ネーション、ネイション(英語: nation)は、国民・国家(国民国家)・民族のこと。本記事では、主として「民族」としてのネイションについて記述する。
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「民族」の定義には、
の3種に大別される。
1.「本質論(原初主義)」は、Ethnic groupという概念の定義として、人類学・民族学・文化人類学などの分野で使用される。また「折衷論」において、「民族(ネイション)」の前段階である「エトニ(ethnie)」の定義としても用いられる。 2.の「構築論(道具主義)」は、国際政治学・政治学・歴史学(とくにナショナリズム運動史)などの分野で、「Nation」という概念の定義で用いられる。
折衷論のスミスは、これらについて、「全てのネイションはエトニを有するが、全てのエトニがネイションとなるわけではなく、ネイションのうち自前の国家を獲得できたものはさらにその一部である」と説明する。
「構築論(道具主義)」の代表的な論者のひとりアンダーソンは、「ネイション」について、「ネイション(国民・民族)というのはイメージとして心に描かれた想像上の共同体だ」と述べ、「想像上の共同体」に欠かせないものとして「ナショナリズムの運動」が作り出す「道具」として、以下のようなものを挙げる。
「ナショナリズムの運動」のための上記の道具としては、「社会の近代化、産業化」以前からあるエトニの言語・歴史・文化や伝統をそのまま転用できる場合もあれば、ナショナリズムの運動家たちが一部または全部を新たに創造せねばならない場合もある。
その際には、人々に「われわれにはちゃんと独自の民族の言語・歴史・文化や伝統がある」と思わせ、ナショナリズムの運動に動員することに成功するかどうかが重要となる。
元来、nationはラテン語において「生まれ」を意味するnatio(ナティオ)に由来する概念であり、gens(ゲンス)とならんで血統と出自の女神を意味した。家族より大きく氏族よりも狭い、「同じ生まれに帰属する人々」を指す言葉であった。
中世にはnatioという言葉はボローニャ大学やパリ大学をはじめとして、同じカレッジの構成員、または学生たちのグループを指した。彼らは同じ地域の出身で、同じ言語を話し、自分たちの慣習法に従うものとされた互助的な自治組織であった。しかしこれらは国家を基準としたものではなく、あくまでもゆるい地理的な基盤によるものであった。たとえば、1383年と1384年には、パリ大学で神学を学んでいたジャン・ジェルソンは二度にわたってフランス人学生団・同郷団(French nation・フランス生まれでフランス語を話す学生たち)の代表に選出された。パリ大学での学生のnatioへの分割はプラハ大学でも踏襲された。1349年の開校以来、ストゥディウム・ゲネラーレ(studium generale)は、ボヘミア、バイエルン、ザクセン(マイセン)、そして、ポーランドのnationに分割されていた。
リーア・グリーンフェルドによれば英語としての nation は以下のような五段階の変化を経てきた。
nationを政治的独立を獲得する独特な共同体として考える定義としては、まずヘルダーをあげることができる。ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーはnationを一種の
とみなした。19世紀のはじめ、フィヒテはこの考え方を推し進め、一個の独特の言語グループはかならず一個の独立のnationであり、自らの生活を持たねばならず、そしてまたその自らの生活を制御できなければならないと主張した。
スターリンによる、1913年の論文『マルクス主義と民族問題』での定義は以下のようなものである。
しかし、研究者の中にはこれらの客観的特質がnationの定義の十分条件をなすことを、はなはだしい場合には必要条件をなすことすら否定する者もいる(Canovan 1996; Gellner 1983; Hobsbawm 1992; Renan 1994)。
ホブズボームの説得力のある指摘によれば、もしも、nationに一個の定義を下さなければならないならばいわゆる客観的な条件はすべて適切な基準ではない。言語を例に挙げて、ホブズボームは資料に訴えている。イタリアが1860年に統一されたとき、正統な標準イタリア語を話せたのは全体の2.5%にすぎなかった。他にも、1789年のフランス革命の勃発時に半分以上のフランス人はフランス語を話せず、南フランス住民の殆どはオック語話者だった。言い換えるならば、いわゆる民族言語というものは、主としてナショナリズムの実践の結果なのであって、ネーションやナショナリズムの原因とみなすことはできないのである。そのうえ、こうしたnationを定義するのに用いられてきた「客観的」基準、言語、エトニ、その他のものも、それ自身が変化しうるものであり、明確な定義も欠いている。
我々はゲルナーにこうした観察に関連した論点を見ることができる。
nationの本質は主観的な意識 (subjective consciousness) なのであって、それが政治的、文化的、生物学的なものであるかどうかにかかわらず、客観的に共有される特質にはよらないとする議論もある。
ヒュー・シートン=ワトソンは「ひとつのグループが相当部分を占め、みずからを一個のnationをなすべきと考えるようになったとき (consider themselves to form a nation)、あるいはかれらがすでに一個のnationをなしているかのように振舞うようになったとき (behave as if they formed one)、たちまちひとつのnationが存在するようになる」と主張する。
エリック・ホブズボームも同様の立場をとる。「最初の作業仮説として、人々の十分に大きな集団があって、その成員が自らを「ネイション」の一員とみなしているのであれば、それをネイションとして取り扱うことにしよう」
またアーネスト・ゲルナーは一方では、まず闘争がはじめにあって、そのあとに、nationがやって来ることができるということを主張し、他方ではまた、ひとつのnationはかならず、互いにひとつのnationに属しているとみなしている人々からなる必要があることを強調する。
実際、こうした現代の研究者がnationの主観的な構築性を指摘するはるか以前に、こうした観点はいまでは古典となっている社会科学の著作のなかに早くから現れていた。社会学の巨匠マックス・ウェーバーは民族体 (nationhood) の間主観的側面を強調し、グループのいわゆる客観的特質は、nationを定義するのには役に立たたず、そのため、nationという概念が、「価値的領域 (sphere of values)」に属していることを発見するに至った。nationという概念は、主として、本質的に、「他のグループを前にしてもつ一種特別の連帯感情」の上に作り上げられている。
ルナンもまた1882年に早くも指摘している。「共同の地理や地域、言語、種族あるいは宗教、そうした条件を持っているということは、少しもnationの存在の十分、あるいは必要条件とみなすことはできない。それに反して、nationは互いに関連した二つの要素をもっている。ひとつは、過去の記憶の豊かな遺産の共有であり、もうひとつは、ともに暮らし、これらの遺産を受け継いでいこうという欲望である。そのため、われわれがnationの本質について認識を深めようと思うのならば、こうした特別な歴史の意識から出てきた連帯感 (solidarity) の探求を進めなければならない。そのため、nationは一種の道徳的形式 (a form of morality) として理解されるべきなのである。
ベネディクト・アンダーソンの有名な定義がある
アンダーソンによればnationは一種の人工物であり、一個の「想像された政治的な共同体」である。しかし、このことは、nationが「虚偽の」存在であることを意味しない。採用すべき戦略は、想像の様式、及びこの想像を可能にした制度を用いて、この2つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。アンダーソンが挙げている例は「印刷-資本主義 (print-capitalism)」であり、またそれによって出現した、nationを一個の社会学的な共同体へと変えた新しい文学のジャンルであるところの、新聞と小説である。
スタイル以外でも、共同体を区別するその他の基準をわれわれは当然見出すことができる。たとえば、その規模の大小や、行政組織の階層化の程度、内部での平等の程度などなどである。nationとナショナリズムを研究する上で主要な目的は、nationにかかわる「想像された」集合的な連帯感の特殊な形式を見出すことである。クレイグ・キャルホーンの提供する以下のリストは、多かれ少なかれひとつの共同体がnationとして想像されるための基礎的条件になりうると思われるものをあげている。
注意すべきことは、これらの特徴はナショナルな「修辞」なのであって、通常nationを記述する特徴として主張されるものなのである。実際、われわれは経験的な手段に訴えてnationを定義することはできない。たとえば、主権が達成されているかどうか、内部が分裂しているか、一貫性が維持されているか、あるいははっきりとした境界線を引けるかどうか、ということをいうことはできない。逆に、nationは通例大いにこれらの主張によって構成されているのであり、これらの主張は単に記述的なものではなく、規範的なものでもある。これらの特徴は、ナショナルな感情の基礎を提供するに十分でありうるが、しかし、ひとつとして絶対に必要な特徴というものはない。
異なるグループに対して、彼らが自分たちがひとつのnationを成す所以を主張するとき、そのことによって実際に、別の種類のグループが事実上建設されるのである。われわれはすべてのこうした主張を仔細に検討し、これらの主張を、その人々を結び付けている一種の信仰として認識する必要がある。ケラスは、以下のような定義を提案している。
佐藤優は、「世界史上の民族問題とナショナリズムに効率的にアプローチする」ためには、「オーストリア・ハプスブルク帝国を中心とした中東欧」と、「ロシア帝国の民族問題」に「注目すべき」とし、その理由として「まず、民族という概念が根付いたのは中東欧」であり、「ロシア帝国の民族問題」が「民族問題の複雑さを知る上で適切である」とする。そして「ナショナリズムとはそもそも何かを解説」するにあたっては、「これだけは押さえてほしい」と考える「ナショナリズム論」として、ベネディクト・アンダーソン、アーネスト・ゲルナー、アンソニー・D・スミスの三人を挙げる。佐藤はこの三人を「ナショナリズム論の三銃士」、「三人の知的巨人」とも評価する。
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