1910年代(せんきゅうひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1910年から1919年までの10年間を指す十年紀。
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
十年紀: | 1880年代 1890年代 1900年代 - 1910年代 - 1920年代 1930年代 1940年代 |
年: | 1910年 1911年 1912年 1913年 1914年 1915年 1916年 1917年 1918年 1919年 |
1910年代初頭、優に全世界の4/5の地域が、ヨーロッパ列強諸国の占領下に置かれていた。このような国際情勢下で、列強諸国は自国の覇権争いに躍起となっており、見た目の平和と裏腹に一触即発の国際情勢となっていた。
そのような中で、1914年6月、当時オーストリア占領下に置かれていたサラエヴォでオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されるテロ事件(サラエヴォ事件)が起き、これが契機となり、1914年7月、第一次世界大戦が勃発した。ヨーロッパでの大規模戦争は普仏戦争以来実に40年振りであり、多くの若者が戦争を知らない世代であった。そのため、開戦当初は、「クリスマスまでには帰れる」と、多くの者が楽観的に戦争の早期終結を思い描いていた。
しかしながら、実際に戦局が展開されるようになると、従来の騎馬を用いた突撃戦ではなく、両陣営が塹壕を用いた消耗戦へと変貌を遂げ、戦局は長期化する事になる。このような長期総力戦の中で両陣営が疲弊していく中、1917年4月、アメリカ合衆国が参戦を表明し、アメリカ史上初めて外国への軍事介入を行うこととなった。アメリカ軍の圧倒的な物量戦により、それまで拮抗状態にあった西部戦線のパワーバランスは瓦解し、1918年11月、休戦協定により軍事行動は停止され、1919年6月、ヴェルサイユ条約締結により正式に第一次世界大戦の終結となった。
これ以降、ヴェルサイユ体制と呼ばれる新たな国際秩序が構築され、アメリカの大繁栄、国際社会における日本の躍進、極大な賠償義務を課せられたドイツの混乱とそれに連なるナチズムの台頭、そして第二次世界大戦の勃発へと繋がって行く事になり、20世紀はより混迷の度を増していく事になる。
注釈
出典
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