東京都立九段高等学校(とうきょうとりつ くだんこうとうがっこう)は、かつて東京都千代田区九段北に存在した東京都立高等学校。
東京都立九段高等学校 | |
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北緯35度41分45.8秒 東経139度44分50.4秒 / 北緯35.696056度 東経139.747333度 東経139度44分50.4秒 / 北緯35.696056度 東経139.747333度 | |
過去の名称 | 第一東京市立中学校 東京都立九段中学校 東京都立九段新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
設立年月日 | 1924年 |
閉校年月日 | 2009年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 |
設置学科 | コース制普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒102-0073 |
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第一東京市立中学校を前身とする都立進学校であった。他に市立中以来の都立校として上野高校・文京高校がある。
関東大震災による学校不足を補うため、当時の東京市により設立された。大正デモクラシー下の大正自由教育運動(新教育運動)の気風を引き継ぎ、開校当時から珍しく制服がブレザーであった。また当初は国立栄養研究所の指導の下、学校給食が出された。進学面では、創立当初は旧制中学校の中で一高進学者数がベスト10のランキング入りをしていたこともあり、戦後も東大合格者数では二桁10人台を常態とし、時に20人台という年もあった。
創立以来一貫して、四中や六中、九中などに見られる質実剛健を旨とする他の都立進学校とは一線を画すように独自の自由な校風を旨としていた。それゆえ、1967年の学校群制度制定と共に受験者の志望先が限られ、また日比谷や三田といったそれぞれ異なる独特の伝統・校風を矜持とする3校で群を形成したためか、それに引き続くグループ合同選抜制度時代以降も次第に校風で停滞が見られたことは否めなかった。具体的には、都立高入試問題の難易度や授業カリキュラムその他取り組みなど機能や制度面で、あるいはブランディングで私学と比較して公立学校個々で差別化や特色を生み出せず、進学実績でもしばらく停滞が見られた。
東京都より千代田区に移管されて「都立」から「区立」となり、2006年4月に同じ校内(校舎は高校の隣に新しいものが完成した)に開校された中高一貫校の千代田区立九段中等教育学校へ校舎が明け渡された。2008年度末(2009年3月末日)に「都立」としての九段は閉校した。証明書の発行事務は一橋高校が請負っている。
校地は最後の琉球国王だった尚泰の邸宅(琉球屋敷)跡に当たる。琉球処分後、尚泰一家は明治政府によって東京に住むことを強要され、関東大震災までこの場所に屋敷を構えて生活していた。震災後に一家はここから現在の渋谷区南平台町に移転し、その跡地に第一東京市立中学校が作られた。校地を囲む塀の下部にいまでも残る石垣は、尚泰の邸宅の名残である。
例年5月、6月、11月に実施される。
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