井上 真樹夫(いのうえ まきお、1938年〈昭和13年〉11月30日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の俳優、声優、作詞家。山梨県甲府市出身。青二プロダクションに所属していた。
いのうえ まきお 井上 真樹夫 | |
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1962年 | |
プロフィール | |
本名 | 井上 孝夫(いのうえ たかお) |
愛称 | マッキー |
性別 | 男性 |
出身地 | 日本・山梨県甲府市 |
死没地 | 日本・千葉県 |
生年月日 | 1938年11月30日 |
没年月日 | 2019年11月29日(80歳没) |
血液型 | O型 |
職業 | 俳優・声優・作詞家 |
事務所 | 青二プロダクション(最終所属) |
配偶者 | あり |
公式サイト | 井上真樹夫 オフィシャルWEB |
公称サイズ(時期不明) | |
身長 / 体重 | 165 cm / 58 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1960年 - 2019年 |
ジャンル | アニメ・ゲーム・吹き替え・ナレーション |
デビュー作 | 『ドビーの青春』 |
俳優活動 | |
活動期間 | 1954年 - 2019年 |
ジャンル | テレビドラマ・映画・舞台 |
山梨県甲府盆地の南端の田園地帯で生まれ育つ。小学2年生の時には兄に手を引かれ、田んぼの向こうの工場で行われた村芝居を見ていたという。その後、一家とともに東京に移住し、中学生の時、移動劇団の『チルチルミチル』を観劇したことがきっかけで芝居の道を志す。
東京都立文京高等学校に進学後、在校中に東京アナウンス・アカデミーへ入学。16歳頃にはテレビドラマに出演を開始し、演劇部の活動にも熱中。高校3年生の時には教師に「芝居はほどほどにして受験勉強を」と説教されるが、これに猛反発し「だったら意地でも芝居やってやる」と決意。卒業間近であったが、東京都立北園高等学校夜間部に転校した。
1960年頃には寺山修司にインスパイアされ、寺山と対面したのち、友人と共にアングラ劇団(劇団表現座)を設立。旗揚げ公演の『アダージョ』では主演を務めた。なお、設立直後には寺山から天井桟敷の設立に誘われたことがあったという。
しばらくして、舞台の成立が困難になったり生活が苦しくなったりしたため「お金を稼がなきゃ」と思っていたところ、知り合いのマネージャーに誘われ『ドビーの青春』の吹き替えオーディションに参加、主役に抜擢され出演したことがきっかけとなり、声優業を行うようになる。
児童劇団白樺、蟻の会、つくしグループ(創立メンバー)、文学座、草の会、劇団表現座、富士放送プロを経て青二プロダクションに所属、アニメにも多数出演するようになり、第1次声優ブームが起きると富山敬、神谷明と共に「声優御三家」の一人となる。
2017年10月から自身のTwitterアカウントを開設し、80歳を超えた後も「キングダム ハーツ シリーズ」でマスター・エラクゥス役として出演していた他、講演会・読み聞かせの開催、「伊能 絵巻(いのう えまき)」名義での作詩活動や小説の執筆など晩年も精力的に活動を行っていた。死去の4ヶ月前には「生涯現役プロジェクト」を掲げ、10月からYouTubeチャンネルを開設し、スタッフとのウェブラジオ配信も開始していた。
自身の誕生日の前日である2019年11月29日、持病の狭心症が悪化し急性心臓死を発症したため、千葉県内の自宅で死去。80歳没。ゲーム『スーパーロボット大戦T』でのハーロックが遺作となり、声優としての最後の仕事は、同年2月に収録された『劇場版銀河鉄道999』40周年記念企画上映会用のコメントとなった。「生涯現役プロジェクト」についてはスタッフや井上の家族により、今後も継続されることが発表された。
声優業では主人公から悪役までさまざまな役をこなしている。『宇宙海賊キャプテンハーロック』のハーロックの前に主役を演じていたのは『男どアホウ甲子園』の藤村甲子園、『ミクロイドS』のヤンマといった明るいキャラクターが多かった。なかでもクールな二枚目役を得意とし、花形満などのライバル役を演じることが多かった。井上自身は1970年代のインタビューで「半分大人っぽいような、半分子どもっぽいような不安定な年齢層の役が多いですね。言いかえれば少年あがりの青年役ですか」「僕の中に演技的な流れがあるとすれば、少年風なものとニヒルでクールなものの二つの流れだと思うんです」としている。
第二次世界大戦を経験。7歳頃に甲府空襲で自宅を失い、その影響による栄養失調で乳幼児だった末弟を亡くしている。このことは「思い出したくない」と長年公表していなかったが、最晩年には戦争体験を語れる世代が減り「戦争をしたがる人、不感症の人が増えてきた」と感じたことから、SNSや講演会で話すことがあった。
漫画家になりたかった時期もあり、小学校時代は、家に帰ると、隣の男子と物置きに閉じこもっており、画用紙とペンを持って毎日一生懸命描いていたという。あの頃は手塚治虫がうけていたことから、手塚治虫の模写を一生懸命していたという。
役者になる前は詩人になることを志望しており、学生時代には吉田一穂門下の添田邦裕に弟子入りしたこともある。そのため、日本作詩家協会に所属していたほか、『アニメージュ』で詩の連載をしたこともあった。なお、芸名の「真樹夫」は、弟子入りの際名付けられた筆名「真樹岑」(読み同じ)を読みやすく変えたものである。
かつてはフランス映画が好きであり、それが高じて高校卒業後はアテネ・フランセ仏語科に進学していた。同期生にはなかにし礼がいる。
晩年は禅宗の僧となり、慈孝という僧名を持っていたほか、千葉県内の寺で住職を務めていた。小林清志は羽佐間道夫との対談で井上が「住職の息子」だと発言しているが、これについて井上本人は「息子ではない」と否定している。また、長期休暇には山寺に籠もり数日間ひたすら坐禅するなど修行の旅にも出ていた。
趣味は古書収集。読書家であり、小林清志は井上を追悼コメントの中で「なかなかの文学青年だった」と評している。また、パソコンにも造詣が深く、本人曰く「8ビット時代から25台ほどつぶしている」とのこと。
落語家の三遊亭小圓遊は同じ高校の1年先輩であり、演劇部で一緒だったことから親交があった。
『ルパン三世』で共演していた栗田貫一は、追悼の際に「いつもいつも優しくしてくれた素晴らしい大先輩でした」とコメントしている。
井上がデビューしたころの声優業は、「あいつは吹き替えをやっている」と笑われることもあるなど「舞台俳優が片手間にアルバイト感覚でやっている」という認識が強く、自身も稼ぐために始めたこともあって、しばらくは声優業に否定的な考えを持ちながら行なっていた。だが、アニメや声優がブームになり地位が確立されると、徐々に「やりがいのある仕事」に変わっていったという。また、ブームを支持したファンには「仕事そのものの価値が今までの僕等の価値観ではとらえられないものに変ったんですね。その価値を皆さんが与えて下さったんです」「僕の人生観を変えさせてくれ、わずかではあるけども演技観も変えさせてくれるものだった」と感謝を表している。
「声優である以前に俳優である」という姿勢とポリシーを抱いており、「声優」という呼ばれ方はあまり好ましく思っていなかった。また、そのようにありたいという思想から、1990年代には舞台を敬遠する若手声優に「憤りの感情を抱いている」という主旨の発言をしていた。ただし、晩年の2017年には「確かに昔はそういうことをずいぶん言っていましたけど、今はもうそういうことを言っても仕方がない」とも語っている。
近年の若手声優に対しては「最近は即席の声優がたくさん出てきているが、演技の勉強が根本的に足りていない。もちろん、素晴らしい演技をしている声優はたくさんいる。でも、『これはまだだな』という演技の子も平気で活躍しているのは、あまり良いことではない」と語り、「どこかで聞いたことのあるような、口先の演技が横行していることはどうしても許せない。プロである以上は、オリジナリティを出してほしい。真似はダメだ」という思いを述べている。
役作りについて「アニメだろうが、洋画だろうが、そのキャラクターの内面を想像して、その中に自分を入れ込む作業だから、何かを持ってきて参考にして、というのはやらない。もし、それをやってしまったらどこか物まね的になってしまう。とことん自分が考え、思い詰めていく中で何かが出てくる、それが役者の仕事なんだよ」と発言している。
役作りの一環として、アフレコの際は演じる役と同じ、またはそれに近い衣装を着て行なっている。『ルパン三世』の石川五ェ門を演じる際は、作務衣を着ていたという。
洋画の吹き替えで思い出深い作品に、これまで『冬のライオン』『ロンリーマン』『誓いの休暇』『陽のあたる場所』を挙げている。
『巨人の星』の花形満について、演じた際には「キャラクターとの関係と役者との関係も同じようにする」というスタンスでライバル関係である星飛雄馬役の古谷徹とは意図的に親しく接することはなく、収録が終わってからそれは演技に集中するためだったと古谷に明かして謝ったという。ただし後年、この話題に「それはちょっと誤解が入ってる。俺の言い方が悪かったのかもしれないけど、実際は別にそんな避けていたわけじゃない。単に、あっちが中学生で話題がなかったんだよ。当時俺はもう29歳だったけど、アイツはスタジオで宿題とかやってるんだから(笑)」とも語っている。
『ルパン三世』シリーズでは、1977年(昭和52年)放送の『ルパン三世』(TV第2シリーズ)から2010年(平成22年)放送の『ルパン三世 the Last Job』まで、二代目として長年にわたり石川五ェ門を演じていた。
『ルパン三世』(TV第1シリーズ)での大塚周夫から引き継ぐ形であったが、起用に際して「ハードな殺気をまとう男から若く甘いイケメンの剣豪へとキャラクターが代わり、声優交代が必要だ」と説明を受けたという。そのため、視聴者から大塚と比較されることへの苦悩もありつつ、演じる際は自身のカラーを出すことに留意したという。
井上は五ェ門について、自身の代表作の一つであり大事なキャラクターで、「人生に有形無形の関りがあった」と発言している。また「(五ェ門は)当初は二枚目だったが、途中からストーリーの都合で性格が一番変化させられることが多いキャラクターとなり、それも作品の深まりと捉え楽しくやることができた」と語っているほか、少ない台詞の中で存在感を出すことがいつも苦労すると共に、五ェ門を演じる醍醐味でもあったという。
これまで演じた中で思い出深いルパン作品には、『TV第2シリーズ』第112話「五右ヱ門危機一髪」や『ルパン三世 燃えよ斬鉄剣』を挙げている。
『ルパン三世 風魔一族の陰謀』でレギュラー声優陣が一新された際は五ェ門役も一時的に塩沢兼人に交代したが、この件については2019年に「(Wikiの本項を通読した限りで感じたこととして)声優陣の交替は制作者の反乱である」と評し「残念なのは原作者の厳命を裏切り、声優に極秘だった点だ。セコさが悲しい」と語っている。
原作者のモンキー・パンチが死去した際は「漫画・アニメ界の『巨星墜つ』の感一入です。「ルパン三世」ラストジョブまで33年間大変お世話になりました」とコメントし、報道のあった日はSNSを控え喪に服した。その後、井上が死去した際には長年同シリーズで共演した小林清志が「五ェ門おまえもか!残されたのは不二子ちゃんとオレ次元と二人だけになっちまった。斬鉄剣も泣いている。」と追悼コメントを出している。
『宇宙海賊キャプテンハーロック』の主人公・ハーロックという役はどういう経緯で話が来たのかは分からないが、当時は2004年時点ほどのアニメブームではなく、軽い気持ちで引き受けたという。「あのマンガで有名なハーロックを俺がやるんだ」という気負った感じはなく、「お仕事1本入りました〜」のような割と気楽な感じであった。当時、井上も含め多くの大人はアニメ自体に2004年時点ほど魅力を感じておらず、期待もしていなかった。ただし、段々とアニメブームが盛り上がってきて、「これはすごいことになるな」という予感はしていたという。
ハーロックを演じるにあたり、原作のファンにとっては固定したハーロックのイメージがあるので、その期待にこたえられるか不安だったという。役作りでは今までで一番苦労したとのことで、男の悲哀や強さをさまざまな場面、台詞で重層的に表現しなくてはならず、声や口調もそれまでのアニメの主人公と違って派手に叫んだりはせず、抑えて演じたとのことである。
声帯ポリープ切除のため2話分休演しており、全話出演を果たせなかったことについては心残りだと語っている。その一方で、代演を務めた徳丸完には感謝をしており、井上の復帰と続投を決めたプロデューサーの田宮武に関しては「恩人」と語っている。
2001年頃を境にハーロックは演じる機会はなかったが、2014年の『アオイホノオ』の劇中アニメで13年ぶりに、更に5年後の2019年にはゲーム『スーパーロボット大戦T』で再びハーロックを演じたが、前述したとおりこれが井上の遺作になった。同作プロデューサーの寺田貴信は「井上さんは物凄く拘ってハーロックを演じておられ、こちらからOKを出した台詞を自らリテイクされるなど、ご年齢を感じさせないお仕事ぶりでした」と語っている。そして収録後には「この歳になって、またハーロックを演じられるとは思っていなかった。ありがとう」という旨の言葉をもらったという。
2013年には製作者たちが井上のファンであったことから、TBSドラマ『安堂ロイド』に俳優として大物政治家役でゲスト出演、続けて翌2014年にドラマ『家族狩り』にレギュラー出演し、認知症老人の役を演じている。
年齢を重ねてからの実写作品での活躍について井上は、「(それまでハンサムな役が多かったため)僕をイケメンだと思ってくださる方もいて、ずっとプレッシャーでした。この年齢になって、自分の姿で演じることができて本当に嬉しいです」と喜びを語っている。
太字はメインキャラクター。
※以下は花形満役で声の出演
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