中田 喜子(なかだ よしこ、1953年11月22日 - )は、日本の女優。本名:山崎 喜子。
なかだ よしこ 中田 喜子 | |
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本名 | 山崎 喜子 |
生年月日 | 1953年11月22日(70歳) |
出生地 | 日本・東京都 |
血液型 | A型 |
ジャンル | 女優 |
活動期間 | 1972年 - |
配偶者 | 一般男性(1979年から2007年) なし(2007年以降) |
著名な家族 | 京かおる(姉) |
事務所 | ホリプロ・ブッキング・エージェンシー |
公式サイト | 所属事務所による公式プロフィール |
主な作品 | |
東京都中央区新富町出身。麹町学園女子高等学校卒業。所属事務所はプロ方舟、オフィスまとばを経て、ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属となった。
身長155cm。B80cm、W58cm、H86cm(1974年1月)。血液型はA型。
築地の蒲鉾等の加工品の仲買(昔は製造もしていた)「増田屋」の娘として誕生。5人姉妹の末っ子(一番上の姉とは8歳差)で、長姉・2番目の姉が双子。3番目の姉は元宝塚歌劇団の京かおるである。
1972年、テレビドラマ(時代劇)『お祭り銀次捕物帳』でデビュー。
特撮ドラマ『仮面ライダー』へのレギュラー出演などを経た後、1974年の昼の帯ドラマ『やっちゃば育ち』(TBS系列)でヒロイン役に抜擢。
石井ふく子・橋田壽賀子両氏の作品には多く出演しており、特に1990年から放送が始まったドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(以下、『渡鬼』)シリーズ(連続ドラマ及び単発のスペシャルドラマ)の三女・文子役は、足掛け20数年に渡って演じた。
1995年には、橋田の自伝的小説を原作としたドラマ『春よ、来い』において、体調不良により途中降板した安田成美に替わって主役を務めた。
1993年には舞台『御いのち』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞した。
女優業以外では1979年4月から1988年3月までの9年間、クイズ番組『連想ゲーム』(NHK)での紅組5代目キャプテンとしても長く親しまれた。
また、DIYの達人としても知られ、UR都市機構「中田喜子プロデュース・模様替えプロジェクト」を実践している。また、DIYの著書に『女優・中田喜子のDIY 手作り模様替え工房』がある。
生家は木造3階建ての一軒家で、子供の頃は祖父母、両親、5人姉妹、住み込みの2人のお手伝いという大所帯で暮らしていた。幼い頃から笑うことが好きだったという。母の趣味が日本舞踊だったことから、6歳から高校生の頃まで日本舞踊を習っていた。
高校生の頃、日活のテレビ部が作った養成所に所属し、1年間ほどそこに日曜日だけ通いながら女優活動を始めた。色々とテレビの仕事をもらって出演したが、撮影のために学校を休まざるを得ない状況になってしまい、その後学業に専念するため一旦養成所を辞めた。高校卒業後、改めて芸能事務所に所属して女優として本格的にデビューした。
ドラマ『渡鬼』の文子役でのレギュラー出演は、過去に初主演した民放の朝ドラ(詳細は不明)をたまたま石井ふく子が視聴し、後日石井から本作の出演を依頼されたことから決まった。後年石井に文子役での起用理由を尋ねると以下の答えが返ってきた。「文子役は高学歴で隙のないキャリアウーマンで、“中田喜子”という人には日常生活に隙がないように見えたから、きっと文子役ができると思った」。
ただし中田自身は「普段の私は、隙がないとか全然そんなことないです」と否定しており、「文子役をどう演じるか悩み、役の気持ちなどをつかむまで少し時間がかかりました」としている。また、『渡鬼』シリーズではしばらくの間、文子がアルツハイマーの義母を介護する期間があったが、当時は視聴者からよく「介護大変ね。頑張ってね」と声をかけられたという。
長女、次女であった2人の姉たちの結婚相手が嫁ぎ先の長男であったため、三女であった元宝塚の姉、京かおるが家業を継いだ。
1979年、25歳のとき、CMの仕事で知り合った12歳年上の広告制作会社社長と結婚したが、2007年に離婚。
世間で「笑いは健康に良い」と言われることを踏まえて、一人暮らしをするようになってから一種の笑いヨガを日常生活に取り入れている。毎朝洗面所で洗顔をしたあと、鏡に向かって5分ほど声を出して”独り笑い”をし、笑顔の練習をしている。また、帰宅後などに「今日は笑っていないな」と思った日には気持ちを明るくする意味でも、洗顔をしてから化粧水と乳液をつける時に上記と同じく独り笑いをしている。
また上記に絡んで、毎晩フロに入ったとき湯船に浸りながら、50音の「あ行」から「わ行」までゆっくり発音するという方法で顔の筋肉の運動も行っている。
食生活で気をつけていることは、塩分や糖分の摂りすぎ予防のため、朝食時はできるだけ味付けなし(ドレッシングや塩コショウなど)で食べている。また、、野菜をたっぷり食べることも心がけている。
舞台をしていたときバックしてきた車に右足の足首をひかれ、亜脱臼してしまった。外科で痛み止めを注射してもらい、整骨院で骨を入れてもらい、翌日の舞台には穴を開けることなく出たという。
趣味は20代から始めたD.I.Y.で、プロ級の腕前であり、「元祖D.I.Y.の女王」と呼ばれている。D.I.Y.を始めたきっかけは、とある仕事でドイツに行った時、若い夫婦が自分たちでリノベーションした家(ドイツでは日曜大工が非常に盛ん)を撮影させてもらったこと。これに影響を受け、帰国後に自宅の壁紙を自分で貼ったのを皮切りにD.I.Y.に惹かれていった。以降壁のペイント・壁紙の張り替え・ふすまの張り替え・椅子作り・椅子の張り替え・飾り窓の取り付け・パーテーション作り・ベッドのソファーへのチェンジ等を、自分でやっている。「達成感があってストレス解消になる」とのこと。ある時、D.I.Y.を急いでやると心身ともに疲れてしまうことに気づき、以降D.I.Y.をやる時は作業途中であっても1週間くらい休みを挟むなどし、ゆっくりマイペースで行うようにしている。D.I.Y.の参考にするために、建築中の家を見に行って、職人にいろいろ質問したこともある。毎年幕張メッセで3日間開催される「D.I.Y.ショー」にも、自分で作った作品を出品している。2015年2月には、昭和40年代に造られた古い団地である東京・高島平団地を、団地の主婦3人とコラボして、自らのプロデュースによりリノベーションした。D.I.Y.のやり方の本も出版している。
特技は日本舞踊。先述の通り子供の頃から日舞をやる上で、自分で着物の着付けや裾(すそ)さばきが自然と身についた。これはその後女優業をやる上で一番役に立ったことだという。
趣味は俳句で、始めたきっかけはバラエティ番組『プレバト!!』に出演したこと。また同番組では2018年12月の名人・特待生だけの俳句タイトル戦において、「カリブ海の仕事をキャンセルしてまで、俳句にかけた」と語っている。2022年7月21日の俳句タイトル戦・炎帝戦において初優勝を果たした。2024年3月7日の俳句特待生・名人一斉昇格試験において、名人10段に昇格した。
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