岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14日 - )は、日本の工業技術者、経営者。金属加工会社・岡野工業株式会社の代表取締役(社長・ただし2018年に2年後を目途に廃業すると表明している・後述)。東京都墨田区出身。
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おかの まさゆき 岡野 雅行 | |
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生誕 | 1933年2月14日(91歳) 日本東京都墨田区 |
国籍 | 日本 |
教育 | 国民学校初等科 |
職業 | 工業技術者、工場経営者 |
著名な実績 | 工業技術の開発 |
代表作 | リチウムイオン電池ケース 痛くない注射針(ナノパス33) |
活動拠点 | 金属加工会社・岡野工業株式会社 |
肩書き | 会社社長 |
任期 | 1972年(昭和47年)- |
前任者 | 実父 |
栄誉 | 旭日双光章 2004年秋 |
1933年(昭和8年)生まれの東京都出身。金属深絞り加工の世界的工業技術者(金型職人)として知られていて、東京都墨田区の従業員数6人という小さな町工場でありながら、その高い技術カが日本はもちろん、世界の大企業やNASAなどに注目され、製品が次々に採用される実績を持つ。講演多数、著書20以上。
1945年、向島更正国民学校初等科を卒業後、実父が創業した金型工場を手伝い始める。旧制中学校中退。20代の頃に父親に「夕方5時から翌朝の8時まで」工場を貸してくれるように頼み、昼間は工場の仕事を、夜の時間に自ら受注した仕事をこなしながら技術力を磨いた。 そのときに岡野が誓ったのが2つ。「安すぎて誰もやらない仕事」「技術的に難しすぎて他の誰にもできない仕事」しかやらないということだという。
1972年(昭和47年)に父親が社長を務めていた岡野金型製作所の2代目社長(自称「代表社員」)に就任して、社名を岡野工業と改める。以後金型生産のみから脱却しプレス加工へ進出、更には生産設備開発で自動化設備開発へと発展する。
世界的にも技術を認められ、テレビ番組にも取り上げられたりしているが、依然として会社規模を少数精鋭で数名のままとして開発を続けた。
2004年(平成16年)秋の褒章にて、旭日双光章を受章する。
2005年(平成17年)12月、第4回日本イノベーター大賞、ジャパンクール賞を受賞。
2006年(平成18年)10月12日、岡野工業が、東京商工会議所主催の第4回勇気ある経営大賞の大賞を受賞する。
2018年3月13日、日本経済新聞のインタビューで「あと2年で会社を閉じるつもり。自然体でやめていく。」と報じられた。
2012年(平成25年)7月19日に、経営する岡野工業の脱税事件が発覚。東京国税局の税務調査を受け、2011年までの5年間に1億円超の所得隠しを指摘されていたことが分かった。この事件について『日経ビジネス』のインタビューで以下の様に語った。
仕事を出す代わりに、後で手数料をバックしてもらうことは、この商売ではよくあることなんだけどね。取引先から「仕事が欲しい、仕事をさせてくれ」って頼まれたから「じゃあ、仕事を出してやるか」ってことになったんだよ。その会社は景気が悪かったんだ。かわいそうだから仕事をやってやったんだよ。ただ、それを帳簿につけていなかった。そこが問題だったんだな。
俺はカネのことは社員任せなんだよ。仕事はどんどん来るからね。仕事だけやっていればいいと思っている。
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