赤坂5丁目ミニマラソン(あかさか5ちょうめミニマラソン)は、TBSテレビ系のテレビ番組「オールスター感謝祭」において行われるコーナー。
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1993年春にスタートした。最初はピリオドのボーナスクイズの1つにすぎなかった。そこで走ったのは、芸能プロダクション対抗マネージャー4人の戦いだった。そこで司会の島田紳助(当時)が台本には無かった「タレントさんで走りたい方いますか?」の言葉から今の名物コーナーになった。
コーナー名の「赤坂5丁目」は、現TBS放送センター(及び現TBSホールディングス総本社)の所在地であることに由来。
通常他の企画ではアンケートを行った後、希望者から出場者を選考するが、この企画はアンケートで「走りたい」と押した人全員が参加できる企画である。難関はTBS放送センター正面玄関横からAスタジオに入れる大道具搬入口へ続く、傾斜のきつい二段坂(心臓破りの坂)となっていて、高低差は12mある。
2005年春からは、地元の商店街やTBSなどが主催する「赤坂春まつり・赤坂秋まつり」のイベントの一つとして位置づけられ、当日は一ツ木通り自体が終日歩行者天国になることから大がかりな交通規制が可能となり、2005年秋からは放送当日の日中には一般からの参加者を募り、ほぼ同じコース(TBS社屋内を除くエリア)を使って市民マラソン大会(赤坂チャリティマラソン)が開催されるなど、赤坂5丁目ミニマラソンは地域ぐるみの一大イベントとなっている。その一方で、近年は上位入賞者が招待選手や過去の優勝者が中心となっている。
開始当初は、ピリオドが始まる前にボーナスクイズで順位を予想した後にランナーがスタートし、帰ってくるまでにスタジオではチャンピオンを決めるため、ランナーが走っている姿はほとんどスタート・ゴールぐらいしか無かった。旧社屋時代は当時の収録スタジオであるGスタジオまでのコースの途中に一人ほどしか通れない廊下や通常の階段、螺旋階段もあった(Gスタジオの場所が旧社屋の1階ではなかったため)。スタッフ十数名が発光棒を持って警備・コース指示をするくらいで、マイクやカメラを持ったスタッフが並走していた。回を重ねることにカメラの台数・スタッフの数が増加していった。これらの背景からマラソン中継には熟練性がさらに必要となり、2006年以降はJNN各局から技術スタッフを招集し、国際マラソン大会並みの体制で放送されている。
1993年秋までは芸能人のマネージャーのレースも行われており、太ったマネージャーには「エレベーター使用可」などの特別ルールが与えられていた。
1996年まではクイズシステムが4択しか対応していないという都合上、キーパットアンケートで走りたい人の中から4人選ぶ形をとっていたが、1997年春の大会から「走りたい」を押した人は原則全員参加することになった(原則というのは、例えば年齢的に走るのが難しい人などが間違えて押した場合には、その人から押し間違えた旨の申告があれば除外される。そのため、出演者全員に参加する可能性があるため、明らかにマラソンに不向き・健康面やドラマ収録中などの理由でマラソンNGと思われる参加者を含め、毎回出演者全員分のゼッケンが用意される)。2010年代から2022年までは参加アンケートの実施がなかった事から、この時は事前に出場する人を募っていると思われる。2023年春では、事前にマラソンのみに参加が決まっていた出演者に加え、およそ10年ぶりに回答者からの参加アンケートが復活した。
1998年春は、「春のデビュー戦」と題し、ミニマラソン未経験者のみ参加権を与えるという新たな試みがなされた。男女以外でのハンデを設けなかったため、上位をアスリートが占める結果となった。同年秋は理由は不明だがミニマラソンを開催していない。なおこの年は、常連選手(谷川、東など)は新企画「赤坂5丁目ミニバイアスロン」(後述)に参加した。
2007年秋の大会では「オールスター200人知名度調査」で名前を答えてもらえなかった芸能人がミニマラソンに強制的に参加となり、2008年春では「スターではない」ということで番組スタッフとして沿道の給水所および警備(これは逆に混乱するので中止)要員として強制参加となった。
開始当初は1周2.5kmのコースを走っていたが、現在の社屋になってから1996年秋までは2周、1997年春から2008年秋までは3周(1998年春と1999年春は2周)、2009年春からは4周(2009年秋と2010年春は3周)で行われる。また、当初はスタジオ内からの発走であったが、1997年春から参加希望者全員出走に伴い、現在のスタート地点にあるゲートからの発走となった。開始当初から原則としてTBS敷地外の公道上は歩道を走る事が原則となっていたが、2004年春から警視庁赤坂警察署の協力により公道が交通規制され車道を走ることが可能になった。2005年秋からはTBS赤坂5丁目再開発計画(赤坂サカスプロジェクト)の工事に伴い、コース上に通行止め箇所が多く出てきたことから、TBS放送センター移転、ジミー大西狙撃事件(後述)以来3回目となる大がかりなコース変更が行われた。その後、2008年3月20日の赤坂サカスのグランドオープン(これにより同敷地内の工事に伴う交通規制がすべて解除された)をはさんで2009年春まで、ほぼ毎回コースが変更されている。2009年春から現在まで、サカス坂(赤坂サカス敷地内の、赤坂ACTシアター・赤坂BLITZと赤坂Bizタワーの間の通り)を通り、公道(一ツ木通りなど)には一切出ないコースに固定されている。また、同地域が新しい観光名所となった事からレース中は警察およびTBSの警備員・スタッフ、計数百名によりコース全域に厳重な警備態勢がしかれる様になった。
2009年春、谷川真理指導の下、芸能人ランナー強化プロジェクトが実施された。参加者は藤森慎吾、本山華子、ギャル曽根、高橋光臣、ノッチの5人。一般枠で出場し(ただし高橋だけハンデつき)この中から誰かしら表彰台に立つ(3位以内に入る)という目標で行われ、ノッチが準優勝、その後の活躍のきっかけとなった。
2010年春のミニマラソンは、TBSラジオにて放送された『夜もキラ☆キラ〜TBSラジオオールスター感謝祭』の中でも同時放送した。この番組で小島慶子が語ったところによると、TBSは新社屋建設を含む地域の再開発の際、赤坂5丁目ミニマラソンを実施することを想定して設計したという。
2019年春のミニマラソンはコーナー史上初めて山分けクイズの対象にならなかった。また、直前まで「ぬるぬるトレジャーハンター」を行っていた関係上4週目の最後以外は大道具通路が折り返しポイントになっていた。休憩タイムが廃止されマラソンに参加してない人はこの間に休憩を取り1位のランナーをスタジオで迎える前には全員戻っていた。なお、2019年秋は従来の形式に戻されている。
2020年秋では、ギャラリーの密集による新型コロナウイルス感染拡大を避けるため、赤坂ではなく、緑山スタジオ・シティで開催され、コーナータイトルも「緑山2100番地ミニマラソン」となった。また、この回から山分けクイズそのものが廃止されているが、優勝者を当てるクイズの対象にはなっている。
2021年春 - 2022年秋では、開催地を東京ドイツ村に移して行われ、タイトルも「東京ドイツ村ミニマラソン」となっている。東京ドイツ村では、全長700mのアップダウンだらけで平坦がほぼ無いコースを5周(合計3.5km)走ることになる。
マラソンの会場が赤坂以外の場合は、そもそも物理的に赤坂のスタジオ出演者が参加不可能のため、ゲスト出演者のみでマラソンを行う。逆にマラソン出演者は、回答者としておよびそれ以外のコーナーには出演できない。
2023年春は3年半ぶりに赤坂でミニマラソン開催することを同年4月1日に発表。前述の通り、本コーナーのゲストを中心としつつも、回答者も再び参加できるようになった。また、番組の冒頭で番組開始時から回答者の参加を募集していることが明かされている。
開始当初は番組最初のメインコーナーとして放送され、1999年春から2000年春は、番組終盤に放送。2000年秋以降は前半戦最後のメインコーナーであり、このコーナーの前までに一気にCMを消化して中継中は一切CMを入れずに放送している。例年マラソン終了後は休憩タイムになるため参加しない芸能人も少なくない。
例年21時を跨ぐように放送されるが、2012年春は休憩タイムと時間が入れ替わったため21時頃に後半戦一発目として、2019年秋は20時前に放送されるなど例外もある。
レースは1998年以降現在まで、男女混合によるハンデ戦となっている。当初は上岡龍太郎がハンデを決める役割を担っていたが、2015春までは「ハンディキャップ委員会」と称すスタッフの打ち合わせおよび、コンピュータがはじき出したデータによって決められていた。2015年秋では瀬古利彦監修のハンデ戦となり、それ以降も「一般○○」「運動自慢○○」などのカテゴリ自体は共通している。
2023年秋におけるスタート順は以下の通り。ハンデに関しては回によって大きな差がある。
2003年春までは画面右下のタイムは1/10秒単位で計測されていたが、2003年秋より通常のマラソンと同じく1秒単位の計測となった。また同じく2003年秋には、ICチップを利用したシステムの導入により、地点毎の通過順位とタイム差が画面に表示されるようになった。2013年秋からは画面右下のタイムが表示されなくなった。
2019年秋までは基本的にゼッケンの色が赤で統一されていたが、ゲスト出演者が中心となった2020年秋からは以下のように分けられている。2023年春からは回答者の参加権の復活に伴い、ゲスト出演者の番号が100番以降に割り振られている。
このマラソンの知名度が上がるにつれて、国内外から陸上選手を招待したり、芸能人の中でも、このマラソンに備えて、数ヶ月前から練習したり、東京マラソンなどの大会に多く出場する者も少なくない。また、ミニマラソンをきっかけに芸能人マラソンランナーとしての活動の幅を広げた芸能人も多い。
近年では、元箱根駅伝ランナーや、マラソンで3時間前後の記録を持つタレントランナーが出演することが多い。
その他のランナー
2019年秋大会にて、ミニマラソン常連ランナーである、森脇健児・ハリー杉山・森渉・ノッチ・小島よしおの5人に対して、5人の中で最もタイムが遅かった者は次回からのミニマラソンへの出場停止及び卒業というサバイバル制度を今田が発表。この結果、最も遅かったノッチがミニマラソン卒業に決定した。なお、ノッチは2020年秋はスターターとして出演し、2021年春では本人曰く「マラソンの神様に出てもいいよと言われた」とのことでランナーとして復帰している。
上記のような芸能人ランナーに混じって各種スポーツで実績を持った選手たちが参加することもたびたびある。
感謝祭では、1997年と2000年春以降、国内外からプロのランナーを招待している。
初出場のランナーは過去のデータがない場合が多いため、一般女子ないし一般男子の中に入れられる。このため、ノーマークの一般男子の芸能人が優勝する波乱も少なくない。波乱となった回は以下の通り。なお、一般女子で優勝したのは、女性限定レースで優勝した橋本志穂のみである。以下、特筆のない限り一般男子枠からの優勝。
一方、2005年秋の大会でバンデルレイ・デ・リマが優勝した時、正解者は過去最多人数116人、配当は1万円を切ってしまい、8,620円となった。
解答者(2019年秋まではミニマラソン参加者を除く)は優勝者を予想するクイズに参加できる。出場選手全員がキーパッドの液晶画面に表示されるので、画面に表示されている選手の名前を1人タッチして選択した後「決定」キーを押す(毎回島崎和歌子が念押しで「決定キーを押して下さい」と言っている)。
出場選手が4人の頃はボーナスクイズの一つで出場選手4人の順位を順序良く当てるものだった。希望者全員参加制になった最初の回はキーパットが4択固定であったので、優勝選手の名前をフリップに書いて回収したり(1レース目)、「一般男子」「一般女子」などのグループに分けて4択にしたり(2レース目)もしていた。また、1997年春 - 2019年秋(2015年秋・2019年春を除く)では山分けクイズとなっていた。
2024年春時点では、上位5名に以下の賞金が与えられる(括弧内は30周年を記念して増額された2021年秋のもの)。また、2019年秋まではランナーとして参加した解答者に、順位に応じたクイズの正解ポイントが付加された。
芸名及び所属コンビ・劇団名等は優勝当時のもの(そのまんま東は現在の東国原英夫、木下明水のジョビジョバは木下の優勝した後に解散(2017年に再結成))。1993年に行われたマネージャー4人でのミニマラソン及び1997年春の2レース目の優勝者はホームページ上には掲載されていない。
また、タイムはハンデを含む時間であり、実際の走破タイムとは異なる。2013年秋以降はタイムの表示がなく、番組ホームページにもタイムの記載がない。距離が具体的に示されていない回については、同じコースを用いた回を参考とする。
回 | 西暦・季節 | 氏名 | タイム | 距離 | 備考・脚注 |
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4 | 1993年・春 (マネージャー) | 門間健一マネージャー (ホリプロ) | - | 2.5km | |
1993年・春 (タレント) | 増田明美 | 9分51秒 | |||
5 | 1993年・秋 (マネージャー) | 林由美子マネージャー (ゴールデンミュージック) | - | ||
1993年・秋 (タレント) | 増田明美 | 11分13秒 | 2連覇、2度目の優勝 | ||
6 | 1994年・春(1) | 石田純一 | 13分28秒 | 3.2km | |
1994年・春(2) | 渡嘉敷勝男 | 13分32秒 | |||
7 | 1994年・秋(1) | 野々村真 | 19分10秒 | 2.887km | |
1994年・秋(2) | みのもんた | 7分31秒 | 1.443km | みのが走ったシーンが、番組歴代最高の瞬間最高視聴率41%を記録 | |
8 | 1995年・春(1) | 野々村真 | 15分01秒 | 2.876km | 2連覇、2度目の優勝 |
1995年・春(2) | 石田純一 | 17分12秒 | 2度目の優勝 | ||
9 | 1995年・秋(1) | 野々村真 | 13分16秒 | 3連覇、3度目の優勝 | |
1995年・秋(2) | 渡嘉敷勝男 | 6分54秒 | 1.438km | 2度目の優勝 | |
10 | 1996年・春 | 織田無道 | 9分04秒 | 2.07km | |
11 | 1996年・秋 | 10分28秒 | 2.406km | 2連覇、2度目の優勝 | |
12 | 1997年・春(1) | そのまんま東 | 14分12秒 | 3.498km | |
1997年・春(2) | ワレンティナ・エゴロワ | 16分13秒 | |||
13 | 1997年・秋 (女子) | 橋本志穂 | 11分23秒 | 2.303km | |
1997年・秋 (男子) | そのまんま東 | 14分54秒 | 3.455km | 2連覇、2度目の優勝 | |
14 | 1998年・春 | 泉川正幸 | 10分33秒 | 2.303km | ミニマラソン未経験者限定レース |
16 | 1999年・春 | 間寛平 | 11分11秒 | ||
17 | 1999年・秋 | 鈴木正幸 | 17分46秒 | 3.434km | 最年長優勝(当時53歳) |
18 | 2000年・春 | 木下明水 | 16分33秒 | ||
19 | 2000年・秋 | リディア・シモン | 15分43秒 | ||
20 | 2001年・春 | 飯田覚士 | 15分41秒 | ||
21 | 2001年・秋 | 谷川真理 | 16分07秒 | ||
22 | 2002年・春 | リビュー・シモン | 15分21秒 | ||
23 | 2002年・秋 | 西野亮廣 | 13分47秒 | ||
24 | 2003年・春 | 水内猛 | 14分21秒 | ||
25 | 2003年・秋 | 森脇健児 | 14分36秒 | ||
26 | 2004年・春 | 西野亮廣 | 15分19秒 | 3.468km | 2度目の優勝 |
27 | 2004年・秋 | 15分43秒 | 2連覇、3度目の優勝 | ||
28 | 2005年・春 | バンデルレイ・デ・リマ | 14分15秒 | ||
29 | 2005年・秋 | 16分15秒 | 3.7692km | 2連覇、2度目の優勝 | |
30 | 2006年・春 | エリック・ワイナイナ | 20分07秒 | 3.948km | |
31 | 2006年・秋 | 山本裕典 | 19分58秒 | 4.068km | 最年少優勝(当時18歳) |
32 | 2007年・春 | エリック・ワイナイナ | 19分42秒 | 3.19km | 2度目の優勝 |
33 | 2007年・秋 | アントニオ小猪木 | 14分43秒 | 3.7km | |
34 | 2008年・春 | 猫ひろし | 14分52秒 | 3.19km | |
35 | 2008年・秋 | エリック・ワイナイナ | 17分26秒 | 3.85km | 3度目の優勝 |
36 | 2009年・春 | 15分40秒 | 3.4km | 2連覇、4度目の優勝 | |
37 | 2009年・秋 | 山本優弥 | 11分13秒 | 2.550km | |
38 | 2010年・春 | 蕨野友也 | 11分51秒 | ||
39 | 2010年・秋 | エリック・ワイナイナ | 15分57秒 | 3.4km | 5度目の優勝 |
40 | 2011年・春 | 猫ひろし | 15分19秒 | 2度目の優勝 | |
41 | 2011年・秋 | 15分39秒 | 2連覇、3度目の優勝 | ||
42 | 2012年・春 | なかやまきんに君 | 16分09秒 | ||
43 | 2012年・秋 | エリック・ワイナイナ | 15分42秒 | 6度目の優勝 | |
44 | 2013年・春 | 森渉 | 15分31秒 | ||
45 | 2013年・秋 | 猫ひろし | - | 3.6km | 4度目の優勝 |
46 | 2014年・春 | ビダン・カロキ | |||
47 | 2014年・秋 | 宇野けんたろう | 3.4km | ||
48 | 2015年・春 | ハリー杉山 | |||
49 | 2015年・秋 | 佐野岳 | 3.6km | ||
50 | 2016年・春 | 上田竜也 | |||
51 | 2016年・秋 | モハメド・ファラー | 5分55秒のハンデを跳ね返しての優勝 | ||
52 | 2017年・春 | 森脇健児 | 2度目の優勝、史上3人目の50代での優勝 | ||
53 | 2017年・秋 | モハメド・ファラー | 2度目の優勝 | ||
54 | 2018年・春 | 下田裕太 | |||
55 | 2018年・秋 | ウィルソン・キプサング・キプロティチ | |||
56 | 2019年・春 | 森脇健児 | 3.4km | 3度目の優勝 | |
57 | 2019年・秋 | 森渉 | 3.6km | 2度目の優勝 | |
- | 2020年・春 | 中止 | |||
58 | 2020年・秋 | 澤井一希 | - | 4.3km | 緑山2100番地で開催 |
59 | 2021年・春 | 三遊亭遊子 | 3.5km | この回から東京ドイツ村で開催 | |
60 | 2021年・秋 | 藤光謙司 | |||
61 | 2022年・春 | 岸本大紀 | 史上最長、6分15秒のハンデを跳ね返しての優勝 | ||
62 | 2022年・秋 | 菅田琳寧 | |||
63 | 2023年・春 | 小島よしお | 20分35秒 | 3.6km | 赤坂での開催が3年半ぶりに復活 ミニマラソン初参加から苦節16年目での優勝 |
64 | 2023年・秋 | K(&TEAM) | - | ||
65 | 2024年・春 | 佐野文哉(OWV) | 4.5km |
順位 | 回数 | 氏名 |
---|---|---|
1位 | 6回 | エリック・ワイナイナ |
2位 | 4回 | 猫ひろし |
3位 | 3回 | 野々村真 西野亮廣 森脇健児 |
長年続いている企画のため、時折トラブルや問題点が発生している。
1994年春のミニマラソンに出場したジミー大西が海パン一丁で走行中、何者かにエアガンで狙撃された。これを受け、警察が捜査に乗り出したが犯人逮捕には至っていない。このトラブルを受け、以後のミニマラソンでは、前述の厳重な警備態勢強化が敷かれることになった。
時々スタッフの誘導ミスなどが原因で、コースを間違えた状態でそのまま走り続けてしまうアクシデントがあり、そのまま気づかずに走り続けると失格になるルールがある。過去には、優勝争いに直結するケースで2件発生している。
2021年春では、前述のとおり一般男子枠で三遊亭遊子が優勝した。その際、2位に敗れた新谷仁美が悔しがるなどしたために、微妙な空気となった。本来称賛されるべき立場であり、かつ三遊亭遊子本人には全く非が無いも関わらず、後日番組スタッフに対して、三遊亭遊子本人とマネージャーが(空気が読めなかったことに対して)謝罪する事態となったことを、2021年秋にMCの今田が公表した。
マラソンコースを使って行う駅伝大会である。1996年春にスタートし断続的に行われていたが、現時点では2017年春の開催が最後となっている。選手達は基本的にコースを半周ないし1周走って、駅伝競走と同じく襷を繋いでゴールを目指す。
当初は2人1組の4番組の対抗戦であった。1998年秋では、「イメージアップチーム」と「クリーンチーム」による、5人1組の2チームの対抗戦。2000年秋からは3人1組(2000年秋は4人1組)のAからDチームの対抗戦(各チームのキャプテンをマラソンの上位4名が務めた)、2003年秋から年齢別駅伝となり、年齢構成は毎回異なる(10代20代が混合チームになる。30代がA・Bの2チーム制になるなど)。2007年春は出身地別駅伝となり、「東日本A」「東日本B」「西日本」「九州・沖縄」の4チームとなった。
2006年までは番組終盤に行われており、大体のメンバーがマラソンに続いて参加している。ただし、マラソンで1位になった人は参加資格を得られない回もある。2007年以降は番組の序盤に行われており、男子が1周/女子が半周でマラソンコースを合計3周して行なったのが大多数であった。
2016年春と2017年春は、当年の正月に開催された箱根駅伝で、総合優勝に貢献した青山学院大学陸上競技部の主要メンバー各4人が、2年連続して出走。なお「赤坂5丁目ミニマラソン」と同様、原晋・青学大陸上部監督がゲスト解説を担当した。但し2017年春以降、ミニ駅伝は一切行われていない。
回 | 西暦・季節 | 優勝チーム名(メンバー) | タイム | 距離 | 備考・脚注 |
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10 | 1996年・春(1) | 上岡龍太郎がズバリ!チーム (秋野暢子・そのまんま東・上岡龍太郎) | 8分35秒 | 2.07km | 番組対抗戦。他は「どうぶつ奇想天外!」「山田邦子のしあわせにしてよ」「アッコにおまかせ!」が出走。 |
1996年・春(2) | 苗字が「い」で始まるチーム (磯野貴理子・池谷幸雄) | 4分03秒 | 1.035km | 他は「に」「ま」「さ」で始まる苗字チーム | |
11 | 1996年・秋 | Toki-kin急行 好きだよ!好きやねんチーム (国分太一・城島茂) | 11分08秒 | 2.406km | 番組対抗戦。他は「さんまのSUPERからくりTV」「スーパーサッカー」「渡る世間は鬼ばかり」が出走。 |
15 | 1998年・秋 | イメージアップチーム (池谷幸雄・大澄賢也・中山麻理・石田純一・渡嘉敷勝男) | 19分57秒 | 4.606km | クリーンチームとの一騎討ち戦。 |
19 | 2000年・秋 | 山田雅人・佐藤直子・旦那シモン・L.シモン | 19分05秒 | ミニマラソン上位4名(または3名+招待選手)をリーダーとするチーム編成。 | |
21 | 2001年・秋 | 川村ひかる・おさる・そのまんま東 | 14分42秒 | 3.434km | |
22 | 2002年・春 | 山田雅人・そのまんま東・L.シモン | 13分09秒 | ||
23 | 2002年・秋 | そのまんま東・菊田早苗・木下明水 | 13分25秒 | ||
24 | 2003年・春 | 川村ひかる・そのまんま東・なかやまきんに君 | 14分06秒 | ||
25 | 2003年・秋 | 30代チーム (木下明水・薬師寺保栄・水内猛) | 16分28秒 | 20代・30代・40代・50代の4チーム戦。 | |
26 | 2004年・春 | 20代チーム (塩谷瞬・なかやまきんに君・西野亮廣) | 15分32秒 | 3.468km | 10代・20代・30代・40代・50代の5チーム戦。 |
27 | 2004年・秋 | 20代女性チーム (岩崎恭子・さくら・デファル) | 14分44秒 | 10代・20代男性・20代女性・30代・40代・50代の6チーム戦。 | |
28 | 2005年・春 | 30代チーム (水内猛・森脇健児・デリマ) | 14分50秒 | 10〜20代・30代・40代・50代の4チーム戦。 | |
29 | 2005年・秋 | 40代チーム (野々村真・そのまんま東・谷川真理) | 16分02秒 | 3.7692km | |
30 | 2006年・春 | 30代チーム (ワッキー・水内猛・森脇健児) | 13分24秒 | ||
31 | 2006年・秋 | 50代チーム (石田純一・間寛平・ワイナイナ) | 13分39秒 | ||
32 | 2007年・春 | 世界陸上チーム (大島めぐみ・早狩実紀・リチャーズ) | 17分16秒 | 東日本A・東日本B・西日本・九州沖縄と5チーム戦。 | |
33 | 2007年・秋 | 50代チーム (間寛平・石田純一・東国原英夫) | 8分47秒 | 2.200km | 10〜20代・30代・40代・50代の4チーム戦。 |
34 | 2008年・春 | 40代チーム (野々村真・深沢邦之・森脇健児) | 9分04秒 | 20代・30代・40代・50代・女子の5チーム戦。 | |
35 | 2008年・秋 | アダルトチーム (石田純一・間寛平・東国原英夫) | 12分14秒 | 2.550km | アダルト・ヤング・レディース・ケニアの4チーム戦 |
36 | 2009年・春 | 芸人チーム (春日俊彰・井上裕介・猫ひろし) | 10分46秒 | 俳優・芸人・男子アスリート・女子アスリート・政治家の5チーム戦 | |
37 | 2009年・秋 | マラソンドリームチーム (千葉真子・谷川真理・ベノイト) | 11分52秒 | 女子駅伝。マラソンドリーム・美女アスリート・タレントランナー・女優アイドル・女子いろものの5チーム戦 | |
40 | 2011年・春 | 30代Aチーム (小島よしお・中岡創一・東尾理子・猫ひろし) | 20代・30代A・30代B・40代・50〜60代の5チーム戦 | ||
48 | 2015年・春 | 炎の体育会TVチーム (上田竜也・金田朋子・田中卓志・鈴木奈々) | 4年振りに復活。「アイドル」「アルジャーノンに花束を」「アスリート」「ニセモノ」と5チーム戦。MCの和歌子がアイドルチームで参戦。これに伴い、有村が司会を務めた。 | ||
50 | 2016年・春 | 感謝祭・炎の体育会TV選抜チーム (上田竜也・小島よしお・ワッキー・森渉・宮沢氷魚・なかやまきんに君・ハリー杉山・佐野岳) | 青山学院大学陸上競技部チームとの一騎討ち戦。感謝祭・体育会TVチームは一人半周、青山学院チームは一人一周の特別ルールで実施。タイムハンデは無かった。 | ||
51 | 2016年・秋 | サクラセブンズチーム (中村知春・桑井亜乃・山口真理恵・鈴木彩香) | イケメン美女・2016年ブレイク・バラエティ・感謝祭・サクラセブンズの5チーム戦。タイムハンデは無かった。 | ||
52 | 2017年・春 | 青山学院大学陸上競技部チーム (鈴木塁人・森田歩希・梶谷瑠哉・小野田勇次) | 芸能人最速チームとの一騎討ち戦。芸能人最速チーム一人一周、青山学院チームは一人二周の特別ルールで実施。タイムハンデは無かった。なお、現時点では最後の開催である。 |
1998年の春・秋に開催。バイアスロンのスキーをマラソンに変えた企画。コース途中にある風船を吹き矢で割りながら、マラソンコースを3周走る。風船は、心臓破りの坂とBスタジオに設置されており、心臓破りの坂では3個、Bスタジオでは5個を割る。秋の大会では、風船のサイズが小さくなった。
谷川・東・なべやかんなどの常連ランナーはこの年、ミニマラソンに出場できなかったため、こちらに参加した。
優勝は春・秋ともに谷川真理。
2000年春、シドニーオリンピック開催を記念して行われた特別企画。オーストラリアのシドニーの陸上競技場を貸切り、感謝祭選抜メンバー(出走順に渡嘉敷勝男、石田純一、谷川真理、野々村真、そのまんま東)が5人リレーで10000mを走り、シドニー五輪・女子マラソン種目での活躍を期待されていたリディア・シモンと対決する、というものであった。ハンデは時間ではなく、シモンが620m多く走るというものだった。
2017年春、ミニマラソン本戦が終わったところで間髪入れずに始まったクイズピリオド。問題は2問用意されており、1問目は「『心臓破りの坂』でカメラマンに扮した大物芸能人は?」、続く2問目は「『折り返しコーン』に隠れていた大物芸能人は?」の問題が出題された。正解は、1問目は哀川翔、2問目は草野仁。そしてこのピリオドのトップは陣内智則だった。
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