西成区(にしなりく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。
にしなりく 西成区 | |
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国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 大阪市 |
市町村コード | 27122-5 |
面積 | 7.37km2 |
総人口 | 105,668人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) |
人口密度 | 14,338人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 | 大阪市(大正区、天王寺区、浪速区、阿倍野区、住吉区、住之江区) |
区の花 | ハギ |
区のキャラクター | スーパーポンポコジャガピーにしなりくん |
西成区役所 | |
所在地 | 〒557-8501 大阪府大阪市西成区岸里一丁目5番20号 北緯34度38分5.4秒 東経135度29分39.8秒 / 北緯34.634833度 東経135.494389度 東経135度29分39.8秒 / 北緯34.634833度 東経135.494389度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキプロジェクト |
大阪市の南西部に位置する行政区である。区内はおおむね平坦な地形で、大半が住宅街、西部の一部地域が工業地域となっている。鉄道や幹線道路の交通網は主に南北方向に通過し、難波などの大阪市中心部や堺市・大阪府南部方面へとつながっている。新今宮駅付近にはドヤ街のあいりん地区(釜ヶ崎)が所在することでも有名である。また、天王寺にも程近い場所に位置する飛田新地はかつての遊郭だったころから続く日本最大級の風俗街(ソープランド街)である。
明治時代ごろまでは玉出や天下茶屋に集落があったほかは農村地帯だったが、大正時代になって大阪市中心部にも近い地理条件から急速な宅地化が進み、また区の西部では工業地域化が進んだ。
1925年に西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村の4か町村が大阪市に編入された際、旧4か町村の範囲で西成区を新設した。区名は旧郡名に由来する。その後1943年に周辺区と境界を調整して現在の区域となっている。
上町台地の西側に広がる低地帯で、区内はおおむね平坦な地形となっている。区名の由来である西成郡は上町台地の西側に形成された土地という意味の自然地形を由来にし、古代から「西生」「西成」と表記されてきた。なお、西成郡は1897年の大阪市第一次市域拡張によって現在の此花区、港区、大正区などにあたる地域が大阪市へ編入されて郡域が南北に分断され、1925年の大阪市第二次市域拡張によって西成郡の残余は北東部が東淀川区、北西部が西淀川区、南部が西成区をそれぞれ称することとなった。
区の中央部から南寄り・西寄りにかけては戸建て住宅や低層中層の集合住宅などが多く、また区の西寄りには町工場なども混在するなど、下町の住宅地と工業地区が混在した様相を呈している。区の最西端の木津川沿いは工業地帯となっている。天神ノ森、聖天下など区の東部・南東部は、明治時代後期に現在の西成区南東部から阿倍野区西部にあたる地域が天下茶屋郊外住宅地として開発された歴史的経緯の名残で、閑静な住宅地である。
区の北東部の萩之茶屋付近には「あいりん」と呼ばれる地区があり、かつては日雇い労働者の町として知られた。しかし、バブル崩壊後は公共事業の縮小などで求人が減り、一時はホームレスになる者が増加した。あいりん地区のある新今宮駅周辺は、これまでに何度も発生した暴動などによる負のイメージがつきまとっていたが、現在は新今宮駅周辺は、交通アクセスの良さと比較的低価格で泊まれる宿泊施設が多いことや、すぐ近くにある新世界、通天閣などの観光資源にも恵まれ、海外からのバックパッカーを呼び寄せている。
国勢調査による人口は106,111人(2020年)で、ピーク時の214,652人(1960年)から概ね半減している。
西成区では連合振興町会単位で以下の16地域に分けている。
地域区分はおおむね2015年小学校統廃合以前の小学校区と一致するが、一部例外もある。
1973年以降の住居表示上の町名としては、以下の32町がある。
区内の地域区分(小学校区および連合振興町会の管轄区域)と、住居表示上の町名の境界は、必ずしも一致しない。「地域名と住所表示上の町名が同一でも、地域区分の範囲としては、同じ名称を持つ住居表示上の町名は一部しか含まれていない場合」「地域の範囲に、別の地域名と同じ名称を持つ住所表示上の町名の一部を含んでいる場合」などもある。住居表示上で同じ町丁に属していても複数の地域に分かれる場合もある。
中世ごろまでは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。
後奈良天皇は1557年4月、宮中への大鯛献納に対する感謝の意を示す文書を、今宮村に対して出した。区内にあった弘治小学校の校名は、文書が出された当時の元号・弘治に由来している。
区の南部の玉出は12世紀以降開発が進められ、中世・近世には生根神社を中心とした環濠集落となっていた。
近世になると戦乱の舞台となったことを示す記録も残されている。天正年間(1573年 - 1593年)には本願寺門徒が織田信長と戦い、木津川口の防衛のために城塞を築いたと伝えられる。区北部にある出城の地名は、このときに築かれた城塞があった場所と伝えられていることに由来している。
区の中部から東部にかけての一帯を指す天下茶屋の地名は、現在の岸里東2丁目にあった茶屋に豊臣秀吉が立ち寄って休憩したことで、その茶屋が「天下の茶屋」ないしは「殿下の茶屋」といわれたことが由来と伝えられる。天下茶屋の地名の由来となった茶屋は1945年の大阪大空襲で焼失したが、敷地跡の一部は史跡天下茶屋跡となっている。
区の西部の津守・南津守・北津守は、江戸時代中期以降津守新田として開発が進められた地域である。
現在の西成区の区域は江戸時代、大坂三郷に勝間南瓜をはじめとする蔬菜類を供給する近郊農業地帯となっていた。土壌が蔬菜栽培に適していたことや、大坂三郷近郊にあたり肥料類の入手に恵まれていたことが背景にあげられる。蔬菜類は天満青物市場に運んで販売することになっていたが、市街地北部にある天満は現西成区域にあたる村からは遠方だとして、道頓堀や湊町など大坂三郷南部での立ち売りもおこなわれた。立ち売りは天満青物市場との間でしばしば紛争となっていたが、1809年に13品目に限り難波一帯での立ち売りが公認されるようになった。現在の浪速区にある木津市場は、大坂三郷南部での蔬菜類の立ち売りを起源として発展したものである。
明治時代には町村制の実施により、現在の区域は西成郡今宮村、木津村、勝間(こつま)村(のちの玉出町)、川南村および東成郡天王寺村の一部となった。
1899年の大阪市第一次市域拡張により、今宮村と木津村の北部が大阪市に編入され、今宮村南部と木津村南部が合併して新たな今宮村(のちの今宮町)となった。また川南村の大半も大阪市に編入されたが、唯一編入されずに残った川南村大字津守新田が津守村として独立した。
明治時代後期以降、南海鉄道や阪堺電気軌道などの開通により、天下茶屋から北畠(現・阿倍野区)・帝塚山(現・阿倍野区、住吉区)にかけての界隈が郊外住宅地として開発された。また大正時代以降大阪市の拡大とともに、大阪市に近接している地理条件から人口が急激に増加し、住宅地、工場地へと変貌した。特に花園町、岸里、玉出などは商店街が栄え、木津川沿いは繊維、鉄工、造船などの大工場が立地した。
1925年の大阪市第二次市域拡張の際、旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村が大阪市に編入されて、西成区として区制施行した。区名は旧郡名に由来する。
大阪市第二次市域拡張に際して、当初は西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村および東成郡墨江村・敷津村・安立町の区域をもって「住江区」を設置する案が出された。その後、区域を今宮町・玉出町・津守村・粉浜村に変更したうえで「住之江区」とする修正案が出された。しかし「住之江区」では隣接する住吉区と発音が似ているため紛らわしいという意見や、同時に大阪市に編入した旧東成郡域(旧住吉郡域を除く)が当初案の「城東区」から「東成区」に区名を変更したことを受け、旧西成郡域でも郡名を残したいという意向が出されたため、旧郡名からとった「西成区」となった。なお、旧西成郡域は伝法川 - 木津川間が大阪市第一次市域拡張の際に編入済だったため分断されており、伝法川以北が「淀川」を採用した結果、木津川以東の当区が郡名を採用することになった。
編入当初、4町村の中で最大の人口を擁する今宮町の影響力が強く、区名も「今宮区」になる可能性があった。それに対し玉出町が、今宮町と粉浜村の中間に位置することを理由に「玉出区」を提案。どちらを選んでも互いに遺恨が残るため、妥協案として「西成区」になった経緯もある。
区役所は1925年の区発足当初、花園町(現在の花園南1丁目)の旧今宮町役場を使用した。1927年に当時の西成区域のほぼ中央であった千本通3丁目15(現在の千本南1丁目3番、朝日プラザ付近)に移転し、さらに1954年12月10日に西皿池町(現在の岸里1丁目)の現在地に庁舎が竣工して移転している。2001年12月には2代目の現庁舎に建て替えられている。
区発足当初の町名は、旧今宮町域では旧大字を引き継いだ37町、旧玉出町・旧粉浜村・旧津守村についてはそれぞれ全域を玉出町・粉浜町・津守町とした。1927年に旧玉出町域を12町に、旧粉浜町域を4町に分けている。旧津守町域は1948年に町域を東西に分け、津守町東・津守町西の町名ができた。
1943年には大阪市の行政区の分増区に伴い、隣接する住吉区と区の境界を一部調整して現在の区域となった。区南部の粉浜町のほぼ全域と津守町の一部を住吉区に分離するとともに、山王町、松田町、聖天下、天下茶屋(現在の天下茶屋とは異なる)、天神ノ森、北加賀屋町の一部、桜井町の一部(当時の町名)を住吉区より編入した。このうち、山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森は旧東成郡天王寺村にあたり、同じ区内に旧西成郡域と旧東成郡域が共存することになった。
1973年に住居表示を実施し、現在の町名に整理されている。
区内の鉄道路線は主に南北方向に通り、大阪市中心部と堺市・大阪府南部方面を結んでいる。東西の鉄道網はほとんどなく、区の北端・浪速区との境界付近をJR線や御堂筋線が東西方向に通るような形になっている。
(廃線)
バスは大阪シティバスの路線が、あべの橋・なんば方面と地下鉄住之江公園方面を結んでいる。
2000年代には、区内を環状路線で運行して鉄道駅や公共施設などを結ぶ赤バスが大阪市交通局によって運行されていたが、2013年3月をもって廃止された。
赤バス廃止後は西成区役所による暫定措置として、代替の福祉バスとしてジャガピーバスを運行していた。曜日限定運行、高齢者・障害者などに利用者を限定するなどしていた。同バスは1年ほどで廃止されている。
西成区を発着する渡船は木津川の3か所で運航され、いずれも対岸の大正区とを結んでいる. 。大阪市建設局が運航している。市の直営で運航されているが、一部渡船場については民間業者に委託されている。いずれの渡船も、歩行者および自転車専用で、道路の代替扱いとして無料となっている。
2020年時点では、区内には高等学校2校・中学校6校・小学校11校(以上いずれも公立。小中一貫校1組を含む)、専修学校2校(私立2)、幼稚園3園(公立2・私立1)が設置されている。大学や特別支援学校は区内には設置されていない。
かつて私立の金剛学園が梅南2丁目にあったが、学校敷地がなにわ筋の延伸予定地となったことから、住之江区南港に移転した。同校跡地の一部はなにわ筋の道路敷地となり、残りの部分はライフ西天下茶屋店となった。
小学校は、いずれも大阪市立の天下茶屋小学校・長橋小学校・橘小学校・まつば小学校・玉出小学校・岸里小学校・千本小学校・南津守小学校・北津守小学校と、新今宮小学校の計10校がある。
中学校は、いずれも大阪市立の天下茶屋中学校・今宮中学校・成南中学校・鶴見橋中学校・玉出中学校・梅南中学校の計6校となる。
新今宮小学校と今宮中学校は「いまみや小中一貫校」として小中一貫教育を実施している。また天下茶屋中学校は天下茶屋・橘の2小学校、成南中学校は岸里・千本の2小学校、鶴見橋中学校は長橋・北津守の2小学校、梅南中学校はまつば小学校の校区を、それぞれ中学校校区とする。
明治時代初期に、勝間村に玉出小学校(1873年2月)、津守村に津守小学校(1875年10月)が設置された。玉出小学校は、西成郡で最初に設置された小学校だとされている。今宮村では現浪速区の区域に今宮小学校(のちの恵美小学校)が設置されている。今宮村北部の大阪市への分離編入(1897年)により今宮村には一時期小学校がなくなったが、1898年に新たな今宮村の小学校として今宮小学校(後年の弘治小学校)が開校している。
大正時代以降地域の人口急増により、1910年代から1920年代にかけて現在区内にある小学校が次々と開校した。
中学校については1947年の学制改革の際、西成第一(天下茶屋)・西成第二(今宮)・西成第三(成南)の3中学校が設置された。翌1948年には西成第四(鶴見橋)中学校が開校。その後、1955年に玉出中学校(成南中学校から分離)、1972年に梅南中学校(鶴見橋中学校から分離)がそれぞれ開校している。
一方で2000年代以降は、区内、特に区の北部(北東部および北西部)での地域の児童数減少が顕在化し、学校再編が検討されるようになった。
区北東部地域では、小学校の統合を含めた再編が検討されていた。その後小中一貫校への改編の話が持ち上がって具体化し、2015年4月1日に弘治・萩之茶屋・今宮の各小学校を統合したうえで、今宮中学校敷地に小学校を併設する形で新今宮小学校・今宮中学校(いまみや小中一貫校)へと改編した。
また区北西部地域では、地域の児童数減少を踏まえての再編で、梅南小学校と津守小学校が2015年4月1日に統合され、津守小学校を閉校したうえで梅南小学校を「大阪市立梅南津守小学校」に改称した。さらに梅南津守小学校と松之宮小学校が2021年4月1日に統合し、松之宮小学校を閉校のうえで梅南津守小学校を「大阪市立まつば小学校」に改称した。
校区については、山王は阿倍野区の金塚小学校・松虫中学校校区に指定されている。また天神ノ森の大半については、阿倍野区の晴明丘小学校・晴明丘南小学校および阪南中学校の校区に指定されている。
2015年度より、市立小中学校について学校選択制が導入された。
区内には、大阪市立2園と私立1園の計3園が設置されている。
(各分野五十音順)
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