塩村 文夏(しおむら あやか、1978年(昭和53年)7月6日 - )は、日本の政治家。議会登録名は塩村あやか。
塩村 文夏 しおむら あやか | |
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2022年5月 | |
生年月日 | 1978年7月6日(45歳) |
出生地 | 日本 広島県福山市 |
出身校 | 就実高等学校 共立女子短期大学 |
前職 | グラビアアイドル 放送作家 |
所属政党 | (みんなの党→) (無所属(東京みんなの改革)→) (民進党→) (国民民主党→) (旧立憲民主党→) 立憲民主党(直諫の会) |
称号 | 準学士 |
配偶者 | 無 |
公式サイト | 塩村あやか公式サイト | 参議院議員 |
選挙区 | 東京都選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年7月29日 - 現職 |
選挙区 | 世田谷区選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2013年7月23日 - 2017年7月22日 |
立憲民主党所属の参議院議員(1期)。放送作家、タレント、元グラビアアイドル。元東京都議会議員(1期)。オフィス・トゥー・ワンに所属。ペンネームは眞野 夏帆(まの かほ)という名義を使っていた。
広島県福山市出身。父は産廃処理会社を経営していて随意契約で市の汚土収集運搬を請け負っていた。1991年3月、福山市立光小学校卒業。1994年3月、福山市立鷹取中学校卒業。
高校在学中の1996年、スポーツ用品販売会社アルペンのイメージガールコンテストに応募して準グランプリ、翌年には『第8回ニューカレドニアプリンセス』に応募して審査員特別賞を得た。1997年3月、岡山県岡山市北区にある私立就実高等学校を卒業。
1998年、『ミスヤングマガジン』(準グランプリ)となり、『ヤングマガジン』(講談社)をはじめ、『スコラ』(スコラ)、『ヤングジャンプ』(集英社)、『ヤングサンデー』(小学館) などのグラビアに出演した。1999年3月、共立女子短期大学卒業。
2001年頃に一旦芸能活動を退く。イギリスで語学留学をした後、オーストラリアのAustralian School of Hospitality and Hotel Managementでホスピタリティマネジメントを学んだ。
2007年、明石家さんまが司会を務めるテレビ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)に第14期生として出演し、MVPを獲得した。『恋のから騒ぎ』への出演終了後、同番組を手掛けていた山田美保子に憧れ、日本テレビ系の番組を担当する放送作家としての活動を始める。
2012年に開講した維新政治塾の塾生となる。その後慶應義塾大学通信教育課程に進むも、議員活動に没頭して学費を納め忘れたため退学。その後、中央大学法学部通信教育課程に進む。
2013年、みんなの党に入党。公認候補として2013年6月23日投開票の東京都議会議員選挙へ世田谷区から立候補し、23,621票を得て6位で初当選を果たした。
東京都都議会議員となった後は、都議会会派「みんなの党 Tokyo」副幹事長、厚生委員会副委員長(2013年より)、動物愛護管理審議会委員(2013年 - 2014年)、東京都議会東京多摩国体推進議員連盟を務めた。みんなの党解党後も後継会派「かがやけTokyo」に所属していたが、2015年2月1日に離脱し一人会派「東京みんなの改革」を設立。
2016年4月、民進党の広島県連が橋本博明に代わる衆議院広島3区新支部長として福山市出身の塩村を充てることを検討。2017年2月に正式に広島3区支部長に内定した。国政選挙への立候補が内定したことから、2017年の都議選には立候補しなかった。
第48回衆議院議員総選挙では、希望の党への事実上の合流が決まったため、民進党から公認を得ることができなくなった。2017年10月2日、自身のFacebookで、無所属(連合推薦)で選挙に挑むことを表明。希望の党への公認申請については元々出していないとする報道と、希望の党からの立候補を目指していたとする報道の両方がある。6日には日本共産党が独自候補擁立を取りやめて、塩村を支援することになった。投開票の結果、自由民主党の河井克行に敗れ落選。2018年5月7日に民進党が希望の党の一部と合流し国民民主党が結成されるとこれに参加し、同党の広島3区支部長に就任した。
2019年1月25日、国民民主党に離党届を提出し、同年夏の第25回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立憲民主党公認で立候補することを表明した。これを受けて国民民主党は同年2月6日の同党総務会で、党規約や倫理規則に違反するするとして離党届は受理せず、塩村を除籍処分相当とし、3月6日の拡大総務会で正式に除籍を決定した。
2019年7月の第25回参議院議員通常選挙において、立憲民主党公認候補として東京都選挙区から立候補し、688,234票を得て初当選した。参議院議員当選後は、参議院の予算委員会、内閣委員会、立憲民主党の青年局に所属。
2020年9月15日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で新「立憲民主党」を結成。塩村も新党に参加。
2021年、枝野の代表辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では小川淳也の推薦人に名を連ねた。
2022年[要出典]、党の派閥「直諫の会」に入会。同年9月1日、2日、直諫の会メンバーは会長の重徳和彦の地盤である愛知県岡崎市と西尾市を視察。塩村も同行した。
2012年に死去した父は1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により被爆しており(当時11歳)、塩村は被爆2世である。被爆者が亡くなると原爆死没者名簿に記されて平和記念公園の慰霊碑に奉納されるが、塩村が初めて参列した8月6日の式典でその様子を見た時、「涙があふれた」という。ちなみに塩村は父について2016年に出版した著書の中で「父母は離婚、父親が事件を起こした、彼とは中学を卒業後ほとんど会っていない」といった事情を明かしている。
親族が合祀されているため2012年と2015年の終戦記念日に靖国神社を参拝したが、国会議員になってからは参拝していないと2021年にツイッターで説明した。
自身の不妊治療問題への取り組みによる経験から検査した結果、卵管と子宮の癒着により不妊傾向が強いことから卵子凍結保存をしている。
2014年6月18日の東京都議会本会議において、塩村が晩婚化対策に関する東京都の支援について質問していた最中に、複数の男性の声で「早く結婚した方がいいんじゃないか」と議員席からやじが飛んだ。これについて、6月20日にセクシャルハラスメントだとして都議会議長宛に処分要求書を提出した。要求書は不受理となったが、社会的にも批判や抗議が巻き起こり、世界にも報道された。鈴木章浩都議は6月23日に謝罪会見を行い「早く結婚した方がいいんじゃないか」と発言したのは自分だと認め、謝罪会見に先立って塩村と面会し、直接謝罪している。また自民党の石破茂幹事長は「党の責任者としておわびしたい」と陳謝した。
東京都世田谷区にある塩村の事務所で、立て看板や郵便受けが壊されていたことが2020年6月1日、塩村や警視庁世田谷署への取材で明らかになった。同署は器物損壊容疑を視野に調べている。
塩村によると「今回だけではなく、これまでも刃物を連想させるモノを封書で送ってきたり、ポストに大量の嫌がらせを入れられたり、怪文書を選挙区中にばら撒かれたり、議会まで嫌がらせをしに来た上で、金品の要求されたりしている」という。
また2021年8月28日、塩村が自身のツイッターで、部屋のインターホンが鳴ったが、玄関先に誰もいなかったことを明かした。自民党の三原じゅん子はこの件に対して党の垣根を越えて注意喚起を促す投稿を行なった。
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