塩屋 翼(しおや よく、1958年6月24日 - )は、日本の声優、俳優、音響監督。鹿児島県出身。神奈川県川崎市育ち。ラクーンドッグ所属。
しおや よく 塩屋 翼 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 | 塩屋 翼(しおや つばさ) |
愛称 | ヨクちゃん |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・鹿児島県、神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1958年6月24日(65歳) |
血液型 | B型 |
職業 | 声優、俳優、音響監督 |
事務所 | ラクーンドッグ |
著名な家族 | 塩屋浩三(兄) |
公式サイト | 塩屋翼|ラクーンドッグ |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 170 cm / 68 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1972年 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え |
デビュー作 | 『ユリシーズ』 トリトン(『海のトリトン』)アニメデビュー |
俳優活動 | |
活動期間 | 1966年 - |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
デビュー作 | 『記念樹』 |
兄と妹がいる。兄は声優の塩屋浩三。
鹿児島県で誕生し、小学校入学前の5歳の頃より神奈川県川崎市育ち。
1966年、小学2年生の8歳の時、劇団ひまわりに兄と一緒に入団。子役としてテレビドラマ『記念樹』で俳優デビュー。当初は、中学かその辺で「やめようか」と思っていたが、結局、「やめるか」と聞かれ、「いやだ」と言ってやめないで来てしまったという。俳優として映画やテレビドラマに出演していた。子役時代にときどき洋画の子供の声もあてており、そのうち、生の芝居とアテレコの仕事が半分ぐらいずつになったという。小学6年生か中学1年生の頃、海外映画『ユリシーズ』の吹替えで声優デビュー。当時は母親にスタジオまで連れて来てもらって、セリフを全部暗記してアテレコに臨んでいたという。中学2年生の時にオーディションを受けて合格し、アニメでの初めてのメインキャラクターでもあるテレビアニメ『海のトリトン』の主役トリトンでアニメデビュー。その頃は、アルバイトのような気でおり、将来のことを考えたりはしていなかったという。日本俳優連合の所属メンバーでは当時最年少だった。攻玉社高等学校卒業後は、舞台にも精力的に活動。高校時代は「何になりたい」というのもなく、「このまま卒業しても、あまりいい大学へも入れないだろう」と思い、1982年時点ではそのまま仕事を続けていたという。夢だと思っていたことから「役者になれる」とは思っていなかったという。モダンバレエの稽古にも通い始めて、演劇の勉強も始める。
自称「中途はんぱ人間」であり、1981年時点では音楽が好きで作詞・作曲をし、自分の歌のように製作しようと子供の頃していたピアノを再びやり始めていた。しかし「人前で発表したい」、「プロになりたい」といった気はなかったという。高校時代にはギターに夢中になっていたが、結局やめており、所属していた放送部も中途半端に終わっていたという。
太陽プロモーション、JKプランニング、劇団櫂、青二プロダクション、ウイットプロモーション、九プロダクション、プロ・フィット(声のみ所属)などを経て現在はラクーンドッグに所属。音響監督としてはオムニバスプロモーションを経てサウンド・ウィングに所属。
落語の公演をしていた時期があり、噺家として春空亭つばさの名前を持つ。
『科学忍者隊ガッチャマン』ではシリーズを通して「つばくろの甚平」役として出演。放映当時はまだ14歳であり、2年続いた第1シリーズの終盤から声変わりが始まって徐々に大人の声になっていった。その後、1980年代から1990年代にかけて主役・脇役を問わずアニメから吹き替えまで幅広く活動した。
2000年代以降は音響監督やプロ・フィット声優養成所の講師、現在はラクーンドッグ声優養成所の講師としても活動している。それに伴い声優としての活動は減少したが、『伝説巨神イデオン』のユウキ・コスモ、『聖闘士星矢』の海魔女のソレントなど過去に出演した役を演じたり、音響演出を担当した作品で端役やエキストラとして出演することもある。
2010年代からは『ジョジョの奇妙な冒険』のウィル・A・ツェペリ役など、散発的ながらも新規の役で出演するようになっている。
2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第19位に選ばれる。
声種はソフトで高くもなく、低くもなく。中学3年生の時に声変わりしたという。
役柄としては、少年役、コメディリリーフ的な役が多い。テレビアニメ『海のトリトン』のトリトン、『伝説巨神イデオン』のユウキ・コスモの二つの作品で主役を演じ、『ブレンパワード』にも出演するなど多くの富野由悠季の作品に出演している。
『海のトリトン』に関しては画がなく、何も見ないで収録することが多かったという。当時は中学生だったことから、放課後の午後4時頃から始めて、夜の10時まで、1話平均で6時間ぐらいであり、録音監督の浦上靖夫の演出に鍛えられたところがあるという。浦上の場合、「画に合わせるという基本的なものと同時に、気持ちで喋ってほしい」と述べており、その頃までは一生懸命やれば何事もすまされるようなところもあったが、浦上はそういうものでは満足できなかったという。浦上が要求していたのは、「SF作品ですからトリトンのような人は現実にはあり得ないのですが、想像力を働かせて、実際にトリトンの気持ちになって演じきってほしい」ということであり、キャラクターの気持ちになりきるという演じ方があるんだということはその時に初めて知ったという。当時は変声期の前であり、ボーイソプラノを出すことが出来たという。男性の子役がアニメの主役を演じることは、当時、少し珍しく、それまで少年役の声優は、女性の人物の独擅場になっており、少年役を演じた男性声優の第一号という。小原乃梨子とは2人で最後までトリトン役を争ったという話をあとで聞いたことがあり、1999年時点で小原には「翼に仕事を取られた」と会うと言われるという。富野は、『海のトリトン』との関連について当時は無知であり、『海のトリトン』に富野がかかわっていたというのを知ったのはだいぶ経ってからなんだという。
『伝説巨神イデオン』の時は、浦上が独立して設立したAUDIO PLANNING Uに呼ばれて行っていたという。コスモ役のオーディションだということは聞いていたが、1人だけ呼ばれ、そこで初めて富野に会ったという。富野から「君の声を録ってみて聞いたんだけど、もう少しシャープにしゃべってもらえないか」ということを、言われ、それを聞いて、「この人も粘る人だ」と思ったという。浦上もそうであり、塩屋自身、自分が納得いくまで何度でもやりたがるタチだったため、そういう演出をしている人物が好きなのだが、富野にも、それと似たようなものを感じ、そこで富野の要求に応えようともう一度録って、結局最終的には選ばれることになったという。コスモ役については、監督からは色々と言われていたが、折半するんだったら、30%塩屋、30%富野、30%浦上と思っていたという。言われるがままにやりつつも、自分なりに悩みやってもみて、うまい具合にかみ合ったというわけだった。コスモ役を演じるにあって難しかった点は「フォルモッサ・シェリル」、「カララ」といった、喋れない言葉が多く、「シェリルさん、カララさん」という具合に併記してあると大変であり、そういうことで苦労したという。塩屋自身は下手であることから、「うまく演技ができたどうか」とのこと、ただしSF物とは言いながら、日常の、人間のナマの心情がそのまま台詞になっていたところが面白く、生活感があり、人間の匂いを強く出す演技を心掛けたという。
もし役者になっていなかったら教師と語っている。特に憧れていたことはなかったが、小学校時代には教師になりたかったという。
中学時代は卓球部に半年ぐらい所属、高校時代は放送部に1年ぐらい所属し、学校放送でディスクジョッキーをしていた。高校2年生の時は生徒会の役員をしていた。
好きな言葉は「若き日の旅なくして人生の物語なし」。
太字はメインキャラクター。
This article uses material from the Wikipedia 日本語 article 塩屋翼, which is released under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 license ("CC BY-SA 3.0"); additional terms may apply (view authors). コンテンツは、特に記載されていない限り、CC BY-SA 4.0のもとで利用可能です。 Images, videos and audio are available under their respective licenses.
®Wikipedia is a registered trademark of the Wiki Foundation, Inc. Wiki 日本語 (DUHOCTRUNGQUOC.VN) is an independent company and has no affiliation with Wiki Foundation.