アニー・エルノー (Annie Ernaux、1940年9月1日 - ) は、フランスの作家。
Annie Ernaux アニー・エルノー | |
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アニー・エルノー(2022年) | |
誕生 | Annie Thérèse Blanche Duchesne(アニー・テレーズ・ブランシュ・デュシェーヌ) 1940年9月1日(83歳) フランス、セーヌ=マリティーム県リルボンヌ |
職業 | 作家、教員 |
言語 | フランス語 |
最終学歴 | ルーアン=ノルマンディー大学 ボルドー大学 |
ジャンル | 小説、作家 |
主題 | 自伝小説、オートフィクション |
代表作 | 『場所』 『シンプルな情熱』 『ある女』 『凍りついた女』 『歳月』 |
主な受賞歴 | ルノードー賞(1984) マルグリット・デュラス賞(2008) フランス語賞(2008) フランソワ・モーリアック賞(2008) マルグリット・ユルスナール賞(2017) ノーベル文学賞(2022) |
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長年、フランス現代文学の教員としてリセやコレージュで教鞭を執り、後にフランス国立遠隔教育センターにも参加した。彼女の作品はほとんどが自伝的なものであり、オートフィクションの作家の一人とされる。2022年、ノーベル文学賞受賞。
アニー・エルノーはセーヌ=マリティーム県リルボンヌ(ノルマンディー地域圏)にアニー・テレーズ・ブランシュ・デュシェーヌ(Annie Thérèse Blanche Duchesne)として生まれ、同県のイヴトに育った。両親は工場労働者で、後に食料雑貨店を兼ねたカフェを開店した(開店時にリルボンヌからイヴトに転居)。
ルーアン大学(現在のルーアン=ノルマンディー大学)およびボルドー大学で学び、中等教育教員適性証書、次いで(子育てをしながら勉強を続け)フランス現代文学の中等教育上級教員資格を取得した。1970年代初めにボンヌヴィルの高校(リセ)、アヌシー=ル=ヴューのエヴィール中学(コレージュ)、ポントワーズのデ・ルーヴレ中学で教え、やがて遠隔教育センターに参加することになった。
最初の作品は1974年に発表された自伝小説『空っぽの箪笥 (Les Armoires vides)』である。1984年には自伝小説『場所』でルノードー賞を受賞し、2008年にはそれまでの全作品についてフランス語賞を受賞した。
2011年、アニー・エルノーが生まれる前に亡くなった姉に捧げた『もう一人の娘(L'Autre Fille)』、および作品の執筆について書き留めたものを集めた『暗いアトリエ(L'Atelier noir)』を発表した。また、ガリマール出版社の文学叢書クワルト版として『生を書く(Écrire la vie)』という1,000ページ以上のアンソロジーを発表した。この本にはほとんどの自伝小説、そして彼女の生い立ちに関する詳しい情報、日記、写真なども含まれている。
2016年には最新作『娘の記憶(Mémoire de fille)』が発表された。これは18歳のときの林間学校での初めての性体験の記憶 ---「他のどんな記憶よりもずっと鮮明かつ執拗にこびりついている恥の記憶」--- を60年近く経って再現したものである。
2017年、彼女の全作品についてマルチメディア作家協会 (la Société Civile des Auteurs Multimédia, SCAM) からマルグリット・ユルスナール賞を授与された。
2022年、ノーベル文学賞を受賞。
アニー・エルノーの著書のほとんどが自伝小説であり、ノルマンディー地域圏のイヴトでの子供時代(とりわけ両親が経営していた食料雑貨店兼カフェでの生活)から結婚、出産、子育ての経験、そして晩年の両親などを描いている。特にマルグリット・デュラス賞ほか複数の賞を受賞した『歳月 (Les Années)』には両親の生い立ちから死までを含む半世紀以上にわたる時代の流れを背景にアニー・エルノーの個人史が描かれている。
さらに個々の体験として、父親と母親それぞれの生と死を描いた『場所』、『恥 (La Honte)』、自立を目指しながら1960年代の因習的な性役割を課される女性の葛藤を描いた『凍りついた女』、恋愛、性愛(セクシュアリティ)をテーマとした『シンプルな情熱』、『自分を失う (Se perdre)』、『嫉妬』、中絶の経験を中心に女性の生(性)を描いた『空っぽの箪笥 (Les Armoires vides)』、『事件』、老いをテーマとしてアルツハイマー病で亡くなった母親の晩年を描いた『「私の夜から出ていない」(« Je ne suis pas sortie de ma nuit »)』、母親の死そして一人の女性としての生き方を描いた『ある女』、乳癌の治療を受けた経験を語る『写真の使い方 (L'Usage de la photo)』を著した。
また、これらの自伝小説以外にも、彼女が生きた時代・日常をスケッチ風の短い断章で描いた『戸外の日記』、『外的生活 (La Vie extérieure)』、スーパーマーケットでの観察を通して消費社会を批判した『愛する人よ、あの輝きを見て (Regarde les lumières mon amour)』などがある。
2012年フランス大統領選挙では「左派戦線」のジャン=リュック・メランションを支持した。
パリ同時多発テロ事件後にフランス政府は非常事態宣言を発令し、直後に開催が予定されていた第21回気候変動枠組条約締約国会議 (COP21) の際にはデモが禁止されていたが、これに抗議し、デモをする自由を求めた58人による「58人の訴え」に署名している。
2016年6月、政府が労働法典改革と労組や学生組織による反対運動を暴動、騒擾として法的に無効にしようとしたことに反対する『リベラシオン』紙掲載の請願書に署名している。
2017年6月、『白人、ユダヤ人、そして私たち (Les Blancs, les juifs et nous)』の著者で「共和国原住民 (Indigènes de la République)」党のスポークスパーソンでもあるウーリア・ブテルジャを支持する約20人の知識人とともに『ル・モンド』紙掲載の請願書に署名している。「共和国原住民」党は反ユダヤ主義、ホモフォビア、反フェミニズムなどと非難されることが多いため、この請願書に対する抗議が巻き起こった。
2018年5月、エルサレムをイスラエルの首都とするアメリカ合衆国の承認および2018年5月14日のエルサレムでのアメリカ大使館開館後の緊迫した情勢にあって、フランス・イスラエル間の文化交流のための企画「セゾン・フランス-イスラエル」(6月5日にベンヤミン・ネタニヤフ首相とエマニュエル・マクロン大統領による開幕式)を開催することに反対し、ボイコットを呼びかける『メディアパルト』紙掲載の請願書に署名した。
アニー・エルノー賞が設立された。
日本語訳書
著書
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