東広島市(ひがしひろしまし)は、広島県の中央部に位置する市。隣接する 広島市のベッドタウン・衛星都市としての性質をもつ。
ひがしひろしまし 東広島市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
都道府県 | 広島県 | ||||
市町村コード | 34212-2 | ||||
法人番号 | 2000020342122 | ||||
面積 | 635.15km2 | ||||
総人口 | 198,106人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||||
人口密度 | 312人/km2 | ||||
隣接自治体 | 広島市、竹原市、安芸高田市、三次市、呉市、三原市、安芸郡熊野町、世羅郡世羅町、豊田郡大崎上島町 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 | ツツジ | ||||
東広島市役所 | |||||
市長 | 髙垣廣德 | ||||
所在地 | 〒739-8601 広島県東広島市西条栄町8番29号 北緯34度25分35秒 東経132度44分36秒 / 北緯34.4264度 東経132.7433度 東経132度44分36秒 / 北緯34.4264度 東経132.7433度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
中心市街地の西条は、酒都(西条酒)・吟醸酒発祥の地(安芸津の酒)と2つの歴史的な酒処がある日本有数の日本酒の産地で、灘・伏見と並ぶ日本三大酒処である。狭い地域に多くの酒蔵が軒を連ねる「酒蔵通り」には、白壁やなまこ壁、赤煉瓦の煙突など独特な建物が立ち並ぶ。毎年10月には「酒まつり」が催され、多くの観光客が訪れる。1995年に東京から国税庁醸造研究所(現在の独立行政法人酒類総合研究所)が東京より移転してきた。
東広島の景観における赤瓦は特筆すべきものであり、行政の指導ではなく自生的に保持されてきたものである。盆地の周囲を囲む山々や里山のアカマツ林を背景に、赤瓦と白壁の建物が点在し、その手前に水田が広がるという典型景観をなしている。
広島大学を中心とした学園都市開発がなされている。同大学は1973年に広島市からキャンパスの統合移転を決定、旧賀茂郡を移転先として地域計画の検討を広島県に要請。これを受けて県と旧建設省は統合移転地の検討を開始した。
1974年に「賀茂学園都市建設基本構想」を発表、翌1975年に「賀茂学園都市建設基本計画」が策定された。『広島大学統合移転記念誌』によれば、県内十数か所の候補地について検討が行われ、広島市可部地区、佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)のほかに賀茂郡西条町(現在の東広島市)が取り上げられ、移転が決定、都市開発が行われることとなった。賀茂学園都市で地域振興整備公団が担当した「地方都市開発事業」の事業採択面積は500ヘクタールであり、西条地区の広島大学キャンパスが約300ヘクタールでさらに約200ヘクタールの整備区域を必要とした。このため、西高屋地区の丘陵部が開発され「東広島ニュータウン」(高美が丘)が生み出された。都市計画道路西条駅大学線(通称ブールバール)地区は、沿道の公共施設の建設に赤瓦などを用いた点が評価され、1997年に都市景観大賞に選定されている。
1983年4月、高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)が成立した際、東広島市など3市2町が「広島中央テクノポリス」の指定を受けた。これによって高度産業の集積が進み、「広島中央サイエンスパーク」が建設されることとなった。また、東広島市は広島市に隣接しており、ベッドタウン・衛星都市としての性格も合わせ持っている。こうした背景より広島県内では人口増加率が高く、大学教員や留学生、研修生などの外国人も増加している。外国人の登録人口は2023年3月末時点で8,008人であり、人口の約4.2%を占める。
市域は瀬戸内海沿岸から中山間部にまでわたり標高差が大きい。県で最も広い盆地である西条盆地を中心にその周辺に点在する小盆地から構成される。東へは沼田川、南へは黒瀬川、西へは瀬野川と、各河川本流の源流となっている。さらに太田川、芦田川、江の川の支流もあり、北部では中央分水界がかすめている。盆地であるため、寒暖の日較差(昼夜)、年較差(夏冬)が大きい。この気候が酒造りに適している。一方、市の中心部との間を蚊無峠(かなしとうげ)で隔てられた安芸津町は瀬戸内海に面しており、寒暖の差が少なく比較的穏やかである。
市の中央を山陽本線、山陽新幹線、山陽自動車道(山陽道)が東西に横断している。また、南部の安芸津町には呉線が通っている。
広島県道33号瀬野川福富本郷線が志和堀から西志和地区にかけて横断しており、旧福富町地区や広島市安芸区に繋がっている。広島県道46号東広島白木線が志和東から志和堀にかけて縦断しており、八本松地区や広島市安佐北区に繋がっている。
西条の次に人口が多い地区となっている。町内には市立小学校5校、市立中学校2校、県立中高一貫校、近畿大学附属の中高一貫校、近畿大学工学部がある。造賀地区は高屋中学校区であるが、高美が丘中学校区を通らないと行くことができない。さらにスクールバスを利用する場合、西高屋駅付近の道路事情より東西条小学校そばを迂回して通学している。高屋西小学校以外の小学校は,児童の減少が著しい。
市の南西部であり、業者ブランド「黒瀬牛」の生産地である。広島市に近くベッドタウンとしての性格を持つ一方、呉市との結びつきも強い。
黒瀬町内を縦断する国道375号は道幅が狭く交通量が多いため朝と夕方には呉 - 東広島を行き来する車で混雑するが、東広島呉道の黒瀬IC - 阿賀IC間が2012年に開通し、呉へのアクセスが以前より改善されたほか、供用区間の現道の混み具合が緩和された。2015年3月に残りの馬木IC - 黒瀬IC間が完成し全線開通したことで、渋滞の緩和に加えて東広島中心部へのアクセスも良くなっている。
市の北部に位置する。田畑が多く人口は少ない。
久芳地区では、沼田川総合開発の一環で洪水調節、既得取水の安定化、河川環境の保全および水道用水の供給を目的とした福富ダムが2009年に竣工、多くの家屋や田畑が水没し、様変わりが激しい。福富ダム竣工に伴い、国道375号福富豊栄バイパスが一部供用開始し、2008年に道の駅湖畔の里福富がオープン。休憩所や物産施設だけでなく、子供が遊べる遊具やダムが一望できる公園があり、行楽客が市内外から訪れる。
国道375号が町内を縦断しているほか、広島県道33号が志和地区から通っており、三原市本郷地区へと繋がっている。県道33号沿いには、上記の道の駅が設置される前より物産施設などが軒を連ねている。
市の最北部に位置する。人口は少ない。地区の中に旧備後国であった地域が含まれている。江の川水源の魚ヶ筒石神社、ライトプレーン専用飛行場(豊栄飛行場)がある。
市の最東部に位置する。広島空港に近いことや、山陽道河内ICがあることから、物流地域の顔を持つ。住宅団地「グリューネン入野」の整備が1990年代後半から行われている。
市の最南部に位置する。漁業や造船業が盛んである。安芸津の名の由来は、かつて安芸の国の表玄関の港であったことによる。西条にはこの安芸国の国府があったといわれ、現在も国分寺などが残っている。国府から1日の行程の所に港(津)が定められており、古代から重要な関係にあった。また、吟醸酒の産みの親である三浦仙三郎は安芸津出身であり、酒造(安芸津の酒)の盛んな地域となっている。
侵食などにより消滅寸前の小島、ホボロ島がある。木谷の赤崎地区は名の示す通り、真っ赤な赤土の大地の岬である。ホボロ島と同様に火山灰と噴石が固まってできた岩石は鉄分が含まれ真っ赤な色である。しかし同地は水はけが比較的よく程よい保湿力もあるため、特産の「赤碕のジャガイモ」はブランドイモとして出荷されている。安芸津の赤レンガは、赤土の大地から流れ積もった堆積物から造られており、全国の市場シェアの50%を占める生産量となっている。
瀬戸内海式気候であるが、年平均気温は13.7℃と東北の福島市(13.4℃)とほとんど変わらず、西日本の標高200メートル程度の都市としてはかなり低温である。夏は瀬戸内沿岸の地域と異なり熱帯夜はほとんどない。冬は晴れる日が多く、1月の日平均気温2.3℃、平均最高気温7.7℃、平均最低気温-2.6℃と日中は山陰諸都市より気温が上がりにくく、夜間の冷え込みも厳しい。放射冷却がよく効く日には最低気温が-5℃以下まで下がることは珍しくない。そのため冬はスタッドレスタイヤを装着する車が多い。2011年1月31日には観測史上最低気温となる-12.6℃を記録した。
東広島(旧西条町)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.3 (64.9) | 20.7 (69.3) | 23.4 (74.1) | 29.2 (84.6) | 31.4 (88.5) | 34.0 (93.2) | 37.0 (98.6) | 36.7 (98.1) | 35.5 (95.9) | 29.9 (85.8) | 26.5 (79.7) | 20.3 (68.5) | 37.0 (98.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.7 (45.9) | 8.9 (48) | 12.8 (55) | 18.7 (65.7) | 23.6 (74.5) | 26.3 (79.3) | 29.9 (85.8) | 31.5 (88.7) | 27.4 (81.3) | 21.9 (71.4) | 15.9 (60.6) | 10.1 (50.2) | 19.6 (67.3) |
日平均気温 °C (°F) | 2.3 (36.1) | 3.2 (37.8) | 6.6 (43.9) | 12.1 (53.8) | 17.3 (63.1) | 21.2 (70.2) | 25.0 (77) | 25.8 (78.4) | 21.8 (71.2) | 15.6 (60.1) | 9.5 (49.1) | 4.4 (39.9) | 13.7 (56.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.6 (27.3) | −2.1 (28.2) | 0.6 (33.1) | 5.4 (41.7) | 11.1 (52) | 16.6 (61.9) | 21.0 (69.8) | 21.5 (70.7) | 17.1 (62.8) | 10.0 (50) | 3.7 (38.7) | −0.8 (30.6) | 8.5 (47.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −12.6 (9.3) | −11.9 (10.6) | −7.3 (18.9) | −3.8 (25.2) | −0.3 (31.5) | 7.9 (46.2) | 12.7 (54.9) | 13.4 (56.1) | 4.5 (40.1) | −0.8 (30.6) | −4.3 (24.3) | −8.7 (16.3) | −12.6 (9.3) |
降水量 mm (inch) | 46.9 (1.846) | 60.0 (2.362) | 105.0 (4.134) | 120.6 (4.748) | 147.7 (5.815) | 207.4 (8.165) | 253.0 (9.961) | 131.3 (5.169) | 158.2 (6.228) | 106.0 (4.173) | 67.4 (2.654) | 54.3 (2.138) | 1,457.6 (57.386) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.1 | 7.4 | 9.9 | 9.5 | 9.1 | 11.0 | 10.8 | 8.3 | 9.2 | 7.3 | 6.7 | 6.5 | 101.8 |
平均月間日照時間 | 134.6 | 133.8 | 170.4 | 188.4 | 204.5 | 142.2 | 163.9 | 194.3 | 149.5 | 167.2 | 143.2 | 133.6 | 1,925.6 |
出典:気象庁 |
都市としての東広島市の歴史は浅い。1973年に広島大学の統合移転先が旧・西条町に決定したことを受け、大学を中心とした学園都市建設の機運が高まり、1974年に西条町他周辺3町が合併して東広島市となった。市名は広島市の東側に位置することに由来する。
広島大学の敷地内に旧石器時代や縄文時代の遺跡が重なる地域があり、最古のものでは2万2千年前の住居跡が複数見つかっている。これは旧石器時代の人々が岩陰に住んでいたという定説を覆す重要な発見だったが、遺跡地としての整備は行われていない。広島大学移転開始当時は遺跡を省みることなく建設が進められたが、職員からの異論もあり積極的に発掘を行ったところ重要な遺跡が数多く発見された。
西条盆地は弥生時代にムラが爆発的に増加。西本遺跡群や東広島ニュータウン地内遺跡群など県内でも最大規模の遺跡が多く存在する。西条町西東子遺跡からは弥生時代中期の大分県産の土器も出土しており、広く他地域との交流があったものと推定されている。
5世紀には前方後円墳としては県内一の規模である三ツ城古墳が造成された。被葬者はこの地域を支配していた国造級の豪族だと考えられている。同古墳からは小型の鏡や鉄剣、人骨などが出土しており、1982年に国の史跡に指定され、史跡公園として復元整備されている。また高屋町宮領の南にそびえる御山(白鳥山)の白鳥古墳より日本製と考えられる三角縁神獣鏡が出土している。これらの遺物は県内でほかに出土例がなく貴重である。いずれの鏡も、現在、三ッ城古墳横の中央図書館内のガイダンスコーナーに展示されている。
奈良時代には安芸国分寺が建立され、安芸国府がこの地に置かれていたといわれている。現在の西条駅北側には、古代山陽道(太宰府と都を結ぶ重要な道)があり、「御建」(みたて)にはかつて国府の中に祀ることが命じられた祇園社がある。周囲には大蔵、大地面(おおじめ)などの国府の存在を感じさせるような地名が多く残っている。大地面で国府附属施設の特徴を持った建物跡が検出されており、発掘と調査・分析が続けられている。安芸国分寺跡は現在、安芸国分寺歴史公園として整備されている。
国府があったと思われる区域には条里制が施行され、半尾川を境に東条郷と西条郷に分けられ区画された。東條郷と西條郷はやがて東西条(とうさいじょう)の名前に一括され、東西条は旧東広島地域に福富・熊野・広・三津までを含めた呼称となる。
『和名類聚抄』によれば、東広島市内には賀茂、志芳、造果、高屋、入農、訓養、香津、木綿、大弓の9つの郷があったことがわかる。賀茂とは西条地区、志芳とは志和地区、造果とは造賀地区、入農とは入野地区、訓養は「やなくに」と読んで黒瀬地区の柳国、香津は三永地区、木綿は「ゆう」と読み寺家地区、大弓は大山の誤りで八本松地区である。
また、古代山陽道が整備され、『延喜式』によれば、鹿附、木綿、大山の3駅が置かれた。鹿附がどこにあたるのかは不明瞭であるが、『広島県史』は高屋付近を推定している。
平安時代前期、当地にも本格的な律令支配が及び、その後、現在の安芸郡府中町に国府が移ったとされる。当市域の大部分は安芸国の賀茂郡、豊田郡に属したが、一部(現在の豊栄町飯田、豊栄町吉原)は備後国世羅郡に属した。
以後、賀茂郡と豊田郡の境界は幾度か変更されているが、現在の市域は(備後国に属した地区も含めて)すべて賀茂郡に属した期間を有する。平安時代から鎌倉時代にかけては東西条は国衙領であったが、仁治3年(1242年)宣陽門院下文をもって東寺に寄付され東寺の経営となる。また、造賀、志和、高屋などにも荘園が形成され、鎌倉幕府の誕生、承久の乱を経て東国の武士たちがこれらの荘園の地頭に任命された。高屋の地頭となり土着して白山城を居城とし造賀にまで勢力を伸ばした平賀氏、志和の地頭となり土着した天野氏などが知られる。東西条は守護領となったようで、地頭は置かれなかった。
南北朝の争乱がおこると、観応3年(1350年)に山口の大内弘世が安芸国退治と称し、東寺の国衙分者らを糾合して東西条を押領する。貞治3年(1364年)に幕府と和解するが、守護人や国人の反乱に手を焼いた幕府は大内弘世に応安元年(1368年)に東寺雑掌の沙汰で御教書を出し東西条の平定を命じ、これを口実に大内弘世が東西条を制圧する。大内氏は安芸国支配の拠点として西条御薗宇に鏡山城を築城し、西条と瀬戸内海を結ぶ黒瀬川沿いに連絡道と城塞網を築きあげた。大内氏の東西条支配は200年余りに及んだが、戦国期に台頭した毛利元就らの活躍により毛利氏がしばらくの間この地を支配することとなる。毛利氏が関ヶ原の戦い後に防長二国に移された後は、福島正則、そして浅野氏の領地となった。
江戸時代になると東西条は西国街道の宿場町として栄え、四日市宿の本陣は藩内最大の規模を誇った。東は古川、西は半尾川に挟まれた範囲を西條四日市宿という。西条の酒造が始まったのもこの頃だが、この時期には全国的に名が知られたわけではなかった。
また、幕末には志和盆地で神機隊が結成され、そこで訓練が行われた。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初代 | 武則一水 | 1974年5月 | 1978年5月 | |
2-6代 | 讃岐照夫 | 1978年5月 | 1998年5月 | |
7-8代 | 上田博之 | 1998年5月 | 2006年4月27日 | 直腸がんのため死去 |
9-11代 | 蔵田義雄 | 2006年4月28日 | 2017年12月21日 | 交通事故による体調不良により辞職 |
職務代理者 | 槇原晃二 | 2017年12月22日 | 2018年2月4日 | 副市長 |
12-13代 | 髙垣廣德 | 2018年2月4日 | 現職 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 備考 |
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恵飛須圭二 | 当 | 39 | 自由民主党 | 現 | 9,572票 | |
井原修 | 当 | 70 | 自由民主党 | 現 | 9,096票 | |
西本博之 | 当 | 61 | 無所属 | 現 | 8,992票 | |
山下守 | 当 | 59 | 無所属 | 新 | 7,431票 | |
入江寿美代 | 落 | 54 | 無所属 | 新 | 6,873票 | |
大山春江 | 落 | 68 | 無所属 | 新 | 1,434票 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 新谷正義 | 46 | 自由民主党 | 前 | 78,253票 | ○ |
上野寛治 | 39 | 立憲民主党 | 新 | 33,681票 | ○ | |
比当 | 空本誠喜 | 57 | 日本維新の会 | 元 | 28,966票 | ○ |
中川俊直 | 51 | 無所属 | 元 | 21,112票 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 寺田稔 | 63 | 自由民主党 | 前 | 74,362票 | ○ |
野村功次郎 | 51 | 立憲民主党 | 新 | 41,788票 | ○ |
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賀茂学園都市として広島大学や近畿大学がキャンパスを構えることから、人口構成において20歳前後の年齢層が多い特徴が顕著である。
東広島市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 東広島市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 東広島市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
東広島市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
この節の加筆が望まれています。 |
中心となる駅:西条駅
(*印のある主要地方道および一般県道の市内の区間の維持管理権限は2008年(平成20年)6月から広島県から東広島市へ移管)
民話「旦願寺の狸和尚」に出てくる酒好きのタヌキをもとにした「のん太」。1990年の酒まつりのキャラクターとして誕生。西条地域のバスや、道の駅の名前のもとになっている。
市外局番は、黒瀬地区が0823、安芸津地区が0846 (20 - 49)、その他が082 (400 - 409, 420 - 439, 490 - 499) となっている。
なお、以下の地区との通話は市外局番が必要である。
郵便物の集配は以下の郵便局が担当している。
自動車のナンバープレートは「広島」ナンバーである。警察は東広島警察署、消防は東広島市消防局が管轄する。
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