土浦市(つちうらし)は、茨城県の県南地域に位置する市。業務核都市、国際会議観光都市に指定されている。
つちうらし 土浦市 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
| |||||||
| |||||||
国 | 日本 | ||||||
地方 | 関東地方 | ||||||
都道府県 | 茨城県 | ||||||
市町村コード | 08203-1 | ||||||
法人番号 | 4000020082031 | ||||||
面積 | 122.89km2 | ||||||
総人口 | 141,977人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||||
人口密度 | 1,155人/km2 | ||||||
隣接自治体 | 牛久市、つくば市、かすみがうら市、石岡市、稲敷郡阿見町 | ||||||
市の木 | ポプラ・ケヤキ | ||||||
市の花 | サクラ | ||||||
市の鳥 | ヨシキリ・ウグイス | ||||||
土浦市役所 | |||||||
市長 | 安藤真理子 | ||||||
所在地 | 〒300-0036 茨城県土浦市大和町9番1号 北緯36度04分42秒 東経140度12分16秒 / 北緯36.07828度 東経140.2045度 東経140度12分16秒 / 北緯36.07828度 東経140.2045度 | ||||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||||
特記事項 | 旧市庁舎は佐藤武夫による設計である。 | ||||||
ウィキプロジェクト |
茨城県発足から県南地域の商業・行政の中心的な役割を担っていた町である。1918年(大正7年)の筑波鉄道(旧:関東鉄道筑波線、1987年廃止)の開通、東隣の稲敷郡阿見村(現在の阿見町の一部)に1929年(昭和4年)に海軍航空隊が設置されたことなどによって交通の要衝となり、料亭や遊廓その他休養施設が多かったこともあって、終戦に至るまで海軍の町(軍都)でもあった。戦後は、土浦駅西口(市中心部)に小網屋(1999年閉店)、京成百貨店(1989年閉店)、丸井(2003年閉店)、西友(1997年閉店)、イトーヨーカドー(2013年閉店)などの百貨店や大型店舗が立地するなど商都として発展を遂げたが、現在のつくば市域における筑波研究学園都市の開発、1990年代以降のモータリゼーションの普及や郊外型店舗の増加により、土浦駅前では上記大型商業施設が相次いで撤退した。かつては土浦駅前のバスターミナルは地域最多のバス発着起点であり、現在も土浦には国や県の行政機関が立地している。また、桜川からほど近い 桜町二丁目は北関東最大の風俗街(ソープランド街)となっている。
市内では、日本三大花火の一つである土浦全国花火競技大会が毎年11月に開催される。また、レンコンが特産品であることと、海軍に縁があり飛行船「ツェッペリン伯号」が飛来した際にカレーを振舞ったことから、レンコンを入れたカレー「ツェッペリンカレー」で町おこしを行っている。
土浦(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.3 (64.9) | 24.1 (75.4) | 26.3 (79.3) | 29.0 (84.2) | 34.0 (93.2) | 38.0 (100.4) | 38.1 (100.6) | 38.5 (101.3) | 37.1 (98.8) | 33.7 (92.7) | 25.7 (78.3) | 25.1 (77.2) | 38.5 (101.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) | 10.1 (50.2) | 13.4 (56.1) | 18.6 (65.5) | 22.9 (73.2) | 25.4 (77.7) | 29.4 (84.9) | 31.0 (87.8) | 27.1 (80.8) | 21.6 (70.9) | 16.4 (61.5) | 11.6 (52.9) | 19.7 (67.5) |
日平均気温 °C (°F) | 4.0 (39.2) | 4.8 (40.6) | 8.2 (46.8) | 13.2 (55.8) | 17.8 (64) | 21.0 (69.8) | 24.9 (76.8) | 26.2 (79.2) | 22.8 (73) | 17.3 (63.1) | 11.5 (52.7) | 6.3 (43.3) | 14.8 (58.6) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.9 (30.4) | −0.1 (31.8) | 3.2 (37.8) | 8.3 (46.9) | 13.5 (56.3) | 17.6 (63.7) | 21.5 (70.7) | 22.9 (73.2) | 19.4 (66.9) | 13.5 (56.3) | 6.9 (44.4) | 1.5 (34.7) | 10.6 (51.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.6 (18.3) | −7.1 (19.2) | −4.9 (23.2) | −1.6 (29.1) | 3.6 (38.5) | 10.1 (50.2) | 13.4 (56.1) | 16.0 (60.8) | 8.8 (47.8) | 2.7 (36.9) | −1.9 (28.6) | −6.5 (20.3) | −7.6 (18.3) |
降水量 mm (inch) | 48.8 (1.921) | 45.8 (1.803) | 90.5 (3.563) | 105.1 (4.138) | 121.3 (4.776) | 123.5 (4.862) | 123.6 (4.866) | 99.1 (3.902) | 171.9 (6.768) | 177.7 (6.996) | 74.8 (2.945) | 47.4 (1.866) | 1,229.3 (48.398) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.8 | 5.4 | 9.4 | 10.0 | 10.7 | 11.7 | 10.4 | 7.5 | 10.8 | 10.6 | 7.3 | 5.4 | 104.0 |
平均月間日照時間 | 196.6 | 176.6 | 180.8 | 184.7 | 180.3 | 128.5 | 150.3 | 181.5 | 136.6 | 136.5 | 151.4 | 174.4 | 1,978.2 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁 |
(霞ヶ浦を隔てて隣接している市町村を除く)
人口は、茨城県内では第5位(令和元年6月茨城県の人口と世帯)
土浦市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 土浦市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 土浦市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
土浦市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
市域は市内に設置されている8つの市立中学校の学区ごとに地区分けされており、公民館もこの学区に基づく地区分けごとに設置されている。
一中地区
高度成長期からバブル期を中心に多数の住宅地開発が行われている。
(主な住宅団地)
(主な公営集合住宅団地)
霞ヶ浦の西に広がるこの地域には古くから人々が活動し、市域には旧石器時代からの遺跡がある。縄文時代には、縄文海進により霞ヶ浦は大きな入り江(古鬼怒湾)となったと考えられており、その周辺に暮らす人々によって多くの貝塚が残された。上高津貝塚(上高津)はその代表である。弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡も多く見つかっており、この地域が多くの人口を有していたことがうかがえる。
后塚古墳や王塚古墳(ともに手野町)、武者塚古墳(上坂田)といった古墳は、ヤマト政権と手を結ぶ豪族の出現を物語る。律令制により常陸国が設けられ、その下に11の郡が置かれたが、現在の土浦市中心部は当時の茨城郡に属し(のちの太閤検地の際に新治郡所属とされた)、市域は筑波郡・河内郡・信太郡にもまたがる。
1151年、信太郡西部を中心とする一帯(現在の稲敷郡西部から土浦市・新治郡にかけての広大な地域)に、信太荘が成立。「土浦」という地名は、元徳元年(1329年)、東寺領であった信太荘内の地名として「東寺百合文書」所収の文書に登場するのが初出である。志田荘は、平安時代末期に志田義広が本拠を構え、鎌倉幕府成立後は八田知家が地頭として関わった。以後志田荘は、八田知家の末裔で小田城(現在のつくば市小田)に拠った小田氏の勢力下に置かれた。
室町時代の永享年間(1429年-1441年)、小田氏に属する若泉氏によって土浦城が築かれた。その後、小田氏配下の菅谷氏が城主となり、佐竹氏によって小田城を追われた小田氏治を迎え入れている。土浦城は小田氏の居城となり、小田原征伐まで小田氏が一帯を治めた。
小田原征伐後、小田氏は所領を没収され、その旧領は結城秀康の所領の一部となった。慶長6年(1601年)、結城秀康が越前に移転すると、藤井松平家の松平信一が3万5000石で土浦に入封し、土浦藩が成立した。その後、西尾氏・朽木氏が入ったものの、寛文2年(1662年)に若年寄土屋数直が入封。以後、一時期を除いて土浦は土屋氏の城下となった。土屋氏の石高は時期によって変遷があるが、綱吉から吉宗まで4代の将軍のもとで老中を務めた土屋政直の時代に9万5000石まで加増された。
慶長9年(1604年)、水戸街道(陸前浜街道)が整備され、現在の市域には江戸千住方面から水戸方面へ順に、荒川沖宿、中村宿、土浦宿、中貫宿の4つの宿場が置かれた(このほか、土浦宿と中貫宿の間の宿として真鍋宿がある)。街道は土浦の城下町を通っており、本陣・旅籠・問屋が置かれて土浦は宿場町としての性格も具えることになった。土浦は水戸街道と、霞ヶ浦水運が結びつく水陸交通の要地であり、多くの商家が軒を連ねた。土浦は常陸国では水戸に次ぐ第二の都市として繁栄し、1786年の調査では人口3988人を数えている。
土浦では醤油醸造業が盛んになり、野田・銚子とも並び称された(土浦の醤油醸造業の歴史については、2017年現在唯一の業者である柴沼醤油醸造の項目を参照)。江戸時代後期には、土浦の商人層からは国学者色川三中や、天文・地理学者沼尻墨僊が出た。
明治維新期、廃藩置県後の明治4年(1871年)に新治県が設置され、土浦はその県庁所在地となった。1875年(明治8年)に新治県は分割され、土浦を含む利根川以北は茨城県に編入された。土浦は茨城県南部地域の中心都市として、県庁第一支庁(1875年設置。現在の県南県民センター)、地方裁判所支部(1875年設置)、旧制中学校(旧制土浦中学校、現在の茨城県立土浦第一高等学校。1897年開設)などが置かれた。
1896年(明治29年)から翌1897年にかけて、日本鉄道の手により現在の常磐線が開通(当時の名称は土浦線。1896年に土浦〜友部間、1897年(明治30年)に土浦〜田端間が開通。1906年国有化)。それまでの内陸水運に代わり、鉄道が主な交通手段となる。1918年(大正7年)には土浦〜筑波間に筑波鉄道(筑波鉄道筑波線、のち岩瀬まで延伸。1987年(昭和62年)廃線)が開通し、土浦駅が常磐線との結節点となった。
1938年(昭和13年)6月29日より降り続いた集中豪雨により市内一帯が冠水。国道6号線付近における水位は 8 - 9尺に及んだ。被災者の救出のために軍隊も投入された。
1940年(昭和15年)、土浦町と真鍋町が合併、市制を施行し土浦市が発足した。
第二次世界大戦以前、土浦の南に隣接する稲敷郡阿見町に海軍の飛行場があったことから、土浦は海軍の町であった。1921年(大正10年)に阿見に霞ヶ浦飛行場が完成し、搭乗員養成機関である「霞ヶ浦海軍航空隊」が設置された。海軍関係者や面会者のための料亭や遊郭その他休養施設が現在の桜町に集められ、終戦に至るまで海軍の町としての役割を担った。霞ヶ浦飛行場には、海軍航空兵(海軍飛行予科練習生、通称「予科練」)の教育機関「土浦海軍航空隊」(1940年(昭和15年)開設)が置かれたことで知られる。
1945年(昭和20年)6月10日の空襲では海軍航空隊の兵舎や市街地も爆撃され、予科練習生や近隣住民など約300人が死亡した。
第二次世界大戦後から、1950年代に進められた昭和の大合併の中で、土浦市は新治郡都和村・上大津村や、稲敷郡朝日村の一部(荒川沖付近)を編入。
1985年(昭和60年)の国際科学技術博覧会(通称科学万博)が現在のつくば市で開催されたことにより、インフラ整備が進む。
平成の大合併の中で、2006年(平成18年)に新治村を編入。2014年(平成26年)2月10日には、土浦市長とつくば市長が合同記者会見を開き、両市の合併・中核市への発展を視野に入れた定期的な勉強会の開催が発表されたが、2017年(平成29年)につくば市側からの申し入れにより勉強会は解消された。
土浦村(現在の稲敷郡美浦村に吸収合併)からそのまま借りたという説、土屋藩の「土」と十一の「浦」の合成地名という説や、「津々浦々」からの転訛などの説がある。
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
官選土浦市長 | ||||
1 | 中山好一 | 1941年(昭和16年)2月6日 | 1943年(昭和18年)2月15日 | |
2 | 福田謹 | 1943年(昭和18年)4月21日 | 1945年(昭和20年)5月30日 | |
3 | 原彪 | 1945年(昭和20年)6月26日 | 1947年(昭和22年)1月28日 | |
公選土浦市長 | ||||
4 | 天谷丑之助 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
5 | 天谷虎之助 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1959年(昭和34年)4月30日 | |
6 | 天谷丑之助 | 1959年(昭和34年)5月1日 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |
7 | 細田武 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |
8 | 箱根宏 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 1973年(昭和48年)11月5日 | 贈収賄事件で逮捕され辞職 |
9 | 野口敏雄 | 1973年(昭和48年)12月16日 | 1981年(昭和56年)12月15日 | |
10 | 箱根宏 | 1981年(昭和56年)12月16日 | 1987年(昭和62年)10月6日 | 任期中に死去 |
11 | 助川弘之 | 1987年(昭和62年)11月22日 | 2003年(平成15年)11月21日 | |
12 | 中川清 | 2003年(平成15年)11月22日 | 2019年(令和元年)11月21日 | |
13 | 安藤真理子 | 2019年(令和元年)11月22日 |
行財政改革に積極的に取り組んでおり、近年では以下の実績がみられる。
2012年(平成24年)8月24日には、現在下高津一丁目20番35号にある老朽化した市庁舎について、JR土浦駅前の2013年(平成25年)2月に閉店したイトーヨーカドー土浦店の跡地に移転することが決定した。新市庁舎は、2015年(平成27年)9月に開庁した。
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
郁政会 | 8 | ◎海老原一郎、篠塚昌毅、小坂博、下村壽郎、今野貴子、勝田達也、矢口勝雄、奥谷崇 |
公明党土浦市議団 | 4 | ◎平石勝司、吉田千鶴子、目黒英一、根本法子 |
新勇会 | 4 | ◎島岡宏明、鈴木一彦、田中義法、菅井歩美 |
政新会 | 2 | ◎寺内充、竹内裕 |
日本共産党土浦市議団 | 2 | ◎古沢喜幸、福田勝夫 |
社民党土浦 | 1 | ◎平岡房子 |
無所属 | 3 | 滝田賢治、吉田直起、栁澤健二 |
計 | 24 | (欠員なし) |
議員名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
高橋直子 | いばらき自民党 | 2 |
伊沢勝徳 | いばらき自民党 | 6 |
八島功男 | 公明党 | 4 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 国光文乃 | 42 | 自由民主党 | 前 | 125,703票 | ○ |
比当 | 青山大人 | 42 | 立憲民主党 | 前 | 113,570票 | ○ |
土浦市ウェブサイトは、国際交流先として姉妹都市1市・友好都市2市を挙げる。地名表記は土浦市ウェブサイトによる。
以下のグループに所属している。
ヒューム管製造の中川ヒューム管工業を中心とする中川グループの企業城下町であったが、昭和40年代に土浦市と千代田村(現:かすみがうら市)をまたがる神立工業団地が造成され、企業(日立建機等)の進出が加速された。これらは土浦市の経済的基盤となっている。
地方銀行である筑波銀行の本店所在地である(本部機能は筑波銀行発足時につくば市へ移転)。また、筑波銀行の前身の一つである関東つくば銀行の本店所在地でもあった。土浦市の指定金融機関は、同じく茨城県の地方銀行である常陽銀行となっている。
製造品出荷額は723,963百万円であり、全国で第99位、茨城県内では第5位の規模となっている(2006年)。市北部に神立工業団地、テクノパーク土浦北、東筑波新治工業団地などの工業団地がある。
|
|
1990年代以降、土浦駅周辺を中心に減退傾向にあったが、商業統計調査結果によると、2004年から2007年にかけては卸売・小売ともに年間販売額が微増となり、市全体としては下げ止まりの状況となっている。卸売販売額は372,667百万円(2007年)、小売販売額は201,606百万円(2007年)であり、いずれも茨城県内では3位の規模となっている。また、2009年5月にはイオン土浦ショッピングセンター(現:イオンモール土浦)が開業。
土浦駅周辺では、1997年に、土浦駅西口の再開発ビル「ウララ」(中心地の別の場所にあったイトーヨーカ堂が主なテナントとして移転)が完成したが、1996年以降西友や地場百貨店小網屋、京成百貨店、東武ホテルが閉店、2003年には丸井、2007年3月には京成ホテルが閉店となり、モータリゼーションの発達や規制緩和による郊外型店舗増加等の影響を受け、駅周辺の空洞化が進んでいる。現在、旧東武ホテルの建物は大幅改装されビジネスホテルに、丸井が撤退したビルはリニューアルされ、飲食店やフィットネスジムなどが入居している。西友跡地・小網屋跡地ではマンションが建設された。また、土浦駅ビル「WING(ウイング)」も売上げの低迷により2008年7月に営業を終了したが、2009年7月、「ペルチ土浦」としてリニューアルオープン、更に2018年3月に「プレイアトレ土浦」に改称している。そして、ウララ自体も駅周辺の空洞化の影響を受け、2013年2月17日に医療機関など一部を残し営業を終了した。その後、2015年9月、かねてより老朽化と利便性の悪さが問題となっていた土浦市役所本庁舎をウララに移転、その際、地下1階のフロア全体と地上フロアの一部を商業スペースとし、地下1階にはカスミ土浦駅前店(2代目)とダイソー土浦駅前店、その他地下階と地上フロアに専門店がテナント入居している。西口の歓楽街である桜町は北関東最大の風俗街で、ソープランドの店舗数は川崎市堀之内に次いで関東で2番目に多い。 ブックオフ土浦真鍋店は二階建ての大型ブックオフであり、関東最大級の古本店である駅前のつちうら古書倶楽部と並ぶ市民のオアシスであったが、惜しまれつつも閉店となってしまった。
荒川沖駅周辺では、平屋建てのカスミ荒川沖店(旧)を中心とした西口商店街が優勢だったが、1981年の荒川沖ショッピングセンター「さんぱる」オープン(東口)をきっかけに、一転して西口商店街は衰退の一途をたどり、カスミ荒川沖店は立地条件の悪さもあり撤退を余儀なくされている。その後、西口の再開発事業によって再開発ビル「さらさ荒川沖」が完成したものの、ひたち野うしく駅の開業等により、周辺部のビルも含めてテナントの撤退が相次いでいる。一方「さんぱる」は3階建て、駅との直結性と駐車場の収容台数の多さを兼ね備えた当時は画期的な施設であった。しかし駅とほぼ直結という立地条件もあり一定の集客力を確保していたものの、キーテナントである長崎屋の業績悪化から2010年5月9日にドン・キホーテへ業態転換したが経営的に振るわず2015年1月4日にキーテナントのドン・キホーテが閉店、同月12日には専門店などその他のテナントも閉店し、現在はフットサル用コートの「DO Football Park 荒川沖」となっている。
一方で、駅から離れた郊外の主要道路沿いに、広い駐車場を持つ各種大型店の進出が続いており、真鍋地区にカスミをキーテナントにする駐車場付き大型ショッピングセンター「ピアタウン土浦」があり、その至近にはカドヤ(現・セブン&アイグループ系列のヨークベニマル)及びカワチからなるショッピングセンターが開業した。さらにとりせんが木田余地区にショッピングセンターを、加えてイオン土浦ショッピングセンターが高津地区に開業している。荒川沖駅地区にも、大型ホームセンター「ジョイフル本田」の荒川沖店や、ゼビオドーム(「スーパースポーツゼビオ」がキーテナント)がある。
※ 各店の詳細については各個別記事を参照。
レンコンは日本一の生産量である特産品(茨城県銘柄産地指定)であり、レンコンパウダーを使ったレンコン麺、レンコンサブレなどの加工品販売も行われている。グラジオラス(茨城県銘柄産地指定)などの花きが全国有数の産地となっているほか、米の栽培も多く行われている。
沖宿漁港を拠点として、ワカサギ漁が行われている。
2010年(平成22年)、市制施行70周年を記念して、市のイメージキャラクター「つちまる」が誕生した。2010年(平成22年)11月3日、市制施行70周年記念式典でデビューし、以後各イベントで活躍中である。2011年(平成23年)2月7日には、つちまるに特別住民票が交付されている。
公立
| 私立
|
公立
| 私立
|
2020年(令和2年)3月14日、東日本大震災の影響で不通になっていた富岡駅 - 浪江駅間の復旧(常磐線全線復旧)に伴い、1日1往復のみ乗換不要でいわき駅以北の原ノ町駅・仙台駅方面のアクセスが可能になった。
関東鉄道および子会社(関鉄観光バス、関鉄グリーンバス、関鉄パープルバス)によって運行される路線がほとんどである。一部はジェイアールバス関東による。この他、茨城観光自動車の3社(グループ)があったが、茨城観光自動車は撤退している。
高速道路としては常磐自動車道が市内を通過しており、茨城県北部・福島県および東京方面への重要な動脈となっている。一般道は国道6号が南北に、国道125号と国道354号が市内を東西に貫く形となっている。
国道6号は、市北部では土浦バイパスが高規格道路として整備されており、全線4車線化されている。南部では学園東大通り入口交差点を中心に渋滞が常態化している。これに対応して牛久土浦バイパスの建設が進められており、学園西大通りから学園東大通りまでが2011年11月より供用されている。また国道6号をアシストする形で、茨城県道25号土浦稲敷線や茨城県道48号土浦竜ヶ崎線の整備が進められている。
国道125号、国道354号は一部暫定で片側1車線の区間があるものの、バイパスの整備が概ね完了している。
つくば市との間を結ぶメインルートは土浦学園線(茨城県道24号土浦境線)であり、土浦駅東口駅前広場からは高架の土浦ニューウェイが延びてこれをつないでいる。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 土浦市, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.