鎌ケ谷市(かまがやし)は、千葉県の北西部に位置する市。人口は約11万人。1971年(昭和46年)市制施行。
かまがやし 鎌ケ谷市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
市町村コード | 12224-6 | ||||
法人番号 | 8000020122246 | ||||
面積 | 21.08km2 | ||||
総人口 | 109,631人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 5,201人/km2 | ||||
隣接自治体 | 柏市、白井市、松戸市、市川市、船橋市 | ||||
市の木 | モクセイ | ||||
市の花 | ナシの花、キキョウ | ||||
鎌ケ谷市役所 | |||||
市長 | 芝田裕美 | ||||
所在地 | 〒273-0195 千葉県鎌ケ谷市新鎌ケ谷二丁目6番1号 北緯35度46分37秒 東経140度00分03秒 / 北緯35.77683度 東経140.00081度 東経140度00分03秒 / 北緯35.77683度 東経140.00081度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
千葉県北西部に位置し、県庁所在地である千葉市から約20キロメートルに位置する。都市雇用圏における東京都市圏(東京都区部)のベッドタウンとしての性質が強い。通勤率は、東京都特別区部へ27.4%、船橋市へ11.9%(いずれも平成22年国勢調査)。
市域は下総台地と谷津田からなる。市の標高は約13から28メートルとなっており、「ゆれにくい街 鎌ケ谷」として宣伝し、新しい市街地として新鎌ケ谷地区(市役所周辺)の開発が行われている。海抜が最も低い地点は約7メートル、最も高い地点は約30メートル。
北部には手賀沼に注ぐ大津川が流れ、南部には大柏川及び根郷川、東京湾に注ぐ海老川の支流が流れる。また、海上自衛隊下総航空基地があり、西部(くぬぎ山地区)には陸上自衛隊松戸駐屯地がある。
東葛地域にあって県北西部主要四都市の船橋市・市川市・松戸市・柏市と接し、交通の要衝である新鎌ヶ谷駅を中心に、住宅都市として発展している。
市の中央を東経140度線が縦断している。
江戸時代は「釜原」と呼ばれ、釜原が鎌ヶ谷に転じたという説や、以前は鎌ヶ谷市周辺に蒲(かば)や茅(かや)が自生し、蒲茅が鎌ヶ谷へ転じたという説、鎌形の谷がある地からなど、諸説ある。
「鎌ヶ谷」と「鎌ケ谷」の両方の表記があるが、これは一般の地名表記は小文字の「ヶ」(鎌ヶ谷)を使うのに対し、新聞・出版関係の地名表記は大文字の「ケ」(鎌ケ谷)を使う。
市役所では後者を採用しており、条例で「ケ」は大きく書くと定められ、日本郵政や千葉県庁もそれに倣っている。ただし2007年(平成19年)10月1日まで鎌ケ谷郵便局は「鎌ヶ谷郵便局」と称していた。
市章はカタカナで「カマガヤ」を図案化したものである。
明治維新直後、政府は東京府の貧窮民・旧武士たちの救済の目的で東京に隣接する小金牧の開墾を計画し、北島秀朝によって初めに現在の「初富」の開拓が行われることになった。費用を捻出するために開墾会社を設置し、1869年(明治2年)10月に入植者を募集し、同月中から入植を開始した。 入植条件は「下総国牧地開墾場へ移住之者授産向大意規則」に残っている。
個別の入植者の事例はほとんど残っていないので具体的にどのような来歴の人物が入植したかはあまりわかっていないが、「総州牧開墾演説書」(1872年、明治5年)に当時の入植者の前田友七の足跡がよく記録されている。記録を突き合わせると、友七は美濃国各務郡(現在の岐阜県各務原市)出身で、1861年(文久元年)に長女と長男を故郷に預け置いて江戸へ入り、東京本所三笠1丁目(現在の墨田区)に居住していた。その後入植者に応募し、1869年(明治2年)11月17日妻と次男甚太郎とともに初富に入植。初富入植後に長女・長男を呼び寄せ家族で暮らせるようになったという。
当初の開墾事業は、入植者の多くが農業未経験者だったことや周辺の村との軋轢、大風雨、干ばつなどの厳しい自然環境を理由に失敗し、明治5年には開墾局も開墾会社も廃止された。この失敗によって1891年(明治24年)頃まで初富の人口は漸減したが、残った者の地道な努力と、従来の東京窮民ではない新しい開拓者として周辺の村々の農家の子弟が加わったことから遅々とはしながらも確実な営みとなった。しかし、切り開いた土地の多くが旧開墾会社の社員の所有物となってしまい入植者たちは小作人とされてしまったことから、入植者と旧社員との係争・訴訟が各地で起こった。たとえば、1876年(明治9年)4月3日には村民が内務卿大久保利通に直訴を行っている。これらの事件を千葉県令船越衛は「県下一の難事件」と呼び、国会議員田中正造は1894年(明治27年)5月にこの件で政府へ質問書を提出するという事態になった。 入植者が起こした裁判はことごとく敗訴したが、千葉県は旧社員から開墾地を買い上げ、安価で入植者へ払い下げるという救済措置を採った。
1868年 以前 | 1872年 (明治5) | 1875年 (明治8) | 1889年 (明治22) 4月1日 | 1958年 (昭和33) 8月1日 | 1971年 (昭和46) 9月1日 | 現在 | ||
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葛 飾 郡 後 に 東 葛 飾 郡 | 鎌ケ谷村 | 鎌ケ谷村 | 町制 | 市制 | 鎌 ケ 谷 市 | |||
小金牧 の一部 | 初富村 | |||||||
粟野村 | ||||||||
中沢村 | ||||||||
道野辺村 | ||||||||
佐津間村 | ||||||||
串崎新田飛地 | ||||||||
印 旛 郡 | 印旛郡 軽井沢新田 | 印旛郡 根村 | ||||||
印旛郡 白井木戸新田 | 印旛郡 白井村 | 印旛郡 白井村 | 印旛郡 白井町 | 白 井 市 | ||||
印旛郡 中木戸新田 | ||||||||
印旛郡 七次村 |
昭和の大合併では、村内から松戸市や船橋市との合併論が、平成の大合併では白井市の一部住民からの合併論が持ち上がったものの、合併には至らず、現在の市町村制度の基礎が成立した1889年以来、100年以上にわたって一度も市町村合併を行っていない。同様のケースは千葉県内では浦安市・富里市・酒々井町がある。
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.99%増の108,917人であり、増減率は千葉県下54市町村中14位、60行政区域中17位。
鎌ケ谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 鎌ケ谷市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 鎌ケ谷市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
鎌ケ谷市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
生活協同組合へ加入している世帯が多い。ちばコープ加入世帯のみで、市内全世帯の約40%が加入している。
郵便番号は以下が該当する。1集配局が集配を担当する。
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
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岩波初美 | 千翔会 | 1 |
石井一美 | 自由民主党千葉県議会議員会 | 2 |
※2021年3月19日現在。
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 松本尚 | 59 | 自由民主党 | 新 | 100,227票 | ○ |
宮川伸 | 51 | 立憲民主党 | 前 | 79,687票 | ○ | |
清水聖士 | 60 | 日本維新の会 | 新 | 42,473票 | ○ |
主な大規模商業施設
鎌ケ谷市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町名読み | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前町名 | 備考 |
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粟野 | あわの | 未実施 | ||
右京塚 | うきょうづか | 1982.2.1 | 鎌ケ谷、初富の各一部 | |
鎌ケ谷一丁目 | かまがや | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | |
鎌ケ谷二丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷三丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷四丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷五丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷六丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷七丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷八丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
鎌ケ谷九丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、道野辺の各一部 | ||
軽井沢 | かるいざわ | 未実施 | ||
北中沢一丁目 | きたなかざわ | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | |
北中沢二丁目 | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | ||
北中沢三丁目 | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | ||
北初富 | きたはつとみ | 1991.11.5 | 初富の一部 | |
串崎新田 | くしざきしんでん | 未実施 | ||
くぬぎ山一丁目 | くぬぎやま | 1984.11.5 | 初富、串崎新田の各一部 | |
くぬぎ山二丁目 | 1984.11.5 | 初富、串崎新田の各一部 | ||
くぬぎ山三丁目 | 1984.11.5 | 初富、串崎新田の各一部 | ||
くぬぎ山四丁目 | 1984.11.5 | 初富、串崎新田の各一部 | ||
くぬぎ山五丁目 | 1984.11.5 | 初富、串崎新田の各一部 | ||
佐津間 | さつま | 未実施 | ||
新鎌ケ谷一丁目 | しんかまがや | 2008.2.25 | 初富、粟野の各一部及び中央一丁目の一部 | |
新鎌ケ谷二丁目 | 2008.2.25 | 初富、粟野の各一部及び中央一丁目の一部 | ||
新鎌ケ谷三丁目 | 2008.2.25 | 初富、粟野の各一部及び中央一丁目の一部 | ||
新鎌ケ谷四丁目 | 2008.2.25 | 初富、粟野の各一部及び中央一丁目の一部 | ||
中央一丁目 | ちゅうおう | 1981.6.1 | 初富、粟野の各一部 | |
中央二丁目 | 1981.6.1 | 初富、粟野の各一部 | ||
富岡一丁目 | とみおか | 1982.2.1 | 道野辺、初富、中沢の各一部 | |
富岡二丁目 | 1982.2.1 | 道野辺、初富、中沢の各一部 | ||
富岡三丁目 | 1991.11.5 | 道野辺、初富、中沢の各一部 | ||
中佐津間一丁目 | なかさつま | 1985.7.1 | 佐津間の一部 | |
中佐津間二丁目 | 1985.7.1 | 佐津間の一部 | ||
中沢 | なかざわ | 未実施 | ||
中沢新町 | なかざわしんまち | 2008.2.25 | 中沢の一部 | |
西佐津間一丁目 | にしさつま | 1985.7.1 | 佐津間の一部 | |
西佐津間二丁目 | 1985.7.1 | 佐津間の一部 | ||
西道野辺 | にしみちのべ | 1982.11.1 | 道野辺の一部 | |
初富 | はつとみ | 未実施 | ||
初富本町一丁目 | はつとみほんちょう | 1991.11.5 | 初富、中沢の各一部 | |
初富本町二丁目 | 1991.11.5 | 初富、中沢の各一部 | ||
東鎌ケ谷一丁目 | ひがしかまがや | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、初富の各一部 | |
東鎌ケ谷二丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、初富の各一部 | ||
東鎌ケ谷三丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷、初富の各一部 | ||
東中沢一丁目 | ひがしなかざわ | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | |
東中沢二丁目 | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | ||
東中沢三丁目 | 1989.11.6 | 中沢、初富の各一部 | ||
東初富一丁目 | ひがしはつとみ | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | |
東初富二丁目 | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | ||
東初富三丁目 | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | ||
東初富四丁目 | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | ||
東初富五丁目 | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | ||
東初富六丁目 | 1984.2.6 | 初富、鎌ケ谷の各一部 | ||
東道野辺一丁目 | ひがしみちのべ | 1982.11.1 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | |
東道野辺二丁目 | 1982.11.1 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
東道野辺三丁目 | 1982.11.1 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
東道野辺四丁目 | 1982.11.1 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
東道野辺五丁目 | 1982.11.1 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
東道野辺六丁目 | 1984.2.6 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
東道野辺七丁目 | 1984.2.6 | 道野辺、鎌ケ谷の一部 | ||
馬込沢 | まごめざわ | 1984.2.6 | 道野辺の一部 | |
丸山一丁目 | まるやま | 1982.2.1 | 鎌ケ谷、初富、道野辺の各一部 | |
丸山二丁目 | 1982.2.1 | 鎌ケ谷、初富、道野辺の各一部 | ||
丸山三丁目 | 1982.2.1 | 鎌ケ谷、初富、道野辺の各一部 | ||
道野辺 | みちのべ | 未実施 | ||
道野辺中央一丁目 | みちのべちゅうおう | 1991.11.5 | 道野辺、中沢の各一部 | |
道野辺中央二丁目 | 1991.11.5 | 道野辺、中沢の各一部 | ||
道野辺中央三丁目 | 1991.11.5 | 道野辺、中沢の各一部 | ||
道野辺中央四丁目 | 1991.11.5 | 道野辺、中沢の各一部 | ||
道野辺中央五丁目 | 1991.11.5 | 道野辺、中沢の各一部 | ||
道野辺本町一丁目 | みちのべほんちょう | 2001.2.13 | 道野辺の一部 | |
道野辺本町二丁目 | 2001.2.13 | 道野辺の一部 | ||
南鎌ケ谷一丁目 | みなみかまがや | 1984.2.6 | 鎌ケ谷の一部 | |
南鎌ケ谷二丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷の一部 | ||
南鎌ケ谷三丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷の一部 | ||
南鎌ケ谷四丁目 | 1984.2.6 | 鎌ケ谷の一部 | ||
南佐津間 | みなみさつま | 1985.7.1 | 佐津間の一部 | |
南初富一丁目 | みなみはつとみ | 1981.6.1 | 初富、粟野の一部 | |
南初富二丁目 | 1981.6.1 | 初富、粟野の一部 | ||
南初富三丁目 | 1981.6.1 | 初富、粟野の一部 | ||
南初富四丁目 | 1981.6.1 | 初富、粟野の一部 | ||
南初富五丁目 | 1981.6.1 | 初富、粟野の一部 | ||
南初富六丁目 | 1982.2.1 | 初富、粟野の一部 |
新鎌ケ谷(中央地区)
北部地区
南部地区
くぬぎ山地区
地域問題
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
住宅団地
市外局番
市外局番は市内全域「047」であるが、船橋MAの区域と(047- 4XX,75X…77X)と市川MAの区域(047- 3XX,70X…72X)に分かれている。市川MAに属するのは松戸市に近いくぬぎ山一丁目 - 四丁目のみ。
収容局は鎌ヶ谷局、千葉上山局(船橋市)、二和局(船橋市)、白井局(白井市)(以上船橋MA)、五香局(松戸市)(市川MA)。
二次医療圏(二次保健医療圏)としては東葛南部医療圏(管轄区域:鎌ヶ谷市と葛南地域)である。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。
医療提供施設は特筆性の高いもののみを記載する。
高等学校
中学校
小学校
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児童福祉施設
あっとほーむママ・なしのこ(小規模保育園)
研修施設
図書館
博物館
旅客空港は、千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)が最寄りとなる。
東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)にも、成田スカイアクセス線(成田空港線)を走るアクセス特急を利用すれば約1時間で行く事が可能。
市の南北を東武野田線、東西に北総線・成田スカイアクセス線(成田空港線)が走り、北西部・南東部を新京成線がカバーする。この3路線が、市の中央にある新鎌ヶ谷駅で交差する。北総線・成田スカイアクセス(京成線・都営浅草線・京急線へ直通運転)を利用した場合、都心方面(日本橋駅)まで特急で約30分、また成田空港へも同様に約30分でアクセスできる。なお、新京成電鉄本社・北総鉄道本社は鎌ケ谷市に所在する。
北部地区は高柳駅(柏市)、及び六実駅(松戸市)。南部地域は市内にも地名がある馬込沢駅(船橋市)が最寄りとなる場合もある。
一般国道
県道
国・県指定および国文化財一覧。
番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
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1 | 国指定 | 記念物(史跡) | 下総小金中野牧跡 | 鎌ケ谷市東中沢2-377-9他 | 鎌ケ谷市他 | 平成19年2月6日 | |
2 | 県指定 | 記念物(史跡) | 小金中野牧の込跡 | 鎌ケ谷市東中沢 | 個人 | 昭和42年3月7日 |
スポーツ
芸能・アナウンサー
その他
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