斎藤 佑樹(さいとう ゆうき、1988年6月6日 - )は、群馬県太田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。
現役時代 (2019年4月4日、楽天生命パーク宮城にて) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県太田市 |
生年月日 | 1988年6月6日(35歳) |
身長 体重 | 176 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト1位 |
初出場 | 2011年4月17日 |
最終出場 | 2021年10月17日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について |
現在は、株式会社斎藤佑樹の代表取締役。
早稲田実業学校高等部3年時にエースとして夏の甲子園に出場。決勝再試合の末、田中将大擁する駒大苫小牧を下し優勝を果たす。同大会において、斎藤が青色のハンカチで顔の汗をぬぐう行為に注目が集まり「ハンカチ王子」と呼ばれた。この愛称は同年の流行語大賞トップ10にもノミネートされている。また、国内において斎藤と同世代の野球選手は「ハンカチ世代」とも呼ばれる。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
群馬県太田市出身。漫画『MAJOR』を愛読し、太田市立生品小学校在籍中は地元学童野球チーム「生品チャンピオンズ」に一年時から在籍し主将を務める。太田市立生品中学校では軟式野球部に所属。群馬県大会では準優勝、関東大会ではベスト8まで進み、地元紙・上毛新聞に取り上げられる。
2021年12月1日、自身のマネジメント会社『ユウ企画株式会社』(後述する事情により、早稲田大学3年時(2010年)に両親が設立)の商号を『株式会社斎藤佑樹』へ変更および、代表取締役の立場となり「野球の未来づくり」に関する活動を開始。2022年からは、全国ネットのテレビCMへ相次いで出演している。また、北海道日本ハムファイターズ公式YouTubeチャンネルへの登場など幅広く活動。2022年4月~10月には、ソニーストア直営店舗にて「引退後の景色」という写真展を開催。写真家としての活動もスタートさせた。
2022年2月2日、学生野球資格回復研修制度を通じ、日本学生野球協会から資格回復の適性を認定。これにより、同協会に加盟する高校・大学における硬式野球部での指導や、現役部員(選手)を直々に取材可能となった。第94回選抜高等学校野球大会開幕直前である2022年3月17日から、「バーチャル高校野球」(朝日新聞社と朝日放送テレビが共同で運営する高校野球関連のポータルサイト)のフィールドディレクターへ就任。男女問わず硬式野球部を持つ日本全国の高校へ取材に赴いている。また、高校球児の取り組み・指導者の考え・高校野球の現場が抱える課題などをテーマに、「バーチャル高校野球」での動画リポートや『朝日新聞』でのコラム執筆などを務めている。
2022年の第104回全国高等学校野球選手権大会では、開会式(8月6日)直後の第1試合にて始球式に登場。朝日放送テレビが制作する開会式・準決勝第1試合(20日)・決勝(22日)の中継や『熱闘甲子園』(早稲田実業高校への在学中にインタビューで出演していたテレビ朝日との共同制作番組)では『バーチャル高校野球』のフィールドディレクターとして出演。8月10日放送分の『熱闘甲子園』では、第26回全国高等学校女子硬式野球選手権大会の決勝(同月2日に甲子園球場で開催)ならびに、決勝進出校を取材した模様が放送された。
2023年の第105回全国高等学校野球選手権記念大会からは、朝日放送テレビ制作による中継へのゲスト出演に加え、新たに『熱闘甲子園』のキャスターを担当。同年には、本大会の出場をかけた南北海道大会の決勝戦がエスコンフィールド北海道(日本ハムの本拠地として同年に開場)で初開催することを受け、現役投手(日本ハム時代)として叶わなかった同球場での登板を始球式で果たした。
オーバースローから投げる平均球速約139km/h、プロでの最速147km/hのストレートとスライダー、フォークボール、ツーシーム、カットボールを軸とし、稀にチェンジアップやカーブを混ぜる投球を見せる。打球が上がりにくい投球なため、2012年には半分以上の打球をゴロにした。自身は「アマチュア時代の経験が感覚を研ぎ澄ませてくれた」と語っている。ボールのリリース直前に”打たれる”と思った瞬間、身体が反射的に反応しボール球を投げる「危険察知能力」を強みとし、2012年は得点圏での被打率が低かった。2012年は、ストレートの空振り率が2パーセントと一軍では最低レベルの数値となる球威不足が影響し、初球からストライクが入らずボール先行になるなど、制球に苦しんだ。2014年までの通算与四球率3.54。
大学時代は自己最速150km/hを記録し、投球の半分近くを低めに集める制球力を武器とした。耳目を集めるきっかけとなった高校時代の投球は、当時のNPBを代表する投手だった松坂大輔から「考えて投げているのが分かる。プロでも、あそこまでイメージして投げている投手はなかなかいないんじゃないですか」と評された。また、当時のメジャーリーグを代表する左腕投手だったヨハン・サンタナは「変化球がいいね。打者へのアプローチが違う。すごい! いつの日かこっちでプレーするのを見たいねえ」と絶賛した。上述した高校3年夏の甲子園決勝だけでなく、同年の西東京予選の決勝戦でも221球投げており、最終イニングとなった11回表には149km/hを記録。また、大学4年間で故障や病気による離脱はなく、練習を休むこともなかった。高校2年までは被安打や味方の失策からマウンド上で感情を表に出すことがあった。しかし、早稲田実業野球部のOBから「投手がマウンド上で怒って、何か得をするのか?」と指摘されてからは、あまり表情を変えないようにしている。また、高校2年春の甲子園で打ち込まれたことをきっかけに、早稲田大学の先輩である佐竹功年を参考にした、膝を折り曲げて腰の位置を強制的に落とす投球フォームへの改造により球質が向上した。フォーム改造に一役買ったのは宮本賢(当時早稲田大学野球部主将・のちにプロでチームメイトとなった)の助言であるという。
張本勲からは「コントロールが良くて、まっすぐの回転が良かったが、それが裏目にでて主力打者に弱いタイプかも」と一長一短を指摘されていた。
プロでは主に先発投手を務めた。2020年シーズン終了時点において登板した88試合中、63試合が先発登板であり、通算勝利数は15勝。60試合以上に先発登板して通算15勝以下の選手は、日本プロ野球史上斎藤が唯一である。
打者としては、高校3年時の甲子園大会で6番打者を務めた。甲子園通算2本塁打、大学時代は通算1本塁打を記録。
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。(2012年12月) |
かつて群馬県立前橋工業高校の野球部、富士重工業に所属した父親は、野球の練習に厳しかったという。3歳違いの兄は群馬県立桐生高校の1番打者だった。
早実入学当初、群馬県太田市の実家からおよそ2時間かけて通学していたが、のちに東京在住だった兄とアパートで二人暮らしを始めた。高校卒業までは食事などの生活全般を兄が世話していた。大学入学と同時に野球部の安部寮に居住。
趣味は釣り。実家に帰省したときには渓流釣りを楽しむ。父親の勤務先および出身地(富士重工のお膝元)の影響から「ベンツよりポルシェより、いつかスバル車に乗りたい」というほどスバルの自動車を愛好している。2013年2月、フリーペーパー『R25』誌上のスバルの広告に登場した。2014年には北海道スバルのCMに出演を果たした。
早稲田大学3年時(2010年)には、系属校で開かれた講演会にて「野球が終わった(現役引退)後のために、金融や経済のことを勉強している。将来は政治家になりたい」と語っていた。同年、後述する報道へ対応すべく、両親が「ユウ企画株式会社」というマネジメント会社を地元の群馬県太田市に設立。実母が代表を務めたが、現役引退後の2021年12月1日付で「株式会社斎藤佑樹」へ商号を変更し、実母に代わり代表取締役へ就任。2021年12月10日、自身のinstagramでは、「『どこかに所属して面倒を見てもらう』というよりは、『自分で自分の道を切り拓いていくんだ』という気持ちで(株式会社斎藤佑樹という)会社を立ち上げた」と説明している。
目標とする投手には富士重工業硬式野球部に在籍した阿部次男。憧れの投手に、2013年から日本ハムの投手コーチに就任した黒木知宏を挙げ、中学時代には黒木の現役時代の背番号「54」が入ったハンカチを使用していたという。
ファンやマスコミからの愛称のひとつに「佑ちゃん」がある。これは、駒大苫小牧高校の田中将大と「佑ちゃん」「マー君」と呼び合っていると本人らが明かしたことがきっかけとなった(日米親善高校野球の際に監督を務めた和泉実が選手同士の交流を図るため互いに名字で呼ぶことを禁止したため)。プロ入り後、田中については、「いつか追いついて、追い越したいと思っている。勝負は今だけじゃないんだって、心のどこかで思っている。24歳、25歳の現時点では、ピッチャーとしてマー君の方が上です。でも、30歳になったら、40歳になったらどうかということは誰にもわからない。そのための大学4年間だったと思っています。そこには僕、けっこう自信を持ってるんです」と語っている。
2016年11月22日、チームメイト(大学の後輩)である有原航平と車で移動中、横転事故現場に遭遇。人命救助を行なったことで事故車に乗っていた男性は軽傷に留まった。
2021年4月、石毛宏典の公式YouTubeチャンネルに出演した西崎幸広は、「清宮幸太郎と同じように頑固でコーチの意見や指導を聞かずに自分の考えにこだわる節がある」と斎藤を分析している。
2022年1月、日本郵便北海道支社からオリジナルフレーム切手「北海道日本ハムファイターズ 斎藤佑樹 引退記念 ~11年間の軌跡~」が発売された。
2006年、夏の甲子園大会にて早稲田実業が勝ち進むにつれ、斎藤の端整なルックスと試合中のマウンド上で丁寧にたたんだ青いハンカチで顔の汗を拭く姿が話題となり、「ハンカチ王子」と呼ばれるようになる。この愛称はマスコミによって一気に拡散し、早稲田実業にはこのハンカチに関する問い合わせが殺到した。Yahoo!オークションでは定価400円である同種のハンカチに対し、一時的に1万円を超える値がついた。百貨店ではハンカチの売り上げが急増し、ジャスダックに上場するハンカチメーカー・川辺の株が値上がりした。のちにそのハンカチはニシオ株式会社が製造・販売する「GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)」というブランドのものだと判明。しかし、すでに販売終了していたため、ニシオはサンリオとタイアップし「幸せの青いハンカチ」と銘打ってハローキティの顔をあしらった青いハンカチを販売。最終的に約65万枚、約3億円を売り上げた。
同大会における早実の試合の平均視聴率(NHK)は、3回戦12.7%、準決勝戦18.1%と徐々に数字を上げ、決勝戦は1990年代以降で最高となる29.1%、瞬間最高視聴率は37.1%だった。翌日の決勝再試合は平日にもかかわらず23.8%、瞬間最高視聴率30.4%を記録。注目を集めたうえに優勝投手となった斎藤は、連日マスコミに大きく取り上げられる。大会終了後の日米大学野球選手権大会の選抜メンバーに選ばれ渡米すると、同大会の模様が連日報道され、試合も生中継された。帰国の際には関西国際空港に約600人のファンが集まった。また、高校卒業後の進路における報道の過熱ぶりから、9月11日には今後についての記者会見を開いている。会場となった早稲田実業高等学校のホールには150人以上の報道陣が集まり、テレビでも生中継された。
9月30日から開催された「のじぎく国体」では、野球場がある兵庫県高砂市に、開催前から斎藤の出場に関する問い合わせが殺到。早稲田実業学校の試合には連日観客が押し寄せ、試合前日から徹夜組による長蛇の列ができた。試合当日には観客にけが人が出る騒ぎとなり、入場制限が行われるなど厳戒態勢のもとで試合が行われた。翌年となる2007年、同大会にて使用された高砂市野球場は、斎藤の愛称にちなみ「ハンカチメモリアルスタジアム」という愛称が付与された(現在は撤回されている)。
『輝け甲子園の星』(日刊スポーツ出版社発行)など斎藤を扱った野球雑誌の売り上げが急増[要出典]、『週刊女性』など女性週刊誌の表紙を飾った。また、斎藤単独の写真集や、斎藤をモデルとした楽曲『青いハンカチ~君がくれた夏の日~』のCDを発売。
「ハンカチ王子」の愛称が、2006年新語・流行語大賞のトップ10入りを果たす。しかし、日本学生野球憲章のアマチュア規定に抵触する恐れがあったため、言葉のみ受賞対象とし斎藤の表彰式出席は見送られた。また、伊藤忠商事をはじめとする複数の企業から特許庁へ商標出願がなされた。ちなみに、翌年注目を集めたゴルファーの石川遼には「ハニカミ王子」の愛称が付けられ、新語・流行語大賞を受賞している。
2007年、斎藤が早稲田大学の野球部へ入部したことで東京六大学野球が注目され、斎藤の登板試合を中心に大きく扱われるようになる。同年より、日本テレビが放映権を取得し地上波にて東京六大学野球中継が放送されることとなった。
この年の春季リーグ戦は、斎藤の開幕登板が予想されたことからチケットを求める問い合わせが殺到し、史上初めてチケットぴあでの入場券前売りが実施された。4月14日の開幕戦は前年春の4倍となる約18,000人が詰めかけ、4月29日に先発した法政大学との第2戦では約28,000人を動員。早慶戦以外では1992年以来の20,000人越えとなった。この日の夜、同じく明治神宮野球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ戦の観客動員は29,654人である。東京六大学野球の観客数がプロ野球の試合に肉迫する結果となった。この試合では、これまで早慶戦以外ではみられなかった通称「三角内野」(第2内野席)が開放された。早稲田大学の優勝が決まった6月3日の早慶戦第2戦では約36,000人の観衆が集まり立ち見が出るほどの超満員となった。満員になったのは1997年春の早慶戦以来10年ぶり。この観客数は当日行われたプロ野球交流戦の6試合中5試合を上回り、北海道日本ハムファイターズ対阪神タイガース(札幌ドーム)に次ぐ動員となった。この試合の平均視聴率はNHKと日本テレビ合わせて14.3%を記録。
同リーグ戦の早稲田大学戦に訪れた観客の総数は11試合で約22万8,000人、1試合平均2万727人と、前年度に比べ3倍近い数を記録。2008年から史上初となる東京六大学野球のカレンダーおよび、ベースボールカードが発売されることとなった。
2010年、斎藤が大学4年となりプロ野球ドラフト会議が近づくにつれ、再び耳目を集めるようになる。10月28日に開催された同会議はTBSテレビが全国ネットにて生中継し、夕方の時間帯にもかかわらず平均視聴率14.4%を記録。同年のペナントレースの最高視聴率は14.3%(4月24日の巨人対広島東洋カープ戦、NHK)であり、それをも上回る視聴率となった。瞬間最高視聴率は、斎藤の交渉権を引き当てた日本ハム球団社長(当時)である藤井純一へのインタビューシーン(17.2%)。2007年の中田翔に続き斎藤を引き当てた藤井にあやかり、その後「GOD HANDグッズ」が発売された。
11月3日の早慶優勝決定戦は、立見席を用意。明治神宮野球場の収容人数35,650人に対し、チケット販売枚数は36,000枚となり20年ぶりに完売している。これによりマスコミ関係者には東京六大学野球連盟から大入袋が配られた。NHK総合によるテレビ中継は平均視聴率12.1%、瞬間最高視聴率は16.2%を記録。勝利投手となったヒーローインタビューにて「最後に一つだけ言わせてください」と切り出し、「いろんな人から斎藤は何か持ってると言われ続けてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは、仲間です」と語った。この発言が話題を集め、その年の新語・流行語大賞の選考委員特別賞を受賞。2006年の「ハンカチ王子」に続き2度目の受賞を果たす。これは野球界において史上初である。11月4日の記者会見当日、『ニュースウオッチ9』(NHK)、『報道ステーション』(テレビ朝日)、『NEWS ZERO』(日本テレビ放送網)、『NEWS23X』(TBSテレビ)、『すぽると!』(フジテレビジョン)(以上、出演順)へ生中継で出演した。11月6日放送の『S☆1』(TBSテレビ)へ出演した應武篤良(当時の早稲田大学野球部監督)は、斎藤の入学時に熱狂的なファンの一部による盗撮や寮の部屋を覗くといった行為があったと明かした。
12月9日、札幌ドームで行われた単独入団会見には、平日にもかかわらず約8,000人のファンが駆けつけた(2003年の新庄剛志の入団会見は約2,000人)。この模様は『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)にて全国ネット生中継された(北海道の民放5局とNHK、衛星放送のGAORAでも同時生中継)。新人選手の単独入団会見は球団史上初。
2011年1月11日、千葉県鎌ケ谷市の合宿所「勇翔寮」への入寮時には、約500人のファンや報道陣が集まり、その様子がワイドショーで生中継された。ファイターズ鎌ケ谷スタジアムでの自主トレ期間はスタジアムに連日約2,000人ものファンが押し寄せ、史上初となる観客席を開放。さらに1月16日に行われた「新入団選手歓迎式典・交流会」ではスタジアム史上最高の約11,000人(前年は512人)のファンが集まった。上空には取材ヘリが8機飛ぶ中、入団記念グッズ(Tシャツ・フェイスタオル・ストラップ)が発売され販売開始からおよそ1時間で完売。球場のある鎌ケ谷市には大きな経済効果がもたらされ、テレビ報道による同市のPRとしては約160億円の広告効果があった。2月1日から沖縄県名護市で行われた春季キャンプでは、那覇空港にて1,000人以上が出迎えた。キャンプ初日には400人以上の報道陣が集まり、その一挙手一投足を連日マスコミで報道。期間中は、前年の11,550人の2倍以上となる計27,150人の観客が名護市のキャンプ地を訪れた。野球解説者からは名護での斎藤に対する厳しい評価も寄せられたが、早大の大先輩である広岡達朗はもっとも辛辣だった。広岡は『週刊新潮』にて「踏み出した左足が突っ張るフォームが致命的で1勝もできない」とこき下ろした。
4月17日のプロ初登板・初先発試合(ロッテ戦、札幌ドーム)は、北海道テレビ放送が放映権を持っていたことからキー局であるテレビ朝日は当初放送予定だった番組を急遽中止しスタッフを派遣。”緊急生中継”として、斎藤の投球回を中心にローカル枠で放送した。デーゲームにもかかわらず、北海道地区における平均視聴率は29.4%、瞬間最高視聴率37.0%を記録。中継した北海道テレビのレギュラーシーズンにおける野球放送としては史上最高の視聴率となった。
9月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)にて、2006年夏の甲子園決勝以来となる田中将大との対決が実現し、チケットは前売りのみで完売。両投手とも完投(斎藤は初完投)し、4対1で楽天が勝利。この試合は「ジョージア魂」賞年間大賞に選出された(受賞は田中将大)。
2012年3月30日、自身初の開幕投手をプロ初完投勝利で飾った試合(埼玉西武ライオンズ戦、札幌ドーム)の中継(札幌テレビ放送)にて、平均視聴率31.6%を記録。これまで最高だった29.4%(上述した2011年の斎藤がプロ初登板試合)を上回り、北海道内の球団公式戦中継では最高記録を更新。瞬間最高視聴率は39.4%。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 日本ハム | 19 | 19 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 472 | 107.0 | 122 | 5 | 35 | 1 | 5 | 62 | 6 | 0 | 41 | 32 | 2.69 | 1.47 |
2012 | 19 | 18 | 2 | 1 | 0 | 5 | 8 | 0 | 0 | .385 | 480 | 104.0 | 126 | 8 | 48 | 1 | 2 | 59 | 5 | 0 | 60 | 46 | 3.98 | 1.67 | |
2013 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 23 | 4.0 | 5 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 6 | 6 | 13.50 | 2.50 | |
2014 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 118 | 26.0 | 28 | 4 | 16 | 0 | 1 | 20 | 0 | 0 | 15 | 14 | 4.85 | 1.69 | |
2015 | 12 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 190 | 42.1 | 52 | 5 | 14 | 0 | 1 | 24 | 0 | 0 | 28 | 27 | 5.74 | 1.56 | |
2016 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 104 | 23.2 | 26 | 2 | 11 | 0 | 2 | 14 | 3 | 0 | 12 | 12 | 4.56 | 1.59 | |
2017 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 126 | 28.0 | 39 | 3 | 5 | 0 | 2 | 14 | 0 | 0 | 23 | 21 | 6.75 | 1.57 | |
2018 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 45 | 8.2 | 8 | 2 | 12 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 8 | 7 | 7.27 | 2.31 | |
2019 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 87 | 21.0 | 19 | 1 | 8 | 0 | 0 | 12 | 2 | 0 | 12 | 11 | 4.71 | 1.29 | |
2021 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1 | 0.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | |
通算:10年 | 89 | 63 | 3 | 1 | 0 | 15 | 26 | 0 | 0 | .366 | 1646 | 364.2 | 425 | 30 | 155 | 2 | 16 | 209 | 17 | 0 | 205 | 176 | 4.34 | 1.59 |
年 度 | 球 団 | 投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2011 | 日本ハム | 19 | 5 | 23 | 0 | 2 | 1.000 |
2012 | 19 | 6 | 19 | 1 | 3 | .962 | |
2013 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
2014 | 6 | 0 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 12 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2016 | 11 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2017 | 6 | 4 | 1 | 2 | 0 | .714 | |
2018 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2019 | 11 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2021 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
通算 | 89 | 23 | 63 | 3 | 6 | .966 |
月曜と火曜担当
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 斎藤佑樹, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.