武冨 豊(たけとみ ゆたか、1954年2月16日 - )は佐賀県出身の元陸上競技選手、現指導者。
佐賀県立多久工業高等学校時代に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)5000mに出場。予選会となる北九州総体で4位に入賞して全国大会出場を決めたが、そのときの優勝は喜多秀喜、2位は宗茂、3位は宗猛と上位入賞者は全て後のオリンピック代表(ただし喜多は幻の1980年モスクワオリンピックのみの代表)だった。
1972年に神戸製鋼所に入社。喜多秀喜らとともに陸上部の中心選手となる。
1978年にボストンマラソンで9位入賞、1979年に別府大分毎日マラソンで1位と0.3秒差の2位。翌1980年に同マラソンで優勝。
1984年には全日本実業団30キロロードレースで優勝している。その神戸製鋼所陸上部コーチをつとめ、1992年に天満屋のヘッドコーチに、1996年には監督に就任した。
2000年シドニーオリンピックでは山口衛里、2004年アテネオリンピックでは坂本直子、2008年北京オリンピックでは中村友梨香、2012年ロンドンオリンピックでは重友梨佐と、4大会連続でオリンピックの女子マラソン日本代表に送り出している。そのうち山口と坂本の二人が、ともに五輪7位入賞に導いた。
現在は日本陸上競技連盟長距離・ロード特別対策委員会のスタッフに入り、女子マラソン部長として強化・育成の指揮を執っている。
元プロ野球選手の加藤博一は、武冨の佐賀県立多久工業高等学校の2年先輩に当たり、高校時代の駅伝大会で野球部から助っ人で出場した加藤と共に出場した。武冨と加藤は加藤が亡くなるまで親交があった。
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