映画 ブルーリボン賞: 日本の映画賞

ブルーリボン賞(ブルーリボンしょう)は、1950年(昭和25年)に創設された日本の映画賞である。

ブルーリボン賞
受賞対象作品、監督、俳優
開催日毎年2月
会場イイノホール
日本の旗 日本
主催東京映画記者会
初回第1回(1950年度)
最新回第66回(2023年度)
最新受賞者ゴジラ-1.0

現在の主催は、東京のスポーツ7紙(スポーツ報知デイリースポーツサンケイスポーツ東京中日スポーツ東京スポーツスポーツニッポン日刊スポーツ)の映画担当記者で構成された「東京映画記者会」。ブルーリボン賞は加盟各社の合資と映画会社からの賛助金によって運営され、作品賞・個人賞計8部門の賞を毎年1月に発表、2月に授賞式が行われる。

沿革

1950年(昭和25年)、朝日新聞の井沢淳(井沢純)が、毎日新聞の岡本博、読売新聞の谷村錦一をはじめとする「東京映画記者会」の記者会員に呼びかけ、1年間の映画界を総括する記者同士のおさらいの成果を賞として世に問うとして「東京映画記者会賞」の名で始まった。別説として「日本映画文化賞」の名称で始まったとする資料も存在。1951年3月22日、東京・築地にあった東京劇場で第1回授賞式が行われた。第4回から第7回までは、銀座・並木座が授賞式会場となった。

当初は記者の親睦的組織として始まった東京映画記者会だったが、最大時には在京の日刊紙・通信社の加盟社は17社、会員数は80人を超えるまでに成長し、規模が大きくなるにつれ、選考に対する考え方に違いが生じるようになった。大衆賞が欲しい美空ひばりが事前運動をしたという噂が広まったことがキッカケに、一般紙よりスポーツ新聞記者の票数が多いことに対する不満が噴出し、1960年(昭和35年)3月には大手新聞6社(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞東京新聞日本経済新聞)および共同通信社が脱退。これによりブルーリボン賞は第11回(1960年度)からスポーツ紙を中心にした新聞社による主催となり、現在に至っている。

1967年(昭和42年)、新聞記者が審査員を務める日本レコード大賞の「黒い霧」の噂を気にした新聞社上層部が、〔賄賂を受け取る立場になりかねない〕記者会主催の賞を辞めるように厳命し、第17回(1966年度)を最後にブルーリボン賞は一時廃止される事となる。また、分裂した7社が設立した日本映画記者会賞や、テアトロン賞(東京演劇記者会)、ホワイトブロンズ賞(地方新聞映画記者会)などの記者会賞も1966年度で一斉に廃止されている。

しかし、若手記者を中心に再開を望む声があがるようになり、1973年(昭和48年)秋にブルーリボン復活準備委員会が発足され、1975年度に再スタートを果たした。

選考・授賞式

毎年1月1日から12月31日までに、首都圏で封切られた全作品を対象とし、1月に選考が行われる。作品、監督、主演男女優、助演男女優、新人(監督も含み、映画デビュー2年以内が対象)、外国映画の各部門がある。年によってスタッフ賞や特別賞も選ばれる。前年末までに記者会員全員による投票で選ばれたノミネートの中から、選考会で合議ののち投票で過半数を得た作品・人に賞が贈られる。選考にあたっては、演技だけでなく、映画に対する姿勢や人格も対象とする。

授賞式は2月に行われ、受賞者発表時の各紙で、授賞式への読者抽選無料招待の応募要項が掲載される。なお、「映画記者の手作りの賞」を標榜することから、この選考だけでなく授賞式会場の設営、照明・音響、観客の誘導といった裏方の仕事なども全て各紙の映画記者たちが行っている。

進行役(司会者)は、前年度に主演男優賞、主演女優賞を受賞した俳優が担当する。

新型コロナの影響で、2020年度から2022年度まで授賞式は開催されなかった。

由来と賞品

開始当初は主催者の財政が厳しいため受賞者への賞品も特になく、賞状青色リボンで結んで渡したことから「ブルーリボン賞」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。現在も続くこの青いリボンには「青空の下で取材した記者が選考する」という意味が込められている。この他に記者の象徴であるペンを賞品とし、受賞者名入りのモンブラン万年筆1本が贈られる。

この逸話が当賞が日本映画界の最高栄誉とされる根拠とされている。

歴代各賞

    (表記年は対象映画の年度であり、授賞式は翌年2月)

第1回(1950年度) - 第10回(1959年度)

第1回(1950年度)

第2回(1951年度)

第3回(1952年度)

第4回(1953年度)

第5回(1954年度)

第6回(1955年度)

第7回(1956年度)

第8回(1957年度)

第9回(1958年度)

第10回(1959年度)

第11回(1960年度) - 第17回(1966年度)

第11回(1960年度)

第12回(1961年度)

第13回(1962年度)

第14回(1963年度)

第15回(1964年度)

第16回(1965年度)

第17回(1966年度)

第18回(1975年度) - 第20回(1977年度)

第18回(1975年度)

第19回(1976年度)

第20回(1977年度)

第21回(1978年度) - 第30回(1987年度)

第21回(1978年度)

第22回(1979年度)

第23回(1980年度)

第24回(1981年度)

第25回(1982年度)

第26回(1983年度)

第27回(1984年度)

第28回(1985年度)

第29回(1986年度)

第30回(1987年度)

第31回(1988年度) - 第40回(1997年度)

第31回(1988年度)

第32回(1989年度)

第33回(1990年度)

第34回(1991年度)

第35回(1992年度)

第36回(1993年度)

第37回(1994年度)

第38回(1995年度)

第39回(1996年度)

第40回(1997年度)

第41回(1998年度) - 第50回(2007年度)

第41回(1998年度)

第42回(1999年度)

第43回(2000年度)

第44回(2001年度)

第45回(2002年度)

第46回(2003年度)

第47回(2004年度)

第48回(2005年度)

第49回(2006年度)

第50回(2007年度)

第51回(2008年度) - 第60回(2017年度)

第51回(2008年度)

第52回(2009年度)

第53回(2010年度)

第54回(2011年度)

第55回(2012年度)

第56回(2013年度)

第57回(2014年度)

第58回(2015年度)

第59回(2016年度)

第60回(2017年度)

第61回(2018年度) - 第66回(2023年度)

第61回(2018年度)

第62回(2019年度)

第63回(2020年度)

第64回(2021年度)

第65回(2022年度)

第66回(2023年度)

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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