ジャイアントパンダ(学名:Ailuropoda melanoleuca、中国語: 大熊猫)は別名オオパンダとも呼ばれ、中国の四川、陝西、甘粛省の高山地帯に自然生息する大型のクマ科動物である。彼らは最も識別しやすい野生動物の一つで、その特徴的な黒と白の毛皮、大きな丸い体、そして表情豊かな顔で知られている。成体の体重は通常、100〜150キログラムに達し、オスの方がメスよりやや大きい傾向がある。
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ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||
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ジャイアントパンダ Ailuropoda melanoleuca | |||||||||||||||||||||||||||
保全状況評価 | |||||||||||||||||||||||||||
VULNERABLE (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) ワシントン条約附属書I | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Ailuropoda melanoleuca (David, 1869) | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ジャイアントパンダ | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Giant panda | |||||||||||||||||||||||||||
ジャイアントパンダの食生活は非常に特殊で、主に竹を食べる。竹は栄養価が低いため、パンダは毎日大量の竹(約12〜38キロ)を食べて栄養を確保する必要がある。竹以外にも、果物、野菜、時には魚や小動物を食べることもあるが、これらは彼らの食事のごく一部を占めるに過ぎない。
繁殖に関しては、ジャイアントパンダは非常に特異な行動を示す。彼らは一般的に孤独で、特に繁殖期以外は他のパンダと交流することはほとんどない。メスは2〜3年に一度のみ発情期を迎え、その期間は非常に短いため、繁殖の機会は限られている。妊娠期間は約95〜160日で、通常1〜2頭の子を産むが、生き残るのは通常1頭だけである。
ジャイアントパンダの最大の脅威は生息地の喪失と破壊である。農業、開発、森林伐採により、彼らの自然な生息地は断片化され、食料源である竹林の減少につながっている。これらの問題に対処するため、中国政府と国際社会はパンダの保護とその生息地の回復に力を入れている。多くの保護区が設立され、パンダの研究と繁殖プログラムが進行中である。ジャイアントパンダはその独特な外見と稀少性から、世界中で保護の象徴として親しまれている。
歯列は門歯が上下6本ずつ、犬歯が上下2本ずつ、小臼歯は上下8本ずつ、臼歯は上顎4本、下顎6本の計42本。臼歯は大型でタケ類を噛み砕くのに適していて、顔も幅広い。食道には輪状の角質が並ぶ。胃の隔壁は厚い。小腸はクマ科内でも短く(表面積が小さい)、盲腸や直腸の表面積は大きい。肛門や性器の周辺に、分泌腺がある。
乳頭の数は4個。
ジャイアントパンダはこれまでアルビノの個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという。
1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。
2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析から秦嶺山脈の個体群を亜種 A. m. qinlingensis とする説が提唱された。一方でこの亜種を認める説は、有力ではない。
標高1,200 - 4,100メートル(主に1,500 - 3,000メートル)にある、竹林に生息する。3.9 - 6.2平方キロメートルの、行動圏内で生活する。1日あたり500メートル以上を移動することはまれ。昼夜を問わずに活動するが、薄明薄暮性傾向が強い。冬季になると、積雪の少ない標高800メートルくらいの地域へ移動する。
生後40 - 60日で開眼する。授乳期間は8 - 9か月。生後5 - 6か月でタケなどを食べるようになる。生後4 - 5年で、性成熟すると考えられている。飼育下での最長寿命は34年だが、通常は長くて26年。
爾雅注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」が貘として記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた。これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある。白居易が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、唐以前にはそれ以外の特徴がなくなったと推定されている。加えて唐時代に、本種と同じ白黒模様をしたマレーバクが混同したと推定されている。説文解字注から、清時代でも貘は金属を食べる生物とされている。中華民国では本種の呼称は猫熊で、中国共産党の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある。台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない1934年初版の辞海においても既に熊猫は記述されている。一方でこの辞海初版での熊猫の解説は「新疆産の怪獣。体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。」などと記述されており本種とは結びついていない、この時点では本種を猫熊と呼称することは定着していなかったと考えられている。例としてDavidの発見時における本種の現地での呼称は、「白熊」だったとされている。
世界自然保護基金のシンボルマークのモチーフになっている。独特の色彩に関しては人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためだとする古代中国の伝承がある。
毛皮は寝具にすると夢により未来を予知できると信じられたこともある。
竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した。1985 - 1991年に、278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている。2016年の時点では生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている。 1963年に保護区が設置され、1995年の時点で13か所・5,827平方キロメートルが保護区に指定されている。このうち最大のものは臥龍自然保護区で、約2,000平方キロメートルに達する。1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている。1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている。1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている。 調査方法や地域がそれぞれ異なるため単純な比較はできないものの1974 - 1977年における生息数は2,459頭、1985 - 1988年における生息数は1,216頭、2000 - 2005年における生息数は1,596頭、2011 - 2014年における生後1年半以上の個体の生息数は1,864頭と推定されている。
国家一級重点保護野生動物にも指定されている。臥龍自然保護区内には1983年に臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、2008年の四川大地震によって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。
中華人民共和国では、ジャイアントパンダの密猟は重罪とされている。過去には死刑が最高刑であったが、1997年以降法律が改正され、現在は20年の懲役刑が最高刑となっている。死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に銃殺刑)が行われたこともある。密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている。また中国では熊の肉、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある。
経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。また、本種の主食である竹は約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけず餓死してしまうことがある。以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできた。20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発など、人間が生息地を分断したことによって、移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる。そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「緑の回廊(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、en)」を造る計画を進めている。 2004年に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の岷山山地、陝西省南部の秦嶺山脈、甘粛省南部などに約1,600頭が生息している。2006年、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。この数は1980年代末より約40パーセント増えている。
1978年に北京動物園が初めて、人工授精での繁殖に成功した。1990年の時点では1980年にメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、1982年にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している。1983年にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している。 日本では1972年に恩賜上野動物園で初めて飼育された(カンカンとランラン)が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している。1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している。ホァンホァンとフェイフェイのペアは1986年に人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けて1988年にも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)。
属名 Ailuropoda は、古代ギリシア語: αἴλουρος (ailouros) 「猫」 + πούς (pous; 語幹: pod-) 「足」 の合成語。 種小名 melanoleuca は同じくギリシア語 μέλας (melas; 語幹: melan-) 「黒い」と λευκός (leukos) 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。
パンダという動物名は1825年に初めて使用された。
今では世界中の諸言語で単に「panda、パンダ」と呼ぶ場合、レッサーパンダではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的に発見されたのは1835年のレッサーパンダが先であり、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)が1869年になって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。そのため、より古い文献では単に「panda」「common panda」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある。例えば、ブリタニカ百科事典は2013年時点でもジャイアントパンダを「giant panda」「panda bear」と呼称し、レッサーパンダを「panda」と呼称していた(2015年版では修正済み)。
「panda」という呼び名の由来については、英語の「panda」がフランス語で同じ綴りの「panda」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく、ネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ponja (ポンジャ)」「panja (パンジャ)」「poonja (ポーンジャ)」などに求める説、特徴的な手根骨などの骨格に求める説などがある。西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」(Ailuropus melanoleucus)と呼ばれていた。ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり、論拠に疑問がある。
古代中国では「食鐵獸」、「嚙鐵」、「貘」(現代でいうバクとは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「花熊」と「竹熊」がある。一方、標準名では「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; ダーションマオ)と呼び、亜種レベルでは模式亜種 A. m. melanoleuca を「四川大熊猫」(四川大熊貓 / 四川大熊猫、Sìchuán dàxióngmāo)、もう一つの亜種 A. m. qinlingensis を「秦嶺大熊猫」(秦嶺大熊貓 / 秦岭大熊猫、Qínlǐng dàxióngmāo)として呼び分ける。
中国語で言う「熊猫」(繁体字: 熊貓、簡体字: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。猫にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない。
中国大陸ではパンダは「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、dàxióngmāo; シュンマオ)と呼び、台湾では「大猫熊」(大貓熊 / 大猫熊、dàmāoxióng; マオシュン)が一般的である。台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の台南ニセパンダ事件が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり、1990年に行政院新聞局が用語を「熊猫」に統一する結果となったが、行政院農業委員会は「素人が専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した。
日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある。
現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に19年間で16頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的とされる)、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむね性成熟に達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。
カナ名 | 漢字名 (中国語読み) | 性 別 | 出生日 ※推定 | 来日日/ 日本で生誕 | 死亡日/ 現住地 | 日本出国日 | 居住地 (滞在地) | 父母 |
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カンカン | 康康(Kang Kang) (中国名:新興) | オス | 1970年 11月※ | 1972年10月28日 | 1980年 6月30日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 野生 |
ランラン | 蘭蘭(Lan Lan) (中国名:二興) | メス | 1968年 11月※ | 1972年10月28日 | 1979年 9月4日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 野生 |
フェイ フェイ | 飛飛(Fei Fei) | オス | 1967年 ※ | 1982年11月9日 | 1994年 12月14日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 野生 |
ホアン ホアン | 歓歓(Huan Huan) | メス | 1972年 ※ | 1980年1月29日 | 1997年 9月21日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 野生 |
チュチュ | 初初(Chu Chu) | オス | 1985年 6月27日 | 日本 | 1985年 6月29日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
トントン | 童童(Tong Tong) | メス | 1986年 6月1日 | 日本 | 2000年 7月8日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
ユウユウ | 悠悠(You You) | オス | 1988年 6月23日 | 日本 | 2004年 3月4日 | 1992年11月13日 | 東京都恩賜上野動物園 | 飛飛/歓歓 |
リンリン | 陵陵(Ling Ling) | オス | 1985年 9月5日 | 1992年11月5日 2001年4月25日 2002年4月24日 2003年4月26日 | 2008年 4月30日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 楼楼/岱岱 |
シュアン シュアン | 双双(Shuan Shuan) | メス | 1987年 6月15日 | 2003年12月3日 | 2022年 7月6日 | 2005年9月26日 | 東京都恩賜上野動物園 | 貝貝/迎迎 |
シャン シャン | 珊珊(Shan Shan) | オス | 1955年※ | 1980年3月23日 | 1985年 6月 | 1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
パオリン | 宝玲(Bao Ling) | メス | 1963年※ | 1980年3月23日 | 1988年 12月 | 1980年6月2日 | 福岡市動物園 | |
ウェイ ウェイ | 偉偉(Wei Wei) | オス | 1973年※ | 1981年1月6日 | 1992年 3月 | 1981年 | 上海雑技団 (日本巡回) | |
サイサイ | 寨寨(Zhai Zhai) | オス | 1975年※ | 1981年3月10日 | 1999年 2月 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
ロンロン | 蓉蓉(Rong Rong) | メス | 1964年※ | 1981年3月10日 | 1993年 | 1981年9月17日 | ポートピア'81博覧会 | |
トントン | 東東(Dong Dong) | オス | 不明 | 1989年9月15日 | 不明 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | |
ビンビン | 冰冰(Bing Bing) | メス | 1986年 8月6日 | 1989年9月15日 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 1989年11月12日 | こうふ博'89+パンダ展 | |
コウコウ (初代) | 興興(Xing Xing) (中国名:錦竹) | メス | 1996年 8月12日 | 2000年7月16日 | 2014年 10月14日 | 2002年12月5日 | 神戸市立王子動物園 | Pan Pan/永巴 |
タンタン | 旦旦(Dan Dan) (中国名:爽爽) | メス | 1995年 9月16日 | 2000年7月16日 | 2024年 3月31日 | 日本で死亡 | 神戸市立王子動物園 | 振振/冬冬 |
コウコウ (2代目) | 興興(Xing Xing) (中国名:龍龍) | オス | 1995年 9月14日 | 2002年12月9日 | 2010年 9月9日 | 日本で死亡 | 神戸市立王子動物園 | Pan Pan/佳佳 |
※名前なし | ※名前なし | オス | 2008年 8月26日 | 日本 | 2008年 8月29日 | 日本で死亡 | 神戸市立王子動物園 | 興興/旦旦 |
シンシン | 辰辰(Shen Shen) 申申? | オス | 不明 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) | 不明 | (1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 | 池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド | |
ケイケイ | 慶慶(Qing Qing) | メス | 1984年 9月9日 | 1988年3月25日 (1988年7月9日) (1988年9月19日) | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | (1988年7月5日) (1988年9月18日) 1989年1月10日 | 池田動物園 函館EXPO'88 アドベンチャーワールド | |
エイメイ | 永明(Yong Ming) | オス | 1992年 9月14日 | 1994年9月6日 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2023年2月22日 | アドベンチャーワールド | 良良/永永 |
ヨウヒン | 蓉浜(Rong Bang) | メス | 1992年 9月4日 | 1994年9月6日 | 1997年 7月17日 | 日本で死亡 | アドベンチャーワールド | 母:美美 |
メイメイ | 梅梅(Mei Mei) | メス | 1994年 8月31日 | 2000年7月7日 | 2008年 10月15日 | 日本で死亡 | アドベンチャーワールド | 林楠 /蘇蘇 |
ラウヒン | 良浜(Liang Bang) | メス | 2000年 9月6日 | 日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 哈蘭/梅梅 | |
ユウヒン | 雄浜(Xiong Bang) | オス | 2001年 12月17日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2004年6月21日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
リュウヒン | 隆浜(Long Bang) | オス | 2003年 9月8日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
シュウヒン | 秋浜(Qiu Bang) | オス | 2003年 9月8日 | 日本 | 深圳(セン)野生動物園 | 2007年10月27日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
コウヒン | 幸浜(Xing Bang) | オス | 2005年 8月23日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2010年3月15日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
※名前なし | ※名前なし | オス | 2005年 8月24日 | 日本 | 2005年 8月25日 | 日本で死亡 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
アイヒン | 愛浜(Ai Bang) | メス | 2006年 12月23日 | 日本 | 陝西省珍稀野生動物護救飼養研究センター | 2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
メイヒン | 明浜(Ming Bang) | オス | 2006年 12月23日 | 日本 | 柳州動物園 | 2012年12月14日 | アドベンチャーワールド | 永明/梅梅 |
メイヒン | 梅浜(Mei Bang) | メス | 2008年 9月13日 | 日本 | 唐山動物園 | 2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
エイヒン | 永浜(Yong Bang) | オス | 2008年 9月13日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2013年2月26日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
カイヒン | 海浜(Hai Bang) | オス | 2010年 8月11日 | 日本 | 貴陽市黔霊山公園 | 2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
ヨウヒン | 陽浜(Yang Bang) | メス | 2010年 8月11日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
リーリー | 力力(Li Li) (中国名:比力) | オス | 2005年 8月16日 | 2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | 霊霊/公主 | |
シンシン | 真真(Zhen Zhen) (中国名:仙女) | メス | 2005年 7月5日 | 2011年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | 琳琳/英英 | |
※名前なし | ※名前なし | オス | 2012年 7月5日 | 日本 | 2012年 7月11日 | 日本で死亡 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 |
ユウヒン | 優浜(You Bang) | メス | 2012年 8月10日 | 日本 | 宿州野生動物園 | 2017年6月5日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
オウヒン | 桜浜(Ying Bang) | メス | 2014年 12月2日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2023年2月22日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
トウヒン | 桃浜(Tao Bang) | メス | 2014年 12月2日 | 日本 | 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 | 2023年2月22日 | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 |
ユイヒン | 結浜(Jie Bang) | メス | 2016年 9月18日 | 日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | |
シャンシャン | 香香 (Xiang Xiang) | メス | 2017年 6月12日 | 日本 | 雅安碧峰峡パンダ保護基地 | 2023年2月21日 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 |
サイヒン | 彩浜(Cai Bang) | メス | 2018年 8月14日 | 日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | |
フウヒン | 楓浜(Feng Bang) | メス | 2020年 11月22日 | 日本 | アドベンチャーワールド | アドベンチャーワールド | 永明/良浜 | |
レイレイ | 蕾蕾(Lei Lei) | メス | 2021年 6月23日 | 日本 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 | |
シャオシャオ | 暁暁(Xiao Xiao) | オス | 2021年 6月23日 | 日本 | 東京都恩賜上野動物園 | 東京都恩賜上野動物園 | 力力/真真 |
アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴ動物園には、出産6回の「白雲」がいた(2019年5月に中国に帰国)。 テネシー州のメンフィス動物園は、2003年から2023年まで20年間の契約でヤーヤーとローローの貸与を受けていたが、2023年2月にローローが心疾患で死亡、ヤーヤーは同年4月に中国に返還された。
2020年11月時点での最多出産は、アドベンチャーワールドの「良浜」(7回)。
オーストラリアのアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ(ワンワンとフニの2頭)を保育している。
記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは唐時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている。
日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。そのため、興行などで集客力のある人気者を指す客寄せパンダという言葉が生まれた。語源には以下の2種の他にも幾つかある。
また、その体の色から「白黒のもの」をさす言葉として使用されることがある。その顕著な例に、日本のパトカーや、民間車両ではトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)の白黒ツートンカラー車を指す「パンダレビン」/「パンダトレノ」という語がある。
また、イロワケイルカを体色パターンが似ていることから「パンダイルカ」と呼ぶこともある他、ナマズ目のコリドラスの一種にも、その体色から Corydoras panda (Nijssen & Isbrücker, 1971) という学名がつけられたものがいる。
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