江津市(ごうつし)は、島根県の西部(石見地域)にある市。山陰地方で最も人口が少なく、また島根県では最も面積が狭い市でもある。
ごうつし 江津市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 島根県 | ||||
市町村コード | 32207-5 | ||||
法人番号 | 1000020322075 | ||||
面積 | 268.24km2 | ||||
総人口 | 21,268人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
人口密度 | 79.3人/km2 | ||||
隣接自治体 | 浜田市、大田市、邑智郡邑南町、川本町 | ||||
市の木 | クロマツ | ||||
市の花 | ツツジ | ||||
江津市役所 | |||||
市長 | 中村中 | ||||
所在地 | 〒695-8501 島根県江津市江津町1016番地4 北緯35度00分42秒 東経132度13分04秒 / 北緯35.01178度 東経132.21767度 東経132度13分04秒 / 北緯35.01178度 東経132.21767度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
江津市は島根県の西部、石見地方に位置する。北部の東西につづく海岸段丘と、南部の丘陵地帯からなる。中国山地を山陽側から貫いて流れる数少ない河川であり、中国地方最大の河川である江の川がこの市で日本海に注ぐ。平野部はこの江の川流域と、日本海側を走る山陰本線の沿線を除くとあまり見られない。
日本国内で北緯35度線が通る最西端の市でもある。
東京都からの移動時間距離が全国で最も遠い市とされ、「東京から一番遠いまち」とPRしている。過去には高等学校「地理A」の教科書やテレビ番組でも取り上げられた。
松江地方気象台(1991-2020)(桜江)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 153.9 (6.059) | 121.0 (4.764) | 144.8 (5.701) | 125.3 (4.933) | 144.2 (5.677) | 199.6 (7.858) | 255.7 (10.067) | 171.5 (6.752) | 213.7 (8.413) | 128.3 (5.051) | 123.5 (4.862) | 172.2 (6.78) | 1,953.5 (76.909) |
平均降水日数 (≥1.0mm) | 17.0 | 14.3 | 14.0 | 10.9 | 10.3 | 12.0 | 12.1 | 10.4 | 11.3 | 9.9 | 12.3 | 16.8 | 151.1 |
出典:気象庁 |
「郷田」あるいは「郷津」とも呼ばれ、江の川の渡津集落から発展し、古くから舟運と日本海の海運の要所として繁栄した。近世は幕府領(天領)になり、その中心部を山陰道が貫き、東は大森銀山、西は浜田へと向かっていた。
1671年(寛文11年)に上方への西廻り航路が確立されると、千石船の出入りする物品の集散地として、河岸に廻船問屋や倉庫(蔵屋敷)が立ち並んだ。北前船の寄港地および天領米の積出港として、岸辺には四、五十隻の帆船が並び立ち、浜田で入港を待ち合わせるという混雑状態で、大森銀山につぐ石見国第二の町として賑わいを見せた。江の川流域の邑智郡・那賀郡で生産される鉄・木材・紙・楮なども河川を通じて運ばれ、全国に発送されるとともに、日用雑貨もこの港から移入されていった。
幕末の1866年(慶応2年)には長州軍振武隊(隊長佐々木男也、参謀大村益次郎)の一個大隊450名余りが進駐し、1869年(明治2年)までの3年に渡り本陣が設置された。陣屋新築に際して、近隣15ケ村より壮丁を募り、半年後までに本陣など12棟の建築物の陣営を完成させた。また村々より桜樹千株が献上された。現在でも長州軍の志士5名の墓石が残されている。
明治40年には、東宮殿下(後の大正天皇)山陰路御行啓(東郷平八郎海軍大将同行)に際し、江津本町地区に駐泊することになった。御便殿の新築などが行われ、町全体での歓迎ぶりであったという。
1920年(大正9年)の山陰本線の開通により、舟運は衰え、商業の中心が浜田へ移動した。三江線の開通により、江津本町駅周辺から江津駅周辺に市街地が移動した。
その後、江の川の水資源と砂丘によって、日本レイヨン(現:ユニチカ)、山陽国策パルプ(現:日本製紙)などの工場が誘致され、1942年(昭和17年)以降、砂丘地域に、製糸・化学・パルプの工場が進出した。
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代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 飯田豊 | 1954年5月1日 | 1958年4月14日 | |
2-3 | 千代延定良 | 1958年4月14日 | 1962年6月12日 | 任期中死去 |
4 | 藤田龍夫 | 1962年8月1日 | 1966年7月15日 | |
5-6 | 岡田信正 | 1966年7月16日 | 1974年7月15日 | |
7-8 | 佐々木隆夫 | 1974年7月16日 | 1982年7月15日 | |
9-10 | 福原友宏 | 1982年7月16日 | 1990年7月15日 | |
11-12 | 牛尾一弘 | 1990年7月16日 | 1998年7月15日 | |
13-16 | 田中増次 | 1998年7月16日 | 2014年7月15日 | 桜江町と合併 |
17-18 | 山下修 | 2014年7月16日 | 2022年7月15日 | |
19 | 中村中 | 2022年7月16日 |
江津市と広島県三次市の間を結ぶJR三江線(108.1km)は利用者低迷により年間10億円近くの赤字となっていた。三江線は2018年3月末に廃止されバス転換が決まり、「三江線沿線地域公共交通活性化協議会」で三江線沿線の公共交通の再編が議論されている。
江津市庁舎は建築家の吉阪隆正早稲田大学元教授の研究室が手掛けたもので、橋脚の上に橋桁のような建物が載った特徴的なデザインになっており、1961年にA棟・B棟・C棟が完成した。2015年度には、DOCOMOMO Japanによって「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」として192番目の選定を受けた。
その後、築50年以上が経過し無理に耐震補強を施すと現存する設計上の揺れを逃がすための構造(A棟の梁にピアノ線を張っている構造)に悪影響を及ぼす恐れがあると、当時の施工図面が見つかっていなかったこともあり、その不安が指摘されていた。関係者のヒアリングから施工図面一式が見つかったこともあり、継続的な利用に向けた話し合いが進められた。
改修を前提に市庁舎改修整備検討委員会を設け耐震補強の方法が検討されていたが、耐震補強しても震度6強以上の地震には耐えられないことが判明したほか、2016年4月に熊本地震で市庁舎などが被災したことを受け方針転換され、2016年10月31日に新庁舎を事業費40億円で建設することが発表された(旧庁舎は取り壊さないが使い道は未定である)。
江津市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 江津市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 江津市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
江津市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
公立
私立
江津市の製造品出荷額等は441億円(平成26年)、従業者数は1,473人(平成26年)、従業者4名以上の製造事業者数は54事業所(平成26年)となっている。
地場産業として古くから石州瓦の生産の中心地と知られており、製造品等出荷額等では窯業(岩見焼)・土石製品が53億円と最も大きくなっている。近年は住宅着工件数の低迷や住宅の洋風化などで石州瓦の需要が減少しており、2007年にはアメックス協販が自己破産を申請するなど厳しい状況が続いている。石見焼においては、生活用品を主として生産され、近年では、タイルや民芸品の商品も開拓し、全国市場を獲得している。
江の川河口には日本製紙ケミカル事業本部の江津工場が立地しており、溶解パルプや機能性化成品が製造されている。2010年にパナソニックエレクトロニックデバイスが撤退したが、近年は江津道路の開通や土地代の安さなどからバイオマス発電所や樹脂加工メーカーなどの企業進出が見られる。
小売業の事業所数は262事業所、従業員数は1,231人、年間商品販売額は2,036百万円、売場面積は34,016㎡となっている。平成19年の商業統計調査では、事業所数は356事業所、従業員数は1,523人、年間商品販売額は2,588百万円、売場面積は38,655㎡となっている。人口減少などで小売業の年間販売額は減少しており、事業所数・従業員数も減少している。
2017年1月には中心市街地に立地し、市内最大の商業施設であったショッピングタウン グリーンモールが売上の低迷などで閉店。10月に経営権を取得したイズミがゆめタウン江津としてオープンさせた。
地元購買率(全商品)は旧江津市が75.8%、旧桜江町では25.1%(旧江津市への流出は35.7%)となっている。旧江津市では11.5%、旧桜江町では13.6%が近隣の浜田市に流出している。
市外局番は、桜江地区が0855(70〜99)、その他が0855(50〜69)となっている。
郵便番号は以下の通りとなっている。2006年10月16日、2015年3月2日の再編に伴い、変更された。
中心となる駅:江津駅
かつては、江の川号や有福温泉発着のいさりび号など広島行きの高速バスも運行されていたが、廃止となった。このため、広島方面に向かう場合は、浜田駅からいさりび号に乗るか、道の駅インフォメーションセンターかわもとから石見銀山号に乗ることとなる。
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