上祐史浩: 日本の宗教思想家 (1962-)

上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ、1962年〈昭和37年〉12月17日 - )は、日本の宗教家で、ひかりの輪代表。

オウム真理教徒
上祐 史浩
誕生 (1962-12-17) 1962年12月17日(61歳)
福岡県三潴郡城島町
(現・久留米市
出身校 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程
ホーリーネーム マイトレーヤ
ステージ 正大師
教団での役職 外報部長
緊急対策本部長
アーレフ代表
入信 1986年8月(2007年アーレフを脱会)
関係した事件 亀戸異臭事件
国土利用計画法違反事件
判決 懲役3年
現在の活動 ひかりの輪代表(2007年アーレフを脱会)
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アーレフ(現Aleph・旧オウム真理教)元代表で同宗教法人の責任役員であった。2007年3月にアーレフを脱会、2007年5月にひかりの輪を設立。

オウム信者としての名前(ホーリーネーム)は、マイトレーヤであった。

概要

福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)にて九州大学出身で福岡銀行に勤める父と、福岡学芸大学(現:福岡教育大学)出身で教員の母の間に生まれる。父親は最初弁護士を目指していたが、かなわずに銀行員となった。同じ年代で同じ久留米市の生まれでは松田聖子藤井フミヤなどがいる。福岡には4歳まで生活し、父親が東京勤務となったため一家で上京、その後、父親が東京のライターを売る貿易会社に転職するが、父親の女性問題によって両親が別居し、母子2人暮らしとなる(両親が正式に離婚したのは上祐が出家した頃)。父親は離婚後も養育費はきちんと払っていたことを上祐は後に確認している。父親は、その後脱サラしライター分野で起業。小学校から高校まで成績は良かった。なお、「上祐」という苗字は、福岡県を中心に20名ほどいるとしている。

早稲田大学高等学院(早大学院)卒。大学時代、英語会のサークルに所属し、英語ディベート活動の大会で入賞するなど活躍した。修士課程の2年目の1986年、オウム真理教の前身団体で当時ヨガ団体だった「オウム神仙の会」に出会い、8月に入会する。きっかけは『月刊ムー』(学研)での麻原の紹介記事であった。当時、超能力健康、神秘的な事柄に関心があったが、ヨガには興味はなかった。入会後、泊りがけで参加した丹沢セミナーにおいて、1日10時間にも及ぶ厳しい行法やヨガの呼吸法など、ストイックで過激な修行に強い印象を受けた。その後、数回修行を繰返したところで神秘体験を経験。瞑想しながら体の感覚がなくなるような不思議な感覚や不思議な色や光を見る。最終的にはクンダリニーまで体験。このことで、麻原をヨガの正しい指導者として認識するに至る。

同年4月に特殊法人宇宙開発事業団に入る。宇宙開発事業団に入った理由は、当時の宇宙開発事業団会長がNHK教育テレビジョンで「これからの地球を救うのは宇宙である」と話しているのを聞き、感銘を受けたためである。また、アポロの月着陸を見た世代であり、宇宙が子供時代からの憧れであったためである。しかし、就職する少し前に始めていたオウム神仙の会が面白くなり、出家するため、1か月で退職。上祐が宇宙開発事業団を退職したのは5月だが、オウム真理教は7月から出家制度を基本とする宗教団体に衣替えしていった。出家や退職について母親には反対されたが押し切った。

上祐は、オウムでは、男性の中で佐伯一明(後の岡崎一明・宮前一明)に次いで二番目の成就者であった。上祐が出家当時の麻原は「極限」という言葉を好み、「6つの極限」を提唱していた。「布施や奉仕の極限」「戒律を守る極限」「忍耐の極限」「精進の極限」「瞑想の極限」「知恵を磨く極限」である。オウム真理教では上祐は早くから認められ、1987年時には既に数百人の会員のうち10人ほどしかいなかった「大師」として認められる。新興宗教ブームの仕掛け人として、当時麻原はしばしばマスメディアにも登場した頃であった。1989年には坂本弁護士一家殺害事件が発生。この事件の直前に上祐は麻原に反対する発言をしたため、石井久子とともに共謀の場から外されたため、この事件には関わっていない。この坂本弁護士の事件の前に、坂本弁護士を殺害したメンバーが中心となり2件の内部事件(オウム真理教男性信者殺害事件)がすでに起こされていた。上祐は、これら3つの事件の全容を知らずに教団のスポークスマンとしてそれらの事件の「もみ消し役」を麻原に命じられた。その際の発言の数々が、マスメディアで「ああいえば、上祐」と言われるきっかけとなる。

1992年12月には、「尊師」に次ぐ位階の「正大師」に昇進。「マイトレーヤ正大師」として1990年の武装化開始後は生物化学兵器開発に関与し、亀戸異臭事件にも参加した。1993年9月にはロシア支部長に就任。

1993年秋から教団ロシア支部に出向。なぜ上祐が指名されたのかは上祐自身分からないというが、メディアでは「左遷説」「擁護説」などが飛び交った。ロシア語はほとんど話せないが、片言のロシア語か、英語-ロシア語の通訳を介して英語で話していた。時には日本語-ロシア語の通訳を介することもあったが、その通訳は、ソ連崩壊前には対日本の諜報部で活躍していた人物であった。

地下鉄サリン事件後には、麻原にロシアから日本へ呼び戻され、「緊急対策本部長」に就任。外報部長・緊急対策本部長などの役職でスポークスマンの役割を果たす。得意とする話術や堪能な英語力で教団の疑惑や犯罪容疑に反論することから、「ああいえば、上祐」と揶揄された。1995年10月6日国土法違反事件有印私文書偽造などの容疑で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受ける。上祐は、サリンの製造技術については、当時アメリカの学者がサリンに関する情報をインターネット上に公開しており、それをネット検索で見付けた土谷正実らが探し出し、試行錯誤の末、製造に成功したと証言している。

1999年12月に広島刑務所を出所して、麻原の子女らと教団幹部らが内部対立していた教団に復帰し、2000年2月に「アレフ」(現Aleph)を設立、2002年にアレフ代表に就任した。アレフは、それまで教団最高幹部であった麻原の子女が逮捕されたことにより不在となり、上祐が代表の体制で始まったが、その後、麻原の妻の松本知子が出所すると、松本知子と麻原の子女らが秘密裏に教団運営に関与するようになり、上祐排除の指示(上祐は悪魔に取りつかれたため麻原を批判している等)に従った教団幹部らにより、突然教団運営から排除され軟禁状態となった。2004年1月、麻原家やその意向に従う信者らの強い反対を押し切り教団に復帰、いわゆる「上祐派」が形成された。内部対立が激化し、上祐に反対する反上祐派と、上祐を支持する上祐派、そのどちらにもよらない中間派という三つに分裂した。その後、2007年3月にアレフを脱会、2007年5月、別団体として独立、「ひかりの輪」を設立した。

なお、公安調査庁は、上祐が麻原の意思を実現するために“麻原隠し”を徹底し観察処分を免れるための隠蔽工作として別団体を作ったのではないのかという見方をしている。一方、東京地方裁判所は、「原告(※ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本(※麻原)の意思に従ってされたものであるとまでは認めることはできない。」と事実認定し(2017年9月25日の判決)、麻原の意思に基づいて設立された団体ではないとしている。

ひかりの輪

2007年5月7日、麻原の教義を完全排除したとする新団体ひかりの輪を設立、代表に就任。上祐はひかりの輪を「仏教の思想や心理学を学んだり、ヨガの体操や呼吸法を実習したり、聖地巡り(パワースポット、全国各地の神社仏閣、それに付随する自然など)を行っている」と説明している。その活動状況は、インターネット上のサイトや、YouTubeチャンネルで公開している。

公安調査庁は、麻原の影響力を払拭したかのように装うオウム真理教の後継団体であり、麻原の死刑が執行された2018年7月以降も依然として麻原の影響下にあるなど、危険な体質との認識を変えていない。一方、公安調査庁に35年間務めた元公安調査官は、ひかりの輪への監査の結果、ひかりの輪は麻原の影響下になく、危険性はないと2020年9月30日付けでコメントしている。アメリカ国務省も、オウム真理教そのものについて、テロの危険はないとして、1997年以来25年間続けてきた「外国テロ組織(FTO)」指定を2022年5月20日に解除している。

経歴

1980年代

    入信以前
    宇宙戦艦ヤマト江川卓超能力が好きな少年だった。オウム時代とは対照的に、成人前の上祐はあまり目立たない方であった。父親は事業に失敗し家に帰らず母子家庭状態となり、上祐が駅や公園で呆然としていた姿も目撃されている。
    早稲田大学在学中、サークルでディベートの技術を学ぶ。ディベートサークルの活動を通じて、苫米地英人と面識があった。ただし苫米地とディベートの試合をしたことはないとのこと。
    入信
    大学時代より超常現象チベット仏教教団活動、ヨーガなどに強い興味を持っていたが、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』に掲載されていた麻原彰晃アーサナ解説記事をきっかけに、1986年に、同誌で紹介されていた麻原彰晃主催で後のオウム真理教となるオウム神仙の会に入会する。麻原の空中浮揚写真は長年信じていた。
    早稲田大学大学院を出た後、特殊法人宇宙開発事業団に就職するも1ヶ月で退職し出家、ニューヨーク支部建設に携わる。出家番号は13。
    ニューヨークでは入信者を増やすことができず、定期的に入信状況を伝える都沢からの電話で手厳しい叱咤激励の言葉をかけられ、プライドを傷つけられた。1988年にニューヨーク支部の閉鎖が決まると、麻原から「今後海外支部を担当することはないだろう」と言われる。
    恋人を捧げる
    上祐の恋人の都沢和子も共に出家信者となった。入会後は都沢は麻原に惹かれて上祐から離れている面があったが、尊師のマハームドラー(試練)だと認識し理解することで乗り越えられたという。1995年に岩上安身のインタビューに答えて、「尊師は煩悩を遮断する力が強いので誰とセックスしてもいい」「彼女(都沢)は麻原尊師と融合するならば、それはあの、精神的ステージが高くなるんで、私と融合するよりいいと思うんで、私は恋人を麻原尊師に捧げたいと思います。私はそういうのは負担ですので。」と語っている。
    坂本弁護士との接点
    1989年青山吉伸早川紀代秀らと共に坂本堤弁護士と訴訟回避に向けた交渉を行ったり、TBSに坂本堤弁護士インタビューの放送中止を要求する(TBSビデオ問題)などしていたが、未成年だけでなく上祐のような成人も親元に戻るべきとする坂本と見解の相違が生じて決裂した。
    麻原から(坂本の名前は出さずに)教団に批判的な存在をポア(殺害)することについて一度意見を求められた際に強く反対しており、そのため、坂本弁護士の殺害に関しては、同じく反対していた石井久子や上祐を除いて、麻原は殺害を謀議、坂本堤弁護士一家殺害事件を起こす。暴力行為ではなく自らの広報活動によって批判による影響を和らげるべきだと考えていた上祐は、教団が起こした事件だと察した際には不満を感じ麻原に電話するも、逆に事件を正当化するよう説得された。
    後年、上祐はテレビ朝日の取材の中で(その当時は自分がまだ知らなかったオウムの犯罪を考慮すると)坂本に先見の明があったと思うと証言している。一方、早川紀代秀は坂本弁護士事件について上祐や石井久子松本知子は知っていたと証言している。

1990年代

    衆議院選挙オウム出馬
    1990年第39回衆議院議員総選挙に、真理党として教団幹部の立候補にも岐部哲也と共に最後まで反対していたと伝えられている。選挙で上祐は東京5区から立候補したが、最下位で落選した。この選挙が惨敗に終わり、麻原が大勢の信者達を前に話した「国家権力によって票のすり替えが行われた」という陰謀論にもただ一人異議を唱え、「自分独自の電話調査では麻原彰晃に投票すると言った有権者は100名中誰もいなかった」と発言。一人で反駁を続けたため、麻原は選挙結果の調査をするが、麻原の考えは変わらなかった。
    BC兵器開発
    オウム真理教の兵器開発にも携わっており、生物兵器風船爆弾開発、ホスゲン爆弾計画、第7サティアンサリンプラント計画、亀戸異臭事件に関わっていた。
    特に1993年6月~7月の亀戸異臭事件では炭疽菌培養のまとめ役を担当した。1993年1月(亀戸異臭事件の前)に行われた以後のテロ活動に関する謀議では、参加はしていたものの肯定的でなかったことから麻原に叱責を受けたと語るが、野田成人によると、どうせ失敗するのではと考える他の信者をよそに「絶対にこのプロジェクトは成功させるからな!」と張り切っていたという。
    ロシア支部へ
    1992年よりロシア支部に派遣されている。早川紀代秀曰くロシアでの上祐は「グルのようで、小麻原みたいになっていた」。1994年以降は麻原に「日本にいると身に災いが及ぶ」と言われほとんどをロシア連邦で過ごしていたが、一時的に日本に戻った際に教団による薬物を使ったイニシエーションを受け、麻原への帰依を深めることとなった。
    ロシア支部への派遣の背景には、次のような事情があったと元幹部の富田隆は述べている。「上祐の頭の良さや能力からいえば、麻原の側近として常に側に置いておいてもよいのに、海外支部などの遠方に追いやられていることが本当に多かったのです」「(上祐は)麻原のイエスマンになり切れずにいました」「麻原に忖度しながらも麻原に思いをぶつけたり、自分の意見をいったりしていた」「麻原に可愛がられている反面、煙たがられてもいました」「物理的に遠いところに上祐を置いておいて、上祐に口を挟まれないようにしたうえで、麻原は好きなことをやっていたのです。その反面、麻原や側近の手に余る事態が生じると、カヤの外だった上祐を呼び戻して、正確な情報を与えないままで処理させることもよくありました」
    地下鉄サリン事件後
    1995年地下鉄サリン事件が発生して間もなく、麻原から「広報活動をしてほしい」との電話が届き、日本へ帰国する。
    サリン事件後、教団の広報責任者として、青山吉伸村井秀夫らと共に、連日朝から晩までテレビのワイドショーニュース番組やラジオに出演し、オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論、数々の疑惑事件は創価学会米軍自衛隊を初めとする国家権力の陰謀であり、サリン被害を受けているのはオウムだとの見解を示し続けた。海外メディアに対しても堪能な英語で反論した。なお、青山も村井も上祐もサリンに関わっていた。
    更に、記者会見の場でも才能を発揮。容疑がいわゆる微罪逮捕別件逮捕が横行した際は、怒りをあらわにし、机に拳を叩きつけながら警察報道機関を批難した。逮捕容疑の一覧を記したフリップを公表すると「まぁただ私はあまりごちゃごちゃ言いたくないんですよ、これ(フリップ)見たら分かるでしょう? 馬鹿らしいですよこんなの!」と言いながらフリップを投げたり、村井秀夫刺殺事件直後の会見では、記者が今度の事件で麻原彰晃代表が会見を開くのかと質問したところ、「麻原を殺す気ですか今度は? 麻原を殺す気ですか? 今度は!? 尊師を今度は殺すんですか!?」と激昂した。
    ああいえば上祐
    当時、連日メディアに出演し見せた言論パフォーマンスから、ジャーナリストの二木啓孝に「ああ言えばこう言う」を捩った「ああ言えば上祐」と命名され、「上祐ギャル」と呼ばれる熱狂的な追っかけの女性ファンも登場、ファンクラブができるなど一躍話題の人となった。上祐ギャルからは「母性本能をくすぐる」「愛人になってもいい」「オウムを出てきちんとした宗教団体をつくったら、誘われて入っちゃう」「(神秘性を保つために)村井さんみたいに殺されたほうがいいのかも」と人気があった。
    都沢和子とともに早稲田大学英語部(ESA)で教育ディベートの経験者であったことがマスメディアに報じられ、ディベートが相手を言い負かす技術として注目を集めることとなった。ディベートの達人として、上祐は通常なら到底弁護不可能な無理のあることも言い込める技量があった。また、上祐の女性運転手も美人で話題となった(元六本木ホステス1995年に元信者への逮捕監禁致傷の疑いで逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた)。
    懲役3年の実刑判決
    熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市波野地区)の土地取得をめぐる国土利用計画法違反事件で、1995年10月6日逮捕偽証有印私文書偽造・同行使の罪で10月28日に起訴される。
    麻原の側近と目される教団幹部であったが、一連のオウム真理教事件では1992年以降はロシア支部にいたこともあり、教団本部の共謀や実行の場にいなかったことや、サリンプラント建設事件では建設・警備関係者のみが起訴されたこと、亀戸異臭事件などの生物兵器テロでは、有毒な炭疽菌が生成・噴霧されずに被害が出なかったため不能犯とされたことなどで、重要犯罪事件で起訴はされなかった。
    法廷では麻原について「麻原尊師はあらゆる意味で導き手であり、救世主であり、私のすべて」「サンキュー・アンド・グッドバイ」と語った。
    その後、懲役3年の実刑判決を受け、広島刑務所収監された。

2000年代

    シガチョフ・チェイス
    1999年平成11年)12月29日の広島刑務所出所後も、教団で有力者とみられていた。公安警察から当初は教団再活性化の危険性があるのではないかと危惧されていた。
    しかし、2000年(平成12年)に現地で非合法化されたロシアのオウム信者が、日本でのテロによる麻原奪還・ロシア脱出を計画していることを知ると、ロシアの警察と警視庁公安部に通報し、信者も使って、その阻止に動いた。その中で東京入国管理局に該当信者の入国を認めないよう要請するが、東京入管は違法性がないとして入国させたため、自分に近い信者をロシア信者の監視に派遣した(シガチョフ事件)。
    軟禁された代表
    2002年(平成14年)に、アーレフで代表となるも、「オウム真理教事件を反省し、麻原彰晃の影響を排除する」という改革を打ち出したため主流派(麻原回帰派)の強い反発を受け、翌年にも事実上失脚。「修行」と称して自室に軟禁されるようになる。なお、この期間にオウムの分派のケロヨンクラブで傷害致死事件が発生し、グループ内部から上祐らアーレフ幹部に告発があったが、その際も告発した信者に、警視庁に告発するように促している。
    上祐派として分裂
    2006年(平成18年)4月30日TBSの「報道特集」が、新教団立ち上げ計画を明言していた事を報道。この時期、千葉県習志野市のマンションを「上祐派」の道場として使用しながら活動するも、管理者からは立ち退きを要求されており、同年9月には立ち退きを完了。東京都世田谷区南烏山マンションを拠点とした。
    公式サイトも教団から分離して、「脱麻原」(後述)を旨とする新教団として活動、その後も内部分裂が進み、2007年(平成19年)3月8日にアーレフを正式脱退。翌9日mixiのアカウントを取得したことを、公式サイトブログで公表した。上祐のマイミクシィ(申請含む)は、わずか2日で上限の1,000人に達した。
    5月7日に、麻原の教義を完全排除したとする新団体「ひかりの輪」を設立して、代表の座についた。そして、2009年には、ひかりの輪として、オウム事件の被害者に賠償金を支払う契約を締結して、履行を続けている。

2010年代

    オウム時代の回想
    2010年12月3日号のFRIDAY誌上にて、麻原彰晃はカリスマ的な能力はあるが、それが人格と一致せず、誇大妄想と被害妄想の精神病理的な人物と考えていると述べた。その麻原の人格の根源は、幼い頃からの親・社会に対する反感・逆恨みではないかと評した。この麻原への批判については、ブログでも詳細を明らかにしている。さらに、その後、大手出版社等から刊行した書籍でも明らかにしている。
    具体的には、上祐は識者の見解を借りながら、麻原は「空想虚言症」という以下のような問題があったと指摘している。①空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。②一見才能があり、博学で、地理・歴史・詩歌・技術・医学など何くれとなく通暁しており、話題が豊富であるが、よく調べてみると、その知識は読書や他人の話からの断片の寄せ集めであることがわかる。③弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。④好んで難しい外来語やこけおどしの言葉を並べ立てる。⑤人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。⑥自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。⑦万能感と支配幻想。⑧責任転嫁。⑨実利的な利益の重視。
    また麻原は「誇大自己症候群」という以下のような問題があったとも、上祐は指摘している。①「万能感」という誇大妄想。②自己顕示欲。③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想。④他者に対する共感性の未発達、喪失。⑤権威への反抗と服従。⑥強い支配欲求。⑦罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化。⑧現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ。⑨被害妄想。⑩目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気である。規範意識の欠如。⑪内に秘める攻撃性――以上のような「空想虚言症」「誇大自己症候群」の特徴を麻原は有していたと上祐は回想し、このような人物に傾倒しないための方策を、自らの経験に基づいて明らかにしている。
    また、ロシアに行く前から、オウム真理教がサリンを研究していた事実を承知していたが、当時反対しきれなかったのは、それは信者にとって、一般人と同様に麻原彰晃にポアされることを意味するからだと述べた。
    「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だと嘘をつき続けていた。自分は嘘吐きだった」と告白した。また、サリン事件は教団が起こしたものだと麻原から伝えられたのは帰国して1ヶ月後(村井秀夫刺殺事件の後)で、一連の事件の全貌を知ったのもその頃だったと語っている。
    この上祐の回想を裏付けるように、オウム元幹部の富田隆は、次のように著書で明らかにしている。「つまり上祐は麻原とその側近が、食い荒らしきったところの後処理係のような面があったと思います。麻原も取り巻きも、詳しい事情を話してしまうと上祐に呆れられ馬鹿にされかねないので、中途半端な情報しか与えなかったのでしょう。(中略)地下鉄サリン事件のときにも、当時の報道を見る限り、ロシア支部から上祐が戻されたのは、事件後のようでした。オウムのスポークスマンとして活動している姿を見て、ひょっとしたら今回も正確で詳しい情報を与えられないまま仕事をさせられているのではないかと思いました。なぜなら上祐が屁理屈をこねるときは、正確な情報が少ないときだからです。正確な情報さえあれば、上祐の能力なら、もっと上手く処理できただろうにと思った瞬間が何度かあったように、私は思いました。そんな上祐なので、麻原の家族やオウム原理主義者の集うAleph(アレフ)と決別したのでしょう。」
    また村井刺殺事件に関しては、後に雑誌『FRIDAY2010年12月3日号誌上の対談にて「覚醒剤取引などで関係の深かった暴力団による口封じ説、村井秀夫氏が生きていることで、第2・第3のサリン事件が起きる可能性があったために、当局が起こした謀略説などがあるが、予言を実現させるためにオウム真理教が行った自作自演の可能性があると感じている」と発言している。『終わらないオウム』で実行犯の徐裕行と対談した2013年以降は「徐氏に会って、あれは単独犯だと感じた。彼の巨悪のオウムを倒すという義憤によるものです。 背景にオウムも暴力団も関係していないと思う」と単独犯説を主張するようになった。『田原総一朗 オフレコ!スペシャル』(2013年6月14日)で上祐と対談した田原総一朗はこの主張に対して「本当かな?」「彼(徐裕行)にとって悪なんかあるのかな」と疑問を投げかけている。
    菊地直子による批判に回答
    2012年6月19日号の『SPA!』のインタビュー記事で、上祐が「菊地直子サリン生成に関与し、刑事責任を負った」と語ったことに関し、菊地は事実ではないと東京拘置所内から手紙で上祐宛に撤回するよう要請したが、返事はなかった。また、菊地がサリン生成に関与したかどうかは、生成に関与した遠藤誠一土谷正実らに聞けば分かるにもかかわらず、それをせず捜査機関の情報(=マスメディアの報道)を鵜呑みにして話したり、菊地は上祐ともほとんど話したことがないにもかかわらず、菊地の性格についても触れたりしている態度を2018年4月13日付のブログ中で批判している。
    一方、上祐のブログの回答によれば、週刊誌の記事は上祐のインタビューを編集したもののために誤解が生じる文章となっているが、記事の中で「刑事責任を負った」とした主体は、菊地を指したものではないという真意を説明した。また、遠藤や土谷らに聞けば分かると言っても、菊地が指名手配されて以降は、同人らと連絡できない状況(逃走中または接見禁止)であったと述べている。さらに、そもそも上祐らの出頭要請にかかわらず、長年逃走を続けた菊地が、サリン事件等で結果として無罪だったために菊地本人の逃走が違法ではなかったとしても、逃走中の自分を男性に匿わせたことから、その男性は(菊地本人の有罪・無罪にかかわらず刑法の規定により)犯人蔵匿罪で有罪となったのであり、この責任は免れられず、自分の逃走行為の問題をよく認識すべきではないかとも指摘している。
    麻原の死刑執行
    2018年にオウム真理教事件の刑事裁判が終結し、麻原死刑執行間近との噂が流れたが、麻原の死刑執行については賛成を表明した。同年7月6日に麻原の死刑が執行されると、上祐は同日中に会見を開き「私も教団で重大な責任があった。被害者遺族に深くおわびしたい」と述べるとともに、麻原に対しては「かつてのような思いはない」とした。
    女性幹部信者殺害事件の目撃を認める
    2018年7月11日、新潮社週刊新潮で、上祐が女性信者殺害事件(立件なし)の場に同席し、殺害の光景を目撃していたことを報じた。上祐もこれを認めた。

こうした2018年の麻原の死刑執行や新たな事件の判明等により、オウム事件への総括をより深く求められるようになったことから、その後は、麻原やオウム真理教の教義を反省・総括したとする内容の談話を、マスコミやインターネット番組に出演して公表したり、有識者と対談したりして公表し続けている。

エピソード

思想

  • 「2000年以降は水瓶座の時代で、宗教と科学が融合した霊的科学文明が到来とする」といった趣旨の発言がある。
  • が好きで、虹を神聖なものとして崇拝している。アレフ代表就任のときにもが出て祝福してくれたという。
  • 幼少期に好きだった作品として宇宙戦艦ヤマトバビル2世ウルトラマンシリーズ機動戦士ガンダムを挙げている。
  • オウム時代に麻原が好んだ世界情勢予言を行っていた。
  • 妖精の存在を信じている。植物は妖精が管理していると語る。
  • オウム真理教・アレフ(aleph)を脱会して、ひかりの輪を設立してからは、「宗教ではなく宗教哲学として:理性で宗教を解釈し活用する」「心理学・物理学も学び、東西の思想哲学の融合を目指す」などとして、「盲信・強制を排除した思想・哲学・宗教への姿勢」を強調している。

その他

  • しげの秀一の漫画作品『頭文字D』の登場人物である「史浩(ふみひろ)」に関して、名前や容姿から上祐をモデルとしているという所説が存在する。また、同作の後継作である『MFゴースト』においても「上有 史浩(じょうゆう ふみひろ」という人物が登場しており、『頭文字D』の史浩と同一人物であることが示唆されている。
    • 上祐も自身のFacebookでこの件に触れており、「文字の違いはあるが、そもそもこの発音の氏名を持つ人間は日本に一人しかいない」とした上で、劇中での史浩の役職がチームの「外報部長」であり、上祐のオウム真理教における役職名と同じであることを挙げている。その上で「当時の社会状況を考えると、このキャラが一切炎上を経験しなかったことは非常に不思議」とコメントしている。なお、上祐自身は『頭文字D』のことを知らず、レーシングカー好きの知人から聞いて初めて知ったといい、知人からは上祐本人が25年間この事実を知らなかったことを驚かれたという。

人物評

  • 「ディベートはうまいが、相手を言い負かそうとばかりするので、交渉は下手」 - 元信者
  • 「すごいヤツと聞いていたのに、対決すると存在感、威圧感がまるで感じられない」 - 有田芳生

略歴

著書

寄稿・インタビュー

  • 季刊誌『宗教問題』宗教法人オウム真理教が解散したころ(2022年秋季号)2017年秋季号「国家と宗教はなぜ暴走するのか 上祐史浩×大田俊寛×西道弘×三浦小太郎」
  • ネットニュース『MONEY VOICE』「宗教二世」被告の弱さと旧統一教会の欠陥 “宗教二世”問題の根深さ。宗教が力を失った日本はどこへ向かうのか?(2023年2月) 
  • 「朝日新聞」解散命令、効果と限界 明覚寺・オウム真理教(2023年10月)
  • 「FLASH」オウム麻原元死刑囚の「池田大作をサリンで殺せ」指令「サリンは創価学会が散布」発言を上祐史浩氏が懺悔(2023年11月)
  • 『FRIDAY DIGITAL』元オウム幹部だからわかる!上祐史浩氏「解散命令を請求された旧統一教会でこれから起こる」戦慄の未来(2023年11月)

テレビ出演

  • 池上彰の選挙ライブテレビ東京
  • NHKスペシャル「未解決事件 File.02 オウム真理教~オウムvs警察知られざる攻防~」(NHK)
  • 独占スクープ!池上彰VSオウム6人の証言者 (テレビ東京)
  • 世紀の瞬間&未解決事件 4時間半スペシャル (テレビ朝日
  • オウムは今も生きている… ~総力追跡!地下鉄サリン事件20年~ (テレビ東京)
  • オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画~ (テレビ朝日)
  • 世紀の瞬間&日本の未解決事件スペシャル (テレビ朝日)
  • スーパーJチャンネル(テレビ朝日)
  • 羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日)
  • 報道1930(BS-TBS)

インターネット番組

  • 田原総一朗、上祐史浩との対談について語る。
  • 街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜元オウム真理教・上祐史浩【前編】上祐史浩【後編】【あわせたい2人_水道橋博士×上祐史浩_街録chスピンオフ】
  • 丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー【オウム真理教の誕生】【地下鉄サリン事件、坂本弁護士事件】
  • ニューズ・オプエド「特集・オウムと陰謀論」「宗教と陰謀論」
  • 新日本文化チャンネル桜「政治と宗教の深淵」「戦後日本と宗教」 「これでいいのか政治と宗教」
  • 「上祐史浩からみた陰謀論」カンニング竹山の土曜The NIGHT(Abemaテレビ)
  • JBpress「上祐史浩が語る①~③」ウェブYouTube
  • 【週刊!(裏)本庄強】上祐史浩氏の対談
  • 家田荘子ちゃんねる【第1章 JAXAからオウ●へ出家】【第2章 ロシアでの布教活動中に起きたあの事件の裏側】【最終章 獄●からのメッセージとは!?】
  • ドントテルミー荒井の「大人の教養TV」「【麻原の素顔】上祐さんに誕生からオウムの崩壊まで聞きました」
  • Koji Channel【対談】ターザン山本 上祐史浩麻原とは何者だったか 
  • トマホークTomahawk【池田大作死去】元幹部と教祖の息子に聞いてみた 「宮台真司×上祐史浩」【前編:なぜ高学歴エリートがカルトにハマるのか?】 【後編:無差別殺人はなぜ起こる?】 

映画

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脚注

注釈

出典

参考文献

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