円 広志(まどか ひろし、1953年〈昭和28年〉8月21日 - )は、日本の歌手、タレント、作曲家、シンガーソングライター。本名は篠原 義彦(しのはら よしひこ)で、その名義での活動もある。
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
円 広志 | |
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出生名 | 篠原 義彦 |
生誕 | 1953年8月21日(70歳) 日本・高知県安芸郡野根町(現:東洋町) |
出身地 | 日本・大阪府 |
学歴 | 追手門学院大学経済学部卒業 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1974年 - |
レーベル | |
事務所 | オフィスとんで |
公式サイト | オフィスとんで |
シンガーソングライター、作曲家としてデビュー曲「夢想花」や『探偵!ナイトスクープ』のテーマ曲である「ハートスランプ二人ぼっち」、森昌子に楽曲提供した「越冬つばめ」でも知られる。歌手としてはデビュー曲の「夢想花」以外に目立ったヒット曲がなかったことから、それゆえにネタで「一発屋」扱いされるものの、関西ではテレビタレントとして高い知名度を誇る。
高知県安芸郡野根町(のちの東洋町野根)で小学校の教師をしていた父親のもと男3人兄弟(1つ上の兄、2つ下の弟がいる)の次男として生まれる。生活は貧しく、母親は室戸岬の方に沈む夕日を見ながらよく泣いていたという。この直後の小学校に上がってから1年3ヶ月の間、親戚の家に預けられたことがある。父の仕事の都合で篠原家は本人6歳の時に現在の室戸市に移るなど幼少期から転居を繰り返し、小学2年生の時大阪府豊中市庄内へ移る。「引っ越しは15回はしていますね」と後に本人がインタビューで語っている。高知の田舎町の学校から、いきなり一学年13クラスもあるマンモス校(当時)に転校したため、同級生たちとなかなか馴染めなかった。
以降は大阪府内で育ったが、夏休みには稲刈りを手伝うために高知の祖父母の家に帰省していた。
小学5年生の時に父親と見に行った映画『禁じられた遊び』のテーマ曲(「愛のロマンス」)に感動したこと、夏休みに高知を訪れた際親戚の家にアコースティック・ギターがあったことがきっかけで音楽に目覚める。休みの間ずっとギターの練習をしている内におじが5000円でギターを買ってくれ、現在も作曲などで使っている。幼少期は転校が多かったが、教室でギターを弾いてると友達ができたという。一躍クラスの人気者になり、本人にとってこれが音楽活動の原点となった。
その後建設業に転職した父が独立して工務店を開き、中学1年生の頃に大阪府守口市の一軒家に転居。中学生になると寺内タケシやザ・ベンチャーズに憧れてエレキギターを持ち、バンドを組んで作詞・作曲も始める。初めて作った曲はフォーク調の『きみとぼく』というものだった。ギターも音楽の知識もほとんど独学だったとのこと。高校に進学すると、さらに音楽にのめり込むようになる。
守口市立庭窪中学校、大阪府立守口高等学校(統廃合により現在の大阪府立芦間高等学校)を経て、追手門学院大学経済学部卒業。大学在学中にロックバンド「ZOOM」を結成し、ボーカルを担当。ZOOMはバッド・カンパニーのコピーを得意とし、円は「大阪のポール・ロジャース」と呼ばれていた。また、ライブハウス等で活動していた際の担当ローディーに世良公則がいた。
1974年、ZOOMはヤマハ音楽振興会主催のロックフェス「大阪8・8ロックデイ」に入賞し、関西では名の知れたバンドとなる。翌1975年にはゲストとして同イベントに参加した。この時のパフォーマンスは二枚組LP「'75 8.8ROCK DAY LIVE」に収録された(1999年にCD化)。A面5曲目「ロック・ステディ」、6曲目「グッド・チャンス・フォー・ミー」で当時の熱唱が聴ける。
当時のZOOMの人気は凄まじいもので、万博記念公園お祭り広場でのライブに立ち会った世良はのちに「3万、4万という若者が、『ウオー!』って円さんのZOOMってバンドが演奏するバッド・カンパニーに熱狂していたんですから。アルバムそのまま、全部やれちゃうの。(バッド・カンパニーの)ライブ・アルバムあるじゃないですか。あれそのまんま!」と回想している。
しかしZOOMは一部メンバーの就職などで1977年に解散。円はデモテープ作りの傍らコンサートの会場警備のアルバイトをしており、その中にはかつてのローディーだった世良率いる世良公則&ツイストが大阪ABCホールで開いた凱旋ライブもあった。この仕事では会場で世良に殺到する女性ファンを抑えたり、終演後に世良たちを会場から引き揚げさせるための影武者としてファンを引きつける役も担った。円はこの時期について「すっかり立場が逆転です」と回想している。
しかし、そのコンサート会場で知り合いのヤマハの関係者と偶然再会し、翌1978年のヤマハ音楽振興会主催の『ヤマハポピュラーソングコンテスト』(ポプコン)に参加するチャンスを得た。ポプコンへの出場は本人曰く「一か八かの賭け」だったということで、この時歌った自作の「夢想花」は『第16回ヤマハポピュラーソングコンテスト』および『第9回世界歌謡祭』で立て続けにグランプリを獲得し、同年発売されたシングルレコードは80万枚の大ヒットとなった。
これにより円は多額の印税を手にし、多数の歌番組に出演したり一日に10社近くのインタビューを受けるなどデビュー直後は多忙を極めた。しかしその後「夢想花」を超えるヒット曲に恵まれなかったため、デビューから半年後にはテレビ出演も減少した。本人はこの理由について「レコードは売れたがファンが付いて来なかった。元々ロックを歌っていたのにデビュー曲がポップスで、長髪も切ったから大阪など地元のファンからそっぽを向かれた」、「僕にとってはポプコンのグランプリがゴールだった。スタートではなかったんですね。だから2曲目が続くわけもない」と後に語っている。
ただしその後も印税は入ってきたため、数年間、毎日パチンコと飲酒に溺れるなど堕落した生活を送っていた。しかし1982年のある日、全ての貯金が底をつき、東京から大阪に戻った。1983年、たまたま知り合いのポニーキャニオンの宣伝担当者に「暇つぶしに演歌調の曲を作って」といわれ、石原信一の詞を渡された。1か月かけて作った曲が、のちに森昌子の代表曲の一つとなった「越冬つばめ」であった。「夢想花」のイメージを払拭するため、本名の「篠原義彦」名義でクレジットされた「越冬つばめ」は大ヒットし、同年の『第25回日本レコード大賞』では最優秀歌唱賞を受賞した。円は「印税で僕も越冬できた」と述べている。このほか『探偵!ナイトスクープ』のテーマ曲(オープニングテーマ「ハートスランプ二人ぼっち」、CM入り用サウンドロゴ)とのタイアップ、番組開始以降長きにわたりテーマ曲を担当している『秘湯ロマン』の「静かな戦士」が知られる。
「越冬つばめ」が大ヒットした頃、島田紳助から手紙が来たこと(後述)がきっかけでバラエティ番組に出演し始めた。ほどなくして関西で冠番組を持つやしきたかじん、上沼恵美子との縁も生まれた。これにより、以後タレントとして関西制作のテレビバラエティ番組を中心に多くのレギュラー番組を持つようになり、関西において認知度は高い。上沼恵美子との共演が非常に多く、番組内で上沼が円を弄るネタが恒例となっているほか、島田紳助との関係から、『行列のできる法律相談所』など紳助が司会を務める番組に不定期出演していた。
2008年6月30日から関西テレビのローカル帯番組・『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』のMCに抜擢された。2023年6月末には番組開始15周年を迎えた。
定期的にコンサートも開くなど、歌手活動も継続中である。2010年7月より、新神戸オリエンタル劇場の音楽アドバイザーに就任した。劇場で行われる音楽公演の企画プロデュースやプロモーション等でアドバイスしている。2022年現在は、後進のミュージシャンの活動を後押しのため、音楽スタジオを経営している。
プロレスの大ファンで、かつて1981年頃に月刊明星にて「プロレスとんで見聞録」というタイトルのエッセイを連載した事もある。
特にジャイアント馬場を崇拝し、かつて日本テレビの「オシャレ30・30」に出演した時には、馬場への想いを熱弁したこともある。1994年に、当時中京テレビでレギュラー出演していた「ヴィヴィアン」の企画で馬場と対面した際には、本人から愛用の革靴をプレゼントされた。
その馬場に対する愛情の反面、アントニオ猪木ファンを嫌悪しており、猪木ファンから馬場ファンであることを揶揄されると非常に根に持つ。後年こそ緩慢な動きで他芸人からネタにされたレスラーであったが、オールドファンから見た場合、デビュー当初は元プロ野球投手、マット界のヒールで凱旋などの経歴を持つ上にプロレス活動当初は筋骨隆々の体躯でスピーディーな試合で知られていた。円もその頃から観戦した一人で、その当時の馬場のプロレススタイルをリアルタイムで体験している層の一人であり崇拝と憧憬、驚嘆、畏怖を馬場に投影している。
1999年1月22日、大阪府立体育会館での三沢光晴vs川田利明の三冠戦に円は訪れており、川田が三沢に放った三冠パワーボム(垂直落下式パワーボム)に度肝を抜かしている観客の円も、テレビ放送分に映っていた(この試合から9日後、馬場は肝不全により、この世を去った)。
『クイズ!紳助くん』で、紳助が馬場をネタにした話をすると、円が怒るといったパターンがよくあった。
# | 発売日 | タイトル | B面 | 規格 | 規格品番 |
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キャニオン・レコード / AARD-VARK | |||||
1st | 1978年11月21日 | 夢想花 | 朝から晩まで | EP | V-35 |
2nd | 1979年4月21日 | 愛しのキャリアガール | あてもないのに | EP | V-39 |
3rd | 1979年9月21日 | LOVE SONG | 今夜もお前とオール・ナイト | EP | V-43 |
4th | 1980年4月21日 | ミュージシャン | 偉大なる友へ | EP | V-50 |
5th | 1980年8月21日 | 大地の鼓動 | 浮き草遊戯 | EP | V-55 |
6th | 1980年10月21日 | 若きアドベンチャー | 心の舟に帆を上げて | EP | 7A-0026 |
7th | 1982年1月21日 | マイ シスター | Never Mind | EP | 7A-0145 |
8th | 1983年4月21日 | 心ふるえる夜 | 風が光る時 | EP | 7A-0277 |
9th | 1984年4月21日 | 越冬つばめ | EP | 7A-0373 | |
10th | 1985年6月21日 | お前を抱けない夜 | 追跡 | EP | 7A-0492 |
11th | 1986年9月21日 | 大阪 Broken heart | 君のあの歌 | EP | 7A-0634 |
12th | 1987年5月21日 | 風の港 | TO・MO・DA・CHI | EP | 7A-0728 |
ポニーキャニオン / AARD-VARK | |||||
13th | 1988年10月21日 | 風のバラード/オンチ | EP | 7A-0913 | |
8cmCD | S10A-0181 | ||||
14th | 1990年11月21日 | 雪の降る人 | 蒼い終列車 | 8cmCD | PCDA-00132 |
15th | 1991年6月21日 | 風のアルペジオ | いつの日か二人… | 8cmCD | PCDA-00202 |
16th | 1991年11月21日 | 夢のままで | MAY DEAR CITY -夢色の階段- | 8cmCD | PCDA-00260 |
17th | 1994年1月21日 | 夢のプロポーズ/MUSIC/ハートスランプ二人ぼっち | 8cmCD | PCDA-00529 | |
ポニーキャニオン | |||||
18th | 1995年2月17日 | 心が晴れたことがあるか | 恋人でなくなって | 8cmCD | PCDA-00694 |
19th | 1996年5月17日 | 愛すべきろくでなし | ちょっとお先に | 8cmCD | PCDA-00860 |
20th | 1997年7月18日 | だけど会いたくて | 愛になりたい | 8cmCD | PCDA-00985 |
WW RECORDS | |||||
21st | 2011年8月24日 | 俺だ | そして今夜もドロになる | CD+DVD | DQC-745 |
22nd | 2013年12月18日 | 走れシミケン | 僕らの記念日 | Maxi | DQC-1228 |
キングレコード | |||||
23rd | 2019年4月24日 | おかんの呼ぶ声 |
| Maxi | KICM-30918 |
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | ||
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キャニオン・レコード / AARD-VARK | |||||
1st | 1979年6月21日 | INNOCENT | LP | C25A-0033 | |
2nd | 1987年2月21日 | 大阪ブロークンハート | LP | C28A-0551 | |
CD | D32A-0270 | ||||
ポニーキャニオン / AARD-VARK | |||||
3rd | 1992年1月29日 | 雪の降る人 | CD | PCCA-00346 | |
CT | PCTA-00125 | ||||
ポニーキャニオン | |||||
4th | 1998年6月17日 | 空と海が青い理由 | CD | PCCA-01211 | |
オフィスとんで / MAD CAR RECORDS | |||||
5th | 2008年11月21日 | 帰りゃんせ | CD | MCR-0012 | |
6th | 2018年6月9日 | 遥かなる風人 | CD | MCR-0015 |
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | ||
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WW RECORDS | |||||
1st | 2013年10月5日 | 僕らの記念日 | CD | WWMCR-001 |
# | 発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |
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ポニー | |||||
1st | 1987年6月21日 | ベスト16 | CD | D32P-6079 | |
CT | 32P-9212 | ||||
ポニーキャニオン | |||||
2nd | 1996年7月19日 | ニューベスト | CD | PCCA-00991 | |
キングレコード | |||||
3rd | 2003年3月26日 | ベスト | CD | KICS-2405 | |
4th | 2006年12月21日 | ポプコン・マイ・リコメンド 円広志 | CD | KICS-2483 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1999年10月9日 | EFG BLUE 〜遥かなる風人〜 | 円広志 with ドンガン隊 | 「よし行け!」 | |
「EFG BLUE」 | ||||
「DA・DA・DA」 | ||||
「逮捕」 | ||||
「車で行こうよ」 | ||||
「パンク」 | ||||
「ダイヤモンド」 | ||||
「遥かなる風人」 | ||||
「ぷかぷか」 | ||||
2000年9月1日 | ギュッと抱きしめて | 「車で行こうよ (パワーアップバージョン)」 | ||
「ギュッと抱きしめて」 | ||||
「ずっと君が好き」 | ABCラジオ『ラブ・ミー・テンダー』 テーマ曲 | |||
「ダメだね」 | ||||
「恋人」 | ||||
2013年5月8日 | 元気出して前へ前へ | 円広志 with 野根バンド | 「野根のブルース」 | |
「あぁ人生に涙あり」 | ||||
「若者たち」 | ||||
「野根のうた」 | ||||
2018年1月24日 | 好きかもしれない〜大阪物語〜 | 森昌子&円広志 | 「好きかもしれない〜大阪物語〜」 | |
「越冬つばめ2018」 |
曲名 | タイアップ | 収録作品 |
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夢想花 | 日本航空「COME TO AMERICA'78」、「JALパック'79」CMソング | シングル「夢想花」 |
マリンポリス CMソング | ||
キリンビール『関西風味生ビールすっきり仕立て』CMソング | ||
ダンロップ『MAXFLI LONG DISTANCE』CMソング | ||
映画『いぬやしき』CMソング | ||
若きアドベンチャー | 日本テレビ系ドラマ『痛快!ピッカピカ社員』主題歌 | シングル「若きアドベンチャー」 |
風が光る時 | わかくさ国体開催記念愛唱歌 | シングル「心ふるえる夜」 |
大阪 Broken heart | ハウス食品『好きやねん』CMソング | シングル「大阪 Broken heart」 |
風の港 | よみうりTV、日本TV系朝の連続ドラマ『見上げればいつも青空』テーマ曲 | シングル「風の港」 |
風のバラード | 読売テレビ・日本テレビ系朝の連続ドラマ『吉野物語』テーマ曲 | シングル「風のバラード/オンチ」 |
雪の降る人 | テレビ朝日・朝日放送系『クイズ仕事人』テーマ曲 | シングル「雪の降る人」 |
風のアルペジオ | 朝日放送『クイズバトルロイヤル待ったあり!』テーマ曲 | シングル「風のアルペジオ」 |
夢のままで | 読売テレビ・日本テレビ系朝の連続ドラマ『華の宴』テーマ曲 | シングル「夢のままで」 |
MY DEAR CITY -夢色の階段- | 奈良県香芝市イメージソング | |
夢のプロポーズ | 読売テレビ『ときめきタイムリー』オープニングテーマ曲 | シングル「夢のプロポーズ/MUSIC/ ハートスランプ二人ぼっち」 |
MUSIC | 中京テレビ『ヴィヴィアン』エンディングテーマ曲 | |
ハートスランプ二人ぼっち | 朝日放送『探偵!ナイトスクープ』テーマ曲 | |
恋人でなくなって | 読売テレビ『ときめきタイムリー』テーマ曲 | シングル「心が晴れたことがあるか」 |
歌いましょう | よみうりTV『元気モン!TV』テーマ | アルバム『空と海が青い理由』 |
めまいのあとで | テレビ大阪『ウルトラ生みそ』エンディング曲 | |
空と海が青い理由 | よみうりTV『ぴーかんグルメ王国』挿入歌 | |
静かな戦士 | テレビ朝日『秘湯ロマン』テーマ曲 | |
走れシミケン | 読売テレビ『かんさい情報ネットten.』エンディング曲 | シングル「走れシミケン」 |
ニュース | アルバム『遥かなる風人』 |
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