寺内町(じないちょう、じないまち)とは、中世後期から近世前期の日本において、浄土真宗により建設された仏教寺院・道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことである。濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。
寺内町の呼称は町の全域が寺院の境内とみなされたことから生じたもので、参詣者相手の商業地として寺院の境外に形成された門前町とは異なる。
寺内町は歴史の中で衰退・消滅していった都市・町も存在するが、現代まで存続した町では重要伝統的建造物群保存地区制度を活用した富田林、今井の他、各寺内町でその歴史的景観を生かした街作りが行われている。
寺内町とは中世後期から近世前期に浄土真宗の他、禅宗・法華宗・日蓮宗などの各宗派により建設された都市である。寺内町の多くは環濠で囲われ寺院等の宗教施設、坊主など宗教関係者の居住域、信仰者たちの町屋敷などで構成されている。特に吉崎御坊、山科本願寺、大坂本願寺は支配拠点として戦国期城下町との類似性を見せ、山科本願寺は日本初の城塞都市と評価されている。また大坂本願寺には「大やくら」が建造されるなど、同時代においてその防御性は特筆すべきものであった。
各寺内町の成立は概ね中世後期の戦国期に集中するが、豊臣秀吉の寄進により天正13年(1585年)に成立した摂津国・天満や、徳川家康の寄進により慶長12年(1607年)成立の河内国・八尾のように近世前期に誕生した寺内町も存在する。建設範囲は畿内先進地域を中心に、九州・筑前国の博多や北陸地方など日本列島の広域に及んでいる。
寺内町の多くは領主より検断権を獲得し、住民による自治が行われていた。また領主から座特権の公認や公事、徳政、国質・所質などの免除を獲得し、住民の年貢負担も低く抑えられていた。
寺内町は宗教、経済、政治の統合が成された中世都市の最も高度な達成形態の一つとされ、宗教史・民衆史・都市史など多方面からの研究が行われている。
本願寺勢力や一向一揆勢力の強かった中部地方や近畿地方に多い。
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