牟田 悌三(むた ていぞう、1928年10月3日 - 2009年1月8日)は、日本の俳優、社会福祉活動家。村上事務所所属。世田谷ボランテイア協会理事長。グループ・てえぶら代表取締役、朝日スタジオ取締役。劇団テアトル・エコーの創設メンバー。本名同じ。
むた ていぞう 牟田 悌三 | |
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本名 | 牟田 悌三 |
生年月日 | 1928年10月3日 |
没年月日 | 2009年1月8日(80歳没) |
出生地 | 日本・東京都 |
死没地 | 日本・東京都目黒区 |
ジャンル | 俳優 |
活動期間 | 1950年代 - 2008年 |
主な作品 | |
テレビドラマ 『ケンちゃんシリーズ』 『3年B組金八先生』 『大地の子』 |
東京府豊多摩郡中野(現在の東京都中野区)で生まれる。テレビ放送の黎明期から、主にホームドラマで活躍した。
北海道大学農学部在学中にNHK札幌放送劇団に入団。同期には高垣葵・石山透(共々のちに脚本家)・声優の若山弦蔵がいた。恵迪寮OB。
大学卒業後は東京に戻り、テアトル・エコーに参加。プレーヤーズ・センター、東京タレントクラブ、グループ・てえぶら、全音プロ、富士企画、パイレーツ・コーポレーションなどに所属していた。
1970年代の「ケンちゃんシリーズ」での父親役が当たり役となり、温厚な人柄が全国の視聴者の人気を集めた。
一方、『俺はご先祖さま』の草壁周助役を演じ、話題になった。
70年代から80年代にかけての刑事ドラマでは鬼気迫る犯人役を演じることも少なくなかった。
以降はTBSラジオの番組『牟田悌三・あなたのための税金相談』のパーソナリティを務めたり世田谷区のボランティア協会で活動を行い、子ども向け電話相談のチャイルドラインの普及に尽力した。2000年度の吉川英治文化賞受賞。5・4制推進論者でもある。また、ボランティア協会での活動については自らの著書『大事なことはボランティアで教わった』でも紹介されている。温かみのある独特の話し方でナレーション業も行っていた。
プライベートでも子だくさんのよき父親として知られ、家族でテレビに出演したこともある。
2009年1月8日、世田谷区深沢の自邸で入浴中に倒れて病院に緊急搬送され応急措置がとられたが午後11時33分、虚血性心不全で死去した。80歳没。『ケンちゃんシリーズ』で親子役で共演した宮脇健は「実の父親が逝ったようだった」と牟田をしのんだ。牟田の告別式に参列した宮脇は「(棺の中の顔は)ドラマで共演しているときと同じ笑顔でした。これからも見守ってください」と泣き崩れていた。墓所は多磨霊園(12区1種10側)。
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