小林 誠司(こばやし せいじ、1989年6月7日 - )は、大阪府堺市南区出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
読売ジャイアンツ #22 | |
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2016年 明治神宮野球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市南区 |
生年月日 | 1989年6月7日(34歳) |
身長 体重 | 178 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト1位 |
初出場 | 2014年3月28日 |
年俸 | 3000万円(2024年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2017年 |
プレミア12 | 2019年 |
この表について |
獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
WBSCプレミア12 | ||
金 | 2019 |
2017年のWBCでは正捕手として日本代表に貢献した。同年のシーズンではセ・リーグ史上初の「ノーノーリレー」を捕手として達成させ、2018年には2度のノーヒットノーランを捕手として達成させている(2度目はポストシーズン史上初)。また、4年連続盗塁阻止率1位も達成している。
3人兄弟の長男(姉と妹がいる)。父親は元水泳選手でインストラクター、母親が水泳のインストラクターをしていた関係で、幼少時から水泳を始める。母親が指導していたスイミングスクールに藤浪晋太郎が通っていた。小学2年生でソフトボールを始め、堺市立赤坂台中学校在学中は大阪泉北ボーイズでプレー。
野球留学で広陵高校入学時は投手兼遊撃手だったが、1年冬に監督の中井哲之の助言で捕手に転向し、2年秋から正捕手になる。3年夏の広島県大会決勝の総合技術戦では、延長11回表に決勝点となるソロ本塁打を打ちチームの優勝に貢献した。甲子園ではエースの野村祐輔、土生翔平、上本崇司らと共に春は8強、夏は準優勝。決勝戦の佐賀北戦8回裏に佐賀北に決勝逆転本塁打を打たれたが、その前の打者への際どい判定による押し出し四球にはミットをグラウンドに叩きつけて悔しがっていた。後に動揺している姿を投手に見せてしまったことに後悔が残っていると報道された。
高校卒業後は同志社大学商学部商学科に進学。関西学生野球連盟所属の同志社大学では1年春からリーグ戦に出場し、2年秋に大学日本代表に選出。正捕手としてベストナイン3度の活躍で同大のリーグ戦4連覇に貢献。3年春と4年春には全日本大学野球選手権大会に出場するも、菅野智之(東海大学)、大瀬良大地(九州共立大学)にそれぞれ完封負けを喫し敗れている。卒業後は社会人・日本生命に進むことを決めていたが、1位指名ならプロ入りとしプロ志望届を提出した。千葉ロッテマリーンズなどが獲得を検討したものの指名球団はなく日本生命に進む。
日本生命では入社1年目から都市対抗野球に出場し、全試合でマスクを被った。2年目には打率.386(4位), 1本塁打を記録し社会人ベストナインを獲得。
社会人ナンバーワン捕手として2013年のドラフト会議で注目を集め、読売ジャイアンツからドラフト1位指名(ロッテとの指名競合による抽選で石川歩の入団交渉権を逃したことによる「外れ1位」)を受け、契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円で入団に合意。背番号は「22」。
2014年は阿部慎之助の後継者として期待され、開幕戦で阿部に代わって途中出場。4月6日の中日ドラゴンズ戦で8番・捕手で初先発出場を果たした。巨人の新人捕手が先発出場するのは2005年の星孝典以来約9年ぶりとなった。この年は阿部がケガの影響で一塁手として出場する機会が増えたため、小林が先発出場する機会も増えた。最終的に63試合に出場し、打率.255、2本塁打、14打点を記録。守備では盗塁阻止率.417と強肩も見せ、リーグ3連覇に貢献した。オフの10月9日には日米野球2014の日本代表に選出された。また、10月21日に「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームにも選出された。12月16日、1000万円増の推定年俸2500万円で契約を更改した。
2015年はシーズン開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された。3月10日の第1戦に途中出場している。シーズンは、同級生である菅野とのバッテリーで、初の開幕戦先発出場を果たした。この年は阿部の故障や一塁手転向で前年同様先発出場の機会が増え、70試合に出場したが打撃面では前年同様2本塁打を記録するも打率は下がったが、守備面では盗塁阻止率.438と前年を上回った。オフに、100万円増の推定年俸2600万円で契約を更改した。
2016年は阿部の故障による出遅れもあり開幕から先発出場を続けた。6月の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で死球を受け左肩を骨折し、一時離脱があったものの最終的に自己最多の129試合に出場して12球団の捕手で唯一規定打席に到達し、また守備面では盗塁阻止率.356と4割を下回ったがセントラル・リーグトップの盗塁阻止率を記録するなど正捕手に定着した。打撃は規定打席最下位の打率.204と課題を残したが、巨人の右打者の捕手が規定打席に到達するのは1987年の山倉和博以来29年ぶりだった。398打数81安打の打率.204は21世紀に入ってからは最低打率であり、仮にあと2安打少なければ打率.198の1割台で、1982年の山倉が記録した規定打席到達中最下位の打率.196にせまる34年ぶりの記録となるところだった。オフに、2400万円増の推定年俸5000万円で契約を更改。2017年1月には自ら丸刈りにしグアムで阿部と合同自主トレを行った。
2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。日本代表の正捕手として全7試合に先発出場し、守備面では準決勝のアメリカ合衆国戦でアダム・ジョーンズの盗塁を阻止、ワンバウンドの変化球もすべてブロックし捕逸は0、ピンチ時の投手への声掛けなど大いに評価された。課題とされた打撃面でもチームトップの打率.450(20打数9安打)、1本塁打、6打点と結果を残し、同大会のラッキーボーイと形容された。日本代表は準決勝で敗退しベスト4で大会を終えた。
シーズンに入ると打撃不振に陥り、138試合の出場でかろうじて最終戦で規定打席には到達したが、2年連続規定打席最下位の.206に終わった。一方守備面では盗塁阻止率.380は2年連続でリーグ1位を記録した。またシーズンでの捕逸はわずか2であり、これはシーズン130試合出場した捕手では1992年古田敦也以来の少ない数字だった。6月14日、対福岡ソフトバンクホークス戦では山口俊、スコット・マシソン、アルキメデス・カミネーロをリードし、セ・リーグ初の「ノーノーリレー」を達成させた。11月9日、自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。なお、初選出されたオールスターゲーム第2戦では初打席の初球でソロ本塁打を打ち、敢闘選手賞を受賞した。オフに、400万円増の推定年俸5400万円で契約を更改した。
2018年はシーズン序盤から打撃が絶好調で、4月7日の東京ヤクルトスワローズ戦では石川雅規からプロ初の満塁本塁打を放つなど、4月24日の試合終了時点で打率.375となり、4月28日までは首位打者をキープしていた。しかし5月以降の打率は.169と調子を取り戻すこと無くシーズンを終えた。この打撃不振もあり、先発出場を宇佐見真吾や大城卓三に譲ることが増え、出場試合数は過去2年間を下回る119試合で、3年ぶりに規定打席に届かなかった。一方守備面では、盗塁阻止率.340で3年連続でリーグトップとなり、セ・リーグでは古田敦也(5年連続)、森昌彦(3年連続)に続き史上2位タイの記録となった。また、この年は山口俊・菅野と2度のノーヒットノーラン達成試合を捕手としてリードしており、同一年でノーヒットノーランを2度支えた捕手は和田博実以来52年ぶりだった。前年の「ノーノーリレー」から2年で3回の「ノーヒットノーラン」を達成させたことになる。オフに、600万円増の推定年俸6000万円で契約を更改した。
2019年は炭谷銀仁朗の加入や監督の原辰徳の方針もあり、先発マスクは菅野や山口俊などが投げる試合に限られ、出場試合は4年ぶりに100を割り込むなど減少した。その中で盗塁阻止率は4年連続でリーグトップの.419を記録した。また打撃面では4月19日の阪神戦では先制3点本塁打を打つとプロ6年目で初となる1試合4安打(23日にも記録)するなど4月は高打率を記録し、またリーグ優勝を決めた9月21日には山﨑康晃(横浜DeNAベイスターズ)から同点適時打を打つなど、シーズン通しての打率.244はプロ6年間で2番目に良い数字であった。
オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会で日本はプレミア12で初優勝し、小林自身にとっても初の国際大会優勝を経験した。12月9日に最優秀バッテリー賞を山口とのコンビで受賞し、同日の契約更改では4000万円増の推定年俸1億円で4年契約を結んだ。
2020年は開幕3戦目の6月21日、左手首に死球を受けて左尺骨を骨折し、早々に長期離脱となった。約3か月を経て9月中旬に一軍復帰するも打撃不振。10月18日から二軍で再調整していたが、10月20日の二軍公式戦でワンバウンドの投球を止めた際に右手人差し指を負傷し、病院で右手示指末節骨骨折と診断された。負傷の影響から出場試合はわずか10試合にとどまり、日本シリーズには出場登録すらされなかった。これらの怪我で試合に出場できなくなった小林について、監督の原辰徳は「野球選手じゃない」「職場放棄」と辛辣な言葉で批判している。4年契約の1年目を終え、現状維持の推定年俸1億円で契約を更改した。
2021年も開幕一軍入りしたが、先発出場はなく、守備固めとして6試合に起用されただけで、4月7日に若手捕手の岸田行倫との入れ替わりで登録を抹消された。二軍では4月中に安打を放てず、28打席連続無安打を記録。5月3日の試合で初安打を記録し、21日にようやく打率1割台に到達した。二軍公式戦24試合に出場し、打率.115という成績だったが、6月2日に一軍に再昇格。小林の昇格により、一時捕手4人体制となったが、2日後に岸田が再度二軍降格となった。4年契約の2年目を終え、現状維持の推定年俸1億円で契約を更改した。
2022年は前年度の打率1割など不調の自分の立ち位置を冷静に見定め「全てを1から変える」と語るなど心機一転の年となり、自己改造のために年明けからキャッチング・フィジカル強化・ランニング・バッティングなどの基礎の猛練習を行い、例年よりも練習量が多く時間が9時間にも及ぶことがあった。7月の時点で打率1割台と活躍できていなかったものの、ファンからの人気は根強く同年のオールスターのファン投票はノミネートされていた大城を上回る投票数を獲得し、その後に行われたプラスワン投票で見事に選出された。後半戦も打てない日々が続き、球団ワースト2位となる40打席連続で無安打(球団ワースト記録は1999年に光山英和が記録した43打席連続無安打)になったことがある。
この節の加筆が望まれています。 |
いわゆるセイバーメトリクス系の評価では2020年の骨折の影響か近年の指標の衰えが指摘されることが多いが、2019年シーズンまでは遠投115メートル、二塁への送球1.9秒の強肩を武器に、2014〜2015年は規定試合数不足ながら盗塁阻止率4割を超え、2016~2019年は4年連続でリーグトップをマークした。これを受けてか、小林が捕手の時は走者の盗塁企図数が減少しており、2017年は12球団最少の企図数50だった。当時はフレーミング技術も高く評価されており、2018~2019年は12球団トップの評価であった。
盗塁企図数の減少については2017年にバッテリーコーチの村田善則が「強肩は大前提としてありますが、誠司は走者に見えるように投手に『走ってくるぞ』と大きなジェスチャーで伝えたり、投球間に走者を見て目で殺したり、工夫している。走られる時は相手によほどの根拠があるか、イチかバチかで勝負してくる時だと思う。そこでアウトにすればより走りにくくなる」と評している。また、バッテリーを組むことの多い菅野智之は、「誠司が捕手の時に走られたら、投手の責任」と話すなど投手からの信頼も高かった。
守備力は球界屈指と認められる一方、打力が課題とされている。打率は2016年、2017年と2年連続でリーグ最下位となっている。2018年も規定打席にこそは到達しなかったが、その年の打率最下位(菊池涼介の.233)を下回る.219であった。なお、社会人時代も下位打線を打っていた。30代になるとさらに苦戦しており、2022年には球団野手ワースト2位タイとなる40打席連続で無安打という記録を作ったことがある。
タブロイドや週刊誌などでは原の評価が低いかのようなミスリードが多くなっているが、実際には2019年から2022年の4年間で3度の開幕スタメンに選ばれており、2020年の離脱時のような厳しいコメントも多い一方で小林のミスを庇う寛大なコメントも多い。
二枚目の整った顔立ちからドラフト指名時に「イケメン捕手」として話題となった。そのイケメンぶりに、イベントで母校の新檜尾台小学校を訪れた際には、阪神ファンの女子生徒が「顔がかっこよかった。嗅いだことのない良い匂いがした」と嬉し泣きした。
高校時代からZETTの野球用具を愛用し、2015年からはアドバイザリープロスタッフとなり、キャッチャー防具、ミット、バットなどすべてZETTの物を使用している。プロ野球では従来ブロックの形状が施されたプロテクターを使用する捕手が多かったが、小林の考案によりワンバウンドボールの威力を吸収し処理のしやすい完全フラットタイプのものが生み出され、それを使用している。
チームのエースである菅野智之とは同学年であり親交も深く、度々小林のリードを褒めている。
2016年8月28日の対DeNA戦で、マイルズ・マイコラスにキャッチングの仕方を指摘され、試合中に激昂されるという一幕があった。マイコラスが2017年オフに退団する際、小林は「マイコラスには感謝しかないです。闘争心、勝ちにこだわる執念が常にあった。打者に真剣勝負していく姿勢はものすごく感じるものがありました。本当に勉強になりました」と自身の成長に繋がったことを語り、また、2019年3月28日に放送された「ワースポ×MLB」内でもこれを機にキャッチングを意識するようになったと語っている。一方のマイコラスも「彼と一緒に成長した3年だったかもしれない」と発言し、上記の番組内では仲の良かった巨人選手の一人に小林の名前を挙げ、キャッチングについて激昂したことを小林に謝罪した。カージナルス移籍決定後に更新されたTwitterには巨人への感謝の言葉と共に小林とのハイタッチ写真が使われていた。
広陵高等学校の後輩である中村奨成は「高校に入ってからは同じキャッチャーで高校の先輩である小林誠司さんを目標にやってきました」と公言している。
2019年1月、大阪府内で愛車のポルシェ・マカンターボを運転中に停止していた自動車に衝突する事故を起こす。更に、2020年8月、選手登録を抹消されリハビリ中の同月1日に同じ愛車にて自転車に衝突し、30代男性にケガを負わす人身事故を起こしていたことが分かった。これに関し、球団広報部より「事故後、本人は車の運転を取りやめており、今後について本人と話し合って事故防止に努める」とのコメントが発表されている。
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | 巨人 | 63 | 121 | 110 | 18 | 28 | 7 | 0 | 2 | 41 | 14 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 26 | 4 | .255 | .305 | .373 | .678 |
2015 | 70 | 204 | 177 | 13 | 40 | 6 | 0 | 2 | 52 | 13 | 2 | 0 | 5 | 0 | 19 | 1 | 3 | 39 | 6 | .226 | .312 | .294 | .606 | |
2016 | 129 | 458 | 398 | 27 | 81 | 12 | 1 | 4 | 107 | 35 | 2 | 1 | 19 | 1 | 36 | 5 | 4 | 76 | 10 | .204 | .276 | .269 | .545 | |
2017 | 138 | 443 | 378 | 25 | 78 | 11 | 1 | 2 | 97 | 27 | 2 | 0 | 19 | 3 | 41 | 4 | 2 | 64 | 12 | .206 | .285 | .257 | .542 | |
2018 | 119 | 313 | 265 | 22 | 58 | 9 | 0 | 2 | 73 | 26 | 0 | 0 | 16 | 1 | 27 | 5 | 4 | 58 | 8 | .219 | .300 | .275 | .575 | |
2019 | 92 | 236 | 213 | 20 | 52 | 6 | 0 | 2 | 64 | 19 | 1 | 0 | 11 | 1 | 7 | 0 | 4 | 48 | 12 | .244 | .280 | .300 | .580 | |
2020 | 10 | 21 | 18 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | .056 | .150 | .056 | .206 | |
2021 | 64 | 79 | 75 | 2 | 7 | 2 | 0 | 1 | 12 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 24 | 2 | .093 | .117 | .160 | .277 | |
2022 | 60 | 91 | 88 | 4 | 13 | 5 | 0 | 0 | 18 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 20 | 2 | .148 | .157 | .205 | .362 | |
2023 | 21 | 9 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .125 | .125 | .125 | .250 | |
通算:10年 | 766 | 1975 | 1730 | 132 | 359 | 58 | 2 | 15 | 466 | 142 | 8 | 1 | 79 | 6 | 136 | 15 | 24 | 359 | 56 | .208 | .274 | .269 | .543 |
年 度 | 代 表 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | 日本 | 7 | 25 | 20 | 4 | 9 | 0 | 0 | 1 | 12 | 6 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | .450 | .455 | .600 |
年 度 | 代 表 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019 | 日本 | 3 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .250 | .000 |
年 度 | 球 団 | 捕手 | ||||||||||
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試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 捕 逸 | 企 図 数 | 許 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 阻 止 率 | ||
2014 | 巨人 | 58 | 244 | 21 | 3 | 2 | .989 | 2 | 12 | 7 | 5 | .417 |
2015 | 68 | 407 | 57 | 2 | 6 | .996 | 3 | 32 | 18 | 14 | .438 | |
2016 | 129 | 969 | 93 | 6 | 15 | .994 | 4 | 73 | 47 | 26 | .356 | |
2017 | 137 | 960 | 86 | 5 | 11 | .995 | 2 | 50 | 31 | 19 | .380 | |
2018 | 119 | 659 | 72 | 5 | 5 | .993 | 4 | 41 | 27 | 14 | .341 | |
2019 | 91 | 520 | 73 | 3 | 4 | .995 | 3 | 31 | 18 | 13 | .419 | |
2020 | 10 | 33 | 3 | 1 | 0 | .973 | 1 | 3 | 2 | 1 | .333 | |
2021 | 63 | 258 | 20 | 1 | 1 | .996 | 3 | 13 | 8 | 5 | .385 | |
2022 | 60 | 212 | 24 | 1 | 2 | .996 | 3 | 14 | 11 | 3 | .214 | |
通算 | 735 | 4262 | 449 | 27 | 46 | .994 | 25 | 269 | 169 | 100 | .372 |
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