生田 斗真(いくた とうま、1984年〈昭和59年〉10月7日 - )は、日本の俳優、タレント。北海道室蘭市出身。弟はフジテレビアナウンサーの生田竜聖。妻は女優の清野菜名。
いくた とうま 生田 斗真 | |||||||||||
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生年月日 | 1984年10月7日(39歳) | ||||||||||
出身地 | 日本・北海道室蘭市 | ||||||||||
身長 | 175 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 俳優、タレント | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 | ||||||||||
活動期間 | 1996年 - | ||||||||||
配偶者 | 清野菜名(2020年 - ) | ||||||||||
著名な家族 | 生田竜聖(弟) | ||||||||||
事務所 | ジャニーズ事務所→SMILE-UP.(1996年 - 2023年) フリーランス(2023年 - ) | ||||||||||
公式サイト | toma-ikuta | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』 『ハチミツとクローバー』 『魔王』 『ヴォイス〜命なき者の声〜』 『魔女裁判』 『遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜』 『軍師官兵衛』 『ウロボロス〜この愛こそ、正義。』 『いだてん〜東京オリムピック噺〜』 『俺の話は長い』 『書けないッ!?〜脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活〜』 『鎌倉殿の13人』 『幸運なひと』 『警部補ダイマジン』 映画 『人間失格』/『ハナミズキ』 『源氏物語 千年の謎』 『僕等がいた』/『脳男』 『土竜の唄』シリーズ 『予告犯』/『グラスホッパー』 『彼らが本気で編むときは、』 『先生!、、、好きになってもいいですか?』 『友罪』/『湯道』 教育番組 『天才てれびくん』 | |||||||||||
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生誕から2歳まで北海道室蘭市で過ごす。1996年、SMAPのファンだった母親が「SMAPに会えるかも」と考えたことをきっかけに母親が履歴書を送り、オーディションに参加して採用される。11歳でジャニーズ事務所に入所し、ジャニーズJr.として活動を開始する。その2か月後から2年間、教育番組『天才てれびくん』(NHK教育)にてれび戦士として出演。番組の企画でウエンツ瑛士・前田亜季らとバンドを組み、ストロベリーパフェとしてCDデビューを果たした。なお、生田は個人としてのCDデビューはしていない。
1997年、NHK連続テレビ小説『あぐり』で子役としてデビュー。また、同年に松本潤、相葉雅紀、二宮和也とジャニーズJr.内ユニット・MAINを結成。
2003年2月14日、堀越高等学校を卒業。同級生に尾上松也がおり、卒業後も交流がある。
その後も数々のドラマや舞台に出演し、2007年夏に放送されたテレビドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』(フジテレビ)に中津秀一役で出演したことにより知名度を高め、注目されるようになる。同作では第54回ザテレビジョン ドラマアカデミー賞・助演男優賞と第11回日刊スポーツ・ドラマグランプリ・助演男優賞を受賞した。
2011年、主演映画『人間失格』と『ハナミズキ』でジャニーズ初のキネマ旬報ベストテン新人男優賞とブルーリボン賞新人賞を受賞。
私生活では、2015年1月期放送の『ウロボロス〜この愛こそ、正義。』での共演を機に交際していた女優の清野菜名と、5年の交際期間を経て2020年6月1日に婚姻届を提出し結婚、同月5日、2人の連名で発表した。挙式や披露宴は未定。
2021年6月27日、公式Instagramを開設。
2021年10月22日、妻の清野菜名が第1子を妊娠していることが報じられ、2022年3月9日、第1子が誕生したことを報告した。
2023年11月7日、同年11月20日を以ってSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)を退所し、フリーランスの俳優として活動していくことを発表した。
2023年11月20日、公式会員制ブログを更新し、「この場所で愛する仲間たちに出会えた事は僕の財産です。彼らに恥じぬよう、負けぬよう、精進します。27年間、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を記し、SMILE-UP.を退所してフリーランスの俳優となった。
かつてはKinKi Kidsら先輩のバックで踊ったり、1998年6月に同期の山下智久と2人でB.I.G. East(同年9月には新たに5人が加わりB.I.G.へ改名)として、2002年には山下、風間俊介、長谷川純の4人でジャニーズJr.内ユニット・Four Topsとして活動したりもしていたが、歌手業を主とするジャニーズ事務所に所属しながら俳優としての活動に重きをおくようになったため、“異色のジャニーズ”と言われる。MAINとして活動していた当時は“第2のキムタク”と評されるなど世間から大きな期待が寄せられていた。しかし、生田はMAINの中では唯一嵐のメンバー選考で落選し、このことに関して「仕事の厳しさを思い知った」と語っている。
嵐や関ジャニ∞ら同期がCDデビューする中で学生の頃には自らの進路についても悩んだが、その頃に共演した「劇団☆新感線」の団員らの舞台での楽しそうな姿を見て「格好いい」と感じ、また、物作りの楽しさにも魅了され、芸能活動続行を決意した。
俳優として演じる側のみならず、2018年に第40回ぴあフィルムフェスティバルのメインプログラムであるコンペティション部門「PFFアワード」の最終審査員にも選ばれ、グランプリのプレゼンターも務めた。
サッカーが好きで、小学校1年生からジャニーズ事務所に入る小学5年生まで地元のサッカークラブに所属していた。20代前半の頃からは日本舞踊を習っている。
綺麗好きで、趣味は掃除と洗濯、除菌。
ユニットとしての出演はMAIN、B.I.G. East、B.I.G.、Four Topsを参照。個人での出演のみ記載。
※主演作品は太字
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