中学の英語教師苦沙弥先生の日常と、書斎に集まる美学者迷亭、理学者寒月、哲学者東風らといった明治の知識人たちの生活態度や思考を飼い猫の目を通して、ユーモアに満ちたエピソードとして描いた作品。
表面的にすぎない日本の近代化に対する、漱石の痛烈な文明批評・社会批判が表れている風刺小説。なお実際、本作品執筆前に、夏目家に猫が迷い込み、飼われることになった。その猫も、ずっと名前がなかったという。
概要
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しで始まり、中学校の英語教師 である珍野苦沙弥の家に飼われている猫 である「吾輩」の視点から、珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生 たち、「太平の逸民」(第二話、第三話)の人間模様が風刺 的・戯作 的に描かれている。
着想は、E.T.A.ホフマン の長編小説『牡猫ムルの人生観 』だと考えられている。 また『吾輩は猫である』の構成は、『トリストラム・シャンディ 』の影響とも考えられている。
『吾輩は猫である』原稿の一部 漱石が所属していた俳句 雑誌 『ホトトギス 』では、小説も盛んになり、高浜虚子 や伊藤左千夫 らが作品を書いていた。こうした中で虚子に勧められて漱石も小説を書くことになった。それが1905年1月に発表した『吾輩は猫である』で、当初は最初に発表した第1回のみの、読み切り作品であった。しかもこの回は、漱石の許可を得た上で虚子の手が加えられており、他の回とは多少文章の雰囲気が異なる。だがこれが好評になり、虚子の勧めで翌年8月まで、全11回連載し、掲載誌『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばした(元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった)。
登場する人物と動物
漱石の母校・錦華小学校(現・千代田区立お茶の水小学校 )の前にある「吾輩は猫である」の記念碑 吾輩(主人公の猫) 珍野家で飼われている雄猫。本編の語り手 。「吾輩」は一人称であり、彼自身に名前はない。人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。人間の内心を読むこともできる。三毛子に恋心を抱いている。最後は飲み残しのビール に酔い、水甕 に落ちて出られぬまま溺れ死ぬ(第十一話)。毛色は淡灰色の斑入(第六話)。生年は、苦沙弥先生が猫を描いた年賀状 を見ながら「今年は征露 の第二年目」と呟いていること(第二話)から1905年(明治38年)とわかるので、その前年の1904年(明治37年)生まれ。年齢は、第七話では「去年生れたばかりで、当年とつて一歳だ」、第十一話では「猫と生れて人の世に住む事もはや二年越し」。 三毛子 隣宅に住む二絃琴 の御師匠さんの家の雌猫。「吾輩」を「先生」と呼ぶ。猫のガールフレンドだったが風邪をこじらせて死んでしまった(第二話)。「吾輩」が自分を好いていることに気付いていない。 車屋の黒 大柄な雄の黒猫。べらんめえ調で教養がなく、大変な乱暴者なので「吾輩」は恐れている。しかし、魚屋に天秤棒で殴られて足が不自由になる(第一話)。 珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ) 猫「吾輩」の飼い主で、文明中学校の英語 教師(リーダー専門)。父は場末の名主で(第九話)、その一家は真宗 (第四話)。年齢は、学校を卒業して9年目か(第五話)、また「三十面(づら)下げて」と言われる(第四話)。妻と3人の娘がいる。偏屈な性格で、胃が弱く、ノイローゼ 気味である(漱石 自身がモデルとされる)。あばた 面で、くちひげをたくわえる。その顔は今戸焼 のタヌキとも評される(第三、八、十話)。頭髪は長さ二寸くらい、左で分け、右端をちょっとはね返らせる。吸うタバコ は朝日 。酒は、元来飲めず(第十一話)、平生なら猪口で2杯(第七話)。わからぬもの、役人や警察をありがたがる癖がある(第九話)。なお胃弱で健康に気を遣うあまり、毎食後にはタカジアスターゼ を飲み、また時には鍼灸術 を受け悲鳴を上げたり按腹もみ療治 を受け悶絶したりとかなりの苦労人でもある。 迷亭(めいてい) 苦沙弥の友人の美学 者。ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人。近眼で、金縁眼鏡を装用し、金唐皮の烟草入を使用する。 美学者大塚保治 がモデルともいわれるが漱石は否定したという。また、漱石の妻鏡子 の著書『漱石の思ひ出』には、漱石自身が自らの洒落好きな性格を一人歩きさせたのではないかとする内容の記述がある。 水島 寒月(みずしま かんげつ) 苦沙弥の元教え子の理学士で、苦沙弥を「先生」とよぶ。なかなかの好男子。戸惑いしたヘチマのような顔(第四話)。富子に演奏会で一目惚れする。高校生時代からバイオリン をたしなむ。吸うタバコは朝日と敷島 。門下生の寺田寅彦 がモデルといわれる。 越智 東風(おち とうふう) 新体詩 人で、寒月の友人。「おち こち」と自称している。故郷は鰹節 の名産地。絶対の域に至る道は愛の道と芸術の道であり、夫婦の愛がすべての愛の代表であるから未婚でいることは天の意志にそむくことになるという(第十一話)。 八木 独仙(やぎ どくせん) 哲学 者。長い顔にヤギ のような髭を生やし、深遠な警句を語る。40歳前後。 甘木先生 苦沙弥の主治医、温厚な性格。「甘木先生」は縦書き だと「某先生」と読める(尼子四郎 がモデルとされる)。 金田(かねだ) 近所の実業家。苦沙弥に嫌われている。苦沙弥をなんとかして凹ませてやろうと嫌がらせをする。 金田 鼻子(はなこ) 金田の細君。寒月と自分の娘との縁談について珍野邸に相談に来るが、横柄な態度で苦沙弥に嫌われる。巨大な鍵鼻の持ち主で「鼻子」と「吾輩」に称される(鼻が大きくて「鼻の圓遊」と呼ばれた明治の落語家初代三遊亭圓遊 にヒントを得て創作されたという説がある)。年齢は40の上を少し超したくらい(第三話)。 金田 富子(とみこ) 金田の娘。母親似でわがままだが、巨大な鼻までは母親に似ていない。寒月に同じく演奏会で一目惚れする。阿倍川餅が大の好物。 鈴木 籐十郎(すずき とうじゅうろう) 苦沙弥、迷亭の学生時代の同級生。工学士 。九州の炭鉱にいたが東京詰めになる(月給250円+盆暮の手当)。金田家に出入りし、金田の意を受けて苦沙弥の様子をさぐる。 多々良 三平(たたら さんぺい) 苦沙弥の教え子。肥前国 唐津 の出身。法学士 。六つ井物産会社役員(月給30円)。貯蓄は50円。猫鍋をしきりと恩師である苦沙弥にすすめる。 牧山(まきやま) 静岡 在住の迷亭の伯父。漢学 者。赤十字 総会出席のため上京し、苦沙弥宅を訪問する。丁髷 を結い、武士の暗器・鍛錬具である鉄扇 を手放さない、まさしく旧幕時代の権化のような人物である。内藤鳴雪 がモデルとされる。 珍野夫人 珍野苦沙弥の細君。英語や小難しい話はほとんど通じない。頭にハゲがあり、身長は低い(第四話)。いびき をかく(第五話)。漱石の妻鏡子 がモデルとも。 珍野 とん子 珍野家の長女。「お茶の水」を「お茶の味噌」と、「元禄」を「双六」と、「火の粉」を「茸(きのこ)」と、「大黒(だいこく)」を「台所(だいどこ)」と、「裏店(うらだな)」を「藁店(わらだな)」と言うような、言葉間違いが多い。顔の輪郭は、南蛮鉄の刀の鍔のようである(第十話)。 珍野 すん子 珍野の次女。いつも姉のとん子と一緒にいる。顔は、琉球塗りの朱盆のようである(第十話)。 珍野 めん子 珍野家の三女。「当年とつて三歳」(第十話)。通称「坊ば」。「ばぶ」が口癖。顔は、横に長い面長(おもなが)(第十話)。 御三(おさん) 珍野家の下女 。名は清という。主人公の猫「吾輩」を好いていない。埼玉 の出身。睡眠中に歯ぎしりをする(第五話)。 雪江 苦沙弥の姪、女学生。17、8歳。時々珍野邸に来て苦沙弥とケンカする。寒月に淡い恋心を抱いている。モデルは久保より江 とされる。 二絃琴の御師匠さん 三毛子の飼い主。「天璋院 様の御祐筆 の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘」である。 古井 武右衛門(ふるい ぶえもん) 珍野の監督下の中学生。2年乙組。頭部が大きく毬栗頭。 吉田 虎蔵(よしだ とらぞう) 警視庁 浅草警察署日本堤分署の刑事巡査。 泥棒陰士 水島寒月と酷似する容貌の窃盗犯。長身で、26、7歳。喫煙者。 八(や)っちゃん 車屋の子供。苦沙弥先生が怒る度泣くという嫌がらせを金田から依頼された。 構成
タバコではじまり、ビールで終わる。皮肉にも大きな池で始まり、水甕(みずがめ)で終わる構成になっている。
第1話 「吾輩」の最初の記憶は、「薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた」ことである。出生の場所は当人の記憶にはない(とんと見当がつかぬ)。その後まもなく書生に拾われ、書生が顔の真ん中から煙を吹いていたものがタバコであることをのちに知る。書生の掌の上で運ばれ(移動には何を利用したかは不明)、笹原に我輩だけ遺棄される。その後大きな池の前~何となく人間臭い所~竹垣の崩くずれた穴から、とある邸内に入り込み、下女につまみ出されそうになったところを教師(苦沙弥先生)に拾われ、住み込む。人間については飼い主の言動によりわがままであること、また車屋の黒によると、不人情で泥棒も働く不徳者であると判断する。 第2話 家に、寒月、迷亭、東風などが訪問し、好き放題のでたらめを言う。三毛子が死去し、吾輩は恋に破れる。 第3話 金田の妻が寒月のことを訊きに来て、寒月が博士にならなければ娘の富子と結婚させないという。 第4話 鈴木が金田の意向を聞いて、寒月の様子を探りに来る。 第5話 苦沙弥宅に泥棒が入る。吾輩はネズミ取りに失敗する。 第6話 寒月、迷亭、東風による恋愛談義、女性論。 第7話 吾輩は運動し、公衆浴場をのぞき見る。 第8話 落雲館中学校生徒が苦沙弥宅の庭に野球ボールを打ち込み、苦沙弥は激高する。 第9話 迷亭の伯父である牧山が苦沙弥宅を訪れる。 第10話 古井が金田の娘に恋文を送り、退校処分にならないかと心配して苦沙弥宅に来る。 第11話 寒月は珠磨をやめ、故郷で結婚した。独仙、苦沙弥、寒月、東風らによる夫婦論、女性論。来客が帰ったあと、吾輩は飲み残しのビールに酩酊し、「猫じゃ猫じゃ 」を踊りたくなるほど陽気になり、水甕のなかに転落して水死 する。 素材
主人公「吾輩」のモデルは、漱石37歳の年に夏目家に迷い込んで住み着いた、野良の黒猫である。1908年 9月13日に猫が死亡した際、漱石は親しい人達に猫の死亡通知を出した。また、猫の墓を立て、書斎裏の桜の樹の下に埋めた。小さな墓標の裏に「この下に稲妻起る宵あらん」と安らかに眠ることを願った一句を添えた後、猫が亡くなる直前の様子を「猫の墓」(『永日小品』所収)という随筆に書き記している。毎年9月13日は「猫の命日」である。
猫塚 『猫』が執筆された当時の漱石邸は東京市本郷区 駒込千駄木町(現・文京区 向丘2丁目)にあった。この家は愛知県の野外博物館・明治村 に移築されていて公開されている。東京都 新宿区 早稲田南町 の漱石山房記念館 (漱石山房跡地)には「猫塚」があるが、戦災で焼損し戦後その残欠から復元したものだという。
最終回で、迷亭が苦沙弥らに「詐欺師の小説」を披露するが、これはロバート・バー の『放心家組合』のことである。この事実は、大蔵省 の機関誌『ファイナンス』1966年4月号において、林修三 によって初めて指摘された。同様の指摘は、1971年2月号の文藝春秋 誌上で山田風太郎 によっても行われている。
古典落語 のパロディが幾つか見られる。例をあげると、窃盗犯に入れられた次の朝、苦沙弥夫婦が警官に盗まれた物を聞かれる件(第五話)は『花色木綿 (出来心)』の、寒月がバイオリンを買いに行く道筋を言いたてるのは『黄金餅 』の、パロディである。迷亭が洋食屋を困らせる話にはちゃんと「落ち」までつけ一席の落語としている。漱石は三代目柳家小さん などの落語を愛好したが、『猫』は落語の影響が最も強く見られる作品である[要出典 ] 。
第三話にて寒月が講演の練習をする「首縊りの力学」は、漱石の弟子で物理学者 ・随筆家 の寺田寅彦 が提供した実在の論文、Samuel Haughton "On Hanging ; Considered from a Mechanical and Physiological Point of View" が基になっている。
千駄木にあった旧漱石邸(愛知県・
明治村 に移築保存)
同左
書誌情報
初版上巻の挿絵(中村不折 筆) 1905年1月にのちの第1章に相当する部分が発表され、その後1905年2月(第2章)、4月(第3章)、5月(第4章)、6月(第5章)、10月(第6章)、1906年1月(第7章および第8章)、3月(第9章)、4月(第10章)、8月(第11章)と掲載された。
第1巻(第1章 - 第3章)は1905年 10月6日 に、第2巻(第4章 - 第7章)は1906年 11月4日 に、第3巻(第8章 - 第11章)は1907年 5月19日 に大倉書店 と服部書店から刊行された。全1冊としては1911年に刊行された。1918年に漱石全集の第1巻に収録された。
オーディオブック(朗読)版 派生作品、影響を受けた作品
本作を原作として1936年と1975年に映画化されている。(吾輩は猫である (映画) を参照のこと)
多くのパロディ 小説も生まれた。『吾輩ハ鼠デアル』(1907年(明治40年)9月刊)、『我輩ハ小僧デアル』(1908年3月刊)などである。三島由紀夫 も少年時代(中等科1年)に『我はいは蟻である』(1937年 )という童話的な小品を書いており、「我はいは暗い暗い部屋の中で生れ出た。」という幼虫からの書き出しで始まり、変身前の自分を「うじ」と呼んで嫌う人間どもを「人間とは可笑しな動物」と言い、蛹から蟻になった「我はい」が重いビスケットを背負ってそれを舐めて美味しかったエピソードなどが描かれている。
2006年代には宮藤官九郎 の脚本で昼帯テレビドラマ 『吾輩は主婦である 』がTBSで放送された。(これは"夏目漱石が乗り移った主婦"が繰り広げるホームコメディ、だったとのこと)
2019年には演出家ノゾエ征爾による『吾輩は猫である』が東京芸術祭2019で上演された(これは夏目漱石の作品を下敷きにしつつ、大胆に換骨奪胎し、総勢80名弱のキャストで新基軸の劇世界を作ったものとのこと)
映像化作品 映画 2度映画化された。1936年版と1975年版がある。
テレビドラマ 『吾輩は猫である』(NHK ) 放送日時:1963年1月1日(60分×1回) 関東地区における視聴率 は40.2%を記録した(ビデオリサーチ 調べ)。 こども名作座 『吾輩は猫である』(NHK) 放送日時:1963年3月24日 『ふたりは夫婦』第19回「わたくしは細君」~「吾輩は猫である」より~(フジテレビ ) 放送日時:1975年2月17日(55分1回) テレビアニメ 制作:フジテレビ、東映動画 製作:今田智憲 企画:栗山富郎(東映動画)、久保田栄一 (フジテレビ) 企画コーディネーター:大橋益之助 (大坂電通) 脚本:大原清秀 演出:りん・たろう 撮影:岡芹利明 キャラクターデザイン:はるき悦巳 (猫)、小松原一男 (その他) 作画監督:小松原一男 美術監督:椋尾篁 出演者 主題歌・エンディング「ベストフレンド」 作詞 - 長田弘 / 作曲 - 森田公一 / 編曲 - 青木望 / 歌 - 上野博樹 フィルムコミック 日生ファミリースペシャル『吾輩は猫である』サンケイ出版名作コミックス(上・下)1982年8月5日 まんが その他 宜志政信によるうちなー口翻訳 『吾んねー猫どぅやる』新報出版,『吾んねー猫どぅやる 完結編』新星出版 関連作品 小説 『それからの漱石の猫』(三四郎、1920年) - 『吾輩は猫である』の続編。1997年に『續吾輩は猫である』のタイトルで復刊 『贋作吾輩は猫である』(内田百閒 、1949年 ) - 『吾輩は猫である』の続編。 アニメ 脚注 関連文献 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、
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