後期旧石器時代

後期旧石器時代(Upper PaleolithicまたはUpper Palaeolithic、Late Stone Age)は旧石器時代の3番目で最後の区分である。概して概ね現代的行動の出現に合致し農業の出現以前の(完新世の始まりである)5万年前から1万年前に遡る。

後期旧石器時代
37000年から33500年前のショーヴェ洞窟のサイの絵

この生活習慣が遺物の多様性において著しく増加する約5万年前まで中期旧石器時代旧人類から殆ど変化がなかったが、解剖学的現代人類(例:ホモ・サピエンス)は約2万年前に現れたと信じられている。この時期はネアンデルタール人の絶滅英語版の一因となるユーラシアを通じた現代人類の拡大と合致している。

後期旧石器時代には貯蔵穴のあるものでキャンプ場の形態における組織された集落の証拠として知られる最初期のものがある。芸術作品英語版が洞窟画やペトログリフ、骨や象牙への彫刻と共に花咲いた。人類の漁業の最初の証拠は、南アフリカのブロンボス洞窟英語版のような場所の人工遺物からも発見されている。もっと複雑な社会集団が更に変化に富み信頼できる食料源や特別な道具類に支援されて発生した。このことは恐らく集団認識や民族の増加に寄与した。

5万年前から4万年前までに最初の人類がオーストラリアに上陸した。4万5000年前までに人類はヨーロッパの北緯61度に暮らした。3万年前までに日本に到達し、2万7000年前までに人類は北極圏内のシベリアで暮らしていた。後期旧石器時代の終わりには人類のある集団がベーリング地峡を渡り、急速に北米と南米の各地に広まった。

生活習慣と技術

ホモ・エレクトスネアンデルタール人は共に同じ未加工の石器を用いた。考古学者リチャード・クライン英語版は古代の石器について広く働いていて、古代のヒト科の石器を分類するのは不可能であると述べている。まるでネアンデルタール人が石器を作ったようであり、最終的な形式については大して考慮していなかった。アジア、アフリカ、ヨーロッパを問わずほぼ世界中で5万年前より前に石器は全て一様で洗練されたものではないと主張している。

第一にアフリカの人工遺物の中に考古学者は尖峰や彫刻道具、ナイフの刃、先行道具のような多くの異なる分類に5万年以下の人工遺物を識別し分類できることを見出した。この新しい石器分類は、各々から明瞭に識別されるとされていて、それぞれの道具は特定の目的があった。一般にヨーロッパの初期の現代人類英語版として言及される侵入者は、多くの洗練された石器や骨や象牙鹿角洞窟壁画ヴィーナス小像の彫刻を残した。

ネアンデルタール人はムスティエ文化石器技術と恐らくシャテルペロン文化の技術を使い続けた。この道具は約4万年前にネアンデルタール人自身が化石の記録から消えるのと同じ頃に考古学的記録から消えた。居住者はしばしば恐らく通過する動物の群れの狩りと関係のある狭い渓谷の麓に暮らした。一般には季節的な利用であったようであるが、一部は年間を通して利用した可能性があり、人々は一年の異なる時期に食料源を求めて遺構間を移動した。狩りは重要であり、カリブー・野生のトナカイは「狩りに関するあらゆる人類学文献において最も重要な種であるようである。」

単純で短い剥片石器から、より洗練された石刃英語版製造技術ブレード技法は、産業英語版における重要な発展をもたらした。彫器、石のみ、刻刀英語版掻器、横型削器英語版、縦型の石匕などの新しい石器は、骨や鹿角、革の加工に用いられた。上級のダーツ英語版も、この時期に釣り針油灯ロープと共に現れた。

人類の行動における変化は、各地の地球規模の温度下落を含む気候変動の結果であると考えられている。このことは最終氷期の(一般にはしかし最終氷河時代と誤って呼ばれているが)既に厳しく寒くなっている状態の悪化をもたらした。このような変化は使える材木の供給を減少させ他の資材に目を向けさせた可能性がある。更に燧石は低い温度で不安定になり、道具として機能しなかった可能性がある。

一部の学者は、複雑な言語や抽象的な言語の出現がこの行動を可能にしたと主張している。新しい人類の能力の複雑さは、協同の意思疎通や論理的な意志疎通の出現が文化の発展の新時代を築く一方で、人類が4万年前には計画や展望に対しては能力が低かったことを暗示している。

気候と地形の変化

後期旧石器時代 
2万年前の欧州最終氷期最盛期の移住
  ソリュートレ文化と原始ソリュートリアン文化

ヨーロッパのこの時期の気候は、激しく変化し、相対的に早い温暖化の前の末期には最も寒かった26500年から1万9000年前頃に終期を迎える最終氷期の最も寒い時期である最終氷期極大期が含まれた(時期は全て地域や研究により多少異なる)。最大期には北ヨーロッパの殆どは現代のイタリアやバルカン半島イベリア半島の一部や黒海周辺地域などの最終氷期最大期の退避地英語版として知られる地域への移住をせざるを得なかった氷床に覆われた。

この時期はフランスやスペインのソリュートレ文化のような文化が見られた。人類の生活は、氷床の上で続いた可能性があるが、何も分からず、ヨーロッパの氷河に先立つ人類の生活については殆ど分っていない。3万年前頃に到るこの時代の早期には、多雨と今日より低温のムスティエ多雨期英語版サハラなどの北アフリカを作り、多雨期が終わるとサハラは乾燥地になった。

最終氷期最大期は約1万3500年前から1万3800年前に起きた温暖で湿潤な地球規模の亜間氷期であるAllerød振動英語版が続く時期であった。当時北ヨーロッパの多くの地域に亜寒帯気候を齎した寒冷で乾燥したヤンガードリアス期後期の恐らく10年程度の短い非常に急速な襲来があった。気温の前亜寒帯英語版上昇も、1万300年前頃に急激に始まり、9000年前頃の終期までに気候は温暖化したが今日の水準に近い温度を齎した[要出典]。この時期は後期旧石器時代が次の中石器時代文化期の始まりへと移行する時期であった。

氷河が後退すると海面が上昇し、イギリス海峡アイリッシュ海北海は、当時陸地であり、黒海は真水の湖であった。特にアドリア海エーゲ海の北を除いて地中海の海岸線が幾分後退していたが、大西洋の海岸線は、当初は殆どの地域で現在で言う海に遠かった。海面上昇は少なくとも7500年前(紀元前5500年)まで続いたために、一部の手掛かりが釣り船や海洋考古学により北海に覆われた失われた地域である特にドッガーランドから発見されているが、後期旧石器時代のヨーロッパ沿岸沿いの人類の活動の証拠は、殆ど失われている[要出典]

時系列

後期旧石器時代 
ヨーロッパでの後期旧石器時代の芸術の発見地図

5万年前-4万年前

5万年前

  • たくさんのアボリジニの石器がオーストラリアのシドニーのキャッスルリーフ英語版砂利堆積物の中で発見された。この発見物が発見された当初は異論が多かったが、同じ地層の最新の年代決定は、この年代を修正し傍証している。
  • 北アフリカでムスティエ多雨期英語版が始まる。

4万5000年前–4万3000年前

  • 現代人類の最初期の証拠がヨーロッパ(南イタリア)で発見される。

4万3000年前–4万1000年前

4万年前-3万年前

4万年前–3万5000年前

後期旧石器時代 
ローセルのヴィーナス(後期旧石器時代(グラベティアン)の彫刻)

35,000 BP

  • ドン川中流のコステョンキ第17層(コステョンキ遺跡英語版)の層は、早期の後期旧石器時代スピツイン文化に占領された。

30,000 BP

後期旧石器時代 
ブラサンプイのヴィーナス英語版がパリ近郊のサン=ジェルマン=アン=レー国立考古学博物館英語版に保存されている。

3万年前-2万年前

2万9000年前–2万5000年前

  • ルーマニアシオマドゥル英語版山の最後の噴火
  • ドルニーヴェストニチェのヴィーナス英語版(チェコ共和国)。世界最古の陶磁器である。
  • パヴィランドのレッドレディ英語版が2万9千年-2万6千年前頃に暮らしていた。最近の証拠は、この男性が酋長であったことが明らかになってきている[要出典]
  • 北京市で人類の入植。中国は2万7000年前-1万年前頃に遡る。

24,000 BP

  • 北アフリカで第二次ムスティエ多雨期英語版開始

23,000 BP

  • ぺトルコヴィチェのヴィーナス英語版がチェコ共和国オストラヴァぺトルコヴィチェで作られる。現在ブルノの考古学研究所にある。

22,000 BP

21,000 BP

  • 人工遺物は初期の人類活動がオーストラリアキャンベラのある地点で起こったことを示唆している。この地域での入植の考古学的証拠は、住民がいる岩陰遺跡岩陰芸術英語版、埋葬地、要塞と採石場、石器と装置を含む。
  • 北アフリカで第二次ムスティエ多雨期英語版終了

2万年前-1万年前

後期旧石器時代 
ラスコー洞窟(世界遺産
  • 最終氷期極大期:多くの沿岸や低い川辺の谷の考古学的関心を持たれている場所が今日水面下にある直接の結果と共に海面は115 ± 5メートル (377 ± 16 ft)現在より低かったと考えられている。

1万8000年前

1万7000年前

1万5000年前

1万4000年前

後期旧石器時代 
泳ぐトナカイ英語版(1万3000年前に作られる)

1万3000年前

1万2000年前

1万1000年前

  • アルゼンチンで人類入植の最初の証拠
  • アーリントンスプリングスマン英語版がアメリカ合衆国カリフォルニアの沖合のサンタロサ島で死去する。
  • 人類は依然メキシコユカターンの沖合にある洞窟で暮らしていた。
  • イングランドヘンギストベリヘッド英語版でのクレスウェリアン文化英語版の入植がこの年頃に遡る。

1万年前

文化

後期旧石器時代 
トナカイ時代の物

フランコカンタブリアン地域英語版の後期旧石器時代:

  • シャテルペロン文化は中央フランスや南西フランス、北スペインのあたりに位置した。ムスティエ文化に由来するようで、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの重なる時代に相当する。
  • オーリニャック文化はヨーロッパと南西アジアにあり、4万3000年前から3万6000年前にかけて栄えた。ペリゴルディアン英語版(先立つシャテルペロン文化と後のグラヴェティアン文化の疑義の多い集団)と同時代であった可能性がある。
  • グラヴェット文化はヨーロッパを通じて存在した。グラヴェティアンの遺跡は、一般に3万3000年前から2万年前に遡る。
  • ソリュートレ文化は東フランスやスペイン、イングランドにあった。ソリュートリアンの人工遺物は、2万2000年前から1万7000年前にさかのぼっている。
  • マドレーヌ文化はポルトガルからポーランドにかけて1万7000年前から1万2000年前の時期に証拠を残した。
  • 中欧と東欧:
  • 北アフリカと西アフリカ、サハラ砂漠:
    • 3万2000年前:アテリアン文化(アルジェリア、リビア)
    • 1万2000年前:イベロモルジアン英語版(別名:オラニアン、ウシュタニアン)とセビリアン文化
    • 1万年前:カプサ文化(チュニジア、アルジェリア)
  • 中央アフリカと南アフリカ、東アフリカ:
    • 5万年前:フォーレスミス英語版文化
    • 3万年前:スティルバヤン文化
    • 1万2000年前:ルペンビアン文化
    • 1万1000年前:マゴシアン英語版文化(ザンビア、タンザニア)
    • 9000年前:ウィルトニアン文化
  • 西アジア(中東を含む):
  • 南アジアと中央アジア、北アジア:
    • 3万年前:アンガラ川文化
    • 1万1000年前:ハンディヴィリ文化
  • 東アジアと東南アジア:
    • 5万年前:ホモ・エレクトス・ソロエンシス英語版文化
    • 3万年前:先土器文化
    • 1万6000年前:縄文時代古代日本で始まる。
    • 1万2000年前:前縄文陶器文化(日本)
    • 1万年前:ヴァンホアホアビン文化(北ベトナム)
    • 9000年前:縄文文化(日本)
  • オセアニア

関連項目

参照

  • Gilman, Antonio (1996). "Explaining the Upper Palaeolithic Revolution". Pp. 220–239 (Chap. 8) in Contemporary Archaeology in Theory: A Reader. Cambridge, MA: Blackwell.

外部リンク

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