府中市(ふちゅうし)は、東京都の多摩地域中部に位置する市。
ふちゅうし 府中市 | |||||
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府中市の玄関口でメインストリート、参道でもある馬場大門のケヤキ並木 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13206-3 | ||||
法人番号 | 8000020132063 | ||||
面積 | 29.43km2 | ||||
総人口 | 262,407人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 8,916人/km2 | ||||
隣接自治体 | 調布市、稲城市、多摩市、日野市、小金井市、国分寺市、国立市 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | ウメ | ||||
市の鳥 | ヒバリ | ||||
府中市役所 | |||||
市長 | 高野律雄 | ||||
所在地 | 〒183-8703 東京都府中市宮西町二丁目24番地 北緯35度40分08秒 東経139度28分40秒 / 北緯35.66894度 東経139.47764度 東経139度28分40秒 / 北緯35.66894度 東経139.47764度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は約26万人。東京都のほぼ中央に位置し、旧北多摩郡に属する。市名は律令時代に武蔵国の国府が置かれたことに由来し、現在も東京多摩地域の拠点都市のひとつとなっている。 当地以外の国府・府中と区別するため武蔵府中と呼ばれることもある(例:武蔵府中郵便局)。
新宿から22km西方、日本橋からは30km西方に位置する。東京都内では東京23区・八王子市・町田市に次ぎ4番目(市町村では3番目)に人口が多い。
「府中」とは「国府所在地」を意味する地名で、武蔵国の国府が置かれた地であることから「府中」と呼ばれており、これが市名の由来である。地名としての「府中」については、府中市および府中の記事も参照のこと。
1954年4月1日に、府中町(府中駅)と多磨村(多摩村とは異なる)および西府村の1町2村が合併して「府中市」が誕生した。
古代の遺跡が多く、また645年の大化の改新後に武蔵国の国府が置かれるなど、古くから政治や経済と文化の中心地として栄えており、江戸時代は甲州街道の宿場の中でも大きな「府中宿」があった。鎌倉時代にも要衝地域となっており、戦後も多摩地域の主要都市として行政機関・病院等の公共機関が数多く集積する。東京競馬場(府中競馬場)や日本最大規模を誇る府中刑務所が所在することでも有名である。
交通網としては、上記の地理的、歴史的な観点から、現在でも東京都区部近郊の交通の重要な拠点として東西南北(区部・東京郊外・神奈川県および埼玉県)を結んでいる。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に発達していったことが影響している。
なお、京王線府中駅からJR線府中本町駅までのエリアは、東京多摩地域有数規模の繁華街・市街地が形成されている。国道20号線・府中街道・小金井街道に挟まれる様に街が広がっている。多摩地域では立川・町田・吉祥寺・八王子駅周辺に次ぐ規模を誇る。
市内には、行政機関・大企業の研究開発所および工場等の大規模な施設が多く、商業施設や高層住宅は府中駅周辺に多い事からこの一帯の地価は160万円/坪を超える。また、一級河川や雑木林や山があるなど、市域のほとんどが居住に適した平地でありながら、河川に野山、数多くの広い公園や農地緑地など、多くの緑を有している。
夜間人口と昼間人口がほぼ同じなのは、近隣のベッドタウン都市とは違い職住近接した生活環境である事が理由である。歴史がある街の為、地元志向が都心から同距離の国分寺や調布などに比べ高い傾向があり、これらから市民の満足度が高く、市のアンケートでもほぼ全市民が将来も住み続けたい街として回答しており、「生活実感値」満足度都内第1位とされる事もある。
「ほっとするね、緑の府中」がキャッチフレーズとして掲載された。
広島県にも同名の府中市が存在する。自治省(現:総務省)の方針では、同一市名は望ましくないとしていた。市制申請は当市が先であったが、その後に広島県府中市が、市制施行の日付を当市の1日前(1954年3月31日)とした市制申請を行ったことにより、同一市名となった。 地震情報では双方を区別するために「東京府中市」、広島県の府中市は「備後府中」などと区別される。また冒頭記載の通り、郵便局などにおいて「武蔵府中」という名称をとる。
市域全域が武蔵野台地上にある。多摩川中流左岸の河川段丘に広がっており、多摩川対岸に多摩丘陵を望む。市の南辺は多摩川と同じである。北東部に標高約80mの浅間山(せんげんやま)があり、麓からの高さは30m程度である。
市の中央やや南を府中崖線(別名は立川崖線)が、北辺に沿って国分寺崖線が、それぞれ東西に走っている。この崖線(ハケ)の前者の高さは10mから15m、後者は10mから20mである。国分寺市に近い当市武蔵台の一部はこの国分寺崖線上の武蔵野段丘上にある。府中崖線の南側を多摩川低地、両崖線に挟まれた部分を武蔵野台地の立川面、国分寺崖線の北を同じく武蔵野面と呼ぶ。この武蔵野面上の武蔵台3丁目が標高は82mと市内最高標高となっている。
この2本の崖線と浅間山付近を除けば、ほとんどが平坦な土地で可住地面積率は99.7%である。
内陸性気候であり、夏と冬で気温差が激しい。夏は猛暑日が多く2018年に38.8℃、2022年に38.4℃などを観測している。冬の快晴日は放射冷却が発生しやすく、最低気温は都心と5℃以上差が出ることもある。2018年1月には-8.4℃を記録した。
東京都府中市(府中地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.4 (66.9) | 24.1 (75.4) | 28.1 (82.6) | 32.0 (89.6) | 33.5 (92.3) | 36.9 (98.4) | 38.8 (101.8) | 38.9 (102) | 38.5 (101.3) | 32.2 (90) | 26.5 (79.7) | 25.3 (77.5) | 38.9 (102) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.9 (49.8) | 10.8 (51.4) | 14.0 (57.2) | 19.2 (66.6) | 23.7 (74.7) | 26.3 (79.3) | 30.3 (86.5) | 31.6 (88.9) | 27.6 (81.7) | 22.1 (71.8) | 16.9 (62.4) | 12.2 (54) | 20.4 (68.7) |
日平均気温 °C (°F) | 4.5 (40.1) | 5.4 (41.7) | 8.8 (47.8) | 13.9 (57) | 18.5 (65.3) | 21.8 (71.2) | 25.7 (78.3) | 26.8 (80.2) | 23.1 (73.6) | 17.5 (63.5) | 11.8 (53.2) | 6.8 (44.2) | 15.4 (59.7) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.7 (30.7) | 0.3 (32.5) | 3.7 (38.7) | 8.7 (47.7) | 13.8 (56.8) | 18.1 (64.6) | 22.2 (72) | 23.2 (73.8) | 19.5 (67.1) | 13.5 (56.3) | 7.1 (44.8) | 1.6 (34.9) | 10.9 (51.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.4 (16.9) | −8.2 (17.2) | −6.5 (20.3) | −1.6 (29.1) | 4.0 (39.2) | 10.5 (50.9) | 13.5 (56.3) | 15.7 (60.3) | 8.6 (47.5) | 2.3 (36.1) | −2.8 (27) | −7.2 (19) | −8.4 (16.9) |
降水量 mm (inch) | 56.9 (2.24) | 52.4 (2.063) | 113.8 (4.48) | 121.9 (4.799) | 133.1 (5.24) | 166.6 (6.559) | 164.2 (6.465) | 173.4 (6.827) | 246.7 (9.713) | 228.0 (8.976) | 83.2 (3.276) | 58.7 (2.311) | 1,598.9 (62.949) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.9 | 5.2 | 9.1 | 9.2 | 10.6 | 12.5 | 11.9 | 9.7 | 11.8 | 10.4 | 7.1 | 5.1 | 107.6 |
平均月間日照時間 | 201.3 | 178.2 | 179.1 | 180.3 | 179.6 | 123.6 | 148.1 | 178.0 | 130.2 | 138.0 | 158.2 | 182.0 | 1,986.2 |
出典1:平年値(年・月ごとの値) | |||||||||||||
出典2:観測史上1〜10位の値 |
(カッコ内は主な交通手段、順番は鉄道、一般道道路(北から順番に表記)、有料道路)
旧北多摩郡で、大化の改新後武蔵国の国府所在地である事など政治、経済、文化の中心であり、古くから栄えていた事が各資料から判明している。鎌倉時代にも要衝地域として重要な地位を占めており、末期には幕府の存亡をかけた合戦の舞台となった。江戸時代には主要な宿場町として、また近在の物資の集散地として発展する。戦後も多摩地域の主要都市として行政機関、病院群、大企業の研究開発所や工場が数多く集積し、東西南北への複数の鉄道路線が交差している。
1750か所を超える発掘調査が行われており、旧石器時代の尖頭器は若松町一丁目他で発見、縄文時代の土偶も若松町一丁目で発見、分梅町・美好町付近では古墳群が発見されており、旧石器時代の朝日町遺跡や縄文時代の武蔵野公園遺跡・浅間山前山遺跡・天神町遺跡・新町遺跡など数も多い。旧石器時代の礫群も発見されており、加熱調理施設であったと確認された。この時代は狩猟が主であった。
大化の改新後、国司が東国に派遣された際、武蔵国造の根拠地の大宮を避け、比較的早くから屯倉が設置され、古来交通に産業に重要な役割を受持った玉川中流域に面する 府中の地に武蔵国の国府が置かれた。国府は大國魂神社付近であり、発掘調査によって神社東隣に国衙の一部と推定される遺跡を発見、市がその土地を買い取り公開されている。武蔵国の国衙は、8世紀前葉期に建設された事が明らかになってきた。武蔵国の国分寺は国府から約2km、現在の国分寺市内に置かれ、古代の東山道武蔵路は武蔵国府から北上する官道であった。北に向かい川越へ至る「川越道」、鎌倉へ至る「相州道」が南へ続くなど、南北の道路が発達していた。平安時代中期まで武蔵国の中心として機能した。
鎌倉幕府の時代は、古文書の中から重要拠点として記載され、中世の鎌倉街道上道が市内を通る。現在も一部が残り、同名称の街道が併存、新田義貞と鎌倉幕府軍が争った戦場も残る(1333年、分倍河原の戦い)。まいまいず井戸も発見されており、ハケ上に水をもたらし、畑作も行われていた。
江戸時代には甲州街道沿いが整備されて鎌倉街道との交差点周辺を中心とした宿場町として栄えた。周辺の大部分は天領で、川崎定孝(平右衛門)による開拓と用水の整備が進み、田畑の耕作も盛んになる。かつての南北に走る道路にかわり、東西に走る道路が中心となっていく。
明治時代には北多摩郡の郡役所が置かれるなど、中核地を担った。大正時代には複数の鉄道が、昭和には、日本製鋼所東京製作所、東芝府中事業所、日本小型飛行機(株)など相次ぐ設置、軍の施設(府中基地)が置かれ多摩村の一部に掛かる飛行場設置など、かつて盛んであった農業の割合より工業・商業が増えて現代の府中を形作っていった。
第二次大戦後1950年代以後に宅地開発が進み、行政機関、都立病院を含む多くの大病院、日銀を代表とする各銀行の計算センター、大企業の研究開発所および工場の集積も相まって人口が急増し、東京都の拠点都市として発展し続けている。
国府所在地の面影を残し、由緒ある祭りや神社などが残ると共に、国指定・都指定・市指定文化財が多くある。
府中市では、住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されていないため、土地地番を整えて付け直す地番整理による地番となっている。
町名 | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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1964年4月1日 | 未実施 | |||
多磨町二丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
多磨町三丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
多磨町四丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
1963年4月1日 | 未実施 | |||
朝日町二丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
朝日町三丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
1964年4月1日 | 未実施 | |||
紅葉丘二丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
紅葉丘三丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
1964年4月1日 | 未実施 | |||
白糸台二丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
白糸台三丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
白糸台四丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
白糸台五丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
白糸台六丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
1963年4月1日 | 未実施 | |||
押立町二丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
押立町三丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
押立町四丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
押立町五丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
押立町六丁目 | 1963年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
小柳町二丁目 | 未実施 | |||
小柳町三丁目 | 未実施 | |||
小柳町四丁目 | 未実施 | |||
小柳町五丁目 | 未実施 | |||
小柳町六丁目 | 未実施 | |||
1964年4月1日 | 未実施 | |||
若松町二丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
若松町三丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
若松町四丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
若松町五丁目 | 1964年4月1日 | 未実施 | ||
1962年4月1日 | 未実施 | |||
浅間町二丁目 | 1962年4月1日 | 未実施 | ||
浅間町三丁目 | 1962年4月1日 | 未実施 | ||
浅間町四丁目 | 1962年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
天神町二丁目 | 未実施 | |||
天神町三丁目 | 未実施 | |||
天神町四丁目 | 未実施 | |||
1960年4月1日 | 未実施 | |||
新町二丁目 | 1960年4月1日 | 未実施 | ||
新町三丁目 | 1960年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
幸町二丁目 | 未実施 | |||
幸町三丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
府中町二丁目 | 未実施 | |||
府中町三丁目 | 未実施 | |||
1989年4月1日 | 未実施 | |||
緑町二丁目 | 1989年4月1日 | 未実施 | ||
緑町三丁目 | 1989年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
宮町二丁目 | 未実施 | |||
宮町三丁目 | 未実施 | |||
1961年3月1日 | 未実施 | |||
八幡町二丁目 | 1961年3月1日 | 未実施 | ||
八幡町三丁目 | 1961年3月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
清水が丘二丁目 | 未実施 | |||
清水が丘三丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
分梅町二丁目 | 未実施 | |||
分梅町三丁目 | 未実施 | |||
分梅町四丁目 | 未実施 | |||
分梅町五丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
住吉町二丁目 | 未実施 | |||
住吉町三丁目 | 未実施 | |||
住吉町四丁目 | 未実施 | |||
住吉町五丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
四谷二丁目 | 未実施 | |||
四谷三丁目 | 未実施 | |||
四谷四丁目 | 未実施 | |||
四谷五丁目 | 未実施 | |||
四谷六丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
是政二丁目 | 未実施 | |||
是政三丁目 | 未実施 | |||
是政四丁目 | 未実施 | |||
是政五丁目 | 未実施 | |||
是政六丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
矢崎町二丁目 | 未実施 | |||
矢崎町三丁目 | 未実施 | |||
矢崎町四丁目 | 未実施 | |||
矢崎町五丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
南町二丁目 | 未実施 | |||
南町三丁目 | 未実施 | |||
南町四丁目 | 未実施 | |||
南町五丁目 | 未実施 | |||
南町六丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
本町二丁目 | 未実施 | |||
本町三丁目 | 未実施 | |||
本町四丁目 | 未実施 | |||
1961年4月1日 | 未実施 | |||
片町二丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
片町三丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
宮西町二丁目 | 未実施 | |||
宮西町三丁目 | 未実施 | |||
宮西町四丁目 | 未実施 | |||
宮西町五丁目 | 未実施 | |||
1959年4月1日 | 未実施 | |||
寿町二丁目 | 1959年4月1日 | 未実施 | ||
寿町三丁目 | 1959年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
晴見町二丁目 | 未実施 | |||
晴見町三丁目 | 未実施 | |||
晴見町四丁目 | 未実施 | |||
1961年4月1日 | 未実施 | |||
栄町二丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
栄町三丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
1961年4月1日 | 未実施 | |||
武蔵台二丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
武蔵台三丁目 | 1961年4月1日 | 未実施 | ||
1965年4月1日 | 未実施 | |||
北山町二丁目 | 1965年4月1日 | 未実施 | ||
北山町三丁目 | 1965年4月1日 | 未実施 | ||
北山町四丁目 | 1965年4月1日 | 未実施 | ||
未実施 | ||||
西原町二丁目 | 未実施 | |||
西原町三丁目 | 未実施 | |||
西原町四丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
未実施 | ||||
美好町二丁目 | 未実施 | |||
美好町三丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
日新町二丁目 | 未実施 | |||
日新町三丁目 | 未実施 | |||
日新町四丁目 | 未実施 | |||
日新町五丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
本宿町二丁目 | 未実施 | |||
本宿町三丁目 | 未実施 | |||
本宿町四丁目 | 未実施 | |||
未実施 | ||||
西府町二丁目 | 未実施 | |||
西府町三丁目 | 未実施 | |||
西府町四丁目 | 未実施 | |||
西府町五丁目 | 未実施 |
東京都に存在する25市の中で3番目の人口数である。
府中市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 府中市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 府中市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
府中市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
高齢化率20.9%(全国平均25.9%)、子供の割合18.5%(全国平均17.7%)
年と人口の推移は以下の通りである。
年 | 人口 |
---|---|
1950 | 45,342 |
1960 | 82,098 |
1970 | 163,173 |
1980 | 192,198 |
1990 | 209,396 |
2000 | 226,769 |
2010 | 255,506 |
2020 | 262,790 |
2010年に夜間人口(居住者)は255,506人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は246,380人で昼は夜のおよそ0.964倍の人口になる。通勤者・通学生で見ると市内から市外へ出る通勤者65,001人、市外から市内へ入る通勤者は59,555人と通勤者では市外への通勤者の方がやや多く、また学生でも市外から市内へ入る通学生は7,229人で市内から市外に出る通学生10,942人と学生でも昼は市外へ流出する。国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に誤差は生じる。
一般会計予算額927億1000万円(特別会計を含む予算総額1653億400万5千円)。 平成20年度連結経常行政コスト1890億円(334,000円/市民)、収支△809億円。期末純資産残高4641億円(期間変動88億円)。 歳入における地方交付税の割合0.1%(全国平均16.5%)。
新聞の折り込み、希望宅への配布、設置された配布場所、ホームページなどから入手する事が出来る。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 | 備考 |
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小山有彦 | 当 | 45 | 無所属 | 現 | 41,037票 | |
鈴木錦治 | 当 | 65 | 自由民主党 | 現 | 23,335票 | 2023年6月18日死去 |
柄澤地平 | 落 | 32 | 日本共産党 | 新 | 15,329票 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
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小山有彦 | 当 | 41 | 都民ファーストの会 | 現 | 38,381票 |
藤井晃 | 当 | 35 | 都民ファーストの会 | 新 | 27,697票 |
鈴木錦治 | 落 | 61 | 自由民主党 | 現 | 24,959票 |
柄澤地平 | 落 | 28 | 日本共産党 | 新 | 13,502票 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 菅直人 | 75 | 立憲民主党 | 前 | 122,091票 | ○ |
比当 | 長島昭久 | 59 | 自由民主党 | 前 | 115,881票 | ○ |
子安正美 | 71 | 無所属 | 新 | 21,151票 |
府中駅北第2庁舎、市政情報センター(武蔵府中ル・シーニュ内)、東部出張所(白糸台文化センター内)、西部出張所(西府文化センター内)
管轄地域は市域すべて。東京消防庁第八消防方面本部の管轄下に置かれる。日本の消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域の大半の市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、本市もそれに倣っている。
府中市提供「市内の病院一覧」csv
かつては市内全域に1万個以上もの集積型の大きな「ゴミ箱」が配置され、他市民がうらやみ多くの自治体も設置するなど、全国に広がっていった。美化面、無料排出、時間無制限排出の利点があったが、欠点として近隣他市住民が幹線道路沿いの「ゴミ箱」脇に粗大ゴミや無分別を含むをゴミ不法投棄する事件が慢性的に発生し、ゴミ処理費の高止まり、減量の面でも問題が発生した。ゴミ排出量増大、分別不徹底や事業系・市外のゴミの不法投棄を招いているなどの理由により、2010年2月より「ゴミ箱」(ダストボックス)廃止・有料化・個別収集化へ変更した。このダストボックスを廃止し戸別収集へ変更した結果、ゴミ処理費用は5年で約3億4千万円の減額。
府中市が設立した法人・直接関係のある法人
参考
1961年、旧府中町役場に図書館が作られたあと移転や地区図書館が開設されて、市立図書館の蔵書は2019年3月末時点で149万冊を超える。
図書検索予約システムがある(京王沿線7市図書館連携事業により登録した者は利用できない)
詳細は府中市公式ホームページを参照。 府中市公共施設予約システムから利用予約できる施設もある。
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工業都市としても知られ、1937年の日中戦争をきっかけに日本製鋼所や東芝などの大工場が進出し、第二次世界大戦後もサントリー、日本電気(NEC)など多くの工場が進出している。
主な生産物に、コマツナ、多摩川ナシ、ワケネギ、紫黒米(黒米)等がある。様々な府中産農産物が、マインズ農業協同組合の西府支店、多磨支店、中河原駅前支店の農産物直売所、府中駅前の府中特産品直売所、農家設置の直売所などで販売されている。江戸時代は名産品があり、多摩川の御用鮎、府中御用瓜・鳴子瓜・が献上されていた。戦後までは、水田稲作や養蚕が盛んだった。
2002年現在、耕地率6.9%、水田率25.7%。2000年現在、農家率0.4%。2015年現在、農業従事者数1020人。 都市化や高齢化により産業低下がみられることから、平成27年度より「第3次府中市農業振興計画」を策定して、農地を残し「みどりのある住みよいまち」を引き続き目指している。
日本電気(NEC)の府中事業場、東芝の府中事業所、サントリーの武蔵野ビール工場、読売新聞の府中工場(読売プリントメディア)など、大規模な工場がある。2000年現在、第二次産業就業者数26,005人。
京王線の府中駅近辺には複数のショッピングビルがあり、店鋪が集中している。そのほか、小売店は鉄道各駅や幾つかのバス停留所付近に集中している。また、大東京綜合卸売センター(市場)が市南西部に立地する。また日鋼町の日本製鉄所東京事業所跡にできた府中インテリジェントパークは、日本銀行や各銀行の電算センターや各社の研修センターなどが集積しており、新たな企業拠点となった。公営競技施設では、東京競馬場(府中競馬場)や多摩川競艇場がある。2000年現在、第三次産業就業者数84,594人と多くを占めている。
大國魂神社、郷土の森博物館の花見、ビール工場見学、美術館などに訪れる観光客もいるが、府中市観光情報センターでは、数種類の市内観光ミニツアーを行っている。A:史跡コース、B:自然と仏閣コース、C:伝説コース、D:府中宿コース。また「府中市観光ガイド」を発行 [3]。市役所は 府中観光情報 を提供している。
京王線府中駅周辺エリアは、東京多摩地域有数規模の市街地が広がっている。多摩地域では立川・町田・吉祥寺・八王子駅周辺に次ぐ規模である。古くは国府所在地として、今でも関東地方の交通の要衝である。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に放射状に交通網が発達していった事が大いに影響している。地理的、歴史的な観点から現在では国道16号圏内と東京都区部までの間における、環状連絡線の要衝結節点として東西南北(区部、東京郊外、神奈川県および埼玉県)を結ぶ。
道路網では甲州街道国道20号、中央高速道等の幹線を介して東西の区部と郊外とを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶ。
鉄道網では武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、東京の東西拠点の区部と郊外方面(八王子、立川)を京王線、南武線で結び、南方の神奈川県溝口・川崎方面を南武線で、北方の埼玉・千葉方面(所沢・浦和・越谷・三郷・松戸・船橋)を武蔵野線で結ぶ。また、市内東部地区の南北方向に西武多摩川線が武蔵境駅経由で中央線沿いの市区町村と連絡している。
市内は路線バス網が充実しており、中央線の各駅から府中市方面に向かって、多くの路線が乗り入れている。
京王電鉄京王線と競馬場線、JR南武線、JR武蔵野線、西武鉄道多摩川線が市内を通る。市の北端の一部(西国分寺駅(国分寺市)の西側の武蔵台三丁目)をJR中央本線がかすめているが、駅は無い。但し、先述の武蔵台地区は西国分寺駅が最寄りとなる。
かつては中央本線国分寺駅から分岐する形で市内へ下河原線が存在した(後に一部が武蔵野線となった)。
主要な道路は、市の中心部から東西南北に伸びている。古くは、鎌倉街道、甲州街道が幹線となった。甲州街道は国道20号線となり、バイパスが造られそれらが国道に、かつての道が都道となっていった。更にそのバイパスとして、中央自動車道、東八道路が造られた。
詳細は、市役所ホームページ を参照。
市内は武相地区運賃になるため、一般路線バスの運賃は乗車区間によって異なる(2018年現在初乗り現金180円、IC運賃175円)。このため、後乗り前降り運賃後払い式である(市東部を走行する一部路線とコミュニティバスを除く)。
以前には多摩川の渡し舟(満願寺の渡し(谷保の渡し)、石田の渡し、一宮の渡し、関戸の渡し(中河原の渡し)、是政の渡し(大丸の渡し)、常久河原の渡し)が設けられたが、現在では廃止されている。
隣接する調布市(一部三鷹市)の調布飛行場から伊豆諸島(新島の新島空港、大島の大島空港、神津島の神津島空港)への航空路がある(新中央航空)。
50cc未満の原動機付き自転車へ対して「範馬刃牙(はんまばき)」のご当地ナンバーも配布されている。軽自動車(二輪、四輪)は、軽自動車検査協会より「多摩」ナンバー、それ以外の四輪車と二輪の小型自動車は東京運輸支局の多摩自動車検査登録事務所より「多摩」ナンバー を割り当てられている。
浅間山 : 標高約80m。かつて多摩川によって削られて残った丘。山全体が公園となっており絶滅危惧種ムサシノキスゲが自生している珍しい地域。
日本スペースガード協会が2000年8月に発見した小惑星41484番を「ムサシフチュウ」と名付けた。これは、講演会など天文普及活動で同協会と協力関係にある府中市郷土の森博物館に命名が依頼されたもので、国際天文学連合は2017年4月に公式決定した。
イベントは、大國魂神社、郷土の森、府中公園を中心に市内各地で行われている。(イベントカレンダー(府中観光協会) も参照)
日本一・日本初・大きな出来事や珍しい事柄。
府中市は「ふちゅうロケーションサービス」というフィルム・コミッションを行っており、撮影は各所にて頻繁に行われている。
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