『コクリコ坂から』(コクリコざかから、英題:From Up On Poppy Hill)は、佐山哲郎の原作、高橋千鶴の作画による日本の漫画、およびそれを原作としたスタジオジブリ制作のアニメ映画。
コクリコ坂から | |||
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ジャンル | 学園 | ||
漫画 | |||
原作・原案など | 佐山哲郎(原作) | ||
作画 | 高橋千鶴 | ||
出版社 | 講談社 | ||
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掲載誌 | なかよし | ||
レーベル | 講談社コミックスなかよし 角川書店単行本コミックス 角川文庫 | ||
発表号 | 1980年1月号 - 8月号 | ||
発表期間 | 1979年12月 - 1980年7月 | ||
巻数 | 講談社版全2巻 角川版はいずれも全1巻 | ||
映画 | |||
監督 | 宮崎吾朗 | ||
制作 | スタジオジブリ | ||
配給 | 東宝 | ||
封切日 | 2011年7月16日 | ||
上映時間 | 91分 | ||
その他 | アニメ映画参照 | ||
テンプレート - ノート | |||
プロジェクト | 漫画・アニメ | ||
ポータル | 漫画・アニメ |
タイトルの「コクリコ」は、フランス語でヒナゲシを意味する。原作者の佐山哲郎は元々歌人であり、与謝野晶子の短歌「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)」(歌集『夏より秋へ』所収)から取ったとされる。また本作の街並みなどの情景は、横浜をイメージして描かれている。
漫画版は、『なかよし』(講談社)にて1980年1月号から同年8月号まで、全8話が連載された。単行本は同社より全2巻が刊行された。2010年に角川書店より新装版、2011年に同社より文庫版が発売された。
2011年、スタジオジブリ制作のアニメ映画版が公開された。同スタジオでは、宮崎駿以外の監督経験者は基本的に原作のある作品を題材に映画化しているが、原作のある作品において主人公や重要人物の氏名に著しい変更が行なわれたのは本作のみである。
10年前に乗った船が遭難し、行方不明となった船乗りの父と、仕事のためにアメリカに渡ったカメラマンの母を持つ小松崎海は、留守中、小松崎家を懸命に切り盛りしていた。
そのころ、海たちが通う港南学園では、新聞部部長の風間俊と生徒会長の水沼史郎が起こす騒動によって、生徒と教師が翻弄されていた。突如として新聞部によって発表される「ミスター・ミス港南」、物理法則をめぐる風間と水沼の賭け、制服廃止運動をめぐる風間と水沼の対立。こうした一連の騒動を海は冷ややかに見つめていたが、制服廃止運動の敗北の責任を風間が一身に負わされるのを見て、いつしか海は風間を擁護する声を上げるようになる。風間もまたひたむきな海にひかれ、2人は交際を始める。
しかし、ある日、水沼は風間に海と交際しないよう忠告する。水沼が海の母・小松崎虹江の仕事を手伝った際、偶然、海と風間の父親が同一人物であり、2人が異母兄妹であることを知ってしまったのである。水沼からそのことを聞かされた風間は海を傷つけないよう、父親のことを隠して海に別れを告げるが、それでも海のショックは大きく、やけになって不良の広瀬真と交際を始める。広瀬の本性を知る風間は海を放っておけず、広瀬の毒牙にかかりそうになっている海を助けるが、父親のことは話せなかった。
広瀬の魔の手から助けられた帰り道、海は偶然、祖父の小松崎島太郎から海と風間の父親が同一人物だと聞かされ、翌日、風間にことの真偽を確かめる。その際の海と風間のやりとりが広瀬の女友達に聞かれてしまったことで、海と風間が異母兄妹であるという噂が学校内で広まってしまい、海は精神的に追い詰められる。
海はつらい現実から逃避するかのように旅支度を始め、娘の様子を見かねた虹江はことの真相を海に話し始めた。
コクリコ坂から | |
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From Up On Poppy Hill | |
監督 | 宮崎吾朗 |
脚本 | 宮崎駿 丹羽圭子 |
原作 | 佐山哲郎 高橋千鶴 |
製作 | 宮崎駿 鈴木敏夫 |
出演者 | 長澤まさみ 岡田准一(V6) 風間俊介 竹下景子 白石晴香 小林翼 風吹ジュン 大森南朋 石田ゆり子 柊瑠美 内藤剛志 香川照之 手嶌葵 冠野智美 桝太一 藤巻直哉 伊藤綾子 |
音楽 | 武部聡志 |
主題歌 | 手嶌葵 「さよならの夏 〜コクリコ坂から〜」 |
制作会社 | スタジオジブリ |
製作会社 | 日本テレビ 電通 博報堂DYMP ディズニー ディーライツ 東宝 |
配給 | 東宝 |
公開 | 2011年7月16日 |
上映時間 | 91分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 44.6億円 |
2011年7月16日より、全国東宝系にて公開された。『ゲド戦記』に続く宮崎吾朗監督作品の第2作である。
キャッチコピーは、上を向いて歩こう。
映画では、海の姓は松崎に変更されている。
2011年8月9日にNHK総合で映画製作裏側を取り扱ったドキュメンタリー『ふたりコクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜』が放送された。
1963年(昭和38年)、初夏の横浜。女子高生の松崎海は、海の見える丘に建つ"コクリコ荘"を切り盛りしている。海は、朝鮮戦争で機雷に触れて亡くなった船乗りの父を偲んで毎朝庭に国際信号旗(意味はU旗とW旗で「ご安航を祈る」)を揚げていたが、高校の学級新聞に"旗を上げる少女"の詩が匿名で掲載されると、それが自分のことではないかと胸をときめかせる。
海の高校には、男子文化部の部室棟“カルチェラタン”があり、老朽化による取り壊しの是非が論争になっていた。海は、取り壊し反対の論陣を学級新聞で張っている風間俊と知り合い、2人は淡い恋心を抱くようになる。俊に協力したいと思った海が、カルチェラタンの大掃除を提案すると、高校では女子生徒たちをも巻き込んだ一大掃除作戦が始まる。
ところが、コクリコ荘に下宿していた北斗の送迎パーティで、亡くなった父が友人2人と撮った写真を俊に見せてからというもの、俊は急によそよそしくなり2人の関係に距離ができてしまう。不安に思う海が問いただすと、海の父は俊の父と同一人物であり、戸籍を調べたところ、自分たちの父親は同じで、兄妹であることが分かったのだという。俊も又、自分の父のものだという同じ写真を持っていたのである。俊から今まで通り、ただの友達でいようと告げられた海は、深く落ち込んでしまう。
やがてカルチェラタンの大掃除が進むと、取り壊しに賛成していた生徒たちまでもが保存を望むようになる。しかし、学校側はそれを意に介することなく、取り壊しを決定する。生徒会長の水沼と共に海と俊は生徒の代表として東京に赴き、学校の理事長に直談判して、綺麗になったカルチェラタンを見学してもらう約束を取り付ける。その帰り道に、例の詩の作者が俊であったことを海は知る。海は気づいていなかったが、俊は毎朝コクリコ荘の前を養父のタグボート船で通っており、海の旗に応答する旗を船に揚げていたのだ。海はたとえ兄妹でも、俊のことがずっと好きだと告白すると、俊も海が好きだと答える。
海が帰宅すると、アメリカから帰国したばかりの母が待っていた。母によれば、俊は海の兄ではなく、引き揚げ船の事故で亡くなった友人の立花(写真に写っている友人のうちの一人)から父が引き取ってきた子だという。立花の妻は俊を産んで急逝しており、親戚も皆ピカドンで亡くなっていたために身寄りの無くなった俊を、父は自分の子として役所に届け出た。しかし、当時海を身ごもったばかりの両親にも俊を育てる余裕は無く、父の知り合いである俊の養親に譲り渡していたのだ。それを聞かされた海は、母の胸で泣き続ける。
翌日、約束通りにカルチェラタンを訪問した理事長は、生徒たちに共感してカルチェラタンの保存を約束する。喜びに沸く学校に、俊の養父から俊の生い立ちを知っているという人物が近くに来ているという連絡が入り、海と俊は港の大型船に駆けつける。大型船の船長を務めるその人物とは、海の父と俊の父のかつての親友で、写真に写っていた3人めの人物、小野寺善雄だった。たくましく生きる立花と澤村の息子と娘を目の前に、小野寺は力強い声で「ありがとう。こんな嬉しいことはない。」と2人と握手を交わす。小野寺から詳細を聞かされた2人は笑顔で肩を並べ、小野寺の船を見送る。タグボートの上から横浜の街並みと、コクリコ荘を眺める。そこにはいつも通りメルの掲げた旗が夕日に照らされていた。
そして翌朝、海は今日もいつものように旗を揚げる。今度は父親だけでなく、俊も船の上から見ていることを願いながら。旗への返答か、船の汽笛が聞こえてきた。
製作発表から何十年も前に、宮崎駿の山小屋に姪や甥が遊びにきていて、少女漫画雑誌が置いてあり、その中に載っていた漫画を気に入った駿は、遊びにきていた友人の押井守、庵野秀明と漫画を読んで映画になるか激論したり、長年映画化を検討したりしていた。そして前作『借りぐらしのアリエッティ』製作中に正式に映画化されることが決定した。
スタジオジブリ経営5ヵ年計画における若手の登用を目的とした『借りぐらしのアリエッティ』に次ぐ第2作であり、本作の監督は駿の長男・宮崎吾朗が起用された。宮崎駿、高畑勲以外の人物が、スタジオジブリの映画として2作目の監督作品を製作するのは、本作が初めてとなった。『ゲド戦記』で吾朗が監督に起用されたことに反対していた駿は「映画監督は2本目が大事で、本当の評価が出る。1本目はビギナーズラックもあるんだ」「2本目が成果が問われる。ダメだったら解任の可能性もあるが、やらせよう」と発言している。
担当声優は過去にもジブリ作品で声をあてた者が多く起用されている。
日本全国457スクリーンで公開され、2011年7月16 - 18日の初日3日間で興収約5億8700万円、動員約45万人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位、最終興収は2011年度興行収入邦画第1位の44.6億円を記録した。
フランスでは2012年1月11日に公開。初日で約1400人の動員を集め、同日公開作品の2位となるスタートになった。
2013年1月11日、日本テレビ『金曜ロードSHOW!』にてテレビ初放送。視聴率は13.0パーセントを記録(ビデオリサーチ調べ)。
回数 | 放送日時 | 視聴率 | 備考 |
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1 | 2013年 | 1月11日13.0% | |
2 | 2016年 | 8月12日9.6% | |
3 | 2020年 | 8月21日11.4% | エンディングカット |
4 | 2023年 | 7月14日7.0% | 当初より10分繰り下げ放送 (21:10 - 23:04)。エンディングカット |
2012年6月20日に発売されたBlu-ray『ジブリがいっぱいCOLLECTION コクリコ坂から 横浜特別版』(特典DVD、横浜ガイドマップ付初回限定版)は、初週2.1万枚を売上げ、2012年7月2日付オリコン週間BDランキング総合首位を獲得している。ジブリ映画のBlu-rayとしては『借りぐらしのアリエッティ』(3.7万枚)に次ぐ歴代2位の記録となる。また同時発売となったDVDも、DVD通常盤も2.8万枚で総合2位、DVD横浜特別版が2.3万枚で総合3位となり、いずれも上位3位以内を記録した。
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