一部は連合国軍と戦っている。
1942年、トーチ作戦により北アフリカのヴィシー政権軍は連合国軍と戦火を交えたが、フランソワ・ダルラン提督が降伏したため戦いは短期間で終わった。北フランスのヴィシー軍は自由フランス軍に合流したが、ヴィシーフランス本土はドイツ軍に占領された。その後、自由フランス軍は連合軍の一員としてノルマンディー上陸以降の反攻作戦で活躍し、パリ解放なども果たした。
第二次世界大戦が終結すると、フランスは戦勝国としてアメリカやイギリスなどと共に資本主義国として冷戦を迎え、NATOに加盟し欧州の重要な軍事力として存在するようになる。
一方で、植民地内での独立の気運の高まりを押さえ込むために軍事力を行使することもあり、インドシナ戦争では近代的な兵力を投入したにも拘らず敗退してしまった。この他にも、アルジェリア戦争など植民地に於ける戦争の続発や、フランスの植民地政策について民族自決容認(アルジェリア独立容認)へ転換を進めたフランス第四共和政政府に対する政府転覆も視野に入れた軍事行動(アルジェリア駐留軍によるド・ゴール将軍政界復帰要求。アルジェ駐屯落下傘部隊のコルシカ島不法進軍・占拠、及びフランス本土・首都パリへの逆侵攻示唆。これらの一連の動きにフランス軍中枢部も支持・呼応を伺わせた)など著しいシビリアン・コントロール喪失状態・関東軍化暴走状態を見せるが、担ぎ出した当のド・ゴール将軍(および新たに成立したフランス第五共和政)が決起部隊・決起部隊支持軍組織の意図に反し、(国内世論と自身の国民的人気を強力な支持基盤に)アルジェリア独立政策支持を表明。大幅に強化された大統領執行権をもって、巧妙・迅速に法整備や軍部人事介入・組織改革を推し進めた事が功を奏しアルジェリア独立を達成。主要植民地を放棄した事で、海外での軍事介入は激減していく。
また、エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化に端を発した第二次中東戦争には、イギリス、イスラエルと共に参戦したが、アメリカの圧力や国際社会の非難もあり撤退した。
これ以降、フランスはアメリカに頼らない独自路線を歩む様になり、NATOの軍事機構から脱退(事務レベルでは参加している)し独自の核戦力も保有、強化するようになる。フランス軍は国際平和活動などにも重点を置いていた他、脱退したとはいえNATOとの一定のパートナーシップを保持し続けた。一方で、1960年代にサハラ砂漠で行なった核実験では、兵士を爆心地に向けて歩かせることで、核兵器の人体に対する影響を研究する人体実験を行なっていたことを証明する機密文書の存在が判明している。
1991年の湾岸戦争に際しては多国籍軍の一員として対イラク戦に参戦した。
冷戦構造崩壊後のフランス軍は、地域紛争に介入しこれの解決のために国連や他国との協調を重視し、NATO諸国との一層の関係強化を行っている。
2009年にサルコジ大統領がNATO創設60周年記念首脳会議にてNATO軍事機構への43年ぶりの完全復帰を宣言した
フランス軍は全軍合わせて約310,000人の兵力を有する。この内、約100,000人は国家憲兵に属する。以前は徴兵制が存在していたが、2001年に廃止され現在は志願制となっている。兵役義務は存在しないが、男女を問わず一定年齢に達すると予備役登録を行わなければならない。
フランス軍は旧植民地を中心に全世界に常時約35,000名を展開している。
シャルル・ド・ゴール大統領による独自路線により、1966年にNATOの軍事機構からは脱退していたが、親米派のニコラ・サルコジ大統領によって創設60周年を迎える2009年に全面復帰した。
第二次世界大戦前と比べると大幅に少なくなったが、現在のフランス軍も常時海外へ展開している。一つは、南米やカリブ海、インド洋、太平洋に点在するフランスの海外領土の防衛の為に比較的小規模の部隊を常駐させている。一部では独立運動の鎮圧を行っている。
もう一つは、旧フランス植民地(多くはアフリカ)に旧宗主国として内戦や地域紛争に介入したり、ウラン鉱などの利権防衛の為に外人部隊などが派遣されている。植民地の独立後もフランスが利権を持つ地域は多く、過去の領土的野心ではなく、利権の防衛に主眼が置かれている。
さらにもう一つは、NATOやWEUなどと協調して多国籍軍に参加したり、ドイツと合同旅団を構成したり、国際的に多国間の枠組みの中で指導的立場としてふるまっている。
2013年1月には、旧植民地マリ共和国で発生した軍事クーデターとトゥアレグ族の反乱によるマリ国内の混乱に対処するため、マリ政府の要請を受けて空軍と陸軍による反乱軍の鎮圧作戦を実行している。
2014年以降、ルールに基づく海上秩序を守る宣言の一環として、仏海軍は南シナ海を定期的に航行している。2016年には、当事の国防相が他の欧州諸国の海軍に対し、定期的で目に見えるプレゼンスを南シナ海で展開するよう呼び掛けている。 これまで、特にベトナムなどの東南アジア諸国が反発している南シナ海での中国の領有権主張をめぐり、中国との対決を主導してきたのは米国だが、フランスは英国と並び同地域に定期的に海軍を派遣している欧州国としてこの紛争にも干渉しており、年3回から5回、南シナ海に艦船を派遣している。
フランスの独自路線の象徴で、フランス軍の中でも最優先の位置付けで予算配分を受けている。フランス海軍・戦略海洋部隊の戦略ミサイル原子力潜水艦にはM45潜水艦発射弾道ミサイルが搭載され、フランス空軍のミラージュ2000Nと海軍のシュペルエタンダールにはASMP空中発射型巡航ミサイルが搭載されている。
なお、フランス空軍は1960年代末期にアルビオン高原に地下式ミサイルサイロを備える空軍基地を建設し、1971年より主要な核戦力の一つとしてサイロ配備型の中距離弾道ミサイルの運用を開始した。当初はS-2中距離弾道ミサイルを配備した後、1980年より改良型のS-3中距離弾道ミサイルの運用に移行したが、冷戦終結に伴い1996年にS-3は退役し、サイロなどの運用設備も解体・廃棄された。
また、フランス陸軍もかつて核戦力を配備していた。当初はアメリカ製のオネスト・ジョンを装備していたが、後に国産のプリュトン短距離弾道ミサイルの配備に移行した。更にはプリュトンの後継としてアデスミサイルも開発されたが、冷戦終結に伴いプリュトンは1993年に退役し、アデスも1991年から少数が配備されたものの1996年をもって退役したことで、フランス陸軍から核戦力は全廃された。
同国大統領であるエマニュエル・マクロンは2019年7月13日、新たに『宇宙軍司令部』を創設すると発表している。当日はフランス革命記念日前夜であったことから、アメリカ大統領ドナルド・トランプが提唱する宇宙軍創設の動きを反映したものであるとされる。マクロン大統領は恒例となっている革命記念日前日の行事に集まった軍上層部に対し、「宇宙におけるわが国の能力の発展と強化を確保するため、9月に宇宙担当の最高司令部を創設する」と述べている。
同大統領は2018年、宇宙防衛戦略の必要性に言及しており、今回の発表はその結果であるとしている。また、将来的には空軍と統合される予定とのこと。
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