『226』(ににろく、にいにいろく)は、1989年に公開された日本映画。題字には副題として「THE FOUR DAYS OF SNOW AND BLOOD」という英文が付されている。
226 | |
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監督 | 五社英雄 |
脚本 | 笠原和夫 |
製作 | 奥山和由 |
出演者 | 萩原健一 三浦友和 竹中直人 加藤昌也 鶴見辰吾 南果歩 名取裕子 本木雅弘 有森也実 隆大介 八千草薫 加藤武 川谷拓三 金子信雄 田村高廣 渡瀬恒彦 松方弘樹 鈴木瑞穂 高峰三枝子 藤谷美和子 丹波哲郎 芦田伸介 仲代達矢 |
音楽 | 千住明 |
撮影 | 森田富士郎 |
編集 | 市田勇 |
配給 | 松竹富士 |
公開 | 1989年6月17日 |
上映時間 | 114分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 11億5000万円 |
二・二六事件の経過を主に陸軍将校の側から描いた作品であり、決起した青年将校達をはじめとして豪華キャストを揃えた大作映画となっている。また、青年将校らの妻子との関係にも多くの描写が割かれており、事件に参加した河野壽の実兄・河野司が監修に当たった。
制作会社はフィーチャーフィルムエンタープライズであった。日本で初めて映画ファンドによって制作された作品である。
総製作費20億円。
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昭和恐慌により拡大する貧富の差に、皇道派の青年将校である野中、河野、磯部、栗原、中橋、安藤らは、「君側の奸」を打倒し天皇親政の政権を作ろうと1936年2月26日、雪の降りしきる夜にクーデターを実行した。 彼らは陸軍の部隊を動かし、岡田首相、高橋蔵相、斎藤内大臣、鈴木侍従長などを襲撃する。 当初、陸軍高官らは彼らの行動に理解を示し、クーデターは成功したかに見えた。しかし、それは事態を収拾しようと画策した陸軍当局による必死の時間稼ぎだった。翌27日に戒厳令が施行される。首相が生き延びており、天皇の御意思が「断固鎮圧」にあることが判明すると事態は一変、政府は勅命により原隊に戻るよう呼びかける。青年将校の多くが軍に戻ろうとする中、当初から消極的で、やるからには逆賊になる覚悟だった安藤輝三だけは、天皇の意思一つに手の平返しで軍に戻ろうとする彼らに怒りを爆発させる。
昭和の時代が終わると予測した企画。事件から半世紀が過ぎ、ようやく事件に関わった人々の実名が許され、映画化に至った。特筆すべきは、 湯河原で前内大臣の牧野伸顕伯爵を襲撃した青年将校の一人・河野寿(演:本木雅弘)の実兄・河野司(演:根津甚八)が監修した事である。
1988年春から製作特報を流し、1988年8月29日、脚本決定稿による本読み開始。1988年10月19日にクランクインした。しかし撮影中に昭和天皇の病気、崩御があり、映画の題材が昭和天皇と関係が深いため、大喪の礼が終わるまで、撮影取材他、宣伝活動を一切自粛した。1989年1月30日、雪化粧の宮城外堀に見立てた会津鶴ヶ城ロケを最後にクランクアップ。大喪の礼が明けると松竹は宣伝費に5億円を計上し、公開までの3ヵ月間に大宣伝作戦を行った。
当作品の撮影にあたっては銃器、軍服を始めとした日本陸軍装備多数が新規に製作された。作中に登場する戦車は当作のために建設機械を改造して製作されたものである。
琵琶湖畔の滋賀県草津市(湖岸道路:現湖岸下笠交差点付近)の3千坪に総工費3億円をかけ、四階建ての山王ホテル、陸相官邸、首相官邸、警視庁、赤坂見附の街路等、大規模なオープンセットが建設された。ここに戦車なども持ち込まれていた。
脚本の笠原和夫は映画の出来が不満で、「松竹でやったから変なものになっちゃったね。後で東映の岡田茂さんが『何で、お前ら、笠原に松竹で『226』をやらせてるんだ。何で東映でやらんのや?』(笠原は1976年東映を退社しフリー)と怒ったらしい。僕はこれまで東映で『日本暗殺秘録』や『仁義なき戦い』、『二百三高地』、『大日本帝国』なんかをやってきましたけど、あれも岡田茂さんというプロデューサーが、単に当たればいいというんじゃなくて、ある種の活動屋精神っていうかな、『やりたいものやってみろ』という度胸があった人だから出来たんでね。そういう度胸を持たないプロデューサー・奥山和由はだらしがないよ。『ハチ公物語』が当たったものだから『笠原さん、野中大尉の自慰シーンに小犬を出してくれ』なんてね(笑)。そんなことを考えているようなプロデューサーなんてダメなんだよ。岡田さんの方がはるかに立派!『日本暗殺秘録』の時にも自民党からいろいろあって、岡田さんも大川博社長にやり込められたらしいんだよ。けれども、結局、僕らを呼んで『好きなようにやってみろ』と。それは立派なんだよ。そういう信念を岡田さんが持っていたから、こっちも安心して書けたんですよ。だから、もし、岡田さんが『226』をプロデュースしていたら、もっとちゃんとしたものが出来たんだろうと思う」となどと話している。
日活の元監督で大株主だった藤浦敦は、2015年の映画誌のインタビューで「二・二六事件をちゃんと描いた映画は、佐分利信が監督をやった『叛乱』(1954年、新東宝)しかないんです。あれも天皇に対してだいぶお手柔らかに描いていますから」などと話している。
二・二六事件を扱った映画は多いが、最初の映画化は、1951年の東映映画・佐分利信監督の『風雪二十年』。これは尾崎士郎原作の『天王機関説』を猪俣勝人が脚色したもの。次が先に挙げた『叛乱』。以降も多くの映画がつくられた。本作のようなオールスターキャストでは、1970年に『激動の昭和史 軍閥』を作った東宝が、1973年に同社オールスターキャスト、小林正樹監督、八住利雄のオリジナル脚本で『激動の昭和史 二・二六事件』というタイトルで'73年東宝ラインアップとして発表したこともあるが製作はされなかった。
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