南三陸町(みなみさんりくちょう)は、宮城県北東部の三陸海岸南部に位置する町。本吉郡に属する唯一の自治体である。
みなみさんりくちょう 南三陸町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
郡 | 本吉郡 | ||||
市町村コード | 04606-0 | ||||
法人番号 | 4000020046060 | ||||
面積 | 163.40km2 | ||||
総人口 | 11,477人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||||
人口密度 | 70.2人/km2 | ||||
隣接自治体 | 石巻市、登米市、気仙沼市 | ||||
町の木 | タブノキ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
他のシンボル | 町鳥:イヌワシ 海の生物:マダコ 町の色:スカイブルー | ||||
南三陸町役場 | |||||
町長 | 佐藤仁 | ||||
所在地 | 〒986-0725 宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田101番地 北緯38度40分50秒 東経141度27分44秒 / 北緯38.68056度 東経141.46236度 東経141度27分44秒 / 北緯38.68056度 東経141.46236度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
宮城県の北東部、本吉郡の南部に位置し、志津川湾、伊里前湾に面する。湾内には椿島、竹島、船形島、野島などの島があり、リアス式海岸特有の優れた景観を持つ。沿岸部一帯は三陸復興国立公園の指定を受けている。
西・北・南西は北上山地の支脈に連なっており、町土の70%以上は森林である。
リアス式海岸の地形的な特性から津波の影響を受けやすく、近世以前においては平安前期の貞観地震(869年)に伴う大津波など、近代以降では、1896年(明治29年)の明治三陸大津波、1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波によって大きな被害を受けている。そのため、沿岸部には、防波堤や防潮堤、水門などが設置されている。2011年(平成23年)、東北地方太平洋沖地震によって被災し(東日本大震災)、特に大津波による被害は甚大となった。この地殻変動は先の貞観地震以来1141年余りを経て繰り返された現象と見なされている。また、この地殻変動によって当地域内の志津川地区の地盤は、水平方向に442 cm、垂直方向にマイナス75.27 cm移動したことが、GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院測地観測センターによる分析で明らかとなった(cf. 隆起と沈降)。
南三陸町を代表する山である田束山は、霊峰として古くから仏教徒の修行の場となっており、頂上からは360度のパノラマ的景観が見下ろせる。
町内の全ての川は町内に水源を持ち、また、その河口も全て町内にある。数字は、川の最長距離(長さ)を示す。
志津川(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.2 (61.2) | 20.2 (68.4) | 23.8 (74.8) | 30.2 (86.4) | 33.5 (92.3) | 34.2 (93.6) | 36.3 (97.3) | 38.0 (100.4) | 35.0 (95) | 28.7 (83.7) | 24.1 (75.4) | 20.5 (68.9) | 38.0 (100.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 5.4 (41.7) | 6.3 (43.3) | 9.8 (49.6) | 15.1 (59.2) | 19.4 (66.9) | 22.1 (71.8) | 25.5 (77.9) | 27.3 (81.1) | 24.2 (75.6) | 19.3 (66.7) | 13.8 (56.8) | 7.9 (46.2) | 16.3 (61.3) |
日平均気温 °C (°F) | 0.7 (33.3) | 1.2 (34.2) | 4.2 (39.6) | 9.2 (48.6) | 14.0 (57.2) | 17.5 (63.5) | 21.4 (70.5) | 23.0 (73.4) | 19.8 (67.6) | 14.2 (57.6) | 8.4 (47.1) | 3.1 (37.6) | 11.4 (52.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.1 (26.4) | −3.0 (26.6) | −0.6 (30.9) | 3.8 (38.8) | 9.2 (48.6) | 13.8 (56.8) | 18.3 (64.9) | 19.8 (67.6) | 16.2 (61.2) | 9.8 (49.6) | 3.5 (38.3) | −0.9 (30.4) | 7.2 (45) |
最低気温記録 °C (°F) | −12.3 (9.9) | −12.5 (9.5) | −8.1 (17.4) | −4.4 (24.1) | 0.2 (32.4) | 4.5 (40.1) | 9.5 (49.1) | 12.5 (54.5) | 6.7 (44.1) | −0.5 (31.1) | −4.7 (23.5) | −9.6 (14.7) | −12.5 (9.5) |
降水量 mm (inch) | 45.3 (1.783) | 39.2 (1.543) | 88.6 (3.488) | 103.3 (4.067) | 116.7 (4.594) | 130.7 (5.146) | 167.3 (6.587) | 142.8 (5.622) | 184.2 (7.252) | 155.3 (6.114) | 70.7 (2.783) | 54.2 (2.134) | 1,302.3 (51.272) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.1 | 6.2 | 8.4 | 9.0 | 10.2 | 11.0 | 13.1 | 11.1 | 11.3 | 9.0 | 7.5 | 7.1 | 110.5 |
平均月間日照時間 | 171.9 | 171.4 | 192.3 | 199.5 | 199.7 | 157.9 | 139.9 | 161.1 | 137.9 | 155.6 | 158.6 | 153.4 | 1,997.1 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁 |
宮城県内の「三陸・県北・仙台・県南」の地勢的地方区分のうち、三陸地方に属し、その南部に位置する。また、同県の「北部・中部・南部」の地勢的地方区分では、中部地方に属し、その北東部に位置する。
県の広域行政区分上、気仙沼市と本吉郡(現在は南三陸町のみ)とで「広域気仙沼・本吉圏」を形成する。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南三陸町は震度6弱(観測地点:歌津地区、志津川地区)を記録した。さらにこの地震が引き起こした大津波は町内の3つの川を逆流し、1960年(昭和35年)のチリ地震による津波の到達地点を越えて内陸深く進入した。町役場庁舎もこの津波に巻き込まれた。
この地震による地殻変動に伴い、志津川地区の地盤は大きくずれた(「地理」節で詳述)。
町内にある5つの鉄道駅は、周辺地域の駅同様、その全てが甚大な被害を受けた。陸前戸倉駅は駅と周辺施設の全てが跡形もなく流失し、志津川駅・陸前港駅は駅舎などが流失し、線路も大きな被害を受けた。高台よりにあった歌津駅と清水浜駅は辛うじてプラットホームが残ったものの、歌津駅の駅舎は全壊、周辺の線路は大きくねじ曲がった。気仙沼線は至る所で線路が寸断し、鉄橋も崩落、トンネル内にも瓦礫や漁船等の津波漂流物が入り込んだ。
町庁舎と仙台法務局(気仙沼支局)は共に被災し、保管していた電子化済みの戸籍データが完全消滅したと懸念されたが、同法務支局の上層階で約1年前の戸籍データ副本が発見された(3月22日発表)。
2011年6月22日時点で判明した人的被害は死者542人、行方不明者664人、町内の避難者2,697人、町外および県外への避難者1,832人、建物被害は全壊3,166棟・大規模半壊91棟・半壊54棟で、被災率61.1%[出典無効]。仮設住宅は申し込み数2,045戸に対して1,233戸が完成し、併せて、民有地35箇所が活用されている。
後年、犠牲となった人の追悼・鎮魂の場であると共に、甚大な被害の記憶や教訓を継承していく施設は隈研吾設計の「南三陸町3部作」として南三陸さんさん商店街・南三陸町震災復興祈念公園・南三陸311メモリアルが造られた。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 佐藤仁 | 2005年(平成17年)11月6日 | (現職) | 2期目在任中に東日本大震災が発生 (cf. 1)。 |
定数:13名
任期:2021年(令和3年)11月6日 - 2025年(令和7年)11月5日
2024年、民間の有識者らで作る人口戦略会議は、各市町村における将来の20歳-39歳女性の人口減少率を予想。南三陸町では、2020年から30年間に74.9%減少する(宮城県下2位の値)とし、将来的に消滅する可能性が高い「消滅可能性自治体」であることが公表された。
南三陸町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 南三陸町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 南三陸町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
南三陸町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
2020年における各種人口統計は以下の通りである。なお、一部の数字は四捨五入されている。
2022年3月時点の各地区の人口と世帯数。
増減率は、5年前の2017年3月時点と10年前の2012年3月時点との比較。
人口 | 世帯数 | |||||||
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地区名 | 男性 | 女性 | 人口 計 | 増減('17年) | 増減('12年) | 世帯数 | 増減('17年) | 増減('12年) |
志津川 | 2,405人 | 2,527人 | 4,932人 | -8.54% | -26.74% | 2,008世帯 | -1.71% | -14.51% |
歌津 | 2,027人 | 2,027人 | 4,054人 | -9.36% | -15.02% | 1,326世帯 | -3.91% | -4.60% |
戸倉 | 646人 | 686人 | 1,332人 | -12.02% | -33.29% | 456世帯 | -8.43% | -25.85% |
入谷 | 901人 | 916人 | 1,817人 | -11.19% | -1.83% | 654世帯 | -0.30% | 25.04% |
合計 | 5,979人 | 6,156人 | 12,135人 | -9.61% | -20.95% | 4,444世帯 | -2.90% | -8.87% |
2020年における各種面積統計は以下の通りである。なお、一部の数字は四捨五入されている。
2020年における各種経済統計は以下の通りである。なお、一部の数字は四捨五入されている。
気仙沼・本吉地域広域行政事務組合(管轄:南三陸町・気仙沼市)
かつては公立志津川病院が町内にあり、町の中核病院として機能していたが、東日本大震災で被災。隣接する登米市の登米市立よねやま診療所の空き病棟を借り受けて入院患者を受け入れ、通院患者は町内の仮設診療所で対応していた。2015年12月14日、町内に南三陸病院が開業し、公立志津川病院の機能を引き継いだ。尚、総工費56億円のうち約4割(22億円)が台湾からの支援である。
主要施設のみ掲載。
江戸時代以降、入谷地区を中心に養蚕業が盛んに行われるようになり、仙台藩における養蚕・生糸生産の中心地となったが、生糸生産は現在ではほとんど行われていない。
志津川湾では、ギンザケ、カキ(牡蠣)、ホタテガイ、ホヤ、ワカメなどの海面養殖業が盛んに行われてきている。東日本大震災までは、農漁業体験を含む滞在・体験型の観光にも力を入れていた。
旧歌津町(現・歌津地区)では伊里前小学校、名足小学校の児童による創作ミュージカルが年に一回行われていた。これはプロの脚本・指導によるもので、ストーリーは昔から伝わる民話を基にしたものが多く、ミュージカル作品を通じて郷土に対する理解を深めることと、レッスンを通して情操教育を行う狙いもあった。このユニークな取り組みが評価され、第2回ふるさとイベント大賞(自治大臣表彰)を受賞した。
かつてはJR東日本気仙沼線が町内を通っていたが、2011年の東日本大震災で被災し、柳津駅 - 気仙沼駅間が休止。BRT(バス高速輸送システム)で復旧し、鉄道としては休止のまま2020年に廃止された。以来、町内には鉄道路線が通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は登米市の柳津駅。
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