住吉区(すみよしく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。
すみよしく 住吉区 | |
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国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 大阪市 |
市町村コード | 27120-9 |
面積 | 9.40km2 |
総人口 | 151,885人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) |
人口密度 | 16,158人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 | 大阪市(阿倍野区、東住吉区、西成区、住之江区) 堺市(堺区、北区) 松原市 |
区の花 | カキツバタ |
住吉区役所 | |
所在地 | 〒558-8501 |
外部リンク | 大阪市住吉区 |
ウィキプロジェクト |
上町台地の南部、大阪市の最南部に位置し、大和川を隔てて堺市の堺区・北区と隣接している。6本の鉄道、あびこ筋とあべの筋の2本の主要道路が、いずれも都心部と南北に結ばれている。区の北部は、阿倍野区南部から続く住宅街で、阿倍野区の帝塚山一丁目から住吉区の帝塚山中、帝塚山西とお屋敷町となる。その南に位置する住吉大社を中心にした住吉、上住吉は、旧家の多い昔からの静かな住宅地域であり、その周囲に清水丘、墨江、遠里小野、南住吉、山之内などの勤め人階層の多い住宅地が続いている。
現在の区域はおおむね、大阪市編入前の住吉郡(のち東成郡)住吉村・墨江村・長居村・依羅村の大半と、西成郡粉浜村の一部に当たる。1950年代ごろまでは区の東部・南部に農地が広がっていたが、宅地開発が進み、2010年代には区の一部に農地が残る他はほとんどが住宅地となっている。
住吉は古代では「すみのえ」と訓み、万葉集にも登場し、歴史は古い。現在、住吉、住之江、墨江は、別な地域名となっているが、元は住吉の読みの「すみのえ」の異表記だった。
古代には住吉津(すみのえのつ)とそれを護る住吉大社が栄えた。中世には、住吉大社宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝の後村上天皇の御座所(皇宮)が約10年間置かれ(住吉行宮)、南朝の拠点となった。中近世以降は住吉郡東部の平野郷が栄え、住吉津の面影が消えた沿岸部では代わって新田開発が盛んに行われた。
近代に入ると、1879年(明治12年)に大阪府で郡区町村編制法が施行され、安立町に住吉郡役所が置かれた。しかし、郡役所は1881年(明治14年)に、郡自体も1896年(明治29年)に東成郡に統合され、住吉郡は消滅した。
住吉区は、1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って東成郡全域が大阪市に編入された際、旧住吉郡全域(平野郷町、喜連村、北百済村、南百済村、田辺町、依羅村、墨江村、住吉村、安立町、敷津村、長居村)と旧東成郡天王寺村の区域で誕生した。大阪市編入の際には、当初は名称を「阿倍野区」とする案が出されたが、最終的に住吉区の名称が採用された。
その後、1943年の分増区により、当時の阿倍野区・東住吉区に当たる区域を分離した。1943年の分増区の際、当時の住吉区役所は現阿倍野区の区域にあったことから、現在の阿倍野区が「住吉区」の区名を継承し、現在の住吉区の区域を「住之江区」とする案が出された。しかし住民の反対によりこの案は撤回され、住吉大社周辺を含む当区の区域が住吉区の区名を継承した。
また1943年の分増区の際、隣接する西成区との間で区の境界の見直しが行われ、一部区域(天下茶屋・山王地区および旧敷津村の一部)が西成区に分離編入されると同時に、当時西成区に属していた粉浜地区が住吉区に編入された。
1974年には住吉区と住之江区に分区された。従来の区について、細井川(細江川)以北は南海本線・細井川以南は阪堺線を境に東西に分け、西部を住之江区とした。住之江区の分区により、住吉公園や安立、浜口などは住之江区に属することとなった。
このほか御堂筋線長居駅と交差する形でOsaka Metro敷津長吉線(9号線)の新駅が設置される計画があるが、2023年現在では未着手となっている。
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区内には大学1校、高等学校7校、中等教育学校1校、中学校12校、小学校16校、特別支援学校1校、専修学校1校、幼稚園15園が存在する。
区内には大阪市立大学が設置されている。旧制大阪商科大学時代の1934年7月25日に、天王寺区烏ヶ辻から現在地に移転している。太平洋戦争の終戦直後にはGHQにより学舎を「キャンプ・サカイ」として接収され、市内各地に仮校舎を分散していた。この間の1949年に新制大阪市立大学となった。敷地は1952年に一部返還を受け、1955年9月30日に全面返還された。
大阪市立大学は2022年度以降、大阪公立大学に移行する。大阪市立大学は学生卒業後に閉学することになっている。
また現在は区外に移転している(移転後閉校したものも含む)が、かつて区内には帝塚山学院短期大学、関西外国語短期大学、大阪女子大学、大阪府立看護短期大学といった高等教育機関も設置されていた。
高等学校は7校(大阪府立2校、私立5校)が設置されている。
公立高校は大阪府立阪南高等学校(1959年創立)、大阪府教育センター附属高等学校(1963年に、大阪府立大和川高等学校として創立。2011年改編)の2校。両校とも全日制普通科を設置する。2014年度から高校の学区が撤廃されたため、両校とも大阪府全域から出願できる。
私立高校は大阪学芸高等学校、清明学院高等学校、建国高等学校、帝塚山学院高等学校、浪速高等学校の5校がある。
長居に大阪学芸中等教育学校が設置されている。同校は大阪学芸中学校・高等学校の6年一貫教育課程を改組し独立させる形で2004年に設置された。大阪府で最初に開校した中等教育学校であり、2010年時点では大阪府下唯一の中等教育学校でもある。しかし2020年度以降の生徒募集を停止し、最終学年の在校生が卒業する2025年3月の閉校を予定している。
公立中学校は三稜中学校、我孫子中学校、住吉中学校、大和川中学校、東我孫子中学校、墨江丘中学校、大領中学校、我孫子南中学校の8校。
1947年の学制改革の際、当時の住吉区の区域(現住之江区含む)には4中学校が設置され、うち住吉第三(現:三稜)、住吉第四(現:我孫子)の2中学校が現住吉区域に設置された。翌1948年には住吉第一(現:住之江区域)・住吉第三両校の校区を再編し、住吉第五(現:住吉)中学校が新設された。
その後地域の宅地化により生徒数が増加し、それに伴って既設校が過密化したため、1970年代に新設中学校が相次いで設置された。三稜中学校の校区を分離する形で、大和川中学校(1973年)・墨江丘中学校(1978年)が開校している。また我孫子中学校の校区を分離する形で東我孫子中学校(1973年)が開校し、住吉中学校の校区を分離する形で大領中学校(1978年)が開校している。
1995年には我孫子・東我孫子の両中学校の校区を再編する形で、我孫子南中学校が開校した。
私立中学校は大阪学芸高等学校附属中学校、建国中学校、帝塚山学院中学校、浪速中学校の4校が設置されている。
公立小学校は東粉浜小学校、住吉小学校、長居小学校、依羅小学校、墨江小学校、遠里小野小学校、清水丘小学校、南住吉小学校、大領小学校、苅田小学校、山之内小学校、苅田南小学校、苅田北小学校、大空小学校の14校が設置されている。
明治時代初期、1872年に現在の墨江小学校が設置された。その後当時の各村に相次いで学校が設置され、統廃合などを繰り返して明治時代中期までには現在の依羅小学校・長居小学校が創立している。1908年には墨江小学校から、当時の住吉村を校区とする住吉小学校を分離している。
大阪市編入後には東粉浜小学校(1930年)・遠里小野小学校(1937年)・清水丘小学校(1942年)が開校した。
1950年代以降の地域の宅地化により、南住吉(1958年)・苅田(1960年)・大領(1960年)・山之内(1967年)・苅田北(1974年)・苅田南(1974年)の各小学校が開校している。
2000年代には南住吉小学校の過大規模傾向がしばらく続くと判断され、同校から分離する形で2006年に南住吉大空小学校(現:大空小学校)が開校した。
私立中学校は建国小学校、帝塚山学院小学校の2校が設置されている。
区内には大阪府立大阪南視覚支援学校が設置されている。1938年12月8日に天王寺区から現在地に移転している。かつては大阪府立盲学校の名称だったが、特別支援教育制度の導入に伴い2008年度より大阪府立視覚支援学校に改称され、さらに2016年度には大阪府立大阪南視覚支援学校へ改称されている。
知的障害・肢体不自由・聴覚障害・病弱児童についてはそれぞれの障害種別に応じた特別支援学校の校区が設定され、区外の学校に通学することになる。
専修学校は区内に1校。苅田六丁目に私立の関西医療学園専門学校が設置されている。
かつては帝塚山(旧:大阪女子大学帝塚山学舎)に大阪府立貿易専門学校があったが、大阪府の方針により2004年3月に閉校になった。
(公立)
(私立)
(以上五十音順)
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