『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(原題: Back to the Future)は、1985年のアメリカのSF映画。ロバート・ゼメキスが監督とボブ・ゲイルと共に脚本を務め、マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、リー・トンプソン、クリスピン・グローヴァー、トーマス・F・ウィルソンらが出演する。
バック・トゥ・ザ・フューチャー | |
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Back to the Future | |
監督 | ロバート・ゼメキス |
脚本 | ロバート・ゼメキス ボブ・ゲイル |
製作 | ボブ・ゲイル ニール・カントン |
製作総指揮 | スティーヴン・スピルバーグ キャスリーン・ケネディ フランク・マーシャル |
出演者 | マイケル・J・フォックス クリストファー・ロイド トーマス・F・ウィルソン リー・トンプソン クリスピン・グローヴァー クローディア・ウェルズ |
音楽 | アラン・シルヴェストリ |
主題歌 | ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース 『The Power of Love』 |
撮影 | ディーン・カンディ |
編集 | ハリー・ケラミダス アーサー・シュミット |
製作会社 | アンブリン・エンターテインメント |
配給 | ユニバーサルスタジオ UIP |
公開 | 1985年7月3日 1985年12月7日 |
上映時間 | 116分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $19,000,000 |
興行収入 | $210,609,762 $381,109,762 60億9000万円 |
配給収入 | 36億5000万円 |
次作 | バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 |
1985年7月3日にユニバーサル・ピクチャーズにより公開され、高い評価を受けた。3億8,110万ドルの収益を上げ、1985年の全世界における最高の興行収入を記録した。批評家からは、ストーリー、コメディ、キャスト(特にフォックス、ロイド、トンプソン、グローバー)などが高く評価された。複数の賞にノミネートされ、アカデミー賞、サターン賞、ヒューゴー賞を受賞した。また、主題歌であるヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「The Power of Love」は、世界的に大きな成功を収めた。現在では1980年代の最高傑作の一つ、SF映画の最高傑作の一つ、そして現代に置いて史上最高の映画の一つとされている。2007年には、アメリカ議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
その後、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(1989年)と『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)の2つの続編が製作された。
1985年のカリフォルニア州ヒルバレー(架空の都市)に住む、ロックとペプシコーラとスケボーが大好きで、トヨタ・ピックアップに憧れる高校生マーティ・マクフライは、冴えない家庭の事情やなかなか上手く行かないバンドマンへの夢に押し潰されそうになりながらも、それなりに普通の人生を過ごしていた。
ある日、科学者であり歳の離れた親友でもあるエメット・ブラウン博士(通称:ドク)から、長年の宿願だったタイムマシンがついに完成したことを聞かされ、成り行きで彼の実験を手伝うことになる。深夜のショッピングモール「ツイン・パインズ・モール」の駐車場で、スポーツタイプの乗用車デロリアン・DMC-12を改造してドクが開発したタイムマシンの実験を10月26日1時20分に行う。
ドクの愛犬であるアインシュタインを乗せたデロリアンを1分後の1時21分にタイムトラベルさせる実験は無事成功したが、タイムマシンの肝である次元転移装置の燃料として用いるプルトニウムを調達するためにドクが騙したリビアの過激派の襲撃に遭い、ドクはAK47の凶弾に倒れてしまう。同じく命を狙われたマーティはとっさにタイムマシンに乗ってモールの駐車場内を逃走するが、シフトレバーを動かす際にひじで次元転移装置のスイッチを入れてしまったため、図らずも30年前の1955年11月5日にタイムスリップしてしまった。
1985年に戻ろうとするマーティだったが、プルトニウムを使い果たしてしまったため、タイムスリップすることができなくなっていた。そこでマーティは1955年のドクと会い、未来に帰る手助けをしてもらうことを思いつく。最初は疑念の目を向けるドクだったが、マーティが持っていたJVC製ビデオカメラに残っていたタイムトラベル理論を思いついたきっかけなど、当時の自分しか知らないはずの事情をマーティが知っていたことから、彼を信じて協力する。しかし、1955年に容易にプルトニウムなど手に入るはずもないことをドクから聞かされ途方に暮れていた最中、1955年11月12日22時4分にヒルバレー裁判所の時計台に落ちる予定の雷(マーティがたまたま1985年から持ってきたチラシに書かれていた)が発生させる電力を利用し、タイムマシンの次元転移装置を稼働させる算段を立てる。
しかし、もう1つ大きな問題が起きた。1955年はマーティの父ジョージと母ロレインが結婚のきっかけを得た年で、ロレインの父がジョージを車ではね、救護のため自宅に運び込まれたジョージにロレインが一目惚れする筋書きだったが、はねられそうになったジョージを助けたためにマーティがはねられてしまった。そのため運び込まれるのもマーティに入れ替わってしまい、若き母のロレインは未来の息子であるマーティに恋をしてしまう。
このままでは両親が結婚せずマーティが生まれなかったことになってしまい、存在が消滅してしまう危険をドクから示唆されたマーティはジョージとロレインを接近させるべく奮闘するが、ジョージの不甲斐なさや学校一の不良でロレインに片思いしているビフ・タネンとその子分の妨害もあり、なかなか上手く行かない。
1955年11月12日に行われたプロムで、臆病者のジョージがビフを退けてロレインとキスをする手助けをしたマーティは、辛うじて自身の消滅を免れ、時計台に落雷する22時4分ぎりがりにタイムマシンに乗り込み、ドクの命がけの助力で1985年10月26日1時24分(ドクが銃撃される11分前)への帰還に成功する。
すぐに現場に駆けつけたマーティだったが、あと一歩及ばずドクはまたも過激派の銃撃を受けてしまった。その場に泣き崩れるマーティだったが、彼の目の前でドクはゆっくりと起き上がる。1955年から帰還する直前にマーティが残した手紙で、自分が銃撃される未来を知っていたドクは防弾対策を施していたのだった。ドクとの再会を喜んだ後に自宅に戻ったマーティは、朝になって自宅が裕福になっていたことに驚く。マーティの介入によって1955年11月12日にビフを倒したジョージは自信をつけて臆病な性格を改善し、夢であった小説家として大成していた。一方でビフは零細自動車整備業の名ばかり社長となり、ジョージに頭が上がらなくなっていた。
困惑するも冴えない家庭が立派になって喜んでいたマーティの目の前に、再びドクがデロリアンに乗って現れる。未来で重大なトラブルが起こったので、解決のために同行して欲しいという。マーティとその場に居合わせたガールフレンドのジェニファーを乗せ、未来の技術で改良されたデロリアンは、空を飛んで未来へと向かうのだった。
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |||
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ソフト版 | テレビ朝日版 | フジテレビ版 | BSジャパン版 | ||
マーティ・マクフライ | マイケル・J・フォックス | 山寺宏一 | 三ツ矢雄二 | 織田裕二 | 宮川一朗太 |
エメット・ブラウン博士(ドク) | クリストファー・ロイド | 青野武 | 穂積隆信 | 三宅裕司 | 山寺宏一 |
ビフ・タネン | トーマス・F・ウィルソン | 谷口節 | 玄田哲章 | 島香裕 | 新垣樽助 |
ロレイン・ベインズ・マクフライ | リー・トンプソン | 佐々木優子 | 高島雅羅 | 佐々木優子 | 小林沙苗 |
ジョージ・マクフライ | クリスピン・グローヴァー | 富山敬 | 古川登志夫 | 富山敬 | 加瀬康之 |
ジェニファー・パーカー | クローディア・ウェルズ | 勝生真沙子 | 佐々木優子 | 坂本千夏 | 白石涼子 |
ジェラルド・ストリックランド | ジェームズ・トールカン | 大木民夫 | 池田勝 | 筈見純 | 青山穣 |
リンダ・マクフライ | ウェンディ・ジョー・スパーバー | 亀井芳子 | 滝沢ロコ | さとうあい | 冠野智美 |
デイヴィッド・マクフライ | マーク・マクルーア | 星野充昭 | 幹本雄之 | 江原正士 | 佐藤せつじ |
スキンヘッド | J・J・コーエン | 二又一成 | 山口健 | 丸田光 | |
3-D | ケイシー・シーマツコ | 小形満 | 大塚芳忠 | 千田光男 | 松島昭浩 |
マッチ | ビリー・ゼイン | 古田信幸 | 幹本雄之 | 広瀬正志 | 野沢聡 |
ゴールディー・ウィルソン | ドナルド・フュリラブ | 中尾隆聖 | 石丸博也 | 川田紳司 | |
ルー | ノーマン・アルデン | 加藤正之 | 上田敏也 | 亀井三郎 | 仲野裕 |
サム・ベインズ | ジョージ・ディセンゾ | 池田勝 | 石森達幸 | 鈴木琢磨 | |
ステラ・ベインズ | フランシス・リー・マッケイン | 沢田敏子 | 浅井淑子 | 片岡富枝 | 小林優子 |
ミルトン・ベインズ | ジェイソン・ハーヴェイ | 亀井芳子 | 浪川大輔 | 坂本千夏 | 森千晃 |
マーヴィン・ベリー | ハリー・ウォーターズ・Jr | 笹岡繁蔵 | 渡部猛 | あべそういち | |
ドラマー | デイビット・ハロルド・ブラウン | 辻親八 | 小室正幸 | 千田光男 | 中村章吾 |
オーティス・ピーボディ | ウィル・ヘア | 田口昂 | 郷里大輔 | 筈見純 | 堀越富三郎 |
レッド | ジョージ・フラワー | 辻親八 | 亀井三郎 | 仲野裕 | |
寄付集めの女性 | エルザ・レイヴン | 片岡富枝 | 矢野陽子 | 片岡富枝 | 野村須磨子 |
スクーターの坊や | ジョニー・グリーン | 滝沢ロコ | 坂本千夏 | 矢野亜沙美 | |
見物人 | サチ・パーカー | 滝沢ロコ | 山田礼子 | 矢野陽子 | 白石涼子 |
ニュースキャスター | デボラ・ハーマン | 沢田敏子 | さとうあい | 野一祐子 | |
教師 | ヒューイ・ルイス(特別出演) | 大塚明夫 | 郷里大輔 | 江原正士 | 仲野裕 |
不明 その他 | N/A | 秋元羊介 吉田美保 小野健一 | 片岡富枝 | 永川友里 伊東健人 村田太志 |
- | ソフト版 | テレビ朝日版 | フジテレビ版 | BSジャパン版 |
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演出 | 伊達康将 | 左近允洋 | 向山宏志 | |
翻訳 | 島伸三 | たかしまちせこ | 額田やえ子 | たかしまちせこ |
調整 | 小野敦志 | 飯塚秀保 | 重光秀樹 | |
効果 | リレーション | 東上別符精 PAG | 桜井俊哉 | |
担当 | 岩渕昇 | 吉田啓介 | 別府憲治 宮地奈緒 | |
プロデューサー | 圓井一夫 | 山形淳二 | 遠藤幸子 久保一郎 | |
制作 | 東北新社 | グロービジョン | HALF H・P STUDIO BSジャパン |
ボブ・ゲイルとロバート・ゼメキスは、1980年に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を構想した。彼らはタイムトラベルをテーマにした映画を開発したいと考えていたが、満足のいく物語を作るのに苦労しており、また、最近の作品が批評家や商業的に失敗したことで、成功するプロジェクトを必死に探していた。
ゲイルとゼメキスは1980年末に草稿を書き始めた。原案では、映像作家のブラウン教授がタイムマシンを作って、幼なじみのマーティを1950年代に送り、両親の初対面を邪魔するという設定になっていた。1980年9月、ゲイルとゼメキスはコロンビア ピクチャーズの社長フランク・プライスにアイデアを売り込んだ。プライスは『ユーズド・カー』を気に入っており、2人との仕事を熱望していた。ゲイルは、プライスの気が変わる前に、ゼメキスの情熱的な提案を抑えなければならなかったと振り返っている。ゲイルとゼメキスは、1981年2月21日にプライスのために第1稿を完成させた。プライスはそれを大幅に改良する必要があると考えていた。
初期のコンセプトのいくつかは放棄された。当初、1955年への変更は1985年により大きな影響を与え、より未来的なものになったが、脚本を読んだすべての人がこのアイデアを嫌った。タイムマシンはトラックの荷台に乗せて移動させる静止した物体だった。ゲイルとゼメキスは、タイムマシンの生みの親を顔の見えない企業や政府ではなく、個人にすることを選んだ。2人は、主人公が個人的な利益を求めてはいけないので、タイムトラベルは事故でなければならないと考えていた。
プライスは、第2稿を承認しないことを選択した。『アニマル・ハウス』(1978年)、『ポーキーズ』(1981年)、『初体験/リッジモント・ハイ』(1982年)など、当時最も成功したコメディ映画は性的で下品な要素を含んでいたが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はそれに比べておとなしすぎると考えられた。このプロジェクトはターンアラウンド(他のスタジオがアイデアを購入するプロセス)に入った。理由としては、コンセプトが現代の反抗的な若者には魅力的でないこと、『ファイナル・カウントダウン』(1980年)や『バンデットQ』(1981年)といった他のタイムトラベル映画の失敗などが挙げられる。ウォルト・ディズニー・プロダクションは、マーティが未来の母親の誘いを断ることが、彼らのブランドにとってあまりにもきわどいことだと考えたため、このプロジェクトを拒否した。しかし、ゲイルとゼメキスは、これまでのコラボレーションが相対的に失敗したとみなされていたため、再び失敗すると、スピルバーグの友人だからこそ仕事を得られるという評判になることを恐れていた。
ゼメキスは次にオファーされた『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(1984年)を引き受けることを選んだ。公開前の期待に反して、この映画は大きな成功を収め、ゼメキスは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に戻るための十分な信頼性を得た。ゼメキスはプロジェクトを支援しなかったスタジオを恨み、プライスが働いていたユニバーサル・スタジオに自らの製作会社アンブリン・エンターテインメントを設立していたスピルバーグに目をつけた。スピルバーグは『E.T.』を拒否したことからプライスを嫌い、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』への関与を最小限にすることを要求した。シドニー・シャンバーグは、スタジオのプロジェクトへの投資を監督するためにチーフ・エグゼクティブに就任した。アンブリンのエグゼクティブであるキャスリーン・ケネディとフランク・マーシャルは、映画の製作総指揮としてスピルバーグに加わった。
しかし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の権利はコロンビア映画に縛られたままだった。コロンビア映画のプライスの後継者であるガイ・マッケルウェインは、ユニバーサル所有のノワール映画『深夜の告白』(1944年)を風刺した『ビッグ・トラブル』(1986年)を開発していた。『深夜の告白』に似ているということは、ユニバーサル映画の著作権を侵害していることになる。製作が差し迫っていたため、マッケルウェインはプライスに権利を要求し、その代わりにプライスは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の権利を獲得した。
シャンバーグは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では観客の共感を得られないと考え、タイトルを『冥王星から来た宇宙人』(Space Man from Pluto)に変更するなど、映画の修正を提案した。ゲイルとゼメキスは、シャンバーグの怒りを買うことなく、シャンバーグの提案を拒否する方法がわからなかった。そこで、スピルバーグが介入し、シャンバーグに次のような内容のメモを送った。「ハイ、シド、君の最高にユーモラスなメモをありがとう、みんな大笑いしたよ、これからもよろしくね」。スピルバーグは、シャンバーグが自分のメモが真剣に受け止められることを恥ずかしくて認めないことを知っていた。シャンバーグは後に、この話は「でたらめ」だと主張した。1984年7月までに第3稿が完成した。
元々は第1作のみで完結するものとして製作されたが、1987年に本作がビデオソフト化された際に、ラストシーンに「TO BE CONTINUED…(つづく)」という劇場公開時にはなかったテロップが入れられた。このテロップの本意は「マーティ達登場人物の人生の旅(冒険)はこれからも続く」という意味のジョークであったが、これを見た人たちによる続編製作希望の問い合わせが殺到したため、急遽シリーズ化された。
マイケル・J・フォックスも、リリースされたビデオを初めて見た際にこのテロップを見て驚いた1人で、「エージェントに電話しようかと思った」と語っている。続編の製作が決まった際、当初は続編1作のみを製作する予定だった。しかし、監督のロバート・ゼメキスが共同脚本のボブ・ゲイルと構想を練るうちにいろいろといいアイデアが出てきたため、それを約2時間の枠に収めると内容が半減してしまうことから、さらに1作増やし結局3部作となった。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
VFXの登場前に作られた作品であるためCGは使われておらず、特殊撮影には光学合成が使われている。
当初のクライマックスは、核実験場に行き核爆発を利用してタイムスリップをする予定であったが、100万ドルの撮影費用が必要と試算され、予算の都合から断念された。その後、新しいアイディア(落雷のエネルギーを利用)を思いつき公開版のシーンになったが、結果として格段に良くなったと脚本を担当したボブ・ゲイルは語っている。
マーティ役は元々マイケル・J・フォックスが候補に挙げられていたが、当時フォックスはテレビドラマ『ファミリータイズ』のレギュラーを持っており、共演者が産休に入っていたためフォックスが番組を担っていた。そのため、映画との掛け持ちを許されなかった(『ファミリータイズ』のプロデューサーは優れた脚本に対し「彼にオファーしないでくれ。彼はこの映画を大変気に入るだろうが、出演はできないことは確実なので、私が彼に一生恨まれる」と言った)。彼へのオファーは断念され代わりにエリック・ストルツが起用される。また、マーティ役がストルツに決まるまで時間がかかり何度も撮影延期され、ようやく撮影が開始される頃、ジェニファー役のクローディア・ウェルズはスケジュールが合わなくなり、代わりのジェニファー役にメロラ・ハーディンが起用された。
しかしストルツはドクとの掛け合いでの違和感などの理由から撮影開始から6週間で降板させられ、再度『ファミリータイズ』のプロデューサーに掛け持ちを打診したところ「女優も復帰したから、マイケルが“イエス”と言えば出させてもいい。ただし、ドラマの撮影の方を優先する」との条件で了解が得られ、最終的にはフォックスに落ち着いた。さらに、ハーディンはフォックスよりも身長が高かったため、2人のバランスが合わないことが原因で降板、フォックスが撮影に合流する頃にはウェルズのスケジュールも再び合わせることが可能であったため、ウェルズがジェニファー役に復帰した。
当時のフォックスは朝6時に起きてドラマの撮影、夜は映画の撮影で自宅に戻れたのは深夜2時を回っているのがザラだったという。そのため、撮影は深夜とドラマの撮影のない週末にかけて行われた。撮り直しのための追加の出演料や、スタッフへの深夜、休日出勤の手当を支払うこととなり、撮り直しの費用は300万ドルに上った。
なお、ストルツの映像部分は5週間で全体の3分の1ほどを撮り終えていたために映像が残っていたが、脚本のボブ・ゲイルはDVD版発売時のインタビュー(映画雑誌『プレミア日本版』2003年1月号掲載)で「もう過去のことだし、エリックにも自分達にも格好いいものではないから」との理由でDVDへの収録は見送っていた。 しかし、2010年10月26日発売のブルーレイ版には、新たな映像特典としてその一部が収録されることとなった。
またビフ役には当初、ビフの手下であるスキンヘッド役のJ.J.コーエンが当てられていた。しかし、マーティ役に183cmのストルツが起用されたため、ストルツよりもさらに大きいトーマス・F・ウィルソンが起用された。その後、ストルツは降板し、163cmのフォックスがマーティ役となったが、ビフの役はそのままだったため、約30センチほどの身長差が生じる結果となった。ゲイルは「最初からマイケルに決まっていたらトーマスの起用はなかっただろう」と述べている。[要出典]
トーマス・F・ウィルソンはストルツの解雇で撮影が中断していたとき、説明のためにゲイルに呼び出された。事情を知らなかったウィルソンはてっきり自分が解雇されるものだと思い込んでしまった。車でゲイルの元へ向かうときには「人生で最も長い時間だった」と回想している。[要出典]
主題歌『The Power of Love』を歌うヒューイ・ルイスが、序盤のオーディションのシーンで拡声器を持って「もういい、音が大きすぎる」と言う審査員役でカメオ出演している(ただしノンクレジット)。ヒューイは、「こんな姿がMTVに晒されたら僕はおしまいだ。映画に出て以来、落ちぶれたって言われるよ」と、ジョークを飛ばした。
なおこのときの「音が大きすぎる」は、ヒューイ自身が『We Are the World』のレコーディング時に、プロデューサーから「声が大きすぎる」と、注意を受けているメイキングビデオからのパロディである。
ドクことエメット・ブラウン博士が、アメリカのデロリアン社が発売したDMC-12を改造して開発したタイムマシン。タイムトラベルの核となる次元転移装置(フラックス・キャパシター)を始めとする装置が車内にぎっしりと詰め込まれており、ボディもコードやホース類で囲まれている。
リアハッチのガラス窓も取り払われ、原子炉やミスター・フュージョンなどといった、タイムトラベルに必要な莫大なエネルギーを賄う発電装置と、それに関わる様々な機器が所狭しと詰め込まれている。これらの配線・配管や内部機器・発電装置は、作品ごとに若干変化する。初めてのタイムトラベルはドクの愛犬であるアインシュタインを乗せて、1分後の未来へタイムトラベルする実験を行ったときである。
バック・トゥ・ザ・フューチャー2の飛行シーンでは、DMC-12の車体底面も大幅に改造され、電飾が点滅するギミックが仕込まれていることがわかるが、どのような目的の機構かは触れられていない。
トヨタ・ピックアップは主人公のマーティが最も憧れる車である。過去から戻って来た後の1985年では両親からプレゼントされた車両が車庫に納まっている。
当時のMCA、ユニバーサル・スタジオ社長兼CEOのシド・シャインバーグは脚本にあった「ブラウン教授」という呼び名を変更すること、母親の名前の変更(当時はメグという名前だった)、ドクのペットの変更(当初はチンパンジーだった)、タイトルの変更を求めた。ゼメキスとゲイルは要求を飲み、「教授」から「ドク」と呼び名を変更し、当てつけに母親の名前を彼の妻(スピルバーグの『ジョーズ』にも出演した女優のロレイン・ゲイリー)のロレインに変更、ペットを犬に変えたが、タイトルの変更は阻止した。しかしシャインバーグはタイトルを本気で変更しようと「Spaceman from Pluto(冥王星から来た宇宙人)」という改題提案を送り、困った2人はスピルバーグに相談。スピルバーグは社長に「面白いジョークをありがとう。朝からみんな笑って撮影現場に活気が生まれた」と返事をした。シャインバーグはそれっきりタイトルの話はしなかったというが、公開後、「あのタイトルだったら、もっとヒットしたはずだ」とゲイルに嘯いた。
(ストーリー順に列挙)
アメリカ合衆国第40代大統領のロナルド・レーガンは1986年年頭の一般教書演説で、パート1のドクのラストのセリフを引用して次のように述べている。
さて、今夜、私はアメリカのより若い世代の皆さんに率直に申し上げたい。なぜなら、あなたがたこそ我々の合衆国の将来を担っているからです。(中略)
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で述べられているように、我々がこれから行こうとする場所には、道など必要ないのです。[要出典] ("Where we're going, we don't need roads.") — ロナルド・レーガン
1955年のドクに出会ったマーティが、「1985年のアメリカ合衆国大統領は(1955年当時は俳優であった)ロナルド・レーガンだ」と言ったのを、ドクが「俳優の? じゃあ副大統領はジェリー・ルイスか? ファーストレディはジェーン・ワイマンか?」などと馬鹿にして信じない場面がある(実際の副大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、ファーストレディはナンシー・デイビス)。「レーガン批判」だという人もいたが、当のレーガンはこの場面をとても気に入り、この場面を巻き戻させたという。
この節の一部(30thアニバーサリー・デラックス・エディションBlu-ray Boxに関わる部分)は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。編集の際に新しい情報を記事に反映させてください。反映後、このタグは除去してください。(2019年2月) |
回数 | テレビ局 | 番組名 | 放送日 | 放送時間 | 吹替版 |
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初回 | テレビ朝日 | 日曜洋画劇場 | 1989年2月5日 | 21:02 - 23:19 | テレビ朝日版 |
2回目 | フジテレビ | ゴールデン洋画劇場 | 1990年4月7日 | 21:03 - 23:24 | フジテレビ版 |
3回目 | 1992年3月8日 | ||||
4回目 | 日本テレビ | 金曜ロードショー | 1993年4月2日 | テレビ朝日版 | |
5回目 | 1994年11月11日 | ||||
6回目 | フジテレビ | ゴールデン洋画劇場 | 1997年9月20日 | 21:00 - 23:24 | フジテレビ版 |
7回目 | テレビ東京 | 木曜洋画劇場 | 1999年6月17日 | 21:02 - 22:54 | テレビ朝日版 |
8回目 | 日本テレビ | 金曜ロードショー | 2001年9月14日 | 21:03 - 23:24 | |
9回目 | 2003年5月16日 | 21:03 - 23:19 | |||
10回目 | テレビ東京 | 木曜洋画劇場 | 2005年9月22日 | 21:30 - 23:24 | |
11回目 | 午後のロードショー | 2009年6月8日 | 13:30 - 15:30 | ||
12回目 | BSジャパン | シネマクラッシュ 金曜名画座 | 2014年8月8日 | 19:50 - 21:54 | BSジャパン版 |
13回目 | シネマスペシャル | 2014年11月9日 | 12:00 - 14:25 | ||
14回目 | シネマクラッシュ | 2018年6月27日 | 19:40 - 21:54 | ||
15回目 | BSテレ東 | 年忘れシネマSP | 2019年12月30日 | 23:00 - 翌1:15 | |
16回目 | 日本テレビ | 金曜ロードSHOW! | 2020年6月12日 | 21:00 - 22:54 | ソフト版 |
17回目 | フジテレビ | 土曜プレミアム | 2022年7月2日 | 21:00 - 23:20 |
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